« December 2009 | Main | February 2010 »

2010.01.15

狂短歌ジンセー論[118号]――西安宵の明星旅 最終回

 遅ればせながら、新年明けましておめでとうございます。m(. .)m
 今年も御影の狂短歌メルマガをよろしくお願いいたします。
 珍しく寒冬模様で北国では大雪が続いているようです。お見舞い申し上げます。(2010年1月)

 さて、「西安宵の明星旅」連載13回――最終回「まとめ」です(^_^)。

 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 西安のツアーを終えて思うこと ぎっしり詰まった充実の旅

------------
 (^O^)ゆとりある人のための10分エッセー(^O^)

 13【 西安の宵の明星旅 まとめ 】
 西安五日間の旅を終え無事帰国した。初日と最終日は日本と中国を往復しただけだから、実質的な現地滞在は三日間だった。
 しかし、とても充実して感動的な日々を過ごすことができた。ぎっしり詰まった旅だったと思う(^_^)。

 不思議なことだ。出発前、私は精神的にやや落ち込んでいた。
 原因の最たるものはメルマガやホームページ、ブログ読者に著書『狂短歌人生論』(十冊)プレゼントを実施したのに、たった三名しか応募がなかったことだ。

 しかし、この旅行中、落ち込んだ気持ちを立て直してくれる出来事があった。今の自分に与えられた試練――などと言うと大げさだが――に対して「それを受け入れなさい」という天、もしくは自然からのメッセージを受け取ったのだ(^_^)。

 それは結論から言うと、確率四分の一(以下)の難しい道を選んだのは私自身であり、その道を進むのは自分の意思なのだから、「安易な道を選んではいけない」というメッセージだった。

 西安で最も嬉しかったことは着いて早々、ホテルの窓から西の夜空に煌々(こうこう)と輝く宵の明星を見出したことだ。これにまず感激した。

 世界の天気予報では西安はずっと曇りと予想されていた。
 初日西安に到着したのが深夜の0時過ぎ。当然明星は見られない。翌日午前中は(現地ガイドによると)久し振りに雨が降った。だから、そのままだと曇りのままだったろう。

 だが、雨は午前中であがり、午後はからりと晴れ上がった。
 晴れただけでなく、以後じりじりと身体が焼けこげるほどの暑さで、気温は四十度前後まで上がったらしい。

 初日の行程を終え、私とM氏はホテルに戻って部屋でくつろいでいた。ホテルの窓からは小雁塔が見えた。
 そして薄暮の午後八時頃、西の空に宵の明星を見出したのだ。一番星は雲一つない中空にくっきりと浮かんでいた。

 やがて暗くなり、小雁塔と博物館がライトアップされた。私はきらめく明星を見続けた。
 西安の明星だからと言って日本で眺める明星と特に変わるわけではない。それでも私は大感激した(^o^)。

 およそ一二〇〇年前、空海も小雁塔の上空に浮かぶ宵の明星を見たに違いないと思った。
 おそらく午前中の雨がスモッグや黄砂の汚れを洗い流してくれたのだろう。夜空に浮かぶ明星は本当にきれいに光り輝いていた。

 そして、三日間の滞在で明星が見られたのはこの一回きりだった。
 その翌日、翌々日も日中は四十度前後のかんかん照りとなった。西安は日本のように真っ青な晴天とはならない。薄くかすれたような青空が広がるだけだ。それでも晴れは晴れで、雲はほとんどない。

 ところが、薄暮以降の時間になると、西の空は急速に薄い雲に覆われる。
 滞在二日目は雲の合間を見え隠れする宵の明星がなんとか見えた。だが、それは初日に眺めた明星の輝きではなかった。
 三日目はもっと深く雲が覆って(また、私は観劇に出かけたこともあって)もはや明星を見ることはできなかった。
 私は一度だけ見られた僥倖(ぎょうこう)に感謝した(^_^)。

 そして二日目。私は念願の一人歩きを果たした。これがまた感動の体験となった。

 全二十三名のツアーは全て団体行動である。
 初日のメインは大雁塔と始皇帝の兵馬俑、三日目は西門城壁と青龍寺。これらは西安観光の目玉として絶対外せない。
 だが、二日目は市街地を離れ、西部地方へ古墳や陵墓巡りに出る。私は二日目の内容なら、必ずしも行かなくていいと感じた。西安市内を歩き回って空海の心情を少しでもいいから体験したい、それには二日目が絶好の機会だと思った。

 そこで中国人ガイドに「ツアーを離れて一人で行動したい」と要望した。
 ガイドよりむしろM氏が渋った。彼は「危険だし、みんなに迷惑だ」と言った。
 ガイドは意外と寛容で「それがどうしても望みなら結構だ」と言ってくれた。
 M氏も不承不承ながら同意した。結局、私は自分の意思を押し通した。

 二日目の朝、私はみなと別れて西安市内を歩き始めた。
 さすがにひとりぼっちは心細かった。だが、歩くにしたがって不安は消え、南門から鐘楼、鼓楼、西門へと歩いた。さらに城壁上を歩いて南門まで行き、降りると小雁塔を見学した。
 単独行に慣れた旅行者なら、なんでもない一人歩きだろう。しかし、私にとってはかなりの冒険だった。

 歩き始めた当初は誰かに呼び止められるのではないかと思って緊張した。路地に入るのが怖くて大通りばかりを歩き回った。その結果何度か道に迷った。朝八時半から夕方の三時半まで、昼食も摂らないまま、約七時間市内を歩き回り、へとへとに疲れてホテルに戻った。
 取り立てて大きなハプニングも事件もなかった。しかし、私にとっては感動的な一人歩きとなった。

 鐘楼や鼓楼では舞踊や太鼓の演舞を眺めた。
 そのようなことが行われているとは全く知らなかったので、思わぬラッキーと感激した。
 が、最も感動したのは西門から南門まで、城壁の石畳を一時間半も歩いたことだ(^o^)。

 西安では明代の城壁がそのまま残されている。壁の高さ十メートル、一辺数キロの城壁が東西南北にわたって市内中心部をぐるりと取り囲んでいる。城壁上は幅八メートルの石畳が一直線に伸びている。
 視界をさえぎるものは何もなく、それはちょっとした空中散歩の趣である。近代的なビルが建ち並ぶ大都市の中で、そこだけ数キロに渡って人っ子一人いない空間があることは驚きだった。

 観光客はほとんどレンタサイクルか人力車を使うようだ。だから、歩いているのは私一人だけだった。
 これはとても静かな散策で、時空を飛び超え、往時の長安にタイムトラベルしたような感覚さえあった。空海は城壁を登ったろうか、などと想像した。

 だが、西門から南門へ向かって歩き始めた当初、私はとてもうんざりしていた(--;)。
 なぜなら、確率四分の三の賭けに負けたと思ったからだ。

 西安の城壁は明代のものだが、全てそのまま残っているので城壁上を一周できる。一辺四キロの四角形だから全周は十数キロもある。

 私は西門に上がって初めてレンタサイクルがあることを知った。そこには小さな店があり、自転車数台と人力車が置かれていた。これはいいと思ってそこにいた中国人の業者に「自転車に乗りたい」と身振り手振りで頼んだ。
 しかし、業者は「人力車ならいいが、自転車はダメだ」とばかりに手を振る。
 なぜ自転車を貸してくれないのか、わけがわからなかった。
 業者は当然のように中国語で喋る。だから詳しい内容が聞き取れなかったのだ。

 その後日本語のわかる人が現れ、いろいろ教えてくれた。
 彼はレンタサイクルの営業は東西南北四つの門のうち三カ所で行われているが、「唯一営業されていないのが西門だ」と言った。

 私はそれを聞いてびっくりすると同時に、がっかりした(-.-)。
 なぜ西門のみ営業されていないのか彼は説明してくれなかった。私も強いて聞かなかった。
 事実そのように決められているのなら、受け入れるしかないだろう。

 そんなわけで自転車はあきらめるしかなかった。城壁上を一周してみたいと思っただけに、どうして西門でも営業してくれないのか、と当局や業者に文句の一つも言いたくなった。
 また、自分の不運を呪いたい気持ちにもなった。確率四分の三で当たるくじをひいて外れを引いたようなものではないか。しかも、これから昼飯を食べないまま歩き続けねばならない。
 だが、どうしようもないので南門まで歩いて行くことにした。南門に着いたら、自転車を借りて城壁を一周しようと思った。

 私は重い足取りで歩き始めた。じりじりと太陽が照りつけ、石畳の上は照り返しでとても暑い。
 時折人力車や自転車に乗る観光客とすれ違う。彼らはすいすいと私を追い抜いていく。
 なんとなく好奇の視線を感じた。歩くのは私ひとりしかいなかったからだ。

 が、しばらく歩いた後で私はあることに気づいた。
 それは自分が自ら確率四分の一の生き方をしていること、この日はとにかく市内を歩き回ると決めた――そのことを思い出したのである。
 自然は、あるいは天のなりゆきは私にちゃんとその道を選ばせているではないか――私はそう思った(^_^;)。

 私が書く本もまたなかなか理解されない。統合小説と言い、第四の目覚めなどとつぶやいている。私は確率の低い道をわざわざ選んでいるのだ。
 そして、この日の目的は歩くことだった。空海が長安市街地を歩き回った当時の気分を体験するため、ひたすら西安市内を歩くと決めたではないか。当時牛馬や人力車はあったとしても、バスやタクシーはない。いわんや自転車もない(^.^)。

 そう思ったとき私は嬉しくなった。「歩き通すと決めたこの日の目的を貫き通せ」――天からそのように言われた気がしたからだ。私の目的を達成させるため、天は、自然はわざわざ四分の一の道に私を導いたかのように思えた。

 このように書くと、人は「負け惜しみだ」と言うかもしれない。だが、これは無理矢理こしらえた理屈ではなく、自然にわき起こった感情だった。気づいたことで私はさらに感激した(^o^)。

 私は城壁上を再び元気良く歩き始めた。西門に上がる前、甘みのある緑茶を買っていたことも幸いした。
 これも当初は「なんだよ砂糖入りのお茶かよ(-.-)」とうんざりした。だが、昼食抜きとなっては腹の足しとなる甘さだった。

 そして約一時間半後南門へ到着した。そのときすでに自転車に乗る気はなくなっていた。
 今日は歩き通すぞ、と決意して城壁を降りた。そして、南門からさらに南の小雁塔を目指して歩き始めたのだ。

 それ以後道に迷ってタクシーに乗りたいと思うときがあった。ホテルへ戻る道がわからず、一時間も大通りをさまよった。しかし、結局この日一日を歩き通した。

 ホテルに戻ってベッドに倒れ込んだとき、私は爽やかな満足感を覚えた。疲れとともになんとも言えない充実感と心地よさを感じた。この体験で私は自分が選んだ道に対して再び自信を取り戻すことができたのだ(^_^)。

 この日最後に現地西安の母子と言葉(厳密には漢文会話)を交わした。これも感動的な体験だった。
 現地の人はほとんど英語がわからない。当然日本語も話せず、私は中国語がちんぷんかんぷんである。だから、言葉を交わすことは全く諦めていた。それだけに、現地の人と漢文会話を交わせたことは嬉しい体験となった。

 こうして西安四日の旅を終え、私は満ち足りた気分で帰国した。
 そして、帰国後空海に関して意外な事実を知った。

 空海が遣唐使の一員として出国したのは西暦八〇四年、空海三十一歳のときだ。
 遣唐船は七月に長崎を出港して荒れ狂う海を乗りこえ、ひと月後福州に漂着する。そして、長安には同年十二月二十三日に到着している。今からさかのぼること、ほぼ一二〇〇年前のことである。

 そのときの明星は明けの明星か宵の明星か。うっかりして私は出発前に確認するのを忘れていた(^_^;)。そこで帰国後、全世界・全年代の明星について知ることができるサイトを調べた。

 それによると八〇四年後半は宵の明星だとわかった。
 つまり、空海が初めて長安に足を踏み入れたとき、彼が最初に見たのは薄暮に浮かぶ宵の明星だったのである。これに気づいて私はまたちょっとした感激に浸った。

 私もまた二〇〇七年現在、西安で初めて宵の明星を見た。自分も空海と同じ感激に浸ることができたのだ。つまり、この時期に西安を訪れたことは全く問題ない、むしろ最も良い時期を選んでいたのである。
 これは出発前に確認しなかったことだけに、帰国後新たな喜びとして感じられることになった。

 これらもろもろによって、私はまた自信を取り戻した。落ち込みかけていた気分を復活させることができたのだ。
 不思議なことだと思う。それがやって来ることがありがたい。
 正直今度の西安旅行では自分を揺り動かすような感動・感激をあまり期待していなかった。
 ところが、出かけて自ら進んで行動することで、思いがけない感動を体験できた。
 ほんとに充実した素晴らしい旅だったと思う(^_^)。--了--

 ○ 西安のツアーを終えて思うこと ぎっしり詰まった充実の旅

============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:長々と一年に渡ってお読みいただき、ありがとうございました。短くしようと思って二年。それをあきらめ、公開し始めて一年と一カ月。私もまた読み返すことで、新たな感動を覚えたから不思議なもんです(^_^)。西安に行くときはぜひ鼓楼・鐘楼を訪ね、城壁上を歩いてみてください。私ももう一度西安を訪ねたいと思っています。そのときは西門以外の門から登って自転車で一周しようと考えています(^.^)。ジョギング一周も良さそうですね。(御影祐)

| | Comments (0)

« December 2009 | Main | February 2010 »