狂短歌ジンセー論[130号]――鳥インフル全頭刹処分
関東はからから天気に雪とお湿りが入り、これからいよいよ春めいてきそうです。
しかし、日本海側の豪雪による雪下ろし、鹿児島新燃岳(しんもえだけ)の噴火、宮崎の噴塵被害など、被災地はほんとうに大変だと思います。心よりお見舞い申し上げます。
逆に一月で嬉しい話題はサッカー日本がアジアカップで優勝したことでしょうか。ワールドカップに出場し一次リーグを突破するレベルに達した日本代表ですが、アジアも強敵揃い。苦しみながら古豪韓国、新興オーストラリアを破っての優勝ですから、日本のフィーバー、喜びようもよくわかります(^_^)。
かたや、相撲界の八百長騒動は激震です。これまでうわさはあったとしても物的証拠がなく、いつもうやむやに終わっていました。それが携帯履歴という物証が出現したことで、とうとう本場所中止に追い込まれてしまいました。
外国ではエジプトのデモ革命……とこの一月余り、メルマガの材料には事欠かない話題が多数ありました。
しかし、ここではこれらの話題ではなく、鳥インフル騒動を取り上げたいと思います。
宮崎県の鳥インフルはよく知られていますが、先日山口県で公園の白鳥四百羽が刹処分されました。
その理由が「死んだ一羽の白鳥から鳥インフルが発見されたから」だというのです。
このニュースを知ったとき「これはいよいよ発言せざるを得ない」と思いました。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 鳥インフル 人のために殺される 生き物たちの悲鳴が聞こえる
(^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)
【 全頭刹処分について 】
誰も言わないので、私が言わざるを得ません。
素人の意見、情緒に流された感想、単なる感情論さ――と言われたとしても、あえて主張します。
「鳥インフルを理由としてその場にいる生き物全てを殺すことをやめるべきだ」と。
鳥インフルが最もひどいのは宮崎県でしょう。
昨年は口蹄疫(こうていえき)で牛や豚が何十万頭も刹処分されました。それに続いて鳥インフルエンザでも鶏が大量に処分されました。
当初は苦渋の決断だったようですが、最近は「当然」といった空気が感じられます。飼育関係者の落胆・苦痛を想像すると、ほんとうに気の毒なことと思います。
ご存じの通り、それらの刹処分は病気になった鶏だけでなく、その飼育場にいる健康な鶏も全て殺されます。
先日山口県では公園に飛来した白鳥(実際は黒鳥)が1羽だけ鳥インフルにかかり、それを受けて池の白鳥四百羽が全て殺されました。
妙な発言かもしれませんが、なぜ日本の仏教界は「無益な殺生(せっしょう)をするな」と声を上げないのでしょうか。
あるいは、動物愛護団体も「全頭刹処分はおかしい」と言わないのでしょうか。
仏教が生き物を殺すことを禁じているのは有名ですが、人が生きるために肉や魚を食べることまでは禁じていないようです。それはやむを得ない殺生であり、なんの理由もなく生き物を殺すことを禁じている感じです。
では、全頭刹処分とは人間にとって「やむを得ない殺生」であり「有益な殺生」なのでしょうか。
昔のおばあちゃんなら「あんな殺生をやっとったら、そのうち人間全体に罰が当たるぞ」とつぶやくような気がします。
たった一羽、たった数羽、数十羽、数百羽が鳥インフルにかかる。するとその近くにいるその数十倍、数百倍の健康な生き物もみな殺してしまう。それは食べるためではありません。
全頭刹処分とするのは鳥インフルが感染しやすいからでしょう。それを防ぐ動物用の薬はないし、作ろうとしないようだし、作っても薬代が高すぎて使う気にもならないからでしょう。
しかし、人間でもそうですが、たとえば一万人が暮らす町でインフルエンザが流行したとしても、一万人全員がインフルエンザに感染することはまずありません。
飼育する動物だってインフルエンザにかかった生き物を除外していけば、感染しないまま生き残る健康な鶏だってたくさんいると思います。
それでも全頭刹処分をする理由はたった一つ。鳥インフルが人間に感染してさらに人に感染するようになったとき、膨大な数の人間が病気になって死ぬかもしれない、その危険性があるからです。
そして、それを防ぐには薬の開発など膨大な手間と金がいるから……のようです。つまりは人間のために多くの小動物を殺すという構図です。
科学の発展によって公園の小動物が一羽死んだとき、死因を検査したら鳥インフルであることがわかるようになりました。
しかし、数十年前、公園の白鳥が一羽死んだら「かわいそうだね」と言って土に埋められる程度で終わったでしょう。
十羽死んだとしても「へんだね」と言いつつ、これも埋められて終わったでしょう。そのうち生き残った白鳥たちが春になって飛び立っていったはずです。
しかし、山口の白鳥は飛び立つ日を迎えることなく、ニンゲンによって殺されてしまいました。
この大量刹処分を人間界に当てはめてみるとどうなるでしょうか。
たとえば、致死率80パーセント、原因不明の感染病が発生すれば、まず患者を隔離すると思います。ところが、当人だけでなく家族も感染してしまう。隣人も感染したことがわかって隔離される。その人たちが次から次に死ぬ。
ならば「その町の人全員を隔離」する流れとなるでしょう。SF小説や映画で時折見かける状況です。
一つの養鶏場の鶏を全て刹処分するというのは、これに加えて「町に住んでいる人を隔離するだけでなく、感染していない人間も全員殺すこと」にあたります。
そんな決定が下されたらたまりません。
その町に暮らす人々は「とんでもないことだ。俺たちはまだ病気にもなっていないのに、どうして殺されなければならないんだ」と怒りで真っ赤になって抗議するはずです。
当局は「すまない。しかし日本人が、人類全体が生き残るためだ。君は犠牲になってくれ」とでも言うのでしょうか。
それを受けて我々は「そうか、それなら仕方ない」とあきらめるでしょうか。
いや、最悪仕方ないとあきらめるにしても、
「それならせめて病気になってから殺してくれ」と嘆願するのではないでしょうか。
いま行われている鳥インフル全頭刹処分とはこれと同じことです。
人に飼われる動物たちはそのような怒りの声も、悲しみの声もあげません。
ガスを吹きかけられるのでしょうか、薬物注射をされるのでしょうか。彼らは物言うことなく静かに倒れて死んでいきます。その数はすでに何十万羽にも達しています。
飼われている動物たちは確かに人間のために殺されます。しかし、それは人間に食べられるために殺されるのです。もし彼らが言葉を話せたら、言うのではないでしょうか。
「自分の肉が人間のために役立つのだから、それで殺されるのは本望だ。しかし、まだ病気にもなっていないのに、殺され捨てられるなんて犬死にじゃないか。どうか食肉として殺してくれ」と。
牛や鶏ですから「犬死」とは言わないかもしれませんが(^_^;)。
そもそも全頭刹処分はきりがありません。極端に言えば、日本国中全ての家畜がいつの間にか鳥インフルにかかり、全頭殺される可能性だってあります。
鶏肉が100グラム1万円になったり、最悪この世から消滅してしまうかもしれないのです。
だから思います。全頭刹処分はやめて病気になった家畜だけを処分するべきだと。健康な家畜は飼育を続け、私たちはそれらの肉や卵を食べるべきだと思います。
このように発言すると「もしも鳥インフルが動物から人間に感染して人間に大発生するようになったら、どうするんだ」と言われるでしょう。
それに対して私はこう思います。「そのときはその状況を受け入れ、そこから戦いが始まるのだ」と。
それは人間もまた自然の一部であり、その都度起こる自然の災害は受け入れ、そしてがんばって戦うしかないからです。
たとえば、豪雪の雪かきが大変であっても、そこに暮らすことを選択して受け入れているから、雪かきせざるを得ないのです。大噴火で町が灰まみれになったとしても、灰を一生懸命掃除するしかないのです。
もしも鳥インフルが動物から人間に感染する事態になったら、そのときそれに対する戦いが始まるのだと思います。
それが予想されるからと言って「健康な動物を殺しても構わない」と言うなら、あまりに自分勝手な理屈であり、人間中心主義が過ぎると言えないでしょうか。
鳥インフルが人間に感染したならば、たくさんの人が苦しみ、死ぬような事態になるかもしれません。確かにそれは辛いことです。自分が愛する人、愛する子どもたちがそれによって死ぬのはほんとうに辛いと思います。
しかし、科学・医学は万能ではありません。数十年前不治の病と言われた結核。それは現在大したことない普通の病気になりました。私たちはその恩恵にあずかっています。
今不治の病は癌でしょう。しかし、数十年後「癌になったけど、三日も通院したら完治したよ」と気軽な病気になっているかもしれません。
その時代、その時代に生きるしかない我々は、そこで発生するいろいろな病気・災厄を受け入れるしかありません。鳥インフルも同じことだと思います。
少なくともその病気が人間に感染し、拡大する危険性が高いからと言って健康な小動物をむやみやたらに殺していいとはとても思えないのです。これは無益な殺生と言うより、人間中心主義の殺生だと思います。
ペットが飼えなくなったからと簡単に捨てられ、それが毎年数十万頭も刹処分されている。それと同じように、利己主義・自己チューの殺生だと思います。
これが私の結論です。
もし「全頭刹処分は当然の処置でしょう」と誰もが思っているとすれば、一人くらいは異議申し立てをする人間がいてもいいのでは、と思ってあえて書きました。
最後に妙なことを付け加えます。
鹿児島と宮崎の県境にある新燃岳噴火は鳥インフル渦中にいる宮崎の人たちに「鳥インフルでさえ大変なのに、なんでまたこのようなことが」と嘆かせました。
しかし、あれを日本人というか人類に対する警告ととるなら、最もふさわしいところで噴火したと言えなくもありません。
自然は「人間よ。思い上がった自己中心主義を改めなさい」と警告しているのかもしれません。
○ 鳥インフル 人のために殺される 生き物たちの悲鳴が聞こえる
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:全頭刹処分は日本だけでなく外国でも行われていることで、むしろ日本は外国にならってその処置を決めたようです。全頭刹処分を提起した科学者たちはぜひ口蹄疫や鳥インフル予防薬を開発してほしいものです。それが発見・開発されるまでの全頭刹処分であるのなら、やむを得ないかなと思います。(御影祐)
Comments
こんにちは。ブログ読ませていただきました。
私は宇部市民です。
公園の近所に住み、子供の頃から100回は下らないほど公園に行ってました。
自分でも馬鹿じゃないかと思うほど落ち込みまして、ご飯が食べられず
少し痩せてしまいました。寂しいです。
常盤湖は人工湖ですが、とてもとても広いです。
常盤の白鳥は渡り鳥ではありません。昭和32年より飼育が始まり52年の歴史があります。
そこに、切羽された400羽の白鳥やコクチョウ、人工飼育で育ったペリカンが
住んでおりました。
毎年年間数え切れないほどの野鳥が飛来します。
経過は今回キンクロハジロと言う渡り鳥が湖で1羽だけ
死亡していて、鳥インフルウイルスが12日に強毒性と確定されたそうです。
9日にたった1羽の弱っていた(弱いから病気に負けたんですよね)コクチョウが
死に、市は半日で全殺処分を決めてしまいました。12日に確定する前に。
だから、私は最初から餌代のかさむ白鳥たちを処分ありきの決定だったと思っています。
東京からやってきて現在の地位におさまった女市長は
飼育員達にでさえ、爽やかな表情で頑張りましょう!と言い放ったそうです。
仕事が早いのが自慢、経費削減が第一と良く言ってると聞いた事がありました。
決定が早すぎるので、ほんの少しの市民は文句を言いに行けましたが、
多くは何故?どうして?と思う間に全部殺されてしまったのです。
人間に慣れていた白鳥やペリカンはいつものように餌が貰えると思い余り逃げなかったそうですよ・・・
市長の頭の中じゃ、切羽された白鳥たちが遠くの養鶏場まで歩いていって大きな穴から
進入してそこで死ぬんでしょう。そしてその上を野鳥が自由に飛ぶんです。
広い湖に微生物を殺してしまう消石灰を撒きまくり、雨で湖にたくさん流れ込んだ事でしょう。
おためごかしに残されたペリカン数十羽と多くの湖の魚たち、桜などの植物たち、近隣の田畑への影響はいかがなものか。
野鳥を無闇に全滅(できるわけないけど)させるよりも、動物園の守ってやるべき義務のある
生き物を殺すことはより罪深いと思いました。
人を憎いと思った事はありませんが、初めてこんな気持ちなんだなーと思った次第です。
自分が苦しくならないように、暗い気持ちを持ってはいけないと思うので早く忘れたいですが、
宇部市のやった事は市民は忘れないしこの件の酷いありさまを時間が証明してくれるといいなと
思います。
Posted by: ありがとうございます。 | 2011.02.15 10:32 AM
宇部の方、コメントありがとうございました。ニュースや新聞記事だけでは知られない事実があったことがわかり、とても参考になりました。あの白鳥たち「切羽」されていたのですね。知りませんでした。ならば、いろいろなところに飛んでいって鳥インフル菌をまき散らす可能性はもっと低かっただろうに、とも思います。やはり科学者が早く鳥インフル予防薬をつくってほしいものです。御影
Posted by: 御影祐 | 2011.03.28 02:56 PM