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2013.07.31

狂短歌ジンセー論[156号]――人生の最後に何をやるか

 暑中お見舞い申し上げます。
 猛暑にゲリラ豪雨……日本列島異常気象の夏休みです。
 特に山口・島根の猛烈豪雨は昨年大分の日田や竹田で起こったのと同じ災害になっています。
 被災地の方々にお見舞い申し上げるとともに、どこで起こっても不思議ないと感じます。
 気象庁が「かつて経験したことのない大雨」と予報したときには注意が必要ですね。

 さて、21日の参議院選挙前は「国民投票いつやるの?」の表題でジンセー論を書いていました。
 狂短歌は《原発の維持か廃止か決めるとき 国民投票やるなら今でしょ!》でした。
 ところが、執筆に手間取っているうちに、選挙が終わってしまい、公開のタイミングを逃してしまいました(^_^;)。

 さて、どうしようと考えていたら、七〇歳近い友人から「テニスに誘われてやりたかったけれど、家族から熱中症になるからダメと反対されて断った」とのメールが来ました。
 その返信メールを書いてみて「これはちょっと面白いのが書けた。狂短歌メルマガで公開しよう」と思うに至りました(^_^)。テーマは「人生の最後に何をやるか」です。

 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 人生の最後に何をやりますか? テニスにゴルフ? 趣味の畑?
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 (^O^)ゆとりある人のための10分エッセー(^O^)

 【 人生の最後に何をやるか 】

 くだんの友人は持病はあるものの、結構元気でテニスも昔からやっています。
 天気と体調さえ良ければ週に一回はやるほど。ところが、始めると熱中すると言うか、負けん気が強くて年甲斐もなく走り回り、「やり過ぎた。あれが痛い、これが痛い」とメールをくれます。
 私は慰めつつ、からかいつつ、「動けるうちに動きましょう」と返事しています(^_^)。

 今夏の猛暑はさすがに友人も「テニスはやりたいけれど、熱中症が怖いし、家族からは絶対ダメと反対された」とのことで、誘いを婉曲に断ったと言います。「ストレートに言えないのは関東人の性格なのです」とありました。

 この友人は以前大学時代の同窓会で、ある事故を起こしたことがあります。
 宴会後みんなで川沿いの道を散歩していたとき、足を踏み外して斜面を転げ落ち、ケガしたのです。あっと思ったら落下しており、気づいたのは病院のベッドだったとか。
 幸い重大事故にならなかったけれど、脳の検査をするなど一時は大変だったようです。そのとき家族から「もう年なんだから端っこを歩いちゃダメ」と言われたとか。
 私もそう注意しました(^.^)――これは伏線です。

 さて、友人のメールに対して私は以下のような返信メールを書きました。

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「関東人はストーレトな言い回しはしないのです」を読んで笑ってしまいました(^_^)。
 確かに大阪のおばはんなど、ストレートですよね。
 ストレートに断れないのは貴殿の優柔不断な(?)性格ゆえかもしれません。
 あるいは、人を傷つけたくない、やさしい性格ゆえであり、人の評価を気にするところなども。

 奥さんやお子さんが「この炎天下にテニスなんて熱中症になるからやめて」と言うのは確かにその通りです。心配するのは貴殿を愛すればこそ。私も同じことを言うと思います。

 もっとも、私が大好きなゴルフに誘われたら、すぐ「行くよ。行くよ」と返事すること間違いありません(^_^;)。炎天下であっても。

 貴殿は家族がいるから、心配して「行くな」と言ってくれます。
 一人暮らしの私には注意してくれる人がいないから、気軽にゴルフに出かけてしまいます。
 もちろん帽子をかぶり、2リットル入りのスポーツドリンクを用意して一度のゴルフでそれを飲みきるほど飲みます。
 だから、これまで真夏のゴルフで熱中症になったことはありません――が、10年後はわかりません。

 ただ、こんなことも思います。
 不参加だったテニスやゴルフが行われた翌日、別の理由(たとえば脳梗塞とか心臓発作など)で突然倒れ、生還したけれど、二度とテニスやゴルフができなくなった……なんてことはあり得ます。

 そうなると、この「テニスやゴルフの誘いを断る」、あるいは趣味の畑仕事を「熱中症になるからやめる」選択はかなり微妙な問題になります。後日「こんなことなら、あのときやっときゃ良かった」と後悔する可能性があるからです。

 もちろん、この逆に「家族の注意を振り切ってやったら熱中症になった。バカなことしなきゃ良かった」の後悔もあり得ます(^.^)。

 最大の問題は明日倒れるかどうか、全くわからないことです。
 もしもそれを知ったら、炎天下の今日のテニス、ゴルフ、畑仕事をやるかもしれません。運良く生還したとしても、障害を負えば二度とできないのですから。

 そもそも人生最後、地球最後(^.^)の瞬間を迎えたとき、「あれをやれば良かった、ほんとはこれをやりたかった」とくどくど嘆いてぼやくのか。
 あるいは、「自分を貫いた結果ひどい目にあった。ばかなことをやってみんなからバカにされた。でも、自分のやりたいことをやりたいようにやった。だから、悔いはない」とつぶやいて逝くのでしょうか。

 私には後者の方がよっぽどさわやかではないかと思えます。

 炎天下にテニスをやって緊急搬送され、そのまま天に召されたとしても、それが人生最後にやりたかったことなら、「そこで倒れるも本望」ではありませんか。あの坂本龍馬のように(^_^)。

 つくづく思います。
 台風が来ると「海岸線や川に近づかないように」と言われながら、(仕事でもないのに)必ず見に行く人が現れ、そのうち何人かはケガしたり、死んだりします。
 今夏もこれだけ熱中症に注意と言われながら、やっぱり炎天下の活動で緊急搬送されたり、亡くなる人が出ます。救急車を使って「なんて迷惑な、なんて自分勝手な」と思われるでしょう。

 しかし、これはその人が人生最後にどうしてもやりたかったこと――なんだと考えると、印象が変わります。「それじゃあ仕方ないな」と思えるからです。

 本人は「人生最後にやりたかったこと」が台風で海や川を見に行くこととか、炎天下の畑仕事とかゴルフ、テニスなどとは思わないかもしれません。
 しかし、結果から見ると、そういうことです。そこで突然人生が終わるのだから。それが「人生最後にやりたかったこと」なんでしょう。

 ということは友との再会を楽しみ、川沿いの道を散歩して足を踏み外して落下……そこで死んだなら、それがその人の人生最後にやりたかったことということになりますね(^.^)。

 けれども、ケガしたけれど生還した。ということは人生最後のチャンスはまだ先にある、あるいは、年老いてラケットやクラブ、くわを手放し、やがてベッドに横たわって愛する人たちに看取られ、静かに臨終を迎える――自然な終わり方なのかも知れません。未来を読めない私たちに、それはわかりません。

 ただ、今日という日の活動が「人生最後にやりたいことなのかもしれない」と考えると、「存分に味わって存分に楽しみたい」と思えるのではないでしょうか(^_^)。

***************
 さて、この理屈、わかってもらえたでしょうか。

 最後に一つ熱中症関連で注意喚起を。
 特異な活動では飲料などしっかり準備するからあまり心配ないと思います。
 むしろ危ないのは普通の日の普通の活動です。私は以前炎天下で散歩したとき、三十分後にふらふらして倒れそうになったことがあります。
 その日は隣の駅まで歩いて行き、昼飯食ったら電車で帰ってくるつもりでした。短時間だから帽子はかぶらず、ペットボトルも持参しませんでした。そのときは熱中症などと思いもせず、妙だなあと思いながら歩き続けました。後で熱中症だったと気づきました。
 幸い食堂に駆け込んで水をごくごく飲んで回復しました。こちらの方が危ない気がします。

 もっとも、そのとき倒れて死んでいたら、私が人生最後にやりたかったことは「お散歩だった」となるのでしょう。それもまた良し、です(^_^)。

 ○ 人生の最後に何をやりますか? テニスにゴルフ? 趣味の畑?

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:選挙の後は恒例の各党本来の得票別議席数を計算して公開しています。
 いつも書いているように《小選挙区制》は国民の総意を示していないことを実証するためです。得票率は比例区を使用しました。

 政 党 名=票率 議席 本来なら
 自由民主党=34.7 65 [42]
 公 明 党=14.2 11 [17]
 民 主 党=13.4 17 [16]
 日本維新会=11.9  8 [14]
 日本共産党= 9.7  8 [12]
 みんなの党= 8.9  8 [11]
 社会民主党= 2.4  1 [ 3]
 生活の 党= 1.8  0 [ 2]
 新党 大地= 1.0  0 [ 1]
 緑 の 党= 0.9  0 [ 1]
 みどりの風= 0.8  0 [ 1]
 幸福実現党= 0.4  0 [ 0]
 諸   派= -  1
 無 所 属= -  2 
  (諸派・無所属は比例区得票がないので、本来の議席を合計すると121になります)

 自民・公明合計の得票率は48.9。つまり、与党の支持は過半数に達していません。自民の支持は3分の1強です。それが与党で3分の2近い議席を獲得してしまう。これで「国民の支持を得た」と言うのでしょうか。だから「国民投票が必要」――という主旨でメルマガを書こうとしたのです(^_^)。
 残念なことは投票した人が全有権者のほぼ半数で、半数は意志を鮮明にしなかったこと。つまりはどうでもいい傍観組? やっぱり8割の人が投票してほしいですね。

 目下国民投票は18歳以上にしようという動きがあって賛成です。しかし、私は「原発存続か否か」などの課題は小学校以上、最低でも中学校以上に拡大すべきだと思います。だって数十年後の未来を担うのは今の子どもたちなんですから。未来をどうするか決める投票に最大の該当者が参加できないっておかしくありませんか?(御影祐)

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2013.07.09

狂短歌ジンセー論[155号]――1万5000本のマキ

 休刊中の6月にサッカー日本代表がワールドカップ出場を決め、富士山が世界文化遺産に登録されました。どちらもおめでとうございます(^_^)。
 特に富士山の方は美保の松原も「入れるべきだ」と意見が出され、それも含まれたことは喜ばしい限り。「遠すぎるから除外せよ」との答申が出たとき、私も「文化遺産なのに妙な答申だなあ」と思った一人でしたから。
 ただ、今後富士登山の激増が予想されます。熱くなりやすいのが我ら日本人。事故が起こる可能性もかなり高いと思います。死ぬまでに一度登ってみたいと思っている方、富士で死んじゃなんにもならないので、しばらく様子見してはいかがでしょうか。えっ、「富士で死んだら本望だ」ですか(^_^;)?

 さて、今号のテーマは富士と全く関係なく……、

 7月6日の早朝ふっと目が覚め、眠れそうになかったので起きだしてテレビを付けました。
 するとNHK『関東甲信越小さな旅』(再放送かも?)が目に留まり、思わず最後まで見てしまいました。そして、これはぜひみなさんにお伝えしたいとペンをとった(比喩ですが)次第です(^_^)。


 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 自らは死の近きこと悟りつつ 老妻のため割ったるマキは?

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 (^O^)ゆとりある人のための10分エッセー(^O^)

 【 1万5000本のマキ 】

 小さな旅の舞台は茨城県大子町の蛇穴町――山間の小さな地区でした。
 大子町には一度行ったことがあります。袋田の滝で有名なところです。
 もちろん蛇穴町など初見で、「へびあな」とは変わった名だあと思ったら「じゃけち」と読むと後で知りました。

 全国の過疎地同様、じいちゃんばあちゃんがのんびり(?)暮らす山里の地区でした。
 主役らしきばあちゃんは今年81歳。やや腰は曲がっているけれど、とてもお元気です。
 まず、でっかい斧を振りかぶってマキ割りをやっている姿が映し出されてびっくりしました。 お若い(^_^)。

 風呂炊き用かと見ていたら、居間に囲炉裏(いろり)があってそこにマキストーブが設置されています。マキはストーブ専用だったのです。
 撮影時期は4月初め頃だったようで、まだまだ朝晩寒く、ストーブはとても重宝している。「これで米を炊くし、煮物も作れる。あったかいし、便利だよお」とおばあちゃんは言います。

 私も一、二回マキストーブに遭遇したことがあります。ほんとに暖かくて「いいなあ」と思ったことがあります。でも、マキ割りはしたくありません(^_^;)。

 おばあちゃんはマキ割りだけでなく、山にたきぎ採りにも行くらしく、大きなカゴにたきぎを背負っててくてく歩く姿も映されました。そして、近所の人と言葉を交わす。
 蛇穴地区でそのようなことをやっているのはおばあちゃんだけのようです。

 夫はすでに先立ち、3人の子はみな独立して一人暮らし。家の煙突からは煮炊きの煙がもくもく出ています。ある意味「生きている証」ですね(^.^)。
 近所の人は煙が見えないと心配して訪ねてくるそうです。

 ところが、おばあちゃん家の裏にある小屋が出現したとき、もっとびっくりしました。
 そこには大量のマキがうず高く積まれていたからです。その数なんと1万5000本!
 「なにそれ?」って思いました(^.^)。

 おばあちゃんの言葉で事情がわかりました。大量のマキは亡き夫が残してくれたマキだと言うのです。
「5年前夫は86歳で死んだ。その何年か前病気になったとき、自分は長くないと思って私のために丸太を割ってマキを作り、それを小屋に一本一本積み重ねてくれた」とおばあちゃんは言います。

 しかし、ということはおばあちゃんは自分でマキ割りをしなくても、充分生きていけるというか、それを使えばいいはず。なのに、おばあちゃんは「夫のマキを絶やさぬよう」「マキが減るのがさみしくて」今でもマキ割りをしているというのです。

 考えてみれば、確かに1万5000本のマキも一日10本、1年3650本使ったら、4年余りでなくなってしまいます。5年前夫のマキを使い始めていたら、今は消えている勘定です。
 でも(私は思いました)、あのおばあちゃんにそんな計算はなかっただろうと。

 夫は妻のために毎日毎日ひたすらマキを割り続けた。病気がちなら、しんどいこともあったでしょう。それでも「お前が生きていけるように」とマキを割り続けた。それは間違いなく夫の妻への思いやりであり、愛でしょう。
 1万5000本のマキはおばあちゃんにとって夫そのものであり、夫の深い愛を感じ取れる形見である。だからこそ手を付けることなぞ考えられなかったのではないか。
 あるいは、自分が動けなくなったとき、初めて夫のマキに手を付ける。そして、しみじみ夫を思い出しながら、今度は自分にそのときが来るのを待つのでしょう。

 1万5000本のマキを作るには1年365日で割ると、一日40本余り。毎日休むことなく割り続けて1年かかります。一日20本なら2年。2年か3年で作り上げたのでしょうか。
 加藤登紀子さんの歌に「100万本のバラ」というのがあります。貧しい絵描きが女優に恋をした。小さな家とキャンバスを金に換えて100万本のバラを贈ったという歌。
 それは男が女性に示す愛の形としても、「さすがに100万本はちょっと無理だろう」と突っ込み入れたくなります(^.^)。
 対して「1万5千本のマキ」は現実の話です。これは年老いた夫が長年連れ添った妻に残す素晴らしい愛の形ではないか――そう思って感動しました。

 その一方、ひねくれたことを考えがちな私のこと(^_^;)、見終えてある計算もしてみました。

 たとえば、子どもが二人で中流階級の夫婦を考えてみると、年老いた夫が1千500万円の遺産を残して先だったなら、妻や子はどう感じるだろうかと。
 すでに自宅もあるなら、遺産はもちろんありがたいと思いつつ「ちょっと少ないかな」と思いはしないか。遺産150万に比べれば格段に多いけれど、遺産1億などというレベルと比べれば、決して多くない……みたいな(^_^;)。

 しかし、1千500万の遺産とは1本1000円のマキを1万5000本残してくれたのと同じことです。
 マキは一本1000円もしない。高くても1本100円なら、遺産1千500万とはマキ10万5000本と同じなのです。

 これを逆に言うと、マキ1万5000本とはお金に換算するなら遺産150万と同じ……と言ってしまうと身もふたもありません(^_^;)。

 もしも(家はあるとしても)夫の遺産が現金150万だったら、それを「夫のものすごい愛」と感じてくれる奥さん方は皆無のような気がします。

 そう考えると、お金で計られる社会って「愛の価値」をわかりにくくさせているようで、さみしいですね。

 ○ 残された遺産が百と五十万 深い愛だと感じられるか

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:今号はつなぎです(^_^;)。参院選が近づいていることもあり、それも含めて書き始めた原稿がいつものように長くなったので、これをはさみました。次号は今月中に発行したいと思います。
 それにしても不思議です。原発の新基準制定、審査の申請によって、原発をどうするかの結論を出さないまま、原発再稼働→日本お得意の「根本議論は棚上げ」へと進みそうです。
 昨年の衆院選、今回の参院選は「原発をどうするか」を問う国民投票のチャンスでした。ところが、誰も国民投票を実施しようと言い出すことなく、二つの選挙を終えます。憲法改定は確かに一度も行われていないけれど、国民投票も皆無。悲しいことに、これもまた我が母国です(^_^)。(御影祐)

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