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2014.09.07

狂短歌ジンセー論[169号]――長崎佐世保女子高生殺人事件について

 広島の土砂災害は甚大な被害をもたらしました。他にも「8月豪雨」によって亡くなられた方、被災された方にお悔やみ、お見舞い申し上げます。
 こちら大分も7月から8月は雨ばかりで、裏の畑のミニトマトはプチ割れ腐り、県内の稲は日照不足でいもち病や生育不良が心配されているそうです。自然には勝てません。

 さて、8月の豪雨災害によって一気に過去の事件となってしまった感のある長崎県の佐世保女子高生殺害事件。7月26日に友人を自室で殺害したとして十六歳の同級生が逮捕されました。被害者は首と左手首が切断されており、加害女子が犯行前に「人を解剖してみたかった」と話していたなど大きな話題となりました。今号はこの事件を取り上げます。

 私の狂短歌メルマガは「人を明るくする話題、もしくは暗いお話でも見方によって明るくなれる話題を取り上げる」を基本コンセプトにしています。しかし、まれに明るくなれない話、結論も暗いお話を取り上げています。テーマにせざるを得ないとも言えます。忘れてしまったら、いつかまた同じような事件が起きる気がするからです。

 そこで、本文を読む前に、読者各位に一つ考えてほしい質問があります。

 みなさん方は子どもから「人間を解剖してみたい」と言われたら、どうしますか。
 なんと答えますか?

 本文を読む前に5分ほど考えてみてください(^_^)。
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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 人間を解剖したいと言われたら あなたはなんと答えるだろか

 (^O^) ゆとりある人のための10分エッセー (^O^)
 【 佐世保女子高生殺害事件について――人間を解剖してみたい 】
 もしも中学生くらいの息子や娘から、
 「人間を解剖してみたい」
 と言われたら、みなさんはどう感じますか。どう答えますか。
 そして、どのような行動を取るでしょうか。

 まずは誰しも相当驚くと思います。その後薄気味悪い子どもだと思って顔をしかめるでしょうか。「そんなこと考えちゃいけない」と直ちに叱責しますか。
 さらに、警察に行くかどうか。その前に学校とか児童相談所に行って相談するか。あるいは、「この子は精神的に病んでいる」として病院――精神科に連れて行きますか。

 私は幸か不幸か子どもがいないので、我が子からそのようなことを言われることがありません。高校教員時代に生徒から言われたこともありません。しかし、もしもそう言われたら「こう答えるだろう」と思いつく言葉があります(それは最後に書きました)。

 今回の事件で特徴的なことは加害女子生徒がいくつかサインを出していたことです。
 彼女の父親は弁護士、母親は教育講演を行うなど県内では著名な女性だったとか。兄がいて弁護士志望である。彼女も幼い頃から優秀で、父とともに冬季国体に出場したこともある文武両道の優等生だった(尊敬する両親を喜ばせるための勉強やスポーツだった?)。中学校入学後祖母を亡くし、昨年10月には母親が急死している(最も愛してくれる人の喪失?)。
 母の死後不登校が続き、高校入学後も不登校だった。猫など小動物の解剖をしたことがある(異常性?)。今年3月には父親を金属バットで殴ってけがをさせている(暴力性?)。高校入学後アパートの一室で一人暮らしをしている(孤立?)。5月に父親が再婚した(本人は祝福しており、「今回の事件とは関係ない」と発言しているが?)、7月以降精神科に通っており、「人間を解剖してみたい」と打ち明けた。

 精神科の担当医師は児童相談所に「危険な子どもがいる。人を殺すかもしれない」と匿名で通告(匿名だったため、そこで止まった)、彼女は事件の3日前、継母に「人を殺してみたい」と話している。両親はその言葉を聞き、児童相談所と相談しようとしてできず、取りあえず精神科に入院させようとしたがそれもできず……事件は起こった。「サインはいくつか出ていたのに、犯罪を防ぐことができなかった」とまとめられるようです。
 有識者が推理する犯行の意味や動機などはネット事典をご覧下さい。私が考えたことはちょっと彼らと違います。

 被害生徒は彼女の親友で「憎しみはなかった・誰でも良かった」との供述があります(真偽は検証中)。殺した後で首を切り離し、左手首も切り落としている。胴体部分には刃物で切ったとみられる複数の傷があったとのこと。ならば、動機は本当に「人間を解剖してみたかったから」であり、それを実行したかのように思われます。

 統計的根拠はありませんが、「人間を解剖してみたい」と思う子どもが多数いるとは到底考えられません。十万人に一人か百万人に一人であり、つまり、今回の事件は《例外》として処理されるのでしょうか。現在少女の精神鑑定が行われているそうです。

 思い出すのは1997年の神戸連続児童殺傷事件です。『酒鬼薔薇聖斗』を名乗る14歳の少年が子どもたちを殺傷する事件がありました。中学校の正門前に切断された男児の頭部が置かれていたことで、日本中を震撼させた事件でした。加害者である「少年A」も犯行前20匹くらいの猫を殺していた事実があります。
 また、2007年に起こった会津若松、母親惨殺事件もあります。17歳の男子高校生が母親を殺し、切断した首を持って警察に自首した事件です。この件に関してはメルマガ78号で書きました(おひまでしたらお読み下さい)。

 ただ、今回の加害女子生徒は「少年A」とも会津若松の男子とも違うような気がします(心が壊れた点は同じですが)。最大の違いは彼女が「人を殺してみたい」とか「人間を解剖してみたい」と事前に告白していることです。

 ところで、(特に犯罪というわけではなく)子どもが大人の困りそうなことを言ったり、行動するときは、その意味・その意図を斟酌(しんしゃく)せねばならないと私は考えています。「人間を解剖してみたい」なんて普通なら絶対言わない言葉でしょう。たとえ、心の中で思っていても隠すと思います。それを敢えて親に打ち明けるとはどういうことでしょうか。

 本人が心の底から「人間を解剖してみたい」と思っている。そんなことを感じ、考えている自分は異常だ、怖い。だから、どうにかしてほしいと思って告白した――かもしれません。
 しかし、私はそれだけではなさそうだと感じています。彼女は「人間を解剖してみたい」と言うことで、親の反応を見、父と継母をためしたのではないか。それは「私は人間を解剖してみたいと思うような異常な人間よ。それでもお父さん、お母さんは私を愛してくれるの?」というような意味で。

 高校でクラス担任をやっていたとき、問題行動を起こす生徒が必ず何人かいました。教科担当のクラスでも問題児(とされる生徒)がいます。その子たちと否応なく対応せざるを得ません。
 彼らはしばしば先生を困らせる言葉を発し、困らせる行動を起こします。たとえば、髪を茶髪にする、スカートやズボンを変形させ、長くしたり、短くする。遅刻・無断早退を繰り返す。授業中に騒いだり「ばっくれる」などなど。だいたい校則違反行為です。高校生ですからケンカに飲酒、タバコもあります。中には家出とか、暴走族と付き合う等外部で問題行動を起こし、家族から相談を受けることもあります。

 それは彼らがやりたくて起こしている行動ですが、親や先生の心の中を探る行動とも言えます。つまり、「この人は私(俺)のことを本気で心配しているかどうか」確かめていると。
 もちろん意識してやっていることではなく、無意識の発言や行動です。それがこちらから見ると「この子は私がどう思っているか、確かめている」ように感じられるのです。
 大人が「お前の生活態度を変えなさい」と言って叱ったり意見するとき、それは校則違反を認めたら他の生徒に示しが付かない、授業など他の生徒に迷惑をかけているから言っているのか、学校や親の外聞を考えて叱っているのか――つまり、本人のための言葉か、親や先生自身のための言葉か、彼らはそれを探っていると言えるのです(みなさんが親か先生で「何言ってるんです。本人のためを思って言っているに決まっています」とおっしゃるなら、心の中をよーくのぞいてみてください(^_^)。
 彼らは親や先生の反応を見て「自分のことを心配しての態度ではない」と見なすと、心を閉ざします。しかし、「この人は本気で自分のことを考えてくれている」とわかれば、心を開くのです。

 これを具体的に書いていると、小説が一つできあがる(^_^)ので、ここでは書きません。言いたいことは《子どもは自分が発する言葉や行動で、大人が本当に自分を愛しているかどうか確かめている》ことがあるということです。
 結果、彼らは大人が愛してくれないとわかったとき、絶望して自暴自棄になりやすい。あるいは、無気力になってやる気を失います。

 今日本では毎年3万人の自殺者が出ています。理由はなんであれ、絶望の余り死ぬしか道はないと考えた人の数です。絶望すると人は「これ以上生きていても仕方ない、生き続ける甲斐がない、死にたい」と考えやすいひ弱さ、もろさを持っています。

 ところが、最近絶望の余り自殺するのではなく、「人を殺して死刑になろう」と考える人たちが現れています。いわゆる無差別殺人というやつです。たとえば、市街地で突然車を暴走させ、ナイフを振り回して通行人を殺傷する――この手の事件が増えています。

 私は以前から「無差別殺人とは形を変えた自殺ではないか」と考えてきました。
 ちょっと語弊ある表現ですが「もう死んだ方がいい。しかし、自殺する勇気がない。それに、自殺するだけでは自分をここまで追い込んだ連中や社会に思い知らせることができない。人を何人も殺せば死刑になる。死ぬことができるし、奴らの報復にもなる」と考えて無差別殺傷・殺人事件を起こすのではないか。

 もう一つ思うことがあります。子どもはいつも「誰かから愛されることを求めている」ことです。
 それゆえ、自分を最も愛してくれる人がこの世から消えると、子どもはおかしくなります。先ほど述べた問題行動ばかりではなく、普通の人間から見ると《異常》と思えるようなことに執着してやめられないこともあります。
 その子を救うには誰か別の人が現れて「お前を最も愛しているよ」と本人にわからせねばなりません。もしも現れなければ、その子の絶望感、心に開いた暗い穴は埋められないままです。

 このような考察を経て私は今回の加害生徒の行動を推理してみました。

 中学校時代の祖母の死、続く母の死が彼女の心に大きな傷を与えたことは間違いないと思います。自分を最も愛してくれる二人の喪失だった。優等生だった彼女は校則違反とか反社会的行動に走ることはなかった。心に開いた穴を小動物の解剖で埋めたような気がします。彼女はその異常性を感じ取っていたと思います。なぜこんなことをするようになったのか。やめなきゃと思う。しかし、したくてしたくてたまらない。そして、解剖への関心が人間に向かい始めたとき、「どうして。なぜ?」と感じ始めたのではないでしょうか。
 そのことを誰かに訴えたい。相談したい。しかし、告白すれば驚かれ、白い目で見られるに決まっている。隠すしかない。悩みを打ち明けたいけれど、言えば誰も愛してくれないに決まっている……と考えたのではないかと想像します。「人間を解剖してみたい」欲求が一直線に実行へと走ったわけではない。彼女は悩んだと思います。

 母親の死後不登校になっています。先生や友人にこんなことは打ち明けられない。相談できるのは家族――父親しかいないと彼女は思ったでしょう。兄には打ち明けていないようです。
 その父親に再婚話が出た。相手は(おそらく)彼女の知っている女性であり、いい人であり、反対する理由がない。だから、賛成した。結果、自分の悩みをもっと打ち明けにくくなった。しかし、「人間を解剖してみたい」欲求は日ごと強くなっていく……。
 私はこんな場面も想像します。彼女が意を決して自分の悩みを打ち明けようとお父さんの部屋へ行く。そのとき父親から「実は」と再婚の話が切り出される。「これはお母さんの望みでもあったんだ。私が死んだらあの人と結婚してと言われていた」と。優等生の彼女が「反対だ」と言うはずがありません。
 そして、この話の後で父親が「お前、何か話があったんじゃないか」と聞くと、彼女は「ううん。なんでもないよ」と言って部屋を出ていく……。

 その後彼女はひとり悶々と悩んだと思います。「人を解剖してみたい。でも、そんなことやっちゃいけない……どうしてこんなこと考えるようになったのか。誰のせいだろう」と考えたとき、「私がこんなふうになったのはお父さんのせいだ」との結論に達したのではないでしょうか。「本当の自分は優等生じゃない。スポーツだってしたくなかったのに、お父さんがやらせた。お父さんが憎い」と。

 彼女が3月に父親を金属バットで殴ったのは「こんな自分にした父への復讐」だと思います。しかし、もう一つ(彼女自身意識しない)心の奥の理由もあった。それは「こんなひどいことをする娘でもお父さんは愛してくれるの?」と問いかける行為ではなかったかと。父親の愛が本物かどうか(究極の方法で)ためしたのではないでしょうか。
 けがをした父親の答えは「一人暮らしをしなさい」でした。彼女に面と向かって身体を張って対応するのではなく逃げてしまった。彼女は父親から捨てられたと思ったのではないでしょうか。

 父親にしてみれば、専門家から「一緒に暮らすことは危険」とアドバイスされ、それに従っただけかもしれません。娘と一緒に生活すると、今度は本当に殺されるかもしれないから。しかし(敢えてひどいことを書きますが)、もしも父親が殺されていれば、彼女は家族と全く関係ない少女を殺さなかったのではないかと思います。

 父親は「自分が殴られたのは再婚話のせいかもしれない」と思ったでしょう。実母の死後まだ1年も経っていません。だから、娘の暴行を受け入れ許した。再婚はやめようと考えたかもしれません。それでも5月には再婚しています。私の想像と違ってそれは亡き母の遺言であり、その場には再婚相手もいて彼女自身それを聞いていたのかもしれません。だから、彼女は「お父さんの再婚は事件と関係ない」と言ったのでしょう。

 次に彼女が問いかけたのは継母でした。「人を殺してみたい。解剖してみたいと思っている」と打ち明けた。お母さんが指名した人なら、私の気持ちをわかってくれるかもしれないと思ったのでしょう。その裏には「私は異常で不気味なことを考えています。そんな私でもあなたは愛してくれるの?」と問うような気持ちが隠されていた。継母が本当に自分を愛してくれるか、確かめようとしたのではないでしょうか。
 継母の答えは児童相談所に行き、(夫と話し合って)精神病院に入院させる――でした。

 私は思います。
 彼女はきっと父と継母に絶望しただろうなと。「もう私を愛してくれる人はこの世の中にいないんだ」と……。

 話はがらりと変わって今年ディズニー映画『アナと雪の女王』が大ヒットしました。テーマ曲『Let it Go』はぜひ聞いてほしい名詞・名曲です。

 その中で雪の女王エルサが歌います。「とまどい傷つき、誰にも打ち明けずに悩んでた。それももうやめよう。ありのままの姿見せるのよ。ありのままの自分になるの」と。
 エルサは手に触れるものを全て凍らせる魔力を持っています。彼女はこれまでずっとそれを隠して生きてきた。しかし、ある日魔力が明らかになって「怪物」と呼ばれたとき、一人で生きていこうと決心して氷の城にこもるのです。
 人間の中で自分の真の姿を隠して生きるくらいなら、ひとりぼっちで生きていこう。今まではこんな自分がいやだった。でも、「もう決めたの。これでいいの。自分を好きになって。これでいいの。自分信じて。光あびながら歩きだそう」とエルサは歌います。

 私は今回の加害生徒はエルサと同じではないかと思います。

 猫の解剖をしたことがある。人間を解剖してみたいと思っている――人はそのようなことを言う子どもを薄気味悪い目で見るでしょう。眉をひそめて「異常だ」と言うでしょう。それがわかっているから隠す。これまで隠してきた。しかし、それが自分のありのままの姿なんだ。それを認めて愛してほしいと思って何が悪いのでしょうか。

 彼女は父親に絶望した。父は私を愛してくれないとわかった。でも、継母なら愛してくれるかもしれない。彼女は『Let it Go』を聞いていたかもしれません。だから、事件の直前継母に「人を殺してみたい、解剖してみたい」と打ち明けた。
 これがありのままの自分。それでも「愛してくれる?」と問いかける気持ちで。

  父と継母がありのままの自分を愛してくれないとわかったとき、彼女は絶望し、自殺を考えたのではないかと思います。高校入学後も不登校が続いていたから、「自分にはもう未来はない」と思い詰めたでしょう。
 しかし、そのまま自殺したのでは単なる3万分の1でしかない。私をありのままに愛してくれない大人、世の中に対して復讐してやる。そう思ったとき、無差別殺人に走ることを決断したのではないか……と推理します。「相手は誰でも良かった」と彼女は言っています。

 これが今回の事件について私が読みとった解釈です。

 最後に冒頭に書いた質問について。もしも中学生くらいの息子や娘から「人間を解剖してみたい」と言われたら、なんと答えるか。ありのままに受けとめることは不可能でしょうか。私が考えた返答はこうです。

娘「パパ。私へんなの。人間を解剖してみたくって仕方ないの。異常だと思う?」
父「そうか。人間を解剖してみたいか。どきっとする言葉だね。でも、決して異常なことじゃないと思うよ。そう思っている人は意外といるかもしれない。
 と言うのは世の中には人間を堂々と解剖できる仕事がある。それは医師になることだ。外科手術って人のお腹を切って中を見る。内臓を取り出しもする。解剖みたいなもんじゃないか。人の身体にメスを入れることが許されているし、病気を治すと感謝され尊敬される。それに監察医とか法医学の先生になれば、殺人や不審死の遺体を念入りに解剖して死因を調べる。これはもっと堂々と人間を解剖している。
 普通の人にはとてもできない仕事だ。もちろん彼らは使命感から医師になっていると思う。でも、もしかしたら人間を解剖してみたいとひそかに思って医師になった人がいるかもしれない。だから、人間を解剖してみたいなら、医師になることだ。そのためには医学部に進学しなきゃならない。ものすごく難しいぞ。でも、行こうと思うなら、パパは喜んで応援するよ」と。

 ○ 人間を解剖したいと言われても ありのままに愛してほしい

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:別件で長い後書きを(^_^;)。

 先日深夜目が覚め何気なくテレビを付けたら、NHKで「君が僕の息子について教えてくれたこと」なる番組をやっていました。見終えて感動しました。
 自閉症の日本人東田直樹氏(21歳)が7年前に書いた著書『自閉症の僕が跳びはねる理由』が最近イギリスの作家によって翻訳されるや、直ちに20カ国に広がり、世界的ベストセラーになっているとの内容でした。イギリスの作家は自閉症児の息子を抱える人でした。

 普通自閉症児は自らの内面を表現することができません。しかし、直樹氏はパソコン、そして紙に書かれたキーボードの文字を一つ一つたどることで自分の思いを表現して人と会話できるのです(この様子は驚嘆ものでした)。
 自閉症児はなぜ跳びはねるのか、なぜ家族の理解できない行動を取るのか。そのわけや意味がわかって「そうだったのか」と納得できます。直樹氏が語るとつとつとした言葉は全て詩のような輝きを持っていました。

 この本によって自閉症児を抱え絶望的になっていた多くの親御さんが「我が子が何を考えているかわかって救われた」と語っています。
 自閉症児は100人に1人の確率で生まれるそうです。現在関係ある人はもちろん、無関係の人にもぜひ見てほしいと思いました。この番組は「子どもの行動には必ず意味がある」と教えてくれる内容にもなっています。

 私が見たのは再放送で、再々放送が以下の日程であるそうです(一部地域は時間がずれることがあるので、番組表を確認してください)。ぜひご覧下さい。

 9月13日(土)午後3時5分 NHK総合
  「君が僕の息子について教えてくれたこと

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