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2019.03.22

小論 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』第2回

 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 第2回

  一 国語(現代文)の授業は三読法

 私は大学で国文学・国語学、教科教育法などを学び、関東某県で二十数年間高校の国語教員を務めました。
 この経験に基づいて、まず日本の国語授業――特に読書法について書きます。

 我々は小中の九年間国語を学びました。そこでは読み・書きが中心で、中でも漢字は小テストなどでかなり鍛えられたと思います。
 さらに高校に行けば、プラス三年間現代文を学び、読みの訓練を行いました。
 しかし、この授業で学んだ読書術がいかに日本人を読む力のない、聞く力のない、話す力のない人間に育てたことか――と言ったら言い過ぎでしょうか。
 それについて詳しく語る前に、我々は文章の読み方について、どのような授業を受けたか。ごく一般的な流れを書いておきます。

 ○ 国語(現代文)の授業

 1 まず全体をさあっと読む(予習として「読んでおきなさい」と言うことも多い)。 ――通読

 2 再読しながら難語句の読みや意味を辞書(今ならネット?)を調べて確認し、
   難しい部分は何が書かれているか考える。先生は語句や内容について質問しながら解説する。
   結末まで行ったら、作者は何を言いたいか、主張やテーマを把握する。 ――精読

 3 全体を味わいながらもう一度読む。 ――味読

 覚えがあるのではないでしょうか。
 これは「通読・精読・味読」とも言われ、文章を基本的に三度読む読書術、ゆえに《三読法》と呼ばれます。
 おそらく九十九パーセントの人がこのようにして最低でも二度から三度、教科書に載った文章を読んだはずです。
 そうやって「読む力」を身につけた――と思っているでしょう。

 さて、ここで質問です。
 あなたは学校を離れ社会に出てから、この読書法を実践しているでしょうか。
 ネットを含めて新聞や週刊誌・雑誌に掲載された解説文・論説文・エッセー。文庫や単行本の論文・小説など文章を読む機会はたくさんあります。好きで読むことがあるし、仕事で読まねばならない場合もあるでしょう。

 それらの文章について、
 1 まずさあっと読み、
 2 再読して難語句を調べたり、難しい部分の意味を考え、結論やテーマを確認し、
 3 最後に全体を味わいながらもう一度読み直す……という読み方、やっていますか?

 「もちろん三度読んでいるよ」と答える人がいたらお目にかかりたいものです。
 おそらく百人に一人もいない。千人に一人もいない。一万人に一人ならいるかもしれません。
 もちろん気に入った小説や詩、エッセーなら、二度三度読むことはあるでしょう。しかし、多くの人は日常目にする文章を一度しか読んでいないと思います。

 これは一体どういうことでしょう。小学校入学後九年から十二年間、一所懸命学んだ読書法なのに、卒業後全く実行されないとは。

 その結果、何が起こったか、起こっているか。読む力、聞く力、考える力、話す力の弱い若者や大人がたくさん生まれています。

 だってそうでしょう。卒業後の読み方として文章を一度しか読まないのです。
 初めて読むときは「さあっと読みましょう」――それが国語の授業で推奨されています。つまり、多くの人は初めて接する文章を「さあっとしか読まない」のです。
 再読のない一度読みだけで、どうして文章をしっかり理解できると言えましょう。どうして小説を味わっていると言えるでしょうか。

 三読法を実践するなら、あらゆる文章を三度読む。さすがにそれは難しいとしても、最低限もう一度読む。二度目はもちろん調べたり、考えたりしながら精読する。
 二度読んでこそ、学校で学んだ読書法が(三分の二ながら)役立つことになります。

 しかし、九九・九パーセントの人は二度読まない。さあっと一度通読するだけ。
 三読法を一度目三〇、二度目六〇、三度目九〇に達する読み方とするなら、一度しか読まない人はほとんどの文章を、三〇の理解度で終えている計算になります。

 みなさん方はある小説を読んで、ブログやツイッターに感想を書いたことがあるかもしれません。知人友人に感想を語ることもあるでしょう。
 失礼な言い方ながら、一度だけ読んで「あれはつまらないお話だった」とか「素晴らしい小説だった」とつぶやいているなら、どちらにせよ理解度三〇パーセントの感想です。

 ちなみに、ここまで読まれて「何だよ、それじゃあ全ての作品を二度読まなきゃ、何も言えないのか」とつぶやいた方、ご安心下さい。この後一度読んだだけで、理解度六〇から八〇に達する読み方を提示します。

 すでに中学校、高校の生徒、専門学校や大学の学生など、読む力、聞く力、話す力のない子がたくさん育っています。彼らは学校で三読法の読書術を学んでいるのに、自宅に帰って教科書や別の文章を読むとき、やはり一度しか読まないからです(試験勉強なら、さすがに何度も読むでしょうが)。

 私は高校の国語教員でした。よく数学とか理科・社会の先生方に言われたものです。
「問題の文章を理解できない生徒が多い」と。これ、言外に「国語科は何やってんだ」の意味が含まれているようです。

 あるいは、日本の生徒は「応用問題に弱い」とよく言われます。応用問題とは図表もあるけれど、多くは文章で書かれている。それを一定の時間内に読み解かねばならない。
 本文を二度も三度も読んでいては、時間が足りないから一度しか読まない。しかし、学校(国語授業)では一度だけ読んで理解度六〇に達する読み方を教えていない。
 だから、生徒は応用問題を見ると、「自分にはできない」とあきらめて手を付けない。または、何とか解くけれど間違うことが多い……といった結果になってしまいます。

 こうした事態は彼らの能力・努力不足と言うより、学校の国語授業で「三度(最低二度)読む読書法」の訓練しかしていないからです。児童・生徒は「一度だけ読んで内容を理解する読み方」を習っていないから、その読みが苦手なのです。

 また、大学とはまだまだ学びを続ける場所です。なのに、学生は多くの書籍・研究論文を、さあっと一度しか読まない。他の書物・論文の理解度三〇のまま自身のレポートや論文を作成する。だから、当然のように出来が悪い。
 かくして、読む力、聞く力、話す力のない学生が大量生産され、卒業していきます。
 しかし、学生には過去の研究論文を二度も三度も読む余裕はありません。だから、一度で理解度六〇に達する読み方を教える必要があるのです。

 ここで読者が「いやいや、自分はそこそこ読解力がある。一度の読みで内容を充分理解できるよ」とつぶやくようでしたら、そして、その通り一度だけ読んで理解度六〇に達しているなら、それは「文章を一度しか読まないけれど、その読み方―― 一読法を自力で会得した」からでしょう。

 ちなみに、理解度六〇に達しているかどうかは直ちに判定できます。読んだ文章について「感想と疑問を言えるかどうか」です。
 ある文章を読んで感想が出る、疑問をつぶやける人は理解度六〇に達しています。
 が、「感想? 特にない。疑問? 取り立てて思い浮かぶことはない」方は理解度三〇です。

 本稿はここまでで原稿用紙十数枚分あります。感想と疑問をつぶやいてみてください。
 何も思い浮かばないようなら、もう一度最初から読み直すことを勧めます。たとえば、次のような疑問や感想が生まれていいところです。

 ・私の学生時代の国語授業は三読法だったな。一読法ってなんだ? 一度しか読まないのか? どんな違いがあるのか?
 ・確かに社会に出てから文章を二度も三度も読んだことはないな。
 ・一読法なら聞いたことがある。学んだことはない。
 ・目次には「人の話を三読法で聞けるのか」とあった。どういうことだ?
  ……等々

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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