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2019.07.23

別稿『一読法を学べ――学校では国語の力がつかない』第16号実践編六

  今号「実践編執筆の裏話」は最後の「実践編のまとめ」に入れるつもりでした。
 しかし、「挫折に終わった一読法授業」の原因1・2の間に入れた方がいいと思い、急きょ改稿しました。理由は本文にて。

 六 実践編執筆の裏話と卒業試験問題[小見出し]

 (1)初稿から変化した思い
 (2)最初の仕掛け
 (3)次の仕掛け
 (4)前節「挫折の原因、一つ目」が長くなったわけ
 (5)一読法卒業試験問題
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 本号の難読漢字
・至極(しごく)・美味(おい)しい・美味(うま)さ・施(ほどこ)そう・直(ただ)ちに・下手(へた)
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***** 小論「一読法を学べ」****
 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 16

 六 実践編執筆の裏話と一読法卒業試験問題

(1)初稿から変化した思い

 私には大見出しを読まれた読者のつぶやきが聞こえます。
「なんで一読法授業挫折の途中にこんなのが入るんだ?」と。

 読者各位はかなり一読法を習得しつつあると思います。よって、当然のようにつぶやいていい疑問であり、正当な批判の言葉です。なぜここに入れたかは追々わかると思います。

 さて、改めて本稿全体の構造を振り返ると、小論『一読法を学べ』は大きく理論編と実践編に分かれています。
 理論編は三読法の問題点と一読法の読み方解説が主たる内容でした。そして、実践編は社会(日本史)を例として一読法をいかに実践するか解説してきました。

 これを執筆した作者と読者の関係で図示すると、以下のようになります。
 1 作者(書く)→ 「一読法の読み方、理論編」 ←(読む)―読者
 2 作者(書く)→ 「一読法の読み方、実践編」 ←(読む)―読者

 至極当たり前のことを書いて恐縮ながら、この構造は作者の私に「普通の論文とはちょっと違う」気持ちをもたらしました。と言うのは読者が「一読法」を初めて知ったなら、これは読み方の指南書であり、読者に「これまでの文章の読み方を変えてください」と迫るものだからです。

 一読法を知らなければ、読者は理論編をさあっと通読しているはず。それは仕方がない。だが、一読法を知った以上、「実践編は目を通すだけの通読ではなく、一言一句注意して読む一読法で読んでほしい」と思いました。
 特に実践編を一度しか読まないなら、最初から精読してほしい。さあっと読んで「ふーん」とうなって読了。その後再読するならまだしも、一度読んで終わり……となってほしくない。
 このような願望(?)を抱いた作者の気持ち、わかっていただけるでしょうか。

 たとえるなら、魚屋さんが「うちの魚は新鮮だが全て煮付けか塩焼きで食べてくれ」と要求するようなものです。新鮮なら「刺身で食べさせろ」と言いたくなります。
 ちと苦しいたとえながら、私は一読法実践編を「一読法という煮付けか塩焼きで食べてほしい」と思ったのです。しかも料理人の手を借りず、自分で煮て焼いて。要するに、理論編は通読だったとしても、実践編は《最初から一言一句注意して精読してほしい》と思ったのです。

 ちなみに、私は美味しい煮付けを食べたいとき、ほんとに刺身用の魚を使いました。美味さが全然違います。
 もう一つ付け加えると、長らく外国の人は魚を煮るか揚げるか焼いて食べていました。それを「生で、刺身で食べるとおいしいよ」と教えたのが日本です。それは外人さんにとってカルチャーショックだったはず。刺身=生魚を口にするまで時間がかかったのではないか。三読法から一読法への転換はそれに似た拒否反応を起こします。

 実践編は「せめて一読法で読んでほしい」と思ったのは理論編のメルマガ配信中のことでした。実践編初稿を読み直して「このままでは実践編もさあっと通読される恐れがある」と感じたのです。
 かくして、一読法実践編は読者が理論編で学んだことをちゃんと実践しているか、「それを確かめるための仕掛けを施そう」と決めました。これが執筆上の裏話です。

(2)最初の仕掛け
 最初の仕掛けは実践編に「前置き」を入れたことです。
 当初構想していた実践編の目次は以下の通り。
--------------
 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史)
 三 誤答率四割の原因
 四 挫折に終わった一読法授業
 五 実践編のまとめ
--------------
 我ながらとてもシンプルだと思います。もちろん実践編の「前置き」はありません。
 論説文なら当然でしょう。「前置き」というのは全体の前置きであって途中に入れたら、前置きじゃなく「中置き」とでも呼ぶべきです。「論文のイロハも知らないのか」と非難されかねないところです。

 ではなぜ実践編にも「前置き」を入れたのか。理由はすでに打ち明けたように、一読法の理論を学んだとしても、読者が一読法を実践する態勢にないことを証明するためでした。
 おそらく読者は理論編を何の疑問も持たず、つぶやくこともせず、途中で立ち止まって考えることもせず、すらすら読んだであろう。題名も目次も冒頭の前置きもさらりと読み流し、結局最初から最後までどんどん通読したであろうと。

 その読みでは「理解度三〇ですよ」ということを、(失礼な言葉ながら)思い知らせるため、認識してもらうため、敢えて実践編に「前置き」を入れました。前置き(1)は質問として(2)は回答として。

 当初理論編最後の「後記」は以下のように書いていました。
-------------
後記:今号にて『一読法を学べ』の理論編は終了です。次号より実践編に入ります。実践編は社会科を例として一読法を実践し、理論編では触れなかった「講義型授業の問題点」について解説することになります。
-------------
 つまり、「実践編前置き(1)」で質問した答えはすでに明かされる形で、直ちに実践編に入っていました。この「後記」数行がいわば実践編の前置きです。
 このままだと、読者がつぶやいたとしても、「ふーん。理論編では講義型授業の問題点は書かれていなかったんだ」で終わりです。本当は理論編を読み終えたとき、その件が書かれていないと気付くべきです(一読法なら気付く)。しかし、三読法通読ではまず気付きません。

 そこで以下のように改稿しました。
-------------
後記:今号にて『一読法を学べ』の理論編は終了です。次号より実践編に入ります。実践編では理論編[一]~[六]で触れられなかったことについて解説することになります。
-------------
 このようにぼやかした表現にして「さて、読者各位は前号後記を読んで『あれっ』と思われたでしょうか。理論編で触れなかったことって何ですか」と一読法の読みがなされたかどうか、質問したわけです。クイズにするなら、□□□□□(ほにゃらら漢字5文字)を見つけてもらうつもりでした。

 おそらく読者の百人中九十九人は「前置きにあったが理論編では一言も解説されなかった言葉は何か」と問われて「講義型授業」と答えることができない。つまり、一読法を実践できる心構えはできていないと思い知らされる。いや、思い知ってほしい――それが実践編の最初に「前置き(1)(2)」を入れた理由です。

 これによって読者各位は「これは今後一言一句注意して読まねばならんぞ」と気を引き締めたのではないでしょうか。こう思った方は鋭い読みができる人であり、いい予感の持ち主です。そのとおり、前号にて再びクイズほにゃららが出題されました。

 もう一つ実践編前置き(1)(2)には別の意味もあります。
 理論編を再読すれば「講義型授業」の言葉がないことに気付く。だが、読者のほとんどはもう一度読んでいない(であろう)。そこそこの読解力さえあれば、二度読めば理解度六〇に達して「講義型授業」の言葉がなかったことに気付く。二度読むことがいかに大切か、それも実感してほしかった。
 この二点のために「前置き(1)(2)」という仕掛けを取り入れたわけです。

(3)次の仕掛け
 次なる仕掛けは「途中で立ち止まって疑問を抱いたり、考えたりしてときに二度読みを実行する」ための改稿です。それを実践してもらいたくてある節の末尾を疑問形にして終え、次節冒頭にその答えを置きました。もちろんそれが正解というわけではなく、考え方の一例として。

 以下実践編の目次を掲載して裏の意図を明示します。★の部分が一読法を実践しているかどうか検証するための仕掛けにあたります。
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 実践編 目次

 前置き(1)(2) [★一読法実践態勢にあるかの確認]

 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史) [★末尾に「一読法授業で予習をしないのはなぜか」と問う]

 三 現在の学校で一読法を実践するには
 (1)一読法授業で「予習をしない」わけ [★前節末尾に入れる項目を移動]
 (2)現在の学校でひそかに一読法を実践するには?

 四 誤答率四割の原因を探る
 (1)誤答率四割の原因について
 (2)一読法でも誤答率四割 [★末尾に「スピード優先で時間が足りない」問題を指摘]

 五 挫折に終わった一読法授業 その一
 (1)試験時間を増やすか? [★前節末尾に入れる項目を移動]
 (2)挫折の原因、一つ目は……

 六 実践編執筆の裏話と卒業試験問題 [★実践編に施した仕掛けを解説]

 七 挫折に終わった一読法授業 その二
 (1)挫折の原因、二つ目は……
 (2)三読法に戻る

 八 実践編のまとめ
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 一読法にとって「途中で立ち止まって疑問を持つ。それについてちょっと考える」ことはとても重要な作業です。しかし、これもなかなかできません。そこで二箇所「考えてみてください」と突き放した末尾をつくりました。
 それが「二 社会(文化史)」の末尾に「一読法で予習をしないのはなぜか」の問いを入れたことであり、「四の(2)一読法でも誤答率四割」の末尾に「スピード優先で時間が足りない」問題を指摘した部分です。いずれも、次節冒頭に私なりの考えを挿入しました。

 ご覧になればわかるように[四]の小見出しは大見出しと重なっています。ところが、[三]と[五]の小見出し(1)は前節の内容を再度取り上げています。
 これを論文として評価するなら「下手くそな論文」です。採点者から「この部分は前節に入れなさい」と言われて減点されるでしょう。
 なぜこのような論文構成にしたかと言うと、「途中で立ち止まって次節まで考えてほしかったから」です。

(4)前節「原因の一つ目」が長くなったわけ
 さて、「誤答率四割の原因」を終えると、最後のテーマは「挫折に終わった一読法授業」。いよいよ一読法講義の終わりが見えてきました。
 ここも当初の小見出しは以下の通り。( )内にこの節全体に占める比率も書きました。
 [ 挫折に終わった一読法授業 ]
  (1)原因の一つ目は……(2割)
  (2)原因の二つ目は……(7割)
  (3)三読法に戻る     (1割)

 読者はこの比率を見て「えっ、前号はずいぶん長かったのに、あれで2割か」と驚かれたかもしれません。
 いえいえ、初稿段階ではあの5分の1程度でした。それを5倍に増やしたのです。しかも、中身の多くは以前書かれた部分がそのまま引用されていたことに気付かれたと思います。

 5倍も増やしたわけは「一読法を実践してきましたか」と確認するための仕掛けを、もう一度ここに入れようと考えたからです。
 なぜ作者の一読法授業は挫折に終わったのか。この質問を「一読法授業が挫折に終わった原因は、三十年前□□□□(ほにゃらら)がなかったから」とクイズにしました。

 答えとなるヒントはすでに出ていた(ちらちら書いていた)。よって、一読法で読まれていればそれに気付く。私の予想では答えられた人がもはや百人中一人ということはない。三割から四割はいらっしゃるのではと思います。

 残念ながらこの問いに答えられなかったとしても、「二度読めばわかりますよ」ということを証明しました。今回は「前の部分を再読してください」と書かず、関連する部分を大量に引用したことです。「どうです。二度読めばパソコンとかインターネットの言葉がすぐに出たでしょう」と、二度読みの意義・効果を再確認してもらう。そのため大量に引用しました。

 とは言え、「パソコン」と答えられなかった読者のか細いつぶやきが聞こえます。
「確かに二度読めば理解度が上がることはよくわかった。だが、私には二度読むヒマも熱意もないよ」と。

 それに対してはここでも「三読法しか学んでいない以上やむを得ないことです」と悲しい言葉をつぶやかねばなりません。
 以前も書いたように、小学校の最初から高校卒業まで、一度目の読みは「ぼーっと読んでいいよ」と教わったのです。もちろん国語授業は「二度目にしっかり読みなさい」と教えました。しかし、余白に何も記入されていない、傍線も引かれていない、ただただ文字の連なりを再読するには、同じかそれ以上の時間をかけて全部読まなければなりません。一体誰が「読み直そう」と思うでしょうか。

 だが、一読法を学んでいれば、再読は余白の記号や傍線をさあっと振り返るだけ。この二度読みのなんと楽ちんなことか。時間にしてわずか数分。長くとも十分。「前置きにあったが理論編では一言も解説されなかった言葉は何か」と問われたとしても、理論編前置きの「講義型授業」に傍線を引いたり、余白に抜き出していれば、理論編余白の記号や傍線をたどるだけで、すぐに「ああ講義型授業がないな」と気付く。前節の問いに関しても、「今なら」を□で囲んでいれば、「三十年前はパソコンやインターネットがなかったから調べる作業がし辛かったのか」とわかります。一読法なら、二度読みは何の苦もありません。
 こうした仕掛けを施したために、前節「挫折の原因、一つ目」は長くなりました。

(5)一読法卒業試験問題
 さて、ここから実践編最後の質問です。
 今も書いた通り、「挫折に終わった一読法授業」の内容は以下の3項目であり、初稿は原因一が2割、原因二を7割くらいの比率で書きました。

  (1)原因の一つ目は……(2割)
  (2)原因の二つ目は……(7割)
  (3)三読法に戻る     (1割)

 原因の一つ目は「三十年前は調べる活動がし辛かったから」であり、原因の二つ目は「生徒の拒否反応」でした。

 私は当初「原因一」の方を短く書いていました。それを長くしたのは読者が「一読法を実践したか」確認するためでした。その仕掛けがない初稿では、まとめると以下のように書いています。
「インターネットなどなかった三十年前は調べる作業がし辛かったので、一読法授業は一年でやめました……が、主たる理由はそれではありません。私にとっては生徒が示した一読法に対する拒否反応の方が大きく、『これは無理だ』と思って一読法授業をやめ、三読法に戻ったのです」と。

 そこで読者がこれまで一読法を実践してきたかどうか、最後の質問です。この問いに答えられるようだったら、もう一読法実践卒業と言っていいほどです。
 その質問とは以下。

 問い 実践編の例題はなぜ国語ではなく社会だったのか

 ちょっと拍子抜けの質問でしょうか。この答えが「挫折の原因二」と絡んでいるので、「間にはさもう」と思いました。
  ポイントとなる言葉は漢字かな混じり3文字□□□です。国語科はそれをあまり重視しない。対して他教科はそれを重視する。ゆえに、実践編は国語以外の教科を取り上げる必要がありました。

 もうちょっと質問の意味するところを書きます。
 これは実践編の最初に社会科の二例があるとわかったとき、読者から出てしかるべきつぶやきです。「なぜ理科ではなく、数学英語でもなく、社会なのか」と。

 これに対して自分なりの答えをつぶやかれていたかもしれません。「たまたまだろう」とか、「理論編の一読法解説は国語の小説とか論説文の読み方だった。それを他教科に拡大したいから社会を例としたのだろう」などと。

 この答えは一応正解。国立情報学研究所が実施した「読解認知特性診断テスト」中の問題をたまたまネットで見出し、「これを使おう」と思ったし、「他教科も一読法授業をやってほしい」と思いました。
 が、その解釈ではまだ浅い。実践編の例題は必ず国語以外、特に社会を使おうと考えていました。国語にしたくない理由がありました。答えてほしいのはそれです。
 もちろん一読法の読み方をしていれば、至る所にヒントが出ていました。

 もしも二度読みをして答えを探すなら、理論編五「一読法の読み方」(4月28日発行第6号)をまず読んでください。そこには□□□三文字の言葉がほとんど出ていません。逆に実践編では最初から今号まで何度も何度も出てきます。その言葉が読みの基本を訓練する国語科と、それを実践する他教科との最大の違いです。

 さて、一読法講義、卒業試験に合格できるでしょうか。

  → 「五 一読法の読み方」 第 6 号
=============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本稿は7月末までに配信終了とする予定でした。ところが、実践編後半の改稿に入ったため、完成が延びています。例年8月は完全休養にあてるため全てのメルマガ配信中止です。どうしようかと思いましたが、やはり夏休みを取りたいと思います。次号は9月第一週より再開します。

 ところで、学校の夏休みは児童生徒に必ず宿題を課します。そこで本稿も読者各位に「夏休みの宿題」を出そうと思います。
 一つ目の宿題は本稿を理論編最初の「前置き」から再読すること。一読法を身につけようと思われるなら、やはり再読が有効です。
 次いで以下の問題について考えること。その際「どこかにヒントがあるのではないか」と頭の片隅に置いて再読すればいろいろ気付くと思います。

 [ 再読しつつ考えてほしいこと ]
1 作者の一読法授業が挫折に終わった主たる理由。生徒の拒否反応とは?
2 改めて「考える」とはどういうことか。
3 スピード優先、集団優先の社会について。

 2以降は「実践編のまとめ」において語られる予定です。
 なお、再読はメルマガよりネットのホームページの方が文字を拡大できるし、重要部を赤字にしているのでお勧めです。

 今年は長い梅雨でした。これからまた猛暑の夏が始まりそうです。
 水分をこまめにとって熱中症予防に心がけてください。

「一読法を学べ」第17号は9月6日(金)発行です。

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2019.07.18

別稿『一読法を学べ――学校では国語の力がつかない』第15号実践編五

お待たせしました。今号は「挫折に終わった一読法授業」です。
 「なぜ挫折したんだ?」と興味津々のテーマではないかと思います。
 ところで、挫折の原因はすでにいくつか語られていました。気付かれたでしょうか。
  なお、長くなったので、その一・その二として分割し、間に「実践編執筆の裏話」を挿入しました。

 五 挫折に終わった一読法授業 その一[小見出し]
 (1)試験時間を増やすか?
 (2)挫折の原因、一つ目は……

 六 実践編執筆の裏話と……(以下次号)
 七 挫折に終わった一読法授業その二[小見出し]
 (1)挫折の原因、二つ目は……
 (2)三読法に戻る
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 実践編 目 次
 実践編前置き(1)
      前置き(2)
 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史)
 三 現在の学校で一読法を実践するには
 (1)一読法授業で「予習をしない」わけ
 (2)現在の学校でひそかに一読法を実践するには?
 四 誤答率四割の原因を探る
 (1)誤答率四割の原因について
 (2)一読法でも誤答率四割
 五 挫折に終わった一読法授業―――本 号
 (1)試験時間を増やすか?
 (2)挫折の原因、一つ目は……
 六 実践編執筆の裏話と卒業試験問題
 七 挫折に終わった一読法授業 その二
 (1)挫折の原因、二つ目は……
 (2)三読法に戻る
 八 実践編の「まとめ」
 理論編・実践編の後書き
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 理論編 目 次
 前置き
 一 国語(現代文)の授業は三読法
 二 人の話を三読法で聞けるのか
 三 結末に早く到達したいと考える悪癖
 四 結論が大切か途中が大切か
 五 一読法の読み方
 (1)題名読みと作者読み
 (2)つぶやきと立ち止まり読み
 (3)予想・修正・確認
 (4)共感・賛同・反発
  読み終えたら……
 (5)記号をたどって作品を振り返る
 (6)短い感想を書く
 六 まとめ(その1)・(その2)

 本号の難読漢字
・愕然(がくぜん)・伏線(ふくせん)・直(じか)に・甚(はなは)だしい・醍醐味(だいごみ)・雑誌『青鞜』(せいとう)・平塚らいてう(らいちょう)

*********** 小論「一読法を学べ」********
 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 15

 五 挫折に終わった一読法授業 その一

(1)試験時間を増やすか?

 前号末尾は「スピードばかり要求される学校や世の中なら、行かない方がいい、家に閉じこもった方がいい」とちと過激な、感情的な言葉で終えました。
 それを受けて読者各位はどのようにつぶやかれたかでしょうか。
「同感だ」・「それは言い過ぎだ」・「どちらとも言えない」などなど。
 これがツイッターなら、親指あげた「いいね」を押すか、親指下げた「そう思わない」を押すか。
 あるいは、この主張にどう反論されるか。
「世の中でスピードが要求されているとしても、だから学校に行かなくていい、家に閉じこもっていいとは言えないだろう」とつぶやかれた方が多いのでは、と推測します。

 さらなる私の反論は本稿の最後に語ることにして、ここでは教師の立場から一つ補足の突っ込みを入れておきます。

 と言うのはスピード重視・時間制限をやめたら、それで問題解決かと言うと、そうではないからです。特に三読授業を続けている限り、誤答率三、四割は「変わらないだろう」と推理しています。

 たとえば、あらゆる試験の時間を2倍に増やすとします。三読法の通読→精読を実践して問題を解く生徒は成績があがるでしょう。一読法でアタックする生徒も余裕をもって答えられます。
 よって、中学生四割、高校生三割の誤答率は下がる。逆に言うと六、七割の正答率が八、九割に上昇する……であろうか。いやいや、とてもそうは思えません。なぜか。

 理由は三読法通読段階で答える生徒は試験時間が2倍になっても精読しないからです。時間が伸びたとしても彼らにやることはなく、机に突っ伏して居眠りタイムでしょう。

 現場に実例があります。高校の定期試験は国社数理英など1時間(五〇分)で実施されます。この五教科の先生方は真面目に問題を解けば、だいたい四〇分から四五分くらいかかるテストを作成します。残り時間は全体を見直す検証の時間にあててもらいます(中学校でも同じでしょう)。「そんなことが可能なのか」と聞かれれば、ちょっと自慢げに「プロですから」と答えます。
 若干の誤差はあって生徒から「先生。今回のは時間が足りなかったよ」と言われることもあるけれど、だいたいその範囲におさまるようテストを作ります。

 ところが、まれに音楽・美術や家庭科、体育(保健)など、実技科目で筆記試験を行うことがあります。これがほとんど項目穴埋め問題です。記述式とか応用問題がないので、五〇分必要としません。だいたい二〇分か三〇分で解き終わってあとすることがない。

 大学なら早く終われば、教室を出られますが、高校(中学)はそれを許していません。かくして生徒は居眠りをするか、下手すると試験中なのに雑談する生徒まで出る始末です。そのため実技科目の筆記試験はだいたい時間を三〇分にしました。
 これは実技科目の試験範囲が狭いためで、同じ項目暗記タイプでも理科・社会は範囲が広く問題数が多いので、時間が大幅に余ることはありませんでした。

 項目穴埋め問題とは三読講義型授業における典型的な試験です。穴埋め問題が判定しているのは覚えているかどうかだけ。覚えていれば答えを書き、忘れていれば書かない……か、当てずっぽうで答える。文章をじっくり読んで考えて解くタイプの問題ではありません。

 そして、これが「読解認知特性診断テスト」例題一、二のような単純な問題においても、さあっと読んで直感で答える生徒を生み出します。
 結局、三読法は通読だけで答えて精読しない生徒、時間が与えられてもやはり精読しない生徒を育成している。ゆえに、誤答率三、四割は変わらないだろうと推理するわけです(「育成」はもちろん皮肉です)。

 私はこの観点からも一読法授業が実践されるべきだと思います。一読法なら最初から精読するから、一つ一つ問題を読み、考え、答えてから次の問題に移ります。ここんとこ生徒は真面目で問題を解かないまま居眠りに入ることはまずありません。
 もしも小学校入学から十二年間一読法授業を学んでいれば、さあっと答えて誤答が多い生徒、時間が余れば居眠りする生徒は減るはずです。むしろ時間が足りず無答に終わる設問が増えるでしょう。
 もしも一〇〇ヶ設問を出して四〇ヶ無答なら、別に時間を倍にする必要はありません。ただ、設問を六〇~五〇に減らすだけです。

(2)挫折の原因、一つ目は……

 さて、本題の「挫折に終わった一読法授業」について。

 私は大学時代後半に一読法を知りました。たまたま本屋で一読法の書籍を発見して読みました。「これは素晴らしい読書法だ」と思ったので、その後は自分でも実践し、高校教員になった後「いつか授業でやりたい」と思っていました。

 なぜすぐ「これはいい」と感じたのか、その典型例を一つ語っておきます。今から四十年ほど前のことです。
 そのころ私はある芥川賞作品を読みました。内容は中学生の主人公が家庭環境に悩んだり、幼なじみの女子生徒にほのかな恋心を抱いたり、同じ子を好きになった親友の事故死などを経て心を成長させる物語です。ラストは父の死後近くの老人と母、女子生徒の四人で清流をさかのぼり、壮大なホタルの群舞を眺めるという美しい場面でした。
 五十代以上の方は映画にもなったので、記憶にあるかと思います。

 私はこの作品を読み、そこそこ感銘を覚えました。それは一読法を知る前の読書でした。一読法を知った後、経緯は忘れましたが、もう一度この小説を読むことになりました。
 そして、再読後愕然としました。自分がただ「読んでいた」だけで、小説のある特質に全く気付いていなかったと思い知らされたからです。

 その小説にあった特質とは何か。それは《視点》が移動していたことです。
 一読後の感想としては「主人公の男の子の視点で物語は語られている」と思っていました。主人公の目から母と高齢の父、近くのじいさんや友人、幼なじみの少女などを眺め、彼の内心が描かれていると。
 少年の家は窮乏しており、父の友人に換金できない手形を持って借金に行かされる。その人は「手形は金にならない。君に貸す」と無利子返済無期限の大金を貸してくれる。そのときのつらさとか、老父の死後、その地にとどまるか、叔父の住む都会に引っ越すか。母は迷っているだろうと思いやって「母の気持ちまでよく書かれている」と思いました。

 ところが、実際は「男の子と母親」で視点が分散していたのです。つまり、男の子が周囲の状況や自分の内心を語れば、次に母親が自身の過去や現在、その心の内を語る。簡単に言えば、この作品は主人公の心情も母の内心も両方知ることができる構造を持っていたのです。どおりで母親の気持ちが「よくわかったはずだ」と思いました。母親の独白や過去の思い出が直に書かれていたのですから。

 この創作方法の善し悪しは触れません。十九世紀から二十世紀初頭の外国文学などは「神の視点」で語られていることが多く、トルストイなど「犬はこの二人の関係は危ないと感じた」などという表現さえ現れます。日本でこの反省というか反発から「私小説」が生まれたのはご存じのとおりです。

 私はなんとなく日本の文学作品だから、視点は一貫しているだろうと思って読んでいた節があります。もちろん作品は同じ場面で「子はこう思った、母親はこう考えた」と書かれている訳ではありません。子どもの視点による表現が続いたら、次は母親の独白、さらに次は子どもの視点、と入れ替わっていたのです。
 そして、私は一読段階ではこの構造に気付いていませんでした。

 私の初読は三読法の通読に過ぎず、ぼーっと読んでいたことがわかりました。二度目は一読法にとっての初読であり、一言一句注意して読み始めたから、すぐこのことに気付きました。「あれっ、視点が男の子から母親に移ったぞ」と。同時にこれは三読法二度目の読みである精読にあたるとも思いました。
 このとき「文章をしっかり理解するには二度読むか、一度目の読みから一言一句注意して読まなければならない」と思うようになったのです。少なくとも「ぼーっと読んではいけない」と。

 閑話休題。大学卒業後私は高校の国語教員となりました。しかし、最初の十年間は三読法でした。通読と指名読み、次いで精読して解説する。ごく普通の国語教員として現代文の授業を行いました。
 新卒即一読法授業を始めるほど私は自信家でも開拓者でもありません。新米教師として何か新しいことを始める勇気はとてもありませんでした。と言うのは現場で一読法授業をやっている人は一人もいなかったからです。国語はもちろん他教科でも。

 当時渡された教師用指導書には「教案」がついていました。どのように授業展開するかの具体例です。そこに書かれた案はことごとく《通読→精読》の三読法でした。
 ベテランの国語教師、同輩前後の先生方は一読法授業を試みるどころか、「一読法」の言葉さえ知らない。そんな中自分だけ一読法授業を実践することなどできようはずもありません。当時読んでいた「一読法」関連本は理論が多く、どのように授業を進めるか自分の中で充分練る必要がありました。

 約十年間三読授業をしながら、一読法授業の進め方について「予習はしない、題名読みとか、鉛筆を持って記号をつけつつ読む」など、本稿理論編に記した段取りを考え、三十代の半ばころ「満を持して」といった思いで一読法授業を開始しました。もちろん現代文です。

 ところが、この試みは一年で挫折します。私はまた三読法に戻りました。
 なぜ失敗だったのか。

 その経緯を説明するに当たって今回も、読者各位がこれまで一読法を実践して読まれたか、その検証作業をする形で語っていきたいと思います。

 実は挫折した原因について、これまでいたるところにヒントが出ていました(作者から言うと、出していました)。
 果たして読者はヒントに気付いただろうか。つまり、頭の片隅に「この人の一読法授業は挫折したんだ。なぜだろう」との疑問を抱いて《精読》したか。ここから先はそれを確かめるための作業でもあります。

 ところで、この件について初めて書いたのは六号前の「実践編前置き」です。
 前置き(1)の目次に「挫折に終わった一読法授業」と出し、前置き(2)の中で「この目次を見て『なにっ?』とか『おやっ?』とつぶやきましたか」と書いて注意を喚起しました。
 本文末尾にも「居酒屋で私と読者が語り合ったなら」として、以下のように書いています。
-----------------------------------
 おそらくあなたは「えっ、一読法授業が挫折に終わった? 失敗したのですか。どうして? なぜうまくいかなかったのですか」と驚きと疑問の言葉を矢継ぎ早に発するでしょう。
 それに対して私は「そうなんです。うまくいきませんでした。詳しくは明日お話しします。あなたもなぜうまくいかなかったのか、考えてみてください。私が実践したのは今から三十年ほど前のことです」と答えます。
-----------------------------------
 ここを読んだとき、想定される読者のつぶやきは「考えてみてくれと言われたって、私は国語教員じゃないし、わかるわけないだろうが」でしょうか。

 そうつぶやくだろうなあと思いつつ、私は次号社会の教科書を一読法で読む実践例の冒頭でも「実践編を始めるに当たって以下の問題意識を持って読んでほしい」と書き、その4に「 なぜ私の一読法授業は挫折に終わったのか。その経緯や原因」と項目を立てました。

 さすがにこれだけ強調すれば、読者も頭の片隅にこの件を意識して読み進めたことと思います。
 その後四号分――社会の例題一、二、「現在の学校で一読法を実践するには?」とか「誤答率四割の原因について」などいろいろ語りました。しかし、一読法授業が挫折に終わった件について特に語られることなく本号を迎えた……と思っているのではないでしょうか。
 失礼ながら、そのように感じた方はやはり一言一句注意して読んでいない。ぼーっと通読している方々です。

 これに対して「いやいや、そんなことはない。私はわかったぞ。あんたの一読法授業が挫折に終わった原因は、三十年前□□□□(ほにゃらら)がなかったからだろう」とつぶやかれたなら、一読法二段を進呈いたします。
 ちなみに、この□4文字はカタカナで、5文字か7文字の言葉でも構いません。

 では「答え合わせ」です。
 一言一句注意して読んでいれば、この件について語った最初の文言の中に《注意すべき言葉がある》ことに気付いたはず――と言うより気付いてほしいところです。一度目の読みから《精読する》なら、その言葉に気付かねばなりません。

 再掲すると、
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 おそらくあなたは「えっ、一読法授業が挫折に終わった? 失敗したのですか。どうして? なぜうまくいかなかったのですか」と驚きと疑問の言葉を矢継ぎ早に発するでしょう。
 それに対して私は「そうなんです。うまくいきませんでした。詳しくは明日お話しします。あなたもなぜうまくいかなかったのか、考えてみてください。私が実践したのは今から三十年ほど前のことです」と答えます。
-----------------------------------
 ここにヒントとなる言葉があります。それは「今から」です。
 傍線を引くなら「私が実践したのは今から三十年ほど前」のところにつけねばなりません。

 通常の意味として「今」は「現在」であり、反対語は「過去」や「昔」。昔と言っても百年前にさかのぼるのではなく「三十年前」とあります。
 そこで考えるべきは「三十年前と現在のどこが違うか。そして、それが一読法授業挫折の原因とどう関係しているのか」へと進みます。

 目下十代の生徒諸君にとって三十年前は生まれる前だから、さすがに(学ばなければわかりようもない)歴史的事柄でしょう。五十代以上、ぎりぎり四十代までは三十年前――すなわち一九九〇年前後の世の中を想起できると思います。

 日本なら「昭和が終わって平成が始まり、バブルがはじけたころだ」とか、世界なら「東西ドイツ統一、ソ連崩壊」でしょうか。平成の始まりは八九年、ドイツ統一は九〇年、ソ連崩壊が九一年です。
 その中で「失われた三十年」とか「就職氷河期」などと呼ばれ、なかなか就職できず苦しんだ経験をお持ちの方もいらっしゃるかと思います。小学校で「ゆとり教育」が始まったのは八六年頃からで、そして、学力低下が甚だしいとして最近それがなくなった……なども思い出されるかもしれません。

 もっとも、「今から三十年前」のところで立ち止まっていろいろ思い浮かべたとしても、依然として「私は国語教員じゃないんだから、あなたの一読法授業が挫折した原因なんてとても考えられないよ」とつぶやかれたことでしょう。

 このつぶやきは正しいと思います。作者はこれに答えなければならず、いずれ答えは明かされる。目次を見れば「挫折に終わった一読法授業」とあるから、「ああ、その節で説明されるんだな」とわかります。

 だから、そこまでは書かれた実践例などを注意深く読めばいい、別に作者の一読法授業が挫折に終わったことは(特に触れられない限り)考える必要はない……そう思って読まれたと思います。事実私はその後の実践二例から前節まで一度も「挫折」の言葉を使っていません。

 ここで論文とか小説を書く際使われる手法を知っているかどうかで読みの深さ・正確さの違いが現れます。小説ならそれは「伏線」と呼ばれます。伏線とは後半に登場する重要人物を前もってちらりと登場させておくことです。

 私が文芸部顧問だったとき、生徒に小説を書かせると、ラストで悪と戦うヒーローのところに突然初登場の味方が現れ、主人公の窮地を救う場面が描かれることがありました。「おいおい、伏線使わんかい」と言ったものです。
 伏線は人物だけとは限りません。主人公や脇役が後半において突然怒ったり、妙な悲しみ方をする――そのように描くなら、それも伏線を書いておかねばなりません。主人公の嫌いな人間が突然引っ越したり、死んだりすると、「そんなに簡単に登場人物を殺すな」と言いました。
 また、ミステリー小説などは「あれっ」と思う表現がいたるところにあり、それが後につながって「なるほど」と思わせ、感心する。これを批評して「伏線が張り巡らされている」とか「伏線がきちんと回収されている」などと言います。

 伏線は小説の大きな特徴であり、小説を読む醍醐味でもあります。が、通読でさあっと読んでいる人は伏線に気付きません。と言うのは読みつつ、新たに登場する人物をしっかり頭に入れておかねばならないし、「あれっ、妙な表現だ」とか「どうしてこんなことが」など疑問を抱きつつ読まねばならないからです。

 よって、推理小説を読んでいる途中「ここは伏線かもしれない」とつぶやける人は一読法で読んでいる方です。さらに、再読すれば「ああ前半のここは謎解きの伏線だったか」と気付きます。映画なども二度鑑賞すれば、伏線にかなり気がつくはずです。だからこそ、私は一読法を勧めているのだし、「二度読みましょう」と主張しているのです。

 実は論文においても(呼び名はないけれど)伏線と同じように、次節(もっと先のテーマ)と関連することを、前もってちらちら書いています。それをその都度「この部分は私の一読法授業が挫折に終わった原因と関係ある表現ですよ」と書いたりしません。
 小説の伏線として書いたところに「この人物は後々重要な役割を果たします」とか「この出来事が一年後大変な事態を招く」などのネタばれを書かないのと同じです。
 ただし、読者の関心をつなぎとめるため「主人公は後に大変な事件となることを知る由もなかった」などと書かれることはあります。テレビの連続ドラマの末尾で多用されるナレーションです。

 ちなみに、論文で伏線に似た表現を取るのは別にミステリー小説を意識するからではありません。そのことを語る節に進んだとき「より深く理解してほしい」からです。突然そこで出すより、前もってちらちら触れておくことで、より一層理解してもらえる、そのような思いで書きます。
 もう一つ「同じ内容、同じ表現の繰り返しを防ぐため」という理由もあります。これによって「以前このように書きましたが」と短くまとめることができるからです。

 では、前号までのどこに「私の一読法授業が挫折に終わった原因」のヒントが書かれていたか。それを具体的にあげていきます。一言一句注意して読んでいたかが問われる場面です。その際「今と三十年前の違い」に注意しつつ読めば、気付いたはずです。

 たとえば例題一において三読授業と一読法授業の違いを説明した言葉の中に最初のヒントがありました。
 三読法は先生が講義して質問し生徒が答える。対して一読法授業は「生徒は本文を読みながら、疑問やつぶやきを書き込み、その後それを発表。さらに調べたり話し合ったりした後先生が解説する」と。ここに「生徒は調べる」といとも簡単に書いています。
 では「調べる」の具体例はと言うと、以下のようにあります。
「生徒自身がネットや事典類で調べたりして『時代は江戸時代、徳川幕府』とか『鎖国の歴史や事実』をノートに書き込んでいきます。『沿岸』の意味、一六三九年が何時代かわからなかった生徒も当然調べて答えを得るでしょう」と。
 何を使って調べるか。「ネットや事典類」とあります。

 また、私自身の活動として「今回これらの作業を経てネット事典ウィキペディアで『鎖国』を検索してみました。つぶやきの答えを探究したわけです」とあります。それによって「一六四〇年、ポルトガル使節団皆殺し」の史実を初めて知りました。
 さらに「時間が許せばその先も調べたいところですが、授業はそこまでとして、後は先生の解説に留めれば、時間短縮が可能です。最後に先生が『この先もっと関心があるなら、帰宅後調べてごらん』と言えば終わりにできるでしょう」とか、「生徒が発した疑問やつぶやきを全体のものとして調べ、次から次に浮かぶ疑問やつぶやきも調べる。ときには『なぜ江戸幕府はポルトガルをそれほどまでに敵視したのか』に絞って調べ、調査結果を発表して生徒間で意見を闘わせる」ともあって一読法授業では「調べる活動が多くなる」ことを繰り返し書いています。

 ここらで四十代以上の読者なら、「今と三十年前の違い」について思い当たる言葉が浮かんだのではないでしょうか。

 また、例題二「三大宗教の世界的分布」のところでは、
「国名が出ないようなら、ネットで世界地図(や所持している地図帳)を見ながら、一つ一つチェックする作業に入ります」とあり、「一読法によって教科書を読めば、そして生徒が活発に疑問を提示するようになれば、教師の手に負えない疑問が続出する可能性があります。しかし、今なら『授業ではそこまで深くやらないけど、パソコン検索使って調べてごらん』と言って構わないと私は思います」とあります。この文中に「今なら」があることに気付かれたでしょうか。

 また、次節「三 現在の学校で一読法を実践するには」でも「一読法においては《予習はしない。復習は一教科数分で充分。家庭学習は自分が抱いた疑問を調べたり考える時間に当てられる》」と書かれ、「逆に一読法の必須アイテムは辞書です。読めない漢字、意味不明の漢字は生徒によって違います。だから、そのような漢字や語句が現れたら『すぐに辞書を引きなさい。教科書に書き込みなさい』と言います。今なら使うのはタブレットでしょうか」とあり、ここでも「今なら」という言葉が使われています。

 今ならパソコンやタブレットを使ってインターネットですぐに調べることができる。ということは《昔(三十年前)》はそれができなかった……とつながります。

 もうおわかりでしょう。私の一読法授業が挫折に終わった一つ目の原因がこれです。三十年前はパソコンがなかった。もちろんタブレットなどなく、インターネット検索などできようもなかった。

 授業で使えたアイテムは国語辞典か漢和辞典くらい。つまり、漢字の読みや意味確認の作業はできるけれど、より深く調べるための百科事典類は身近になかった。せいぜい図書室であり、家庭でも事典類をそろえているところは少数。とても「家でも調べてごらん」と言える状況ではありませんでした。

 私は現代文の授業で、一度だけほぼ一読法授業と重なる「単元学習」を行ったことがあります。教材は平塚らいてうの『元始、女性は太陽であった』という文章です。明治四十四(一九一一)年に発行された雑誌『青鞜』の創刊号に掲載された文章で、男尊女卑の世の中に対して女性の自由と解放を訴えています。
 本文全体を生徒数人のグループに班分けして「生徒自ら調べ、発表させる授業」を行いました。調べるのは当然図書室です。図書司書と協力して五、六時間調べるための時間を設定しました。
 このときのクラスは真面目な子が多数派だったので、生徒はしっかり調べて発表してくれました。
 しかし、図書室の百科事典・歴史事典など参考書籍は奪い合いになりました。事典類は図書室から持ち出せないけれど、単行本などは貸し出しできます。参考文献を紹介したとき、「それは借り出さないように」と言ったけれど、借りる生徒が続出。「先生、本がありません」と言われ、借りた生徒に「すぐ返却しろ」と言うこともありました。皮肉なことに「家で作業するな」と言っていたのです。
 逆に「そこまでやってくれたか」と感心するグループもあって「うちの図書室になかったので、隣町の大きな図書館に行って調べました」という生徒もいました。

 この単元学習授業が生徒を啓発したことは間違いありません。終了後生徒に書かせた感想の中に「初めて国語らしい授業をやった気がする」との言葉があったほどです。
 しかし、実行した私の内心はと言えば、「単元学習は今の学校ではできない」との思いでした。もちろんこの「今」は三十年前の現場では、との意味です。

 単元学習とは簡単に言えば大学の演習とかゼミで行われている活動です。大学なら図書室に膨大な辞典・事典、参考書籍がある。教官自身も研究室に備えている。だから、いろいろ調べることができる。しかし、高校では(中学校もそうでしょう)ほぼ不可能だと気付きました。

 かくして三十年後の今なら、「一読法授業も単元学習もできる」というわけもおわかりでしょう。パソコンを使い、タブレットを使ってインターネットと接続すれば、辞典、事典が見放題、参考書籍・論文も探して読むことができる。
 例題一に関連して長崎大学教授の論文を取り上げるなんてことは、三十年前なら専門外の私にはほぼ不可能。しかし、今なら数分で探し出して読むことができます。

 これが当時の学校を取り巻く環境であり、一読法授業が挫折した外的要因とするなら、もう一つは生徒自身の反応です。生徒は一読法授業に拒否反応を示したのです。

===============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:今号末尾は思わせぶりの表現を使って次号への関心をあおっています。「知る由もなかった」と同じ手法です。「生徒の拒否反応ってどういうことだろう?」とつぶやき、「生徒の拒否反応について今までヒントがあったかな?」へと進んでこれまでの記述を想起するなら、それこそ一読法の実践です。

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2019.07.09

07.03 別稿『一読法を学べ――学校では国語の力がつかない』第14号実践編四(毎週金曜配信)

 今号は例題一、二の誤答率四割の原因を探ります。
 小見出しは以下の通りです。もちろん「題名読み」を実践して「おやっ?」とか「何っ?」とつぶやき、しばし黙考後一言一句注意して読んでください。

  誤答率四割の原因を探る[小見出し]

 (1)誤答率四割の原因について
 (2)一読法でも誤答率四割

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 実践編 目 次
 実践編前置き(1)
      前置き(2)
 一 社会(日本史)
 二 社会(文化史)
 三 現在の学校で一読法を実践するには
 (1)一読法授業で「予習をしない」わけ
 (2)現在の学校でひそかに一読法を実践するには?
 四 誤答率四割の原因を探る――――――本 号
 (1)誤答率四割の原因について
 (2)一読法でも誤答率四割
 五 挫折に終わった一読法授業
 六 実践編の「まとめ」

 理論編・実践編の後書き

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 本号の難読漢字
・云々(うんぬん)・雅(みやび)な・慕(した)う・画一(かくいつ)的
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小論『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 14

 四 誤答率四割の原因を探る

(1)誤答率四割の原因について

 さて、「読解認知特性診断テスト」中の例題一、二において中高生の三割から四割はなぜ誤答したか。以下私の分析を書きたいと思います。

 診断テストでは誤答の原因として「生徒は文構造が理解できていないのではないか」とありました。
 確かに例題一では能動形と受け身について、例題二では「仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は~におもに広がっている」とあれば、「東アジアに」と「オセアニアに」の後に文末の「広がっている」が省略されていることに気付かねばなりません。「文構造わかっているかな?」と思えます。

 他の例を見ても、単純な文構造を問う問題に誤答が多く、原因はそこに集約されるかもしれません。しかし、これまで書いたように、私は文構造の理解云々以前に、一度読んだだけで問題を解く、通読の弊害が噴出したことが最大の原因だろうと考えています。つまり、精読がない。三読法は二度読み段階で精読する。一読法なら最初から精読する。どちらにせよ精読は必至。それがなければ理解度三〇に過ぎず、誤読・誤答も当然かなと思います。

 まず文構造について考えてみます。
 実は日本語ほど文構造がいいかげんな言語はありません。世界でもトップクラスの《いいかげんさ》でしょう。
 たとえば、我々は「私はあなたを愛する」も「君のこと、ぼくは好きだ」も「愛しています、あなたを」も全て同じ意味だと理解できるし、喋って相手に通じます。主語も目的語もない「愛してる」だけでも通じます。

 ところが、英語をはじめとする多くの外国語は文の最初に「私」、次に「愛する」、最後に「あなた」――すなわち英語なら「アイ ラヴ ユー」一つでなければ、「意味が通じない」と言います。これを「ユー ラヴ アイ」と言ったら、正反対の意味になるどころか、文法的に間違っているので「意味不明」であり、「通じない」と言うのです。
 もしも日本の小説でよく見かけるA夫がB子に、一言「愛してる」とささやく場面があったとして、これを英語翻訳して「ラヴ」一語とすれば0点です。必ず「アイ・ラヴ・ユー」としなければなりません。

 余計な見解ながら、私はゆえに英米文学を少々味気ないと感じます。
 たとえば、日本文学には古風で雅な和服女性が「お慕いしております」とか、真逆のキャピキャピギャルが「あんたのこと好いとおよ」と様々な表現があります。しかも、主語はないことが多い。
 ところが、英語は男が言っても「アイ ラヴ ユー」、女性が言っても「アイ ラヴ ユー」。若者が言っても、お年寄りが言っても「アイ ラヴ ユー」。ギャルの言葉なら「アイライクユー」と翻訳するか「アイラヴユー」とするか。いずれにせよ、どちらもギャルの気持ちを正確に伝えているようには思えません。「あんたのこと好いとおよ」は英語翻訳不可能ではないか、とさえ感じます。家族や恋愛模様が描かれた小説における最も感動的な場面なのに、なんというボキャブラリーのなさでしょう。
 外国語表現はどうも画一的で味気ない、と感じるのは私だけでしょうか。日本語は文構造はいいかげんだけれど、日本文学の表現の多様さ、細かさ、豊かさなら世界のトップだと思います。

 ちと脱線しました。何にせよ、日本語にはきっちりした文構造がない。しかし、英語や外国語はものすごく固定的である。これが外国語学習において日本人が最初にぶつかる壁ではないでしょうか。我々は「アイ…… ユー……ラヴ」とささやいてもいいではないかと思ってしまいます。

 このように我々が文構造というものを意識するのは初めて英語を学んだときです。よって「文構造が理解できていない」生徒への対策として小学校の段階から、日本語の【文構造】についていろいろ教えたとしても、大きな意義を見出すことはできません。
 ここで《文構造》につけた【 】は皮肉です。外国語ならきっちりした文構造を持っている。だから、小学校から文構造を教えるのは理解できる。いや、むしろ幼児から、小学校からそれを教えねばならない。だが、日本語にはそれがない。だから、親御さんが幼児に日本語教育をすることはない。小学校に入学してすでに日本語を話せる子どもたちに「人と話すときは主語から始めなさい」と教えるなんてありえません。

 そもそもいくら文構造の理解度が低いと言っても、英語を学んだ中高生なら、
 ・幕府が大名に命じた。
 ・大名は幕府から命じられた。
 この二つの文が同じ意味であること。もしも後者が「幕府は大名から命じられた」となっていれば、正反対の意味でありおかしい。生徒がこれを理解できないとは到底考えづらいところです。
 よって、例題が何を問うているか把握したのに間違えたなら、誤答の原因はそこではない。やはり問題文の読み方にあると思います。

 再度例題一、二を掲載します。さあっと一度読んでみてください。そして、この設問を読んだときの感想をつぶやいてください。例文の「 」は外しました。
****************************
 例題一 次の文を読んで、後の問いに答えなさい。

 幕府は、一六三九年、ポルトガル人を追放し、大名には沿岸の警備を命じた。
 問 上記の文が表す内容と以下の文が表す内容は同じか。「同じである」「異なる」のうちから答えなさい。
 一六三九年、ポルトガル人は追放され、幕府は大名から沿岸の警備を命じられた。
  ① 同じである ② 異なる

 例題二 次の文を読んで、後の問いに答えなさい。
 仏教は東南アジア、東アジアに、キリスト教はヨーロッパ、南北アメリカ、オセアニアに、イスラム教は北アフリカ、西アジア、中央アジア、東南アジアにおもに広がっている。
 問 オセアニアに広がっている宗教は何か、答えなさい。 [     ]
****************************

 ここでは一行を敢えてくっつつけてみました。眺めてごちゃごちゃしていると感じたのではないでしょうか。私が生徒なら、この二例に対してつぶやく言葉は「めんどくせえなあ」です。
 例一は離れたところにある二つの文を、要素に分けて同じかどうか検討しなければならない。めんどくせえなあ……。それでも解かねばならないのでやる。ではどうやって解いたか。

 例一の場合は「一六三九年同じ、ポルトガル人同じ、追放同じ、大名同じ、沿岸の警備同じ、幕府同じ。全部同じ。答えは①だ!」

 例二はカタカナがたくさん並んでいて、まず「オセアニア」がどこにあるか発見しなければならない。めんどくせえ……。
 それでも、オセアニアを見つけ出してそこに傍線を引く(テストだからそれくらいはやる)。そして、文の最初を読むと「仏教は」とある。答えは「仏教だ!」とすぐに(安易に)答えを書いて次の設問に移る……。

 つまり、誤答の原因は生徒が「例文をさあっと読んで、ちょっと考えただけで直感的に答えを選んだ」からではないか。三読法の「通読段階で答えて精読がない」からだと思います。
 もちろん試験問題だから、例文を一度しか読まないってことはないでしょう。しかし、その読み方では二度読もうが、三度読もうが同じこと。通読だけで精読がないと「文章の理解度は三〇しかない」とこれまでさんざん指摘してきました。
 私には読解力認知テストの結果が誤答率三~四割となった原因は「三読法の通読のみによる読み方をしたから」と思えてなりません。

(4)一読法でも誤答率四割

 この小見出しは「何っ?」とつぶやくに充分な衝撃度でしょう。
 今しも四割の誤答は三読法通読のみで答えたことが原因だと書きました。では一読法ならどうか。「誤答率0」と言いたいところですが、やはり誤答率――いや、無答率四割が出る可能性があります。
 なぜなら、テストと名のつくものは全て時間制限があるからです。

 テスト受験者は時間内に多くの問題を解かねばなりません。例題を瞬間的に判断しなければ、全問こなせない可能性があります。瞬間は大げさながら、短時間であっても精読できれば、正解に至る。しかし、通読のみで答えた生徒は理解度が低いから、当然のように誤答が多くなる――私はそう分析しました。
 では一読法はどうか。最初から精読する一読法の理解度はかなり高い。しかし、それゆえ時間不足となる可能性も高いと思います。

 大げさな話ですが、ここには(特に入試における)時間との闘いが要求される弊害もありそうです。
 三読法は[通読→精読]です。二つの例はしっかり精読すれば、正答率は上がるでしょう。しかし、精読する時間がなければ(生徒がないと感じれば)、通読のみで答える。だから誤答が増えるのです。

 では一読法をしっかり学んだ生徒がこの例題を解くとどうなるか。
 例題を直ちに精読するから、正答に達する確率は上がると思います。しかし、いちいちつぶやいていれば、時間が掛かることは間違いありません。果たして全問解くことができるかどうか。

 たとえば、このような例題の設問が百ヶあるとして、三読法の通読段階で解けば、一〇〇ヶ全て答えられる。しかし、誤答が増えて六〇ヶしか正答できない。
 逆に一読法なら六〇ヶ解けて全て正解する(その可能性が高い)。けれども四〇ヶは時間が足りず手つかずで終わる……ような気がします。
 結果はともに六〇点です。かたや[×]が四〇ヶ。かたや空欄が四〇ヶ。これは大いに起こりえる事態です。

 読者各位はこの事実をどう思われるでしょう。「なんだ。それなら一読法も三読法も同じではないか」とおっしゃるでしょうか。

 私は本稿において「一読法を学び、文章をじっくりゆっくり読みましょう」と書いてきました。だが、世の中は学校も社会もそれを許してくれません。定期試験や入試、就職・資格試験等々「素早く読んで問題をたくさん解け」といったタイプの問題ばかりです。二度読んでいる時間などないので、一度目から精読する必要がある。だから「一読法を学びましょう」と主張しました。しかし、二度目に精読する三読法が時間がかかるなら、一読法だってちゃんとやれば、時間がかかります。

 スピード、スピード、スピード。なんでもかんでも「早くやりなさい」と言われる。
 記憶力のいい生徒、頭の回転の速い子が優秀。逆にじっくりゆっくり読んで正解に達しても、試験問題の半分も解けないようでは「ダメな子、能力のない人間」と認定される。
 私は思います。そんな学校なら行かない方がいい。そんな世の中なら家に閉じこもった方がいいと。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2019.07.03

別稿『一読法を学べ――学校では国語の力がつかない』第13号実践編三

 今号は当初の予定を変えて前節最後の問い――「なぜ一読法授業では予習をしないように」と言うのか、それについて語り、合わせて現役中高生のため、三読授業全盛の学校において「ひそかに一読法を実践する」やり方を伝授します。

  三 現在の学校で一読法を実践するには[小見出し]

 (1)一読法授業で「予習をしない」わけ
 (2)現在の学校でひそかに一読法を実践するには?

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 本号の難読漢字
・詳(くわ)しい・三読法の要(かなめ)・必須(ひっす)・吐露(とろ)・語彙(ごい)・開陳(かいちん)・弊害(へいがい)・刮目(かつもく)・些細(ささい)
***** 小論「一読法を学べ」********
 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 13

 三 現在の学校で一読法を実践するには

(1)一読法授業で「予習をしない」わけ

 まずは前号最後の放任的質問――なぜ「一読法授業では予習をしないように」と言うのか。それについて答えを書き留めておきます。これは「答えのない」疑問ではないので、しっかり書かねばなりません。
 一読法においては《予習はしない。復習は一教科数分で充分。家庭学習は自分が抱いた疑問を調べたり考える時間に当てられる》となります。

 そもそも一読法とは文章を一度の読みで理解し切ろうという読書法です。よって、一度目をさあっと読んでほしくない。いや、もっと厳しい言い方をすると、さあっと読んではいけない。とにかく集中して一言一句注意する読み方です。よって、最初の読みは一読法を訓練する場――すなわち授業でやってほしい。ゆえに「予習をしないように」と指導します。
 これは国語だけでなく項目暗記タイプの教科全てに言えます。算数・数学、理科の物理など計算中心の教科も一読法で良いのではと思いますが、いまだ考察不足です。ただ、英語や高校の古文漢文は日本語訳、現代語訳が最大目的だから、訳が正しいかどうか確認するために予習をやった方がいいでしょう。

 もう少し補足すると、まず至極単純な話として「予習をやって来なさい」と指導しても生徒全員やってくれるわけではありません。そうなると、授業は本文を一度読んだ生徒と今回初めて読む生徒が混在することになります。

 これは三読授業にとって何の問題もありません。三読法は別に「きっちり三回読もう」というわけではなく、「読書百遍、意自ずから通ず」の言葉通り、四度だろうが五度だろうが、とにかくたくさん読むことを推奨する読書法です。
 そして、授業は毎回通読からスタートします。全て読み終えたら精読に入る。これがもしも授業の最初から精読だったら、「全員必ず家で読んでおきなさい」と言うでしょう。三読授業にとって一度目に全て読み切る《通読》は必至です。
 国語以外の教科でも、一時間に予定された分量を「まず読むこと」から始まり、直ちに内容解説=精読に入るでしょう。

 では国語三読授業において「予習をして来なさい」と言うのはなぜか。
 それは通読のため、指名読みのためです。
 記憶にあろうかと思いますが、国語・現代文の授業では初めての単元に入ると、必ずと言っていいほど生徒に朗読させます。生徒が次から次に指名され、起立して本文を読み進めるってやつ。

 ここで予習をやっていた生徒は読めない漢字に(辞書を引いて)ふりがなをつけています。しかも、一度読んでいるので、本文をすらすら読める。朗読を点数化するなら高得点をもらえるでしょう。

 ところが、予習をしなかった生徒はうまく読めません。難しい漢字は当然読めない。新出漢字ならまだわかるけれど、すでに学んだ漢字でも読めない。つっかえたり、飛ばしたりしてとても滑らかとは言えない。先生は漢字の読みを教え、間違った読みを訂正して次の生徒を指名する。朗読の評価はたぶん最低点です。

 通読において「漢字を読めない(意味もわからない)生徒がいるのに読み続ける」事態は普通に考えれば、おかしな話です。そのまま読み進めれば、生徒は通読についていけない落ちこぼれ状態になります。読み終えて理解度三〇どころかヒトケタかもしれません。

 本来ならその時点で漢字を調べ、意味を確認するべきでしょう。しかし、それは「自宅で予習としてやっておくべきこと」であり、それをしていないのは「生徒の責任である」と先生は考えます。だから、すらすら読めなかった生徒のところで(漢字の読みは教えるけれど)立ち止まることはしません。

 そもそも三読授業にとって通読とは「途中でわからないところがあっても、とにかく最後まで読んでしまう」作業です。わからないところは二度目の読みで詳しくやる。精読こそ三読法の要だから、一度目の読みは《目を通す》だけで構わない、途中で意味不明の漢字や難しい一文があっても、妙だなと感じる箇所があっても、立ち止まる必要性を認めません。
 よって、国語三読授業では「予習をしてきなさい」と言いつつ、予習をしなかった生徒を叱責することはありません。通読は生徒(の多く)が予習をしていないことを前提に行われているのです。

 私は一読法授業を始めてからこの通読と指名読みをやめました。「予習するな」と言うのだから当然です。優等生は初読でもすらすら読めるけれど、多くの生徒は読めません。
 逆に一読法の必須アイテムは辞書です。読めない漢字、意味不明の漢字は生徒によって違います。だから、そのような漢字や語句が現れたら「すぐに辞書を引きなさい。教科書に書き込みなさい」と言います。今なら使うのはタブレットでしょうか。
 本当は黙読ではなく、少しずつ読みながら「この漢字は読めない、意味不明」とか「ここは理解しづらい、なぜこう思うのだろう」などとつぶやいてほしいのですが、さすがに授業では「心でつぶやきなさい」と指導しました。

 もしも一読法で予習をやるとどうなるか。いろいろつぶやいて書き込む本来の一読法をやってくれればまだいい。しかし、さあっと読む通読の読み方では何も頭に残っていません。残ってもせいぜい三割。そして、このことが授業をつまらなくします。(未成年には良くない比喩ながら)真夏きんきんに冷えたビールを飲むか、泡の消えたぬるいビールを飲むか、そのくらい新鮮さ、うまみ、驚き、衝撃が違います。

 さらに、三読授業においても「本当は予習をやる必要はない」と私は思います。それは指導に従う真面目な生徒をうんざりさせるだけです。

 三読授業はいつも通読からスタートする。これは予習をした生徒にとって二度目の読みにあたります。授業は全て読み終えてから最初に戻ってやっと精読が始まります。すなわち、予習をした生徒にとっては早くも三度目の読みです。

 実は三読授業の多くは通読と精読だけで終わっていると思います。これまでの解説で「私が受けた授業は三読じゃなく二読だったぞ」とつぶやかれたなら、予習の分を忘れています。自宅で前もって読んでいればちゃんと三回読みになっているので、授業は二読で構わないのです。
 もちろんこれによって三読法最大の効能である「文章の理解度60から90」に達する可能性はあります。

 しかし、予習をやった真面目な生徒ほど、二度目の通読は(無意味ではないけれど)退屈な時間だと感じたはずです。なぜなら二度目は本来精読に入るべきです。なのに、予習をやった生徒にとっては二度目なのにまだ通読です。本当は初読以上に集中して考えつつ読まねばならない。なのに、二度目もぼーっと読んでいます。時には他の生徒の読みを聞きながら、目は窓の外に向けられている。あるいは、好きになった彼女(彼)のことをほのかに思っているかもしれません。
 私の経験でも「次何々君」と指名すると、どこを読んでいるかわからない生徒がいました。いじわるして黙っていると、近くの生徒が「ここ、ここ」と教えていたものです。

 自宅で一度目をさあっと読み、学校の通読もぼーっと読んでいる。これでは理解度三〇がせいぜい四〇に上がったに過ぎません。この通読は精読ではないから、二度目の読みなのに、作品の理解も感想も「あまり変わらない」と感じます。
 結果、予習をやった真面目な生徒ほど二度読むことに意義を見いだせません。そして、学校を離れると「自分にはもう充分読解力がついた」と思い、一度読めば八〇は理解できている、もう一度読んでもそれが九〇になるだけだから、二度読む必要性を感じない……という皮肉な結果となります。

 ゆえに、三読授業だって予習はしない方がいい、通読後直ちに精読に入った方が良いのです。もしも予習を課さず全員初読の《通読》なら、読めない漢字や意味不明の語句を立ち止まって辞書類を調べる必要があります。ついでに「どんどん読むけど、鉛筆を握って難しい部分に[?]を付けなさい」などと指導したら、それはもう限りなく一読法です。

 このように考えると「読書百遍、意自ずから通ず」の意味も勘違いしている人がいるのではないかと思います。これは一回一回集中して読むこと、いろいろ考えつつ百回読めば……との意味です。ぼーっと読むだけでは、何度読んでも《意は通じない》と言わざるを得ません。

 ここで脱線気味の話ながら、この部分を読んで「おやっ?」と思い、次の反論をつぶやかれた方は、すでにかなりの一読法実践者であると認めます。

 私は以前「二度目が精読でなくとも、とにかく二度読めばかなり内容が頭に入る」と書きました(実践編前置き2)。ところが、ここでは「二度読もうが三度読もうが精読がなければ、文章の理解度は低い」と書いています。「矛盾してるんじゃないか」と突っ込み入れてほしいところです。

 このつぶやきに対して私の内心を吐露すると……。

 これは本稿読者の読解力を想定しての言葉です。これまで「一読法を学べ」とか「学校では国語の力がつかない」など「三読授業の欠陥」について様々に語ってきました。
 本稿に興味・関心を持って読まれている方はおそらくテレビなどもニュースを見たり、評論家の語る言葉に耳を傾け、新聞の社説なども目を通しているでしょう。自分の意見を開陳することもあると思います。よって、そこそこ以上の《語彙力・読解力》をもっていらっしゃる。
 しかし、そのような人であっても、一読法を学んでいなければ、文章を通読だけで終えて理解度三〇に終わる弊害がきっと現れる(それを「実践編前置き」で証明しました)。だから、二度読んでほしい。並みの語彙力読解力さえあれば、二度読むことで理解度六〇に達する。ゆえに「とにかく二度読めばかなり内容が頭に入る」と書きました。

 ところが、まだまだ未熟な中高生となると事情は違います。あるいは、大人であっても新聞記事を読むことなく、テレビのニュースを見ることもない人なら、(失礼な言い方ながら)語彙力・読解力はかなり低い(そうなったのは学校教育、三読法講義型授業のせいです)。
 読解力が低いのに、文章をさあっと一度読むだけ。一念発起して二度目の読みに入ったとしても、目で追うだけで精読がなければ、「一度読もうが二度読もうが同じ」と言わざるを得ません。

 さらに、一読法授業にとって生徒が予習をやる弊害はこれだけではありません。
 前もって読んでいた生徒が授業で一読法を実践すると、彼らから疑問のつぶやきがなかなか出てこないという問題が発生します。
 以前も書いたように初めて読むからいろいろな疑問やつぶやきが出てきます。そして最後まで読んでしまうと(理解度三〇であっても)初読の「なぜ?」はかなり解消されます。

 一読法は生徒全員横並びで疑問とつぶやきを書き込むことから授業が始まります。それを発表して全体の疑問として調べたり、考えたり、議論を交わします。
 ここで大切な点はどんなに些細なことでも疑問としてつぶやいて構わない。中高なら小学校で習得済みの漢字が読めなかったり、意味不明なら[?]をつける。あるいは、「バカにされるかもしれない、恥ずかしい」と感じるつぶやきも書き込んで公表する。
 実のところ一人で黙読しているだけでは、なかなか「なぜ?」が出てこないものです。ところが、クラス数十人がいれば、誰かは疑問とつぶやきを提示する。それを聞いて「ああ、そこは確かに疑問だ」と感じる。

 クラスで一読法授業をやる最大の意味がここにあります。自分は疑問としなかったけれど、人は「なぜ?」と感じている。それを知ることが大切なのです。
 たとえば、成績下位の生徒が上位者には「わかりきった言葉や箇所」に疑問・感想を提示する。逆に上位の生徒が中位下位の生徒の「気付かないところ」に鋭い疑問を投げかける。これはどちらにとっても必要な疑問やつぶやきです。

 三読授業における優等生とは、通読ですらすら読める生徒、先生が投げかける質問に《正解》を言える生徒でしょう。逆に一読法授業では「なぜ、どうして?」とたくさん疑問をつぶやける生徒こそ優等生です。
 普通の優等生は例題一で「沿岸って何?」の疑問をつぶやくことはありません。しかし、この問いが出されることで「内陸の国々はどうだったのだろう」との疑問が出る可能性があります。そして、それを提示するのは「日本では海に面していない県が八つある」ことを知るクイズ得意の優等生かもしれません。
 例題二で誰かが「東南アジアは仏教とイスラム教の二つに出ている」ことに着目してそれを公表すれば、「すごい、よく気付いたなあ」と感心されるでしょう。

 初読において一言一句注意して読めば、そうした疑問が出る、妙なところに気がつく。それを公表してクラス全体で考え話し合えば、より深く文章を理解し味わうことができる。これが一読法授業であり、一読法の一丁目一番地です。
 妙な言い方ですが、前もって読んで疑問を解消してほしくない。初めて読む授業においてどんどん[?]をつけ、つぶやき、それを提示してほしい。だから、「予習をしないように」と言います。

 そして、何度も書いているように、一読法は人の話を聞くときにも使われる。いや、使われねばならない聞き方です。一度しか聞かないからこそ「なぜ、どうして?」の思いを持ちつつ聞く。「あれっ妙だな」と思ったら、話を止めて「それはどういうことですか」と口にする。これが一読法による話の聞き方です。
 三読法の通読とは「文章全体にさあっと目を通すこと=ぼーっと読んでいい=一言一句注意して読む必要はない」という読み方です。この通読指導を十二年受けていれば、人の話を聞くとき「ぼーっと聞き流す」人間が育つのは当然の帰結だと私は思います。

 予習に関しては以上の通りです。復習が数分で終わるというのは、これまで説明してきたように、本文全部を読み直さずとも、記号や傍線を振り返るだけで充分だからです。
 教科書なら休み時間(10分)の半分で可能だし、昼休みとか放課後でもいい。これは国語だけでなく、社会や理科など項目暗記タイプの教科全てに通用すると思います。特に自分が抱いた疑問や難しい部分など[?]をつけた部分に関してはよく記憶に残ります。

 ただ、ノートは「持ち帰りなさい」と言いました。
 自宅での活動は《授業で解決されなかった疑問を調べたり考える》ことです。当然その答えや感想はノートに書き込みます。
 三読授業のノートは先生が板書したことが書かれているだけ。もちろんこれはこれで大切なことです。が、ほとんどのノートは板書の丸写しで終わっています。
 一方、一読法授業ならノートは板書事項よりむしろ生徒自身が調べたことや考えたこと、感想などが書かれます。これがいかに「書く力」を養成するか、おわかりと思います。

 現在学校では生徒一人一人にパソコン・タブレットが支給されているようです。家庭でもパソコンを持っていたり、スマホを所持する生徒も多い。家庭にそれらがなければ、国は児童生徒全員家でも持てるように予算措置をするべきだと思います。

(2)現在の学校で一読法を実践するには?

 もしも本稿の読者が現役の中高生なら、取りあえず(と言う訳は過去百年以上続けられた三読講義型授業は今後も変わることがないでしょうから)三読授業であっても、真の力を身につける方法が一つだけあります。

 それはこれまでの説明と矛盾しているようですが、《予習をする》ことです。
 ただし《必ず一読法》で。

 大切なのは最初の読みから一言一句注意して、集中して読むことです。実際の予習は国語なら漢字の読みを調べる程度でさあっと読んでいる。他教科の予習も(やっていないか)ぼーっと読むだけ。これが問題だと指摘してきました。

 そこで家庭における予習は一言一句注意して全体を読み、疑問や「あれっ?」と感じたつぶやきを書き込んでおく。本来は部分で立ち止まってそこで調べたり、考えるのが一読法ですが、それは時間がかかります。家では読みつつ浮かんだ疑問とつぶやきを書き込むだけに留める。
 すると、教科書の余白や行間に[?]や[!][○][×]などが書き込まれ、傍線が引かれることになります。教科書を持ち帰りたくなかったら、学期の始めに一学期分を読んで記号を書き込んでおいても構いません。漢字の読みに関しても余裕がなければ調べなくていい。ただただ[?]をつけるだけ。

 これなら時間はかなり短縮されます。普通の通読と違うのは鉛筆を持っていることであり、手が動くことです。[?]をつけようと思いつつ読むだけでもかなり集中することになるし、そこに部分の二度読みが入るともっといい。この作業は文章を読みつつ[?]をつけると言うより、むしろ[?]を探して文章を読んでいるイメージです。

 そして、授業開始直前、本文に付けた[?]の部分を確認します。「ああ、ここに疑問符をつけたな」と。論説文の場合は作者の意見に反対で[×]をつけたところ、同意できて[○]をつけたところは重要部です。先生はそこをどう解説するか刮目して聞かねばなりません。いや、無理に刮目せずとも、興味関心が芽生えているから自然体で聞けるでしょう。

 国語(現代文)の三読授業は必ず通読からスタートします(先生は漢字の読みを教えてくれるので、ここでふりがなをつける)。この通読段階でひそかに《自分の疑問やつぶやきの答えを探す精読を始める》のです。もちろん鉛筆を握って(違いを表すためには赤鉛筆とかマーカーがいい)。「ここに疑問の答えがあった!」と思ったら、[!]をつけて傍線を引く。この程度なら通読の時間中でも作業が可能です。

 予習で[?]をつけ、部分の二度読みを行うだけでも、読みの理解度は四〇から五〇に上がっています。そして、授業の通読で「ここに答えがあった」とつぶやくことで理解度は六〇に上がる。さらに精読によって自分が気付かなかったところを先生が指摘してくれる。
 たとえば、小説なら先生は「前半のここは後半の伏線だ」とか、主人公や脇役の心理について深い解釈を教えてくれます。ある部分の表現が作者の生い立ちや人生観と関係しているという、作家論に通じる解釈が説明されることもあります。また、論説文なら「作者はこう主張しているが、違う見方もある」などと解説・補足してくれます。

 それを受けて「そうか、そういう解釈、別の見方もあるのか」と感心したり、新たに疑問・反論も湧く。そのときは先生に質問する……こうした活動によって理解度は一気に八〇から九〇に跳ね上がります。これは同時に三度目の読みである味読にもなって三読法そのものの実践活動です。
 帰宅したら、ノートにこの経緯を書き留めます。「私はこの部分についてこんな疑問を抱いた。先生は以下のような深い解釈を教えてくれた。私の読みが浅かったと思う」と記すか、逆に「まだ釈然としない。ほんとはこうではないのか」と疑問を書き留めるか。後者ならさらに先生に疑問をぶつけて議論する……。

 このような作業、先生との議論は「優等生でなきゃできない。自分にゃ無理」と思われるでしょうか。そんなことはありません。一読法を始めれば、一年でこれが可能になります。

 以前も書いたように、五歳の子どもは大人が喋る言葉に「それはどういう意味?」と繰り返し繰り返し尋ねます。そのエネルギーの源は「自分が知らないことを知りたい」という欲求です。
 一読法を始めると、「なぜ、どうして?」の疑問を書き込むようになります。それを調べたり、先生は自分が抱いた疑問に答えてくれるだろうかと、講義を集中して聞くようになる。答えてくれなければ、質問する。答えてくれても納得できなければ先生と議論する。
 こうした活動のエネルギーは《自分が抱いた疑問を解きたい》という欲求です。あなたはきっと目を輝かせて授業を受けるようになるでしょう。

 他教科も項目暗記タイプなら予習は[?]ばかりでいい。授業は[!]を書き込む作業中心となります。
 特に社会や理科などは授業の最初から講義という名の解説に入ることが多い。その中で自分の疑問や感想の答えをノートにも書いていきます。すると、先生の講義を受けて必ず新たな疑問や感想が生まれる。当然それを教科書に(新たな疑問とわかるよう)やはり赤ペンやマーカーで[?]をつける。余裕があればノートにも抜き書きする。
 最後に先生から「何か質問があるか」と聞かれれば、新たな疑問を質問する。時間がなければ、後で質問してもいいし、自宅で調べてもいい。そして、調べた結果や考えたこと、感想をノートに書く。
 この作業によってあなたの教科書は記号だらけになり、ノートは板書が丸写しされるだけのノートから、自分の疑問、その答え、考えたこと、感想などが書き込まれたノートに変わるでしょう。この活動がそのまま小論文の練習になることは言うまでもありません。

 だまされたと思って「一読法による予習」をやってみてください。1年で目の前が一気に開けたようなすっきり感、知識がずっしり残っている充足感、そして話す力・書く力が格段についたことを実感されると思います。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2019.07.01

宝塚記念、結果と前期実近一覧結果報告

 ちと遅くなりましたが、宝塚記念結果と回顧、それに前期の実近一覧結果報告です。

 その前に嬉しいお知らせ(^_^)。
 中央競馬のナナコこと藤田菜七子騎手(21)が6月30日、スウェーデンで開催された国際女性騎手招待競走「ウィメンジョッキーズワールドカップ」に出場(10名参加)。全5レースに騎乗して2勝2着1回、総合優勝の快挙を達成しました。彼女にとって海外初勝利でもあります。おめでとうございます。
 なんにせよ、日本人が世界のトップになるのは嬉しい限り。これをきっかけに彼女も国内レースでもっと活躍してほしいものです。今のところ特別や重賞に出てきても「真っ先に切れる穴人気馬」ですから(^_^;)。

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【 宝塚記念、結果とほぞ噛み 】

 宝塚記念結果は――◎5着では……の終戦(^_-)。

 1着―Dレーン 12リスグラシュー…………[○]C 単勝=5.4
 2着―川  田 01キ セ キ………………[△]B
 3着―デムーロ 11スワーヴリチャード……[○]E
 4着―北村 友 04アルアイン………………[△]D
 5着―ルメール 02レイデオロ………………[◎]A(一覧順位)
 前日馬順[D→A→F→C→B][B→C→B’→D]

 枠連=8-1=6.2 馬連=12-01=9.7 馬単=22.1
 3連複=12-01-11=27.2 3連単=145.6
 ワイド12=3.4 W13=7.6 W23=6.3
----------------
 本紙予想
 印番馬     名 性齢 馬 着
 ◎02レイデ オロ  牡5 B 5
 ○12リスグラシュー 牝5 D 1
 ○11スワーヴリチャ 牡5 F 3
 △01キ セ キ   牡5 A 2
 △04アル アイン  牡5 C 4
 △03エタリ オウ  牡4 E  9
 △07マ カ ヒ キ 牡6 G  11
 ・08ショウナンバッ 牡8 11  10
 ・09クリン チャー 牡5 H  8

************************
 【GI記念 実近一覧表】 阪神 芝22 16頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|齢|馬      名|予OZ{実近}人=[全芝]騎 手|格距TM3F印着
A=02|5|レイデ オロ | 1.9{AA}B=[7211]ルメル|◎▲◎ ◎5
B=01|5|キ セ キ  | 3.2{BB}A=[4344]川 田|▲ ○ ○2

C=12|5|リスグラシュ牝| 6.6{DE}D=[4843]レーン|▲△ ▲○1
D=04|5|アル アイン | 7.5{CF}C=[5326]北村友|○○▲ △4

E=11|5|スワーヴリチャ| 8.3{ED}F=[5324]デムロ|▲  ◎△3
F=07|6|マ カ ヒ キ|17.0{F09}G=[5227]岩田康|△  ○△11
G=03|4|エタリ オウ |23.2{HC}E=[1703]横山典|   ▲△9
H=06|5|スティッフェリ|29.9{G10}09=[7329]丸 山|

QA=09|5|クリン チャー|31.7{11G}H=[3127]三 浦| ◎  ・
QB=10|6|ノーブルマーズ|31.8{10H}10=[568-]高 倉| △
QC=08|8|ショウナンバッ|42.0{0911}11=[414-]吉田豊|   △・
QD=05|7|タツ ゴウゲキ|51.9{1212}12=[5129]秋 山|
             TM…タイム優秀 3F…上がり3F優秀
---------------------------
 成績補足
QB=10|6|ノーブルマーズ|31.8{10H}10=[568.15]高 倉|
QC=08|8|ショウナンバッ|42.0{0911}11=[414.39]吉田豊|
---------------------------
※年齢 4歳=1 5歳=7 6歳=2 7歳=1 8歳=1 頭
※牡牝 牡=11頭(セ=0頭) 牝=1頭 
※格
G1V=6頭
 A02レイデオロ[2203]17年ダービー・18年秋天 5
 B04アルアイン[2024]17年皐月賞・前走大阪杯 4
 C01キ セ キ[1213]17年菊花賞       2
 D11スワーヴリ[1133]18年大阪杯       3
 E12リスグラシ[1513]18年エリザベス杯    1
           (牡牝GIは[0111])
 F07マカ ヒキ[1107]16年ダービー

 参考上記6頭よりG2V-2勝以上
 A02レイデオロ[3勝]
 B11スワーヴリチャード[2勝] 3
 C07マカ ヒキ[2勝]

G2V=1頭(GIV除く)
 A09クリンチャー[1勝]18年京都記念(菊花賞2着あり)

 昨年1234着馬の馬番(今年の出走馬は馬名付加)
 1着=2枠04番今年アルアイン 2着=7枠13番今年なし
 3着=1枠02番今年レイデオロ 4着=5枠10番今年ノーブルマーズ
 昨年3着ノーブルマーズは今年10番、8着キセキは今年01番
--------------
 [枠連順位]
 枠連型=3巴[AB型] 枠順AB=7.2
 馬連型=3巴[AB型] 馬連AB=7.7

 枠連=ABC//DEF/GH  馬順[D→A→F→C→B]
 枠順=281//436/75
 馬順=BDA CEG H09
 代行= F 11 1012
 ―――――――――――――
 結果=5132 4       枠順[B→C→B’→D]

-----------------------------
 ○ 展開予想
※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し 追込
 01 04 06 10-05 11 09 02-12 03 07 08
覧○ ▲ ◎ △ 5
3F C E D B A
本△ △ ○ ◎ ○ △ △
結2 4 3 5 1

*****************************
 ※ 回  顧

 前期GI有終の美を飾りたかったけれど……◎ルメール02レイデオロ、もがいていました。特に4角で早くもルメールのムチ一閃。「これは厳しい」といやあな予感を覚えた……とおり、5番手のまま叩けど押せど伸びず5着。ふにゃ(-.-)。

 また、ひそかにウラ単勝買っていた(^_^;)6歳マカヒキは置いてかれたまま1着と2秒1差のブービー11着。「もう引退させたら」と思ったのは私だけでしょうか。

 勝ったのは唯一牝馬のDレーン12リスグラシュー。逃げた川田01キセキが2着に粘って馬連970円だから、本命決着と言えましょう。驚いたのは大外リスグラシューの番手戦法でした(この件は後述)。

 わたしの付けた印は上から5頭が1~5着。これは同時にGIV6頭中最下位と見なしたマカヒキを除く上位5頭でもありました。ところが、今までもよくあった上から順に◎○とするのではなく、5位から上に◎○▲としておけば、[1→3→2]着の完全的中でした。ほげ。

 馬場は土日とも芝良でしたが、土曜日に雨が降っており、内側は結構重かったようです。
 宝塚は過去3年稍重馬場でした。4年間の最速上がりを出した馬の着順・上がりタイムと勝ちタイムを列挙すると、
 19年1着・35.2=2108
 18年2着・35.3=2116
 17年1着・35.4=2114
 16年2着・36.1=2128

 今年良馬場上がり最速35.2は1着リスグラシューが出して勝ちタイムは2108。
 宝塚のレコードは2011年良2101で良2110を切ったのは過去3回目です。逃げたキセキの1000メートル通過は60.0で平均よりちょい遅いペースでしょうか。
 勝ちタイムは良馬場らしい好タイムだけれど、上がりはペースを勘案すると稍重並みです。やはり馬場はやや重かったと見るべきでしょう。

 そういうときは「逃げ先がいい」のデータ通り、逃げた01キセキが粘って2着、番手12リスグラシューが1着。そして、4角345番手の11スワーヴリチャード、04アルアイン、02レイデオロが345着。

 ところが、タイムは良馬場並みの優秀さ。上がりベスト3も123着が独占しており、中団から後方の馬は全く追い込めなかったことを示しています。
 しかも、1着リスグラシューの上がりがトップで、2着とはコンマ5差の楽勝。正直ここまで強かったかと思いました。ちなみに5歳馬が5着まで独占しました。

 それにしても、大外から番手先行して快勝したDレーン12リスグラシュー。
 私の展開図予想では9番手。馬自体もだいたい中団待機が多く、先行したことなどなかっただけに驚きました。

 レース後鞍上は「スタートが良かったので先行した」と語っていました。
 いやいや、大相撲の勝ち力士インタビューと同じ(^.^)。狙っていたのではと思います。ただ、ほんとは5、6番手の外あたりでしょうか。

 同馬が番手までいけたのは01キセキにスタートダッシュがなかったことと、他の人気薄馬で「それならオレが逃げよう」という馬(騎手)が現れなかったからでしょう。01キセキの鞍上川田はさかんにしごいてしごいてようやく先頭に立っていたほどです。
 その分リスグラシューは楽に番手(と言うかほぼ併走しての2番手)に立てたようです。

 川田騎手は最初からスローにする気なら、あそこまで押すことはなく、馬にその気がなかったからだと思います。ここで余分な力を使ったことが直線最後の粘り負けにつながったような気がします。

 これでキセキは大阪杯に続くGI連続2着。17年菊花賞V後GI・G2を9戦して[0324]と勝てません。特に昨秋秋天以降のGI5連戦は[0311]で馬連・3複軸にとどまっています。何かが必要かもしれません。

 予想結果は◎レイデオロとしたら、後は8枠両馬、大阪杯1、2着で逃げと番手の01・04がいわば▲。無理スジくさい03・07△と思っての順位付けでした。
 以下のように上位5頭で掲示板だから、順位付けは間違っていなかった。ただ、◎をつける馬が間違えた……ようです。

 レイデオロは成績的には抜けていたのに勝ち負けになれないのだから、競馬は数字が走るわけではないということをかみしめています。同馬の敗因はやはりドバイ帰りでしょうか。ただ、同じドバイ帰りでも11スワーヴリチャードは3着です。
 今後の教訓としては「海外帰りの成績優秀馬は危険、◎にしてもウラ●構築せよ」でしょう。

  印番馬     名 性齢 馬 着
 ◎02レイデ オロ  牡5 B 5
 ○12リスグラシュー 牝5 D 1
 ○11スワーヴリチャ 牡5 F 3
 △01キ セ キ   牡5 A 2
 △04アル アイン  牡5 C 4
 △03エタリ オウ  牡4 E  9
 △07マ カ ヒ キ 牡6 G  11

 3複[12→01→11]の払い戻しは27倍あったので、「これは買っておくべきだったか」と若干のほぞがありました。
 枠連順位は以下のようになっており、枠ABCの3つ巴。

 枠連=ABC//DEF/GH 
 枠順=281//436/75
 馬順=BDA CEG H09
 代行= F 11 1012
 ―――――――――――――
 結果=5132 4

 オッズ分析から「本命ならば当然枠のABC(すなわち01キセキ、02レイデオロ、11スワーヴリチャード、12リスグラシュー)で決まる」と書いた通り枠連は[B→C→B’]決着でした。
 ABC枠の馬順最低人気はFの11スワーヴリチャード。3複4頭ボックス4枚を買うか、最低人気Fから3頭に流す3複3枚を「買っておく手はあったなあ」と思ったことです。

 最後に実近一覧4年の結果。
 今年は上位5頭で決まりましたが、どうしてもトップAを重視するので、なかなか取りづらい馬券でした。

【宝塚記念、過去3年の実近一覧結果】

  2019 |2018 2017 2016 |2019年
年=人|着|人|着|人|着|人|着|番馬名(トップ4頭とH8番人気まで)
A=B|5|B|8|A|9|A|2|02レイデオロ    5
B=A|2|A|6|C|3|C|16|01キ セ キ    2
C=D|1|10| |B| |E| |12リスグラシュー牝 1
D=C|4|C| |D|4|B|3|04アルアイン    4

E=F|3|11| |E|1|D|4|11スワーヴリチャー 3
F=G| |09| |F|2|G|1|07マカヒキ
G=E| |E| |H|5|F|5|03エタリオウ
H=09| |H|5|G| | | |

QA=H| |F|2| | |H| |09クリンチャー
QB=10| |D|4| | | | |
QC=11| | | |09| |10| |
QD=12| |12|3|×| | | |

QE=×| |G|1|×| | | |
QF=×| | | |×| | | |
QG=×| | | |×| |09| |
QH=×| | | |×| | | |
QI=×| |×| |×| | | |
QJ=×| |×| |×| |×| |
  12   16  11  17          
    ※注「人気」は前日馬連順位

 以上、宝塚記念回顧でした。

*******************************

 さて、これをもって2019年前期GI終了。
 いつものように、前期一覧トップABCの結果を掲載します。
 1234着の実近順位、[馬連人気]を対応させ、最後に枠順結果(3着まで)をつけました。

 【前期一覧ABC結果】(1→2→3→4着)

・レース名=A B C=実近順位   [馬連人気]   枠順
1フェブS=2 × ×=H→A→QA→D[2→1→7→4]B→A→G 
2高松 宮=× × ×=G→QD→QI→A[5→14→17→1]D→D’→B’
3大阪 杯=× 2 3=E→B→C→QC[9→2→3→10]F→D→B
4桜花 賞=× 3 ×=F→QC→B→A[2→5→3→1]B→D→C
5皐月 賞=× 1 3=B→E→C→A[1→4→3→2]A→D→B
6天皇賞春=× 1 ×=B→G→D→C[1→5→8→2]B→F→C’
7NHKM=1 × ×=A→QC→QD→D[2→6→3→1]B→B’→G’
8ヴィクM=× × ×=D→QE→QF→B[7→3→11→2]E→C→E’
9オークス=3 × ×=E→G→A→H[2→12→1→4]D→H→C
10ダービー=× 2 ×=F→B→D→A[8→3→2→1]G→C→B
11安田記念=3 × 1=C→E→A→QD[4→3→1→13]E→D→A
12宝塚記念=× 2 1=C→B→E→D[4→1→6→3]B→C→B’

 ちなみに、今季は5月以降結構健闘して印だけで言うと、7NHKマイルが[○→●]の馬連・馬単万シュー的中。8ヴィクトリアマイルがウラ●2着。10ダービーが[●→○→▲]の単勝・馬連・3複万シュー的中とがんばっていました(^_^;)。

 トップABCの結果はいずれかが1着5回、2着4回(いずれか1または2着は9回)いずれか123着は10回。ABC全て着外だったのは2回。
 つまり、ABC3頭のいずれかが馬連軸になったのは8(/12)レース。
 この8頭は当然3複軸になります。やはり馬連の軸は全馬を検討するより、一覧ABC3頭より選ぶのが懸命と言えそうです。いずれか3着内の3複軸は10回。今季は10/12=83パーセントでした。

 今期より過去3年の一覧結果を検討して過去の傾向を探りました。
 その際[ABCD]、[EFGH]と4頭ずつ上下に分けてみると、馬連で上から1頭下から1頭の傾向があることに気がつきました。
 そこで、前期[EFGH]の1頭が絡んだレースをピックアップしてみると、(=の後の数字は着)
 【 各レースにおける[EFGH]の連絡み 】

 1[H=1]、    2[G=1]
 3[E=1]、    4[F=1]
 5[E=2]、    6[G=2]5
 7[×]、      8[×]
 9[E=1・G=2]、10[F=1]
 11[E=2]、    12[E=3]

 ちょっと驚きの結果が出ています。なんと絡んだ計11頭中3着は1頭だけ。残り10頭は1着か2着。
 1頭だけ絡んだ順位Hを除いて一覧[EFG]馬3頭の連絡みを見ると、1着が6頭、2着が4頭です。一覧トップのABCからは1着5頭、2着4頭ですが、3着が5頭出ています。同じ3頭を検討するなら、一覧ABCよりEFGを検討した方が「馬連・馬単軸にできる」と言えそうです。

 ABC3頭の馬連ボックスは「あまり成立しないから買わない方がいい」と書いたとおり、今期も成立は宝塚記念の1回のみ。EFG3頭の馬連ボックス3枚も9オークスのみの的中だから、買わなくていいと言えそうです。
 ただ、今年のオークスは一覧[E→G]で馬順[2→12]と大万馬券でした。ビミョーです(^_^;)。

 また、[EFG3頭より1頭]軸の選定に成功すれば、相手としてトップABC3頭を選ぶと、5レースで馬連・馬単の的中です。
 EFG3頭のいずれかが連絡みしたのは計10レースで11頭。馬順人気と対応させてみると、1番人気1頭、2番人気3頭、3番人気1頭、4番人気1頭。そして5~9番人気が計5頭、フタケタ12番人気1頭でした。EFG馬が1、2番人気になったら、強力な軸候補と言えるかも知れません。

 一覧は9番手以降を[QA、QB…]と順付けしています。この9番手以降が4着内に入ったのは計10頭で5レース。うち3着内に入ったのは8頭。
 8頭の馬順人気は[7・14・17・5・6・3・3・11]でした。フタケタ人気に流すのはなかなか難しいところですが、7番人気以内に入ったら(つまり、実力下位だけれど、何か買える要素があって中位から上位人気に上昇)、流しておく手はあります。特に3着に4頭が入っているので、3連3着候補として「あと数枚」流しておくのがお勧めでしょうか。

 果たしてこの傾向は今後も続くのか。
 後期はこの観点で馬券を組んでみようかと思います。
 しめしめ、いいこと気付いたぞお……(^.^)。

 以上です。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:秋GI開幕は9月29日(日)です。それまでしばしのお別れ。
 日本はもはや亜熱帯気候になったようで、梅雨なのにスコールのような豪雨、台風は巨大化して災害列島と化しています。お互い「命を守る行動」を取りたいものです。

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