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2020.02.26

別稿『一読法を学べ――学校では国語の力がつかない』第29号「一読法からの提言」その三 (1)

  今号は「成績つけるのやめませんか」について詳しく語る予定でした。
 が、前段階として「小中高ではどうやって成績をつけているか少し説明しておこう」と書き始めたら、(またも)長くなってしまいました。
 と言うのはこの件でネット検索したとき、たまたま小学校の子どもを持つ保護者の疑問にヒットしました。現在小学校の成績はABC(◎○△)の3段階絶対評価です(失礼ながら、まるで競馬の予想紙みたい)。
 小中は2002年に相対評価から絶対評価に変わりました。その人は「絶対評価と言いながら、テストで90点取れたのに、なぜAではなくBなんだ」と不満を述べていました。これは5段階の中学校でも起こりえる疑問です。「90点取ったのに、なぜ4なんだ」と。
 これらの疑問に答える気持ちも込めて今節は小中高の成績付けと、相対評価、絶対評価のもろもろを語り、提言は解説後に回したいと思います。
 なお、単独号としたので小見出しをつけました。また、ぼーっと通読を防ぐため、途中に「作者注……」を挿入しています。立ち止まって部分の再読をやったり、しみじみ考えてください。

 [今  号]
 一読法からの提言 その三 「小中高の成績評価について」
 [ 1★ ] 相対評価から絶対評価の流れ
 [ 2★ ] 五段階絶対評価と三段階絶対評価
 [ 3★ ] 疑問は筆記テストの三段階評価
 以下次号(長くなったので、明日配信します)
 [ 4★ ] 高校の成績――絶対的相対評価

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 一読法からの提言 その三

 小中高の成績評価について

[1] 相対評価から絶対評価の流れ

 前置きに書いたように、小学校・中学校の成績評価は2002年に相対評価から絶対評価に変わりました。嚆矢世代は2020年現在、17~18歳ですから、児童生徒の親御さんや孫を持つ世代はみな相対評価の体験者でしょう。中学校の5段階評価は(表向き)変化がないので、疑問や不満はさほど出ていないようです。しかし、小学校の3段階評価はかなり異和感が吐露されています。

 まず相対評価について復習しておくと、私の学校時代、中学校の成績は(生徒が100人なら)「5は7人、4は24人、3は38人、2は24人」と比率が決められ、1も《7人》出さねばなりませんでした。もちろん全国どこの中学校でも同じです。

 相対評価の理不尽と愚劣さについて多くを語る気持ちはありません。
 簡単に言えば、クラス45人として国社数理英五教科の試験で平均85点を取った。もちろん予習復習はしっかりやり、宿題は必ず提出し、授業中の態度は申し分なく、ノートは板書事項をきっちり写している(それくらいでないと、平均85は取れません)。なのに、クラスに平均90を超える生徒が2~3人いれば、「5」の評定はつかず、永遠に「4」のまま……それが相対評価です。
 極端なことを言うと、94を取っても、生徒100人中申し分ない95が7人いれば、やはり評定は「4」。

 余談ながら、競馬には3歳GI 「皐月賞・ダービー・菊花賞」があり、全て勝つと三冠馬と呼ばれ、名馬として長く競馬ファンの記憶に残ります。
 しかし、そのレースで同タイムハナ差の2着だった馬を覚えている人はまずいません。3戦連続2着だったとしても。
 三冠馬は10年に一度くらいしか出現しないので、2着だった馬の馬主や調教師は「他の年に生まれていれば、自分の馬が三冠馬だったかもしれない」と運命を呪いたくなるでしょう。

 競馬はそれですみます。馬自身はGIを勝ってもニンジンが増えるくらいだから、何も感じないと思います。しかし、人間の中学校ではたまたまクラスや学年によくできる子が何人もいれば、(自分もよくできているのに)評定は「4」のままです。この生徒は「4」に満足できなければ、「自分はダメな人間だ」と劣等感を抱き続けるかもしれません。
(作者注……「なんで教育論に競馬の例なんか出すんだ。不謹慎な」と思われた方、もう一度前の段落を読み直してください。意味なく競馬の例を出してはいません)

 また、五段階相対評価には「必ず《1》を付ける」逆の問題もありました。
 たとえば、五教科平均40点を取っている(その他もきっちりこなしている)けれど、クラスの順位がブービー、ブービーメーカーだと必ず最低点の「1」がつけられました。
 当時高校入試には「内申」と呼ばれる受験生の調査書が学校単位で持参されました。学校単位であるわけは全教科の「五段階分類表」が同封されているからです。「本校卒業生は100名。うち5は7名、4は24名……1は7名」と評定別人数(度数分布)が書かれています。もちろん学年200名なら、この倍になります。「法律で決められたとおりやっていますよ」という確認書みたいなものです。

 これ過疎地の小さな中学校でも全く同じ配分です。「卒業生は30名。うち国語の5は2名、4は6名……1は2名。数学は、英語は……」となっています。
 考えてみてください。学年1クラスで30名なら、先生の指導が一人一人に行き渡るから、評定1がつくとは思えません。なのに、制度として決められているから、中学校は必ず(5も付けるけれど)誰かに「1」を付けなければならなかった(私にはわかりませんが、少人数の場合は例外として「1」を付けなかったかもしれません)。

 ある時期中学校は校内暴力など大きく荒れました。理由の一つに五段階相対評価があったことは間違いないと思います。1年の最初に「1」がいくつも並び、「もっとがんばれ」と言われて、テストの点数を上げた。だが、2学期も「1」、3学期(学年末)も「1」。2年になっても「1」が並ぶ。
 五段階の評定平均4.5とは「4」と「5」が半分ずつの優等生ですが、平均1.5とは「1」が半分「2」が半分であり、劣等生の烙印を押されたようなものです。
 その子の気持ちがすさび、学校は面白くないところであり、勉強なんぞする気もなくなり、ゲームセンターに出入りして暴走族の一員となり、たまに授業に出れば雑談をして授業を妨害し、先生に反抗する……そのような子どもになっても不思議ではありません。

 そして、中学校の先生にとってこのような生徒はありがたい存在だったことでしょう(皮肉でも反面教師でもなく)。
 なぜなら、欠席は多い、授業態度は悪い、テストは限りなく0点に近いこの子に「1」を付けることは何の痛痒――痛みもかゆみも感じません。

 彼もしくは彼女のおかげで、真面目に出席している、授業態度もとてもいい、掃除もよくやってくれる、だが、テストだけは30点くらいしか取れない子に、「1」を付けなくて済むからです。
 もちろん中学校の先生が学校不適応の生徒を矯正しようとがんばっていらしたこと、それは間違いないと思います。がしかし、問題児が「心を入れ替えて勉強しよう」と思っても、通知票はしばらく「1」が続く……それが相対評価でした。

 この制度が戦後半世紀以上も続きました。戦前ならいざ知らず、この件に関して生徒も保護者も暴動を起こさなかったのは不思議なことです。日本人とはなんと優しく従順な国民なのでしょうか(私を含めて)。
 教員も同様ですが、「相対評価はやめよう。絶対評価にしよう」とは言い続けていました。
 読者各位は「そんな実状は知らなかった。知っていれば声をあげたのに」とおっしゃるかもしれません。確かに我々は生徒であるとき、知りようもない成績評価の仕組みでした。先生は教えてくれなかったし、多くの人も知らなかったようです。

 ただ、なぜ「相対評価をやめるべき」の声が増えなかったのか、思い当たる節はあります。
 一つにはこの制度は法律に基づいており、法律を変えるのは国会議員です。だが、国会議員の方々は(かつて小学校卒業の総理大臣がいらっしゃいましたが)基本みな高学歴の優秀な人ばかり。中学校時代「1」をもらったことはなく、「1」をたくさん付けられた子どもの気持ちなど、忖度することもなかったでしょう。現場の先生が「相対評価はひどい制度です」と訴えても、(特に与党議員は)聞く耳持ちませんでした。

 同様に多くの生徒と保護者も、「なぜ5じゃなく4なんだ。4じゃなく3なんだ」と叫ぶことはあっても、「1」ばかりの子どもの気持ちを思いやることはない。ほとんどの児童生徒は五段階の平均3以上、2以上であり、「1」がずらりと並び、たまに「2」があるような生徒は一握りです。
 勉強をしない(できない)生徒自身はそれを当然だと思う。そして、親御さんも「うちの子は勉強ができない。親の言うことは聞かず、外で遊んでばかりだから、『1』が並ぶのも仕方ない」と思う。
 これでは「相対評価は劣悪な制度だ、やめよう」との声が大きくなるはずはありません。

 それがとうとう変えられたのはおそらく「情報開示」ゆえでしょう。
 学校はどのような教育をしているか、どのように成績をつけているか。また、高校入試の内申と入学試験の比率など多くの情報が開示され、受験生が希望すれば、採点後の試験用紙を見ることができるようになりました。今から三十年ほど前のことです。

 最後の件は高校入試の現場にものすごいプレッシャーとなったことを覚えています。生徒に採点ミスを発見されたら、合否が変わるかもしれない。大げさに言えば、校長の首がすっ飛び、教育長は土下座して謝罪する、大変な事態だからです。
 それまで入試の採点は全員一室に集まって(ミスがないよう三度採点をやり直すけれど)お茶菓子飲み食いしながらの風景でした。ところが、入学試験の開示決定後はのんびり気分など吹き飛び、ぴりぴりした採点に変わったものです。
 このように情報開示の結果、相対評価の劣悪さが暴露され、「絶対評価にすべきだ」との声が高まったのではないかと思います。

 なんにせよ、戦後半世紀を越えた2002年、ようやく小学校・中学校は相対評価から絶対評価に変わりました。ところが、三十代以上の親御さん、祖父母世代は相対評価で学校をすり抜けてきたので、わが子、わが孫の通知票を見て新たな疑問や不満を抱えているようです。次にこちらの現状を語ってみたいと思います。


[2] 五段階絶対評価と三段階絶対評価

 この絶対評価、五段階の中学校の場合、最も単純にはテストの成績、授業態度、提出物など「文句なし」なら「5」、その下なら「4」、平均前後なら「3」、その下で「もっとがんばれ」なら「2」。絶対評価となったからか、「1」はよほどのことがなければ付けないと聞いたことがあります。
 よって、テストの平均点85なら、90以上が何人いようと「5」になるし、40で「1」はない。最低でも「2」がつくでしょう。100点を20点刻みに五等分して上から順に54321と付けることは納得しやすいところです。

 ちなみに、文科省では絶対評価とは「目標に準拠した評価であり、学習指導要領に示す目標がどの程度実現したか、その実現状況を見る」と定義しています。また、「個人内評価」(児童生徒ごとのよい点や可能性、進歩の状況などを積極的に評価する)とも説明しています。

 これを私なりに解釈してみると、児童生徒には学年毎・教科毎に目標が定められている。その目標に「完全に到達していれば5。充分達しているが、まだ完璧じゃないなら4。まずまず達しているなら3。まだまだ達していないぞ、もっとがんばろうなら2。全く到達していないから1」といった感じでしょうか。
 これなら成績評価は他の生徒とは関係ない、あくまで児童生徒個人の目標と、目標にどれだけ近いか、離れているかを評価している、ということができます。中学校ではそれを五段階に分けたと。

 ところが、小学校は同じ絶対評価でも、五段階ではなく三段階に分けました。A・B・Cの絶対評価であり、項目別に[◎・○・△]と付けられ、「よくできる」・「できる」・「努力しよう(もう少し)」といった意味合いになるようです。
 また、一教科全体の評定だけでなく、観点別のABCも付け加えられるようになりました。これがわかりづらいので、「絶対評価だからテストで90点取ったら、Aになって当然のはず。どうしてBなのか」といった疑問・不満が出るようです。
 何事もABCの三段階に分ければ「B」は「普通」と思える。90点で「フツーはないだろう」と言いたくなります。

 もしもそれを担任の先生に問い合わせれば、「確かにテストは90点でした。でも、他の提出物、普段の授業態度、積極的に発言するなど、観点別評価がイマイチだったので、Aになりませんでした」と答えるのではないかと思います(イマイチの言葉は使わないでしょうが)。校長、教育委員会、もっと上の文科省に問い合わせても、同じような回答があるはずです。
 結局、保護者も児童生徒も釈然としない思いを抱きつつ、黙るしかない……。

 この保護者の疑問は絶対評価になっても続く成績評価の難しさと、「納得できない感」を表していると思います。もっともっと大きな声で「おかしい」と言うべきでしょう。ここでも現場の声に耳を傾けないお偉方の優秀さが透けて見えます(これは皮肉です)。
 90点を取ってもAになれない子どもは劣等感を抱え、100点を目指そうとするかもしれません。先生に言いたいこと(異論・反論)があっても、「先生の機嫌を損ねてはいけない。黙って良い子でいよう」と思うかもしれません。
 先生は、学校は、制度を作った方々は、一人一人の気持ちを大切にしなければならない。そして、不断に制度を微調整すべきだ、と私は思います。

 ところが、(矛盾したことを言うようですが)学校や担任にとって児童が90点を取っても、「A」にし辛い別の理由もあります。
 一つには成績評価が集団を相手にする自然現象ゆえであり、もう一つは絶対評価制度に「観点別評価」という特質を持たせたからです。

 たとえば、絶対評価なら、小学校のあるクラスは児童全員「A」とか、中学校のある教科は生徒全員「5」になっても良さそうです。が、そうなっていないと思います。
 絶対評価と言いつつ、全員が「5」や[A]になったり、逆に「3」以上が一人もいない「2」ばかりとか、全員[C]になることもまずないでしょう。

 なぜかと言うと、それが自然では起こらない現象だからです。
 ランダムに集められた100人の集団に、何らかの課題(これが児童にとっての目標となる)が与えられたとき、集団を達成度によって区分けすれば、いわゆる正規分布曲線を描きます。中央付近の人数が多く、両端が少ない山形のあれ。点数化してABCの三段階に分けるなら、自然現象としてはBが最も多く、両端のAとCが少なくなります。よって、通常全員のAはなく、全員のCもない。

 たとえば、ある課題について集団の一人一人が「できるか、できないか」で分けてみます。実技科目の体育が最もわかりやすいでしょう。
 跳び箱を跳べるか跳べないか。鉄棒の逆上がりができるかできないか。
 この課題に対して最初から全員できたり、全員できなかったりすることはまずない。すぐにできる子がいれば、何度か練習してできるようになったり、最後までできない子もいる。すなわち、「できる」群と「できない」群に分かれます。

 そして、「できる」群をさらに二つに分ければ、その課題を「上手にできる」A群。一応できるけれど、すごくうまくできるわけではない「普通」のB群。または、自力でできるA群と、自力ではできず何か補助があれば「できる」B群に分かれるでしょう。

 たとえば、ある学年で「跳び箱5段を跳べるようになろう」という目標(課題)が設定される。練習の結果5段を跳べるA群。5段4段は跳べないけれど3段なら跳べるB群。1、2段しか跳べないか、全く跳べないC群。
 鉄棒の逆上がりなら、自力で軽々とできるA群。自力ではできないけれど、補助用具を使えばできるB群。この場合前者は「よくできる」と評価でき、後者は「できる」にとどまる。最後に補助具を使っても逆上がりができないC群……。
 補助具とは跳び箱の場合、前に弾力のある踏み台を置く。逆上がりでは鉄棒の先に置かれる斜めの板です。それに足を乗せて身体を持ち上げます。確かに補助具があれば課題はクリアしやすくなります。

 余談ながら、私が子どもの頃も逆上がりは体育の課題でした。私は高い鉄棒によじ登って仲間と猫飛び(飛行機飛び)の距離を競うくらいだったから、逆上がりなど楽勝でした。しかし、太った子とか女子など全くできない子も結構いました。先生から「このようにやればできるようになるぞ」と指導された記憶がなく、補助具なんぞ一つもありませんでした。
 近年小学校の鉄棒のそばに板製の補助具があるのを発見して、最初「なんだ、これは?」と思いました。試して逆上がり用補助具だと気づき、「ああ、昔もこんなのがあれば、できないと悩む子は減っただろうに」とつぶやいたものです。

 このようにランダムな集団はある課題に対して3段階の「できる・普通・できない」に分かれるから、ABCの3段階評価は説得力があり、充分児童の現状を評価できていると言えます。この言葉を「君はフツーだね」とか「できないね」と言うのはかわいそうだから、「よくできる・できる・努力しよう(もう少し)」に置き換えたと見ることができます。

 別の例として音楽の歌なら、「かなりうまい・普通程度・これは下手だ」と三段階評価ができる。ピアノなら小学校六年で「トルコ行進曲」を弾ければ「ものすごくうまいからA」と思うし、「猫踏んじゃった」なら「できるな、Bだ」と思い、全く弾けなければ「C」ですが、このCは「できなくて当然」のCでしょう。なぜなら、児童全員ピアノが弾けるよう要求されていないからです。
 リコーダーなら全員に課され、練習するので評価の対象となり、Cは「うまく吹けない・下手」だから「努力しよう」となります。
 美術の絵も完成した作品を見れば「うまい・普通・下手だ」とわかる。つまり、実技科目はABC(中学校なら5段階)の絶対評価をつけられても納得しやすいと思います。


[3] 疑問は筆記テストの三段階評価

 三段階評価でわかりづらいのは国語・社会・算数・理科・(英語)など筆記テスト中心の絶対評価でしょう。
 たとえば、国語の朗読なら「すらすら読める・つっかえつっかえ読む・うまく読めない」や理科の実験など実技的項目もあるけれど、五教科の基本はやはりテストでしょう。
 小テストからある範囲のテストなど、とにかくそれらをこなし(100点満点に換算して)平均80点以上なら「よくできる」、60点以上なら「できる」、59点未満なら「もっと努力しよう」と評価されると……この分け方は「大ざっぱすぎる」と感じるはずです。
 人によってはAの「よくできる」は90点以上だろう、B「できる」が70点以上で、50点以上は「普通」とすべきだ。50点取れなければ、「もっと努力しよう」と言える。よって「C」は「普通」の意味として、D「もっと努力しよう」を新設し、「ABCDの四段階評価にすべきだ」と言いたくなるかもしれません。

 私の個人的憶測ですが、小学校でABCの3段階になったのは大学の成績評価「優・良・可・不可」(戦前の「甲・乙・丙・丁」も四段階)から取ったのではないか、と推理しています。
 大学ではテストもレポートも合格点は60点以上です。80点を超えれば「優」、70~79点は「良」、60~69点が「可」と決まっており、59点以下だと「不可」になって単位をもらえません(戦前の甲乙丙丁も「丁」は落第を意味する)。もちろん絶対評価です。

 大学では不可の科目がいくつかあっても進級・卒業できるけれど、最低限履修しなければならない科目や総単位数が決められているから、達しないと卒業できません(在籍は最大8年まで)。
 すなわち、60点未満は不可であり、それは「評価されない、評価に値しない」点数であり、成績なのです。大学では(記憶違いかもしれませんが)不可の科目は空白になったような気がします。つまり、優良可をABCとするなら、不可を意味するDは成績表に書き込まれない、と言うことができます。

 先程三段階に分けた小学校の成績においてC群は「できない」にあたると書きました。本当は「できない」なら、その評価は優良可の「可」にあたる「C」ではなく「不可」にあたる「D」と評価するのが自然でしょう。補助具を使っても、跳び箱や逆上がりができなければ、絶対評価は「D」となるべきです。
(作者注……この「なるべき」は私の主張としての「べき」ではなく、「理屈を押し通せば、不可のDになるはず」という意味です)。

 しかし、大学生ならいざ知らず、さすがに「いたいけな子どもに『不可』をつけるのは忍びない。あるいは、制度上『D』を付けたからと言って落第(留年)させるわけではない。何があろうと児童・生徒は全員進級し、卒業する。ならば「4段階にする必要はない。3段階に留めておこう」とお偉方は考えたのではないでしょうか。

 よって、小学校の評価「C」には普通にできるCと、全くできないDが含まれている――そう理解できます。体育全体の評定は観点別の評価を合算・合体したものとなります。たとえば、観点項目4つとしてどれか一つにCがある場合、そのCには「全くできない」Dが入っているかもしれない。そうなると、他の3項目が全てAであっても、全体としてAの評定になるのは難しいと思います。

 これも私の推測ですが、小学校の先生は3段階ではなく、まず4段階、5段階で予備の成績をつけているかもしれません。ABCDEです。
 ものすごくよくできる「A」から全くできない「E」まで。それを三段階に置き換えているのではないかと。

 先程の体育を例にすれば、跳び箱5段を目標としても7段まで跳べる子どもがいます。あるいは、逆上がりどころか、まさかの大車輪ができる子どももいる。その子は当然「ものすごくよくできる」から(五段階なら)「5」でしょう。
 次に跳び箱6段が跳べて逆上がりだけでなく鉄棒の上をぐるぐる回転できる子は「よくできる」から「4」。すると、跳び箱5段を跳べる(6段は跳べない)子どもは「普通」だから「3」です。そして、1、2段しか跳べなければ、あるいは、補助具を使わなければ逆上がりができない子は「2」。補助具を使っても全く跳べない子、逆上がりができない子は「1 」と評価できます。

 最終的にこの5段階評価をABCに区分けする。「2・1」は当然最低の「C」となる。ものすごくよくできる「5」評価も当然最高の「A」で文句なし。普通と評価された「3」がAになることはなく、Cになることもないので、評定は真ん中の「B」。

 問題は「4」の評価をどうするか。五段階の「4」を最低の「C」に落とす理由はないから、まず「B」が確定。問題は「A」に上げるか、それとも「B」のままか。これは五段階でも悩むところです。「4」を「5」に上げるか、それとも「4」のままとするか。
 相対評価のときはある意味悩むことはありません。「5」が規定の人数に達していたら「4」のまま。規定の人数に達していなかったら、「5」に上げていたでしょう。

 ここで絶対評価の場合、担任にある心理が働くような気がします。それは5段階予備評価でものすごくよくできる「5」の子がたくさんいる場合と、「5」が一人もいない場合です。
 先に後者から見ると、「5」が一人もいなければ、評定「A」をつけやすい。逆に「5」がたくさんいると「Aにしてもいいんだが、今回はBだな」と思って最終的にB評定にする(可能性が高い)と思います。

 一方、6段を跳べた児童や保護者から見ると、「跳び箱で5段どころか6段も跳べたのに、なぜAではなくBなのか」との疑問が生まれます。しかし、担任にとっては「7段を跳べる子が10人もいれば、6段を跳べる程度ではBにせざるを得ない」と思うでしょう。
(作者注……この具体例、ぼんやり読んではいけません。一読法なら「何か妙だぞ」とつぶやいてしかるべきところです。部分の再読をやってください)

 また、別の要素も加味されます。それが「観点別評価」です。文科省はこれについて「関心・意欲・態度」、「思考・判断・表現」、「技能」、「知識・理解」など四つ~五つの観点と説明しています。

 私なりの理解では、この観点別評価があるから、知識・理解は必要だけれど、「単に筆記試験の結果が良いだけではAが付きませんよ」と言わんとしているように思えます。
 児童生徒が意欲をもって授業を受けているか、しっかり考え、判断しているか、自分の考えを表現できているか等々、筆記試験以外の日常活動も評価して成績を付けているというわけです。

 いや、むしろこちらの方が成績評価に締める割合は大きいかもしれません。筆記試験とは詰まるところ「知識・理解」である。どれだけ知ったか、理解したか。それを自分のものとして定着できたか。それは四つの観点なら、全体の4分の1です。他の三観点は4分の3として成績付けがなされている(ようです)。

 では、他の三観点とは具体的にどのような実態であり、どのように評価されているのか。これも私なりの観察と理解から推理してみます。
 近年小学校の授業風景をよくテレビで見かけます。実家近くの小学校もケーブルテレビで紹介されており、わかりやすいので体育実技を取り上げます。

 体育など私の子ども時代と最大の違いは、子どもたちがタブレットを持って授業をやっていることです。跳び箱なら、お互いタブレットを使って跳ぶ様子(跳べない様子)を撮影している。そして、オリンピック級の体操選手がやっている模範演技と比較しながら、「ここが良くないね」とか、「こうした方がいいよ」とアドバイスし合っている。私にとっては驚きの、かつ羨ましさを覚える授業風景です。

 この様子が観点別評価として成績付けに組み込まれているようです。
 昔だったら、跳び箱ならABCの3段階に分けたとしても、「跳べるか跳べないか。上手か普通か」が評価されていた。ある意味それで終わりだった。
 だが、現在ではそれは「技能」面の評価である。むしろ「技能という一観点の評価に過ぎない」と言うべきでしょう。

 先程国社算数など筆記テストで100点を取っても、それは「知識」という一観点の評価でしかないのと同じです。体育の場合も跳び箱五段を跳べることが目標とされ、それができたとしても、評価は「技能」面の満点を意味するだけ。すなわち、100点中25点。さすがに体育だから、技能面が重視されるとしても、果たして全体の2分の1になるかどうか。目標をクリアしても、その評価は100分の25~30(?)点くらいです。

 観点別評価とは児童が設定された目標にどのようにして到達したか。到達しなかったとしても、どの程度真面目に取り組んだか、努力したか――「意欲・積極性」なども「一観点」として「技能」と同じレベルで評価されている。ここでも「単に跳び箱を跳べるだけじゃダメだよ」と言っている(ように思えます)。

 たとえば、かたやタブレットを見ながら積極的に発言し、他の児童をリードしている子どもがいれば、かたやそれを聞いてうなずいているだけの子もいる。平べったく言えば、できる子ができない子に「こうすればできるようになるよ」と教えているように見える。これ自体別に悪いことではなく、むしろ良いことだと思います。

 そして、この様子が観点別評価としてABCが付けられる(のでしょう)。
 他の児童をリードしている子は「意欲・積極性・表現力」が高い。ただ聞いているだけの子はその点低い(ように見える)。
 ある二人が五段階ならどちらも「4」で、5に上げるか、4のままか――AにするかBのままか悩んだとき、もしも一人が積極的に他をリードする児童なら評定を「A」にあげ、もう一人は積極性に欠けると見えるので、評定「B」のままとなる。

 さらに、このような男の子もいると思います。彼は他の子がアドバイスをしてくれているのに、「うるさいなあ。オレは自分のやりたいようにやるよ」と言って反抗的な態度を見せている。すると、担任は「あの子は態度が悪い。協調性に欠けるからCだな」と評価する……。
 私が見る限り、テレビの中の小学生で反抗的・非協調的な子どもはいない。みんな「とても良い子」に見えます。
(作者注……これは皮肉です)

 要するに、保護者が3段階評価として見ている通知票の「A」にはものすごくよくできる「5」と、よくできる「4」が混じっている。そして、「B」にはよくできる「4」と、普通の「3」が混じっている。最後に「C」には普通の「3」と、普通よりちょっと下の「2」と、かなりできないか、全くできない「1」が混じっている。
 しかし、それは所詮知識面、技能面の評価でしかない。他の三観点――自ら考え活動しているか、積極的か意欲的か等々もAでないと、教科全体としてAは付かない。

 これは昔の相対評価体験者、筆記試験で九十点、八十点以上であったり、実技科目が得意だった人――結果小中で「5」が多かった親御さん、祖父母にとって「理解しがたい」成績評価かもしれません。
 しかも、5段階ではなく3段階になった結果、「C」に5段階の「3・2・1」が入ってしまいました。5段階なら「2」は普通以下だから、「努力して3にしよう」と言いやすい。次の学期に「3」がついたら、「努力したから3になったね」と誉めることができる。

 ところが、3段階評価では児童や保護者の気持ちとしてテストを50点から70点にした、鉄棒で逆上がりができるようになったとしても、評価はCからC、BからBで変化がない……という悲しい通知票を見る羽目になりそうです。もちろん観点別評価では「C→B」、「B→A」があるかもしれません。だが、総合評価は「C→C」、「B→B」のままという意味です。

 また、授業における意欲・積極性についても難しい面があります。
 たとえば、クラス40人を1グループ5人の8班に分けた場合、班の中でリーダー的に活躍できる子は一人でしょう。誰か一人が前面に出てボス的存在になったとき、他の四人はその下で言う事を聞く部下になりやすいと思います。結果、A評価が付くのはこのボスであり、他の子はBかCになる。

 もしも意欲と積極性を示そうと思った子どもが「ここは自分がリードしよう」と、Aに取って代わろうとすれば、権力争いが起きるかもしれません。すると、負けた方はその班に居づらくなるような気がします。しかし、仕掛けなければ、意欲・積極性においてAを獲得することはできません。
 これっていじめの遠因になりはしないか、と心配するのは私だけでしょうか。

 かくして(ネットのご意見をつらつら読むと)、「絶対評価はいいけれど、3段階より5段階の方がわかりやすい。小学校も5段階に戻すべきだ」との意見が多いようです。
 しかし、きつい言葉を敢えて書くと、私にはこのような発言をする大人は子どもの感情など考えたこともない、地獄で亡者にムチをふるう鬼みたいな人だと感じます。
(作者注……理由はここでは説明しません。「そんなことはない」とおっしゃいますか?)。

 それはさておき、再度中学校の成績評価に戻ります。
 小学校の3段階に比べれば、中学校の5段階絶対評価は感覚的にわかりやすいと思います。とてもよくできるから「5」、よくできるから「4」、普通だから「3」、イマイチだから「2」。そして、不可にあたる「1」。
 かつて相対評価では「1」も必ずつけていました。が、絶対評価となった今、中学校で「1」を付けないのはそれが「不可」を意味するからだと思います。
 もしも不登校で学校の授業や試験類を全く受けていなければ、成績は全教科「1」になるはず。本来なら「不可」だから留年させてもう1年、2年やらせる必要がある。しかし、中学校では「1」も評価であり、単位取得となるので、留年はなく、3年経てば全員卒業させる――というシステムになっています。
 もちろん中学校においても、意欲関心、積極性、表現など観点別評価4つから5つによって評定「5~1」が付く点は変わりません。

 長くなって恐縮です。もう一つ、絶対評価と呼びながら、児童生徒全員Aや「5」にならない理由、あるいは、全員Cとか「2」にならない理由があります。それは小学校の担任、中学校の教科担当など、先生によって極端な評価が出てはまずいという判断が働くからです。
 保護者にとって全員「5」ならまだしも、全員「2」だと知れば、クレームをつけたくなるはずです。
 特に一学年が複数クラスの場合、わが子のクラスは「A」や「5」が一人もいない。ところが、隣のクラスは「A」や「5」が半数もいる――と知ったら、「これはどういうことですか」と学校や教育委員会に怒鳴り込みたくなります。
 こういう事態にならないよう、校長先生はクラスの成績分布を提出させ、チェックしているはずです。場合によっては内部規約としてクラス40人だったら、Aは10人まで、Bは20人前後、Cも10人前後と決めているかもしれません。中学校なら、教科担当において「5」は10人まで、「4」も10人まで、「3」は何人……と決めているとしたら、それはもはや「絶対評価」と呼べないでしょう。

==============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:新型コロナウイルスは日本でも大変な事態になりつつあります。
 テレビを見ながら、政府の後手後手の対応、ひどい方針に「どうして未来を読めないのか。一人一人の気持ちを考えてくれないのか」とつぶやいています。政治家と官僚に「一読法を勉強してほしい」と叫びたい気持ちです。

 これまで書いてきたように、未来予想で難しいことは何もありません。ただ三つ――楽観的未来か、悲観的未来か、どちらでもない未来を想像すればいいだけ。
 今回の件は中国がとんでもない状態になっており、日本にも1月半ばまでに同国観光客が多数来訪していることを思えば、市中感染→全国的感染という悲観的未来を想定すべきでした。しかし、1月半ばに「中国人入国禁止」とすることは野党政権でもできなかったと思います。
 そのうちクルーズ船のことなどいろいろ語りたいと思いますが、取りあえず今後について(たぶん誰も聞いてくれないであろう)提言があります。

 それは日本も中国のように全ての入出国を禁止し、官民あげて交通・経済活動など全てを停止、2~3週間の外出禁止とすることです(食料販売系、警察・消防・医療関係などを除く)。日本が武漢や北京のようにゴーストタウンとなりますが、やむを得ません。

 日本は都市から地方まで切れ目がないので、ある都市、ある地域限定にできない。やるなら全国全土だと思います。島国だから海外からの流入は遮断できる。その間にウイルス感染者・発症者をあぶり出すのです。

 すでにイベントの中止、生産・販売・サービスの縮小・停止が始まっており、そのうち都市は実質的にゴーストタウン化すると思います。また、諸外国の「日本人入国禁止」も広まるでしょう。
 このまままだらだらと感染者が増えていけば、経済活動の萎縮は数ヶ月続き、外国人は全く日本に来なくなり、オリンピックの延期さえあり得るかもしれません。

 日本全土2~3週間の活動停止など不可能と言うでしょうか。巨大台風が日本をおおって2~3週間停滞していると思えば、交通機関はストップして我々は家に閉じこもるしかありません。つまり、可能ということです。

 中国の都市封鎖は2週間で終わっていません。それは開始が遅かったからです。今なら日本の「全国封鎖」は間に合うかもしれない。もはやカンフル剤を打つべきところにいる、と感じます。

 私は恐怖や不安を煽っているわけではありません。冷静に未来を予想して、できることを早め早めにやろうと言いたいだけです。
 政府はどうやら楽観的未来を予想しているようです。もちろんそちらが当たって我が予想が外れることを願っています。 御影祐

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2020.02.22

フェブラリーS直前予想

 競馬なんかやってていいのかな、という雰囲気になってきました。
 今年初GIですが、競馬場は観戦者激減かもしれませんね。
 後記に書いたように、来月あたり「外出禁止」となるかもしれません。
 しばしの競馬を楽しみましょう。

 まずは今年の実近一覧と馬順オッズです。
 トップはインティではなく意外な馬が来ました。
 モズアスコットはやはり第1群に入りませんでした。

【本年と過去4年の実近一覧表】
  2020 |2019 |2018 |2017 |2016 |2020年 
年=人|着|人|着|人|着|人|着|人|着|番馬名(A~12人気)
A=C| |A|2|A|2|B|2|C|4|02アルクトス
B=A| |D|5|H| |C| |B|1|05インティ
C=H| |E| | | |G| |A|2|06ミッキーワイルド
D=09| |09|4|D|1|A|1|E| |13デルマノーヴル

E=D| |C| |C|4|H|4|D| |09サンライズノヴァ
F=F| |G| | | |E| | | |10ノンコノユメ
G=B| |D| |B| |F| |09| |12モズアスコット
H=16| |B|1|E| | | |H| |
---------------------------
QA=13| |H|3| | |D|3| | |
QB=E| | | |09| | |5| | |07ヴェンジェンス
QC=11| | | | | | | | | |16ワンダーリーデル
QD=10| | | |G|3|09| |F|5|04タイムフライヤー

QE=G| | | | | | | | | |03ワイドファラオ
QF=14| | | |F| | | | | |
QG=12| | | | | | | |G|3|11モジアナフレイバー
QH=15| | | |11|5| | | | |
    ※注「人気」は前日馬連順位

 火曜日に傾向として以下のように書きました。
---------------
 過去4年を見る限り、実近トップは目下3連続2着。そして、馬連は第
1、第2群の馬順[A→B・D]。3頭目は第3、第4群の最高人気[G・
D・G・H]となっています。今年もこのとおりなら「うっしっし」なの
ですが(^.^)。
---------------
 まさか今年もこの通りになるとは思えませんが、もしかしたらと思って
 馬連=第2群トップの12モズアスコット→第1群トップの2頭[02アルクトス・05インティ]。
 そして、3複は第3群トップの07ヴェンジェンス・第4群トップの03ワイドファラオに流します。
 まとめると、[12→02=05→07・03]となります。

*****************************
 【GIフェブラリーS 実近一覧表】東京 ダ16 16頭 定量57キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|齢|馬      名|予OZ{実近}人=[全ダ]騎 手|格距TM3F印
A=02|5|アルク トス | 2.4{AB}C=[7203]田 辺| ◎  △
B=05|6|イ ン ティ | 3.9{BC}A=[7123]武 豊|▲△◎ ◎
C=06|5|ミッキーワイル| 4.7{CA}H=[3511]北村友| △  ・
D=13|4|デルマルーヴル| 8.3{GD}09=[4422]デムロ|    ・

E=09|6|サンライズノヴ|11.1{09G}D=[851-]松 山|△▲○◎△
F=10|8|ノンコノ ユメ|12.5{H09}F=[964-]真 島|○○△▲・
G=12|6|モズアスコット|15.0{11H}B=[1000]ルメル|    ○
H=15|7|ケイティブレイ|15.8{14E} =[12--]長 岡|◎

QA=01|8|ブルドッグボス|16.2{E14} =[12--]和田竜|△ ▲
QB=07|7|ヴェンジェンス|16.5{1012}E=[7848]幸 英|   △・
QC=16|7|ワンダーリーデ|17.6{F15} =[708-]横山典|   △
QD=04|5|タイムフライヤ|18.2{1211}10=[0103]フォリ| △

QE=03|4|ワイドファラオ|20.1{1313}G=[1103]福 永|    ・
QF=08|9|キングズガード|31.0{D16} =[8.--]秋 山|   ○
QG=11|5|モジアナフレイ|36.5{F15}12=[8015]繁 田|
QH=14|4|ミューチャーリ|39.6{1610} =[5212]御神本|
             TM…タイム優秀 3F…上がり3F優秀
---------------------------
 成績補足
E=09|6|サンライズノヴ|11.1{09G}D=[851.10]松 山|
F=10|8|ノンコノ ユメ|12.5{H09}F=[964.13]真 島|
H=15|7|ケイティブレイ|15.8{14E} =[12.8.6.10]長 岡|
QA=01|8|ブルドッグボス|16.2{E14} =[12.7.7.11]和田竜|
QC=16|7|ワンダーリーデ|17.6{F15} =[708.13]横山典|
QF=08|9|キングズガード|31.0{D16} =[8.11.11.16]秋 山|
---------------------------
※年齢 4歳=3 5歳=4 6歳=3 7歳=3 8・9歳=3頭
※牡牝 牡=16頭(セ=1頭、10ノンコノユメ) 牝=0頭 
※格
G1V=7頭
 A15ケイティブレイ[3427]JBCクラ(京都)・帝王賞・川崎記念
 B10ノンコノユメ [2411]18年フェブラリーS・ジャパンD
 C05イ ン ティ [1111]19年フェブラリーS
 D01ブルドッグボス[1010]JBCスプリ
 E09サンライズノヴ[1004]マイルCS南部杯
 F04タイムフライヤ[1004]17年ホープフルS(芝20)
 G12モズアスコット[1004]18年安田記念(芝16)

G2V=2頭(GIV除く)
 A13デルマルーヴル[2勝]名古屋グランプリ・兵庫Jグランプリ
 B03ワイドファラオ[1勝]NZT(芝16)

※昨年1234着馬の馬番(今年の出走馬は馬名付加)
 1着=4枠06番(05番インティ)
 2着=3枠03番
 3着=2枠02番
 4着=5枠08番
---------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れC[AB型] 枠順AB=4.3
 馬連型=3巴  [AB型] 馬連AB=4.8

 枠連=AB//CD/E/FG/H 
 枠順=63 51 2 74 8
 馬順=BA DC G 09E 11 
 代行=12H F13 10 1514 16
 ―――――――――――――
 結果=
-------------------------------
 ○ 展開予想
※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
 15 05 02 03 -13 04 11 01 -06 09 10 07 -12 14 16 08
覧 ○ ◎ △ ▲ 5
3F C D E A B
本 ◎ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ○

***********************
 ※ 直前予想

 一覧表と実オッズから見ると、ルメール12モズアスコット、武豊05インティの1、2番人気はそのまま◎○として買えそうな気配です。
 しかし、前予想で書いたように両馬ともに6歳。05インティは近走イマイチだし、モズアスコットは芝馬でダートはG3の1戦(1着)のみ。
 ただ、インティは昨年のフェブラリーS勝ち馬だし、モズアスコットも安田記念の勝ち馬。実績を考えると、両馬のワンツーでも不思議ありません。

 よくある「その他を検討してみたけれど、一周回ってこの2頭」のパターンで、他には表の◎○に相応しい馬が見あたりません。

 ここはいつものようにウラ●に命をかけることにして、この2頭をすんなり表の◎○。
 私はどうもダート1戦1勝、しかもダート16より短い1400というのが引っかかって12モズアスコットを○、やはりダート7連勝のある05インティを◎にしたいと思います。馬連・馬単◎→○2枚ずつ。

 あとは3複総流しと言いたいところですが、両馬6歳なので、4・5歳から2頭ずつ、7・8歳から1頭ずつ。計6頭に流し、最後にまさかの6歳独占があるかもと09サンライズノヴァにも流します。

4歳03ワイドファラオ…芝でもG2V馬。東京ダG3Vもあり。
4歳13デルマルーヴル…地方馬ながらダート[4422]
5歳02アルク トス……ダ16[4100]、東京[5101]
5歳06ミッキーワイル…東京[3212]
7歳07ヴェンジェンス…ダ過去8走[3221]、前走東海S2着
8歳10ノンコノユメ……鯛は頭から腐っても鯛(^.^)フェブS優勝馬
6歳09サンライズノヴ…ダ16[5104]、東京[6305]

 さて、今年初のウラ●。なかなかこれといった馬がいません。
 そこで久し振りに(^.^)、過去10年の連対馬前走レースを眺めてみると、
東京ダ14の根岸S[322-]、京都ダ18の東海S[311-]ですが、昨年の中京GIチャンピオンズC以来も[322-]です。

 で、根岸SVが12モズアスコット。しかし、東海SVのエアアアルマなく、2着3着が07ヴェンジェンスと05インティ。
 では「前走チャンピオンズCは?」と探せば、1着クリソベリルなく、前々走なら最高3着がインティ。前走チャンピオンズCは1頭だけ。
 それが8着(コンマ7差)だったフォーリー・牡504タイムフライヤーです。うーん、ビミョーの無理スジ(^.^)。

 タイムフライヤーは17年に新設2歳GIホープフルSを勝ち[3200]の成績をもって3歳GI戦線に意気揚々と乗り出しました。
 しかし、連敗連敗、また連敗。3歳以後の重賞は最高5着で9戦3着内なし。失意の連続でした。

 かくして4走前ダートに転向しました。しかし6→6着と来て2走前、東京ダ16G3武蔵野Sで、ようやく4角8番手から追い込んで1着……と言いたいところだけれど、コンマ2差の2着でした(このときの1着馬が横典16ワンダーリーデル)。
 そして、前走チャンピオンズC8番人気の8着から3ヶ月休んで今回再度GI挑戦。騎手フォーリーさんは重賞1勝(/25)しかないし、とても強気に押せません。

 ただ、チャンピオンズCのタイム良1492は、一昨年以前の5戦なら軽く1着のタイムです(昨年が良すぎ)。
 また、武蔵野S2着のタイム良1348も、良馬場なら(1位ワンダーリーデルに続く)2位です。つまり、タイムフライヤーだって「結構走っている」と思えます。そんなわけでウラ●は04タイムフライヤー。
 表の◎インティ・○モズアスコットを2着候補、3・4番人気09サンライズノヴァ・02アルクトス、まさかの16ワンダーリーデルと07ヴェンジェンスも3着候補として流します。

 以上です。

------------------------------
 本紙予想
 印番馬      名 齢 馬順
 ◎05イ ン テ ィ  6 A
 ○12モズアスコット  6 B
 △02アルク トス   5 C
 △09サンライズノヴァ 6 D
 ・03ワイドファラオ  4 G
 ・13デルマルーヴル  4 09
 ・06ミッキーワイルド 5 H
 ・07ヴェンジェンス  7 E
 ・10ノンコノユメ   8 F
 ●04タイムフライヤー 5 10
 ・16ワンダーリーデル 7 11

 さて結果は?

==============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:新型コロナウイルスは日本でも大変な事態になりつつあります。
 テレビを見ながら、政府の後手後手の対応に「どうして未来を読めないのか」とつぶやいています。政治家と官僚に「一読法を勉強してほしい」と叫びたい気持ちです。

 これまで書いてきたように、未来予想で難しいことは何もありません。ただ三つ――楽観的未来か、悲観的未来か、どちらでもない未来を想像すればいいだけ。
 今回の件は中国がとんでもない状態になっており、日本にも1月半ばまでに同国観光客が多数来訪していることを思えば、市中感染→全国的感染という悲観的未来を想定すべきでした。しかし、1月半ばに「中国人入国禁止」とすることは野党政権でもできなかったと思います。
 そのうちクルーズ船のことなどいろいろ語りたいと思いますが、取りあえず今後について(たぶん誰も聞いてくれないであろう)提言があります。

 それは日本も中国のように全ての入出国を禁止し、官民あげて交通・経済活動など全てを停止、2~3週間の外出禁止とすることです(警察・消防・医療関係などを除く)。日本が武漢や北京のようにゴーストタウンとなりますが、やむを得ません。

 日本は都市から地方まで切れ目がないので、ある都市、ある地域限定にできない。やるなら全国全土だと思います。島国だから海外からの流入は遮断できる。その間にウイルス感染者・発症者をあぶり出すのです。

 すでにイベントの中止、生産・販売・サービスの縮小・停止が始まっており、そのうち都市は実質的にゴーストタウン化するのではないか。また、諸外国の「日本人入国禁止」も広まるでしょう。
 このまままだらだらと感染者が増えていけば、経済活動の萎縮は数ヶ月続き、外国人は全く日本に来なくなり、オリンピックの延期さえあり得るかもしれません。

 日本全土2~3週間の活動停止など不可能と言うでしょうか。巨大台風が日本をおおって2~3週間停滞していると思えば、交通機関はストップして我々は家に閉じこもるしかありません。つまり、可能ということです。

 中国の都市封鎖は2週間で終わっていません。それは開始が遅かったからです。今なら日本の「全国封鎖」は間に合うかもしれません。もはやカンフル剤を打つべきところにいる、と感じます。

 私は恐怖や不安を煽っているわけではありません。冷静に未来を予想して、できることを早め早めにやろうと言いたいだけです。
 政府はどうやら楽観的未来を予想しているようです。もちろんそちらが当たって我が予想が外れることを願っています。 御影祐

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2020.02.17

フェブラリーS、昨年回顧

 お元気でお過ごしのことと思います。御影祐です。
 改めて今年もほぞ噛み予想をよろしくお願いいたします。m(_ _)m

 昨年の年初メルマガで「もう1回中山が終わり1回東京も最終週。週末はいよいよGIの開始です。このようにして矢のごとく時は流れ、気付いたら棺桶の中で『中央競馬に預けた金はおろせないままだったなあ』とつぶやいてあの世に逝くのでしょうか(^_^;)」と書きました。

 ところが、今年は「これから数ヶ月、もしかしたら競馬場に行けない日が来るかもしませんね」と書かねばなりません。
 どうやら日本は中国に次ぐ新型コロナ肺炎大流行国になりそうです。
 私は田舎の片隅に暮らしていますが、都会にお住みの方々は満員電車など人混みを避ける事ができません。くれぐれも無理しないようお気を付け下さい。

 さて、昨年のGI予想結果報告をまだ発行していません。別稿メルマガ「一読法を学べ」ほ1月までに終える予定だったのに、まだかかっているからです。
 フェブラリーSを終えると、またひと月ほどあくので、その間に別稿を終えたら、昨年の結果報告を発行したいと思います。今しばらくお待ち下さい。

 よって、いつものように、まずは昨年のフェブラリーS回顧です。

 昨年は(馬連ABとは言え)◎-○ずばりだったのに、3複ヒモが抜けました(がひそかに買っていたので、収支とんとんでした)。
 今年も武豊インティが1番人気になりそうです。昨年2~5着馬は全て不出走。新たに2番人気となりそうなのが、前走根岸S1着のルメール・モズアスコットです。
 出れば1番人気確実だった昨秋GIチャンピオンズC優勝馬ルヴァンスレーヴがなぜか不出走となりました。そのせいで一気に混戦気配です。

 と言うのは1、2番人気が予想される両馬は共に6歳。
 昨年6連勝後フェブラリーS優勝のインティはその後5戦[0122]とイマイチ。
 また、モズアスコットは2018年安田記念V、芝19戦5勝の芝馬。前走ダート14のG3根岸S1着が初ダートでした。今回ダート転向2戦目。ビミョー。

 もちろん2頭連絡み→相手探しもあり得るけれど、2頭すっ飛びも充分あり得ます。心して穴馬を探そうではありませんか(^_^)。

--------------
***************************
 【 2019年フェブラリーS結果 】

 フェブラリーS結果は―― 一応◎→○馬連馬単的中(^_-)

 1着―武 豊 06イ ン テ ィ………[◎] 単勝=2.6
 2着―ルメル 03ゴールドドリーム……[○]
 3着―福 永 02ユ ラ ノ ト………[?]
 4着―和 田 08モ ー ニ ン………[?]
 5着―藤田菜 11コパノキッキング……[?]
 枠順[B→A→G→D]

 枠連=3-4=4.1 馬連=06-03=4.3 馬単=7.5
 3連複=06-03-02=23.1 3連単=66.2
 ワイド12=2.3 W13=11.0 W23=7.6
-------------------------
 本紙予想
 印番馬      名 齢 騎 手 馬 結果
 ◎06イ ン テ ィ  5 武 豊 B 1
 ○03ゴールドドリーム 6 ルメル A 2
 ▲14オメガパフューム 4 デムロ C 
 ●10サンライズ ソア 5 田 辺 E 
 △07サンライズノヴァ 5 戸崎圭 D
 ?02ユ ラ ノ ト  5 福 永 H 3
 ?08モ ー ニ ン  7 和 田 09 4
 ?11コパノキッキング 4 藤田菜 D 5
--------------------------
 ○ 展開結果

※展開(3Fは前走の上がり優秀5位まで)
 逃げ     先行     差し     追込
 06 05 10 02-03 09 11 12-14 08 04 01-13 07
覧 ▲ ◎ ○ 5 △
3FE E E A B C D
本◎ ● ○ ▲ △
結1 3 2 5 4
--------------------------
【過去4年の実近一覧結果】

  2019 |2018 |2017 |2016 | 
年=人|着|人|着|人|着|人|着|
A=A|2|A|2|B|2|C|4|
B=D|5|H| |C| |B|1|
C=E| | | |G| |A|2|
D=09|4|D|1|A|1|E| |

E=C| |C|4|H|4|D| |
F=G| | | |E| | | |
G=D| |B| |F| |09| |
H=B|1|E| | | |H| |
---------------------------
QA=H|3| | |D|3| | |
QB= | |09| | |5| | |
QC= | | | | | | | |
QD= | |G|3|09| |F|5|

QE= | | | | | | | |
QF= | |F| | | | | |
QG= | | | | | |G|3|
QH= | |11|5| | | | |
    ※注「人気」は前日馬連順位

 ※傾向
 過去4年を見る限り、実近トップは目下3連続2着。そして、馬連は第1、第2群の馬順[A→B・D]。3頭目は第3、第4群の最高人気[G・D・G・H]となっています。今年もこのとおりなら「うっしっし」なのですが(^.^)。

***************************
 【フェブラリーS 実近一覧結果】 東京 ダ16 14頭 定量57キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|齢|馬      名|予OZ{実近}人=[全ダ]騎 手|格距TM3F 印着
A=03|6|ゴールドドリー| 1.8{AA}A=[8513]ルメル|◎◎◎  ○2
B=11|4|コパノキッキン| 5.6{BC}D=[7101]藤田菜| 初 ◎ ?5
C=10|5|サンライズソア| 7.8{ED}E=[4362]田 辺| ▲   ●
D=08|7|モ ー ニ ン| 8.9{C09} =[8229]和 田|△ ○△ ?4
E=14|4|オメガパフュー| 9.0{FE}C=[5211]デムロ|▲  △ ▲
F=13|7|ノンコノユメ |10.0{D11}G=[841-]内田博|○△▲○
G=07|5|サンライズノヴ|12.0{GH}D=[7516]戸 崎| ○△  △
H=06|5|イ ン テ ィ|12.1{HB}B=[6001]武 豊|★初   ◎1
QA=02|5|ユ ラ ノ ト|18.7{10G}H=[6315]福 永|  △  ?3
QB=01|6|クインズサター|19.4{0910} =[5469]四 位| △ △
QC=05|5|サクセスエナジ|34.1{14F} =[7207]松 山|☆
QD=04|8|メイショウウタ|40.5{1312} =[855-]北村宏|
QE=09|6|ワンダーリーデ|45.9{1213} =[506-]柴田大|
QF=12|7|ノボ バカラ |79.1{1114} =[755-]ミナリ|
             TM…タイム優秀 3F…上がり3F優秀
---------------------------
 成績補足
F=13|7|ノンコノユメ |10.0{D11}G=[841.12]内田博|○△▲○
QD=04|8|メイショウウタ|40.5{1312} =[855.23]北村宏|
QE=09|6|ワンダーリーデ|45.9{1213} =[506.10]柴田大|
QF=12|7|ノボ バカラ |79.1{1114} =[755.17]ミナリ|
-----------------------------
※年齢 4歳=2 5歳=5 6歳=3 7歳=3 8歳=1 頭
※牡牝 牡=12頭(セ=2頭) 牝=0頭 
※格
G1V=4頭(4頭に◎~△印)
 A03ゴールドドリーム[4314]2 B13ノンコノユメ[2301]
 C14オメガパフューム[1201]  D08モ ー ニン[2015]

G2V=2頭(GIV除く)(2頭に★☆印)
 A06イ ン テ ィ[中京ダ18G2東海テレビS] 1
 B05サクセスエナジ[地方浦和G2ダ14さきたま杯]
---------------
 [枠連順位]
 枠連型=3巴[ABC型] 枠順AB=5.3
 馬連型=3巴[AB 型] 馬連AB=4.9

 枠連=ABC/DEF//GH 
 枠順=348/576//21
 馬順=ABC DFE H10  
 代行=1211G 091314
 ―――――――――――――
 結果=21  4    3  [B→A→G→D]

******************************
 ※ 回  顧

 ◎武豊06インティ……絶妙の逃げでしたね(^_^)。
 昨年(16頭)ノンコノユメが勝ったとき、逃げ馬の3F通過は34.1と、かなり速く5F通過も58.3でした(逃げ馬の結果は16着)。ノンコノユメは4角13番手というほぼ最後方から上がり最速36.1でぶっこ抜きました(勝ちタイム1360)。

 対して今年逃げたインティの3F通過は35.8、5F60.2と昨年よりほぼ2秒遅いスロー(ともに良馬場)。理屈から言えば、勝ちタイムは昨年より2秒、少なくとも1秒遅い1370であってもいいはずなのに、インティの勝ちタイムは1356。

 同馬は上がりも3位の35.4とそつなくまとめて1着。競る馬もなく、失礼ながら「勝ってくれ」と言わんばかりの楽勝でした。
 上がり1位は6番手から鋭く差して2着の○ルメール03ゴールドドリーム(34.8)。ちなみに上がり2位は最後方から大外を追い込んで5着入線の藤田菜11コパノキッキング(35.2)。

 こうして昨年のラップや上がりと比較してみると、昨年は明らかなハイペース、今年はスローだったことがわかります。そして、昨年の1着馬は追い込んで上がり最速36.1。今年の上がり最速は2着馬の34.8。勝った逃げ馬インティの上がり35.4は昨年最速の勝ち馬よりコンマ7も速いのです。

 ここらがペースと上がり・着順のよくわからないところです。「昨年はハイペースで追い込み馬が勝った。今年はスローペースで逃げ馬が勝った」と言える。これは競馬ファンなら誰でも知っている有名な格言(?)。

 ところが、昨年V馬の上がりは36.1でそんなに良くない(逃げ馬は上がり40.7の最下位)。今年逃げ馬Vの上がりは35.4とかなりいい。
 つまり、昨年は追い込み馬ノンコノユメが強烈な末脚で勝ったように見えていた……だけで、実は同馬の上がりは大したことなかった(と言うか同馬も充分ばてていた)。ただ、逃げ・先行・中団の馬たちがハイペースでもっとばてばてになったから、上がり36.1の追い込み馬でも勝てた――ということのようです。

 どうしてこんな話題から振り返ったかと言うと、5着掲示板に載った藤田菜11コパノキッキングの走りが興味深かったからです。同馬は好スタートを切りながら、自ら下げて終始最後方。で4角も最後方14番手から大外を追い込んで5着に食い込みました。

 5着入線で賞金1000万を稼いだのだから大健闘と言えるでしょう。ちなみに餌食となって6着に落ちたのがウラ●10サンライズソアでした(^.^)。

 私は「鞍上やっと50勝、GI初出走の騎手ではさすがに荷が重い~ダート16以上を走ったことのない馬がここで来てたまるか!」とカットしましたが、もしもレースが昨年のようなハイペースになっていたら、藤田菜コパノキッキングは(さすがに1着は無理としても)「2、3着の可能性があったな」と思いました。

 これはあり得ない「ればたら」ではなく、あり得る別次元の話かもしれません(^_^)。
 昨年ハイペースで追い込みVの上がりは36.1、今年スローペースでコパノキッキングの上がりは35.2。ほぼ1秒いい。1着馬インティとの差はきっちり1秒。もしもハイペースだったら、と思えます。

 どうやらペースの格言は「ハイペースでは逃げ馬どころか全馬――追い込み馬もばてる。だが、逃げ先中団のばて方がひどく、追い込み馬が余力を残していれば勝てる」と言い換えた方が良さそうです。

 直前予想でインティは「展開指標Aだけれど、隣の05サクセスエナジーは過去2走逃げて2→1着。ここも逃げるはず。逃げ争いとなったとき果たしてどうなるか」と書いたように、もしも松山サクセスエナジーがインティと逃げ争いを演じて昨年のようなハイペースになっていたら、結果は追い込み馬であったコパノキッキングが上位入線していたかもしれません(もっとも、ハイペースになっていたら、コパノキッキングもばてるから、やっぱり良くて5着?^.^)。
 結局、サクセスエナジーは3番手に控えた(8着)ので、武豊インティは楽に逃げられました。

 コパノキッキングは初戦以後4戦ほぼ逃げていましたが、上がりは3回で最速。最近4走は先行または追い込みで4連勝ですが、こちらも上がりは3回最速。つまり、全9戦中6回で上がり最速の馬でした。
 私はダート12か14の馬だからと軽視しましたが、「追い込んだらもしかしたら」の力を持っていたと言える馬であり、それを藤田菜騎手は存分に発揮させたと言えそうです。

 いやいや、GI初出走、たかだか50勝騎手と若干軽蔑気味の言葉でしたが、「失礼いたしました」と謝りたいと思います。
 あの競馬ができるようになったら、いつか重賞V、GIVでさえ転がり込んでくるかもしれません(^_^)。彼女の中央50勝を調べてみたら、ほとんど逃げ・番手か後方追い込みタイプで勝っています。今後重賞や特別戦に出てきたとき、逃げ馬か追い込み馬のときはちょっと注意したいと思います。

 さて、馬券の方は単勝軸と見た◎1着→○2着で、馬連・馬単の的中。しかし、ウラ●サンライズソアの凡走で「3連馬券不的中でトリガミ」……と書きたいところですが、実はあの3複当てていました。相済みません(^_^;)。

 3強から1頭消えるとしたら「▲デムーロ・オメガパフュームであろう」と、この◎○かなり自信がありました。馬連集中の1番人気だし、昔なら「◎○→総流し」と書いたところです。今回は14頭だから総流しでも12枚。「買おうかなあ」と思ったけれど、やめました。
 かわりにやったことは「もしも▲●△3頭が来なかったら」と、かわりの3着候補として取り上げたのが以下の4頭。この中で福永02ユラノトが3着に入りました。

 13ノンコノユメ・11コパノキッキング・02ユラノト・08モーニン

 ノンコノユメは昨年の1着馬、コパノキッキングはまーもごもご(^_^;)。ユラノトは私がひいきの福永であり、モーニンはかつてのGI馬。

 そして、今回も「こっちかよお」とつぶやいたのはウラ●にユラノトあり得たのに、サンライズ組にしてしまったほぞ噛みです。
 以前タイム信奉論者としてよくTX馬を穴馬に指名していました。今回過去3走比較なら、ユラノトは2走前阪神OPギャラクシーS(ダート14稍重)で1215の強烈タイムを出しています。これは阪神ダート14のレコードです。
 ところが、このときの馬場が稍重、しかも2着(同タイム)だったこともあってイマイチウラ●まで踏ん切れませんでした。も一つ何か欲しかったところです。

 そんなわけで今年初GIは収支とんとんのほろ苦デビューとなりました。

 最後に実近一覧結果を掲載すると、以下の通り。
 直前予想で「トップのAは2着候補、中団の馬から単勝候補」と書いたとおりの結果となりました。
 そして3着候補として[QA]と記した「実近9番人気以下から実人気DEFGの馬を3着候補に」と書いたことがずばりだったから驚きました。
 9位以下のトップはH人気の02ユラノトだったのです。
「こりゃあすげえ秘密兵器を見つけたかも」と思いつつ、今後に期待してください(^_^)。

===============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2020.02.13

別稿『一読法を学べ――学校では国語の力がつかない』第28号「一読法からの提言」その二

 本節より学校や教育について、「テストをやめませんか・成績つけるのやめませんか」など、ほぼ極論の「~やめませんか」を語ります。
 おそらく愚論暴論として、多くの人に見向きもされず、歯牙にもかけてもらえないだろうなと推測いたします。しかし、これらの提言が現在の教育界における諸問題を劇的・根本的に解決できる妙案である、と言ったらどうでしょう。
 自分の意見を主張できず、「自分はまだ子ども」と思っている日本の十八歳。いや、そもそも自分の意見を持っていると感じているか。ある事柄に対して真剣に自分で考えたことがあるか。受け売りの知識、誰かの主張を口にしているだけではないのか。そう思うから「自分は大人だ」と感じられないのではないか。
 だが、それは彼らの責任でしょうか。今の私が十八歳なら、「こんな自分に誰がした?!」と叫びそうです。

 一方、小中高の先生方は業務過多とストレスで疲労困憊している。ところが、お偉方はシステムを根本から見直し、変えようとするのではなく、小手先の改変で済まそうとしている。
 一体いつになったら、気づくのでしょう。子どもの半数が学校に行かなくなったときですか。教員採用試験が定員に達しなかったときですか。それは間近に迫っていると感じます。学校や入試が今のままである限り……。

 こう書けば「読んでみるか」と思ってもらえるかもと感じつつ、どうせ「読んでもらえぬ我がぼやき」とあきらめ、実現することなき夢物語を書きたいと思います。
 なお、これは読者各位の「あきれてものも言えない」衝撃をやわらげるための前置きです(^_^)。また、本文には我が中高時代の優等生だった、劣等生だった体験が多々登場します。自慢でも卑下でもない、過去のありのままを書きました。

 ところで、今節はホームページ版においてちょっとした工夫をこらしています。そちらは上記に続いて以下のように書いています。
--------------
 ところで、この前置きを読んでいるとき、「おやっ?」と思われたでしょう
か。あることに気づいたでしょうか。今までなかった表記が登場しています。
気づかなかった方、あなたの目は節穴ですか(^.^)。相変わらずぼーっと通読
していますよ。
--------------
 メルマガではできない表記です。ホームページ版を読まれればわかると思い
ます。↓
  http://mikageyuu.flier.jp/ronbun/1dokuhou/1dokuhouwomanabe24.html

 [前 号]
 一読法からの提言 その一 「~~(ほにゃらら)をやめませんか」
 1★ スマホ・ラインをやめませんか。
 2★ 「人に迷惑をかけるような人間になるな」と言うのをやめませんか。
 3★ 「優秀な人間を求めている」と言うのをやめませんか。

 [以下今号]
 一読法からの提言 その二
 4★ 漢字読みの訓練をやめませんか。
 5★ テストと宿題をやめませんか。

---------------------
 本号の難読漢字
・歯牙(しが)・困憊(こんぱい)・四隅(よすみ)索引・四角号碼(しかくごうま、「ま」は石へんに馬)・羅列(られつ)・(た)けている・割(さ)く・累々(るいるい)たる・屍(しかばね)・謙遜(けんそん)
---------------------
*********** 小論「一読法を学べ」***********
 『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』 24

 一読法からの提言 その二

4 ★ 漢字読みの訓練をやめませんか。

 これはむしろ、以下「~しませんか」提言の方がわかりやすいと思います。
 読みの訓練をやめるためには世の中が変わらねばなりません。

 ☆ 日本に出回る文書を全て総ルビ(ふりがな付き)としませんか。

 世の中の文書が総ルビとなれば、漢字読みの練習が不要となります。
 戦前の日本がこれでした。それが戦後になってなぜか総ルビをやめました。それを復活させようという提言です。さすがに小一レベルの漢字はルビなしでもいい。常用漢字小二以上は全てルビ付きにしようではありませんか。

 理由は次の二点です。
 1 小中高の国語授業において大きなウェイトを占めている、漢字の読み書き練習を半減するため。

 2 今後確実に増える移民系の外国人に日本語の文書を読めるようにするため。

 パソコンでも漢字にふりがなを付けることはさほど難しいことではありません。教科書から参考書・問題集、書籍、新聞、雑誌、法令など全ての文書を総ルビにすれば、読みの訓練をする必要がなくなります。入試、入社、資格試験など全ての試験ももちろんルビ付きとする。
 具体的には現在常用漢字は2136字。このうち音が2352、訓が2036。我々は合わせて漢字4388字の読み書きができるようにしなければなりません。このうち小学校で習得すべき漢字は1006字、中学校が1130字。総ルビにすれば、漢字練習時間をかなり削減できます。

 お偉方から「生徒・学生は本を読まなくなった」との嘆きが出されてはや幾とせ。私はその理由のかなりの部分は漢字が読めないからだと考えています。特に訓読みが難しい、と言うか練習しても忘れやすい。
 今でこそパソコン・スマホで漢字検索ができます。が、数十年前までは教科書を開いて読めない漢字(当然意味も不明)にぶち当たると、まず漢和辞典を引かねばならなかった。それで意味がわかればいいけれど、難しければ、さらに国語辞典を引いたものです。
 漢和辞典は引くのがとてもめんどくさい。音訓索引は読めなければ使えない。総画索引は画数を間違えるとダメ。部首索引はどれが部首か理解していなければならず、部首から漢字そのものにたどりつくのに時間がかかる。四隅索引はたぶん「なにそれ?」とおっしゃる方がほとんどでしょう(興味があったら「四角号碼(しかくごうま)」でネット検索してください)。

 かつて高校では生徒に(家にない場合)国語辞典と漢和辞典を購入させました。しかし、彼らは国語辞典を引くことはあっても、漢和辞典はめったに引かない。
 私はある時期から教材最初の朗読を私がやりました。つまり、漢字の読みは教えたということです。その際「君たち卒業後読書などで読めない漢字が出てきたら、近くの人に聞け」とよく言ったものです。読めさえすれば、意味は国語辞典で確認できるからです。
 日本人が本や新聞を読まなくなったのは[漢字が読めない→本を読まない→漢字をどんどん忘れる→本を読まない]の悪循環ゆえだと思います。漢字がルビ付きになれば、読書習慣が復活するはずです。

 そもそも日本人は諸外国の人に比べて学ばねばならない――暗記せねばならない課題が多すぎます。漢字習得はその最たるものです。戦後生まれの日本人なら、誰でも小学校一年生から漢字テストをやらされたでしょう。そして、毎年毎年漢字読み書きの訓練をしています。結果、高三までの十二年間、漢字習得のために費やされる時間はいかばかりでしょう。

 お忘れなきように。児童生徒が覚えなければならないのは漢字だけではありません。そこに英単語・熟語1000~2000字が。理科は「すいへーりーべぼくのふね」の元素記号に塩酸から酢酸などの化学式100ヶ。オームの法則に細胞の名称。社会は日本史・世界史の年号と項目(1000~2000?)の丸暗記が要求されます。算数・数学だって各単元の公式と解法を暗記しなければ、入試に対応できません。

 閑話休題。私自身そうだったし、高校の国語教員になってからも生徒に漢字練習帳を買わせ、漢字小テストを毎週のようにやらせました。私は授業中心主義だからやりたくなかったけれど、国語科として「生徒の漢字能力は低い。やりましょう」と言われると、「やめよう」とは言えませんでした。
 漢字小テストは国語の先生にとっても負担です。国語科は一人3クラスから4クラスを担当します。結果、日々漢字小テストの採点に明け暮れていると言っても過言ではありません。私は単元毎に百字感想文もやっていたので、漢字の採点と感想文の添削が重なると、自宅に持ち帰らねばなりませんでした。そのころから「漢字が総ルビなら、漢字の練習時間、小テストも半減できるのに」と思ったものです。

 ただ、勘違いしないでほしいことがあります。私は漢字廃止論者ではありません。戦後の一時期「漢字を廃止してひらがな・カタカナだけにしろ」とか「ローマ字にしろ、英語やフランス語を公用語に」という《暴論》がありました(私が言うのもなんですが)。
 日本から漢字を全廃する事は絶対にできません。日本語はひらがなのみ、カタカナのみにできない。ローマ字化もできない。漢字かな交じり文イコール日本語だからです。
 もしも今書いた「日本から~だからです」までを、以下のようにひらがな・カタカナ・ローマ字にしてみます。みなさん読もうと思いますか。
--------------
 にほんからかんじをぜんぱいすることはぜったいにできません。にほんごはひらがなのみかたかなのみにできない。ろーまじかもできない。かんじかなまじりぶんいこーるにほんごだからです。
--------------
ニホンカラカンジヲゼンパイスルコトハゼッタイニデキマセン。ニホンゴハヒラガナノミカタカナノミニデキナイ。ローマジカモデキナイ。カンジカナマジリブンイコールニホンゴダカラデス。
--------------
 nihon kara kanji wo zenpaisuru koto wa zetsutaini dekimasen。~以下略
--------------

 このたどたどしく読みづらい、意味の取りづらい文字の羅列はどうでしょう。数行眺めただけでうんざりします。
 日本人なら誰もこの「日本文」の書かれた書物・新聞を読もうと思わないでしょう。

 [日本から漢字を全廃する事は絶対にできません。日本語はひらがなのみ、カタカナのみにできない。ローマ字化もできない。漢字かな交じり文イコール日本語だからです。]――このように漢字かな交じり文こそ、読みやすく、意味もすうっと頭に入ってきます。
 ひらがな・カタカナ・ローマ字は一字一音の表音文字であり、漢字は意味も持つ表意文字です。英語など世界の多くの言語は表音文字であり、全て表意文字が漢字(簡体字)の中国語。表音文字と表意文字が並列しているのは日本語だけ(だと思います)。

 日本人は大昔から外来の文化・文物をアレンジして吸収するすべに長けていたようです。文字を持たなかったのだから、日本独自の文字を生み出せば良かった(古代に作っていたとの説もあります)。なのに、そうしなかったのは劣等感のせいか、アレンジ力に自信があったからか、ただめんどくさかっただけか。
 いずれにせよ、大陸の文明先進国から輸入された漢字を、カタカナに分解し、ひらがなにくずし、いくつもあったひらがなを一つに決め、長い長い年月をかけて漢字・かな交じりの表記を生みだしました。これによって日本語は読みやすく、意味も取りやすい「書き言葉」となりました。

 漢字かな交じり文は日本人にとって必要不可欠です。よって、どうしても漢字を習得しなければなりません。その分諸外国に比べて余計な時間を漢字練習に割くのはやむを得ない。
 せめて全ての文書を総ルビとすれば、読みの訓練をしなくてすみます。そして、総ルビなら多くの学術文書から難読漢字の多い歴史・哲学・小説まで(小学校一年生でも)「すらすら読める」ようになります。本をたくさん読めば、漢字は自然と身につくものです。

 ここで「スマホやタブレットがあれば、漢字の読みも意味もすぐに検索できるよ」との反論が聞こえてきそうです。私はそれでもルビ復活を主張します。
 理由は確かにパソコン・スマホならすぐに検索できる。しかし、文字で書かれた書物や文書はスマホで撮影してそれから漢字検索する……やはり時間がかかります。それでなくとも、通読癖の人は読めない漢字をそのままにして読むでしょう。やがて読む事から遠ざかるのは必至。それにパソコン・スマホ上の文章に疑問や感想を書き込むことは容易ではありません。一読法の訓練にとって文字で書かれた書物であることは最低条件なのです。
 ちなみに、目下最大の不安があります。それは児童生徒全員にタブレットが行き渡ったとき、国が「もう教科書はいらないだろう。予算も削減できる」と言い始めることです。このような議員・官僚は常識も教養もない人だと心得てください。

 もう一つ、総ルビは今後日本で増える移民系外国人のために必要な措置です。ひらがな・カタカナさえ読めて使えれば良しとすれば、漢字練習をしなくて済みます。
 日本で暮らす以上「漢字の読み書きくらいできるべきだ」とおっしゃるかもしれません。お偉方もそう考えて看護など移民系外国人に、日本人並みの漢字力が必要な(日本語の)資格試験を課しています。
 しかし、外国人に高いレベルの日本語表現力を求めていては、そのうち「日本に行くのやーめた」となりかねません。今から「日本語は話せてひらがなの読み書きさえできれば充分」というレベルにしておくべきです。

 私は日本で働き初めて二年ほど経った若者(東南アジア系)の日記を見た事があります。彼は日本語が普通に喋れる。そして、ノートには日々の出来事が日本語でびっしり書かれていました。読んでみると充分中学校卒業レベルの文章だから驚きました。ただし、全てひらがなです。漢字は一字もない。
「ひらがなならわずか二年でここまで書けるんだ」と思い、改めて日本語は簡単なんだとわかりました。日本人の大多数は十年英語を学んでも英文日記を書けないだろうし、書こうとも思わないでしょう。
 後述しますが、日本語は日常会話レベルなら世界で最も簡単な言語です。私は日本人に外国語(英語)を学ばせるより、外国人に日本語(ひらがな)を学んでもらった方がいいと考えています。

 ただし、移民系外国人にも漢字かな交じりの日本語文書を提出してもらう場合があります。その際はひらがなで書かれた(ワープロ入力された)文書を、日本語に変換する社会システムがあればいい。
 これは日本人でも裁判や役所への申請など、公的文書を弁護士や行政書士に依頼するのと同じです。日本人だからといってこれらの文書は完璧に作成できません。だから、移民系外国人にはひらがなを書ける程度に留め、職場内で提出する文書はそれを漢字かな交じりの日本語にする仕事(要員)を創設すれば良いのです。

5 ★ テストと宿題をやめませんか。

 これは前号後記の答えともなる提言です。なぜ一読法ならテストも宿題も必要ないのか。
 その前にまずはこの件についてつくづく考えてみたいと思います。なぜ「テストや宿題をやめよう」と言うのか。
 これに対して「とんでもない」とおっしゃるのは学校の先生だけでなく、多くの親御さんたちだと思います。そして、「テストや宿題をやめたら、子どもは勉強しなくなる」と反論なさるでしょう。
 これはとても説得力ある意見です。宿題はさておき、テストがなくなったら、確かに子どもたちは遊ぶばかりで勉強しなくなるような気がします。しかし、なぜそう思うのか、自分の子ども時代を振り返って考えてみたことがあるでしょうか。

 とても悲しいことに、このように反論する大人は「かつて自分はテストや宿題があったから一所懸命勉強した。もしもそれがなかったら自分は勉強しなかった。だから、わが子にもテストや宿題を課すべきだ」と考える人たちだと思います。
 私は前段の冒頭に「悲しいことに」と書きました。なぜ悲しいかと言うと、一つには学校が、先生方が児童生徒に対して《自発的に勉強する意欲を引き出せなかった》ことを表しているから。
 そして、「テストや宿題をやめると、子どもは勉強しなくなる」と感じる人たちはテストと宿題によって無理矢理勉強させられた、学校教育の悲しき犠牲者であるからです。
 文学的表現を借りるなら、「自発的、主体的に勉強することなく、与えられた課題をこなし、ただテストのために勉強し続けた」累々たる屍(しかばね)の山が富士の高さまで積み重ねられている――とでもなりましょうか(下手くそな表現ですみません)。

 あるいは、「勉強」を、たった一つ別の言葉に置き換えてみれば、わかりやすいと思います。それは「遊び」です。
 子ども時代最も楽しく面白かったことは遊びでしょう。一人で遊ぶのも楽しいけれど、友達と遊ぶことはもっと楽しかった。
 もしも遊びにテストと宿題を課したらどうでしょう。それは楽しいでしょうか。
 学校の授業が全て遊びになったとき、「先生、うちの子どもは家で遊びません。家でも遊ぶように宿題を出してください。遊びの試験をやってください」と言うでしょうか。
 子どもの遊びにテストも宿題もいりません。子どもはテストや宿題がなくても遊びます。それは楽しいから、面白いからです。

 勉強もそうではありませんか。小学校の初めの頃勉強は遊びのように面白かった。学ぶことが面白ければ、別にテストも宿題もいらない。学校は、先生は勉強が遊びのように面白いことを伝えればいい。そうすれば、児童生徒は自ら進んで勉強するようになる。自発的に学ぶことが楽しいとわかれば、テストも宿題もいらない、と私は思うのです。
 そして、自発的主体的に学ぶ基礎訓練となるのが一読法です。

 余談ながら、子どもがテレビゲームなどに没頭してちっとも勉強しないなら、この手を使う方法があります。「家で学校の勉強はしなくていい。テレビゲームを思う存分やりなさい」と言う。ただし、今やっているテレビゲームにテストを課す。一日分の作業報告もレポートとして提出することを求める。
 おそらく「こんなの楽しくない」と言ってやめるのではないかと思います。これらの課題をこなし、なおゲームをやるようなら大したもんです。そのときは「eスポーツ」の選手を目指せばよいではありませんか。

 そもそも学校の勉強とは一体何のため、誰のためにするのでしょう。
 以下の質問に「はい・いいえ」でお答え下さい。

1 父親のため、母親のため、学校の先生のために勉強する。
2 テストや宿題のために勉強する。

 これに「はい」と答える人はまずいないと思います。勉強とは子ども自身のためにやるものであり、親のため、テストのためにやるものではありません。
 将来自分がなりたいものがある。そのために学ばなければならないことがある。だから、今勉強するのである――。
 児童生徒から「なぜ勉強するのか」と問われたら、そう教える大人は多いと思います。

 ただ、親のため、先生のためと感じている子どもだって、かなりいるような気がします。
 先生に言われたとおり予習と復習をやり、宿題をきっちりこなし、テストでいい点を取れば、親は「良い子だ」と誉めてくれる。ご褒美をもらえることもある。隣近所から「お子さんは優秀ですねえ」と言われると、親は「そんなことありませんよ」と謙遜しつつ、嬉しそうな顔を見せる。
 ところが、テレビやマンガの見過ぎ、ゲームのやりすぎでテストが平均点よりはるか下だと、「そんなことやってるからテストができない、成績が悪い。もっと勉強しなさい」と叱られる。
 かくして、勉強とは《親に誉められるため、親に叱られないためにやるものだ》と感じる。つまり、自分のためより親を満足させるためにやっているような気が……。

 あるいは、全国一斉学力試験がある。都道府県の平均点と全国順位が出る。先生には学校の順位も知らされる。全国1位になると、みんな「よくやった。すごい」と誉めたたえる。数点差の5位だと「1位を目指そう」と言う。24位以下だと、知事に始まって教育長、校長、先生方が「平均を超えるようもっとがんばれ。もっと勉強しよう」と子どもの背中を叩く。
 翌年平均点が上がり、順位が上がると、彼らは喜ぶ。下がると、また叱咤激励する。ブービーとか最下位だと、もう浮上をあきらめ、その県出身であることを隠したくなる。なんだか自分のためというより、知事のため、教育長のため、校長のため、学校のため、先生のために勉強している……ような気持ちになりはしないか。

 さらに、次の質問はどうでしょう。
3 入試に合格するために勉強する。
4 社会に出たとき、企業・組織のために勉強する。

 ビミョーに「はい」とも「いいえ」とも言いづらいかもしれません。
 3は当面「はい」である。なんにせよ高校入試がある。大学に行きたければ、大学入試がある。だから、合格するために勉強しなければならない。
 だが、そもそも「勉強とは入試に合格するためにやるものか?」と自問するなら、「違うのではないか」と言いたくなります。やはりその先にある将来の目標とか生き方、そこを目指す過程の中に入試があり、勉強というものがあるはずです。
 そして、4もまた社会の中で働く以上、最低限の知識・教養が必要であるという意味で「はい」だけれど、まずは「働く自分のため」と考えれば、「いいえ」でしょう。

 回りくどい言い方で恐縮です。以上四つの質問を中学生にしたとき、「将来やりたいこと、なりたい職業が決まっている」子どもはみな「いいえ」と答えるはずです。しかし、進路が定まっていない子どもは次のように答えるのではないでしょうか。
 勉強とは――
1 父に言われ、母に言われ、先生に「やれやれ」と言われるからやっている。
2 宿題が出され、テストがある。いい成績を、せめて平均点以上を取るためにやっている。
3 今の勉強の目的は入試だ。取りあえず高校に、取りあえず希望校に合格したいからやっている。
4 将来のことはわからない……。

 すなわち、将来が決まっていない子どもにとって勉強とはテストがあり、成績が付けられ、それが悪いと親や先生から「もっと勉強しろ」と言われるからやっている。宿題はやらないと「成績に影響するぞ」と脅されるからやっている。入試があってそれに合格しなければならないからやっている――となります。

 ここで私の小学校中学時代を語りたいと思います。私は小学校でも中学校三年間でも「将来なんになりたいか」全く決められない子どもでした。だから、私の勉強はいい成績を求めている親のためであり、先生や周囲から「優秀だ」と思われるための勉強であり、高校入試で普通科に合格するための勉強でした。
 いや、実はほのかに抱いていた志望がありました。中一のとき、父に「将来小説家になりたい」と打ち明けました。父はすぐ「お前には無理じゃろう」と言い、私は口を閉じ、以後この夢を封印しました。なぜ強く主張できなかったのか。

 小学校卒業時、私の家の蔵書状況はと言うと……絵本が数冊、児童文学の本も数冊。大人向けの書物・文庫本でさえ十冊あったかどうか。つまり、両親は本をよく読む人ではなく、子どものために書籍をたくさん用意する人でもありませんでした。さすがに新聞は取っていたけれど、家の本棚は一つだけで、百科事典十冊ほどが最も目立っていました。

 それなら私は小学校の図書室から本をたくさん借り出して読む子どもだったか。いえいえ、むしろ体を動かして外で遊ぶのが好きなタイプでした。小学校の六年間、国語の成績こそ5段階の「5」だったけれど、父が「こんな環境でわが子が小説家になれるはずがない」と思ったのはむべなるかな――です。

 中二になって本格的に進路を考えたときは「卒業したら、コックか板前になりたい」と言いました。料理が好きで「卵焼きをつくるのが得意だったから」がその理由です。当時中卒で行ける調理師学校はなかったと思います。実現させるには、高校には行かず、料理屋などに見習いとして入ったでしょう。
 そのとき父が言った言葉を(やや偏見に満ちているけれど、よく覚えているので)そのまま書きます。
 父は「お前は頭がないんじゃないから高校に行け」と言いました。普通科から大学を目指せというわけです。

 私が通った田舎の中学校は一学年百名ちょっとでした。成績はその中で上位五名ほどの中にありました。父の親心は子ども二人――四つ違いの兄と私を大学に行かせることだと考えていたようです。後に「分家した自分には財産がない。お前達に残せるのは教育だけだ」と聞いたことがあります。

 このときも私はそれ以上希望を主張することなく、父の言う通り高校(普通科)に行くしかないなと思いました。なぜなら「コックか板前になりたい」との言葉は中学校の勉強がいやだったからであり、早く家を出たかったからです。本心からなりたかったわけではありません。

 私にとって中学校の勉強とはテストで良い点を取るための勉強であり、通知票に5をずらりと並べるための勉強でした。そして、高校入試に合格するための勉強であり、親に誉められたいがための勉強でした。私はそれを必死でやっていました。もうアップアップでした。
 将来やりたいこともなく、大学に行きたいという気持ちもないのに、普通校に行ってさらに三年間同じ勉強をやらなければならないのか。そう思ったとき「こんな勉強やりたくない、高校には行きたくない、この家を出たい」と感じていたのです。

 私の場合は極端かもしれません。しかし、「勉強は楽しくない。いやいややっている、やらされている」と感じている子どもたちは多いと思います。その理由の一つに宿題があり、テストがある。宿題やテストを廃止し、各教科が「勉強とは遊びのように面白いものだ」と伝えることを最大目標とすれば、生徒は自ら進んで勉強するようになると思います(後述しますが、五年制の高専に進学して大学入試と無縁になったとき、中退までの三年間で知ったのは勉強する楽しさでした。ただし文系科目でしたが)。

 では、テストをやめることができるか、と問えば中高の先生方から以下のような反論が出ると思います。
「面白い教材を、というのはよくわかる。だが、教科で教えなければならないことが決められており、それは必ずしも面白い内容ばかりではない。それに生徒が授業内容を正しく理解したか、あるレベルに到達できたかを知るためにはテストが必要だ。テストをしないと成績をつけることができない」と。

 そこで、次の提言が生まれます。「成績をつけることをやめませんか。さらに、高校入試もやめませんか」と。成績評価をやめ、高校入試を廃止すれば、テストも宿題もいりません。そして、「中学校の教科書は読んで面白い内容ばかりにしませんか」と続きます。
 ただし、この前提として授業が一読法になることは不可欠です。一読法になれば生徒のノートはがらりと変わります。そして、先生は生徒のノートを見れば、どこまで理解したか、理解していないか、到達度も深化の程度もわかります。だから、テストは不要になるのです。

===============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:文中「なぜかわからない」と書いた「戦後総ルビをやめた」件。ネット検索したら、いくつか解説・コラムがヒットして経緯がわかりました。本文に入れづらかったので、ここで補足します(これだからインターネットはすごいと思います)。
 お勧めは以下のコラム。終戦直後の漢字廃止論やルビ消失の経緯について丁寧に説明されています。
 『GHQだけではなかった「漢字廃止論」 いま、漢字を使い続ける意味を考える』(2019年、 山脇岳志)↓
  https://globe.asahi.com/article/12738692

 日本を占領したGHQ(連合国軍総司令部)は「日本語をローマ字表記にして、漢字習得にかける勉強時間を外国語や数学の学習にあてるべき」として当初漢字を廃止しようとしていたこと(日本人の識字率の高さを知ってやめた)。次に財界からカタカナ入力のタイプライター「カナタイプ」が使えるよう「カタカナのみにせよ」との主張があったこと(漢字入力できるワープロ機の発明で立ち消えた)。そして、ふりがな廃止論を唱えたのは作家の山本有三(『路傍の石』で有名)であったことなどが書かれています。

 山脇氏は結論として次のように語っています。
「戦後、『当用漢字表』において基本的にふりがなが廃止されたのは残念である。漢字にふりがながついていることによって、子供たちが難しい漢字を覚えやすくなり、漢字の読み方を間違えて記憶することも避けられる。戦前の知識人の教養は、『ふりがな』の効用も大きいのではないかと思うこともある。ふりがなを多用することで、外国人にとっても、日本語を習得しやすくなる効果もあるのではないだろうか」と。
 もっと過激に語ってほしいところですが、これぞ「我が意を得たり」の思いです。

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