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2023.10.30

『続狂短歌人生論』27 愛エネルギーがほしい

 ――最近読み始めた読者各位へ――
『続狂短歌人生論』第1号は2023年3月7日開始「前置き」です。
 これまで26号発行しています。
 長文ばかりですが、おヒマなら最初からお読みください(^_^;)。

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 前号にて『続編』の内容を整理し、「脅迫・批判・傍観・受容」の生き方を変えること、相手に変わってほしいと要求することはとても難しいとまとめました。

 その中で「ここまでを前半とするなら、これから後半は『ではどうするのか』に突入します。自分を変えるにはどうすればいいか。身近の人を変えるにはどうしたらいいのか」と書きました。
 これを読めば読者各位は当然「次号から後半に入るだろうな」と思われたことでしょう。

 ところがぎっちょん、今号はまだ前半です(^_^;)。
 だけでなく、あと数回前半の論旨が続きます。「なにそれ?」とあきれないでください。

 本来なら、前半を終えてから「前半のまとめ」を書くべきです。
 まだ前半の途中なのに、前半のまとめなんて(某テレビ番組の言葉)「ありえへん」でしょう。
 なのに、前号にてそれまでの内容をまとめて迷路を整理した……。

 これはもう私の勘以外の何ものでもありません。「ここらでまとめておかないと、読者は道に迷うであろう」と。そう思って急きょ前半のまとめを書きました。

 となると「今後さらに同じ分量の後半を読まねばならないのか」とうんざりされるかもしれません。
 しかし、ご安心ください。これまでの分量は全体の3分の2です。あと数回で山頂に達し、後は下るだけ。
 残り3分の1とは計10号くらいでしょうか。よって、私の腹勘定としては年末で本稿を終えるつもりでいます。今しばらくお付き合いいただけると幸いです。

 そんなわけで、今号は「四タイプの生き方を変えることはなかなか難しい」との趣旨を別観点から語ります。久しぶりに「愛エネルギー」が登場します。
 四タイプは人に愛エネルギーを与えることが苦手である、へたくそである。
 逆に「私を認めてよ、もっと誉めてよ、愛してよ」と思っている。

 先んじて結論を言うなら、彼らは人に愛エネルギーを与えることができず、自分こそ愛されてしかるべきと思っている。まるで子どものまま大人になってしまったような人たちだ。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 愛されたい 認められたい 誉められたい 心に秘めて人と付き合う

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********* 「続狂短歌人生論」 *********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』27 愛エネルギーがほしい 】


 まずは「愛エネルギー」について前著の復習です。
 私たちは死が訪れる瞬間まで生き続けるためにエネルギーを必要とする。
 毎日必ず何かを食べている。よく「生きるために食べているのか、食べるために生きているのかわからない」などとつぶやかれることがあります。
 この答えは「生きることは食べることである」と言うべきでしょう。「食べることは生きることである」とも。つまり、どちらが目的だ、手段だとかではなく、イコールだと思います。
 ものを食べて元気が湧くとは自然のエネルギーを得たことを意味します。

 また、私たちはどぶ川を見るとがっかりして元気をなくす。逆に荘厳な山とか美しい清流、白砂清松の浜から海を眺めて爽快になり、元気を得る。これも自然のエネルギーを得たと言えるでしょう。

 一方、人と交流することで元気が出ることがある。相手から励まされたり誉めたりされると、何だか元気が湧いてくる。これを愛エネルギーと呼びました。

 愛エネルギーを与えてくれる人との交流は、私たちを元気にしてくれる。
 ところが、脅迫・批判・傍観・受容の四タイプはエネルギーを与えてくれない。むしろ我々の元気(エネルギー)を奪う人たちだ。
 なぜそんなことになるのか。四タイプを詳細に見ていきます。[以下「である」体]

 脅迫者

 脅迫者は天上天下唯我独尊である。人が自分を誉めたたえ、自分のために何かをするのは当たり前だと思っている。だから、彼に感謝の言葉は出てこない。
 自分が絶対的に強く正しく、人は弱くて愚か者ばかりだと思っている。(だからこそ自分が彼らを支配し命令を発しているんだ!)
 軽蔑して見下す者の言動に「誉める」要素などありえない。だから、脅迫者は身近の人に「誉める」形の愛エネルギーを与えることができない。

 批判者

 批判者も脅迫者同様自分が常に正しく、周囲は愚かな連中ばかりだと思っている。(だからこそ自分がリードして良い方向に導くのだ!)
 よって、人が常にがんばっている自分を称賛したり、何かをするのは当然と考える。脅迫者と違って感謝の言葉を言うことはできるが、それは本心からではない。

 いつも100点満点、最低でも90点以上を求める完璧主義者は人への批判をやめることができない。平凡な人間は正解の90点を見て称賛する。だが、完璧主義の批判者は間違った10点を見て物足りなさを覚えるからだ。
 それを指摘することは非凡さの証明ともなる。完璧主義者は「よく気づきましたね」と言われることが嬉しくて仕方ない。だから、批判者は人や物事への批判を止めることができず、自らも満足ということを知らない。

 ゆえに批判者もまた誉めたり、感謝の気持ちを心から言うことができない。唯一反省できる批判者が自分の決定的な間違いに気づいたとき素直になれるだけだ。結局、批判者も他者に愛エネルギーを与えるのが苦手である。いや、そんなことはする必要がないと考えている。

 脅迫者・批判者は常に自分が正しく人は間違っていると思っている。脅迫者は絶対の自信家であり、批判者も(特に自分の専門分野において)相当の自信家である。
 だから、彼らは人の言動の悪いところはすぐ気づく。だが、良いところはなかなか気づかない。

 ここに百パーセントの完璧主義が混じると、人には良いところなど一つもないと思う。当然人が行う言動に対して尊敬や感謝の念など起こらない。
 周囲が90点の出来を称賛しても、「100点ではないのに誉められるなんて」と思うからうれしくない。よって、周囲の誉め言葉はお世辞だと考える。お世辞と思うから、完璧主義者は人を誉めることができない。

 完璧主義の批判者は周囲を苦しめ、自ら苦しむ。なぜなら神ならぬ身の人間。人に100点満点の活動や人生などあり得ない。
 周囲の人間は完璧主義者を満足させるため、いつも満点を目指して生きねばならない。完璧主義者自身も病気になったり、年を取ると満点の活動ができなくなる。80点、70点、60点に下がる自分にいら立ち、苦しむ羽目になる。

 この二タイプは人を攻撃し、相手を負かすことによって元気を得る。結果負けた相手は元気をなくす。つまり、人のエネルギーを奪うタイプである。彼らは本質的に「愛エネルギー付与」ができない性格の持ち主なのである。

一方、傍観者と受容者について。

 傍観者

 傍観者は基本的に自分以外のことに関心がない。根底に《無関心》があるので、人(とその言動)をしっかり見つめることができない。誰かが当人のために良いことをやってくれても、気づかず感謝の言葉を言い損なう。傍観しているから人の誉めるべき要素を見落とす。

 事態をぼーっと眺めれば誤解だって増える。自分が傷つくような場面でもないのに、傷ついたと思って人を責めたりする。当然感謝の言葉は出てこない。ここでも相手の言動を誉めることができない。

 傍観者は自分が不利益を受けることを最も嫌う。芥川龍之介『鼻』の「傍観者の利己主義」について表と裏の感情を説明した。(『一読法を学べ』27号参照)
 自分ひとりいい目を見たいのが表の感情であり、不利益を受けることは許せないのが裏の感情である。不思議なことに事態をぼーっと眺めているはずなのに、傍観者は自分だけが不利益を受けることにはとても敏感である。そのようなときは相手に対して敵意を露にする。

 人に対する敵意とは愛エネルギーと真逆の感情である。ゆえに傍観者は他者への愛エネルギー付与ができない。
 ただ、自分に多大の関心を抱き、自分を慰めてくれる人に対しては感謝の意を表すことができる。その人への絶大な奉仕や献身を示すことがある。

 受容者

 受容者は結局「自分」のことしか関心がない。四タイプの中では受容者が最も人を誉めている(ように見える)。だが、それは口先だけである。相手から嫌われないため、迫害されないために言うお世辞のようなものだ。ホンネを語らせればそれがよくわかる。誉められたいのはいつも被害にあっている、しかし、がんばって奉仕している自分の方だと思っている。

 受容者タイプと話をすると、大概の人は被害・迫害を訴える受容者に同情する。が、自分を変えようとしない、あきらめて服従し続ける彼(彼女)にやがてうんざりする。
 受容者もそれに気づいているが、受容と被害のドラマをやめることはできない。
 相手の「うんざり感」に気づいている――つまり「この人は私と嫌々付き合っているのか」と思うから、相手に対して心からの感謝の気持ちが湧いてこない。

 また、誰かが受容者にいろいろなことをやってあげても、彼(彼女)は「自分の被害の程度はそれくらいでは足りない、もっともっと」と思っているので、相手の言動に満足することがない。だから、受容者にも感謝の言葉が出てこない。

 仮に「ありがとう」を言ったとしても、それは心からではない。愚痴と泣き言を並べる受容者は、そうすることによって自分は弱く迫害されている人間だから、「もっと愛してくれ」と言っているに等しい。「自分こそ誰よりも人に愛されていい人間だ」と信じているから、愛が来ると奪い続ける。そうして自らは他者を心から愛することができない。
 受容者は一見最も愛にあふれた人に見える。だが、受容者も他者への愛エネルギー付与ができないタイプなのである。

 つまり、傍観者・受容者は基本的に自分のことしか関心がない。脅迫者と批判者の支配から逃れるため(自己を防御するため)、傍観者は「傍観」を、受容者は「弱者」を装って生きてきた。
 結果この二者は人への関心を失ってしまった。相手から愛エネルギーを受けているのに、鈍感だったり、ときに拒絶したりする。

 傍観者は誰か(特に批判者)が生き方を変えるよう口酸っぱく説得しても、冷たい無視の態度をとる。
 それはまるで底なしの砂地獄である。説得した方は自分のエネルギーが吸い取られて元気をなくす。逆に傍観者はエネルギーを得る。

 また、受容者は慰めてくれる相手に対して「あんたに私の気持ちはわからない。下手な同情はいらない」と拒否することがある。すると相手はがっかりして元気を失う。逆に受容者はエネルギーを得る。
 彼らもまた相手からエネルギーを奪うタイプだから、「愛エネルギー付与」ができない。もっともっと自分に愛エネルギーをよこせという言動をとる。

 傍観者は部屋の片隅で誰かが声をかけくれるのをじっと待つ。受容者は自分がいかに迫害されているか、泣き言を吐き、相手に「かわいそうだね」と思わせる。それによって愛エネルギーがやってくる。
 傍観者・受容者もやはり「愛エネルギー」を奪うことしかできないのである。

 結局、脅迫・批判、傍観・受容の四タイプは原性格のままでいる限り、他者の愛エネルギーを奪うことがその基本にある。だから、いずれのタイプも心からの「愛エネルギー付与」はできないということになる。
 愛エネルギー付与ができないということは、つまり「人を心から愛することができない」ことを意味する。

 本号前置きに次のように書いた。
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 先んじて結論を言うなら、彼らは人に愛エネルギーを与えることができず、自分こそ愛されてしかるべきと思っている。まるで子どものまま大人になってしまったような人たちだ。
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 子どもは親に対してしばしば「見て見て」と言う。それは自分を見てほしい、認めてほしい、誉めてほしいと要求する言葉。すなわち愛エネルギーを与えてほしいと求める姿である。
 やがて子どもは「見て見て」の言葉を言わなくなる。違う言葉や態度で親や先生、大人からの「すごいじゃないか」の言葉を引き出そうとする。それに成功したのが脅迫者と批判者。失敗したのが傍観者と受容者である。

 脅迫者
 脅迫者のあなたは他者から愛され認められ注目されたいと思った。だから、強い人間になろうと思い、体を鍛え《力》と度胸を身につけることに成功した。だからあなたは力こそ絶対――の脅迫者になった。

 批判者
 批判者のあなたは他者から愛され認められ注目されたいと思った。だから、強く正しい人間になろうと思い、《理屈》を身につけ、完璧にやり遂げることに成功した。だからあなたは批判こそ正義、完璧こそ絶対――の批判者・完璧主義者になった。

 傍観者
 傍観者のあなたは他者から愛され認められ注目されたいと思った。だが、できなかった。
 あなたは人に勝つことをあきらめ、人から支配されることを《傍観》によって防いだ。だから、あなたは部屋の片隅で傍観する。ひとりぼっちを装い、誰かが気づき声をかけてくれるのを待つ傍観者となった。

 受容者
 受容者のあなたは他者から愛され認められ注目されたいと思った。だが、できなかった。
 あなたもまた人に勝つことをあきらめ、自ら進んで支配される道を選んだ。だから、あなたは相手の言うことに全て服従する。いつもにこにこと微笑んで決して敵意を表さない。だが、裏に回ると、人に脅迫され、迫害され虐げられている被害者であると、涙ながらに訴える受容者となった。

 おわかりだろうか。四タイプが自らの性格、生き方を変えることの難しさ。
 四タイプの特徴を露にする人に「変わってほしい、改めてほしい」と言っても、なかなか変わってくれない。
 それは彼らが子ども時代、親に先生に「見て見て」と言い、自分を認めてほしい、誉めてほしい、愛エネルギーを与えてほしいと思った――そこから始まっている。

 幼いころから親や大人との関係において構築した生き方を変えることは容易ではない。
 ただ、気づかなければならない。四タイプの生き方は自分が愛されたい、エネルギーを得たいという生き方であること。その生き方は相手からエネルギーを奪っているということだ。

 くどいようだが、四タイプの原性格を根本に持つ人を具体的に述べておく。

 常に怒りを露わにして暴力的な脅迫者は心から人を愛することができない。

 常に他者を批判して悪口を言う批判者も心から人を愛することができない。

 常に他者に無関心な傍観者は心から人を愛することができない。

 常に服従して泣き言と愚痴をこぼし、被害を訴える受容者も心から人を愛することができない。

 彼らはみな自分こそ愛してほしい、自分こそ愛される資格があると思っているのだ。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:ここでも四タイプの「愛エネルギーを与えられない=愛することができない」姿を語っています。
 しかし(以前も書いたように)「そんなことはない。相手を愛しているから自分は脅迫したり、批判したり、傍観したり、全て受け入れているんだ」との反論があっていいところです。
 この問題はいずれ語ります。反論を試みてください。

 以下は別件。
 私は3つのメルマガを発行しています。うち競馬GIの予想と回顧を配信する『ほぞ噛み競馬予想』が先日1000号を達成しました。
 以下、その記念号(?)後記の文章です。お読みいただければ幸いです。

*************************************
 私的話題ながら、メルマガ『ほぞ噛み競馬予想』は通算1000号となりました(^_^)。
 創刊号は2004年4月17日皐月賞予想から――ですが、前年10月御影祐のホームページにてGI予想を始めていました。もちろん題名は最初っから『ほぞ噛み競馬予想』です。
 今となっては『御影祐の大歓喜的中予想!』とでもすれば良かったと後悔しております(^_^;)。

 もっとも、「ほぞ噛み競馬予想」でネット検索してみてください。
 私のブログと「まぐまぐ」読者登録サイトがトップ2に出現します。つまり、こんな題名をつけたのは日本で(世界で?)私ひとりということです(^.^)。

 創刊号の前置きに以下の文章があります。
-------------------------------------
 今日(土曜日)お昼に近くの食堂でカレーライスを食べながら、スポーツ新聞を見ていたら、今年中央競馬会が創立50周年記念であると報じられていました。
 なんだ中央競馬って私と同じ年だったんだと改めて気づき、なぜ私は競馬が好きなのか、理由の一端がわかったような気がしました(^_^;)。
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 ちなみに1954年は自衛隊の発足年であり、日本で最も愛され、銀幕のスターとなった怪獣が生まれた年です。来月最新作が公開されるとか。

 確かメルマガは読者60数名からスタートして一時期140台まで上昇したことがあります。
 そして、今は75名の方にお付き合いいただいております。
 創刊号からの読者なら、みなさんも私も20歳年食ったことになり、感慨深いものがあります。しかるに、依然として「ほぞ噛みが売りの予想ではなあ」と反省することしきり。
 なんとか「ほぞ噛みなき競馬予想」にしたいものです(^_^;)。

 それにしても、私的喜びの今日、ウクライナ戦争に続いてイスラエルとガザ・ハマスとの悲惨な紛争を伝えねばならないとは。世界はすでに第三次世界大戦に突入したような気がしてなりません。
 地球温暖化、異常気象、貧富の格差、移民・貧困など、世界は待ったなしの課題に直面している。なのに、課題解決の方向に進めない。

 古代恐竜が一発の隕石で滅亡したように、人類や多くの生き物も全滅に向かっているような……絶望感にとらわれます。
 何より当該地域の子どもたちが悲しみに浸っているかと思うと、「どうかわかってくれよ。大人たち」と言いたくなります。

 もしも神が私の願いを一つだけ聞いてくれるなら、「世界中の殺人兵器をおもちゃにしてほしい」と祈ります。
 おそらく神は「私にそのような力はない」と答え、「そもそもどうしてそんな簡単なことができないのだ」と言うでしょう。

 高尚なこと言って「競馬やるんだ」と言われそう。
 しかし、3連単1千万当てて半分ユニセフに寄付する夢を持っています。
 世界のことはただ平和と一人一人の覚醒を祈るのみ。

 よって、競馬はやめないし、ほぞ噛み予想も続けます。
 以後命尽きるまでほぞ噛みにお付き合いいただけると幸いです。
 たぶん2000号を迎えることはないでしょう(^_^;)。
                         御影祐 m(_ _)m

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2023.10.29

天皇賞秋、結果とほぞ噛み

 天皇賞秋、結果は――◎1着でも当りとならない……総外れ(^.^)

 1着―ルメル 07イクイノックス…………[◎] 単勝=1.3
 2着―横山武 06ジャスティンパレス……[・]
 3着―川 田 09プログノーシス…………[・]
 4着―モレイ 04タノンベルーガ…………[・]
 5着―西村淳 05ガイアフォース…………[?]

 一覧[A→H→C→G] 馬群[1→2→1→2]
 馬順[A→F→C→D] 枠順[A→A*→C→D]

 枠連=6-6=12.5 馬連=07-06=13.3 馬単=15.0
 3連複=07-06-09=21.8 3連単=69.6
 ワイド12=5.5 W13=2.8 W23=16.5

-------------
 本紙予想結果
 印騎手番馬        名 馬 結果
 ◎ルメル07イクイノックス   A 1
 〇藤岡佑10ジャックドール   E  11
 ・武 豊03ドウデュース    B  7
 ・川 田09プログノーシス   C 3
 ・モレイ04ダノンベルーガ   D 4
 ・横山武06ジャスティンパレス F 2
 ?西村淳05ガイアフォース   G 5 

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【秋天過去8年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2023年 A→H→C→G A→F→C→D 1→2→1→2
2022年 A→QB→H→C A→G→D→C 1→3→2→1 乖2・3着
2021年 D→A→B→QA C→A→B→09 1→1→1→3
2020年 A→H→B→F A→D→B→E 1→2→1→2 乖2着
2019年 A→D→H→F A→D→F→G 1→1→2→2
2018年 B→F→C→D B→D→G→E 1→2→1→1 乖2着・逆3着
2017年 E→H→QF→A A→B→14→C 2→2→4→1 乖1・2着
2016年 C→D→G→E A→F→E→D 1→1→2→2

 唯一乖離馬の一覧G04ダノンベルーガは4着だった。
 さすがに一覧ABC―馬順ABCの123着はなかった。

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 【天皇賞秋実近一覧表】 東京 芝20 11頭 定量58キロ [全牡]
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=07|イクイノックス 4| 1.7{AA}[10]B|A| |AAAA ◎1
B=03|ドウデュース  4| 6.4{BB}[11] |B| |BBBB ・7
C=09|プログノーシス 5|11.7{CC}[9] |C| |DECC ・3
D=02|エ  ヒ  ト 6|12.7{1109}[6] |11| |11111111
[2]
E=10|ジャックドール 5|22.6{DE}[1]逃|E| |ECEE 〇11
F=08|ヒシイグアス  7|30.6{EH}[5] |H| |09HH09
G=04|ダノンベルーガ 4|33.1{FD}[8] |D|乖|CFDD ・4
H=06|ジャスティンパレ4|33.7{GF}[3]C|F| |FDFF ・2
[3]
QA=05|ガイアフォース 4|35.8{09G}[4]D|G| |G09GG ?5
QB=11|アドマイヤハダル4|38.8{H11}[7]A|09| |H1009H
QC=01|ノースブリッジ 5|43.7{1010}[2]E|10| |10G1010

 注…「馬」は馬連順「3指」は3複系順位、「単複」は単複順位
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 ○ 展開予想

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し
番10 01 06 05 -08 02 11 04 -09 07 03
覧5 △ ▲ ◎ 〇
3F E C D A B
本〇 ・ ・ ・ ◎ ・
結 2 5 4 3 1
--------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れE [AB型] 枠順AB=2.9
 馬連型=A流れG [AB型] 馬連AB=2.6

 枠連=AB/CDE/FG/H 
 枠順=63 748 51 2  枠順[A→A*→C→D]
 馬順=AB CDE G10 11  馬順[A→F→C→D]
 代行=F H 09
 ―――――――――――――
 結果=12 34

 [オッズ分析]

 枠連AB2.9倍、馬連AB2.6倍。3複ABC[07-03-09]5.4倍。
 この馬券を各100万買ったつもりで、ケンするレースであろうか(^.^)。
 しかし、3複ABD[04]も5.5倍であり、オッズからは04も捨てがたい。
 よって、もう1枚3複[07-03-04]も100万追加?
 これでもしもBCDが消えたら400万失って目も当てられない。
 かと言ってEFGに流し始めてA→BCD決着となったらトリガミ必至。
 やっばりケンするレースのようです。
 もしも枠連2枚買って眺めるなら[A→E・A](6→8・6)でしょうか。

 [結果]
 やはりケンするレースだったと思うが、枠連2枚購入のうちゾロ目的中。
 つまり、ど本命A軸の場合、BCD蹴ってEFGを買うと言うパターン
であった。

*****************************
 ※ 回  顧

 う~~~ん。参りました。脱帽です。お手上げです。
 ルメールマジック炸裂しました(^_^)。

 ――と書いたのが、先週の菊花賞。
 そして今週天皇賞秋。ルメールマジックとはさすがに言い難い。
 強い◎馬にチョーA級騎手が乗り、馬なりで勝った。それだけのこと。
 ところが、タイムは驚異のレコード良1552。
 確かこれまでのレコードは1561だったからほぼ1秒短縮しました。

 このレコード達成に手を貸したのが我が(ウラ●的)〇藤岡佑10ジャックドールだと思うのですが、いかがでしょう(^.^)。同馬は最下位11着でした。

 が、果敢に逃げました。誤算だったのは西村淳05ガイアフォースと競るようになって抜け出すまでに脚を使ったこと。なおかつ1000メートル通過57.7。
 そのアナウンスを聞いたとき、「終わったよ」とつぶやいたものです。
 しかし、これは彼の捨て身の逃げ戦法。
 頭か最下位かという一か八かの賭け。いいんじゃないですか(^.^)。

 私も予想で書きました。「私が思い描くジャックドールはテレビ馬的果敢な逃げ。向こう正面で10馬身離してほしい。そして4角に至るも10馬身差」と。
 同馬は200~1000まで[11.0-11.5-11.4-11.4]のペースで走っています。
 これこそハイペース。テレビ馬……となるはず。

 なのに後続は離れない、離せない。ればたらはないけれど、ゴールが1600メートル地点ならジャックは1321で通過しています。勝つか2着でも不思議なし。
 普通、このペースで逃げれば後続馬群は10数馬身後ろのはずです。
 ところが、みんな離れてくれない(^.^)。

 なぜ離れなかったか。
 理由は(展開図からは後方にいるはずの)ルメール・イクイノックスが3番手にいるからだと思います。これが10馬身くらい離れた3番手ならまだわからなくもない。ところが、数馬身差の3番手。他の馬だってこれでは後方をちんたら走るわけには参りません。

 イクイノックスは前走宝塚記念を[16-16-13-09]位置で走っています。
 近走は平均すれば10番手以降を追走。ところが、今回は3番手先行した。

 推理するに、ルメールはGI大阪杯を勝っているジャックドールを楽に逃がしては危ないかもしれないと思ったのではないか。だから、プレッシャーをかけるかのように追走した。これではいかなジャックドールの大逃げもえじきになるしかありません。

 そして、直線残り400地点、ルメール・イクイノックスはまるで鷹のように獲物に狙いを定め、前2頭をあっさり抜くと、右ムチ一閃。ちょっと内によれたので左ムチ一閃。あとはすたこらさっさとゴールまで歩く(?)だけ――と見えました。

 追い込んだ横山武06ジャスティンパレス、川田09プログノーシスとはコンマ4差。
 もしも追っていたら、このレコードさえ凌駕したかもしれない、それほどの馬なりで勝ちました。もういちゃもんの付けようがありません(^_^;)。

 ふと「今年凱旋門に出ていたら勝ってたんじゃない?」と思ったほど。
 まーればたらはありませんが。

 以上です。が、残念なニュースが。

 昨年のダービー馬ドウデュースは武豊から戸崎圭に乗り替わって7着。
 やはり2月以来の実戦が響いたのでしょう。

 武豊は5レースゴール後馬に蹴られて負傷したそうです。
「折れてはいない。だが、歩けない」とのことで乗り替わりとなりました。
 レジェンドの早い回復を祈ります。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2023.10.28

天皇賞秋、直前予想

 さー「明日は秋の大一番天皇賞。秋天→JC→有馬と続く古馬王道GI
第一戦です」と昨年書いたことを、そのまま使わせていただきます(^_^;)。

 昨年は「3歳若駒対古馬の闘い」と銘打って予想しました。
 3歳筆頭が皐月・ダービー連続2着のルメール・イクイノックス。
 私は「GIを勝っていないし、古馬の方が強いのでは、と思って〇」に。
 あっさり勝たれてしまいました。2着も無印[?]馬で馬券は全滅でした。

 まー過去を振り返っても詮無いので、今年の秋天。
 今年3歳馬の参戦はなし。だけでなくなんとたったの11頭。
 秋天過去の最少頭数は12頭なので記録更新です。
 ちなみに、12頭2回の結果は以下の通り。
 18年=勝ったのはルメール・レイデオロ、単人気[2→4→6]。
 20年=勝ったのはルメール・アーモンドアイ、単人気[1→5→2]

 ということは今年もルメール・イクイノックスで鉄板?(^.^)
 同馬は昨年(菊花蹴って)秋天Vから[有馬→ドバイSC→宝塚]など、目下内外GI4連勝中。1番人気確実。もしかしたら単勝110円?
  まー表の◎でしょんなかでしょう。


 まずは過去7年の実近一覧結果から。

【天皇賞秋、過去7年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2023年 →→→ →→→ →→→
2022年 A→QB→H→C A→G→D→C 1→3→2→1 乖2・3着
2021年 D→A→B→QA C→A→B→09 1→1→1→3
2020年 A→H→B→F A→D→B→E 1→2→1→2 乖2着
2019年 A→D→H→F A→D→F→G 1→1→2→2
2018年 B→F→C→D B→D→G→E 1→2→1→1 乖2着・逆3着
2017年 E→H→QF→A A→B→14→C 2→2→4→1 乖1・2着
2016年 C→D→G→E A→F→E→D 1→1→2→2

 GI最高峰とも言える秋天ですから、能力評価がかなり定まっている。
 一覧も馬群は第1、第2群内でほぼ決まっています。また、乖離馬絡みも多い。
 今回の乖離馬は第2群G(04ダノンベルーガ)1頭。さて、どうか。

 一つ補足を。第1群Dに02エヒトが入っています。実績・近走は[1109]だから、ここに入るはずがありません。しかし、なぜかときどきこの現象が起こります。
 実質4番手は10ジャックドールだと思います。

*****************************
 【天皇賞秋実近一覧表】 東京 芝20 11頭 定量58キロ [全牡]
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=07|イクイノックス 4| 1.7{AA}[10]B|A| |AAAA
B=03|ドウデュース  4| 6.4{BB}[11] |B| |BBBB
C=09|プログノーシス 5|11.7{CC}[9] |C| |DECC
D=02|エ  ヒ  ト 6|12.7{1109}[6] |11| |11111111
[2]
E=10|ジャックドール 5|22.6{DE}[1]逃|E| |ECEE
F=08|ヒシイグアス  7|30.6{EH}[5] |H| |09HH09
G=04|ダノンベルーガ 4|33.1{FD}[8] |D|乖|CFDD
H=06|ジャスティンパレ4|33.7{GF}[3]C|F| |FDFF
[3]
QA=05|ガイアフォース 4|35.8{09G}[4]D|G| |G09GG
QB=11|アドマイヤハダル4|38.8{H11}[7]A|09| |H1009H
QC=01|ノースブリッジ 5|43.7{1010}[2]E|10| |10G1010

 注…「馬」は馬連順「3指」は3複系順位、「単複」は単複順位
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 ○ 展開予想

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し
番10 01 06 05 -08 02 11 04 -09 07 03
覧5 △ ▲ ◎ 〇
3F E C D A B


--------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れE [AB型] 枠順AB=2.9
 馬連型=A流れG [AB型] 馬連AB=2.6

 枠連=AB/CDE/FG/H 
 枠順=63 748 51 2
 馬順=AB CDE G10 11 
 代行=F H 09
 ―――――――――――――
 結果=

 [オッズ分析]

 枠連AB2.9倍、馬連AB2.6倍。3複ABC[07-03-09]5.4倍。
 この馬券を各100万買ったつもりで、ケンするレースであろうか(^.^)。
 しかし、3複ABD[04]も5.5倍であり、オッズからは04も捨てがたい。
 よって、もう1枚3複[07-03-04]も100万追加?
 これでもしもBCDが消えたら400万失って目も当てられない。
 かと言ってEFGに流し始めてA→BCD決着となったらトリガミ必至。
 やっばりケンするレースのようです。
 もしも枠連2枚買って眺めるなら[A→E・A](6→8・6)でしょうか。

****************************
 ※ 直前予想

 まずは実近一覧について。
 一覧トップABC[07-03-09]がそのまま馬順ABCとなりました。
 そのまま123着になってもおかしくありません。
 しかし、この3複=5.4倍。とても買う気になれません。
 されど、3単ABCなら13.0倍。トリガミ覚悟でこれなら買ってもいい。
 そして、3強最もおいしい馬券は3単[C→B→A]とよく書きました。
 この3単なんと103倍。これならドブ捨てと思って1枚買いましょう(^.^)。

 さて、結論です(^_^;)。

 表の◎牡4ルメール07イクイノックス。
 成績8戦[6200]。新馬→2歳G2を連勝、3歳以降は全てGIで6戦4勝2着2回。
 敢えていちゃもんつけるとすれば、GIで2回2着があるし、前走宝塚Vから4ヶ月の休み明け。芝20は2戦[1100]。よって、2着の可能性0ではない。
 と書いていて空しくなるような……書き甲斐のない◎予想です(^.^)。

 父はあのキタサンブラック。供用3年目で重賞9勝、GI4勝(うち3勝がイクイノックス、1勝が今年皐月Vのソールオリエンス)。馬主はシルクレーシング(8万×500=4000万)。この程度でいいでしょう。

 問題は馬券の買い方。11頭という小頭数(?)でもあるし、私は馬連の相手を1頭に絞りたいと思います。
 そして、馬単はイクイノックスまさかの2着を想定して[〇→◎]を買う。
 ただし、いつもならオッズから2番人気[一覧・オッズBBBB]の武豊03ドウデュースを買うところですが、後述のように違う馬を選びます。3着候補も4頭に絞る。
 よって3複4点、3単表裏の8点。これ以外は買わない。
 これなら外れても被害は少ないし、当たってトリガミもぎりぎり防げるかもしれない。 そう思っての印付けです。

 相手候補は以下の5頭。
 牡4横山武06ジャスティンパレス・牡5藤岡佑10ジャックドール・牡4モレイラ04ダノンベルーガ・牡4武豊03ドウデュース・牡5川田09プログノーシス。
 ここは絞るため、東京芝20の実績を取り上げました。
 なお、イクイノックスは東京1戦1着ですが、22年秋天1575、4角9番手から3F32.7と抜けているので問題ありません。

 [東京芝20の成績(一覧順、ラストに脚質)]
03ドウデュース  =出走なし(東京は2戦2勝) 追込
09プログノーシス =出走なし・東京初(上がり8戦ベスト1) 差追
10ジャックドール =4戦[2002] 芝20の鬼15戦[8205] 逃先
04ダノンベルーガ =1戦3着 差し
06ジャスティンパレ=出走なし(東京は1戦9着) 差し

 ちょっといちゃもんつけたくなるのはドウデュースとプログノーシス。
 03ドウデュースは東京2戦2勝だけど、芝18とダービー芝24。芝20は初。
 まーこれは大したことないと思います。引っかかるのは3月以来7ヶ月ぶりの実戦であること。それもドバイGIを取り消したので、2月G2京都記念V以来の実戦。それが不安です。

 また、09プログノーシスは前走G2札幌記念をまくり勝ちしたし、全10戦[6211]で掲示板を外したことがない。さらに日本の9戦中上がりは全て3位以内、トップ8回。父ディープインパクトも魅力。
 しかし、東京コース初だし、3歳時のGI、4歳以降の国内GIも出走ない点がビミョー。ここは良くて3着か。
 それに04ダノンベルーガも06ジャスティンパレス東京でどうだろう、と思います。

 となると、〇にしたい馬は……もうおわかりでしょう(^.^)。

 その前に上記6頭の展開位置を見ると、

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し
番10 01 06 05 -08 02 11 04 -09 07 03
覧5 △ ▲ ◎ 〇
3F E C D A B

 11頭だから、最後方11番手となっても、18頭なら中団みたいなもの。
 イクイノックスの前後を走る09ブログと03ドウデュース、また差し馬の04ダノンは直線イクイを抜けないような気がします。
 そうなると、前を走って粘る馬にかすかなチャンスあり。

 それが逃げAの藤岡佑10ジャックドールではないでしょうか。
 8枠ではあるが、これも10番。18頭なら5枠とほぼ真ん中。つまり、楽に逃げることができると思います。

 問題は前走G2札幌記念の結果。1番人気に支持されながらプログノーシスの7着敗退。着差がひどくて1秒7差。敗因は初の稍重でしょうか。
 ただ同馬は芝20の鬼。全16走のうち芝20が15戦。成績は[8205]。今年4月阪神GI大阪杯[芝20]を勝っており、格的にはここで活躍しても不思議なし。

 もう一つこの馬先頭切って逃げたレースが7レース、2番手から4~5番手先行が8レース(香港GI7着不明)あります。
 その成績は
 逃げたレース=[5001] 番手~先行=[3203]
 と明らかに単騎逃げの方が好成績。今回逃げAとなって単騎逃げが予想される。
 よって、まさかの逃げ粘りを信じて〇10ジャックドール。
 ◎07イクイノックス、〇10ジャックドール。残りの4頭は3着候補とします。

 私が思い描くジャックドールはテレビ馬的果敢な逃げ。向こう正面で10馬身離してほしい。そして4角に至るも10馬身差。後は懸命に粘って粘って……イクイノックスに差されて2着。もう1頭差されてもクビ差しのいで3着。もしかしたらすたこらさっさでまさかの1着ゴールも(^.^)。
 藤岡佑介くんは37歳にもなるのに、いまだGIただ1勝(重賞44勝)。
 波乱を起こしてくでぇ~と叫びたい。

 今回は200年以降3回目の天覧競馬とか。
 思い起こせば、05年秋の天覧競馬。私は東京競馬場にいました。
 1番人気の横典13ゼンノロブロイが2着で1着は14番人気(75)倍の松永01ヘヴンリーロマンス。馬連1万、馬単4万、(3着13番人気で)3複14万、3単120万でした。
 2回目の天覧競馬は2012年。私はその年の5月帰郷したので、テレビ観戦でした。
 ミルコ・デムーロがエイシンフラッシュで勝ったときですね。今年はルメールか武豊か。やっぱりAB決着でしょうか(^_^;)。

 以上です。

 本紙予想
 印騎手番馬        名 馬順
 ◎ルメル07イクイノックス   A
 〇藤岡佑10ジャックドール   E
 ・武 豊03ドウデュース    B
 ・川 田09プログノーシス   C
 ・モレイ04ダノンベルーガ   D
 ・横山武06ジャスティンパレス F


 さて結果は?

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2023.10.22

『続狂短歌人生論』26 迷路の整理(^_^;)

 前号後記の宿題――筆者はなぜ文中に俵万智さんの短歌を引用したのか。
 答えです。

 この質問、もしも冒頭の(狂短歌が)「文学的香りに乏しい」との言葉に気づかなければ――一読法で言うなら、そこに傍線を引いていないとチョー難しい質問です。が、後記ではそれを出しているので答えは簡単です(^_^)。こういう質問が苦手な人は「二項対立」に弱いと自覚してください。

 俵万智さんの短歌は「さすがの文学的芳香」とあります。かたや筆者の狂短歌は文学的香りに乏しい、こなた文学的芳香かぐわしき歌。ここにおける二項対立は《香りに乏しい》と《豊かな香り》。

 よって、答えはこうなります。
 今回冒頭の狂短歌はあまりにも文学的香りに乏しい。だから、文学的芳香をかもし出すため、俵万智さんの秀歌を引用した。
 言うならば女性がスッピンに化粧したり、きらびやかな宝石を身にまとうようなもの。私の下手な文章に有名短歌の美しい宝石を飾ったというわけです(^_^;)。
 えっ、女性が「下手」と言っているわけではありませんよ。比喩です比喩。

 ちなみに、そもそも論文とかエッセーに、人の作品の一節、偉人の言葉を引用するのは「自分の文章に箔をつけたり補強したりするため」です。
 この一般的手法を知っていれば、難しい質問ではありません。今後文章を書く際参考にしてください。

 [学生諸君へ(もしも本稿を読んでいるなら)]

 ということは論文作成に上達したければ、《語彙をたくわえ、特に二項対立の漢字をしっかり習得し、いろいろ本を読み、感銘を受けた人の言葉、作品の一節などをメモしていつでも使えるよう頭に保存しておく》ことです。
 論文テストにおいて「誰それはこんなことを言っているが……」などと書けば、点数が10点アップすること間違いありません。

 さて、本号の見出しは「迷路の整理」とあります。「なにそれ?」って感じでしょう。
 前号終了後思い立って急きょ執筆しました。

 もしかしたら、本稿がいろいろ脇道にそれている感じだから、何がテーマか、問題は何か。そして、どこに向かっているか、わかりづらくなっているかもしれません。
 ここで『続編』の内容を整理しておくのも無駄ではあるまい、と思って語ることにしました。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 四タイプ 変えることの難しさ 演技ではない 自分自身だ
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****** 「続狂短歌人生論」 ********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』26 迷路の整理(^_^;) 】

 ご存じのように本稿『続狂短歌人生論』も前著に続いて脅迫・批判・傍観・受容の四タイプについてあれこれ語っています。(くどいほどに?)同じようなことが語られているけれど、ビミョーに前著と変わってもいる。変化に気づかれたでしょうか。
 では「どこが? どのように?」と聞いたら、「わかるわけないよ」との言葉が返ってきそうです(^.^)。

 これは読者の読解力不足というより、筆者である私の執筆姿勢に問題があります。
 実は私自身ラビリンスに迷い込んでいる――と言うか、しばしば脇道に逸れていることが原因かもしれません。ある節において「それはさておき」とか「閑話休題」がよく使われるのも正に脇道に入っていることを示しています。

 本稿『続編』はこれまで前置きの1号を含めて全25号発行しました。
 大筋で言えば、教育・人生・子育て論です。中でも人の生き方、考え方、感じ方について「脅迫・批判・傍観・受容」という四タイプの特徴があること。それを前著に続いて深めるべく書き進めてきました。

 ところが、本稿はそのときどきの衝撃ニュース、世間を騒がせている話題について一節もうけて語っています。それは本旨と無縁ではないけれど、一見関係なさそうに見えたかもしれません。
 たとえば、5・6(独裁者の破綻)、7(LGBT増加)、15(長野県4人殺害事件)、16(かけがえのない個人)などです。この点読者を迷宮に追い込んだかもしれないと反省するところです。

 そこで、これらの号を除いて今までの見出しを列挙し、その内容を一行でまとめてみます。
 すると以下のようになります。
------------
1 前置き
2 四タイプの老後
 ・脅迫・批判・傍観・受容の生き方を続けていると最後は地獄を見るぞ!
3 四タイプの不快といら立ち
 ・四タイプは人の生き方、考え方に対して不快やいら立ちを感じている。
4 四タイプ心の基地と武器
 ・だが、心はみんな弱いニンゲンで、四タイプとは心の基地と武器なんだ!

8 三角関係の愛
 ・私たちは10分の10相手に愛されたい。愛されないと不満を感じる。
9 愛の獲得競争(その1)
 ・子どもは親の愛を獲得するため、親が気に入る人間になろうとする。
10愛の獲得競争(その2)
 ・子どもは親の注目を得るため、親が嫌う人間になろうとする。
11愛の獲得競争(~14)
 ・子どもが生まれると夫婦、祖父祖母、兄弟姉妹…家族は三角関係になる。

17 子捨て親捨てのドラマ(~18)
 ・親に捨てられる不安、恐怖から子どもは激しく泣いて心に穴を開ける。
19 子捨て親捨てのドラマ(~21)
 ・親に捨てられた記憶は克服されないと、親捨てにつながる。
22 見捨てて当然の親
 ・四タイプの特徴を露にする親は捨てて当然、捨てるしかない。

23 隠された原感情(~24)
 ・人は恐怖不安不快から脅迫・批判・傍観・受容の生き方を選択する。
25 快感安心好意好感
 ・人は快感安心を得るため脅迫・批判・傍観・受容の生き方を選択する。
------------

 もう一行追加したいのは9号のところ。これを子どもの側から言えば、
9・親が気に入る人間になれば「いい子だ、かわいい」と愛してもらえる。

 また、10号について「えっ、どーいうこと?」と思われた方は再読してください。
 念のため補足します。
 親に構ってもらえないと、子どもは小さな《悪》に走る。結果親は子どもを叱ったり、激しく注意する。それはイコール《構ってもらえる》ことであり、イコール《見捨てられていない》ことにつながる――そのことを語りました。
 これを読めば二項対立がたくさん使われていることに気づかれたと思います。

 とまれ、こうしてまとめてみると、ちょっとわかりやすくなった(と感じる)のではないでしょうか(^_^)。

 そして、前著の結論である「四タイプの生き方は周囲の人間を不幸にする。だから、その生き方を変えなさい、改めなさい」との主張が実は簡単ではないことにも気づかれたはず。
 そこで、今号の狂短歌が生まれます。

〇 四タイプ 変えることの難しさ 演技ではない 自分自身だ

 冒頭に書いた「ビミョーに前著の中身と変わりつつある」こととはこれ。
 《脅迫・批判・傍観・受容の生き方を変えることは困難だ》ということです。
 身近の人に「その生き方を変えてほしい」と言うことはもっと難しい。

 なぜなら、その生き方は子ども時代に親とどのように付き合ったか――親からどのように育てられ、親のタイプに合わせていかに自分のタイプを構築したか。そのことと大きな関係がある。その結果として「今の自分がある」からです。

 なぜ自分は弱弱しく臆病なのか。いろいろなことで相手に合わせて自分を主張できないのか。
 あるいは、周囲はダメな人間ばかりで不満や不快を吐き出さずにおれないのか。
 話し合いでは解決しないから力でやるしかないと考えるのか。

 脅迫・批判・傍観・受容という生き方は演技なんかではない、自分自身であり、変えることなぞ考えられない。変えたいと思ってもできない。
 極論を言えば、「変えたら自分自身がなくなってしまう」と感じている。これは恐怖です。

 これまでそうやって生きてきた。四タイプとは自分の最大の特徴である。それを失ったら、どう人と付き合えばいいのかわからない。これも恐怖でしょう。
 ちょっと文学的比喩を使うなら、兵士が戦場に武器を持たずに向かうようなものです。

 四タイプの性格、考え方、生き方とは過去10年、20年……40年、50年……身にこびりついた癖のようなもの。改めることは容易でない。
 本稿ではそのわけを子ども時代にさかのぼり、原感情を探ることによって語ってきたわけです。

 またまた長くなりました。以上が『続編』現在の到達地点です。

 ここまでを前半とするなら、これから後半は「ではどうするのか」に突入します。
 自分を変えるにはどうすればいいのか。身近の人を変えるにはどうしたらいいのか。

 私たちは無人島や山奥で一人暮らしているわけではない。ニンゲン集団、人の間で生きるしかない。
 ところが、すでに都市の中で無人島のような一人暮らしを選ぶ子ども、若者が増えています。引きこもりとは家族、外の集団との戦いに敗れた姿ではないか。
 いや、敗れたと言っては失礼。戦うことをやめたと言った方がいい。心の基地をつくれず(つくらず)、武器を持つことを放棄した子どもや若者が部屋に閉じこもる――私はそう思います。

 戦っている人たちだって、ある人はこの集団は窮屈で仕方ない、のびのび生きられないと感じている。一方、傍若無人に「オレの(私の)言うことを聞け」と迫る人も多い。その中で私たちはどう生きるのか。

 ここまで語った以上、四タイプを乗り越える生き方・考え方を提起しないわけにはいきません。

 しかし、すでに答えの一つは出ています。
 それは有名なことわざ――「敵を知り己を知れば百戦危うからず」の戦法です。

 自分の性格・考え・感情を知ること。それがどこから出てきたか、子ども時代親や大人との関係、兄弟姉妹との関係から生まれたことを認識する。すなわち自分を知ること。

 そして、親や大人、周囲の人に四タイプの特徴があると気づくこと。
 彼(彼女)の生い立ちを聞けば、相手もまた子ども時代の体験から今の姿があるとわかります。
 自分の生い立ちを探る。親の生い立ちを聞く。「ああ、だから親はこんな人間になったのか。自分はこの親に合わせたのか」と気づく。

 第1号「前置き」に掲載した狂短歌は以下、

〇 感情の根源探る旅に出れば 行きつく先は親子のドラマ

 本稿『続編』において前著以上に感情の根源を探ったこと、親との過去を振り返るべくさまざまに語ったこと。それをおわかりいただければと思います。
 前置きには「これから進む道」も書かれています。再読すれば、今後の流れが予想できると思います。

 以上、迷路の整理を試みました。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:二項対立、論文作成に関してもう一言。
 近年大学現代文の入試問題は長文化の傾向著しいものがあります。だが、中高の生徒は学校でその読み方を教わっていません。長文入試問題に二度読む時間などない。だから、塾や予備校が教えている対策は(結果的に)一読法です。
 小中高の国語で一読法を教えれば、生徒は長文を読みこなせる力がつく。文部官僚・有識者諸氏は「どうしてそう思わんかねえ」と嘆くしかない私です(^_^;)。
 もっとも、彼らの大多数は一読法そのものを知らないでしょう。やれやれ。

 もう一つ。将棋の藤井聡太七冠が王座戦を勝ち、前人未到の八冠を達成しました。
 おめでとうございます(^_^)。
 それにしても薄氷の八冠目だったようです。長瀬王座と1勝1敗になった3戦目、AI分析では90対10で長瀬王座の勝利と予想した。ところが、そこで王座に痛恨のミスが出て大逆転だったとか。

 私はアジア大会のローラースケート男子3000メートル決勝を思い出しました。
 韓国の選手が競り勝ったと思い、ゴール前体を起こして万歳をした。ところが、直後の台湾の選手が足を突き出して先着したというのです。その差0.01秒(^.^)。競馬ならハナ差。かたや油断、かたや執念?
 99対1でも最後まであきらめちゃダメってことですね。

 追記
 藤井八冠誕生の4戦目はあっさり勝ったのだろうと思っていました。
 ところが、最終盤のAI分析は「99対1」で長瀬王座の勝勢だったそうで、またも詰めを誤って大逆転。彼が頭かきむしったり額を叩いていたのはそのときとか。おやまあ。
 私の競馬だけでなく、いずこもきりきり歯ぎしりの「ほぞ噛み」なんですね(^_^;)。

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2023.10.15

『続狂短歌人生論』25 快感・安心・好意好感

 前号「不快・不安・嫌悪」についての反論、試みたでしょうか。
 上記見出しを見れば、「なるほどこれを使うのか」とわかったはず。

 読者が学生なら「二項対立」を使えば、だいたい反論を言える(書ける)ようになります。
 小中高の漢字テストでしばしば「反対語を書きなさい」という問題があったはず。
 上と来れば下、右と来れば左。これはまー小学校レベル。
 やがて抽象語となって戦争と来れば平和。理想と来れば現実等々。
 善の反対は悪。では夢の反対は? これはちと難しい。
 夢には「昨日悪い夢を見た」の意と「将来の夢は何々」のように二つあるからです(答えはネット検索を)。

 なんにせよ、反対語を思い浮かべれば、あることを主張する人に対して有効な反論を提起することができます。

 今号は私自身が私自身の説に反論します(^_^;)。

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***** 「続狂短歌人生論」 *******

 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 不快感 不安 嫌悪の反対語 快感 安心 好意 好感

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 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』25 快感・安心・好意好感 】


 ちょっと文学的香りに乏しい狂短歌で、「もっとどうにかならんのかい」と呻吟したけれど、できませんでした。ご容赦あれ。

 とまれ不安の反対は? 安心。
 不快の反対は? 快感。
 嫌悪の反対はネット辞典では「愛好」となっています。
 これ「愛好家」くらいしか使わないので、私は「好感」とか「好意」が良いのではないかと思います。嫌いの反対は「好き」ですからね。

 これまで語って来たのは以下の通り。
 人はみな心の底に恐怖を持っている、日々不安、不快、嫌悪を感じて生きている。
 大人はそれを隠す、と言うか我慢して人と付き合う。子どもは隠さない。
 そして、四タイプはその感情を脅迫、批判、傍観、受容というかたちで外に出す。

 ただ、外では我慢しても、家に帰れば不快と嫌悪をあからさまに吐き出すことがある。
 それは外で感じた不快、不満、嫌悪など(まとめれば)《不快感》を誰かにわかってほしいからでしょう。
 自分は正しい、人が間違っていると誰かに訴えたい。そして、「あなたが正しい」と言ってほしい。
 その相手としてパートナーがいる。夫にとっては妻、妻にとっては夫。子どもが大きくなれば親は子に、子は親に話す場合もある。それは多くの場合、愚痴となる。

 ここで困ったことがあります。自分は不快をあれこれ、ぐちぐち話したい(^_^;)。
 だが、我々は人の愚痴をあまり聞きたいと思わないことです。

 外部のことだけでなく、家庭内においてもこの問題が発生します。
 夫は妻の言動に対して不快と嫌悪を感じる。妻も夫に対して。それを言うことがあれば、我慢して言わないこともある。
 ここで面白い点は職場なら部下のミスや言動に不快を感じて口にするけれど、家庭では言わない夫(妻)がいることです。覚えがあるのでは?(^_^)

 また、子の言動に不快と嫌悪を感じれば、親は子にその感情を吐き出す。
 躾とは子どもの言動を正す行為であると思われています。しかし、底にある感情は不安・不快・嫌悪でしょう。

 子の言動を許せば、子どもにとって良くない。子の将来が不安と思ったり、周囲に迷惑をかける人間になるのではと思えば、叱ったり怒鳴ったりする。根底には不安があります。

 また、子の言動が自分にとって不快であり、嫌悪を催すと感じれば、「やめろ」と言う。
 読者各位は「そりゃあ言い過ぎ。躾に不快感はない」と反論しますか。

 いやいや、以前例にあげたことがあります。
 子どもが帰宅した親に向かって「ねえねえ、今日こんなことがあった、あんなことがあった」と盛んに話しかける。すると、ある種の親は「うるさいなあ。静かにしろ」と言う。子どもは黙る――といった状景です。これって躾じゃありません。
 やがてこの子は中高生になると、学校で起こったことを親に話さなくなる。
 親が「何かあったか?」と聞いても「別に…」と答える。
 親は「うちの子は自分に何も話さなくなった」と嘆くけれど、そのような子に育てたのは自分だと思いもしない……。

 これを逆に言えば、自分の気持ちをわかってくれない夫婦、親子であれば、一緒に暮らす意味がない。一人で暮らした方がいい……となって不思議はないと思います。

 またまた復習と補足が長くなってしまいました。本号の趣旨はこれらの論説に対して反論すること。
 パートナーや家族で暮らすことは確かに不快、不安、嫌悪がある。だが、その反対の感情である快感(喜びと言うべきか)、安心、好意・好感がある。

 まずはパートナーと暮らしたり、家族で暮らすことによる安心感。
 真っ先に言えることは突然家で倒れても(亡くなっても)すぐに見つけてくれること。これこそこの上ない安心(^_^)。
 そもそも見知らぬ男女が一緒に暮らすことは互いの好意なくしてありえない。好きな人だから一緒に暮らすし、同じ布団で寝る。セックスがこの上ない快感を生む。これも間違いない夫婦(パートナー)生活の良さでしょう。

 共同生活を送ることで快感と言うか喜びがあり、相手の言動に対して好感を覚える。すると「一緒に暮らして良かった」と思う。これこそ誰かと一緒に暮らすメリット。

 もう一つ追加すれば、誰かとともに暮らせば、一人ぼっちのさみしさを感じなくて済む。
 一人で食べる夕食はさみしい。誰かと一緒にいろいろ語り合いながら食べることは楽しい……はず。

 歌集『サラダ記念日』が大ヒットした俵万智さんの歌に

・「 寒いね」と 話しかければ「 寒いね」と 答える人のいるあたたかさ

 ――というのがあります(さすがの文学的芳香)。

 もっとも、狂短歌人の私はアンチテーゼとして以下のような歌を詠みました。

・「寒いね」と 話しかけれど「寒いね」と 答えてくれず 隙間風吹く

 閑話休題。
 まとめれば、確かに私たちは生きていく上で不安や不快を感じている。だが、それが全てではない。誰かと一緒に暮らすことで、安心と喜びを感じることができる。

 そもそも日本では病気になっても低額で病院に行ける。高額医療費はなんとか払える程度に納める制度がある。年金を納めていれば、少額とは言え老年をなんとか生きていくことができる。働けなくなった時は生活保護と言う制度もある。つまり、安心を提供してくれる。日本について「批判ばかりじゃなく、良い点も見てくれ」と思う政治家は多いでしょう。

 ――とまーこのように反論することができます。

 しかし、これに対する再反論も可能。
 確かに私たちは誰かと一緒に暮らすことで安心、快感を得られる。
 良好な人間関係が毎日続けばいいけれど、そうは問屋が卸さない。

 杉良太郎さんが歌ってヒットした演歌(作詩「いではく」)に次の一節があります。
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 人を愛して 人は心ひらき
 傷ついて すきま風知るだろう
 いいさそれでも 生きてさえいれば
 いつか やさしさにめぐりあえる……(「すきま風」)
------------------------------------
 私も昔カラオケでよく歌いました。
 先ほどの狂短歌「隙間風吹く」は二人で暮らす違和感、さみしさを詠んでいます。

 すき間風ってだいたい恋人、夫婦、親子の間で吹きます。
 ときに風ではおさまらず嵐となって吹き荒れる。すなわち良好の反対である「険悪」な関係に陥ることもしばしば。感情的な夫婦喧嘩、親子喧嘩の後、気まずい雰囲気になるのは避けられないでしょう。

 小さなユリちゃんとお父さんの詩「夕方の30分」でもありました。
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 かんしゃくもちのおやじが怒鳴る
 「自分でしなさい 自分でェ」
 かんしゃくもちの娘がやりかえす
 「ヨッパライ グズ ジジイ」
 おやじが怒って娘のお尻をたたく
 小さなユリが泣く
 大きな大きな声で泣く……(黒田三郎『小さなユリと』)
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 なぜ人は共同生活を送ると、感情の対立(口げんか)を避けることができないのか。
 これはいずれしっかり考察しなければならないテーマです。

 ここは本文を短くするため(^.^)、テーマの提起だけに留めて四タイプの「快感と安心」について最後に短く語ります(くどい?)。

 四タイプが自分のタイプに固執するわけはその性格と生き方が快感と安心を生むからです。

 【 四タイプの快感と安心 】

 脅迫者…人を暴力(怒り)によって支配する、服従させる快感
 批判者…人を言葉(批判)によって支配する、服従させる快感
 傍観者…傍観することによって負けない、責任を負わずに済む安心
 受容者…服従さえしていれば危害は加えられないという安心

 上二つは「快感」、下二つは「安心」とまとめました。
 ただし、下の二タイプにだって人を支配し、服従させる快感がある。それが子育てにおける快感です。

 先ほど躾の「底にある感情は不安・不快・嫌悪」と書きました。この反対である快感もまた子育てから生まれます。特に傍観者と受容者において。

 子どもは親から見捨てられたら生きていけない。だから、取りあえずあらゆることで親の言うことを聞く。それはつまり服従。
 外の世界では傍観者と受容者であっても、子育てという内の世界になると、子どもを支配し、言うことを聞かせることはたやすい。そこに快感が生まれる。その際傍観者は批判者になりやすく、受容者は脅迫者になりやすい(と以前語りました)。

 根っからの脅迫者と批判者は人を服従させる快感を知っているけれど、傍観者と受容者にはそれがない。親になってはじめて人(子ども)が自分に服従する快感を味わうわけです。

 注意したいことはこの快感、「子どもの成長が楽しみ」といった類の喜びではない。「我が子が自分の言うことを聞くのは気持ちいい」という意味の快感です。

 問題は片方に快感があれば、もう片方――つまり服従する側には不快がある。
 今は親に従っているけれど、不快感は少しずつ少しずつ心にたまる。そして、あるとき爆発する。それが親子喧嘩ではないか。
 よく言う子どもの第一反抗期、第二反抗期。これも子どもの心にたまった不快感が生み出すのではないか、と私は考えています。


=================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:一読法の復習です。本文冒頭次のようにありました。
------------------
〇 不快感 不安 嫌悪の反対語 快感 安心 好意 好感

 ちょっと文学的香りに乏しい狂短歌で、「もっとどうにかならんのかい」と呻吟したけれど、できませんでした。ご容赦あれ。
------------------
 そして、途中で
------------------
 歌集『サラダ記念日』が大ヒットした俵万智さんの歌に

・「 寒いね」と 話しかければ「 寒いね」と 答える人のいるあたたかさ

 ――というのがあります(さすがの文学的芳香)。
------------------
 対応していることに気づきましたか。前者は「文学的香りに乏しい」、後者は「(さすがの文学的芳香)」とあります。

 後者を読んだとき、「筆者は今まで他人の短歌を引用したことがない。珍しいなあ」とつぶやくかどうか。そうつぶやけば、冒頭の狂短歌と本文を思い出せる。
 さらに一読法なら「なぜ人の短歌を引用したのだろうか」と疑問に思ってもいい。

 これはチョーのつく難問ですが、挑戦してみますか。
 答えは次号にて。ヒントはこの後記中にあります。

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2023.10.07

『続狂短歌人生論』24 隠された原感情 後半

 前号の宿題、日常生活における「恐怖」について考えてみたでしょうか。
 非日常世界においては「死ぬかもしれない」と思うとき、恐怖が湧いてくる。
 では日常生活において恐怖はないだろうか――と問えば、私はあると思います。
 今号は隠された原感情のうち「恐怖」について語る後半です。
 後半と書きながら、実は独立しているので狂短歌を掲げています。
 子どもが感じる恐怖を詠みました。「これが答えか!」とつぶやき、ある詩を思い出してほしいものです。

------------------
 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 見捨てられひとりぼっちになる怖さ 子どもが抱いだく底なしの恐怖

******** 「続狂短歌人生論」 ********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』24 隠された原感情 後半 】

 前号最後にちょこっと述べたのが「非日常世界における恐怖」でした。これは四タイプ分類とか血液型分類なんぞ全く関係ない。老若男女、大人も子供も等しく感じる恐怖です。

 では、ひるがえって日常生活において恐怖を感じることはないか――と問えば、感じるときがある。
 それは突然訪れる事態と言えるでしょう。平和で穏やかに暮らしている限りは感じない。だが、突然やって来る出来事が我々を恐怖に陥おとしいれる。
 大地震や津波、火山の噴火、台風、豪雨など自然災害は日常生活に突如起こる事態です。また、(めったにないことながら)強盗とか盗難、性被害も恐怖を感じさせる。近年では高速のあおり運転など、被害者の立場ならきっと恐怖を覚えるでしょう。
 そのように日常が突然非日常に転換する際の恐怖ならわかります。ここではもっと日常的な、毎日の生活で起こる恐怖感を取り上げたい。頻繁に、もしかしたら毎日のように感じる怖さです。

 私は以下のように三点考えました。
 1 脅迫者・独裁者に対するときの怖さ
 2 一人ぼっちになったときの怖さ
 3 子どもが親に捨てられると感じるときの怖さ

 それぞれについて説明しましょう。

1 脅迫者・独裁者に対するときの怖さ

 暴力をふるい、人を威嚇し、脅迫的な言葉を吐く。そのような脅迫者に対すると、私たちは彼(彼女)の機嫌を損ねないよう、何事も服従しようと思います。その根底には「殴られると痛い、怖い」感情があるからです。脅迫者を怒らせてもし殴られたら、打ち所が悪ければ「死ぬかもしれない」という感情に支配される。これは恐怖です。

 家庭において父や母が脅迫者になる。あるいは、(家庭内暴力のように)子どもが脅迫者になることもある。一緒に暮らす人は服従するしかない。怖いからです。
 そして、職場において上司、最終的には社長が脅迫者・独裁者になれば、部下は全て服従するしかない。たとえば、今年あからさまになった中古販売業者ビッグモーターの不正やパワハラ。芸能事務所ジャニーズの独裁的社長による男の子への性加害とは正にこれでした。

 また、政治の世界も独裁者が出現して権力を握ると、独裁者に逆らえば逮捕され、刑務所にぶちこまれる。反対の声を上げれば暗殺されることだってある。その恐怖から国民は全員従う。ロシア、中国、北朝鮮を見ればよくわかります。

 残念なことに、今世界の半数は個人の独裁か軍の独裁、いずれにせよ脅迫者が支配する国です。民主主義はだらだら話し合うばかりで決定が遅いか、なかなか決まらない。すると人々は一人が素早く決めてくれる独裁にあこがれる。かくして独裁者を支持する。
 独裁体制が完成すると自由に発言したり行動できない。特に当局やリーダーを批判できないことに気づくけれど、どうすることもできない。独裁者が「戦争をするぞ」と決めたら、兵士となって戦地に行くしかない。
 独裁者が「聖人君子となって国民全体のことを考え仁政を敷いてくれる」と思うのは幻想です。
 独裁者の心の奥に「恐怖」があることは彼らの行動と顔を見ればよくわかります。家臣に裏切られるかもしれない、敵に殺されるかもしれないといつも疑心暗鬼で生きています。
 だから、独裁者は恐怖政治を敷く。たった一人の反対者が怖くて仕方ないから、全服従を求める。

2 一人ぼっちになったときの怖さ

 これは一人暮らしのことではありません。たとえば、アパートや一軒家の自宅で一人暮らしをしている人が「誰にも知られることなく亡くなった」と時折報道されます。死後何日も経って発見されるなんて誰だっていやでしょう。
 その度に独居生活者は「私にも同じことが起こるかもしれない」と感じる。しかし、これは不安であって恐怖とまでは言えない。

 私事ながら私は生涯独身の一人暮らしです。ただ、私にはこの不安はありません。次のように考えているからです。
 ある日あるとき一人暮らす部屋で突然倒れて全く動けない。電話に手が届かず声も出ない。そうなったらどう思うか。「ああ自分もとうとう死ぬ時が来たか。まあ一人暮らしを選んだから仕方ないな」とあきらめるでしょう。あきらめるしかありません。

 そして、動けないまま呼吸が止まり、心臓が止まる。脳科学によると人が死ぬときは快楽物質のドーパミンがどばどば出るそうです。亡くなった人の顔が穏やかなのはそのせいだとか。
 呼吸が止まっても心臓は同時に止まらない。数分後に心臓が停止するのはドーパミンが出ている時間ではないかと思います。つまり、最後はこの上なく気持ちよく眠りにつくイメージ。だから、恐怖を感じることなく静かにあの世に逝く。

 死んでしまったら、「後のことは知ったこっちゃない」というか、死人に自分の処理はできないので、誰か早く見つけてと祈るしかない。早く発見できないのは社会の問題であって別に私の落ち度ではない……とまーこのように思っているので、私はこの不安を感じません(^_^;)。

 閑話休題。
 ここで言う一人ぼっちの怖さとは無人島か山奥で一人暮らす場合とも違います。
 子どもの頃ダニエル・デフォーの『ロビンソン漂流記』をわくわくしながら読んだことがあります。自給自足の漂流生活は怖さよりむしろ楽しそうだと感じたものです。

 無人島の一人暮らしとて普段はない。やはり非日常の世界でしょう。では、日常生活において一人ぼっちになったときの怖さとは何か。それは近くに人がいるのに、助けを求めることができない。あるいは、助けてくれない。孤立無援の怖さと言ったら、わかるでしょうか。「それって一人暮らしのことじゃないのか?」とおっしゃるかもしれません。

 違います。一人暮らしで突然倒れ、歩けなくとも手や体が動き声が出れば、119番に電話して救助を求めることができます。日本では救援隊が必ず駆けつけてくれます。電話が通じなければ、這ってでも外に出て隣人や通行人に助けを求めるでしょう。しかし、もしも救助が来ず、誰も助けてくれなければ、これは恐怖です。

 最近長野と富山の県境にある北アルプスで遭難者が行方不明になって8日後に救助されました。食料や水など持ちこたえたのでしょう。ただ、驚くのは5日後に声が聞こえる、まだ生きているとわかったのに、助け出されるまで3日かかったことです。
 そこは「不帰嶮(帰らずのけん)」と呼ばれる難所で、谷底(か中腹)にいる遭難者の声が山に反響して発見できなかったのです。この遭難者は3日間ひとりぼっちに耐え、死ぬかもしれない怖さを感じ続けたと思います。
 私は一度だけこれに似たひとりぼっちの恐怖を体感したことがあります。

 今から20年ほど前のこと、私は空海が二度行った百万遍修行を追体験しようと、四国の太龍山と室戸岬を訪ねました。なぜ二度だったのか。なぜ太龍山であり、室戸岬だったのか解明されておらず、現地に行ってみようと思ったのです。

 空海は平安遷都の数年後行き詰った状況から脱却しようと短い真言(注※)を一日一万回となえる百万遍修行に入ります。22歳の時は徳島県にある太龍山の聖地「南の舎心岳」で。これだけではまだ足りないと思って翌年室戸岬の双子洞窟まで行き、再び百万遍修行を実践する。そして「明星が口の中に飛び込む」神秘を得てようやく仏教に突き進むことを確信できた。
 ――とまとめましたが、これは私も現地に行って追体験して得た結論です(詳細は『空海マオの青春』論文編「百万遍修行その4」42号~44号参照)。

 百万遍修行は深夜東から南が見渡せる野外で開始します。明けの明星を見ながら実践するからです。そして、一万回を達成して終わります。
 よって追体験したければ、深夜その場所に行かなければなりません。私は二日にわたって午前2時頃「草木も眠る丑三つ時」に空海が修行した山に登り、室戸岬の双子洞窟に入りました。

 太龍山も双子洞窟も昼間場所を確認するため、宿から歩いて行きました。
 室戸岬の双子洞窟は宿から徒歩10分ほど。太龍山は麓の駐車場から山道を歩き、太龍寺を経て一時間弱で山腹にある「南の舎心岳」に到着。そこは巨大な磐座いわくらがある断崖の頂点でした。
 東に四国の連山を見渡せる絶景で、崖の突端に空海座像がありました。観光の名所として道は整備されていたし、「これなら深夜来るのはさほど難しいことではない」との感触を得て宿に戻りました。

 そして、深夜また出かけました。そのとき感じたのは鳥肌が立つほどの恐怖です。まず宿から車で駐車場まで行くとき、一車線の狭い道を走りながら「脱輪したらしばらく発見されないだろうな」と不安を感じました。そして、駐車場からペンライトを灯して南の舎心岳まで行くとき、何度も立ち止まり、総毛立つほどの怖さを感じました。

 最も困ったことは妄想が湧いて仕方がない。山道の途中にあった仏像が「動き出すのではないか」との思いにとらわれたのです。昼間だったら「そんなバカな」と言える。しかし、深夜一人で山中にいると、「もしかしたら本当に動き出すかもしれない」との想像を否定できません。こんなところ来るべきじゃないと思い、何度も飛んで帰りたくなりました。

 翌日深夜室戸岬の双子洞窟に入ったときは前夜と違う恐怖にとらわれました。
 こちらも昼間洞窟の中に入ったときは何でもなかったし、深夜でも洞窟の外は灯台の灯火で満月の明るさがありました。ところが、洞窟の中に入って十数歩、ペンライトを消すと目の前は真正の闇に変わります。すると、もう一歩も前に進めません。

 明星を見ながら真言をとなえるには入り口を見なければならない。しかし、洞窟の奥に背を向けることが怖くて怖くてぶるぶる震えました。背後から何者かに襲われるような恐怖を感じたのです。振り返ったらそこに魔物がいるのではないか、との妄想から抜け出すことができませんでした。追体験をするという目的がなかったら、すぐに宿に戻ったでしょう。

 昼間だったら、山に登っても洞窟に入っても、観光客がたくさんいたし、恐怖なんぞ感じなかった。深夜一人で行動したとき、とてつもない怖さを感じたのです。そのとき「誰かと二人で来たら、こんな怖さは感じなかっただろうな」と思いました。
 ちなみに、私はある方法でこの怖さを克服しました。ここでは割愛します。興味のある方は当該ページをご覧ください。

 もちろんこれも深夜であるし、一人という非日常の世界と言えるかもしれません。ただ、四タイプに関係なく、我々は原感情として《恐怖》を持っている。それは一人ぼっちになったときに噴出するものだと痛感した体験でした。

 そして、ここにこれを書いたのは次の「3 子どもが親に捨てられると感じる」根底に「恐怖」があること、一人ぼっちにされることは不安以上に恐怖であることを言いたいためです。

3 子どもが親に捨てられると感じるときの怖さ

 余談ながら、大人と子供の違いについて考えたことがありますか。
 私は感情を露にするか、隠すかの違いではないかと思います。
 元となる感情はもちろん不安であり、不快・嫌悪。人は赤ん坊として生まれ、幼児期、子ども時代を経て少年少女から大人になる。不安・不快・嫌悪の感情を隠すことができないのが子どもであり、それを隠す――隠すことができるのが大人ではないでしょうか。

 赤ん坊は腹が減っては泣き、くそをしては泣く。抱いてほしいとぐずり、親が構ってくれないと泣く。子どもは好き嫌いが激しい。ピーマン・ニンジン・シイタケ・トマト……嫌いだと言い張って食べない。学校へ行けば「あの先生は嫌い」ともらす。嫌いなこと妙なことをきっかけに相手とケンカすることもある。男だとののしり合ったり、取っ組み合いのケンカになることもある。大人はそれを隠す。隠して人と付き合う。

 だが、大人であっても、職場など外では隠すけれど、家庭では隠さないことが多い。だから、夫婦喧嘩や親子喧嘩が起こる、と言うことができます。
 夫婦・親子は怒ったり、腹を立てたり、しかめっ面になったり、不平や文句を垂れる。一緒に暮らしている限り、感情のぶつかり合いは避けようがない。これは四タイプによって微妙に違うので、これまでそのように解説しました。日常世界の悩みの種であり、不快、不安、嫌悪を毎日のように感じ、それを顔面(!)や言葉で表していると言えるでしょう。

 自分の子どもの頃を振り返ってみてください。赤ん坊から幼児の頃、最も大きな、そして隠された感情に「恐怖」があったと気づくはず。
 それは生存に関わっています。端的に言えば「親から見捨てられたら、生きていけない」という感情です。これは不安とか不快だけでなく、死につながる恐怖です。

 我々は子ども時代、親の言うこと(命令・指示)をほぼ聞きます。
 途中で駄々をこねたり、泣いたり、地団駄踏んだとしても、最終的には言うことを聞く。

 たとえば、スーパーやある種のお店の前でよく見かける光景があります。
 親子らしき二人から数名が立ち止まっている。子どもが菓子とかおもちゃを「買って」と言う。親が「ダメだ」と言うと、子供は「買って買って」と地団駄を踏み、時には床に座り込んでぐずる。泣き出すこともある。
 親が仕方ないなと買ってあげれば、闘争(?)はそこで終わるけれど、親があくまで買ってあげないとばかりに「じゃあそこにいなさい」と置いて行くことがある。するとだいたいの子供は降参して親を追っかける……。

 このとき子どもに沸き起こる感情は不安、不快、嫌悪でしょうか。最初はもちろんそう。その感情を表現することで親に「言うことを聞かせよう」とするわけです。
 しかし、親が聞いてくれないだけでなく、自分を置き去りにする。このとき湧き出す感情が「恐怖」だと思います。
 実は子どもにとって最も怖いことは親から「言うことを聞かないなら出ていけ」と言われること。捨てられることです。

 冒頭の狂短歌を読んで黒田三郎の詩を思い出したでしょうか。第17、18号にて詩集『小さなユリと』について語りました。18号では「ぼくを責めるものは」を取り上げ、ユリちゃんが幼稚園にあずけられたある朝、激しく泣いてお父さんを呼ぶのはなぜか、問題としました。

 以下(長くなって恐縮ながら)そのときの記述を再掲します。
-------------
(お父さんは夜寝入ったユリちゃんを残して外に酒飲みに行き、帰って来ては「ユリ―ユリ―」と起こす。それはさみしいから)もちろん小さなユリちゃんに、お父さんのそんな気持ちなどわかるわけがない。だから、泣くしかない。しかも、父は自分を置き去りにして酒を飲みに出ていった。
 ユリちゃんの心には不安がどんどん芽生えてくる。だから「あの健気なユリはもういない/いっしょにふとんにはいるとき/今ではきっと念をおすのだ/夜中にどっか行っちゃいやよ」と。
-------------

 ここの部分ユリちゃんに芽生える感情は「不安」です。
 そして以下、私はユリちゃんに湧いた感情は「恐怖」であると語りました。
-------------
私:ユリちゃんは「夜中にどっか行っちゃいやよ」と言い、「幼稚園へ送ってから勤めへゆく父親を/今では泣いて呼び返す」。「父親を呼ぶユリの泣声は/一丁行っても二丁行っても僕を追いかけてくる/五人の保母さんが代る代るなだめてもすかしても/二階へ連れてっても砂場へ連れてっても/小さなユリは泣き止まない……このせっぱ詰まった泣き声が「甘えたい」から起こした泣き声でないことはわかるよね。
 じゃあこの泣き声は一体何か。なぜユリちゃんは「お父さーん、お父さーん」って呼ぶんだろうか?

 こう問いかけてやっと、一人の女子生徒から答えが返ってくる。
生徒:ユリちゃんはお父さんがもう自分を迎えに来ないんじゃないかと思っているんじゃないでしょうか。夜中にお父さんは自分を置き去りにして出ていった。それと同じように自分を幼稚園に置き去りにしてしまうのではと感じている。それが怖くて泣いているんじゃないかしら。

私:そうなんだ。ユリちゃんが泣くのは親から捨てられる恐怖なんだ。
-------------
 ユリちゃんのお母さんは入院してそばにいない。幼稚園には先生がいる。だが、先生は自分が捨てられそうになっている恐怖を消してくれない。自分はひとりぼっちと感じている。ユリちゃんが激しく泣くのは恐怖を感じているから。

 これは幼児に限りません。少年少女から大人になっても、私たちは「ひとりぼっちの怖さ」を感じやすいと言えるでしょう。
 ビッグモーターの社員は社長以下店長の不正やパワハラになぜ服従し続けたか。意見を言えば「じゃあやめろ」と言われるからです。ジャニーズの男の子は社長の性加害をなぜ両親や先生・大人に訴えなかったのか。

 自分で入りたいと決めたことだから。そして、言うことを聞けば利益がある。聞かなければ不利益になる。「生殺与奪の権」というのがあります。脅迫者の言うことを聞かなければ、自分(や家族)が路頭に迷う、生きていけない。その怖さにとらわれたとき、人は大人も子どもも黙って耐え忍ぶ。独裁者が支配する恐怖社会では日常生活の中にこの恐怖が蔓延している。
 近くに人がいても、「自分はひとりぼっち」と思ったとき、恐怖にとらわれる。この「恐怖」は私たちみなが等しく持っている、と思います。

 以上日常生活における「恐怖」について語りました。


※注「百万遍修行の真言」……「のうぼう、あきゃしゃー、きゃらばや、おんありきゃー、まりぼりそわかー」の真言(呪文)。これを一日一万回となえる。

==============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:後半も長くて恐縮至極です。今後は短くなるよう鋭意努力したいと思います。
 えっ、期待できない? 確かにどこかの大臣の言葉に似ていますね(^_^;)。

 さて、これまで人の原感情について語ってきました。
 読みつつ、反論を考えたでしょうか。
 特に不快、不安、嫌悪について「確かにそれはあると思う。だが全てではない」とつぶやいていいところです。
 これが学校なら、生徒に「反論を原稿用紙2枚から5枚にまとめて提出しなさい」と宿題を出すところです(^.^)。
 さすがに多忙な読者各位にそのような宿題を出すのは忍びない。
 そこで次号において私自身が「反論」を提起します。
 おヒマなら、メモ程度でいいので、試みてください。
 そして、次号を読んで「なるほどこのように反論するのか」と感心してほしいものです(^_^;)。

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2023.10.02

スプリンターズS、結果とほぞ噛み

 スプリンターズS結果は――まさかの一覧ABC決着…の全滅(T_T)

 1着― 川 田06ママコチャ………………[△]牝4 単勝=4.9
 2着― 坂 井10マッドクール……………[△]牡4
 3着― 浜 中01ナムラクレア……………[◎]牝4
 4着― 団 野13ジャスパークローネ……[△]牡4
 5着― 池 添08メイケイエール…………[・]牝5

 一覧[A→B→C→QA] 馬群[1→1→1→3]
 馬順[C→E→A→D] 枠順[C→B'→A→E]

 枠連=3-5=7.7 馬連=06-10=32.6 馬単=51.9
 3連複=06-10-01=23.1 3連単=171.4
 ワイド12=11.2 W13=3.4 W23=7.0

-------------
 本紙予想結果

 印騎 手番馬       名 馬 結果
 ◎浜 中01ナムラクレア    A 3
 △川 田06ママコチャ     C 1
 △坂 井10マッドクール    E 2
 △横山典09ア グ リ     B  7
 △団 野13ジャスパークローネ D 4
 ・池 添08メイケイエール   F 5
 ・松 山05ウインマーベル   H  6
 ・富 田02テイエムスパーダ  10  14
 ●戸崎圭03ピクシーナイト   G  8

-------------

【スプリンターズS、過去8年の実近一覧結果】

    一 覧     馬 順     馬群
2023年 A→B→C→QA C→E→A→D 1→1→1→3 乖4着
2022年 QE→F→QA→QD 09→E→F→12 4→2→3→3
2021年 D→B→E→QC C→A→11→H 1→1→2→3 逆3着
2020年 B→D→H→QF A→C→11→G 1→1→2→4
2019年 A→F→B→D B→C→A→F 1→2→1→1 乖2着
2018年 F→D→QE→G A→09→13→10 2→1→4→2 乖1着逆2着
2017年 E→F→QB→QD A→E→09→16 2→2→3→3 乖1着
2016年 QB→C→QH→F C→B→G→E 3→1→4→2 乖1着

 馬順の結果は[C→E→A]だが、まさかの一覧ABC決着。
 乖離馬(第3群QAの馬順D)も逃げ粘って4着。
 つまりは本命決着だったようです。

************************
 【GIスプリS 実近一覧表】 中山 芝12 18頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=06|ママ コチャ 牝4| 3.1{BB}[4] |C| |CCEC △1
B=10|マッド クール 4| 4.0{CA}[3] |E| |DEGD △2
C=01|ナムラクレア 牝4| 4.1{AD}[12] |A| |AAAA ◎3
D=09|ア グ リ   4| 5.8{DC}[5]B|B| |BBBB △7
[2]
E=03|ピクシーナイト 5|10.7{HG}[13]D|G| |GGHF ●8
F=15|キミワクイーン牝4|12.3{11E}[10] |11| |
G=16|モズ メイメイ牝3|12.6{10F}[2]逃|14| |
H=14|エイシンスポッタ4|13.1{09H}[15]C|12| |
[3]
QA=13|ジャスパークロー4|13.3{E11}[1]逃|D|乖|EDFG △4
QB=08|メイケイエール牝5|13.5{F10}[9] |F|乖|FHCE ・5
QC=05|ウインマーベル 4|15.1{1209}[14] |H| |H0913H ・6
QD=07|オールアットワ牝5|20.0{1313}[11]A|13| |
[4]
QE=11|ジュビリーヘッド6|24.5{1412}[6] |15| |
QF=04|ナラン フレグ 7|28.8{G14}[16] |09| |09FD09
QG=02|テイエムスパー牝4|40.2{1515}[8]E|10| |     ・14
QH=12|ドル チェモア 3|54.4{1616}[7] |16| |

 注…「馬」は馬連順「3指」は3複系順位、「単複」は単複順位
---------------------------
 ○ 展開予想

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番13 16 10 06 -09 11 12 02 -08 15 07 01 -03 05 14 04
覧 〇 ◎ △ 6 ▲ 5
3F B E A D C
本△ △ △ △ ・ ・ ◎ ● ・
結13 2 1 3

--------------
 [枠連順位]
 枠連型=3巴[AB型] 枠順AB=5.0
 馬連型=3巴[AB型] 馬連AB=8.0

 枠連=AB/C/DE/FG//H 
 枠順=15 3 27 48 6 枠順[C→B'→A→E]
 馬順=AB C GD F11 15 馬順[C→E→A→D]
 代行=10E H 0912 1314 16
 ―――――――――――――
 結果=32 1 4

 [オッズ分析]

 馬順A[1枠01]、B[5枠09]、C[3枠06]の3巴であり、枠順もこの3
枠の3巴で矛盾がない。また、馬順も枠もAB型である。枠DとE、枠F
の馬順に転換が見られる。
 基本ルールに従えば、枠連は表[AB→EFGH]の中から。
 ウラは[C-DE]か(2枠7枠のどちらがDかわからないため)。

 A01ナムラクレアが強ければ、A流れとなっていいはず。ならないとい
うことはAは弱いか。
 また、3巴ということはBCが強いと言えるが、B5枠には代行E[10番]
が入っているので、B枠が強そうに見えるだけかもしれない。さらに3巴
なのに、C[3枠06番]はあまり強くない。
 3巴のウラは[ABC蹴ってDE]が基本。D2枠のG[03ピクシーナイト]
とE7枠のD[13ジャスパークローネ]、F4枠のF[08メイケイエール]に
注意したい。

 [結果]

 枠連は3巴のBC決着ゆえ770円の安さ。しかし、馬連はB5枠の代行E(10番)が2着ゆえ32倍(馬単51倍)。名をあげた馬が上位入線しているが、いずれも「強くない」と見て穴狙いが失敗だった。

********************************

 ※ 回  顧

 ある意味驚天動地、空前絶後(?)の決着となりました。
 私にとっては3連単1000万馬券が出る以上の…もしかしたら実近一覧史上初かもしれない結果なのです(^.^)。

 以下一覧トップ5頭の詳細と結果。
----------------
順=番|馬      名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=06|ママ コチャ 牝4| 3.1{BB}[4] |C| |CCEC △1
B=10|マッド クール 4| 4.0{CA}[3] |E| |DEGD △2
C=01|ナムラクレア 牝4| 4.1{AD}[12] |A| |AAAA ◎3
D=09|ア グ リ   4| 5.8{DC}[5]B|B| |BBBB △7
[2]
E=03|ピクシーナイト 5|10.7{HG}[13]D|G| |GGHF ●8
----------------

 これまで一覧トップABCが馬順トップ[ABC]になったときは「成立するかもしれないから、ひとまず3複1枚買っておきます」とよく書いていました。
 で、来るときあれば、来ないときもあり。まーそうだろうなって感じ。

 それが今回は馬順[CEA]だから、
「きっと1頭消える。下から1頭激走があるはず」と思ってウラ●(つまり連単軸の◎)を設定。
 終わった今の気持ちは「くあーっ。3複1枚買やあ良かった!」と痛恨、痛撃、悲痛のほぞ噛み(T_T)。

 この3複23.1は安いけれど、最も単純なトップA-Bの馬連32.6、馬単A→Bは51.9倍。(私は馬連馬単・3複派なので)馬単50倍はチョーのつくおいしい馬券。
「くあーっ。なんで買わんかったかねえ!」と悲観、落胆、絶望のほぞ噛み(^_^;)。

 思い込んだら頑固一徹、は私の長所か短所か。
 とまれ「きっと下から1頭来るはず」と決めつけたことが敗因でした。とほほ

 ウラ●03ピクシーナイトは道中8番手から(上がり平凡な34.6)で直線伸びず、コンマ6差の8着。向こう正面でかかったか、鞍上は抑えていました。そのとき「終わった…」とつぶやいたものです。

 レースは入りの3F33.3。やはり速くなりました。
 それでも、逃げた13ジャスパークローネは4着に粘ったし、勝った川田06ママコチャは3番手先行でした。2着坂井10マッドクールも5番手。

 前日の中山10レース、2W芝12のレースご覧になりましたか。逃げ、番手、3番手がそのまま123着。人気は馬順[B-G-09]でした。この3頭、実近展開図では[逃A-6-13]でした。10レースの入りの3Fは34.7でかなりのスロー。「ああ逃げ先行が残るなあ」と思ったものです。

 対してスプリS、入りの3Fは33.3のハイペース。向こう正面ではチョー縦長でした。
「しめしめ差し馬が来るぞお」と思ったけれど、7番手の01ナムラクレアさえ3着がやっと。その後ろにいた03ピクシーナイトも伸びないまま8着。

 これだけハイペースだと勝ちタイム1分06秒台となっても不思議ないのに、ママコチャの勝ちタイムは良1080(2着もハナ差同タイム)とチョー平凡。
 ハイペースではよくあることで、みんなばてているから後ろは全く追い込み発揮できず、中団も伸びない。かくして先行ちょい後ろが上位となる――構図でした。

 それにしてもチョーA級ルメールさんは凱旋門に行って不在。彼がいないときは「やはり日本人トップの川田騎手ですね」といとこと話したものです。
 いとこも「荒れるだろう」といろいろ買って全滅でした。

 実は金曜に実近一覧を作成したとき、4頭の予想オッズが抜けていることは気づいていました。第4位アグリ5.8で、第5位ピクシーナイト10.7と差があります。
 その時点では「第1群4頭の3複ボックス」と予想に書こうと思っていました。
 ところが、ふたを開ければ馬順[CEAB]。(くどいけど)「きっと下から1頭来るっ」と決めつけてそれさえ書くのをやめました。くーっ。

 で、結局、下から来たもう1頭は第3群トップ(馬順D)の乖離馬。これが4着。
 結果から見ると、今回は本命サイドだったと言えそうです。

 ただ、一覧トップ2頭が馬順ABにならなかったのは理解できます。
 そこが私も「取りあえず一覧トップ2頭の馬連・馬単買っときましょう」と書かなかった理由でもあります。両馬はGI初出走だったのです。

 1着牝4川田06ママコチャは12戦[5223]の成績。2歳初戦で3戦目初勝利。3歳時クラシック無縁だし、条件戦の3連勝が光るくらい。
 重賞はG3とG2の4戦[0112]とVなし。芝12もなんと前走G3小倉北九州記念2着の1回のみ。これではねえ。今回川田に乗り替わって人気が出たのでしょうか。

 また、2着牡4坂井マッドクール。成績は9戦[5031]といいけれど、3歳初戦で一つ勝つのに3戦かかっている。もちろんクラシックと無縁。条件戦4連勝があって芝12[4011]なれど、重賞はG3(芝12)の2戦で3着、9着(ともに1番人気)。格的には下と言わざるを得ません。

 ただ、今回GIVのRX馬は3頭、G2V馬も3頭と少なかったし、みな低人気でした。
 GIV(3頭)    馬順結果
 03ピクシーナイト  G 8
 04ナランフレグ   09 9
 12ドルチェモア   16 12

 G2V(3頭)
 08メイケイエール  F 5
 02テイエムスパーダ 10 14
 16モズメイメイ   14 16

 結果を見るまでもなく、人気面で「格上位はお呼びでなかった」ことがわかります。
 このうち08メイケイエールはG2を3勝もしているので、もっと人気になってもよさそうですが、GIは8戦[0008]。その通りの結果で、5着はむしろがんばった方でしょう。

 かくして「よくて2着か」と思える01ナムラクレアを◎にせざるを得ませんでした。
 まー私にとっては〇みたいなもんですが。
 結局4歳馬9頭から1~4着、牝馬6頭から1着3着。「やっぱり4歳馬だったかあ」
とつぶやいたものです。

 最後に本紙予想結果は以下の通り。上位3頭の[123]着です(^_^;)。

 本紙予想結果
 印騎 手番馬       名 馬 結果
 ◎浜 中01ナムラクレア    A 3
 △川 田06ママコチャ     C 1
 △坂 井10マッドクール    E 2
 △横山典09ア グ リ     B  7
 △団 野13ジャスパークローネ D 4

 今思えば、一覧トップ2頭の06、10を「▲」にしていればと思いますが、キツネの最後っ屁です(^_^;)。
 冒頭に「空前絶後」と書いたけれど、今後あるかもしれず、そのときはしっかり注意喚起してどばっと獲りたいと思います。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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