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2023.11.28

『続狂短歌人生論』32 なぜ変えられないのか その4 「愛してくれるから」後半

 なぜ変えられないのか、4「愛してくれるから」後半です。
 以前27号において四タイプの「愛エネルギーを与えられない=愛することができない」姿を多々語りました。その後記で以下のように書いています。
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 しかし(以前も書いたように)「そんなことはない。相手を愛しているから自分は脅迫したり、批判したり、傍観したり、全て受け入れているんだ」との反論があっていいところです。
 この問題はいずれ語ります。反論を試みてください。
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 今号はこの「反論」にあたります。子どもは尊敬できる親、愛してくれる親と思えば「変わってほしい」などと思わない。が、深掘りすると「愛してくれる姿かもしれないけれど、そう思えない」との気持ちが芽生えることに気づきます。
 そこでもう一つ狂短歌を詠みました。

 〇 四タイプ それは愛かもしれないが 愛されてると感じられない


11月08日  なぜ変えられないのか その1「長所と信じるから」
 〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

11月15日
 なぜ変えられないのか その2「尊敬されるから」
 〇 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしない

11月22日
 なぜ変えられないのか その3「愛してほしいから」
 〇 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

11月29日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」前半
 〇 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

11月30日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」後半―――――本号

12月06日
 なぜ変えられないのか その5「感情と理屈が結びついているから」
 〇 人間は性善なのか性悪か 溶け合っている理屈と感情

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

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******** 「続狂短歌人生論」 ********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』32 なぜ変えられないのか 】

 その4「愛してくれるから」後半

 前著と続編でくどいほどに取り上げたのは脅迫・批判・傍観・受容という四タイプについて。この特徴を露にする親では「愛されている」と感じられない。これまではこの趣旨で語ってきました。今回は「愛されている」と感じられるパターンについて語ります。

 四タイプの親が子どもにとって「愛されている」と感じられることを、(機械的に)書いてみると次のようになります。

 [四タイプの親は私を愛してくれる]
 1 脅迫・威嚇する脅迫者の親は自分を愛していると感じられる。
 2 批判の多い厳しい批判者の親は自分を愛していると感じられる。
 3 いつも傍観している傍観者の親は自分を愛していると感じられる。
 4 何でも受け入れてくれる受容者の親は自分を愛していると感じられる。

 以前も書いたように、我々は当初自分の親しか知りません。
 某テレビ局に地方・地域の食習慣を紹介する「秘密の~~」なる番組があります。その中でよく見る光景が以下。
 リポーターがその地方独特の食習慣についてインタビューした後「その習慣ってここだけですよ」と言うと、現地の人はみんな「えーっ」て驚く。
 そして「日本全国そうだと思っていました」と続く(^.^)。

 これを親と子の関係にあてはめると、子どもはある年齢まで、殴る親、説教する親、何も言わない親、何でも受け入れる親が「親という人」だと思う。
 では、「えーっ、違うんだ!」と思うのはいくつになってからか。
 これは親戚の親、近隣の親、友達の親などを知り始めたころでしょうか。

 あるいは、「だだこね」と呼ばれる第一反抗期(1歳半から3歳くらい)のころかもしれません。
 この場合は違うタイプの親がいると気づくのではなく、「親は自分の言うことを聞いてくれない」と感じ始めるときです。

 食事や衣類の着替え、靴を履くことなど、親が今までのようにやってあげようとすると、幼児は「自分でできる」とだだをこね、親の援助を拒否するようになる。つまり、反抗。

 親が「じゃあ自分でやりなさい」と任せると、食べるのは遅いし、テーブルや床にぼろぼろこぼして後始末が大変。衣類の着替えも手順を間違えて時間がかかる。冬など外は寒く風邪を引くかもしれないから、たくさん着せようとすれば「いやだ」と言い張る。
 結局、食事は親が手を出し、無理やり着せて外に出る。これは子どもにとって初めて芽生える自立の気持ちでしょう。

 このとき多忙な親、心に余裕のない親、当然脅迫・批判タイプの親は叩いたり叱ったりして親がやってあげる。一方、傍観の親だって(傍観するわけにはいかないから)叱りつけて親がやる。
 少なくともこの三者はやがて子どもがきちんとできるようになるまで親がやる。そして、受容者タイプの親だけは(できるようになっても)ずっとやってあげる(^.^)。

 子どもは親の違いと言うより「なんかへんだぞ」と感じる。
 今までは泣いたり、ぐずったり、甘えたり、怒ったりすると、親は自分の気持ちを優先してくれた。なのに、このときだけは自分の思うままにさせてくれない。むしろ、親の言うがままに行動させようとすると。

 子どもが四タイプに固執する自分の親は「どこかおかしい」と思い始める最初のときだと思います。もちろん親からすると、当然の補助だったり躾である。
 さらに成長して違うタイプの親がいると気づき、「自分の親の違い」を意識するようになる……のではないでしょうか。[しかし、それがどう違うか、なぜ違うのか――については私の本を読まないとわからない(^_^;)]

 閑話休題。
 ここで1~4すべての末尾を「愛していると感じられない」と否定形に置き換えて再読してみてください。本稿はこれまで「愛されていると感じられない」実態を眺め語ってきました。ゆえに《四タイプの生き方は良くないから、改めてほしい》との結論でした。
 ところが、「親とはこういうもの」と思い、四タイプの親から「愛されている」と感じられるなら、子どもは親に対して「変わってほしい」などと思いません。

 ちょっとくどいけど、再度四タイプの愛について眺めます。
 周囲の人が四タイプの親に「変わってほしい、子どもへの態度を改めるべきだ」と忠告すると、彼らは以下のように答えるでしょう。

 [四タイプの言い分]
 1 脅迫者の親は「我が子を愛するから殴ったり乱暴な言葉を使う」のだ。
 2 批判者の親は「我が子を愛するから子どもを正すために批判する」のだ。
 3 傍観者の親は「我が子を愛するから自由にさせて傍観する」のだ。
 4 受容者の親は「我が子を愛するから良いことも悪いことも全て受け入れる」のだ。

 ――となります。いかがでしょう。
 うなずける部分があれば、「違うのでは?」と感じる表現もある。
 4、1、2、3の順に解説します。

 4 受容者

 受容者に関しては誰も異存はないはず。子どもは自分の言う事、わがままなど何でも全て受け入れてくれる受容者の親は限りなく自分を愛してくれると感じる。当然「変わってほしい」などと思いもしない。

 1 脅迫者

 これは「そりゃないだろう」と感じる。子どもを殴るのは愛するからだ、なんておかしいと。
 ところが、子どもを殴る大人について「子どもを愛しているからだ」と思って許容する人は結構多い。

 例えば、中学・高校の部活顧問。部員を殴って指導する顧問は言います。
「私が生徒を殴ったり蹴ったり、乱暴な言葉を使うのは部を強くし、彼らを愛しているからだ。これは愛のムチだ」と。
 保護者もその言葉を「そうだ、そうだ」と受け入れる。
 特に乱暴な子どもをコントロールできない親は殴って言うことを聞かせてくれる部活顧問を「ありがた~い人」だと尊敬する。

 もしも子どもがそのような脅迫者の親、脅迫タイプの顧問を尊敬していれば、変えてほしいと思わない。
 自分を殴るのは親の、部活顧問の愛情だと考えれば、「殴ってくれてありがたい」と思う子どもだっている。
 そして、その子が後に教員となり、部活顧問になれば、子どもを殴って蹴って乱暴な言葉で育てる教員になる……というわけです。やれやれ。

 もう一つ、若い女性は恋愛の相手として脅迫者に最も惹かれます。
 と言い切ってしまうと語弊があるので、「惹かれるのではないですか」と書き換えましょう(^.^)。

 腕力があって度胸と勇気を持ち、何よりケンカに強い。そのような男性から「お前を絶対守るから結婚してくれ」と言われれば、そりゃあ「この人と一緒に暮らしたい」と思うでしょう。
 そもそも自然界でメスは大きいオス、強いオスを生殖の相手に選択する。それが自然界の法則でもあるから、人のメスがそう思っても不思議ではありません(言い過ぎ?)。

 ところが、いざ結ばれてともに暮らし始めると、脅迫者の夫の暴力に苦しむ羽目になり、離婚を考え始める。恋人であれば別れようと思う。
 すんなり離れられればいいけれど、こじれると夫や恋人はストーカーと化すことがある。

 これを子どもにあてはめると、脅迫者の親は自分を守ってくれると思えば、とても頼りがいのある親であり、愛されていると感じられることになります。
 子どもは親に変わってほしいと思わない。いや、思ったとしてもおくびにも出さない。ゆえに、脅迫者の親も変わろうなどと思いもしない。

 一方、2批判者、3傍観者に関してはちょっとビミョーです。
 この微妙な点というのが私の父と友人が議論した「父を早くに亡くし、母を早くに亡くす」ことと関係します。批判者または傍観者を親に持つと、子どもは親と違うタイプにあこがれるのです。

 子どもは批判者を親に持つと、毎日のように叱責され、批判され、努力を求められる。そこに完璧主義が入ると、子どもは自身100点満点を求める人間になろうとする。子どもは親の期待に応えなければならず、疲れるばかり。重い期待はやめてほしい、もっと自由にさせてほしいと思う。

 一方、傍観者を親に持つと、子どもは親が自分に関心がないことを早くから思い知らされる。良いことをやっても誉めてくれない。悪いことをやっても正してくれない。だいたい上の空で生返事を返すばかり。子どもは「親ってこんなもんなんだ」と思って愛されることをあきらめる。

 だが、両者が友人と付き合うようになると、「友人の親は自分のところと違う」ことに気づく。
 母を早くに亡くした私の父は母の愛を求めた。父の友人は父を早くに亡くし、父の愛が必要だと主張した。
 これを言い換えると、私の父は今はもういない母親がいてほしいと思った。父の友人は父親がいてほしいと思った。すなわち、子どもは親と違うタイプにあこがれ、そちらの親がうらやましいと感じることを語っています。

 2 批判者を親に持つ子

 子どもは友人の親を知るにつれ、傍観者の親にあこがれる。
「お前の親は何でもお前の自由にさせていいなあ。オレの親と来たら…」と傍観者の親を持つ友人にもらす。もっと自由に、やりたいことをやらせてほしいと思って批判者の父や母に反抗し始める。
 長じて自分が親になったとき、「子どもは自由にさせよう」と傍観者の親を心がける。

 3 傍観者を親に持つ子

 子どもは友人の親を知るにつれ、批判者の親にあこがれる。
「オレの親は自分にちっとも関心がない。お前の親はいいなあ…」と批判者の親を持つ友人にもらす。もっと自分を見てほしい。いろいろ言ってほしいと思う。反抗はしないけれど、尊敬することはない。
 長じて自分が親になったとき、子どもと大いに関わる批判者の親になろうとする。

 つまり、この二タイプを親に持つと、子どもは親にないもの(なかったもの)にあこがれ、違うタイプを求めると言えます。
 批判者を親に持った子は「傍観する親こそ理想の姿だ」と思う。
 傍観者を親に持った子は「批判する親こそ理想の姿だ」と思う。

 不思議だと思いませんか。
 それが理想の親であり、子どもを愛する親だと思えば、後に子どもを得て批判者となった親、傍観者となった親は自分を変えようと思わないでしょう。
 もっと言えば、批判者の親は言うはずです。「お前を批判してアドバイスするのはお前を愛しているからだ」と。
 かたや傍観者の親は「自由にやりたいことをやれと言うのはお前を愛しているからだ」と心の内でつぶやく。

 もちろん脅迫者と受容者の親だって同じことを叫びます。
「お前を殴るのはお前を愛しているからだ」、「お前の全てを受け入れるのはお前を愛しているからだ」と。

 よって、子どもが親を尊敬し、親のようになりたいと思えば、親の言動を愛だと思う。
 やがて子どもが四タイプに固執する自分の親は「どこかおかしい」と思い、親を尊敬できなくなったとき、親の言動を愛だと感じなくなるのです。

 いや、それが愛だと思ったとしても、親に対する反抗が始まる。それはつまるところ子どもを支配して言うことを聞かせようとする親への反抗です。

 以下のまとめはこれまで何度も語ってきたことの繰り返しになりますが、敢えて掲載します。後半がちょっと違うことに注意してください。子どもは親に何を求めるか。

 1 脅迫者の親へ
 脅迫・威嚇して自分を支配し、服従を求める脅迫者の親は自分を愛していると感じられない。愛していると言うかもしれないが、私を脅迫し、怒鳴って服従させようとする生き方を改めてほしい。

 2 批判者の親へ
 常に批判し、完璧であることを求める批判者の親は自分を愛していると感じられない。愛していると言うかもしれないが、私の自由を認めてほしい。あなたの生き方を子どもに強要しないでほしい。

 4 受容者の親へ
 何でも受け入れてくれる受容者の親は自分を愛していると思っていたが、ほんとは親を愛してほしいから何でも受け入れているのではないか。本当に私を愛しているのだろうかと疑う。危険なことでも挑戦させてほしい。

 子どもは脅迫・批判・受容の親は「私の自由にさせてくれない、縛っている」と感じるのです。

 そして、傍観の親を持つ子どもは……。

 3 傍観者の親へ
  いつも傍観するばかりで自分に関心のない傍観者の親は自分を愛していると感じられない。愛していると言うかもしれないが、もっと私を見てほしい、関心を持ってほしい。

 私はずっとこちらを問題として論じてきました。
 ただ、四タイプであろうがなかろうが、親を尊敬していれば、子は自分を愛してくれると思うし、長じて(自分の子を得たとき)親のように子どもを育てようと思うでしょう。
 かくして脅迫・批判・傍観・受容は永遠に親から子に引き継がれ、子は親になったとき子どもに対して脅迫・批判・傍観・受容の生き方を実践する。

 見出しの狂短歌に関連してもう一首詠んでみると、

 〇 四タイプ それは愛かもしれないが 愛されてると感じられない

 ああ歴史は繰り返す……もはや人は四タイプの生き方を変えることなど不可能なのだろうか。
 そして、会社や組織、世の中のあちこちに出現する犯罪者たち。暴力を使えば脅迫者であり、頭を使えば詐欺師。その犠牲となる傍観者と受容者たち。脅迫・批判が過ぎて独裁者になれば子どもから殺される。会社や組織ではセクハラ・パワハラ・モラハラが横行する、ボスの命令には服従するしかない受容者と化す。
 家庭では親子喧嘩に夫婦喧嘩。一度は愛し合って結婚しながら不和となって離婚に至る。子捨て親捨てが蔓延する世の中。もはやそれを変えることは不可能なのだろうか。

 だが、私は言いたい。99パーセントの絶望であっても、1パーセントの希望があると。
 将棋やスポーツで「99パーセントの勝ち」が予想されても最後に大逆転があるように。

 私は本稿最後に1パーセントのどんでん返しを提起したいと思います。

 ……って大袈裟ですが(^_^;)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:次回は「変えられない理由」第5回、「感情と理屈が一致しているから」。
 ここでまたも(罠ではない素直な)クイズ的質問(^_^;)。
 狂短歌に歌う「性善説と性悪説」は理論=理屈ですが、四タイプの感情と深く結びついています。脅迫・批判・傍観・受容の四タイプのうち、二タイプは一方に同意してそれを強く主張し、かたや二タイプは違う方に同意してそちらを強く主張する。では、

 性善説に共感する二タイプはどれとどれか。
 性悪説に共感する二タイプはどれとどれか。

 難しいと思われるなら、本節後半を再読してください。
 これまで一読法で読んでいたなら、難しい質問ではありませんよ。

 もう一つ前号途中以下の部分に関して検索できるようにしていませんでした。
 関心があるようでしたら、「御影祐のごちゃまぜホームページ」を検索しても、当該部にたどりつけます。

『一読法を学べ』第48号(提言編Ⅱの4)において「英語教育を英語圏小6レベルの英会話教育に転換すべき」と提起……

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2023.11.27

『続狂短歌人生論』31 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」前半

 前号後記の答え。敢えて選べば父か母、どちらが必要か。
 私の父は十代のころこの問題について友人と議論した。
 友人は「そりゃ父だよ」と主張し、私の父は「いや、母だ」と反論した。

 友人はなぜ「父だ」と言い、私の父は「母だ」と言ったのか。
 ヒントは「なーんだ」と思えるような理由。
 これを読めば答えが出たのでは?

 そのわけは友人は幼いころ実父を亡くしていた。
 私の父は逆に生母を亡くしていた。
 つまり、二人は自分の体験に基づいて「父だ、母だ」と主張していたのです。

 これは一般化することができます。私たちは《自分にないものをほしがる》と言えるのです。
 もちろんこの件は今号に関係します。

 さて、脅迫・批判・傍観・受容の四タイプはなぜ変えられないか。四つ目の理由。
 これまでそれが長所と思えば、変わろうなどと考えない、尊敬されていると思えば、変わる必要を認めないことを語りました。

 そして、前号において「人はそもそも《認められたい、誉められたい、愛されたい》と思って子ども時代をスタートする。そのために脅迫・批判・傍観・受容という生き方を身につけた。言わば子どものころからしみついた癖であるなら、変えることは容易でない――ことを追加しました。これらは全て本人の側の考えであり感情です。

 対してこちら側。つまり、四タイプと一緒に暮らす人、特に子どもは親に対してどう思うか。
 相手に対して「変わってほしい」と思わない。むしろ変わらなくていいと感じる――不思議な、あるいは当然の(?)感情について語ります。
 こちらが変わってほしいと思い、その気持ちを伝えなければ、四タイプは変わることがない。その機微について語ります。

 なお、いつもの悪い癖で今号も長くなりました。
 前後二つに分けて配信しますが、内容が絡んでいるので1週間空けないで翌日の配信とします。


11月08日  なぜ変えられないのか その1「長所と信じるから」
 〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

11月15日
 なぜ変えられないのか その2「尊敬されるから」
 〇 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしない

11月22日
 なぜ変えられないのか その3「愛してほしいから」
 〇 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

11月29日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」前半――――本号
 〇 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

11月30日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」後半

12月06日
 なぜ変えられないのか その5「感情と理屈が結びついているから」
 〇 人間は性善なのか性悪か 溶け合っている理屈と感情

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

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******* 「続狂短歌人生論」 *********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』31 なぜ変えられないのか 】

 その4「愛してくれるから」前半

 実は本号の狂短歌、末尾に前号同様「生き物である」とつけたかった。
 たとえば、「~愛ならば 続けてほしいと思う生き物」とでも(^.^)。
 一緒に暮らす人(子ども)は四タイプの生き方が「人を愛する姿だ」と思えば、変わってほしいと思わない。
 むしろその生き方を続けてほしいと思う。「何が悪いの?」とつぶやいて四タイプを擁護する……生き物である。狂短歌はさすがに下手さかげんがひどくてやめました。

 ――とそんな裏話はどうでもいい、本論開始。

 前置きで取り上げた問題――我々に必要なのは父の愛、母の愛のいずれか。
 両親が健在なら、普通「どちらも必要だ」と答えるのではないでしょうか。
 父には父の、母には母の役割があると。

 私が子どもの頃、この二項対立を表すキャッチフレーズとして「父は厳しく、母はやさしく」がありました。父は厳格に子どもを導き、母は父を補助して優しく子どもに接すると。

 内助の功とか「山内一豊の妻」なんて言葉がもてはやされた時代です。戦前の女性には「三従の礼」なる徳目も勧められていました。
 女性は幼きときは父に従い、嫁いでは夫に従い、老いては子に従う。その生き方こそ称賛される……なんて今では誰も主張しないでしょう。
 もっとも、一部の男性政治家は内心こう思っているようです。特にお年寄りが。
 そういう人に早く引退してもらうのは選挙民の仕事だと思います。

 トーゼンのように妻は「専業主婦」の時代でした。専業主婦が多かった時代、離婚はとても少なかった。夫の稼ぎが高かれ低かれ、夫が不快と嫌悪を催す人間であろうがなかろうが、妻は夫の元を離れて生きていけない。ある意味当然でしょう。

 しかも、戦前など多子社会でした。私の父は兄弟姉妹が6人、母は5人。母の叔父夫婦には9人の子がいます。その末っ子は私の同級生でした。私は彼をいとこだと思っていましたが、母のいとこなのです。
 母が亡くなった時、通夜の場に見たことのない親戚が数十人来ていました。
 父に「あの人たち誰?」って聞くと、「みんなオレのいとこだ」と答えたので、驚いたものです。

 そのような多子社会では父が働き、母が家を守って子どもを育てる――となって不思議ではありません。
 しかし、現代は共稼ぎが世帯の7割を占める時代になりました。夫がいなくても生きていけると考えれば、離婚が増えるもむべなるかな。しかも子どもは一人か二人の少子社会です。

 余談ながら、政治家や官僚は過去と現在をしっかり勉強して未来を読んでいるだろうか、と疑うことがあります。
 少子社会が問題で多子社会にしたいなら、専業主婦を増やせばいい。だが、働き手が少ないから「奥さんも働いて」と共稼ぎを奨励した。やがて奥さんも働かないと中流生活を維持できない。多忙で疲れている夫婦は子どもに関わっておれない。
 両親の姿を見て子どもは思う。結婚しても共稼ぎでやるしかない。子どもは一人か二人しか育てられない。いや、もう子どもは産まない方がいい。結婚もしない方がいい……と。やれやれ(?)。

 また脇道にそれました。元に戻って子どもに必要なのは父の愛、母の愛のいずれか。
 この質問に対して現代人はどう考え、どう答えるか。みなさん方はどうですか。

 選択肢は次の四つです。
 1 父の愛が必要
 2 母の愛が必要
 3 どちらの愛も必要
 4 どちらの愛も不要

 こうやって整理してみると、現代の夫婦・親子関係における諸問題があぶり出されるような気がします。それぞれについて考えてみます。

 3 どちらの愛も必要

 一般的には「4なんてとんでもない。3のどちらの愛も必要だ」が多いでしょう。
 なのに、結婚した夫婦の半分は家庭内別居のようになり、さらに半分が離婚すると言われます。たとえば、厚労省2019年の統計によると、約60万組の婚姻に対して離婚したのは21万組。すなわち離婚率35パーセント。

 もっとも、3割という数字は2019年に結婚した夫婦の将来における離婚可能性を示しているわけではありません。この年離婚した夫婦には過去数十年にわたる婚姻数が含まれているからです。
 1年も経たずして離婚する夫婦があれば、真珠婚式後の熟年離婚、死後離婚だってある。[「真珠婚式って何年?」と思われた方はネット検索を]。
 そう思いつつ、2019年に婚姻した60万組が今後30年、40年、50年の間に離婚0なんてあり得ないし、全て離婚するわけでもない。離婚可能性「2割はあるんじゃなかろうか」と感じます。

 先日私の姪(10歳と5歳の子持ち)から、「おじさんが結婚式に言ったお祝いの言葉がすごく心に残っている」と言われました。
 私はすっかり忘れていたので、「何て言ったんだ?」と聞くと、
「今後どうなるかはわかりませんが、とりあえずおめでとうと言っていた」そうです(^.^)。
 みんな「いつまでも」とか「共白髪」など祝いの言葉を述べる中で「おじさんだけは違っていた」と笑います。
 幸い姪は何度か危機がありながら、四人の生活をまだ続けています。
 しかし、今後はわかりません。

 父と母の愛、どちらも必要との考えは《理屈と感情》面から眺めることもできます。
 人がよく言う「子どもにとって父と母二人の愛が必要」というのは理屈であり、「もうこの人と一緒に暮らすことはできない」という感情に負ける。だから、離婚がなくなることはない。
 かと言って(以前も書いたように)子どものためだと仮面夫婦を続けること、毎日口げんかばかりしているくらいなら、早く離婚した方が子どものためだと思います。

 1 父の愛が必要 2 母の愛が必要

 もしも離婚して母が一人で子どもを育てていれば、2を選び「父など不要」と思う。同じく離婚して父が子どもを育てていれば、1を選び「母なぞいらない」と思う――可能性が高い。
 いや、そう思わなければやっていけない。自分一人で子育てしようと思わないでしょう。当然再婚しようとも考えない。「もううんざり」だから(?)。
 ドラマ的には「熱愛の末結ばれた伴侶を突然亡くし、あの人以外愛する人はいない」と思えば、再婚しないまま子どもを育てる人もいるでしょう。

 離婚したシングルマザー・ファーザーで問題なのは子どもが共に暮らす親と同じことを思う――それを自分に強いることです。
 父のいない家庭で母は別れた夫の話をしたがらない。子どもはそれを感じ取って父の話題をタブー視する。同様に父が育てる場合も別れた妻の話題はタブーとなる。

 だが、先ほど書いたように、人は自分にないものをほしがる。親は必要ないと思っても、子どもの内心は違う。父が不在の家で、子どもは父を理想化する。母が不在の家で、子どもは母を理想化する。

 死別でない限り、子どもは離婚した父(または母)とときどき再会するでしょう。
 理想通りなら「なぜ別れたのだろう」と疑問が膨らむし、「別れて当然の父(または母)」と思ったら、結婚に対して嫌悪を感じるかもしれない。

 人はだいたいたまにしか会わないと「いい人」を演じる。「なぜ別れたのか」の疑問が心に閉じ込められたままだと、その後の人生に影響を及ぼす可能性が高い(と思います)。
 よく「親が離婚した子どもは結婚しても離婚する」と言われます。原因はこのへんにありそうです。

 別れて当然と思う父・母に関しては養育費の問題があります。
 離婚しても子どもがいれば別居する父(母)は原則20歳まで養育費を出さねばならない。だが、養育費を受け取れていない家庭は非常に多く、2021年の調査によると、母子家庭のうち約6割が、父子家庭の場合は9割近くが、離婚後一度も養育費を受け取っていないそうです。

 経済的な事情はもちろんあるでしょう。しかし、最低限の責任さえ果たそうとしない親の子に生まれたことを、子どもは呪い、男・女(=人間)への絶望にとらわれるかもしれません。ひとり親家庭の内訳はほぼ9割が母子家庭。貧困率は5割と言われます。貧困家庭の子どもは大学進学をあきらめるでしょう。

 そのような離婚後の状況を放っておく政府、立法化しない議員がよくまー「子どもをたくさん産みましょう」などと言うもんです。口から出まかせ「後は知らん」の典型みたいな発言ですね。「離婚してもしっかり養育費を払わせます。ひとり親世帯となってもフォローします。だから、安心して子どもを産んでください」と言うべきだし、そういうシステムを構築するべきです。

 日本の人口が数十年後には半減すると騒いでいます。現代は少子社会なんだから、多子社会に生まれた祖父母・曾祖父母たちが亡くなれば、人口減は当然の帰結。
 それを防ぐ方法は二つしかない(と私は思います)。一つは多子社会に戻すこと。もう一つは移民をどんどん受け入れて減った分をカバーすること。
 移民の方々は何年か経って日本に住み続けたいと思うなら、(日本語が未熟でも)国籍を与えて日本人とする。純潔日本人が半分になった時、移民日本人と混血日本人があと半分を占める(?)。

 日本のリーダー、国会議員はどちらの策も国民に提起できないようです。
 もはや多子社会には戻れない。そこには「女は子を産む道具であり、高等教育は必要ない」との理屈がついて回るから。戦前の日本がそうであり、今でも某国タリバンが主張し、日本の老政治家もぽろりともらす。

 かと言って日本は難民さえ難癖付けて受け入れない国。「移民を増やそう」と言えない。だから、「奥さんも働いて」と共稼ぎを奨励した。今(そして今後)「労働力不足だから、お年寄りも働いて」と言う。「移民を増やしましょう」と口が裂けても主張しない。

 かくして日本のリーダーたちはただ事態の推移を眺めることしかできない。彼らが無能だからではなく、純潔日本人だからであり、それを維持したいと考えているから。
 そして、多くの純潔日本人(?)が多民族社会の日本を受け入れようとしないことも知っているから(と思うのは私だけでしょうか)。

 話が飛躍しますが、なぜ女系天皇を認めないのか。もしも女性天皇が「私は愛した外国の人と結婚します」と言って産まれた混血の子を天皇にしたくないから(と推理しています)。
 もちろんこれは男性天皇・皇太子も同じ。彼に恋愛・結婚の自由はない。何しろ皇室の一員が「妙な相手と結婚したら、やめろと言う資格がある」と考えている方々ですから。

 閑話休題。
 一体日本の子どもたちに英語を勉強させているのは何のためか。
 世界で活躍するため? 英字新聞・英語小説を読むため?
 真の狙いはやがて来る多民族社会日本に備えるためではないのか。

 小中高(大)で10年英語を学んでも日本人の多くは英会話ができません。私は『一読法を学べ』第48号(提言編Ⅱの4)において「英語教育を英語圏小6レベルの英会話教育に転換すべき」と提起しました。それは日本の未来を多民族社会と予測するからです。

 すでに観光地でインバウンドを迎える日本人は日常英会話を使っています。訪日外国人はかつて西欧ばかりだった。今は中国・韓国・東南アジアからも来る。彼らはほぼ英語を喋っている。それは某局「ユーは何しに~」を見ればよくわかります。
 必要に迫られて日常英会話を学ぶのではなく、小中高の英語教育を英会話中心にするべきだと思うのです。
3 どちらの愛も必要

 また脱線しました。元のレールに戻って「父の愛、母の愛、どちらも必要」について。
 離婚したけれど、「一人親は良くない。母子家庭・父子家庭は経済的に大変だし、子どもにとっても良くない」と思えば、3「どちらも必要」を選んで再婚を考える。

 しかし、再婚すると継母、まま父と子どもの間はうまくいかないことが多い。
 特に親がまだ若く子どもが小学校くらいのころ、再婚した両親に次の子(弟か妹)が生まれれば、親の愛はその子に移り、先妻の子は「自分には居場所がない」と感じやすい。
 この子は独立すると、4「どちらの愛も不要」を選ぶかもしれません。

 私の父は実母を早くに失くし、母が必要と言った。母の死後祖父はすぐ再婚したそうです。
 父は次男で男3人、女3人の兄弟姉妹でした。6人の子を抱えていればすぐ再婚するのも当然でしょう。戦前の話です。
 友人と議論したとき、父には再婚した母がいた。父にとって継母は「必要な母」ではなかったことになります。

 後妻に子は産まれなかったけれど、父は二十代の頃、兄と図って継母を追い出そうとしたことがあったとか。理由は「義母が漬物を勝手に捨てた。そんなことじゃ困るから」と語っていました。
 たぶん高菜漬けだと思います。昔は貧しい暮らしのおかずとして大量に作られた。高菜漬けは古くなると、腐ったような匂いがする。が、炒めればまだ食べられる、と父は考えたのでしょう。

 ちなみに、私も子どもの頃高菜漬けの油炒めが嫌いでした。一度母に「腐ったものを食べさせるな」と文句を言ったことがあります(^.^)。後に誤解と分かり、今では好きな副菜です。
 父が継母を追い出そうとした理由は「何それ?」ですが、それまでの軋轢があったのだと思います。

 さて、ここまで語ってきたことは前号最後に提起した問題について考える基礎と言うか、材料を提供するためです。テーマはこうでした。
 私たちは相手のどのような言動を受けて「ああ愛されている」と感じるか。
 逆に「これでは愛されていない」と感じるか――。

 次号後半において「愛されている」と感じるパターンを詳しく語ります。
 自分の生き方が周囲・子どもから尊敬され愛されていると感じれば、そりゃあ誰だって「変わろう」などと思わないでしょう。

=================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:ここで別件。日本の(世界の?)「おめでとう」について。
 アメリカ大リーグ、2刀流大谷翔平さんがア・リーグのМVPに選出されました。一昨年に続く2度目で、今回も満票。これは大リーグ初とか。
 無縁の人間ながら「おめでとうございます」と祝辞を献呈いたします。

 かたや悲惨の一語がイスラエルのガザ爆撃。病院まで攻撃しました。
 病院の地下に通路や部屋があるのはたぶん事実でしょう。だが、病院内で「武器が見つかった」というのはでっちあげだと思います。反撃にあってもいないのに、病院内の施設を破壊する……。
 かつて中国の皇帝が敵方、謀反の家臣の親族、赤ん坊まで殺害したことと重なります。

 ウクライナも含めて「戦争やめろ!」と言いたい。
 リーダーの決定に従ったハマスの戦闘員がこの事態を引き起こした。
 報復だ、攻撃だ、病院だろうが何だろうが殲滅しろと命令するリーダー。

 兵士よ、リーダーの命令に絶対服従するな!
 一人一人が武器を捨てれば、戦争は終わる!

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ジャパンカップ、結果とほぞ噛み

 前号古馬58キロのGIについて「春天・安田記念・秋天」と書きましたが、「春天・安田記念・宝塚・秋天」の誤りでした。直後に「宝塚58キロV」などと書いているので、本旨に問題ないものの、お詫びして訂正いたします。

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【前回GI結果】

 ジャパンカップ、結果は――印的中でも馬券買わず…の全滅(^_^;)

 1着―ルメル 02イクイノックス…………[◎] 単勝=1.3
 2着―川 田 01リバティアイランド……[〇]
 3着―ビュイ 17スターズオンアース……[・]
 4着―戸崎圭 05ドウデュース……………[▲]
 5着―横山和 03タイトルホルダー………[●]

 一覧[A→B→D→C] 馬群[1→1→1→1]
 馬順[A→B→C→D] 枠順[A→A*→C→D]

 枠連=1-1=1.8 馬連=02-01=1.8 馬単=2.6
 3連複=02-01-17=6.0 3連単=11.3
 ワイド12=1.3 W13=3.1 W23=4.4

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 本紙予想結果
 印騎 手番馬       名 馬 結果
 ◎ルメル02イクイノックス   A 1
 〇川 田01リバティアイランド B 2
 ▲戸崎圭05ドウデュース    D 4

 ●横山和03タイトルホルダー  F 5
 ▲戸崎圭05ドウデュース    D 4
 ・ヴェロ07イ レ ジ ン   09  9
 ・和田竜14ディープボンド   G  10
 ・モレイ10ダノンベルーガ   E  6
 ・ビュイ17スターズオンアース C 3
 ・吉田豊08パンサラッサ    H  12

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【JC、過去8年の実近一覧結果】

    一 覧     馬 順     [1234]群
2023年 A→B→D→C A→B→C→D 1→1→1→1
2022年 E→A→G→D C→B→D→E 2→1→2→1 乖離C・D
2021年 A→B→C→QD A→C→B→09 1→1→1→3 
2020年 A→B→D→C A→B→C→D 1→1→1→1 
2019年 F→B→G→QD D→E→A→13 2→1→2→3 乖離D・A
2018年 A→E→C→B A→D→C→E 1→2→1→1 
2017年 B→C→A→F D→B→A→F 1→1→1→2 
2016年 E→H→D→B A→F→E→B 2→2→1→1 乖離A

 こんなにも一覧と結果が対応しているとは…ある意味驚き。
 過去7年中第1馬群4頭内で決まったのが3回。今年さらに1回追加された。
 第1馬群は究極の4頭絞りだったことになるが、まー買っても詮無い馬券である。
 第3群の乖離馬2頭は6、10着と不発だった。

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 【ジャパンカップ 実近一覧表】 東京 芝24 18頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=02|イクイ ノックス 4| 1.7{AB}[8]C|A| |AAAA ◎1
B=01|リバティアイラン牝3| 6.1{BA}[9]A|B| |BBBB 〇2
C=05|ドウ デュース  4|10.1{CC}[5] |D| |EECD ▲4
D=17|スターズオンアー牝4|12.5{DD}[13]B|C| |CDEC ・3
[2]
E=13|クリノメガミエー牝4|13.9{1810}[7] |16| |
F=07|イ レ ジ ン  6|22.5{EF}[4] |09| |10H0909 ・9
G=03|タイトルホルダー 5|27.7{09E}[2]逃|F| |DCDF ●5
H=08|パンサ ラッサ  6|27.8{GG}[1]逃|H| |H10FG ・12
[3]
QA=10|ダノン ベルーガ 4|30.0{HH}[10]D|E|乖|FGGE ・6
QB=09|ヴェラ アズール 6|33.8{F11}[17]E|10| |
QC=04|スタッド リー  5|46.3{1212}[6]E|11| |
QD=14|ディープ ボンド 6|52.3{1509}[3] |G|乖|GFHH ・10
[4]
QE=16|イ ン プ レ ス4|55.1{1314}[16] |15| |
QF=15|ショウナンバシット3|59.6{1015}[12] |12| |11121212
QG=18|ウインエアフォルク6|66.5{1713}[18] |14| |
QH=06|フォワードアゲン 6|85.7{1416}[11] |13| |
QI=11|トラストケンシン 8|97.5{1117}[15] |17| |
QJ=12|チェスナットコート9|99.9{1618}[14] |18| |

 注…「馬」は馬連順「3指」は3複系順位、「単複」は単複順位
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 ○ 展開予想(逃げ2頭)

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番08 03 14 07 -05 04 13 02 -01 10 06 15 -17 12 11 16 09 18
覧 6 ▲ 5 ◎ 〇 △
3F E C A D B E
本・ ● ・ ▲ ◎ 〇 ・ ・
結 5 4 1 2 3

--------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れG [A 型] 枠順AA=2.3・AB=7.5
 馬連型=A流れF [AB型] 馬連AB=2.3

 枠連=A//BCDE/F/G//H/ 
 枠順=1 5832 4 7 6
 馬順=A ECDF H G 17 枠順[A→A*→C→D]
 代行=B 10141311 09 12 18 馬順[A→B→C→D]
 代2= 15 16
 ―――――――――――――
 結果=12 345

 [オッズ分析]
 枠はA1枠に馬順A02イクイノックス、B01リバティアイランドが入っ
て1枠絶対(に見える)A流れ。A枠のゾロ目・馬順ABが1番人気の2倍
強。これでは他の馬券を買ったのではトリガミ必至。以前このパターンの
出現率を書いたことがある。
 パターンは3つ。A枠のワンツー、A枠どちらかの2着内(お勧めはB
01)。最後にA枠両方が3着以下に消える。
 最後のパターンはハンデ戦とか2歳戦などでときどき見かける。さすが
にケンするレースか。
 敢えて穴を買ってケンする(^_^;)なら、A1枠からFGH枠への流し。
 枠と馬順の異変がB5枠に見られるので、馬順E(10ダノンベルーガ)か
らA02、B01へ馬連・3複を買ってケンする手もありか。

 [結 果]
 結果はA1枠のワンツー。3着も馬順Cのどどど本命(^_^;)。
 やはりケンするレースであった。

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 ※ 回  顧

 この日は関東同様大分内陸も冬の寒さ。
 私は温泉で温まっていつものいとことテレビ観戦。
 穴党のいとこはもちろん、私も「今日の穴馬は来る気がします」とスタート前とても威勢が良かった。そのとき私は言ったものです。
「いつもなら◎〇→総流しと言うんですが、今回はそれで16枚使ってもしも123番人気決着だと目も当てられないから、その馬券は買わないんです」と。

 この予感が的中しました(^_^;)。

 単勝人気は[1→2→5]ですが、馬順は[A→B→C]。3複払い戻し600円ではねえ。
 今回はお金持ちのためのレースで、我ら穴党貧乏人は我慢の競馬でした。

 それにしても、ルメール02イクイノックスの勝ち方、恐れ入ります。
 もしかしたら「レコード走の反動があるかも」と思ったけれど、カンケーなかったようです。

 レースは宣言通り吉田豊08パンサラッサが大逃げ打って1000通過57.6。
「おいおい。1200のレースじゃないんだよ」と言いたくなりました。

 久しぶりの「テレビ馬的大逃げ」だし、昔(大昔?)秋天が3200メートルだったとき、プリティキャストの大逃げを思い出しました。
 1980年のことで私が競馬を始めた年です。向こう正面では後続を20馬身くらい離して「まー無理だよな」と思ったら、あれよあれよと逃げ切り。愕然としたものです。

 パンサラッサも向こう正面では10馬身以上の大逃げ。そして、番手はウラ●03タイトルホルダー。これが実質の逃げであることは明らか。
 このときは「しめしめ」と思いました(^.^)。

 ◎(だけど消えてほしい)ルメール02イクイノックスは数馬身後の3番手。不気味。
 ついでに消えてほしい〇川田01リバティアイランドは4番手先行。
 戸崎圭05ドウデュースも6番手当たりを先行していました。
 私の印は◎〇●▲の4頭絞りであり、ウラ●か▲さえ絡めば、ちょっと面白い的中がありました。

 そして、この4頭確かにみな掲示板に載った。
 が、そこにもう1頭ビュイック17スターズオンアースが食い込んだ。
 それも3着の位置に。これが誤算。

 同馬は古馬牝馬56キロを経験して2戦「2着→3着あり」として注目していた馬――ではあるけれど、印は軽視。
 かくして、印をつけながら買わなかった予想の《的中》(?)なのであります。

 勝ったルメール02イクイノックスの勝ちタイムは2218。これはアーモンドアイの芝24レコード2206に次ぐ2位。
 アーモンドアイは牝3歳53キロのタイムであり、イクイノックスは58キロのタイムだから、重みが違います。2着リバティアイランドとは4馬身差。

 最速上がりはイクイノックスで33.5。3番手先行してこの上がりを出されたのではどうしようもありません。
 実質逃げの番手03タイトルホルダーの上がりは35.0でした。これでは勝ち負けにならず、5着掲示板は頑張った方。
 4着ドウデュースの上がりは2位の33.7。これも頑張った方だと思います。イクイノックスとの勝負付けはホントに終わったようですね。

 今回の勝利でイクイノックスは昨年秋天から有馬→ドバイ→宝塚→秋天→JCとGI6連勝、今年GI4勝で文句のつけようのない年度代表馬候補。
 まるで米大リーグ大谷翔平МVPのように「投票前から満票の選出」が予測される候補です。

 父キタサンブラックは供用わずか3年目。重賞(今回を含めて)12勝。うちGI6勝。つまりイクイノックス1頭の成果。産駒初の年度代表馬でしょう。

 にしても不思議なのは昨年皐月とダービーで2着に負けていること。
 しかもそのときは皐月3番人気、ダービー2番人気だから、ファンの評価は間違っていなかったことになります。
 ればたらはないけれど、あれ勝っていたら新馬から9連勝。ディープインパクト級の大騒ぎになっていたと思います。

 思い起こせばGI6勝の父キタサンブラックも[新馬→1W→G2]を3連勝しながら、皐月4番人気3着→ダービー6番人気14着でした。
 秋になってG2セントライトV後菊花5番人気1着。4歳以降GI5勝だから、大器晩成タイプであり、実子イクイノックスもその血を受け継いだのかもしれません。

 最後にもう一つ。
 イクイノックスはシルクレーシング一口馬主(8万円×500口=4000万)の馬。
 それが今回の勝利(1着5億追加)で獲得賞金22億超、歴代1位になったそうです。
 4000万の50倍強を稼いだことになります。
 ちなみに2位はアーモンドアイ、3位は父キタサンブラック(^.^)。

 馬主の取り分は80パーセントと言われるから、今回4億を500人で分け合う形。
 一口80万。2口分持っていたら160万円!

 一口8万ならビンボー人でも出せる金額。「うらやまし~」と思ったところです(^.^)。
 もっとも、この背後には真逆の結果となった一口馬主各位も大勢いらっしゃるのでしょうね。
 こういう成功例を見るから、投資詐欺とか還付金詐欺に飛びつきやすい。
 やっぱりビンボー人は穴党競馬を小さく楽しむ程度がよさそうです。
 
 以上です。

==============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2023.11.25

ジャパンカップ、直前予想

 実は昨年のマイルCSもウラ●2着で馬連・3複が当たっていました。
 で、以下は昨年のJC予想前置き。
 サボではないけれど、そのまま掲載します(^_^;)。

--------------------------------
 久しぶりに大きいのが当たったほぞ噛みですが、安易に乗っからないよ
う忠告いたします。何しろウラ●の的中は10回に1回か2回くらいだし、
だいたい連続的中がありません。明日のジャパンカップも自信をもって
「外すだろう」と言えます。ああこれが表ならウラが出てほしい(^_^;)。

 それはさておき第42回ジャパンカップ。
 第1回を競馬場で観戦した私にとっては「はるばる遠く来ぬるものかな」
です。一緒に観戦した唯一の競馬友達は心筋梗塞で逝ったし、こんなに長
く競馬を楽しむ(苦しむ?)とは……といった思いです。
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 一つ歳食って今年は第43回。枠連3-4、馬連03-04買っておきますか?
 ちなみに、昨年のJC予想と結果は以下の通り。どうやらこのレースから「乖離馬」を入れ始めたようです。馬連=9.4倍の的中のみで大トリガミでした。[行末に一覧順位を追加]

--------------------------------
 昨年JC予想・結果
 印騎手番馬        名 馬順  結果 一覧
 ◎Cデム15シャフ リヤール  B 2  A
 〇マーカ08デアリング タクト E 4  D
 ▲川 田14ダノン ベルーガ  A(乖) 5  F
 △ムーア06ヴェラ アズール  C(乖) 1  E 
 △レーン03ヴェルトライゼンデ D(乖) 3  G  
 △ルメル02オ ネ ス ト   F(乖)  7 第4群
 ・ムルザ07テ ュ ネ ス   09  9
 ・ブノワ01シ ム カ ミ ル 12  15
 ●武 豊10ハーツイストワール H  11
 ?浜 中18ボッケ リーニ   G  17
--------------------------------
 ウラ●を武豊にしているし、印も多いし、「荒れるだろう」と思って撃沈したことがよくわかります。一覧ではトップAが2着、第2群の乖離馬3頭から1、3着が出ました。
 乖離馬はもう1頭第4群[馬順F]がいました。が、過去の一覧傾向から「第3、4群はほぼ不要」とあったので、トップAと第2群乖離3頭の4頭絞りにすれば、3複的中があったところです。

 とまー過去を振り返るのは感傷かデータ偏重か。
 今年も「荒れそうにない」ジャパンカップです。
 ど1番人気と、ど2番人気(^.^)の組み合わせ、もしかしたら馬連200円かもしれません。
 ――と週中書いてフタ開けたら、正に前日230円。

 もちろん「ど」のつく2頭とは牡4ルメール02イクイノックスと牝3川田01リバティアイランド。なんと1枠同居です。
 かたや世界ランクトップにして目下古馬GI5連勝中。9戦[7200]
 こなた今年の牝3冠馬。牝馬2、3歳全GI4連勝中。6戦[5100]

 面白いのは両馬9連勝、6連勝しなかったこと。
 ことわざで言うなら、画竜点睛を欠いている(^.^)。
 今回もしもワンツー決着なら、どちらかに2着1ヶが追加されます。

 我が敬愛する牡4武豊05ドウデュースも出走と思ったら、秋天に続いて鞍上戸崎圭。
 ケガすると回復に時間がかかる歳になりましたね。
 ドウデュースは前走秋天7着。着差1秒7ではムリ筋の感。
 とは言え、昨年イクイノックスに土つけたダービー馬であり、底力を信じて究極の3頭絞り。上から順に◎〇▲の1点予想、いかがでしょうか(^.^)。


 まずは過去7年の実近一覧結果から。

【JC、過去7年の実近一覧結果】(乖離馬の馬順も掲載)

    一 覧     馬 順     [1234]群
2023年 →→→ →→→ →→→
2022年 E→A→G→D C→B→D→E 2→1→2→1 乖離C・D
2021年 A→B→C→QD A→C→B→09 1→1→1→3 
2020年 A→B→D→C A→B→C→D 1→1→1→1 
2019年 F→B→G→QD D→E→A→13 2→1→2→3 乖離D・A
2018年 A→E→C→B A→D→C→E 1→2→1→1 
2017年 B→C→A→F D→B→A→F 1→1→1→2 
2016年 E→H→D→B A→F→E→B 2→2→1→1 乖離A

 昨年直前予想において「過去6年は簡単に言うと1番人気から6番人気までの決着で
あった」とまとめたら、昨年も同結果。ただ、馬順Aが消えての[C-B-D]決着だから、ビミョーに取りづらい馬券ではありました。
 馬群を見ると「だいたい第1、第2群までの決着。第4、3群はカットしてもよさそうです」と書いた通りの結果でした。

 この傾向は今年も続くかどうか。過去7年第4群の出番はないけれど、第3群から2頭4着に入っています。今年第3群の2頭が馬順E・Gの乖離馬です。トップABから3複相手として10ダノンベルーガ、14ディープボンドへ流しておくのもありかなと思います。

*******************************
 【ジャパンカップ 実近一覧表】 東京 芝24 18頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=02|イクイ ノックス 4| 1.7{AB}[8]C|A| |AAAA ◎
B=01|リバティアイラン牝3| 6.1{BA}[9]A|B| |BBBB 〇
C=05|ドウ デュース  4|10.1{CC}[5] |D| |EECD ▲
D=17|スターズオンアー牝4|12.5{DD}[13]B|C| |CDEC ・
[2]
E=13|クリノメガミエー牝4|13.9{1810}[7] |16| |
F=07|イ レ ジ ン  6|22.5{EF}[4] |09| |10H0909
G=03|タイトルホルダー 5|27.7{09E}[2]逃|F| |DCDF ●
H=08|パンサ ラッサ  6|27.8{GG}[1]逃|H| |H10FG ・
[3]
QA=10|ダノン ベルーガ 4|30.0{HH}[10]D|E|乖|FGGE ・
QB=09|ヴェラ アズール 6|33.8{F11}[17]E|10| |
QC=04|スタッド リー  5|46.3{1212}[6]E|11| |
QD=14|ディープ ボンド 6|52.3{1509}[3] |G|乖|GFHH ・
[4]
QE=16|イ ン プ レ ス4|55.1{1314}[16] |15| |
QF=15|ショウナンバシット3|59.6{1015}[12] |12| |11121212
QG=18|ウインエアフォルク6|66.5{1713}[18] |14| |
QH=06|フォワードアゲン 6|85.7{1416}[11] |13| |
QI=11|トラストケンシン 8|97.5{1117}[15] |17| |
QJ=12|チェスナットコート9|99.9{1618}[14] |18| |

 注…「馬」は馬連順「3指」は3複系順位、「単複」は単複順位
--------------------------------
 ○ 展開予想(逃げ2頭)

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番08 03 14 07 -05 04 13 02 -01 10 06 15 -17 12 11 16 09 18
覧 6 ▲ 5 ◎ 〇 △
3F E C A D B E
本・ ● ・ ▲ ◎ 〇 ・ ・

----------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れG [A 型] 枠順AA=2.3・AB=7.5
 馬連型=A流れF [AB型] 馬連AB=2.3

 枠連=A//BCDE/F/G//H/ 
 枠順=1 5832 4 7 6
 馬順=A ECDF H G 17 
 代行=B 10141311 09 12 18
 代2= 15 16
 ―――――――――――――
 結果=

 [オッズ分析]
 枠はA1枠に馬順A02イクイノックス、B01リバティアイランドが入って1枠絶対(に見える)A流れ。A枠のゾロ目・馬順ABが1番人気の2倍強。これでは他の馬券を買ったのではトリガミ必至。以前このパターンの出現率を書いたことがある。
 パターンは3つ。A枠のワンツー、A枠どちらかの2着内(お勧めはB01)。最後にA枠両方が3着以下に消える。
 最後のパターンはハンデ戦とか2歳戦などでときどき見かける。ケンするレースか。
 敢えて穴を買ってケンする(^_^;)なら、A1枠からFGH枠への流し。
 枠と馬順の異変がB5枠に見られるので、馬順E(10ダノンベルーガ)からA02、B01へ馬連・3複を買ってケンする手もありか。

********************************
 ※ 直前予想

 さて、結論です(^_^;)。

 前置きに書いた通り、表馬券は◎〇▲の3頭絞り。
 ◎ルメル02イクイノックス
 〇川 田01リバティアイランド
 ▲戸崎圭05ドウデュース。

 イクイノックスが昨年敗れた2頭は皐月のジオグラフとダービーのドウデュース。
 一方、リバティアイランドが唯一敗れたのが2戦目東京2歳G3アルテミスSのラヴェル。
 ラヴェルはその後GI・G2を5戦[0005]。ジオグリフはその後GI7戦[0007]。
 失礼ながら「どうしてそんな馬に負けたかねえ」と言いたくなります。
 まーそれが競馬っちゅーもんでもあります。

 ドウデュースのみ凱旋門19着ながら、今年2月阪神芝22のG2京都記念1着があり。
 前走秋天の大差負けでイクイノックスとの「勝負付けは終わり」の印象ながら、秋天は3月ドバイGI(取消)以来であり、秋天は(激烈レコードレースだったし)最後流したと思われる。
 よって、ここで復活してイクイノックスの牙城を脅かす存在となるかもしれない。

 ――と思って3複1本。3単は(3強の場合C→B→Aを買うの原則通り)[▲→◎=〇]2枚。
 馬連・馬単は買わない。

 一覧トップAはイクイノックスだし、Bはリバティアイランド。
 オッズもAB型だから、この2頭のワンツーで間違いなし(?)。
 ただちょっと引っかかるのは馬順がAからFまでしか流れていないこと。その後BからFまでの馬連が並ぶ。つまり、Bも相当強い(と見なされている)。
 2強の馬連・馬単を買っても詮無いし、基本ケンして「すげえマッチ」と口あんぐりのレースでしょう。
 敢えて3複買うなら、AB型の基本である[ABからC(17)D(05)蹴ってEFGH]。
 [02-01→10 03 14 08]でしょうか。

 以上、予想終わり(^_^;)。


 しかし、これでは面白くない。
 ここはやはりひねくれ馬券師の見解とかすかなウラ馬券も構築してみたい(^.^)。
 外れかトリガミ覚悟のちょい購入。

 考えられるのは4歳イクイノックスが着内に残り、3歳牝馬リバティアイランド・4歳ドウデュース2頭が着外に落ちるパターン。

 05ドウデュースが消える理由は簡単。前走秋天1秒7の大差負けから。
 このレース、ルメール・イクイノックスが東京芝20を[1552]の驚異的レコードV。従来のレコード1561をほぼ1秒更新しました。
 藤岡佑ジャックドールが1000メートル通過57.7のハイペースで逃げたことが、このタイムを演出したと言えるでしょう。
 2着ジャスティンパレスとはコンマ4差。なのにドウデュースは大差負け。ここでの復活は難しい――と思えば着外必至?

 次に01リバティアイランド。
 桜花賞(18頭立て)4角15番手から怒涛のごぼう抜き。上がり32.9の勝ち方に度肝を抜かれ、オークス、秋華賞は一転先行ちょい差しであっさり牝3冠達成。追い込み馬が最内に入ると、危険なことがあるけれど、展開図では中団。しかも、前走上がりは16頭のトップA。

 ただ、秋華賞は(稍重とは言え)勝ちタイム2011、上がりリバティの33.6と平凡。これは秋天組など他レースの上がりがもっと平凡だったから。良馬場秋天、3番手から先行して勝ったイクイノックスの上がりは34.2だった。

 ここで年度代表馬争いから眺めてみると、イクイノックスが今年ドバイGI・宝塚・秋天の3連勝。対してリバティアイランドも3歳牝GI3連勝。
 このままイクイノックスがJCも勝てば、(有馬に関係なく)文句なく今年の年度代表馬。しかし、もしもリバティがイクイノックスを負かせば、リバティアイランド年度代表馬の可能性あり。

 思い出すのは2018年の3歳牝アーモンドアイ。ルメール鞍上で牝馬3冠。そしてジャパンカップ挑戦、140円の1番人気でV。GI4勝をもって年度代表馬になりました。

 しかし、もう一例思い出すのが翌々20年。ルメル・アーモンドアイ5歳となり、福永祐牡3コントレイルが牡馬3冠。松山弘牝3デアリングタクトも牝3冠。この3頭がJC出走。
 アーモンドアイはGIヴィクМV→安田記念2着→秋天VのGI2勝でした。

 結果JCはアーモンド→コントレ→デアリングの123着となり、3頭がGI3勝で横並び。
 私は牡馬3冠のコントレイルだろうと思ったのに、アーモンドアイがまさかの年度代表馬に。

 3冠コントレイルに対してアーモンドアイは実質秋天、JCのGI2勝半みたいなもん。比べればコントレイルを年度代表馬とするべきでしょう。なのに、記者連中はアーモンドを選んだ(2度目)。当時「ふざけんじゃないよ」と怒ったものです(^_^;)。

 かくしてコントレイルは3冠馬で唯一年度代表馬にならない馬になってしまいました。
 翌4歳もGIはJCの1勝のみで年度代表馬にならないまま引退。こうなったら、今後3冠馬を2頭、3頭出して年度代表馬を10頭出してくれ(!)と思います(^_^;)。

 それはさておき、古馬牡馬との4キロ差は明らかに3歳牝馬に有利ながら、牝3冠馬が必ず古馬を一蹴するとは限らない。

 しかも、今年のリバティアイランドには斤量に関して一つ問題があります。
 [以後斤量に関して古馬とあれば、牡馬を意味します]

 それはアーモンドアイもデアリングタクトも3歳時JCでは斤量53キロでした。牝3冠の桜花・オークス・秋華は55キロです。よって、この2頭JCではそこから2キロ減となりました。

 ところが、今年リバティアイランドはここJCで54キロを背負います。

 なぜかと言うと古馬が昨年までの57キロから58キロになったからです。古馬牝馬は2キロ減の56キロ。3歳牡馬も56キロ。そして3歳牝馬が54キロ。
 多くの古馬定量戦が最大58キロになったのに対し、3歳GIは今までと変わらない。
 牡馬3冠は57キロだし、牝馬3冠も55キロのまま。よって、リバティアイランドはアーモンドアイ、デアリングタクトと違って牝3冠より1キロ減でのJC出走となる。これがどう出るか。

 もちろん古馬との4キロ差は変わらないので、有利であることは明らか。
 ただ、アーモンドアイとデアリングタクトの年、JCで古馬は57キロだった。

 当時古馬が58キロを背負うレースは春天・安田記念・秋天と決まっていた。他は有馬などだいたい57キロ。この3大レースの58キロは昔も今も変わっていない(59キロとはしなかった)。
 かくして、たとえば今回の4歳イクイノックス(58キロ)は過去宝塚と秋天の2回58キロを経験済み。58キロで2戦2勝は立派。

 他の古馬ではドウデュースが58キロを3回背負って[1002]。光るのは5歳タイトルホルダー。国内では4回背負って[3100]。昨年の春天、宝塚を58キロで連勝し、今年G2日経賞[59キロ]でも1着。次走春天はレース中止。
 今回前走G2オールカマーは58キロで2着。同馬は58キロ、へでもない感じ(^.^)。

 また、古馬牝馬(56キロ)で見ると、4歳17スターズオンアースは大阪杯とヴィクМで56キロを2回背負って2着→3着だった。

 というわけで牝3歳リバティアイランドの54キロは意外と重いかもしれず、そこに3着以下に落ちる可能性あり。同時に古馬の58キロ、古馬牝馬56キロの馬が飛び出すかもしれません。

 というわけで、ウラ馬券の2着候補は横山和03タイトルホルダーとビュイック17スターズオンアース。この比較では17スターズオンアースが前走5月のヴィクМ以来半年ぶりであり、さすがに無理スジ。
 一方、タイトルホルダーは逃げ宣言の08パンサラッサと競って共倒れの不安あれど、離れた2番手先行なら、実質逃げているようなもの。前残りがあるならこの馬と見て2着ウラ▲に抜擢。

 ……とここまではほぼ週中書きあげていました。

 が、前日になって58キロ得意なタイトルホルダー、「まさかの1着があるかも」と思ってウラ●に格上げします(^_^;)。
 イクイノックスの方に「まさかの2着」があるかもしれないと思ったからです。

 同馬がもしも負けるとしたら、前走極限とも言えるレコードタイムを出したこと。いわゆるレコード走の反動です。今回秋天からはわずか3頭の出走。イクイノックスにお手上げの感あれど、反動による故障を危惧したかもしれません。

 その反動がもしも秋天出走馬に起こるとしたら……浮上するのは秋天に出なかった馬かもしれない。その筆頭が中山G2オールカマーを選んで2着だったタイトルホルダーではないか。

 同馬は前走いつものように逃げてコンマ2差2着。タイムは良2122と平凡でした。
 しかし、これは跛行で中止した春天以来の実戦であり、ならし運転だった気がします。
 狙いは次走JCの勝利。秋天→JC連勝を狙うイクイノックスに一泡吹かせるための(^_^)。

 過去10年JCでは毎年のように秋天組が1頭か2頭入着しています(3頭独占も1回)。
 唯一秋天組が入着しなかったのが2016年。勝ったのは前走G2京都大賞典Vから挑んだ武豊キタサンブラック。
 前走2番手先行からJCは逃げて1000通過61.7の巧みなスロー。すたこらさっさと逃げて勝ちました。2着も京都大賞典4着馬、3着アルゼンチン杯1着馬。

 さぞかし大荒れしただろうと思いきや、人気は[1→5→6]。やっぱり6番人気内におさまっています。ちなみに、同年秋天VはマイルGIで活躍したモーリスでJCに出ず、秋天2着リアルスティールがJC2番人気(5着)でした。

 というわけで、ウラ●横山和03タイトルホルダーから(少々の)馬連・馬単馬券を買ってみたいと思います。
 相手中心はもちろん1枠両馬ながら、秋天3頭から激走するなら、本気で走らなかった05ドウデュース。同馬をウラも▲として2着候補。そして、1枠両馬まさかの3着以下なら、面白いのは唯一外国馬07イレジン、京都大賞典3着(1人)14ディープボンド。乖離馬の10ダノンベルーガ、牝馬の17スターズオンアース。さらに逃げ宣言の08パンサラッサを3番手候補としてウラの3複も買います。


 表裏合わせて印は以下の通り。

印騎 手番馬       名 馬順
◎ルメル02イクイノックス   A
〇川 田01リバティアイランド B
▲戸崎圭05ドウデュース    D

●横山和03タイトルホルダー  F
▲戸崎圭05ドウデュース    D
・ヴェロ07イ レ ジ ン   09
・和田竜14ディープボンド   G
・モレイ10ダノンベルーガ   E
・ビュイ17スターズオンアース C
・吉田豊08パンサラッサ    H

 さて結果は?

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2023.11.19

『続狂短歌人生論』30 なぜ変えられないのか その3「愛してほしいから」

――最近読み始めた読者各位へ――
『続狂短歌人生論』第1号は2023年3月7日開始「前置き」です。
 これまで29号発行しています。
 長文ばかりですが、おヒマなら最初からお読みください(^_^;)。

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 まずは前号一読法的質問の答え。
 作者はなぜ「尊敬される三タイプとはどれか」というつぶやきをクイズにしなかったのか。一つは「答えが簡単だから」でした。

 もう一つは以前『一読法を学べ』でしばしばやらかした罠であり落とし穴、あるいは意地悪(^_^;)。読者を突き放して崖から落としたのです。

 とある個所をクイズにして明示するということは「これをつぶやきなさい。そして疑問の答えを考えなさい」と導いているようなもの。
 これは国語の授業や試験で言うと、常に先生が質問を用意して生徒はその答えを考える――というパターンです。

 こんなことをやっているから、いつまで経っても「考える力」が育ちません。疑問を自分で考え出し、答えを探してあれこれ考える。これこそ真の考える力です。
 疑問・質問を自分で考えるとは(読んでいる途中や体験中に)「おやっ妙だぞ。なぜだろう」とつぶやくことから始まります。正に一読法。

 クイズにしても良かったのに、しなかったのは読者に「自ら疑問・質問を設定してその答えを考える」道に進んでほしかったから。つまり、突き放したのは私の読者への愛情なのです(^_^;)。

 えっ、「そりゃ疑わしい。意地悪だと書いているじゃないか」ですって?
 まー「罠にはまったかな」とにやにやしていたかも(^_^;)。


 さて、「なぜ変えられないのか」その3「愛してほしいから」。

 以前27号「愛エネルギーがほしい」において以下の狂短歌を詠みました。

 ○ 愛されたい 認められたい 誉められたい 心に秘めて人と付き合う

 このことを幼子を例として深掘りします。


11月08日  なぜ変えられないのか その1「長所と信じるから」
 〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

11月15日
 なぜ変えられないのか その2「尊敬されるから」
 〇 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしない

11月22日
 なぜ変えられないのか その3「愛してほしいから」―――――――本号
 〇 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

11月29日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」
 〇 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

12月06日
 なぜ変えられないのか その5「感情と理屈が結びついているから」
 〇 人間は性善なのか性悪か 溶け合っている理屈と感情


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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

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******** 「続狂短歌人生論」 **********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』30 なぜ変えられないのか 】

 その3「愛してほしいから」

 今回の狂短歌もちょっとじくじ[忸怩]たるものがあります(^_^;)。
 最後に「生き物」とつけるなんてどうでしょう。非文学的です。
 それに、これは科学的、心理学的に正しいことを言っているのか。素人の私には自信がありません。

 ただ、人の感情についてはいまだ解明されておらず、統計的に見れば――すなわち多くの幼児を眺めれば、この傾向があると言えるのではないでしょうか。
 ニンゲンという生き物(?)は人を愛することより、愛されたいという気持ちをもって人生を歩み始める。子どもというものはしばらく人を愛することができず、「自分を愛してほしい」と思う。それが人間の原初の姿であると。

 これは全ての子どもに共通した性格と言うか、原感情ではないか。天が賦与した本能かもしれません。
 愛エネルギーの観点から説明すると、子ども(特に幼児)は人にまだ愛エネルギーを与えることができない。親や大人に対して「私をもっと見てほしい、認めてほしい、誉めてほしい、かわいがってほしい」と愛エネルギーをねだっているということです。
 こう書けば「確かにそうかもしれない」と思ってもらえそうです。

 そうなると、これはいけないことか。あるいは、そんな子どもじゃ困るから「人を愛する人間になりましょう」と教える必要がある(!)だろうか。

 と問えば、「いやいや、そんなことは必要ない」と(私なら)応じます。
 いけないことでもない。そもそもそれが子どもというものではないか。

 なぜなら、子どもは存在ものものが愛エネルギーを発散している。太陽のように《かわいい》というオーラを発光しているからです。
 子どもの無邪気な笑顔を見ればかわいいと思う。疲れも癒され、この子のためにがんばろうと元気が湧く。つまり、愛エネルギーを得られる(もしもそう思えないなら、あなた自身に問題があると振り返るべきだ)。

 子どもには現在しかない。過去も未来もない。だから、叱られてもすぐ立ち直る。
 私たちは「泣いたカラスがもう笑う」姿をよく見かけます。誰でも――自分もそうだったと言うでしょう。
 これも私たちを元気づける。大人は過去を引きずる。未来を思って暗澹たる気分になることがある。それが現在の生きづらさにつながる。泣いたカラスは翌日も泣いている。

 黒田三郎「夕方の30分」でも、お尻をたたかれてユリちゃんは「大きな大きな声で泣く」。
 だが、その後は以下のように描かれた。
---------------------------------
 それから/やがて/しずかで美しい時間が/やってくる
 おやじは素直にやさしくなる/小さなユリも素直にやさしくなる
 食卓に向かい合ってふたり座る
---------------------------------

 この「美しい」情景をちょっと分析してみると……、
 ユリちゃんは食べながらすぐに笑顔を見せたであろう。
 テーブルについていれば、足をふりふりして卵焼きが「おいしい」と言ったであろう。
 何しろ不器用なお父さんが細心の注意を払ってつくった(初めての?)卵焼き。
 お父さんもユリちゃんの様子を見て笑みがこぼれる。
 お父さんはたぶん「叩いて悪かった。大人げなかった」と思い、ユリちゃんも「ヨッパライ グズ ジジイ」なんて言ったことを反省している(?)であろう。

 二人は食事前のどたばたで愛エネルギーを与え合うことはできなかった。
 感情が爆発して幼子はひどい言葉を吐き、父は娘のお尻を叩いて報復した(^.^)。
 でも、食事によって自然のエネルギーを得た。

 詩の表現は食べる前で終わっている。だが、その後訪れるやさしい食事風景は充分想像できる。
 詩人にとってその様子を具体的に描くことは容易い。だが、ここでは「しずかで美しい時間」とまとめ、具体的な情景は書かなかった。なぜか。「読者が自由に想像してください」というわけだ。

 料理した人にとって食べる人が「おいしい」と言い、笑顔を見せることは愛エネルギーを得られることを意味する。相手のために「明日もおいしい料理をつくるぞ~」と元気が湧く。
 ユリちゃんとお父さんは「二人で仲よく暮らそう。お母さんが帰って来るまで」と思って元気が出たのではないか。
 お父さんの笑顔は子どもに反照する。この思いは二人に共通しているはず。
 自然のエネルギーを摂りつつ、親子は愛エネルギーを与え合った。それが「美しい時間」の中身だと思います。

 ところが、子どもはいつからか、かわいいオーラを発光しなくなる。
 やがて十代になり二十代になっていじめたり、万引きをしたり、強盗になったり、詐欺に加担したり、ストーカーになったりする。「人を愛することの大切さ」を教えなければならなくなる……が、なかなかそう思ってくれない。毎週教会に通うキリスト教の大国でさえ難しい。

 教師をやっていたころ、心理学を教える大学の先生からこの理由について聞いたことがあります。
 彼は「人のものを盗むのは与えられなかった愛を取り戻している」と言いました。
 私はなるほどそうか、と納得したものです。

 あるいは、こういう話を聞いたことがあるかもしれません。
 愛というものはコップに注がれる水に似ている。コップから水があふれ出すためには、ふちまでためなければならない。つまり、愛という水を充分注がれた人だけが、人に愛を与えることができると。
 もしもコップに半分の水しかたまっていなければ、確かに「水を注いでくれ」と思うでしょう。
 盗みを働く人の心には愛が半分しかたまっていないことになります。

 以前(27号「愛エネルギーがほしい」において)四タイプを以下のようにまとめました。
---------------------------------
 四タイプは人に愛エネルギーを与えることが苦手である、へたくそである。
 逆に「私を認めてよ、もっと誉めてよ、愛してよ」と思っている。
 先んじて結論を言うなら、彼らは人に愛エネルギーを与えることができず、自分こそ愛されてしかるべきと思っている。まるで子どものまま大人になってしまったような人たちだ。
---------------------------------

 なぜそうなったのか。理由は子どもの頃充分な愛エネルギーを与えられなかったから。
 ゆえに、大人になっても愛エネルギーを求め「私を認めてよ、もっと誉めてよ、愛してよ」と思って(もちろん心の底に隠して)四タイプの生き方を実践する。

 言い換えれば、子どもの頃親や大人から愛エネルギーを充分もらえなかった人が四タイプの悪しき性格を露にする……と言えそうです。

 脅迫者・批判者は腕力を誇示し、能力の高さと正しさを自慢する。「見て見てすごいでしょ」と言わんばかり。だが、それで終わらず弱い連中、能力の低いやからを軽蔑する。「だから自分が命令を下し、リードするんだ」と。

 受容者は殴られたくない、叱られたくないから何でも受け入れて服従する。傍観者はそれがいやだから傍観する。この二タイプは「同情してよ、慰めてよ」とほのめかして少々のエネルギーを得る。誰かがもっと強くなれと言うと、「強くなれないんだから仕方ないじゃないか」とつぶやく。
 前者は人のエネルギーを奪うからいつも元気。変わる必要を認めない。
 後者は変えるためのエネルギーが不足しているからいつも弱々しい。

 かくして結論は「子どもをもっと愛しましょう。愛エネルギーを与えましょう」となります。

 しかし、これは抽象的な言葉に過ぎない。我々は具体的な世界に生きている。そして、感情は日々生み出されて成長する。そこで次なる問題が生まれます。

 それは、私たちは相手のどのような言動を受けて「ああ愛されている」と感じるか。逆に「これでは愛されていない」と感じるか――この問題です。

 愛エネルギーを充分与えようと、毎日子どもを誉めまくるのか。
 某国文化圏のように毎日「I love you.」と言うのか。
 それで愛エネルギーを充分与えたことになるのか。
 子どもは「ああ愛されている」と感じてくれるか。
 考えてみてください。


=================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:最後に問題提起した「相手からどう扱われると愛されていると感じるか」について次号で語ります。その前に最近恒例のクイズ的質問(^_^)。

 みなさん方は子どもにとって父と母のどちらが必要と思われますか。
 両方だよと言われそうですが、敢えて選べば、父か母か……。

 私の父は十代のころこの問題について友人と議論したそうです。
 友人は「そりゃ父だよ」と主張した。私の父は「いや、母だ」と反論した。

 チョー難問のクイズが以下、
 友人はなぜ「父だ」と主張し、私の父は「母だ」と言ったのか。
 その理由です。一週間考えてみてください。


 ヒントは「なーんだ」と思えるような理由です(^_^;)。

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2023.11.12

『続狂短歌人生論』29 なぜ変えられないのか その2「尊敬されるから」

 脅迫・批判・傍観・受容の四タイプはなぜ変えられないか。二つ目の理由。
 前号では「それが長所と信じるなら、変わろうなどと思わない」と語りました。
 今号は前号の延長線上にあります。「尊敬されている」と思えば、変わろうと思わない。変わる必要など認めないでしょう。


11月08日  なぜ変えられないのか その1「長所と信じるから」
 〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

11月15日
 なぜ変えられないのか その2「尊敬されるから」―――――本号
 〇 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしない

11月22日
 なぜ変えられないのか その3「愛してほしいから」
 〇 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

11月29日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」
 〇 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

12月06日
 なぜ変えられないのか その5「感情と理屈が結びついているから」
 〇 人間は性善なのか性悪か 溶け合っている理屈と感情


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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしな

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****** 「続狂短歌人生論」 ******

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』29 なぜ変えられないのか 】

 その2「尊敬されるから」

 さすがに一読法でなくとも、冒頭狂短歌の異常さ(?)に気づかれたことと思います。
 これまでずっと「四タイプ、四タイプ」と連呼して脅迫・批判・傍観・受容の違いと共通する特徴について語ってきました。ところが、今回は初めて「三タイプ」で始まっています。

 いつもなら作者から次のようなクイズ的質問が出されていいところです。

 A 尊敬されると思うから変えようと思わない三タイプとはどれどれか。
 B 逆に言うと、尊敬されない一タイプとはどれか――と。

 ここでチョー難解な一読法「作者なぜ」の質問です(^_^)。

 前号「変えられない理由その1」の前置きには以降5回分の見出しと狂短歌が掲載されていました。
 その最後に[五首の狂短歌を読んで、「ありゃ、いつもと違う歌があるな」とつぶやきましたか。気づかなかったら、ぼーっと読んでいる証です。数字ですよ、数字(^.^)]と書かれています。

 さすがにぼーっと読んだ人もちょっと狂短歌を読み返して
 11月08日 〇 四タイプ それが長所と信じれば……
 11月15日 〇 三タイプ 誉められ認められるなら……とあって
「おおっ、確かに三タイプだな」とつぶやかれたはず。
 そして、通読に毒された三読法読者はこうつぶやいて終わり。
 ABについて考えることはない(前号にこの答えはないのに)。

 だが、一読法を実践する読者なら、上記A・Bの疑問について考え、その場(か全体を読み終えて)この答えを考えようとする――これが《その都度立ち止まって考える》一読法です。

 よって、いつもなら、私は前号後記に「ところで、前置き最後のつぶやきについて考えましたか。ABについて次週までに考えてみてください」と書くでしょう。
 そして、今号前置きに「さて、ABの答えです。尊敬されるから変えようと思わない三タイプとは……」と答えが明かされる――これが最近の流れです。

 ところが、私はこの疑問をクイズにしなかった。
 かくして、チョー難解な一読法「作者なぜ」の質問が以下。

 Q 作者はなぜABのつぶやきを前号のクイズにしなかったのか。

 これは一読法ハイレベルの「つぶやき」です。
「作者は今までの流れだとクイズにするだろうに、今回はクイズにしていない。なぜだろう」とつぶやくのがハイレベルの一読法実践者。ほとんど私並み(^_^;)。

 答えは二つ。一つはここで書きます。が、もう一つは『一読法』に関係する質問(つまり本旨とは無関係)なので、本号では答えず次号にて明かします。

 一つ目の答えは「クイズにするほどでもない。とても簡単だから」です。

「ええっ、簡単じゃない。難しいよ」とつぶやいた方は四タイプの特質をまだ理解できていない人です。もっと集中して読むか、少なくとも前28号を再読してください。

 閑話休題(おかしな使い方ですが)。
 ではAB「尊敬されるから変えようとしない三タイプ」に関して本論開始。

 前号各タイプの長所を短くまとめた部分を再掲します。

 1 脅迫者……勇気 2 批判者……正義
   脅迫者・批判者……強さと頼もしさ

 3 傍観者……忍耐 4 受容者……やさしさ
   傍観者・受容者……弱さと思いやり

 子どもが親を尊敬して「親のような人間になりたい」と思うことは大いにあります。特に1と2。脅迫者の勇気と行動力、批判者の正義と説得力。すごい、強い、かっこいいと思えば、親を尊敬して自分もそうなりたいと思う。子どもは強い親、正しい親を尊敬します。

 それは子どもにとどまらない。大人であっても、周囲を見渡せば、尊敬できる人を何人か見出します。尊敬する人に対して「変わってほしい」と思うことはない(でしょう)。
 それが(長所にあふれた)強~い脅迫者と、いつも正義派の批判者。
 そして、自分のわがままを何でも聞いてくれる受容者の親。子どもは「変わってほしい」などと思わない。

 というわけで、「なぜ変えられないか」というテーマに関して「人は尊敬されていると思えば、変わる必要を認めない」ことになる。脅迫・批判・受容の三タイプがこれにあたります。[ね、簡単でしょ?]

 対して傍観者は果たして「尊敬される」だろうか。
 言い換えれば、我々は傍観者を尊敬するだろうか。
 これはそう単純ではありません。

 前号では以下のように傍観者の長所を書きました。

 [ちなみに、四タイプ全ての長所を書いたから、「えっ? 一タイプだけ尊敬されないってことはないんじゃないか。みんな尊敬されてる。じゃあ尊敬されない一タイプってどれだ?」と思い、「クイズになっていれば難しい質問だなあ」とつぶやく。よって、「簡単じゃない。難しいよ!」と叫ぶもむべなるかな(^.^)。

 一読法から言うと、ここもハイレベルな精読作業が必要です。すなわち、四タイプの長所が語られているが、どれか一つは「突っ込みどころ」がある。読み直して「この長所の記述は正しいだろうか」と考えねばならないということです。

 おそらく脅迫・批判・受容の三タイプに関しては違和感がない。「傍観者の長所」を読んだときだけ、「うーん。確かにそう言えるかもしれないが、そうかなあ」とつぶやいたはず。
 そこで(一読法読者なら)その部分を再読して「傍観者のところだけは立派に言い過ぎだ」と気づく。かくして「尊敬されない一タイプとはたぶん傍観者だ」との答えに至ります(^_^)。]

 以下「傍観者の長所」再掲。
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 だが、弱々しいだけに、傍観者は人の弱さや心の痛みを思いやることができる。とても繊細で感受性が強い。
 しばしばあることないことを想像して行動できないタイプであるが、逆に言えばそれだけ想像力豊かな人だ。純文学の小説家には傍観者タイプが多い。

 傍観者は基本的に部屋の隅でやさしい言葉をじっと待つような性格である。
 それだけにとても忍耐強い。しばしば無関心だと非難されがちだが、傍観しているだけに、一歩下がった中立的な立場で事態を眺めることができる。
 行き詰まった状況を解決する第三案を提示できるのは冷静な傍観者タイプだけである。

 脅迫者はすぐにかっとなる。批判者は自己の正しさをひたすら力説する。
 そのようなとき傍観者は「落ち着け。他の見方もあるぞ」と意見することができる。
 脅迫者や批判者が敵と戦うことだけで頭の中を一杯にしているとき、壁によりかかって耳を傾けていた傍観者が和解の可能性を冷ややかに主張したりする。
 仲裁役、まとめ役として優れた能力を発揮するのは傍観者タイプである。
----------------------------------

 これを読めば、「確かに傍観者だって尊敬できる」と思えます。
 だが、私たちの周囲にあまたいる傍観者はこんな感じではない(でしょう)。

 たとえば、上記を突っ込んでみると、
・傍観者が「人の弱さや心の痛みを思いやっているか、想像力豊かかどうか」わからんじゃないか。
・「行き詰まった状況を解決する第三案を提示」する傍観者を見たことがない!
・「落ち着け。他の見方もあるぞ」と意見する傍観者がいるか?
・「仲裁役、まとめ役として活躍する」傍観者なんかいやしない!

 ――とまー反論できます。
 傍観者とは心の内を明かさない、意見を言わない。黙って傍観している……ような人を「傍観者」と呼びます。

 傍観者最大の問題は無表情な外見です。脅迫・批判・受容の三タイプは外から見てすぐわかる。 今にも怒り出しそうなエンマ顔か(女性なら)般若顔、小言幸兵衛のしかめっ面、いつも優しい笑みを絶やさない仏顔。

 対して傍観者の基本は無表情。それでは「人の弱さや心の痛みを思いやっている」のか、「中立的な立場で事態を眺めている」のかわかりづらい。悪く言えば「ぼーっと見ているだけじゃないのか」と言いたくなる。
 仲裁役・まとめ役としての能力にしても、発言して行動しなければ、あるかないかわからない。まとめ役ならむしろ批判者タイプの方がよくやっているかもしれません。

 要するに、傍観者とは事態を遠くから眺め、関わることを避けているタイプである。
 多くの人はそれを「逃げている」と見なす。傍観する人に対して「もっと関心を持て。逃げないで戦え」と言いたくなります。

 トーゼン、このような傍観者はあまり尊敬されない。
 傍観者自身だって自分が逃げていると思えば、人から軽蔑される、尊敬されないとわかっている。だが、弱々しい自分を変えることは難しいと感じている。
 つまり、傍観者だけは「尊敬されるから変わらない」にあてはまらない。
 敢えて言うなら、「軽蔑されているけど変えられない」と言うことができます。

 傍観者が《傍観》を変えられない理由は三つ。

 一、臆病で勇気がない。強くなれないから。
 二、何事も平均点以下しか取れず自信がないから。
 三、傍観は楽だから。責任を負わずに済むから。

 この具体例を書くのはやめます。「自分がそうだ」と思い、「あの人は傍観者だ」と思い当たる人が多いことでしょう。以前日本人の4割は傍観者だと語りました。

 脅迫者と批判者は強さに自信がある。そこに完璧主義が混じっていつも100点満点、最低でも90点、80点の成果を出す人を、周囲の人は称賛し尊敬する。
 また、受容者だって周囲の人を不平も文句も言わず受け入れる点において自分の優しさに自信を持っている。こちらも(受容者が愚痴や被害・迫害をもらさない限り)、周囲から賞賛を浴びる。昭和の時代、この女性は夫を助け、子どもに対して限りなくやさしいお母さんとして尊敬されました。なので、この3タイプは変わる必要を認めない。

 ところが、傍観者だけは「尊敬されるから変わらない」にあてはまらない。
 なので、冒頭の狂短歌が以下のようになりました。

 〇 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしない

 傍観者も取り入れると、以下の狂短歌が必要となります。

 〇 傍観者 尊敬されることはない わかっちゃいるけどやめられない

 年配の方なら、この後「あソレ、スイスイスーダラダッタ スラスラスイスイスイ~」の歌詞を口ずさむかもしれません(^.^)。意味不明の若手は検索を。

 以上です。
 結局、理由は何であれ「変わろうとしない」点において四タイプは共通しています。

 ――とこれで終わりにすると、傍観者が救われません(^.^)。

 最後に傍観者だけが持つ、すなわち三タイプにはない長所を提起します。
 それは「待つこと」です。待つことは傍観者しかできない。
 狂短歌にすると以下。

 〇 傍観者 三タイプにはない長所 待つことできる忍耐強さ

 傍観者の長所は「忍耐強い」と書きました。この長所から生み出される特徴が「しばらく待つこと」です。
 一方、三タイプは待つことができません。「脅迫者はすぐにかっとなる。批判者は自己の正しさをひたすら力説する」と書きました。彼らは反論や異見が出ると、直ちに怒鳴ったり、「あんたの言うことは間違っている」と間髪を入れず反論します。[「かんぱつ」と読んだ?]

 親を例として説明します。
 脅迫者の親は子どもが自分の言うことを聞かないとすぐ怒る。怒鳴ったり暴力をふるう。批判者の親は子どもが正しいことをしない、努力しないところを見ると、腹を立て即座に叱責し、小言を並べる。
 この二者は子どもが直ちに従うことを要求する。つまり、改善を待てない。
 端的な例は親や上司がよく言う「どうして同じ失敗を繰り返すんだ」との言葉。待てない親や上司の典型です。

 一方、受容者の親は一見子どもの言うことを全て聞くから、よく待っているように思える。
 ところが、幼子が崖のぼりなどしようとすると、「危ない!」と言ってやらせない。あるいは、子どもが親の元を離れて独立しようとしたり、連れてきた結婚相手が気にくわないと、即座に「やめなさい」と言う。
 子どもと話し合ってそれでも言うことを聞いてくれないと、「こんなにあなたを愛しているのに」と泣き叫ぶ。受容者の親も待てない。

 つまり、この三タイプは子どもの自立独立を認めようとしない。いつまでも子ども扱いする。子離れができない親ということができる。

 一方、傍観者の親だけは子どもの自立自発を重んじるだけに、待つことができる。彼(彼女)は子どもが失敗するとわかっていても待つ。子離れが上手な親と言っていい。

 ちなみに、学校というもの、学校の先生、そして保護者。だいたい待つことのできない人たちです。
 生徒が茶髪やリーゼントにしたり、制服を勝手に変えると、先生は直ちに「生徒指導」に入る。保護者もそれを要求する。「あんたの学校はどうしてあんな子を放っておくんだ」と。

 かつて教員だった私はよく「どうして待てないかねえ」とつぶやいたものです(^_^;)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。


後記:文中「間髪を入れず反論」のところ。「かんぱつ」と読んだ人はネット検索してください。散髪なら「さんぱつ」でいいのですが。
 もう一つ。今号「傍観者のみの長所」のところを読んで、以下の感想を持ったかもしれません。
 前著では傍観者の長所として「待つことができる」などと書いていない。どうしてここでそれを追加したのだろうかと。

 この質問に対しては「なぜでしょう。考えてみてください」などと言いません。
 なぜなら筆者にとってとても恥ずかしい、不甲斐ない理由だからです。
 答えは「前著の時は思いつかなかった。本節を書いている途中で思いついたから」です(^_^;)。
 まーそんなこともありますって。本書はこてこての研究論文ではないので。

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2023.11.06

『続狂短歌人生論』28 なぜ変えられないのか その1「長所と信じるから」

 見出しの「なぜ変えられないのか」には自分が変えづらいことと、身近の人に(変わってほしいけれど)変わってくれない辛さが含まれています。

 続編前半、最後のテーマ「なぜ変えられないのか」についてあれこれ語ります。
 トンネルの出口と言うか、到達点を示すため、5つの小見出しと狂短歌を掲載しておきます。
 なお、この五節には26号『迷路の整理』で語った「自分を変えるにはどうすればいいか。身近の人を変えるにはどうしたらいいのか」のヒントとなる部分があります。
 二項対立を意識しながら、この答えを考えながら読んでください。もちろん一読法で。


11月08日  なぜ変えられないのか その1「長所と信じるから」―――――――本号
 〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

11月15日
 なぜ変えられないのか その2「尊敬されるから」
 〇 三タイプ 誉められ認められるなら 変えようなどと思いもしない

11月22日
 なぜ変えられないのか その3「愛してほしいから」
 〇 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

11月29日
 なぜ変えられないのか その4「愛してくれるから」
 〇 四タイプ それがあなたの愛ならば 人は続けてほしいと思う

12月06日
 なぜ変えられないのか その5「感情と理屈が結びついているから」
 〇 人間は性善なのか性悪か 溶け合っている理屈と感情

 [五首の狂短歌を読んで、「ありゃ、いつもと違う歌があるな」とつぶやきましたか。
 気づかなかったら、ぼーっと読んでいる証です。数字ですよ、数字(^.^)。]

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

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****** 「続狂短歌人生論」 ********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』28 なぜ変えられないのか 】

 その1「長所と信じるから」


 前著『狂短歌人生論』に「四タイプの長所」と題して以下四首の狂短歌を詠みました。

1 脅迫者 彼の勇気は世界一 スーパーマンは我らがヒーロー
2 批判者は正義に基づき述べ立てる その弁論が我らを正す
3 傍観者 人が浮かれて騒ぐとき その一言が我らを冷ます
4 受容者のやさしさみんな知っている まるで聖母か観音様

 ここでは前著第二章その四「四タイプの長所」と題した文章を一括掲載します。
 冒頭狂短歌に詠んだとおり、「これが長所」と信じれていれば、四タイプは「どうして変える必要があるんだ」とつぶやくでしょう。 [以下「である」体]

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1 脅迫者 彼の勇気は世界一 スーパーマンは我らがヒーロー

 脅迫者……勇気

 脅迫者の良い点。それはまず勇気である。勇気の源は絶大な自信である。
 彼は自分の強さ――なによりも腕力と度胸に自信がある。それゆえ、自分自身の考えや意見を強く主張することができる。

 見るからに元気で決断も早く積極的に行動する。リーダーとして集団の主導権を握り、家族や部下に命令を下す。
 人情に厚く、物より人間を大切にする人だと、それを阻害する人や組織に対して果敢に闘うことができる。悪と闘うスーパーマンは我らのヒーローである。

 昔学校には番長タイプの脅迫者が一人はいた。普段は近寄りがたい彼だったが、他校の生徒とトラブルになれば、仲間を守るため先頭に立ってくれた。
 運動会では応援団長として声をからし、かっこよさを際立たせていた。


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2 批判者は正義に基づき述べ立てる その弁論が我らを正す

 批判者……正義

 理論家である批判者の良い点はなにより正義感が強いことだ。
 批判者もまた自分の強さに自信がある。彼(彼女)は事態が自分の理論や思想・信条通りに動かないと、最も積極的に行動するタイプである。
 決して傍観することなく、猛烈に抵抗したり、相手を選ばず援助に乗り出すことができる。
 批判者が述べる理屈は正しいことが多いので、みな襟を正して従わねばならない気持ちになる。

 たとえば、民主主義の平和時、このタイプはリーダーとして最も尊敬を集める人たちである。
 不正を許さず四タイプの中では最も正義を追求する。マス・メディアにはこの批判者タイプが多い。彼らは政府与党、企業、団体の悪や不正を鋭く追及し、大衆に警鐘を鳴らす。
 批判者は民主主義を守る旗手として必要不可欠な存在である。

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 脅迫者・批判者……強さと頼もしさ

 このように脅迫者と批判者は味方であればとても頼もしく、敵に回せば脅威となる。
 この二タイプは敵を作りやすいが、味方からは絶大の信頼を得られる強くて頼もしい存在である。

 特に脅迫者は実際の戦闘において死をも恐れず最も勇敢に戦う人間である。腕力のある大柄な脅迫者は原始時代から近世戦乱の時代、さらに近現代の戦争まで最も必要とされ、最も尊敬を集めた人物であったろう。

 彼は野獣と命がけで闘い、弱い女子どもを守った。外敵の侵攻から家族や部族を守り、果敢に闘って敵を殺し退けた。
 墓碑銘に刻まれた脅迫者たちの名。彼らは英雄・豪傑とうたわれ、人々から敬愛されたに違いない。脅迫者タイプこそ最も勇気ある人だった。
 そして現在だって、戦争となれば尊敬されるのは、敵国・他民族・他宗派の人々を平気で殺してくれる脅迫者タイプの兵士である。

 また、批判者も家族や会社など集団内において、どっしりとした大黒柱として存在する。彼(彼女)が仕事の中心にいれば、確実に水準以上の成果をあげてくれる。
 政治における批判者も自国・自民族のために、巧みな駆け引きで他国・他民族を説得し、服従させる点において素晴らしいリーダーである。

 そもそも脅迫者・批判者だっていつもいつも怒ったり、人の批判ばかりしているわけではない。
 この二者は周囲の人(味方)が受容者的であればあるほど――つまり、弱ければ弱いほど「自分が守ってやらねばならない」と思う。
 家族・友人・同僚が自分の言うことに従って協力的であればあるほど、脅迫者・批判者は大いに張り切って活動するだろう。

 ところが、脅迫者・批判者だって人間だから完璧ではない。時にはミスや過ちを犯す。だが、自信家の両者はそれを気づかないことが多い。過失が明らかなのに、素直に認めないこともしばしばである。

 そのようなとき周囲の人間が彼らに従わず、反対の考えや意見を主張し、強く反論でもしようものなら、彼らは途端に不機嫌になる。

 議論に勝って自分の言うことが通ればまだいい。通らないと脅迫者は暴力を振るう。暴力を振るわなくとも、テーブルをバンとたたき、大声を出して自分を押し通そうとする。
 また、批判者も言葉が次第に脅迫めいたり、見当違いのことを批判して、結局自分の言うことをごり押ししようとする。

 脅迫者・批判者が絶対の自信家であればあるほど、このタイプは自分が悪いとは思わない。自分に従わない周囲の人間や状況が悪いと言って、腹を立て怒るのである(おおっとまた悪口になってしまった)。


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3 傍観者 人が浮かれて騒ぐとき その一言が我らを冷ます

 傍観者……忍耐

 傍観者はとても冷たくよそよそしい印象を人に与える。彼(彼女)は喜怒哀楽をはっきり表現せず、だいたい無表情である。基本的に臆病でとにかく自分に自信がない。

 それゆえ、闘うことなどとてもできない。誰かが最前線に立ってくれれば、辛うじてその陰に隠れて闘う素振りを見せるだけ。
 味方としては枯れ木も山のにぎわい――いないよりはいるだけましという程度である。敵となっても一喝すれば逃げていく。

 自分に自信がないので、なかなか意見や考えを主張することができない。それでもたまには発言することがある。
 たとえば、とある会議でふだん静かな傍観者が意を決して意見を述べたりする。しかし、慣れていないからその発言はたどたどしく、思ったことの半分も言えない。聞く方は何を言いたいのかよくわからない。

 発言後着席した彼(彼女)はみなの軽蔑の視線を感じる。
「やっばり言わなきゃ良かった。失敗だった」と後悔して再び黙り込むのは大概傍観者である。

 だが、弱々しいだけに、傍観者は人の弱さや心の痛みを思いやることができる。とても繊細で感受性が強い。
 しばしばあることないことを想像して行動できないタイプであるが、逆に言えばそれだけ想像力豊かな人だ。純文学の小説家には傍観者タイプが多い。

 傍観者は基本的に部屋の隅でやさしい言葉をじっと待つような性格である。
 それだけにとても忍耐強い。しばしば無関心だと非難されがちだが、傍観しているだけに、一歩下がった中立的な立場で事態を眺めることができる。
 行き詰まった状況を解決する第三案を提示できるのは冷静な傍観者タイプだけである。

 脅迫者はすぐにかっとなる。批判者は自己の正しさをひたすら力説する。
 そのようなとき傍観者は「落ち着け。他の見方もあるぞ」と意見することができる。
 脅迫者や批判者が敵と戦うことだけで頭の中を一杯にしているとき、壁によりかかって耳を傾けていた傍観者が和解の可能性を冷ややかに主張したりする。
 仲裁役、まとめ役として優れた能力を発揮するのは傍観者タイプである。


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4 受容者のやさしさみんな知っている まるで聖母か観音様

 受容者……やさしさ

 受容者タイプはとにかくやさしい。周囲の人間を全て受け入れ、献身と奉仕につくすマリア様か観音様のような人である。
 彼(彼女)が自分を主張することはほとんどない。いつもにこにことやさしく受け入れてくれる。

 迫害がひどくなると確かにぐちや泣き言をはき続け、ひどいと奴隷のような生活を耐え忍んでいる。
 だが、虫も殺せないほど心やさしい人だけに、傷ついている人、弱々しい人に対してこのタイプはとても敏感である。人の痛みを自分のことのように感じる最も思いやり深い人である。

 それゆえ、受容者は看護師、あるいはカウンセラーのような職業についたとき本領を大いに発揮する。彼らは人の悩みや苦しみを自分のことのように受け止め、親身に対応してくれるはずだ。

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 傍観者と受容者……弱さと思いやり

 この二タイプの弱さを良い点としてとらえると異論があるかもしれない。
 だが、弱いからこそ人の弱さや心の痛みを共感できるのである。

 脅迫者と批判者は強い心を持っている。だから、なかなか人の弱さを思いやれない。
 彼らは弱々しい人間を見ると、すぐに「強くなれ」とはっぱをかける。強くなれない傍観者や受容者の心をなかなか理解できない。

 よって、脅迫者・批判者の長所である強さとは同時に短所でもある。
 逆に、傍観者・受容者を特徴づける弱さとは、人を思いやることができる点で大いなる長所であると言える。

 この二タイプは自ら闘いの先頭には立てない。しかし、誰かが自分をガードしてくれれば、とても忠実で信頼できる友(戦士)となる。
 いわば実戦派であるより前線の背後で補給廠や事務方、看護係として働くのに最適である。
 一つの企画・イベントにおいて表に出るのではなく、裏方やスタッフとして活躍するのも傍観者・受容者タイプがいい。
 音楽系のバンドで言うならベースタイプ。そして、スターの活躍が何よりうれしいマネジャータイプである。

 傍観者・受容者は心の結びつきを何よりも求め、それが得られると無償の奉仕をする。特に受容者は自分以上に弱々しい人を限りなく愛することができる。全体への細やかでやさしい気配りが得意なのも受容者である。

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[以下「ですます」体]

 かたや脅迫者の勇気、批判者の正義。この二タイプの強さと頼もしさ。
 こなた傍観者の忍耐、受容者のやさしさ。この二タイプの弱さと思いやり。

 それが四タイプの長所であるなら、本人は変えようと思わない。
 こちらから相手に「変えてください」と言っても、「どうして変えなければならないんだ」とつぶやくでしょう。

 再度冒頭の狂短歌を提示すると、

 〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし

 そして、もしも身近の人が長所あふれた人柄なら、私たちは相手に「変わってほしい」などと思うでしょうか。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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