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2024.02.25

『続狂短歌人生論』45 人はみな愛されないと感じる生き物

 以前第30号「なぜ変えられないのか その3 愛してほしいから」の狂短歌として

 〇 幼子は人を愛することよりも 愛してほしいと思う生き物

 ――を掲げて語りました。

 そのとき「今回の狂短歌…最後に『生き物』とつけるなんてどうでしょう。非文学的です」と自己批評しました。今号も懲りずにひどい表題です(^_^;)。

 しかし、おそらくあらゆる生き物の中でひとり人間だけが「自分は愛されていない」と感じやすいのではないか。幼い頃だけでなく、少年少女時代も、大人になっても、年を食って老境になっても、「自分は愛されなかった、今も愛されていない」と感じる。棺桶に入っても(^.^)?

 だからこそ、これを逆転した以下の狂短歌を詠み、第27号「愛エネルギーがほしい」で論じました。

 ○ 愛されたい 認められたい 誉められたい 心に秘めて人と付き合う

 内容はすっかりお忘れでしょうから、おヒマなら再読してください。
 私たちは人を愛することより、愛されたい、認められたい、誉められたいと思う。
 それを心の奥に隠して生きている……。
 言われて「図星!」と思ったか、「そんなことはない」とつぶやいたか。

 今号はこれについて深掘りします。
 そうかもしれない、と思った方は表題をもう一度読んでください。
 人はみな愛されないと感じる生き物……。
 つまり「愛されていないのは別にあんただけじゃないよ」ってことです。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 人はみな愛されてると思うより 愛されないと感じて生きる

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*******「続狂短歌人生論」 ******

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』『続狂短歌人生論』45 人はみな愛されないと感じる生き物 】

 ちょっと大きな理屈を語ると、人は自分にないもの、持たないものにあこがれ、欲しいと思うものです。
 都会で暮らせば、田舎暮らしにあこがれる。
 田舎で暮らせば、都市に住みたいと思う。
 一人で暮らしていると、恋人やパートナーと一緒の生活がうらやましい。
 なのに、二人で暮らし始めると、一人暮らしに戻りたいと思う(人もいる)。

 めでたく男女二人で同居し始めたものの、子どもが生まれないと、子どもと楽しそうに暮らす家族を見て「いいなあ」と感じる。
 だが、外出すれば幼子がむずがったり泣きわめくのを見かける。親は困っている。
 テレビや新聞では若者が犯罪に手を染めたと毎日のように報道される。親って大変だと思い、「子がいなくて良かった」と安心する(?)。

 もっと単純なところでは、金が乏しければ「お金が欲しい」と思う。
 これまた全ての人に共通した感情ではないか。まれに「別に」という奇特な方がいるかもしれませんが。

 この逆はビミョー。お金が余って仕方ない人が「金の無い状態に戻りたい」と思うかどうか。「お金は別になくて構わない」と言うのはこの人たちでしょうか。「お金より大切なものがある」と語るのも金に困っていない人かもしれません。
 貧乏人から見ると羨望極まりないお話ながら、「やっぱり金だよ」と言い切れるかどうか。

 もちろんお金と命だったら命を取る。でも、誰かに(心から)愛されることとお金だったらどちらを取るか。これはビミョー。
 あるいは、健康とお金、若さとお金。年を取って病気になって寝たきりになれば、100億のお金を持っていたしても、「健康と若さがほしい」と思うのではないか。それは若くて元気で、でも金はなかった時代に戻ること(^.^)。

 日本人ならよくご存じ、芥川龍之介の小説『杜子春』。中国洛陽に暮らす貧乏な若者杜子春は仙人から「あそこを掘ればお金がざくざく」と言われ、一夜にして大金持ちになる。
 彼は豪邸に住み、おいしいものをたらふく食べ、友人知人が集まって毎日どんちゃん騒ぎ。だが、金が尽きると、波が退くように友人たちは彼の元を離れ、杜子春は一文無しに戻ってまた街角にたたずむ。

 すると、奇特な(?)仙人がまた現れて大金を手にする。そして、同じようにぜいたくな生活を送り、三年後また一文無しになり、途方に暮れて街角にたたずむ。
 三度目に現れた仙人が同じことを言ったとき、杜子春は「お金はもういりません。あなたの弟子にしてください」と言って仙人を目指す……。

 読んだことのない人は読んでほしい。読んだ人は再読してほしい小説の一つです。
 私は10年ほど前再読して涙を流しました。両親が健在だった子どもの頃読むのと、亡くなった後また読むのは感じ方が違うようです。「青空文庫」にて無料で読めます。短編なのでじっくり読んでも1時間くらいでしょう。
 難読漢字にはふりがなもついています。以下現代仮名遣いの方を紹介します。
 →青空文庫『杜子春』

 一読法を学んだ読者なら、以前はさーっと読んでいた冒頭の情景描写を丁寧にじっくり読むでしょう。すると「こんなに目に見えるように描かれていたのか」と驚くはずです。
 その読み方で最後まで読んでください。きっと違う読み、違う感じ方ができると思います。

[一読法の立ち止まり、その1。なぜ『杜子春』を例に出したのか。「金が乏しければお金が欲しい」例として取り上げたことは明らかだが、ずいぶんくどく「読んでほしい」と強調している。何か理由があるのだろうか?]

 閑話休題。
 人間は人から愛されることがないと感じれば、「誰か愛してほしい」と思う生き物でしょう。
 ところが、この逆もビミョー。自分は愛されている、とても幸せだと思う人は「愛されなかったころに戻りたい」と思うかどうか。

 さすがにこれは「思うわけないだろうが」と口とがらせて反論されそうです。
 が、こうした二項対立の「右か左か」の議論は注意が肝心。真ん中もあるとか、どちらも違うんじゃないか、と(ちょっと)考えてみることです。

 たとえば、冒頭にあげた都市と田舎の例にしても、田舎で暮らしている人全てが「都会に住みたい」と言うわけではない。「東京に行ったけんど、二度と行きてえち思わんかった」とつぶやく田舎人だっている(^.^)。

 逆もまた真なり。田舎に移住してみたけれど、後悔する人もいる。やめて都市に戻る人だっている。今ない、持たないからと言ってみんながみんなそれを欲しがるわけではありません。

 親に愛されなかったという記憶は事実に基づいていることがあるし、もしかしたら「思い込み」かもしれない。二親が健在なら「父さん、母さんはぼく(わたし)のこと愛していたの?」と真正面から聞けば、「もちろん愛していたよ」と答えるでしょう。だが、子どもは心の中でその言葉を疑っている。
 このようなトラウマというか嫌な感情。これは克服される必要があると思います。

 とは言え、克服は容易ではない。なぜなら、私たちは生まれたときから「愛された」ことより、「愛されなかった」気持ちの方をよく覚えているから。愛された経験より、愛されなかった経験の方が(はるかに?)多いとも言えます。

 あらゆる子どもはいつかどこかで必ず「愛されなかった」経験をもって成長する――これは普遍的真実ではないでしょうか。
 一人っ子は一人っ子なりに、兄弟姉妹がいれば「親は自分以外の同胞(きょうだい)をひいきして自分に冷たかった」と感じる。

 やがて保育所・幼稚園、学校に通い始めれば、「先生は自分を愛してくれない」と感じやすい。さらに大きくなると、友人から、上司・同僚から、恋人から、(結婚すれば)伴侶から、(子どもが生まれれば)子どもから、「愛されていないかもしれない。嫌われているんじゃないか」と疑いを抱く。
 仕事がうまくいかない、事故や病気が起こると《運命》から愛されていないと感じる……。

 ここで前号末尾で取り上げたテーマに戻ります。

 つまるところ、私たちは「愛されていると感じられない」生き物である。
 だから、大切なことはどうやったら愛されていると感じられるか。
 この流れの最後には「ではどうするか」がある――と問題提起しました。

 以前コップと水のたとえを出して語っています。
 人を愛するためにはコップから水があふれ出すように、愛という水が心のコップになみなみとたたえられている必要がある。
 それが半分しかなければ、人は「私を愛してよ、もっともっと愛してよ」と(愛という)水をほしがる。身近の人に対して、世の中に対して、運命に対して。

 では、心のコップに愛という水が半分しかたまっていなければ、私たちは人を愛することができないのだろうか――と問うなら、私は「そんなことはない。実は愛されている、愛されていたと感じることができる方法がある」と答えます。

 その方法とはいたって単純で「愛されなかった事実と思い込みを見つめた後、愛された過去の事実を探し出す」ことです。

 子ども時代、親子間において、大人や学校の先生、友人、初恋の人、片思い、恋人…その交流の中で「自分は愛されなかった、裏切られた、傷ついた」事実と記憶がある。
 がその一方、「自分は確かに愛されていた」と感じる事実もある――あるはず。
 それを「思い出そう」ということです。

 ここで狂短歌を詠むなら、

〇 気づくこと あの親だけど愛された あの人だけは愛してくれた

 これが心のコップに水をためる方法です。

 この考えと具体例は前著に書かれていません。なぜって?
 書かなかった最大の理由は「すぐに続編を出してその中に入れる」予定だったから(^_^;)。

 それがオゼゼが尽き、続編執筆の気力が萎えました。
 いや、厳密に言うと出版費用がいずれ尽きることはわかっていた。だが、それまでに出版した3冊(『ケンマヤ』前・後編と『狂短歌人生論』)が売れれば、4冊目を出せる……と皮算用してつぶれた。これが真相です。

 それから昨2023年『続編』執筆再開、メルマガ公開まで16年経過しました。
 長う(なごう)ございました。が、私にとってはあっという間。

 そして、不思議なのは2000年に教員退職後書いていた前著『狂短歌人生論』と本稿『続編』の下書きがほぼそのまま現代に置き換えられたことです。筆者にとって底に流れている感じ方、考え方に何の修正も求められなかった。

 つまり、21世紀初頭の20年間。日本も世界も(人の感情は)変わっていない。いや、むしろ「悪くなっている」と言えるかもしれません。
 世界や日本における貧富の差、地球規模の温暖化に一丸となって立ち向かえない。社会・共産主義の崩壊とともに民主主義の春がやって来るかと思われた。が、逆に独裁国家が過半数を占め、隣の国や民族・宗教間で対立して紛争・戦争にエスカレートする。
 日本の狭いところを見ても子どもへの虐待、親殺し子殺し、恋愛におけるストーカー、凶悪犯罪、バイト感覚の強盗、オレオレ詐欺……。

 これをたった一言にまとめてしまうと炎上必至ながら、私にはみんな「自分は愛されていない、もっと愛してくれ」という叫びのように感じられます。
 それも「他人(他国)はどうでもいい。オレだけを愛してくれ」という感情です。愛されないから愛を奪いに行く悲しい姿です。

[一読法の立ち止まり、その2。この部分流れからは「他人(他国)はどうでもいい。自分(自国)だけを愛してくれ」となるべきです。なぜ「オレだけ」と書いているか。わかりますか、立ち止まりましたか?]

 そうなると、世界も日本も原始時代、文明開闢の初期から変わっていないのかもしれません。[「開闢」読めず意味不明の方はここで検索を]

 変わっていない感情こそ「愛するよりも愛されたい」であり、佐々木良さんが超口語訳したように、『万葉集』の中にたくさん告白されていたということです。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:文中「一読法の立ち止まり」2点について。
 その1
[なぜ『杜子春』を例に出したのか。金が乏しければ「お金が欲しい」例として取り上げたことは明らかだが、ずいぶんくどく「読んでほしい」と強調している。何か理由があるのだろうか?]
 この答えは本文にはありません。『杜子春』を読めば、答えに気づくかもしれないし、気づかないかもしれません。答えは次号にて。

 その2
[この部分流れからは「他人(他国)はどうでもいい。自分(自国)だけを愛してくれ」となるべきです。なぜ「オレだけ」と書いているか。わかりますか、立ち止まりましたか?]

 この答えは難しかったと思います。英語だとどちらも「only me(only my country)」だから違いがありません。日本語ならでは、ですね。
 アメリカ次期大統領に再選されそうな花札大統領がとなえる「アメリカファースト」ってこれですね。やれやれ。
 答えは『続編』ラストの後記に。ここは引っ張るので考えてみてください(^.^)。

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2024.02.17

『続狂短歌人生論』44 最終章の前にもう一章(^_^;)

 執筆意欲も復活したことだし、いよいよ今号から『続編』の結論である最終章の執筆に取り掛かる……予定でした。
 が、ちと困った事態が発生しました。執筆意欲喪失中にやっていたことが新たな問題と言うか課題となって私の前に立ちふさがったのです。「このことも書いておくべきだった」と思うテーマがありました。あるいは、これまで「この件はいつかまた」と書いて保留にしていたことが少なからずあり、このままだと言及がないまま終わる可能性がある。
 どうしようか迷った挙句、最終章の前に何号か発行することにしました。今号はその「言い訳」です(^_^;)。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 再読し 終わりの前にもう一章 はさみたいとはちと情けない

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******** 「続狂短歌人生論」 ********

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』44「最終章の前にもう一章(^_^;)」

 全体構想ができていないと「こうなる」見本のような事態です。
 学生が書いたへたくそな卒論みたいなもんです。いじいじ。
 まー以前も書いた通り「生みの苦しみ」でしょうか。

 それに本稿は研究論文ではありません。エッセーです。
 学会ではエッセーは論文と認められていません。もう言い訳? 開き直り?

 兼好法師の昔から「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」な随筆です。敢えて言うなら、論文的随筆。
 徒然草冒頭を超口語訳すれば、「特にやることねえし、ヒマだからスマホにあることないこと打ちまくったんだ。そしたらくらくらしてめまいがした」って程度の書き物です。

[一読法立ち止まり、その1。兼好法師『徒然草』の冒頭を出したのは言い訳だとわかるでしょう。現代語訳は「えらい大雑把だな。超なんかつけて何か意図がありそう」とつぶやきましたか。]

 1月後半になって執筆意欲を取り戻したのは「過去のメルマガを読んだから」と書きました。06年の父の死、11年の東日本大震災。

 そのころ同時にもう一つ過去の作品を読んでいました。それはこの『続編』そのものです。最初から前号まで読み直しました。
 これは年末に「『前著』結論」(36号)を書き上げたころ考えていた作業です。『続編』最終章を書く前に全体を再読しておこうと。

 書く意欲が消えると読む気持ちも萎えがちですが、自作を読む場合それほどひどくありません。
 休刊を決めたので「ちょうどいいや」と『続編』を最初から読み返しました。自分で「なかなかいいこと書いているじゃないか」とつぶやきながら(^_^;)。

 そのときやったことが各節を章にまとめること。
 『続編』は前著の拾遺がスタートだったので、章分けがされていません。
 取りあえず全43節を章分けしようと、まとめたのが以下(末尾の半角数字は各号)。

 ※  前置き 1号
第1章 再度四タイプの特徴、心の基地と武器 2-4
第2章 国の独裁、家庭の独裁 5-6
第3章 三角関係の愛 7-8
第4章 愛の獲得競争 9-14
第5章 かけがえのない個人 15-16
第6章 子捨て親捨てのドラマ 17-22
第7章 隠された原感情 23-25
 ※  迷路の整理 26
第8章 変えられない理由 27-33
第9章 出産子育てと消費税 34
第10章 変えることに成功(前著結論) 35-36
第11章 変えることに失敗 37
第12章 日本的カーストの絶望 38-41
 ※  執筆意欲が失われ、復活した1月 42-43

 拾遺集が出発点なだけに、えれえ長かったり、わずか1節だったりと、かなりいびつです(^_^;)。しょんなかですね。このままでいくか、最終稿で改定するか、完成後に考えます。

 以前も書いたように執筆意欲復活直後に構想した最終章が以下。
 そのままつなげると「第13章」になります。

第13章 続編結論――山頂のご来光
  なぜ変えることに失敗したのか  44号
  四タイプ統合の人格を目指す   45号
第14章 どんでん返しの結論
  その1 変えることを〇〇〇   46号
  その2 □□□の訓練を積め(^_^;)  47号

 この空欄クイズ、わかりましたか。
 どんでん返しが大きなヒントだし、本稿をじっくり読んできたなら、答えられたのではないでしょうか。
 その1は「変えることを《やめる》」であり、
 その2は「《一読法》の訓練を積め」です。

 これが99パーセントの絶望に対して1パーセントの希望となる最終結論です。
 答えはそれかもしれないと予感しつつ、「まさかなあ」と思ったかも。
 正直「ふざけんな」と言いたくなる結論ですね(^_^;)。

 詳細は当該号として今少しだけ一端を書いておきます。

 四タイプの性格を自ら変えることに失敗。周囲の人を変えようとすることにも失敗。結果絶望的になるくらいなら、「変えることはやめよう、放棄しよう」との結論なのです。

 そもそもなぜ変えたいと思うのか。それは欠点であり、短所であり、悪いところだから。
 それゆえ、自分を変えたい、変えようと思うし、身近の人に変わってほしいと思う。

 しかし、学校の勉強において有名な言葉があります。「苦手教科を克服しようとがんばるより、得意教科を伸ばした方がいい」と。
 つまり、欠点や短所を矯正しようと苦労するより、自分(と身近の人)の長所――良いところを伸ばそうということです。そのため「四タイプの長所」をたくさん書きました。

 ここで読者の声が聞こえます。「たくさんと言うほど多くなかったぞ」と。
 前著に続いて続編も四タイプの性格は周囲を不幸にする。だから「変えなさい、変わるべきだ」とさんざん書いてきた。
 それが最後に来て《変えなくていい》なんて「何それ?」の結論でしょう。
 ゆえに、どんでん返し、ちゃぶ台返しです。

 ただし、変える必要はないというのは「根本的に」と条件が付きます。
 根本的に変えるなんてあまりに難しい。不可能かもしれない。そのことを『なぜ変えられないのか』その1から5(27~33号)まで、これまたさんざん書きました。だから、変えるなんて大それた望みは放棄しようではないか。

 だが、日々の生活で「(自分は)変わらなきゃ」と思ったり、「(身近の人に対して)変わってほしい」と感じることはしばしば。

 すなわち、人はついつい悪癖を出す。脅迫者は閻魔顔で暴力的威嚇的になり、批判者はしかめっ面でくどくど批判する。つい悪口が出る。傍観者は無関心無感動に傍観し、受容者は何でも受け入れて反抗することができない。

 それはいざというとき出る、ちょっとしたことで噴出する。脅迫者・批判者は待つことができず、直ちに「変われ」と言う。かたや傍観者・受容者はぼーっと眺めて待ち過ぎる。言うべきときに言わない。

 そして、四タイプ全てに共通しているのは人を誉めたりねぎらったりする愛エネルギーを与えることがへたくそであること。脅迫者・批判者はそれをお世辞と思っている。傍観者はぼーっと眺めて誉め損なう。受容者は(嫌われたくないから)いつも誉めまくる。受容者の誉め言葉はやがて空気になる。

 そのとき身近の人はそれを見過ごす。あるいは「この程度ならいいだろう」と忠告やアドバイスを控える。これこそ堤防におけるアリの一穴を意味します。

 大切なことは最初の段階で近くの人が「あなたは言い過ぎです、やり過ぎですよ」と忠告すること。自分に対しては「言い過ぎたかもしれない、やり過ぎたかもしれない」と反省すること。これが必要。人に対しては一発目から言う。誉めてほしければ「誉めてよ」とねだる。
 アリの一穴は気づきさえすれば、塞ぐことはたやすいのです。

 それができるためには「あれっ」とか「おやっ?」とつぶやいて「おかしいぞ」と思う必要がある。このまま見過ごしていると、「事態がもっとひどくなるかもしれない」と予想する必要がある。

 おわかりですね。この二つこそ一読法です。
 三読法はまず通読する。小学校から高校まで12年間三読法を学んだ人はこの《つぶやきと未来予想》ができない。途中で立ち止まらない、立ち止まって考える訓練を積んでいないから。

 事態をぼーっと眺めてある種の結論が出てから考え始める。するとコメンテーターや有識者は「検証だ、検証だ」と叫ぶ。つまり、堤防が決壊してからようやく考える悪癖がいつまで経っても続きます。

 かくして自動車メーカーの検査不正は34年間続き、派閥のウラ金も同じように続いた。「悪いと思ったけど言えなかった」社員や議員ばかりとなる。
 敢えて言います。諸悪の根源はまず通読の三読法にある。通読とは傍観の勧めであり、通読によって「おかしいと思ったけど言えない」日本人が累々と(?)生み出されているのです。
 [「累々と」読めない人は検索を。「ここで使ったのは皮肉だな」と思った人は意味と使われ方を知っている人です。]

 なので「どんでん返しの結論 その2」として「一読法の訓練を積め」を追加しました。

 以前も書いた通り、子どもの頃水泳を学んでいないと大人になっても泳げない。自転車が乗れないと大きくなっても乗れない。だから、子どもの頃訓練する。
 とは言え、泳げなくとも自転車に乗れなくても、大人になってからその訓練を始めたっていい。出産を控えた女性が水泳と自転車の練習を始めるなら、それは我が子のためでしょう。
 読者の99.9パーセントは学校時代一読法を学んでいません。今から始めれば良いのです。
→『一読法を学べ』目 次

 以上が最終章となる内容です。

[一読法立ち止まり、その2。「あれっ、最終章の内容をなぜここで明かすんだ。いいのかな?」とつぶやきましたか。「作者なぜ?」の疑問です。]

 もう一つ1月にやったことで「最終章の前にまだ書いておくことがあった」と気づいた決定的な事情があります。
 執筆意欲喪失中に自作を読むだけでなく、もう一つやっていた――と言うか、注意深く見ていたものから気づかされました。
 テレビです。ニュースや日々の話題、特集の中に「何か自分を奮い立たせてくれるような話題はないだろうか」と思いながら見るのです。

 これは別に私だけのことではなく、たとえば2011年東日本大震災後女子サッカーなでしこジャパンがワールドカップで世界一となりました。あれを見て多くの人が励まされ、元気を取り戻したと言います。その個人版を探そうってことです。

 このときたまたま見た朝のテレビで、ある話題にひょいと目が留まりました。
 ただし、私を元気にさせてくれる内容ではなく、「しまった。このテーマは別に語っておくべきだった」と感じさせるものでした。
 すでに最終章の目次まで公開したのに、まるで「まだ早い。もっと書き込め」と言われたような気がしました。

 それはNHK朝のニュースで「万葉集を現代語訳した本が売れている」との話題です。
 それもギャル語と奈良弁、さらにSNS風に超意訳されているとのこと。それが珍しくて面白いと、当初自費出版だった数百部が今や10万部を突破したというのです。

 これ当初は「ふーん」てなもんでした。古典作品を現代語訳する際、かなり極端な口語訳をして話題となることはこれまでもありました。最も有名なのは1987年『桃尻語訳 枕草子』(橋本治)でしょう。当時一世を風靡しました。

 余談ながら、私もあの頃「面白古文」と題した「詞華集」をつくろうと計画したことがあります(^_^;)。[「詞華集」意味不明の方は検索を]

 これは教科書に載っている上品な古文ではなく、下世話な通俗小説のような(でも面白い)古文を集めた本です。よって口語訳に特徴はなく普通の現代語訳。
 たとえば、「日本最初のセックス描写―古事記国産みの段」とか、「パロディーのものすごさ―仁勢(にせ)物語」、「変態医師が登場する―落窪(おちくぼ)物語」などなど。万葉集も山上憶良の「今も昔も生きるは辛い―貧窮問答歌」を取り上げました。
 古典の自主教材として授業でやったこともあります(今はもう無理でしょう)。書籍化の試みは全10作ほど集めて挫折しました(^.^)。

 それはさておき、くだんの「万葉集ギャル語訳」、正式な題名は『愛するよりも愛されたい』(佐々木良)です。解説に「万葉集を令和のギャル語と奈良弁で超口語訳した」とありました。

[一読法、その1の答え。冒頭徒然草の現代語訳が超大雑把だったことがここにつながります。つまり、あそこは伏線でした。]

 本の表題を知って「なにっ!」と叫んだものです(^_^;)。「愛するより愛されたい」なんて私が前著と続編でさんざん取り上げたテーマそのものではないですか。

 直ちにネット検索してこの本が2022年10月に出版されたこと、さらに本のタイトルが奈良県出身タレント、堂本剛さんが所属する「KinKi Kids」のヒット曲にちなんでいることを知ります。

「キンキキッズのヒット曲ってなんじゃ?」とさらに検索して1997年に「愛されるより愛したい」なる歌を出していたことがわかりました。
 がーん、てなもんです。全くの初耳でしたから(^.^)。

 私が2007年に出版した『狂短歌人生論』の巻頭には次の狂短歌を置いています。

 〇 本当は愛することより大切な 愛されてると感じられるか

 2000年の退職から数年、この下書きを書いていたころ、キンキキッズの「愛されるより愛したい」を一度も聞いたことがなかったとは……と恥ずかしくなりました。

 同時に、万葉集のギャル語訳の表題『愛するよりも愛されたい』を知った以上、「この件を書かないわけにはいかない」との考えに至りました。これは大いなる執筆意欲の再燃……を超えて燃え上がったと言うべきでしょう。。

 言葉の流れを(時系列を無視して)並べると以下。

 キンキキッズ…「愛されるより愛したい」
 佐々木良氏……「愛するよりも愛されたい」
 御影祐前著……「愛されてると感じられるか」

 もちろんこの前に「愛することこそ大切だ」があります。最も有名なのは愛の宗教でもあるキリストの教え。
 私の狂短歌はそれに対するアンチテーゼでした。「愛することよりもっと大切なことがある。それは愛されていると感じられるかどうかだ」と。

 そして、私が『続編』で書いてきたのは幼子から始まる『愛の獲得競争』(08~14)であり、恋愛や親となっても相手から10全て愛されたいと感じるのが人間であること(27~33)。
 そもそも脅迫・批判・傍観・受容の四タイプとは「認められたい、誉められたい、愛されたい」気持ちから生み出された姿であることを『隠された原感情』(22~25)や『変えられない理由』(27~33)などで語ってきました。

 これらをまとめると、私たちはなかなか愛されていると感じられない。
 だから、大切なことはどうやったら愛されていると感じるか。
 この流れの最後には「ではどうするか」があります。

 かくして、どうしよう。まだ続編に入れておきたいことがあった。ここで入れるか、はたまた『続編拾遺集』を構想してそちらに移すか。
 そうなると『続々狂短歌人生論』になるかもなあ……などと考え、「ええい。最終章の前にも一つ入れちまえ(^_^;)」と決意しました。

 この心理の流れをもう少し解説します。
 実は昨年12月には「ではどうするか」は続編「後記」の中に入れる構想でした。それも結論部分だけを。具体的なお話はあまり書かない。
 も一つ「実は」前著と続編の下書きには「ではどうするか」は具体例を含めてかなりの分量があります。というのは下書き後半の大きなテーマだから。

 この具体例は私自身の過去を語ることでした。ある時期まで「自分は親から愛されていない」と感じていた。それがあることをきっかけに兄、母、父が私を心配し、愛してくれているとわかった。それが下書きには書いてあります。

 が、この部分の問題点は……長いことです(^_^;)。一編の私小説のように。
 そして、一部はすでに公開されています。『一読法を学べ』52号「小説『高専一年生の秋』」として。その後大学5年目のこと、神奈川の高校教員となった数年後の「事件」が(下書きには)書かれています。

 三つ目の「実は」昨年初め『続編』をメルマガ公開したときから、このことはずっと考えていました。
 そして、12月になって「続編は充分書いてきた。『ではどうするか』を入れ、自分の具体例を取り入れたらさらに長くなる。もう最終章を提示してこの件は短く済まそう」と決めました。

 ところが、1月になっての執筆意欲減退、回復の中「短く済ませるな。だが、お前の体験を具体例として書くのは控えろ」とのご宣託が下されたかのような事態発生。
 かくして先ほどの結語。「ええい。最終章の前にも一つ入れちまえ(^_^;)」と決意することになった次第です。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:またまた長くなって恐縮です。執筆ウラ事情であり、恥ずかしながらの言い訳でした。

 一読法の立ち止まり、1、2について振り返ります。
 その1は後段の伏線だと明かしました。万葉集ギャル語訳の『愛するよりも愛されたい』について触れる。ならば、冒頭に伏線入れておこうと。徒然草を「《超》口語訳」したとあるところがヒントです。

 その2[「あれっ、最終章の内容をなぜここで明かすんだ。いいのかな?」とつぶやきましたか。「作者なぜ?」の疑問です。]
 これは読者へのサービスです(^_^)。すでに最終章の表題を出してしまったし、「何が書かれるのだろう」と引っ張り過ぎるのも考えものだから。それに穴埋めクイズは次の週くらいには答えを明かすべきだと思っています。

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2024.02.10

『続狂短歌人生論』43 執筆意欲復活(^_^)

 お待たせしました。休刊することなく一週間で執筆意欲復活しました。

 ――などと書くと、「おいおい」と言われそうなので、今号は前号の意欲喪失報告に続いて意欲が再燃した経緯を説明します。

 筆者の個人的事情であるし、本稿全体にとって「どうでもいいことじゃないか」と感じるかもしれません。
 しかし、意欲を失う…元気が出ない…八方ふさがりで絶望感にとらわれている。
 そのようなときにどうやって回復するか。
 この流れを知ることは読者にとっても意味あることではないか。そう思って書こうと決めました。大いなる余談としてお付き合いください。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 復活をあせらず今を受け入れる やがて何かが起きるときまで

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******* 「続狂短歌人生論」 *******

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』43 執筆意欲復活(^_^)

 前号「執筆意欲が失われた1月」を書いたのは1月第3週(18日頃)のことです。
 2週目が終わる頃何だか元気が出ない、書く意欲が湧かないことに気づき、あれっと思って数日……「そうか。能登半島地震のせいだ」と気づきました。

 そのとき1月公開予定の3号(37、38、39号)はすでにメルマガやブログ・ホームページに公開済み。次の40、41号も待機中。
 以前書いたように、この5回分は12月までに完成していたので、1日の能登半島地震、2日の日航機と海保航空機衝突炎上の件は全く触れていません。

 さりとて、できあがっているものを休刊するのもへんだし、追加の改稿もできそうにない(その気力が湧かない)。
 そこで決めました。1月中は予定通りそのまま発行して、2月最初のメルマガにて「休刊」宣言しようと。つまり、意欲の喪失とメルマガ休刊の決定は1月中旬になされていたのです。

 そのころ同じように執筆意欲が失われた過去二つの出来事を思い出していました。
 一つが2006年父が亡くなった後。もう一つが2011年東日本大震災後です。
 1月第三週に入って06年、11年に公開していた『狂歌今日行くジンセー論』メルマガから関連原稿を探して再読しました。
 というのはあのとき意欲が失われて元気が出ず、やがて回復したことを「書いた」記憶があったからです。

 2006年は以下の2号。見出しと狂短歌も掲載します。

第68号 02月10日 「親父の小往生」
 〇 いつか来るやがて来ると思いつつ この日の来るを思わざりけり

第72号 11月30日 「近況報告」
 〇 友人の「メルマガやめた?」の言葉受け 再開するかと思い立つわれ

 72号には父を失った喪失感から何もやる気が起きなかったこと。それが復活する経緯が書かれています。今号の狂短歌「やがて意外な何かが起きる」の関連では、雷に撃たれて引き裂かれた樹木を見たこと、10月初めの僥倖、友人から来た「メルマガやめたの?」のメールも立ち直りのきっかけとなりました。しかし、9月はどん底の鬱状態でした。

 再読して2006年と現在との共通点も気づきました。当時アメリカがテロ報復として始めた「イラク戦争」が泥沼化しており、ロシアのウクライナ侵攻の泥沼化と重なります。日本ではいじめ問題が大きなニュースになっていたことを取り上げています。

 また、2011年には以下の2号。

第131号 03月31日 「東日本大震災について」
 〇 大津波 全て失い 悲しみに ひたる自分を 許してほしい

第137号 09月30日 「悲しい顔を許したい――被災地の子どもたち」
 〇 なにゆえに子どもを元気にさせたがる 悲しい顔も受け入れたいね

 これらを読んで、あのころのことがよみがえり、「こんなこと書いていたんだ」と驚いたほど。自作でこの忘れようだから、読者にはかけらさえ残っていないだろうと推察します(^_^;)。
 特に東日本大震災後の記述は「元気が出ないなら、無理せず休もう」との趣旨であり、今回「意欲を取り戻すまでメルマガは休刊するか」との思いにつながりました。

 ところが、この4号を読み終えて逆に「書きたい」との気持ちが湧き出したから不思議です。
 そして、意欲が失われて元気が出ない気持ちを正直に書き始めると、ますます書きたい気持ちがよみがえり、前号を書き終えたときには沈滞気分が一掃されました。

 末尾に「幸い意欲は復活しつつあります。本号がここまで長くなったことがその表われ」と書きました。実のところ、すでに意欲は復活していたのです。
 妙な表現ですが、前号は間違いなく「執筆意欲が失われた」ことを描いている。だが、筆者にとっては「執筆意欲が復活したから書けた」原稿なのです。

 ちなみに、文芸評論で有名な言葉に「書くという行為は脱出行為である」というのがあります。現在の自分について「どのような状況か、なぜこんなことになっているのか、それを(特に自分の感情を)詳しく書く」ことで、行き詰った状況を脱出できるとの考え方です。よく私小説作家の批評に使われます。みなさん方にもお勧めの沈滞脱出法です。

 それはともかく、その後1月末までの10日間で今号と2月公開予定の最終節の執筆に取り掛かり、ほぼ目途がついたので、見た目「一週間後の復活」となる今号を公開できました。

 以上が執筆意欲再燃の経緯です。

 さて、本号はこれで終えて前記メルマガ4回分にリンクを張り、「ぜひ読んでください」と書くことで終了。(リンクは末尾)

 ……と考えましたが、ふとよぎったのは「読者は果たして過去メルマガを読んでくれるだろうか」との思い。筆者としては4号全てここに掲載したいほどなので、めんどくさがらずぜひ読んでほしいところです。

 というのは、私と同じように能登半島地震の情景を見て「なんとなく元気が出ない」と感じた方がいるかもしれない。
 特に本稿読者にとって1月発行の5号は変えられない絶望、日本的カーストの絶望に続いて「日本人の上下意識は日本語そのものから生み出されるので、現代においてもなくなっていない。日本語を使う限り永遠に続くかもしれない」などと書きました。

 ボクシングにたとえるなら、左右のストレートパンチに続いて強烈なフックをあびてダウンしたようなもの。ゴングに救われたけれど、気持ちを立て直すセコンドの言葉は聞いてほしい――それが過去の4号です。

 もっとも4号全てここに掲載するのはさすがに長すぎる。一つだけ掲載するとしたら131号だろうか。
 再読して気づきましたが、131号には長い前置きがありました。狂短歌も3首詠んでいます。
 大震災後世界から義捐金が送られた。だが、円ドルは一気に円高に振れたため日本に届く義捐金は円に換えると金額が減る。なぜ円高になるんだ。投資家に「円を買うな」と書いた部分など、読んでほしいところです。
 しかし、前置きも含めて全文掲載すると、いかな私でも長すぎる(^_^;)。

 なので前置きは泣く泣く割愛しました。リンクを張っているので、ぜひ読んでください。
 131号の「後記」に「被災地以外の人は喪明けを決めて普通の生活に戻ろうじゃないか」とあってこれも大切なことと思ったので、そのまま掲載します。

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 2011年3月31日(木)第131号

 (-_-)本日の狂短歌(-_-)

 ○ 大津波 全て失い 悲しみに ひたる自分を 許してほしい

 (-_-) ゆとりある人のための10分エッセー (-_-)

 【 東日本大震災 】

 大地震と巨大津波を受けガレキと化した町並み、根こそぎ家が押し流され、途方に暮れる被災者。家族や友人を失い悲しみに浸る人たち。避難所で耐えている人たち。救援と復興目指してがんばっている人たち……。
 テレビで震災の情景を見るにつけ、今の感情は自分がこれまで体験した何と似ているだろうかと考えました。
 そのとき、ふっと思い当たったことがあります。それは私の父が亡くなった後の心情に似ていると。

 父の死は一年前から予定されていました。三月末に癌が発覚して医師から余命数ヶ月と宣告され、入退院を繰り返すこと四度、発病九ヶ月後に亡くなりました。
 私としては最初の入院から一緒に暮らし、最期を迎えるまでやるだけのことはやった。家族の思い出も少ないながら残せた。父が息を引き取る瞬間も、病室で兄と一緒に看取った。

 父は八十歳まで生きた。大往生とは言えないけれど小往生だった。葬式を上げ、後かたづけを済ませ、四十九日を終えると実家は空き家にして再上京。やることをやって悔いはないと思いました。
 だから、東京に戻るとすぐにでも小説執筆を再開し、普通の生活を送れると考えました。三月の終わり、桜が咲き始めた頃です。

 ところが、なぜか元気が出ません。人と雑談を交わしても、ゴルフに行っても心から楽しめない。なぜか心から笑う気分になれない。小説を書く気も湧かない。妙に涙もろくなってぼんやりしている。そして、ふっと思っているのは父のことでした。

 もう一緒に旅行はできない、もう一緒に歩くことも、飯を食うこともできない。声も聞けない、言葉を交わすこともない。それを思い出すと涙が出ました。悲しみがじわりとわいてきました。
 そして実家のことを思い、盆暮れに帰省しても誰も迎えてくれる人がいないことを想像したとき、帰る気をなくし、帰ってもさみしいだろうなと思いました。

 そのようなとき、久しぶりに散歩した雑木林の中で、私は雷に打たれ引き裂かれた大木を見いだしました。帰省前はなかったので、自宅を開けていた一年の間に起こった落雷でした。
 大木は真ん中から真っ二つに折れ、白い幹がずたずたに裂けていました。

 それを見て私はやっとわかりました。雷に打たれて裂けた木は私の心だと。
 父の死は自分にとってなんでもないことだと思っていた。だが、きっと心が裂けているに違いないと思ったのです。元気が出ないわけ、悲しみに浸ってなぜかすぐに涙ぐんでしまうわけはそのせいだと思いました。

 それから私はしばらく悲しみに浸ることにしました。無理に元気を出すことをやめました。
 心が引き裂かれた以上、すぐには治らないと思ったからです。

 この状態は半年続きました。なかなか回復しませんでした。そして私はそれも自分に許しました。立ち直るには何かきっかけが必要だし、時間がかかると思いました。
 その後あることでさらに落ち込み、九月はどん底状態でした。
 しかし、十月になって思いもしなかった出来事が起こり、それをきっかけとしてようやく立ち直ることができました(今この詳細は省きます)。

 心が引き裂かれたとき、それを修復するのは簡単ではないと思います。
 もしも私の声が届くなら、私はそれを被災者たちに伝えたい。未曾有の大震災から生き残った人たちも、きっと父を亡くした後の私と同じだと思います。いや、それ以上でしょう。

 被災地でインタビューに応じる多くの人が「がんばります・きっと復興します」と力強く決意を語ります。強い言葉、頼もしい言葉であり、前向きの言葉です。心からそう思い、すぐに立ち直りの言葉を言える人はいいでしょう。
 家を失っても家族だけは「幸いみな助かった」という人がいます。家族全員が生き残っていれば、家を失っても気持ちは違うと思います。

 しかし、自分一人だけ取り残されたかのように、家は流され、家族を全て失った人もいます。
 引き裂かれた心の痛みはいかほどでしょう。元気を見せてもふっと涙ぐむと思います。失った父や母、我が子や孫、じいちゃんばあちゃんを思い出して悲しみが心に広がると思います。
 もう一緒に歩けない、もう一緒にごはんを食べることもない。家が壊され流された人は思い出の品さえ失っています。

 小学生や中学生が安否不明の両親を探して遺体安置所を巡り歩いています。父や母の遺体を見つけだし葬式をしています。あまりに辛すぎる情景です。心はきっと引き裂かれていると思います。
 ある小学校の児童は全員逃げ切って無事だった。しかし、別の小学校では七割の児童が津波に飲み込まれ行方不明となっている。生き残った大人たちは苦渋の、いや苦悶の表情です。

 あるいは、老母と一緒に逃げ出したけれど、津波に飲み込まれ握っていた老母の手を離した男性がいます。子どもの手を離して生き残った親もいます。救えなかった自責の念にとらわれている人がたくさんいるはずです。きっと心は折れている。傷つき、引き裂かれていると思います。

 私は思います。がんばれる人はがんばればいい。しかし、がんばれない人は無理にがんばらなくていいと。
 しばらく悲しみに浸って「元気が出ない」と言っていい。元気が出ない自分を許してほしい。
 すぐには立ち直れない。時間がかかると思います。半年どころか一年、二年、三年……。

 でも、いつかきっと何かが起こる。立ち直りのきっかけとなることが必ず起こります。
 いつか亡くなった家族の声が聞こえると思います。
「生きなさい。生きていい。また夢をもって希望を抱いて生きていってほしい」――そんな身内の声を感じ取れる日がきっと来ます。
 それまではしばらく悲しみに浸ってください。元気になれない自分を許してほしいと思います。
 ……これが私が感じたこと、伝えたい言葉の全てです。

 ○ 大津波 全て失い 涙ぐむ 自分をしばらく 許してほしい


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:被災地以外の人に一つだけ言いたいことがあります。それは「喪明けをつくって普通の生活に戻ろうではないか」ということです。
 多くの日本人は義援金を送ったと思います。被災地のために何かしたいと考え、なかなか行動できないことに悔しさを感じていると思います。同時にいろいろな「楽しい」ことを自粛しているでしょう。旅行とかレジャーとか、レストランや飲み屋に行くこととかゴルフなども。
 しかし、自粛が続くとお金が回りません。すでに被災地近くの旅館は宿泊キャンセル続きで廃業に追い込まれています。レストランや居酒屋なども売り上げが半減したと嘆いています。「酒飲んでバカ言う気持ちになれない」のはよくわかります。それこそ喪に服したときと同じ状態です。
 だからこそ、被災地以外の人は自分で大震災の喪明けを決めて普通の生活に戻ろうではありませんか。震災前は買いだめ・買い占めなんかしていなかったはず。それが普通の生活です。普通の生活に戻ることが、回り回って被災者への支援になるのではと思います。(2011年3月)

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。(2024年2月)

後記:2006年、2011年4号のリンクは以下の通り。
第68号02月10日「親父の小往生」
第72号11月30日「近況報告」
第131号03月31日「東日本大震災について」
第137号09月30日「悲しい顔を許したい――被災地の子どもたち」

 この中では137号も(自作ながら)読み終えてちょっと驚きました。本稿に「いつか亡くなった家族の声が聞こえる」とあります。その具体例――震災後亡くなったお母さんの言葉を子どもが聞く――が書かれていたからです。

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2024.02.03

『続狂短歌人生論』42 執筆意欲が失われた1月…(-_-)

 一冊の本を読むことを登山にたとえるなら、読者は前号までに最後の難所を乗り越え山頂に到達しました。今号より「山頂のご来光」と題して『続編』の結論を語る予定でした。が……。

 本稿は週一配信を心がけているので、次の4週分はだいたいひと月前に執筆しています。
 つまり、1月に配信した山頂前の難所二つは年末には書き上げていた。自分を変え、相手を変えようとしたけれど、うまくいかない絶望。日本に蔓延する「上の人と下の者」というカーストの絶望。

 二つの絶望を読んで生きる意欲をなくされては困る。だから、「一読法の復習」を追加して絶望感の軽減をはかりました。「大丈夫。希望はあるよ」と。
 これらを新年1月からメルマガ公開しつつ、同時に2月分の原稿を書く……そう考えていました。

 ところが、年越しを兄宅で過ごし、実家に戻って1週間。そろそろ書き始めようと思って妙な気持ちに襲われました。新年から10日経っても書く意欲が湧かないのです。
 あれっと思ったけれど、意欲が失われた理由はすぐ思い当たりました。
 個人的体験では2006年父が亡くなったとき。書くどころか何もやる気が起きず、回復まで半年かかりました。
 もう一つは2011年。こんなことやってていいのかと思い、楽しいことをやるのに後ろめたさを感じました。それでもこの年『空海マオの青春』を完成させたから、立ち直りは早かったかもしれません。

 本稿は締め切り厳守の必要はない。夏休み同様、何も言わずに冬休みとしてもかまわない。
 書く意欲が復活するまでメルマガを休刊しようかと思いつつ、取りあえず現況を報告することにしました。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 執筆の意欲なくしたそのわけは 元日能登の大地震ゆえ

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******* 「続狂短歌人生論」 *******

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』42 執筆意欲が失われた1月…(-_-)


 昨年末構想していた『続編』最終章は以下のような見出しとなる予定でした。

※ 山頂のご来光――四タイプ統合の人格
  なぜ変えることに失敗したのか 43号
  四タイプ統合の人格を目指す 44号

※ どんでん返しの結論 その1 変えることを〇〇〇 45号

※ どんでん返しの結論 その2 □□□の訓練を積め(^_^;) 46号

 (空欄ヒント…〇〇〇はひらがな三文字、□□□は漢字三文字)

 大まかな内容はできあがっているので、本年1月中に細部を推敲しつつ書き上げる。
 そして、2月から最終章を順次公開してようやく『続編』にエンドマークを打つ……。
 それを予感して年越しの気分は「るんるん(^_^)」てなもんでした。

 ところが、1月半ばになっても執筆意欲が湧かないので参りました。
 パソコンの前に座ってもメルマガ原稿を開く気になれない。だらだらと他の下書きを眺めたり、ネットコラムを読んだり、好きな音楽をぼーっと聞いている。

 実は上記「山頂のご来光」の部分は前著『狂短歌人生論』の下書きにあります。「四タイプ統合の人格を目指す」とは下書きの結論でした。
 なので、この部分はやろうと思えばすぐにできるし、苦労なく公開版まで完成させることができます。意欲が薄れてもここは何とかなる。

 しかし、「どんでん返しの結論」1・2は前著下書きにはなく、続編執筆中に《思いついた》結論です(^_^;)。よって狂短歌もこれからだし、新しく原稿をつくらねばならない。これはそう簡単ではありません。
 頭の中ではほぼできあがっているけれど、それを文章として引き出すにはあるものが必要です。
 あるものとは「書くぞ、書き上げるぞぉ!」という《意欲》です。

 それが新年から1週間経ち、10日経ち、2週間が過ぎても意欲が湧きません。
 あれっと思いました。

 年末までは意欲満々でした。2023年中に起こった世界や日本の事件、出来事を取り入れつつ、ある種の怒り、憤りをもって執筆してきた。各号が長くなったのは意欲たっぷりであったことを表しています。
 そのうち「なぜ前著との間が空いたのか、なぜ今年(23年)続編を書いているのか」そのわけも気づきました(これは続編最後の「後記」で披露する予定です)。

 ところが、1月になって突然書く意欲が消えました。萎えたと言った方がいいかもしれません。
 疲れがたまると、なんとなく元気が出ない。やる気が起きないのと似ています。「よーし書くぞぉ」と思えない。ちょっとした危機発生です。

 ただ、こういうとき私はあわてません。
 執筆意欲がまた沸き起こるのを待ちます。
 何かが「休め」と言っているなら――休んだ方がいいかなあと感じたときは休みます(^_^;)。

 本稿は別に締め切りがあるわけでなし。以前夏休みで休刊したように「突然ですがお休みします」とやって構わない。読者から文句も不満も出ることはない……からです。

 現に小説『空海マオの青春』は書き終えるまで7年かかりました。完成してからメルマガ公開したけれど、執筆に行き詰ると休み、復活すると書きつなぎ、また行き詰ると……を繰り返したからです。
 そして、『空海論文編』は2013年5月に書き始め、こちらはメルマガ公開しつつ執筆したので、前編終了までに6年。19年2月に(第55号)中断していつの間にか5年も経ちました。あらまー(^_^;)。

 読者各位は「そんな状態で執筆意欲が再燃するのか」と質問するかもしれません。
 本を読むことを登山に例えるなら、筆者にとって一つの作品を完成させることも登山に似ています。なんとなく筆が進まなかったり、「下手な文章だなあ」と嫌悪感が湧く。おそらく急坂の難所に来たということでしょう。小説家としての気持ちを語るなら、「生みの苦しみ」でもあります。

 余談ながら、学生時代から二十代にかけていくつか小説(習作)を書いていました。エンドマークを打てない、完成させられない生原稿がいくつもあって筐底(きょうてい)に仕舞われています。

 しかし、母が亡くなった年から本格的に習作を書き始め、3年後「作品にエンドマークを打てる」自信がついたとき、教員をやめて執筆活動を始めようと決意しました。
 それ以後時間はかかっても必ずエンドマークを打つことができています(自信を持てるようになったのはたまたま集まった文芸部新入生との深い交流があったから。この詳細はいつか語ります)。

 今思えば、何か事故や大病で人生のエンドマークを打っていたかもしれないのに不思議です。
 どうやら大いなるものは「作品を未完のままで終わらせるな。それまでは生かしておいてやる」と考えたようです(^_^;)。もっとも、いつ見放されることか。覚悟はしています。

 年末年始の数日間、私は兄の自宅で過ごしました。兄夫婦と姪一家(10歳と5歳の子ども二人)の7人で新年を迎えたわけです。
 姪は二人で彼女らが子どもの頃、つまり私と兄の両親が生きていたころは田舎の実家に計7人が集まりました。父と母、独身の私と兄一家です。

 それから数十年経って(母の死後)正月は兄の自宅で迎えることになり、それが30年近く続いています。この間兄夫婦には孫ができて祖父母となりました。
 ちなみに、もう一人の姪が参加すれば8人ですが、彼女は遠方で暮らし、事実婚状態で帰省しないので、兄宅に集まるのは7人というわけです。

 これだけ書けば、狂短歌も含めて私の執筆意欲が萎えた理由がおわかりと思います。

 1月1日、能登半島で震度7の大地震と津波が発生。翌2日には羽田空港で日本航空の旅客機と海保航空機の衝突炎上。衝突事故は海保が被災地へ救援物資を輸送するための航空機だったから、二次災害と言えるでしょう。私はこのニュースを兄宅で知りました。

 1月3日実家に戻って10日(水)発行予定だったメルマガ37号を4日に前倒ししてこの件と見舞いの言葉を書き、(語弊ある表現ながら)記述はこれで終わりとするつもりでした。そして、2月以降の原稿執筆に取り掛かるべく、毎日パソコンり前に座りました。

 ところが、先ほど書いたように意欲が湧きません。ニュースやワイドショーは連日被災地の情景を報道しています。阪神大震災とか東日本大震災ほどの被害ではない。津波も一部にとどまっていたことが徐々に判明します。

 しかし、家屋の倒壊は激しく、輪島では朝市の場所が焼け野原になっていました。何より多くの人がこの寒い時期に断水、停電、ガスもない自宅や避難所で暮らさねばならない。道路が崩壊して陸の孤島となった半島部では食糧・物資も行きわたらない。自衛隊は灯油や食料を背負って孤立地区に徒歩で向かっていました。

 年越しを家族・親族で迎えるのは田舎の伝統とも言えましょう。
 31日はみんなでテレビの紅白を見て「ゆく年くる年」で除夜の鐘を聞く。0時を過ぎると近くの小さな神社に初詣に行く。私も子どものころから父母の死まで同じような大晦日でした。翌日大地震が起こるなどと誰が想像しましょう。

 ところが、現実はめでたいはずの元旦の夜、まだ集まっている家族・親族の家を大地震が襲い、家が倒壊して一気に避難生活となる。生き埋めとなった家族・親族の死を知らされる。

 特に悲惨の一語は11人の家族・親族のうち10人が亡くなり、一人だけ生き残った50代の男性の場合。妻と妻の両親、子ども4人の7人、親族3人が生き埋めとなって失われました。子どもたちはこれからが楽しみな20歳前後の4人でした。

 また、妻と子ども3人、義母を失った40代の男性。子どもは11歳(女の子)、9歳と3歳の男の子。かわいい盛りであることは遺影を見ればわかります。
 彼らも妻の実家に帰省中でした。警察官の父は直前のやや大きな地震で外に出て周辺を見回っていたため難を逃れました。

 告別式で父は「助けてあげられなくてごめん」と言い、「成長を見守りたかった」と絞り出すように語っていました。おそらく一緒に死にたかったと思ったのではないでしょうか。かけがえのない時間、かけがえのない家族を一瞬で失ってしまう。不条理ではあるけれど、災害はいつどこで起こっても不思議ないと改めて思い知らされました。

 告別式の様子がユーチューブにありましたのでご覧になってください。
これからはずっと一緒――能登半島地震で妻と子ども3人犠牲 4人に“最後のお別れ”」(FNNプライムオンライン)

 1月中旬テレビ報道を見つつ、『続狂短歌人生論』結末を迎えて私の手ははたと止まりました。
 思ったことは「絶望」という言葉の意味するところ。その言葉が持つ《感情》です(正しくは「語感」)。

 37号と38号の見出しは以下の通り。
 第37号「変えることに失敗――あなたを襲う悲喜劇と絶望」
 第38号「山頂前最後の難所――日本的カーストという絶望」

 自分を変えることに失敗し、相手を変えることに失敗する。それは悲喜劇であり、絶望でもある。
 また、「上の人と下の者」意識、日本的カーストという絶望も語りました。

 これらは「99パーセントの絶望」と書いたものの、おそらく読者各位は「99パーセントはオーバーだ」と感じたことでしょう。もっと絶望的な状況と比べれば――たとえば、ロシア、ウクライナ間の戦争、ガザの戦場。そして、能登半島の大地震。

 不幸中の幸いとも言える1パーセントの希望は日航機の乗客乗員が全員助かったこと。しかし、海保機の乗員は6人中5人が亡くなりました。ウクライナやガザでは1パーセントの停戦、終戦の希望すら感じられません。

 当事者の重すぎる絶望と比べれば、家族、友人、恋人、学校や職場の人間関係における「絶望」など、所詮平和な世界のぜいたくな絶望に過ぎない……そう思って書き続ける意欲が失われたようです。

 さて、どうしよう。
 読者各位は1月配信のメルマガを読んで気づいたかどうか。
 以後公開した「一読法の復習」(39号)、「日本的カーストを補強する日本語」(40号)、そして前号「一読法の復習――の復習」(41号)まで、その中に突如発生した1日の能登半島地震、2日の航空機衝突炎上の件は全く書かれていません。

 ここは筆者ならではの説明が必要で、表面上書かれていなくても、それを受けて表現が微妙に変わる。それさえ「ない」という意味です。
 ある意味当たり前の話で、先ほど書いた通り、過去の5節は年末までに書き上げ、1月はそれを修正しないまま公開に踏み切った。だから、変化や言及がないのは当然なのです。
 このことを痛切に感じたのはもちろん読者より筆者の私です。

 以前も書いたように、私はメルマガとホームページの公開前に原稿の最終チェックをして、公開後また作品を読みます。下書き段階から完成形までおそらく十数回読むでしょう。
 1月に次の分の原稿を書こうという意欲が萎えた理由にはこの再読のせいもあります。

 12月までの続編原稿には同年発生したもろもろが、世界の戦争、自然災害も含めて作品に含まれている(そのつもりで書いている)。ところが、1月発行メルマガには能登半島地震と航空機衝突の件は《ほのかにも》入っていない。

 このことに気づいたのが1月半ばと言うよりつい最近だから、もう過去には戻れません。あきらめるしかなく、敢えて言えば、最終決定稿となる「御影祐のごちゃまぜホームページ」において改稿するかもしれません。

 しかし、結末部には元日、二日の稀有なる出来事を(直接でも間接でも)取り入れないわけにはいかない。そのためには萎えた意欲の回復と合わせて時間が必要……かくして今号「執筆意欲が失われた1月…(-_-) 」へとつながります。

 取りあえず、読者に執筆意欲が失われた現況をお知らせすることにしました。
 そして、しばらく休刊したいと思います。意欲の復活を待ち、続編最終章にどう取り込むか、考える時間が必要だからです。

 幸い意欲は復活しつつあります。本号がここまで長くなったことがその表われです(^_^;)。

 あとはいかに書くか。おそらく2月中には配信できると思います。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:というわけで暫時休刊いたします。余談ながら「意欲の復活ってどうしているのか」と聞きたいかもしれません。

 基本は休むことです。身体と心が「休め」と言っている(かもしれない)。ならば、休もうと。
 これは仕事や学校を休んで「家で寝ていよう」という意味ではありません。そこまでいくと鬱病の可能性があり、診察が必要かもしれません。それほどではないけれど、何だか元気が出ない、やる気が起こらない場合の話。休ませるのは身体以上に心かなと思います。

 次には(私の場合)何かの偶然を待ちます。自分を奮い立たせてくれるような人との出会い、思わぬ出来事を期待するわけです。

 2006年1月父が亡くなった後私は東京に戻ってすぐにでも執筆活動に復帰できると思いました。ところが、喪失感はかなり大きくなぜか元気が湧かず、執筆もやる気になれない。実家に戻っても迎える人はなく、もはや父と一緒に出掛けることもない。そう思ってよく涙がこぼれました。

 そのころ近くの鎌倉古道を散歩中、落雷によって切断した木を発見しました。皮ははげ白木となって引き裂かれたように折れていました。それを見て「ああ自分の心はこれと同じだ」と思い、無理せず休むことにしました。
 しかし、なかなか期待する何かは起こらず、9月はどん底の気分でした。それが10月初め突然の僥倖があって一気に復活しました。そして、『狂短歌人生論』の執筆、翌2007年の出版へとつながります。このへんのこともいつか語ります。

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