『続狂短歌人生論』56 『杜子春』を一読法で読む 後半 その4-2
前号タイムトラベル理論に続いて鉄冠子が「実はタイムトラベラーであった」との推理を語ります。
彼は仙人です。だから、タイムマシンは必要ない。すでに空間はジェット機並みの速度で飛び回れる。よって修行の結果「時間を飛び越えて過去に行けるようになった」と考えれば良いのです。
では、仙人はなぜ杜子春の前に現れたのか。以下『杜子春』別稿――『鉄冠子の独白』を創作してみました。
仙人・鉄冠子はなぜ杜子春を三度も助けるのか。
なぜ杜子春を殺すつもりだったと言うのか。
鉄冠子が未来からやって来たと考えると、この疑問が解決されます。
彼はある目的をもって杜子春に会いに来た……。
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3月25日(月) 52号 『杜子春』を一読法で読む 後半その1
〇 かなえたい夢が我らを強くする されど命とどちらを選ぶ?
3月27日(水) 53号 『杜子春』を一読法で読む 後半その2
〇 夢のため耐えて唇噛みしめる 自分を 人を 犠牲にしても
3月29日(金) 54号 『杜子春』を一読法で読む 後半その3
〇 [狂短歌は本文末尾に掲載]
4月01日(月) 55号 『杜子春』を一読法で読む 後半その4-1
〇 仙人はまさかのタイムトラベラー(?) 過去を訪ねたその目的は
4月03日(水) 56号 『杜子春』を一読法で読む 後半その4-2―――本号
〇 仙人はまさかのタイムトラベラー(?) 過去を訪ねたその目的は
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 仙人はまさかのタイムトラベラー(?) 過去を訪ねたその目的は
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****** 「続狂短歌人生論」 ******
(^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)
【『続狂短歌人生論』56 『杜子春』を一読法で読む 後半 その4-2 】
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別稿『鉄冠子の独白』
[一]
おれは泰山の麓にある小さな村に住む仙人。名を鉄冠子と言う。
住まいはぼろ屋だが、雨風と冬の寒さはしのぐことができる。普段は畑を耕し、桃を育てて暮らしている。周辺の散歩にあきると杖にまたがって空をひとっ飛び。北の海を見下ろし、南の青山上空を飛び回る。
人はおれの姿を見て「空を見ろ!」「鳥だ!」「いや、人間か?」と叫ぶひまもない。
先代鉄冠子が亡くなって早10年。おれにも古代稀なる古稀が近づいている。
近隣の人と助け合って暮らしているものの、彼らはおれが仙人だと知らない。貧しい一人暮らしのじいさんと思っているだろう。なんとなれば、おれは仙人の能力を一切見せないからだ。
それは先代の戒めでもある。見せればうらやましがられ、頼られ、やがて疎まれ、嫌われる。王家王臣に取り入ろうとすれば、最初こそ稀有なる人材として重宝されるだろう。
だが、先代は言った。「お前の能力はやがて王臣にとって脅威となる。彼らは自身の地位をお前に奪われることを恐れるであろう。よいか。決して仙人の力を人間に見せてはならぬぞ」と。
自分は元貧しい家の生まれで、二十代の終わりころ仙人になろうと思い、先代に弟子入りした。修行に耐えること数十年。片目を失ったものの、仙人になることができた。
しかし、仙人となって自分は一体何をやっているだろうかと思う。海上を歩き、空を自由に飛び回れる。地面のどこに黄金が埋まっているか透視できる。
それがなんだと言うのだ。いまだ一度も黄金を掘り起こしたことはない。
先代を失くした今、おれのことを知る者はいない。愛してくれる人もいない。愛する人もいない。それはおれがもはや人間ではないから。仙人だから。
おれは仙人になるためこの数十年を犠牲にした。そして、年老いて夢をかなえた。
だが、この数十年に意味があるのか。夢をかなえても、おれは一人ぼっちで死にゆくばかりだ。不死の命を得たわけではない。老いはいずれやって来る。若さを取り戻すこともない。
おれは地獄で馬となって鞭打たれる父母の姿を見ても声を発しなかった。
目覚めると、先代鉄冠子は「よくぞ試練に耐えたな」と言い、弟子になることが許された。
だが、あれは間違いだった。今ならそう言える。
この十年。おれは時を超える力の習得を目指した。そして、ようやくかなった。
おれはこれから昔の自分に会いに行く。そして、彼に教えようと思う。
お前の思いを変えよ。黄金に頼る生き方を、友人をあてにする生き方を変えるのだ。仙人になる夢など意味がないことに気づけと。
自分を犠牲にして夢をかなえようと言うのか。人を犠牲にしても自分の夢をかなえたいと言うのか。仙人になる夢など捨てるのだ。
もしも若い自分が気づかなければ、おれは自分をこの世から抹消しようと思う。この若者に自分が犯した最大の過ち、仙人になるための厳しい修業に進ませたくないのだ。
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(以下御影祐補足)
このように推理すると、鉄冠子の言葉「もしお前が黙っていたら、おれは即座にお前の命を絶ってしまおうと思っていたのだ」が納得できます。
また、杜子春と3年後のその日、そのとき出会うこと、黄金のありかを教えることも、相手が《過去の自分》なら不思議ではありません。
鉄冠子とはかつての杜子春である。未来から杜子春の前に現れた目的は彼を変えること、仙人になる夢をあきらめさせることだった。
タイムトラベル理論について考えたこともない鉄冠子は「もしも杜子春が変わらなければ、かつての自分を殺そう。その瞬間今の自分もこの世から消えるだろう」と思った。
だが、多次元時空理論によれば、鉄冠子が過去に飛び込んだときから、新たな時空が始まっている……。
鉄冠子の独白は続く。
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[二]
おれはある春の夕暮れ、洛陽の西門に行った。前日おれが頼りにしていた最後の一人から「もう来ないでくれ」と言われ、今夜泊まるところがない正にその日だ。おれ自身先代鉄冠子と初めて会った。やはり杜子春はいた。
先代から聞いたようにおれも杜子春に黄金のありかを教えた。あのときおれは夕日に伸びた影の「頭、胸、腹」の三カ所を掘って大金持ちとなり、金が尽きれば乞食同然となった。
今思うに、先代は「仙人の力を見せるな」と言いながら、おれにはそれを見せた。あるいは、後継者を探していたのかもしれない。
何人かの若者に黄金のありかを教えた。彼らは大概それを隠して交友を絶ったり、高利貸しなどをしながらひっそり暮らした。「三度ともぜいたくをして全て失ったのはお前だけじゃ」と言われたものだ。
そして、三年目の春、やはり杜子春は西門の外にたたずんでいた。おれはまた黄金のありかを教えた。
ところが、さらに三年目の春。おれが三度目の黄金のありかを教えようとすると、意外なことが起こった。杜子春が「金はもういい。仙人になりたい」と申し出たのだ。それは自分が知る過去と違う事態だ。
もっとも、これはおれにとって喜ばしい異変だ。おれはにやにや笑って
「そうか。いや、お前は若い者に似合わず、感心に物のわかる男だ」と言った。
杜子春は変わり始めたではないか。これなら存外たやすく変わってくれるかもしれない。それなら進むべき未来を教えてみるか。
そう思って「ではこれからは貧乏をしても、安らかに暮して行くつもりか」と聞いた。これは先代鉄冠子が言わなかった言葉だ。
だが、杜子春はためらいつつ「今の私には出来ません」と言って弟子になりたい旨を繰り返した。さすがにこの程度のことで昔の自分は変わらぬか。
もっとも、あのとき先代からそう言われたとしても、自分は杜子春と同じことを答えただろう。やはり峨眉山、地獄と仙人修行に進むしかあるまい。だが、期待は持てる。昔の自分はどこかで変わってくれるかもしれない。
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(以下御影祐補足)
その後は過去と全く変わらぬ流れが始まります。峨眉山での三つの試練。杜子春は固く口をつぐむ。そして、神将の登場。神将に変化(へんげ)した鉄冠子は三又の戟(ほこ)が刺さる前に、「やめて!」と叫ぶことを期待する。だが、杜子春は黙り通す。ならば地獄へ行くしかない。
地獄でも杜子春は変わらない。脅しても、地獄の責めを課しても歯を食いしばって耐え続ける。
再び森羅殿に引き立てられた杜子春を見て(鉄冠子が変化した)閻魔大王は眉をひそめ、暫く思案に暮れた。
なお鉄冠子の独白は続く。
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[三]
やはり杜子春は変わらぬか。峨眉山で殺されても気づかない。自分が痛い目にあっても我慢し続ける。過去を変えることはやはり不可能なのか。
このままでは最後の手段に頼らねばならぬ。そこでも黙り続ければ、おれは昔の自分を殺すことになる。何か別のいい手だてはないものか。
だが、何も思いつけない。やはり父と母を引き立てて鉄の鞭を打たせるしかないようだ。
おれは「この不孝者めが。その方は父母が苦しんでも、その方さえ都合が好ければ、好いと思っているのだな」と怒鳴った。
依然として杜子春は口を開かない。おれはかつての自分に敵意を覚えた。
「打て。鬼ども。その二匹の畜生を、肉も骨も打ち砕いてしまえ」と命令した。
鬼どもは一斉に「はっ」と答えて鉄の鞭を取り、四方八方から未練未釈(みしゃく)なく打ちのめした。鞭はりゅうりゅうと風を切って所嫌わず雨のように馬の皮肉を打ち破った。
不思議なことだ。このときおれの心には目の前の杜子春が自分だと思えなかった。
両親を鞭打てと命令したことも、やむを得ぬこととは言え、心の痛みを感じなかった。
馬は――畜生になった父母は苦しそうに身を悶え、眼には血の涙を浮べたまま見てもいられない程嘶(いなな)いた。
杜子春は必死に目をつぶっている。閻魔大王のおれは辛い場面を見ている。
そのときだ。過去と全く違うことが始まった。
かつて森羅殿の階段の前で父は鞭打たれながらおれをののしっていた。
「この不孝者め。お前は親がひどい目にあっても見て見ぬふりをするのか。お前を育てた恩を忘れたか。お前のような奴は人間ではない。畜生以下のけだものだ」と。
思い出した。あのときおれは閻魔大王と父の二人から責められていたのだ。
そして、母は何も言わず黙って鞭に打たれていた。
だが、今父に言葉はなく、ひたすら責めに耐えている。そして、母からは声とは呼べないくらいかすかな声が伝わって来た。
「心配をおしでない。私たちはどうなっても、お前さえ仕合せになれるのなら、それより結構なことはないのだからね。大王が何とおっしゃっても、言いたくないことは黙っておいで」と母は言った。
おれはそれを聞いて目に涙が浮かんだ。閻魔大王であることを忘れ、吹上(ふきあげ)のように涙があふれ出た。
母はこれほどまでに私を愛してくれていたのか。知らなかった。
もしもあのときこの言葉を聞いていたら……。
そのとき目の前の杜子春が動いた。
転(まろ)ぶように母の側へ走りよると、両手に半死の馬の頸(くび)を抱いて、はらはらと涙を落としながら、「お母(っか)さん」と一声を叫んだ。
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(以下御影祐補足)
未来から来た鉄冠子こと杜子春はきっとつぶやいたでしょう。
「昔の自分が変わった!」と。
それは過去の自分を殺さずに済む、その後の自分、今の自分を抹消しなくて済む瞬間でした。
以上、数十年後の未来からきた鉄冠子を描いてみました。
この別稿『鉄冠子の独白』を終えるにあたって『杜子春』の末尾にちょいと追加したいことがあります。
というのは「泰山北斗」で有名な泰山は洛陽の都から東に400キロ以上も離れているからです。
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[四]
「何になっても、人間らしい、正直な暮しをするつもりです」
杜子春の声には今までにない晴れ晴れした調子がこもっていました。
「その言葉を忘れるなよ。ではおれは今日限り、二度とお前には遇(あ)わないから」
鉄冠子はこう言う内に、もう歩き出していましたが、急に又足を止めて、杜子春の方を振り返ると、
「おお、幸い、今思い出したが、おれは泰山の南の麓に一軒の家を持っている。その家を畑ごとお前にやるから、早速行って住まうが好い。今頃は丁度家のまわりに、桃の花が一面に咲いているだろう」と、さも愉快そうにつけ加えました。
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そして、鉄冠子は竹の杖にまたがって浮かび上がると、人けの消えた夕暮れの空をぴゅーんと飛んで行きました。
杜子春はその後ろ姿を見送った後、ふと困ったことに気がつきました。
すると、遠くの空にゴマ粒のような点が現れ、みるみる大きくなるや、再び鉄冠子が杜子春の前に降り立ったではありませんか。
「いやいや、肝心なことを忘れておった。ここから泰山まで歩けばひと月はかかるじゃろう。お前はどうやって行く?」
「はい。宿に泊まるお金はないし、どうやって泰山まで行こうかと考えていたところです」
「すまんすまん。わしならひとっ飛びゆえ、お前も行けるだろうと勘違いした。ほれ後ろに乗れ」
「いいんですか」
「もちろんじゃ」
二人は竹の杖にまたがり、泰山目指して空に舞い上がるのでした。
(ちゃんちゃん)
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最後は「あの《デロリアン》のように浮き上がって一目散に飛んで行った」と書きたかったけれど、やめました(^_^;)。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:中国で泰山は日本の富士山に当たるくらい有名な山で、1987年世界遺産に登録されています。標高1545メートルですが、麓は0メートル。海と同じ標高の平原にあるって感じです。
山頂まで7000段の石段が整備されているそうで、しばしばテレビなどでそこを上る人々の姿が映し出されます。一度行って見たいところながら、最近中国観光をしたいと思いません。リーダーはいつになったら気づいてくれるやら。
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