『続狂短歌人生論』61 四タイプ統合の人格 その1
ちょっと最終章の執筆(特に狂短歌作成)に手間取っています。苦吟と言いましょうか。
つらづら思うに「『杜子春』を一読法で読む」を根詰めて書いた反動かもしれません。最終章の下書きはあるものの、イマイチペンが進まないのです(もちろんキーボード入力の比喩)。
予告なく一週間休刊するかもしれませんのでご容赦ください。
それでも「ぼーっと読んでると不意打ち食らいますよ」といった感じの落とし穴は掘っています(^.^)。一読法的読みを迫るいじわるな体質は衰えることを知りません。
読者は前号「おやあ」とつぶやきましたか。後記です。
後記冒頭に「考えてみれば『堪忍袋の緒が切れる』って面白い言葉ですね。英語では何と言うんだろう」とあって、英語表現をネット検索した件が書かれています。
これって単なる雑学であり、どーでもいい話題ではあります。
しかし、一読法読者なら「おやあ、後記はだいたい本文に関係するクイズとか、しっかり読んだか問う質問が多いのに、ここはえらいゆるい雑談だな」とつぶやき、「何かあるかあ」と《作者なぜ?》の疑問を抱いていいところです。
本文には立ち止まってほしい箇所が一つありました。
終末に書かれていた以下の部分です。
弱弱しい傍観者・受容者が脅迫者・批判者と戦う際、
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具体的には強い脅迫者・批判者と一対一で戦うことはお勧めできない。話し合いの場には中立的な第三者か、(傍観・受容者タイプの)味方を参加させるべきだ。つまり、一対一で戦うのではなく、一対二とか一対三で。[援軍に脅迫者、批判者タイプを選んでいけない理由。もちろんわかりますよね?]
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最後に「援軍に脅迫者・批判者タイプを選んでいけない理由」、「もちろんわかりますよね?」と書かれています。
これに対して「もちろんわかる。それは……だから」と言えた人は結構。
しかし、「えっ、なぜ援軍に脅迫者と批判者を選んだらいけないんだ?」とつぶやいた方は立ち止まって理由を考えねばなりません。
筆者は「もちろんわかるはず」と言っている。すると「その答えが思いつかない自分は劣等生だ」と思いがち。そこで黙らず、あるいはスルーせず、わからないときはまず「わからない」と言うことが大切です。
もしも私が読者の前にいたら、「それはなぜですか」と(ここで)問うべきです。
すると私は「では一緒に考えてみましょうか」と言って答えは教えません(^.^)。
以前も『一読法を学べ』(21-4)で書きました。芥川龍之介の『鼻』において弟子が渡来の治療法を内供に紹介すると、内供は「すぐに試したい」と言わず、弟子が説得させるよう仕向ける。作者は「内供のこの策略がわからない筈はない」と書いている。私は授業で「じゃあ君たちはこの策略の意味わかるか?」と聞いたものです。「こんな簡単なことがわからないのか」といった作者の策略に引っかかってはいけません。
前置きの閑話休題(^_^;)。
では「援軍に脅迫者・批判者を選んではいけない」理由とは?
前号を再読すれば、初っ端に答えがあります。
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人は「正しいことを言ったり、やったりすれば、みんなわかってくれる」と思いがちである。だが、こちらが正しいと思っても、向こうは正しいと思わない。そんな例はごまんとある。だから、口論が起こり、そこに感情が入れば口げんかとなり、国や民族、主義・宗教は力づくで解決しようとする……。
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この「力づくで解決しようとする」代表的な二タイプが脅迫者と批判者です。
もしも変わってほしいと思う相手が脅迫者か強烈な批判者の場合、こちらの援軍として脅迫者と批判者を用意すればどうなるか。
彼らは冷静な話し合いなどできません。最初は穏やかに始まったとしても、やがて口角泡を飛ばす激論となり、口げんかとなって決裂しやすい。下手すると殴り合いになる。それが目に見えています。
同時にもう一つ理由があります。「だから英語の例を出したのか」とつぶやいたかどうか。
たとえば、みなさんが英語を習得しようと海外旅行に出かけるとしましょう。その際英語を喋れる人と二人で行ってはいけません。この理由、もちろんわかりますよね(^.^)。
それはその人におんぶにだっこ、会話を全て頼ってしまって自分から英語を使おうとしないからです。ゆえに、理想は一人で行くことであり、せいぜいろくに喋れない英語初心者同士で行くことです。
傍観者・受容者はそばに脅迫者や批判者がいればその人に頼り切ってしまいます。自立のためにはときに一人で立ち向かう必要もあるのです。
……とまー前号後記からここまで読み取れたら、もう立派な一読法実践者だと賞賛いたします。
対して読者は「そりゃ無理だ。そこまで考えながら読めない」とつぶやくでしょう。
だから、この「前置き」(と言うより前号解説?)を書いているわけです(^_^)。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 四タイプ統合させる生き方こそ 我らが目指す理想の人格
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***** 「続狂短歌人生論」 *****
(^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)
【『続狂短歌人生論』61 四タイプ統合の人格 その1 】
実は前著『狂短歌人生論』から本稿『続編』においても至る所に「脅迫・批判・傍観・受容」の性格を統合しようとの記述を散りばめています。小説作法で言うなら《伏線》です。
たとえば、前著や本節で再度取り上げた「四タイプの長所」(28号「なぜ変えられないのか その1」参照)。
詠みあげた狂短歌は以下の四首でした。
1 脅迫者 彼の勇気は世界一 スーパーマンは我らがヒーロー
2 批判者は正義に基づき述べ立てる その弁論が我らを正す
3 傍観者 人が浮かれて騒ぐとき その一言が我らを冷ます
4 受容者のやさしさみんな知っている まるで聖母か観音様
そして、四タイプの長所としてまとめた言葉が以下
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脅迫者……勇気 批判者……正義
脅迫者・批判者……強さと頼もしさ
傍観者……忍耐 受容者……やさしさ
傍観者と受容者……弱さと思いやり
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『続編』28号のテーマは四タイプが「なぜ自分を変えようとしないのか」であり、それは「長所と思うから」でした。
その末尾に以下のように書いています。
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それが四タイプの長所であるなら、本人は変えようと思わない。
こちらから相手に「変えてください」と言っても、「どうして変えなければならないんだ」とつぶやくでしょう。再度冒頭の狂短歌を提示すると、
〇 四タイプ それが長所と信じれば 変えなければと思うことなし
そして、もしも身近の人が長所あふれた人柄なら、私たちは相手に「変わってほしい」などと思うでしょうか。
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もしも我々の周囲にいる人が勇気と正義、強さと頼もしさを持ち、忍耐強く優しくて弱い人を思いやることができる人なら――そう、あのスーパーマンのような人なら、それこそ理想の人格ではありませんか。
この四タイプ統合の人格を図式化したのが以下。
斜めの線[\]・[/ ]は先っちょに矢がある[→]と想像してください。
各自は中央の「統合の人格」を目指そうということです。
※ 四タイプ統合の人格
┌─────────────────────┐
│ 脅迫者 [強 さ] 批判者 │
│ [勇 気] 行動力・積極的 [正 義]│
│ 脅迫暴力 批判説得 │
│ 怒 り \ / 腹立ち │
│ 強 さ ┌────┐ 厳しさ │
│ │統 合 の│ │
│ │ 人 格 │ │
│ 傍観者 └────┘ 受容者 │
│[忍 耐] / \ [優しさ] │
│ 待 つ [弱 さ] 許 し │
│ 臆 病 想像力・消極的 不 安 │
│ 無関心中立 弱者包容 │
└─────────────────────┘
スーパーマンは所詮小説か漫画かテレビドラマの空想的ヒーローに過ぎない。突っ込めば彼は人類ではなく宇宙からやって来た宇宙人の末裔。「現実の人間にそのような人はいない」と言いたくなるかもしれません。
が、昨年の3月WBC――日本がワールドカップベースボールで優勝したころ、私は第6号前置きに以下のように書いています。
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高校野球について「もう脅迫と批判しかできない監督や連盟トップは総退陣願った方が良い」と書きました。では「脅迫・批判タイプが監督・顧問にふさわしくないとすればどのタイプがいいのか。傍観か受容か」との疑問。
答えはどちらもダメ(^_^;)。そもそも外部招聘なら傍観者・受容者は監督に選ばれない。顧問ならあり得ます。
傍観者は無関心が基本だから部活のことなどどうでもいい。受容者は自己を主張せず何でも受け入れる。よって、この二タイプは部活動を生徒に丸投げする。「自由にやりなさい」と放任する。
部員は顧問をあてにせず自分たちで勝手にやる。結果、筋トレとかスタミナをつける持久走などはつまらないからやらない。試合形式の楽しい練習ばかりするので、チーム(団体)は強くならない。
それでも部員の中から一人キャプテンが決まる。選ばれるのは力強い脅迫タイプか優秀な批判タイプ。このキャプテンがチームを強くしようと独裁的になると、集団の規律を乱す部員を追い出そうとしたり、脅迫と威嚇で部活内をまとめようとする。いじめも起きやすい。
だが、傍観・受容タイプの顧問は独裁的キャプテンをコントロールできない。
「おいおい。それじゃあ監督・顧問にふさわしい人材はいないじゃないか」と言われそうです。
そのとおり――と答えざるを得ないけれど、さすがに常識的・良識的顧問はWBC日本監督のように、部活動を指導している(と思います)。どうやって?
彼は(もちろん)選手を殴って従わせるようなことはしない。「オレの言うことを聞け」と命令することもない。「そこが悪い、ここが悪い」とあれこれ批判することもない。選手と積極的に対話して自発をうながす。誰かが不調であっても復活を信じて待っている。全て受け入れて「最後に責任を取るのは自分だ」と公言できる。(おそらく)裏に回って愚痴を言うこともない。
つまり、WBC監督は脅迫者ではなく、批判者ではなく、傍観者でもない。受容者でありつつ単なる受容者ではない。実は私が本稿ラストにおいて描こうとする人格の理想像がここにあります。
それは四タイプの悪しき特徴を露にすることではなく、脅迫・批判・傍観・受容の統合を目指すことです(^_^)。
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私たちの周辺にもこのような人を何人か思い浮かべることができます。
それこそ四タイプ統合の人格の持ち主ではないかと思うのです。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:今号は特になし(^_^)。連休を楽しんでください。
――と言いたいところながら、本気で考えねばならない課題を一つ書きます。
5月は「例年になく暑い」との中期予報が出ています。
そろそろ日本の学校において3月卒業、4月入学をやめて「6月卒業、9月入学」について再考するべきではないでしょうか。新型コロナ流行期に突如沸き起こって立ち消えとなったテーマです。
もちろん最大の理由は日本の夏の異常な暑さ。また、9月入学にすれば春休みは必要ない。猛暑の夏に勉強するより秋、冬から春にかけてしっかり勉強した方がよっぽど身につくと思います。
大学4年目の求職活動も卒業後の2ヶ月(卒業をひと月前倒しすれば3ヶ月)に、はめ込めばいいと思うのです。私は高校以上の入試廃止論者ですが、どうしてもやりたければ、6月卒業後に入れる。それまでは学業に専念するべきです。特に大学は求職活動のため3年間しか学んでいないように見えます。
――と言えば「4月桜の入学式、入社式がいい。それが日本の伝統だ」と言われそう。
しかし、そのような感傷的異論をとなえている場合でしょうか。
児童生徒も学生も3月ひと月をまともに勉強しない。2月も入試があるので、最終学年は実質1月末までで授業を終えねばならない。そして、その分を猛暑の夏に詰め込んでいる。この愚かさに気づくべきだと思います。
私の若い頃はそれを根性論で乗り越えた。だが、今や根性で立ち向かうレベルを超えた猛暑酷暑が襲っている。政府官僚・議員・有識者は「だから冷房施設を全国の学校に設置した」と言ってのほほんとしているようです。彼らは冷房病の怖さを知らないのでしょう。
私は予備校で過ごした1年間、夏は冷房のある寮と予備校を往復するだけで冷房病になり、8月ひと月参考書・問題集を全く開けないことがありました。冬に暖房病になることはありません(^_^;)。
夏の2ヶ月をどう過ごすか。学年末だから当然宿題はなく自由研究も課さない。高2生にぽんと100万渡してやりたいことを自由にやらせてはどうでしょう。国内のお勧めは農林水産業や職人の体験、ボランティア活動。国外は貧しい国に一人で行くことです。
[ここで「なるほど前置きの『英語』の件は伏線だったか」とつぶやきましたか。意味不明の方は再読してください。]
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