『続狂短歌人生論』66 どんでん返しの《理屈》その2
[本号を読む前に必ず前65号を先にお読みください。
こちらを先に読むと、面白みが半減します。]
前(65)号本文末尾に「答えは次号――to be continued(^_^)」とありました。
「おやあ。続くを英語にしている。何か意味があるのかな」とつぶやいた方。
素晴らしい。一読法がしっかり身についてきましたね。その調子で読みましょう。
が、これは筆者の気まぐれというか、ひっかけ問題(^.^)。
前号末尾でつぶやいてほしいところはそこではない。
後記に「統合の人格が理想の人格でないとすれば何なんだ」との疑問について以下の穴埋め問題を出しました。
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脅迫・批判、傍観・受容の四タイプについてこれまで「性格・人柄」などと書いてきたが、厳密に言うと「これは性格・人柄ではなく、人が行っている〇〇である」ということ。(〇〇は漢字二文字)
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さらに、この穴埋め問題に対して
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わからない人は、
2023年10月25日発行『続狂短歌人生論』第26号「迷路の整理」――を
ご覧ください。
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とありました。つぶやいてほしかったのはここ。
ではつぶやくべき言葉は?
「おやあ。今までは以前の号に戻るときリンクが張られていたのに今回はない。
忘れたのか。あるいは、何か意味があるのか」と。
忘れたとすれば筆者のうっかり。後者だと「作者なぜ?」の疑問。
なぜ筆者はすぐ26号に行けるようリンクを張らなかったのか。
うっかりでないことは行間を取って配置していることから明らかです。
つまり、「探しに行ってね」という確信犯(^_^)。
私は本稿を御影祐の「メルマガ(3本)」・「ブログ」・「ホームページ」の3媒体で公開しています。合計200名近い読者がいる(ようです)。
各読者はここで(○○の答えがわかってもわからなくとも)『続編』26号を見に行くか、あるいは「どうせ次号で答えは明かされる」と思ってリンク先を探しに行かないか――二つに分かれたと思います。
前者は余計な作業であり、正直めんどくさい。後者は楽ちん(^.^)。
楽な対応だが、1週間もやもやした気持ちを抱き続けねばならない。
答えが思いつかない人は「あの答えは何だあ」と考え続ける(?)。
答えはこれかなと思い当たった人も「合ってるかどうかわからない」まま。
もっとも「そんなことにくよくよ悩むヒマはない」人なら、何も感じることなくただ1週間を過ごす(でしょう)。
もしかしたら「なんでリンクを張ってくれなかったんだ」と筆者を責める感情にとらわれたかもしれません。
一方、めんどくさいひと手間を取れば、前者は「なるほどこれが答えか!」と発見できる。
後者は「自分の答えで合っていた!」、あるいは「違ったかあ。残念!」とつぶやける。
リンク先を探しに行く方法は以下。
ホームページが最も簡単。『続編』トップページに行けば目次があるので、すぐ26号に到達できる。そこには狂短歌がある。
ブログは「2023年10月オクトーバー」のところに行って25日(第26号)を探す。
これ(やってみたら)スクロールが大変でした。でも、やれば到達できる。
メルマガの場合は、かつて配信された10月の26号を(保存されていれば)探しに行く。これもメールの海に埋もれていると探すのは一苦労。
全てに共通する方法は [2023年~「迷路の整理」]部分を選択してブラウザの検索部分に張り付けるか、右クリック→小窓の「(ブラウザ名)――で検索」ボタンを左クリック。すると[御影祐の『続狂短歌人生論』トップページへのリンク]が出て来るので、トップページへ行けば目次から「26」号に到達できる。
以前この方法を書きましたが、忘れているとできません。
いずれにせよ、それぞれ「めんどくせえ」ひと手間が必要(^.^)。
筆者がリンク先さえ張っていれば、簡単に当該ページに行くことができる。
なのに、私はそれをしなかった。なぜか?
答えは本文に。まとめれば「読者への深~い愛」なんです(^_^;)。
なお、時間が許せば、前号をもう一度再読して本文を読むことを勧めます。
というのは前号のもろもろを今号にて「どんでん返し」しているからです。
おそらく「えっ、これも(あれも)ひっくり返すのか?!」とつぶやかれることでしょう。
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(^_^)本日の狂短歌(^_^)
○ 四タイプ 統合させる生き方は 理想と言うより演技のうまさ
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***** 「続狂短歌人生論」 *****
(^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)
【『続狂短歌人生論』66 どんでん返しの《理屈》その2 】
これが前号後記○○に入る言葉です。
リンク先の26号を訪ねた人は冒頭の狂短歌を読んで「演技かあ」とわかったはず。
そこには、
〇 四タイプ 変えることの難しさ 演技ではない 自分自身だ
――とあります。
この狂短歌は私が「四タイプとは〇〇だ」と指摘したのに対して読者が「いや、演技ではない、自分自身だ。私の性格であり人柄だ」との反論を意識して詠まれた狂短歌です。
再度繰り返します。脅迫・批判、傍観・受容の四タイプとは「性格・人柄」ではなく、人が行っている演技である――ということです。
そして、これは前号の狂短歌への返し(返歌)でもあります。
〇 統合の人格 それは人間の 理想の姿というわけでなく……
この「……(点々)」のところに「演技のうまさ」が入る。
四タイプを統合させる生き方とは人格の理想像のように見えるかもしれない。
いやいや、四タイプが演技であるように、統合の人格も演技である。
大げさに言うと我々は人生において四タイプの演技をして人と付き合い、生きてきた。ならば、各自の演技に四タイプを統合する演技を追加しようではないか――そう主張しているのです。
もっとも、こう言い切ってしまうと、おそらく読者各位は相当の違和感を覚えると思います。
「えっ、そうなのか」とか「そりゃ違うだろう」とか「統合の人格が演技だとしたらがっかりだ」など、疑問・当惑・失望の言葉をつぶくのではないでしょうか。
あるいは、一読法どころかずば抜けた記憶力をお持ちの方は以下のように鋭い反論を開陳して私に迫るかもしれません。
第61号「四タイプ統合の人格 その1」の冒頭には次の狂短歌がありました。
○ 四タイプ 統合させる生き方こそ 我らが目指す理想の人格
これを根拠として「そもそもあんたが『理想の人格』と書いているじゃないか!」と。
この反論に対して筆者の私が「しまった。確かに理想の人格と書いてしまった」と顔赤らめてつぶやく……かと言うと、さにあらず(^_^;)。
あの狂短歌、ほんとは以下のように詠みたかったのです。
○ 四タイプ 統合させる生き方こそ 我らが目指す理想のドラマ
こちらの方がぴったりきます。末の句も7文字で字余りになっていません。
[なのになぜ「理想の人格」と書いたのか。この「作者なぜ?」についてはここから]
脅迫・批判・傍観・受容という四タイプを発案したのは『聖なる予言』の作者ジェームズレッドフィールド氏です。彼は四タイプが行う言動や生き方を「コントロールドラマ」と呼んでいます。
私はこの説に大いに感心して考察を深め、(『前著』と『続編』の元になる)人生論エッセーを書きました。
しかし(執筆裏話を公開すると)、最初から一貫して「ドラマ」と説明するのはちとはばかりがある。なかなか理解しにくい(私自身がそうだったから)。
ここは性格・人柄として長所や短所を説明しよう。そして、最後に「四タイプを統合させる」生き方のところで、これはドラマだと明確に訴えようと思ったのです。
繰り返しになりますが、脅迫・批判、傍観・受容の四タイプは「演技である、ドラマを演じている」との見方は『続編』の最初から一貫して語ってきました。
ただ、「演技だ、ドラマだ」の言葉がなかっただけです。内容を吟味すれば《四タイプの特徴は彼らの本質ではない。脅迫・批判、傍観・受容のドラマを演じている》とわかったはずです。
たとえば、『続編』巻頭は四タイプについて改めて解説しており、第4号には以下の狂短歌がありました。
○ 四タイプ 人と闘う基地と武器 心はみんな弱いニンゲン
この第4号は各タイプの心の基地と武器について述べており、ぜひ再読してほしい号です(リンク張りましたよ)。
四タイプの本質、すなわち人間の真の姿は弱弱しい心にある。みんな傷つきやすい心を持っている。それを隠すため、人にわからないようにするため、脅迫・批判・傍観・受容のドラマを演技している――との見方を提示しています。
もうお忘れでしょうから、各タイプをまとめた4つの狂短歌も掲載しておきます。
☆ 脅迫者 鉄の鎧を身に着けて 鉄のハンマー振り回す
☆ 批判者は樫の砦に立てこもり 木のとんかちでこつこつ叩く
☆ 傍観者 オープンセットのベニヤ板 お面かぶって変わり身得意
☆ 受容者はなんでも許す水風船 表にこにこ裏はぐちぐち
ちなみに、四タイプの中で「それは演技ですね」と言われて直ちに納得するのは傍観者タイプです。相手に合わせて変わり身を見せる――これは演技だと普段から自覚している(でしょう)。
逆に脅迫・批判・受容の三タイプは「演技ではない。自分の性格であり真の姿だ」と思っている(はずです)。
そして、最近では第63号「四タイプ統合の人格 その3 次善の策」の本文冒頭で次のように語っています。
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統合の人格とは「成熟した自我」と言ってもいい。
以前述べたように、原性格を露にする脅迫・批判、傍観・受容の大人とは「子どもっぽい大人」である。
子どもは我慢できずにすぐ怒る。幼い理屈を並べ立てて自分は正しいと訴える。うそがばれても「うそでない」と言い張る。
部屋の隅ですねて優しい言葉を待つ。大人(親や先生)の言うことを何でも聞く良い子でいる。そのような子どもがそのまま成長した姿であると言ってもいい。つまり、成熟していない。
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幼子が親や大人との関係において見せる脅迫・批判、傍観・受容のドラマ。
では、幼子は根っからの脅迫者・批判者か。傍観者・受容者として生まれてきたか。
そう問うてみれば、誰でも「そんなことはない」と答えるでしょう。子どもは四タイプを演技して大きくなるのです。
[この引用を読んで、あるところで突っ込み入れたでしょうか。
「おいおい、『原性格』と書いているじゃないか」と。]
そーなんです。そこで、次のどんでん返しが必要となります。
幼いころに始めたドラマがやがて身についてしまってそれが自分の性格であり人柄であり、人に対する対応の仕方だと思ってしまった。つまり、(本当はドラマを演じているのであって真の姿ではないのに)「これが自分の性格だ。だから変えられないんだ」とつぶやくことになる。
この思い込みは四タイプ全員です。「演技」の言葉に納得する傍観タイプだって傍観して無関心な点は自分の性格であり、真の姿だと思えばやはり「変えられない」とつぶやきます。
かくして先ほど(26号)の狂短歌に戻ります(^_^)。
〇 四タイプ 変えることの難しさ 演技ではない 自分自身だ
そうなると、新たな疑問が生まれます。
四タイプはなぜ自分の言動や考え方、生き方をし続けるのか。
この答えはわかりますよね。最後の穴埋め問題です。
○○は全て同じ語句、□□には違う語句が入ります(漢字二文字)。
脅迫者は人を○○し服従させるには、1□□こそ最高最強の武器だと思うから。
批判者は人を○○し服従させるには、2□□そ最高最強の武器だと思うから。
傍観者は人に○○されないために、3□□と無関心を身につけた。
受容者は人に積極的に○○されようと、全て受け入れる4□□を身につけた。
よって、脅迫者は1□□を、批判者は2□□を演技する。これによって人を○○し、服従させる心地よさを感じる。
傍観者は3□□を演技する。これによって○○される不快、負ける不快を感じなくて済む。
受容者は4□□を演技する。これによって人から攻撃されずに済む。むしろ守ってもらえる安心を得る。
これはさすがに簡単でしょう(^_^)。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:前置きに書いた「作者なぜ?」のつぶやきですが、いつもの悪いくせで本文が長くなったので次号に回します。答えは「読者への深~い愛」と明かしているけれど、納得できる人皆無でしょうから。
おヒマなら考えてみてください。ヒントは、
2024年05月08日 第62号「四タイプ統合の人格 その2 最善の策」
○ 統合とは 強く厳しく突き放し 甘えを許し受け入れること
――にあります。
「おいおい。またかよ。めんどくせえやっちゃなあ」とつぶやく?(^.^)
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