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2024.05.31

『続狂短歌人生論』67 どんでん返しの《理屈》その3

 ――お知らせ――

 65号から今回67号までは65→66→67号の順でお読みください。
 この順でないと面白みが半減します。
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 さて、前々回(65号)にて問題とした「以前の号(26号)に戻ってほしいと書きながら、リンクを張らなかった」わけについて前回答えを明かしませんでした。
 むしろ「おヒマなら考えて」としてさらに「62号」の再読まで勧めた。
 が、またしてもリンクを張っていない(^_^;)。

 以下前号後記の再掲。
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 おヒマなら考えてみてください。ヒントは、

 2024年05月08日 第62号「四タイプ統合の人格 その2 最善の策」

 ○ 統合とは 強く厳しく突き放し 甘えを許し受け入れること

 ――にあります。「おいおい。またかよ。めんどくせえやっちゃなあ」とつぶやく?(^.^)
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 もちろんこれも(リンクを張らなかったのは)確信犯。

 普段は穏やかな(?)読者各位もさすがに「うざってえヤローやなあ」とぼやいて62号を再読する気など湧きもしなかった……と推察します(^.^)。
 おやおや、こんな挑発に引っかかってカッカするようでは先行き危ないです。

 [ここ普通は「挑発に乗って」ですが敢えて「引っかかる」を使います。なぜって?
 連想してほしい言葉があるから。オレオレ、投資、ロマンス……○○(漢字二文字)。または、エビでタイ釣るマルチ商法の一員となり、通販の健康器具をすぐ買ってしまう(^.^)。]

 冷静に読めば、この部分、以前と同じでないことに気づいたはず。
 むしろ「気づいてほしい」と言いたい。一読法実践者なら気づきます。

 65号の後記が以下。
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 (○○の答えが)わからない人は、

 2023年10月25日発行『続狂短歌人生論』第26号「迷路の整理」――を

 ご覧ください。
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 いかがですか。リンクがないという点では同じ。
 だが、明らかな、大きな(!)違いがあります。《狂短歌》のあるなしです。

 65号の後記には号数、年月日、見出しがあるけれど狂短歌はない。
 前66号の後記には狂短歌をつけています。
 もう一つ小さな違いだけど、65号では「わからない人は」とあった。
 前66号では「ヒント」とあります。

 私の狂短歌は内容の「まとめ」になっていると以前触れました。
 つまり、前号にて引用された以下の狂短歌、

 〇 統合とは 強く厳しく突き放し 甘えを許し受け入れること

 これは62号の内容をまとめている。それが「ヒント」だと語っているのです。

 よって、前号読了後62号を探しに行って再読する必要はない――ってことです(^_^)。
 この狂短歌を参考にして「筆者は過去の号を読んでほしいと書きながら、なぜリンクを張らなかったのか」その理由を考えれば良いのです。

 ……とこのような経緯で、リンクを張らなかったわけを書いていたら、(またもや長くなったので)単独号として独立させることにしました。
 それだけでなく、この件が「人生の深~い真実」を教えてくれるからです。


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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 正解がすぐ目の前にあるならば めんどくささを惜しむことなかれ

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***** 「続狂短歌人生論」 *****

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』67 どんでん返しの《理屈》その3


 ちょっと「おいおい」と言いたくなる狂短歌でしょうか(^_^;)。
「そりゃオーバーだ」とつぶやくかもしれません。
 が、これこそ人生の深~い真実です。

 正解に到達するのは楽ではない。かつて学校時代、いろいろな教科を勉強した。
 問題を解いて正答を知るだけなら、大概後ろの方に「解答」があるから、それを見て書き写せばいい。
 しかし、小テスト、学期ごとのテスト、入試などは自力で正答に達しなければならない。多くは記憶しているかどうかが問われている。
 当然難しくなれば(忘れてしまったら)不正解となる。結果は数字で明かされる。
 せめて半分、せめて6割の正解に達するため、一生懸命ガリガリ勉強した……。

 ここで素朴な疑問。小中高12年間のこの勉強方法は卒業後――大人になってからの人生に役立っているか。
 誰かさんは「もちろん役立っているよ」と答えるかもしれません。

 これをひっくり返すなら(^.^)、私は「役立っていない」と考えます。

 むしろ阻害している、妨害さえしていると言いたい。生きること、考えつつ生きることの大切さを教えていない。勉強とはめんどくさいことであり、つまらないことであり、楽しくないことだと日々教えている。

 それは働くことは楽しくない、めんどくさい、つまらないことだと教えることにつながった。人生とは苦しいものだ、楽しくない、めんどくさいと感じることにつながった(言い過ぎ?)。

 以前も書いたことがあります。
 みなさん方は(大人なら)大概働いているだろう。朝職場に出勤して(残業がなければ)仕事を終えて夕方帰宅する。
 もしも政府(与党)が「帰宅後も昼間の仕事を家でやること」と決めたらどうでしょう。
「ふざけんな」と叫んで暴動が起きるか、冷静なら選挙で政権交替となるでしょう。

 ところが、小中高の児童・生徒に対しては政府も多くの親も「学校の勉強(宿題、予習、復習、問題集、入試過去問)を家でもしなさい」と言って夜勉強させることに何の疑問も感じない。おやおや。
[ここで私は叫びたい。「道徳を教えるより前に《家に帰ったら学校の勉強はしなくていいよ》という制度にしなさい!」と。]

 閑話休題。
 やがて楽しいことだけやるためには手っ取り早く金を得る必要がある。誰かを犠牲にして構わない、金を得るためには詐欺だって強盗だってやっていいんだと思う若者を育てた……と言えば、さすがにこれは言い過ぎ?

 もちろん全ての若者がそうではない。あくまで一部。
 100人に一人? いやいや。1000人に一人? いやいや。
 1万人に一人……くらいか。

 何しろ新聞とテレビは毎日事件事故のニュースばかり報道するので、100人に一人くらい悪いやからがいるような気になってしまう。
 けれど、それだと1億人のうち100万人の犯罪者がいる計算になる。さすがに日本はそこまでひどくはない(でしょう)。多くの人はまじめに健気に日々生きていると思います。

 しかし、自分が生きるためには人を犠牲にして構わないと考える、あの『羅生門』の下人のような犯罪予備軍、あるいは、ある《感情》に負けて人を殺したり傷つける予備軍なら、10人に一人くらいはいるかもしれない。[1億人のうち何人かは計算してください]

 二度目の閑話休題。
 多くの(学校を離れた)若者、大人はうんざりしていやがっている。
 勉強とは子ども時代のいやあな体験で、もうこりごり。大人になって「やっと勉強しなくてすむ年になった。これから働くことは大変だけど、それ以外の時間は自分の好きなことだけやるぞ。楽しいことしかやらないぞ」とつぶやいていないか。「いろいろ考えるのはめんどうだから、誰かにまかせればいい」と思っていないか。

 ――と問えば、みなさん方は自信をもって堂々と「そんなことはない」と言えるでしょうか。
 ならば、前々号の「第26号を探しに行って」のところ、なぜめんどくさいと感じたのでしょう。そこに答えがあると明かしているのに……。

 そして、前号「狂短歌をヒントにして考えて」との誘いを「またかよ。めんどくせえやっちゃなあ」とつぶやいたのでしょう……(^.^)。

 そこで今号の狂短歌ができました。

 ○ 正解がすぐ目の前にあるならば めんどくささを惜しむことなかれ

   ここでとても大げさなことを書きます。
 それはこのひと手間を取るかどうか、めんどくささを乗り越えて行動するか。
 そこに人生の大きな分かれ道がある――ということです。

 たとえば、あなたの最も愛する人、自分の子どもが何かしらの悩みを抱えているとわかったとき、「めんどくせえなあ。ほっとけ」と思うか、「めんどくさいけど、相手をして話を聞こう」と思うか。その分かれ道です。

「いやいや、それとこれとは違う。たかが読書ではないか。愛する人から悩みを明かされてめんどくせえなどと思いはしない」との反論ありでしょう。
 しかし、多忙な時は「後にしてくれ」と言う……。

 あるいは、これまでしつこく「一読法を学びなさい――途中で立ち止まってつぶやきなさい、考えなさい」と繰り返してきました。これは読書だけでなく日々の活動においてもめんどくさいひと手間です。

 だが、このめんどくささを乗り越えないから詐欺や投資商法にあって大切な虎の子を失うのです。

 テレビでは事件のたびに「家族に相談してください、警察に問い合わせてください」と言っています。コメンテーターが「ネットで相手の会社や組織が本物かどうか、正式なサイトに行って確認してください」と注意喚起しています。

 だが、みんなめんどくさいひと手間です。
 私が出した以前のクイズ。○○の答えがわからなかった人はもちろん、わかった人も「合っているかどうか」は一週間待たなければならない。今すぐ答えを見たければ、やはりこのひと手間を厭わず行動する。これが必要だということです。

 以前の号を「読んでほしい」と書いてリンクを張ることはとても丁寧な執筆姿勢です。いわば、優しく思いやりある筆者(^_^)。
 が、リンクを張らず「各自探しに行きなさい」との態度は冷たく突き放していると言えます。

 再度前号後記の狂短歌を掲載。

 〇 統合とは 強く厳しく突き放し 甘えを許し受け入れること

 もうおわかりでしょう。
 私は狂短歌に書かれた統合の人格――「強く厳しく突き放し」を実行したのです。
 あそこでリンクを張ることは私にとって何でもない、簡単なこと。
 しかし、リンクを張らないことで、自力で答えを探しに行きなさいと読者を突き放した。つまり、私は「統合の人格」を演技した。これがリンクを張らなかった理由です。

 また、62号「四タイプ統合の人格 その2」においても、以下のように統合の人格を説明しています。
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 この人格者は時には強く激しく訴える。時には厳しく懇々と説く。時には突き放して待つ。時には許し甘えさせる。
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 この三つ目「時には突き放して待つ」を実践したということです。

 結論。リンクを張らなかったのは私の冷たい人柄・性格ゆえではない。
 もちろん年老いたゆえのうっかりでもない。演技だということ。読者の成長を思えばこそであり、すなわち読者への愛というわけです(^_^)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前号末尾の○○・□□問題の答えは今号本文に入れるつもりでしたが、次号に回すことにしたので、この場で答えを明かしておきます。

 ○○には[支配]が入り、□□1234には各自の特徴が入ります。
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 ※ 四タイプはなぜ脅迫・批判、傍観・受容の言動や考え方、生き方をし続けるのか?

 この答えはわかりますよね。最後の穴埋め問題です。
 ○○は全て同じ語句、□□には違う語句が入ります(漢字二文字)。

 脅迫者は人を○○支配し服従させるには、1□□脅迫こそ最高最強の武器だと思うから。
 批判者は人を○○支配し服従させるには、2□□批判こそ最高最強の武器だと思うから。

 傍観者は人に○○支配されないために、3□□傍観と無関心を身につけた。
 受容者は人に積極的に○○支配されようと、全て受け入れる4□□受容を身につけた。

 よって、脅迫者は1[脅迫]を、批判者は2[批判]を演技する。これによって人を支配し、服従させる心地よさを感じる。

 傍観者は3[傍観]を演技する。これによって支配される不快、負ける不快を感じなくて済む。
 受容者は4[受容]を演技する。これによって人から攻撃されずに済む。むしろ守ってもらえる安心を得る。
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 おそらく簡単だったと思います。1には「暴力」、2には「言葉」、4には「服従」を入れてもつながります。

 ただ、依然として「演技」の言葉には違和感を覚えたままではないか。
 次号より「どんでん返しの感情」と題してこの件を深掘りします。

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