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2024.06.25

『続狂短歌人生論』70 どんでん返しの《感情》その3

 前号を読み終えて「だから『続編』の最後に《どんでん返し》とつけたのか」とつぶやいたのではないでしょうか。

 前著『狂短歌人生論』と本稿『続編』の下書きが書かれたのは(高校教師退職直後の)2000年ころ。原稿用紙にして1000枚。表題は『自立と成熟への道』でした(^_^;)。
 完成を知らせた友人たちから「長すぎる。誰も読まない。大げさな表題だ」と悪評ふんぷん。まーさりなんと書籍化をあきらめ、辛うじて前半を『狂短歌人生論』として出版したのが2007年。世の話題になることなく、(すでに出版3冊目で)続編作成のオゼゼと気力が尽きました。

 執筆から勘定すれば早二十数年。生まれた赤ん坊が20歳を過ぎるほどの年月の経過です。そりゃあ、私の考えだっていろいろ変わります。

 しかし、前著と『続編』の元は同じ。一昨年前著のメルマガ公開に踏み切り、その後「下書きの後半を続編として公開しようか」と考えました。
 当時最初に思ったことは「公開に値するか」との不安。何しろ20年の空白があります。ただ、答えは『自立と成熟への道』1000枚(!)を読み直してすぐに出ました。

 と言うか前著をメルマガ公開しつつ、「もう出版できそうにないので続編はメルマガにしよう」と思っていました。脅迫・批判、傍観・受容の四タイプについて深掘りした部分や、「四タイプ統合の人格」を前著ではカットしていたからです。
 オゼゼのなさは変わらないけれど、意欲が復活しました(^_^)。

 同時に二十数年を経て変わったこともあり、それをどう続編に反映させるか。これが悩みの種でした。
 前号のように下書きでは「核家族、共稼ぎの親が我が子を保育士に育ててもらう」ことは「子捨てにあたるのでは?」との例は「保育士が四タイプ統合の人格をもって育てる方が1タイプの親が育てるよりいい」に変わっていました。

 他にも同様の例があって結局それは最後に入れるしかない。そのときはそれまでの記述をひっくり返すことになる。ゆえに「どんでん返し」とつけたわけです。

 さて、前号の一読法的復習。
 以下のところで「なぜできないのだろう」とつぶやきましたか。
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 途中を省略して結論を語ると「ゆえに子を持つ親御さんも四タイプ統合の人格をもって子どもを育ててほしい」と言いたいわけです。
 ところが、保母さん保父さんにはできても、実際の父親、母親が同じことを行うのはとても難しい。
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 なぜ難しいのか。この答えは本文の中にほのめかされています。
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 仕事だから素の自分や感情を抑えて演技できる。だが、帰宅すれば、我が子や伴侶に対して「統合の人格者」を演じることをやめる。
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 ここでどうしても「演技」について考えねばなりません。
 演技という言葉から思い浮かぶイメージを「ひっくり返す」必要があるからです。
 演技と聞けば「自分ではない人やものを演じる」と思っていないでしょうか。
 これをひっくり返すとは?

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 演技だと言いつつ演じられるのは その人自身 生きざま全て

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***** 「続狂短歌人生論」 *****

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』70 どんでん返しの《感情》その3 】

 その3「演技と真の姿?」

 みなさんは「演技・ドラマ」の言葉にどのようなイメージを持ち、何を連想しますか。
 やはり映画、演劇、テレビドラマ。演技する男優、女優の俳優さんでしょう。役者という言葉があり、かつては河原乞食なる言葉もありました。

 そして、彼らは訓練を積み重ねたプロ、玄人であり、我ら一般人は素人。演技なんかできないと思いがち。
 だから「四タイプとは性格・人柄ではなく演技である。統合の人格も演技であり、我々はドラマを演じているんだ」といくら強調しても、すんなり受け入れがたい。何となく違和感を覚えるのは「演技・ドラマ」の言葉ゆえでしょう。

 余談ながら、私たちは「演劇とは舞台上で人が役柄を演技する」と思っています。
 たとえば、泥棒とおまわりさんが登場するなら、ある俳優Aは泥棒を演じ、別の俳優Bがおまわりさんを演じていると。
 当たり前の話ながら、Aさんは泥棒ではなく、Bさんはおまわりさんではない(^.^)。

 観客が見ているのは(演技された)泥棒であり、おまわりさんである。
 ということは別の俳優Cさんが泥棒となり、Dさんがおまわりさんとなっても大差ない。私たちは依然として演じられた泥棒、演じられたおまわりさんの言動を見ている(と思っている)。

 演技のうまさ(下手さ)は泥棒がうまく表現されているか、おまわりさんをうまく演じているか、そこにあると思う。つまり、舞台俳優は泥棒やおまわりさんの《まねをしている》。俳優は泥棒を表現し、おまわりさんを表現していると……。

 私は演劇についてずっとそう思っていました。私だけでなく多くの人に共通する感想ではないでしょうか。
 ところが、ある本を読んでそれは勘違いだと知らされました。俳優は泥棒やおまわりさんのまねをしているのではない――というのです。

 俳優が表現しているのは「その人自身」であると。すなわち、泥棒のまね、おまわりさんのまねではなく、俳優は舞台において泥棒Aになる、おまわりさんBになる。心の底から泥棒になる、おまわりさんになると考えればわかりやすいでしょうか。舞台に立つ限り、俳優は本物の泥棒、本物のおまわりさんとして生きるってことです。

 これを突き詰めると、私たちが舞台で見ているのは(見るべきは)Aさん、Bさんその人である。
 現実の泥棒やおまわりさんが何を思い、何を考え、何を感じるか。それは一人一人みな違う。よって、同じ役を演じてもCさん、DさんはAさん、Bさんと同じにはならない。

 このことをわかっていない人は、たとえばシェークスピアの『ハムレット』を一度見たら、別の俳優がハムレットを演じたとしても、見に行かないでしょう。だが、表現されているのは俳優その人だと理解している人は見に行く(はず)。
 ここんとこ演出の違いとか、「脚本(日本なら翻訳)が少々変わったそうだが、どう変わったのだろう」との関心で見に行く――とは意味が違います。
 繰り返すと、俳優はハムレットのまねをしているのではない。俳優自身を表現しているのです。

 二つ目の余談。
 私は以前テレビドラマや映画――特に勧善懲悪の時代劇で、自分が登場人物を勝手に決められるなら、「こうしたい」と考えたことがあります。
 それは悪役と正義の味方の主人公をひっくり返すことです(^.^)。

 たとえば、暴れん坊将軍とか遠山の金さんとか大岡越前、水戸黄門など。
 主人公徳川吉宗、遠山金四郎景元、大岡越前守忠相、水戸藩主・徳川光圀とその一派(?)は最初から最後まで正義の味方であり、弱きを助け強きをくじく。善人であり決して悪には染まらない。プロレスで言うなら善玉のベビーフェイス。

 一方、それぞれには悪代官やお菓子の下に小判を忍ばせる悪徳商人、極悪非道の盗人やその配下――言わばみんなどうしようもない、根っからの悪人が登場します(^.^)。プロレスでは悪玉のヒールフェイス。

 そして、悪役を演じる俳優はいつも同じ。いかにも悪そげな顔して悪を実行する。
 主人公に悪を暴露されると、一度は認めて「ははーっ」とひれ伏すけれど、往生際が悪いことも共通して家来や配下に「殺してしまえ」と命令する。
 かわいそうに部下は主人公にばったばったと斬り殺される(か峰打ちで痛い目にあう)。

 この悪役と正義の味方役をひっくり返す――すなわち、善なる主人公を悪役側の役者が演じ、悪役とその配下を正義の味方である主人公側の善人たちが演じるわけです(^.^)。
 どうです。想像しただけで「どう見えるだろう?」とわくわくしませんか。
 えっ、「しない? 見たくもない?(^.^)」

 かつてのプロレスはショーとしてベビーとヒールがあり、その入れ替えがありました。ただし、同じ国ではなく、たとえば日本ではベビーだけれど、アメリカに行けばヒールとなった。逆もまたしかり。ヒール役は凶器を隠しており、それを使ってベビー役を痛めつける。その極悪ぶりにアメリカの観客は「キルザジャップ!」と叫び「リメンバー・パールハーバー!」と叫んだ。

 さて、私の余談は本論と無関係ではありません。
 かくして、冒頭の狂短歌につながります。

 ○ 演技だと言いつつ演じられるのは その人自身 生きざま全て

 どのようにつながるかと言うと、二方向。
 一つは観客(視聴者)側の見方。私たちは常に正義派・善玉を演じる役者を見て彼が「善玉を演技している」ことを忘れ、「あの人はいい人だ」と思いがち。

 逆に何度も登場してにくにくしげに笑い、極悪非道のことをする悪役を「彼は普段から悪い人間だ」と思いがち――てなことはない(^.^)。
 さすがに後者は「そんなことはない」とセーブする気持ちが働くので、「あんな悪人殺してしまえ」と叫ぶ人はいない。

 もっとも、その区別がつかない人がテレビドラマなど健気でやさしいヒロインをいじめるヒール役の女優に対して「あんたはひどい人間だ」と誹謗中傷のメールを送ったりする……。

 以前悪役で有名な男優さんが青汁のCМに出たことがあります。
 コップ一杯の青汁をごっくごっく飲んで、「かーっ、まずい!」と叫ぶ。
 普通なら「うまい!」と来るところ逆転の発想で有名になりました。
 彼は「悪役商会」を結成してその会長となっています。私以上に「悪役と善玉が入れ替わっていたら」と思ったかもしれません。

 もう一つは演じている側の見方。常に善玉を演じる俳優さんは「良い人」と思われ、非難されることなく、誹謗中傷されることもない。
 ところが、つくりあげられたイメージは俳優を苦しめるかもしれません。少なくとも私生活は清く正しく生きねばならない(でしょう)。善玉のイメージを壊せないから、仕事は常に善玉の役を演じるしかありません。

 たとえば、将軍吉宗、大岡越前、遠山の金さん役の俳優は現代版刑事ドラマに登場してもやはり善玉であり正義の味方。決して悪役を演じることはない。すると、観客はますます彼が「生来の善人であり、正義の味方だ」と思う。

 ここでさらに私的余談。私は十代のころ映画『ベンハー』を見て大いに感動しました。前後編3時間半の大作。当時70ミリという大画面の映画館があって土肝を抜かれる大迫力で二十代まで再公開のたびに見に行ったものです。

 主人公ジューダ・ベンハーの波乱に満ちた半生、キリストとからませた物語。最後のレースシーン、そして恋人エスサの愛と奇跡によって復讐の思いが氷解する……。とても一言では説明しきれないので、見たことがなければビデオをご覧ください。今でも私のベスト1です。

 それから20年くらい経ってアメリカのニュースで「全米ライフル協会」総会の映像を見ました。会長が壇上で何やら語っています。
 全米ライフル協会とは「銃の規制に断固反対する」組織として有名。そのとき壇上の会長の顔を見て「あれっ、チャールトン・ヘストンじゃない?」とつぶやきました。ベンハーの主人公です。後にそうだとわかり、ちょっとショックを受けました。あの映画の主人公を演じながら、愛を信じることのできない人だったかと思って。

 閑話休題。
 脅迫・批判、傍観・受容という四タイプは演技である――もこれと同じ。

 脅迫者が見せる閻魔と般若の怒り顔、怒鳴り声。
 批判者が見せるしかめっ面、批判と言う名の悪口。
 傍観者が見せる喜怒哀楽のない無表情と沈黙。
 受容者が見せる敵意のなさを示す優しい微笑み。

 それらは子どものころから身に着けた演技である……が、同時にその人自身である。
 善人役の俳優が悪人を演じることが難しいように、各タイプは他のタイプを演技できない。かたや悪人役の俳優が正義の味方を演じたいと思っても、プロデューサーも監督も、観客・視聴者もそれを許さない。

 もう少し簡単な言葉で言うと、人は四タイプを演じているうちに心底そのタイプになりきったということです。その人の身近にいて彼・もしくは彼女を見ている人は(善人役の俳優は善人だ、悪人役の俳優は悪人だと感じるように)心底脅迫者だ、批判者だ、傍観者だ、受容者だと感じてしまう。

 ここから出る結論は「そんなことはない。演技なんだから四タイプの心底は違うんだ」となります。

 では「彼らの心の奥にある真の姿とは?」と問うなら、本稿にてすでに答えは出ています。第4号の狂短歌、

 〇 四タイプ 人と闘う基地と武器 心はみんな弱いニンゲン

 さらに、「心の弱さとは何か」と問うなら、これも第27号の狂短歌、

 〇 愛されたい認められたい誉められたい 心に秘めて人と付き合う

 愛されたい、誉められたい、認められたくてある人はケンカが強いことを誇示する脅迫者になった。
 愛されたい、誉められたい、認められたくてある人は懸命に勉強して90点以上を取れる完璧さと言葉を駆使する批判者になった。

 愛されること、誉められること、認められることをあきらめてある人は事態を傍観する傍観者になった。

 誉められず、認められなくても愛されるために、ある人は何でも受け入れて相手に従う受容者になった。

 ならば、結論は明らか。
 私たちは四タイプの脅迫・批判、傍観・受容者に対して「愛すること、認めること、誉めること」ではないだろうか。

 だが、ここで最大の壁、解決困難な(と思える)難問にぶつかる。
 こちらが四タイプに対して「愛してる、認めている、誉めている」と思っても、四タイプはそう感じてくれないことだ。

 これについては次号。『続編』ラストを飾るにふさわしい(^_^;)、最後のどんでん返しを。


============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:突然ですが、次号をもって狂短歌人生論『続編』にエンドマークを打ちます。ようやく終わりかあ……とは読者の偽らざる心境でしょうか。

 もっとも、私の方はまだ少し(びろう[尾籠]な表現で恐縮ながら)残便感、残尿感があります(^_^;)。「おいおい」てか?

 しかし、すでにお気づきと思います。「どんでん返し」と言いつつ、内容はこれまでの繰り返しが多いことに。
 と言うのはこれまで「こうこうこうだ」と書きつつ、どんでん返しの部分をほのめかしたり、それを含んで書いていたからです。ただ、各章各節の時点で「ここはひっくり返していますよ」と明示しなかっただけ(^.^)。

 かくして本節最後の「壁・難問」について考えてみようという方は
「第13章 人はみな愛されないと感じて生きる」の(45号、46号)を読み直してください。答えが見つかると思います。

  第45号狂短歌
 〇 人はみな愛されてると思うより 愛されないと感じて生きる

  第46号狂短歌
 〇 気づくこと あの親だけど愛された あの人だけは愛してくれた

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2024.06.24

宝塚記念、結果とほぞ噛み

 宝塚記念、結果は――ウラ●2着、辛うじて馬連的中(^_^)

 1着―菅原明 12ブローザホーン…………[・] 単勝=7.5
 2着―横山武 09ソールオリエンス………[●]
 3着―横山和 03ベラジオオペラ…………[△]
 4着―池 添 07プラダリア………………[・]
 5着―戸崎圭 10ローシャムパーク………[△]

 一覧順位[E→G→D→QB] 馬群[2→2→1→3]
 前日馬順[C→H→D→F] 枠順[C→H→D→E]

 枠連=8-6=37.7 馬連=12-09=48.9 馬単=93.8
 3連複=12-09-03=160.2 3連単=916.8
 ワイド12=13.1 W13=13.3 W23=23.6

-------------
 本紙予想結果
 印騎 手番馬       名 馬 結果
 ◎武 豊04ドウ デュース   A  6
 〇ルメル02ジャスティンパレス B  10
 △戸崎圭10ローシャムパーク  E 5
 △レーン01シュト ルーヴェ  G  11
 △横山和03ベラジオ オペラ  D 3
 ・菅原明12ブローザ ホーン  C 1
 ・池 添07ブラ ダリ ア   F 4
 ●横山武09ソールオリエンス  H 2

-------------
【宝塚記念、過去9年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2024年 E→G→D→QB C→H→D→F 2→2→1→3(13頭)乖1・4着
2023年 A→H→B→C A→09→B→C 1→2→1→1(17頭)
2022年 E→F→B→QC A→F→D→C 2→2→1→3(18頭)乖1着
2021年 A→H→B→C A→G→B→C 1→2→1→1(13頭)
2020年 C→D→QG→B C→G→13→A 1→1→4→1(18頭)逆2着
2019年 C→B→E→D D→A→F→C 1→1→2→1(12頭)
2018年 QE→QA→QD→QB G→F→12→D 4→3→3→3(16頭)乖1・2着
2017年 E→F→B→D E→F→C→D 2→2→1→1(11頭)
2016年 F→A→D→E G→A→B→D 2→1→1→2(17頭)

 13頭以下4回分の結果は以下。
    一 覧     馬 順     [1234]群
2024年 E→G→D→QB C→H→D→F 2→2→1→3(13頭)乖1・4着
2021年 A→H→B→C A→G→B→C 1→2→1→1(13頭)
2019年 C→B→E→D D→A→F→C 1→1→2→1(12頭)
2017年 E→F→B→D E→F→C→D 2→2→1→1(11頭)

 第2群[E12ブローザホーン→馬順C]は小さな乖離故重視しなかったが、最低限2着があるかも、と△くらいはつけるべきだった。乖離馬の軽視禁物である。馬順H(09番)の連絡みは初めてのことで、半信半疑だったが2着激走した。

 一覧ABの5種オッズは04ドウデュースが[ABAAB]、02ジャスティンパレスが[BABBA]。つまり、オールA、オールBではなく、不安定であったことを示している。
 このパターンでも2頭のマッチレースとなることはあるので、無視したが、「2頭ともに消えることもある」と注意するべきだった。

 以下一覧データの結果です。

*************************
 【宝塚記念 実近一覧表】 京都 芝22 13頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=04|ドウ デュース  5| 2.2{AA}[3] |A| |BAAB ◎6
B=02|ジャスティンパレス5| 4.8{BC}[12] |B| |ABBA 〇10
C=10|ローシャムパーク 5| 5.7{CD}[7] |E| |EGFH △5
D=03|ベラジオ オペラ 4| 5.9{DB}[2] |D| |DEDE △3
[2]
E=12|ブロー ザホーン 5| 7.6{EF}[5] |C|乖|CCCC ・1
F=06|ヒート オンビート7|11.2{G09}[8]B|12| |11131112
G=09|ソール オリエンス4|11.9{HG}[11] |H| |H09GG ●2
H=01|シュトルーヴェ セ5|12.8{09E}[10]A|G| |GFH10 △11
[3]
QA=13|ルージュエヴァイ牝5|13.7{F11}[9]D|09| |101010F
QB=07|ブ ラ ダ リ ア5|23.9{11H}[1]逃|F|乖|DFED ・4
QC=11|ヤマニン サンバ 6|26.0{1010}[13]C|13| |
QD=05|ディープ ボンド 7|38.7{1312}[4] |10| |09H0909
[4]
QE=08|カ  ラ  テ  8|39.7{1213}[6]E|11| |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
------------------------
 ○ 展開予想

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番07 03 04 05 -12 08 10 06 -13 01 09 02 -11
覧 △ ◎ 5 ▲ 6 〇
3F E B D A C
本・ △ ◎ ・ △ △ ● 〇
結4 3 1 5 2

------------
 [枠連順位]
 枠連型=3巴 [AB型] 枠順AB=4.1
 馬連型=3巴 [AB型] 馬連AB=3.9

 枠連=AB/C/DEF/GH/ 
 枠順=42 8 357 16  枠順[C→H→D→E]
 馬順=AB C DFE GH  馬順[C→H→D→F]
 代行=10 09 1213 11
 ―――――――――――――
 結果= 1 34 2

 [オッズ分析結果]

 枠連も馬連も3巴のAB型。この場合難しいのはAB型を重視するか、3巴を重視するか。というのはAB型なら、枠連・馬連の推奨馬券は[AB軸にCD蹴って]だが、3巴重視なら[ABC軸にDE(F)蹴って]となる。

 今回はAB型を重視してお勧め馬券は[AB軸にCD蹴ってEFGH]とした。「枠連A-Hが24.5倍だからG・H枠をカットできない」、むしろGHの方が面白そうなので、[AB→GH]を推奨とした。
 この予想はH6枠が2着に激走したのでいい線ついていたが、枠のABがともに消え、3巴のC枠が激走した。3巴重視なら[C→GH]が大穴のお勧め馬券となるので惜しいところだった

 ただ、オッズ分析の予想段階ではAB枠がともに消えるとの確証はなく、ある意味結果論。AB枠が消えるかもしれない――程度のことでも言えないか。今後の研究課題である。

**********************

 ※ 回  顧


 日曜当地はかなりの雨でやむときもあったけれど、結局いとこ宅には行かないまま在宅競馬としました。

 騎手馬券のいとこは今年菅原騎手に注目していたので、終了後「単勝獲りましたか」と聞いたら、「買い損ねた」とのこと(^.^)。
 しかも、私同様流した相手は2強の武豊04ドウデュース、ルメール02ジャスティンパレスとあって馬券全滅だったようです。

 私の馬券もウラ●横山武09ソールオリエンスが2着だったとはいえ、1着12ブローザホーンは3着候補の[・]印に留めたので、普通なら「外れ」です。
 ただ、今回ソールオリエンスにはかなり自信があったので、印をつけた他の7頭に馬連(総)流しをかけました。結果「辛うじて」馬連49倍が的中したというわけです。

 しがない年金生活者の私は3連単をあまり買わないので、さらに辛うじてプラマイ0となりました(^_^;)。
 私のウラ●予想を参考に3複3単まで的中させたなら、「おめでとうございます」と申し上げます。

 それにしても、終われば「あり得たなあ」と思うし、予想前置きでも「まさかの事態にも備えておくべきだと思います。災害は忘れたころにやってくる。小頭数だから本命決着とは限らない」と書いて注意を喚起しました。

 しかし、あれって「書いただけ」ですね(^_^;)。オッズ分析でも、予想でも「枠連・馬連A-Bで固いだろう」との思いが行間にあふれていました。

 だったら、「まさかの事態としてどういう可能性があるか。それを書いておけ(!)っちゅうねん」と言いたくなります。

 そこで「覆水盆に返らず」であり、「遅きに失する」けれど、オッズ分析で「起こりえるまさか」を書いておきます。

 それは枠連・馬連「AB型」の出現傾向について。
 以下の3通りがあります。

 1 ABが1、2着する(馬連AB成立)。
 2 AかBどちらかが2着内に入る(もう1頭は3着以下)。
 3 AもBも3着以下に落ちる。

 以前この出現傾向は書いたことがあります。みなさんも当然おわかりでしょう。
 馬連・枠連の詳細なオッズ順を算出していなくても、簡単に言えば「2強」のレースです。誰でも3つのうちどれかが起こると知っています。

 そして、2強の出現比率はだいたい2が最も多い。ついで1であり、最後が3。
 馬連、枠連だと1のみ的中で2、3は外れ。が、3複はABが3着内にとどまれば的中できます。私がよくやっている3複[AB→総流し]で「的中!」ってやつ(^.^)。

 実はこれも曲者で3連複が当たると――すなわちABが1、3着、2、3着の場合でも「ABは1、2着みたいなもん」と思いがち。
 そもそもAB型は3複こそ最適の買い方です。総流しなら1はもちろん2も的中の目があるからです。

 私は土日午前9時頃のオッズを使って東西の10~12、ローカル11レースの馬順などを算出しています。土曜日この7レースはA流れ、3巴・4巴などがあったけれど、基本は[AB型]でした。

 すると7レース中4レースでABが[1・2]着。どちらかが消えたレースが2、ABともに消えたレースが1(C→E→11)という結果でした。
 ABの1、2着4回は多すぎるほど。

 最終的な単勝順位は若干違うけれど、読者各位も「今日は馬連本命決着が多いなあ」と感じたのではないでしょうか。

 このとき宝塚記念の前日オッズから「宝塚の馬連(枠連も)3巴・AB型である」とわかっています。
 で、私は「土曜の傾向がそのまま続けば、宝塚はAB決着。だが、もしも土曜がオトリなら、宝塚は固いと見せて荒れる」と予想を立てました。
 ここまでは結構正しい推理手順だったと思います。

 が、問題はここから。私はAB型の出現パターンのうち2番目の「AかBどちらかが消える」と推理したのです。決めつけたと言ってもいい。
 土曜に1レースあった3の可能性を消してしまった。ここが痛恨のほぞです。

 ABともに消える3パターンを予想することは必ずしも不可能な試みではなかった。というのはAB両馬へのいちゃもんとして以下のように書いているからです。

----------------------
 そこで04ドウデュース、02ジャスティンパレスへのいちゃもん(^.^)。
 これはもう全成績ですでに現れています。

 武 豊04ドウデュース=13戦[6115]重賞[4115]GI[3014]
 ルメル02ジャスティン=14戦[5225]重賞[3225]GI[1225]

 5歳とは言え、着外の多さが目立ちます。
 ドウデュースのGIVは2歳朝日杯、ダービー、昨年の有馬。GI3勝
はメンバー最多(他は1勝まで)。
 かたやジャスティンパレスは昨年春天の1勝のみ。2着2回は2歳ホー
プフルSと昨年の秋天(イクイノックスの2着)。

 両馬のGI複率は8分の4、10分の5できっちり5割。連率3/8、3/10。
 このような確率の馬の組み合わせを鉄板とか銀行馬券と呼べようか。
 たとえば、昨年宝塚記念V馬イクイノックス(4歳)と比べると
 ルメル・イクイノックス=7戦[5200]重賞[4200]GI[3200]

 そして、昨年イクイノックスは宝塚前走ドバイGIシーマC1着。
 対して04ドウデュースは前走ドバイGIターフ5着(1人)。
 02ジャスティンパレスも前走ドバイGIシーマC4着(4人)。

 伏兵が食い込む余地は充分にある、と思うのです。
----------------------

 書かなかったけれど、コース実績――ジャスティンパレスは京都1戦1着(春天)。ドウデュースは京都初。
 どちらもGI連率ほぼ3割だから「どちらかは3着以下に落ちる」と推理してウラ●09ソールオリエンスを抜擢しました。
 しかし、まさか「ABどちらも着外に落ちる」とまでは想定しなかった。 あと一息考察が足りない……と痛感したことです。

 さて、1、2着の菅原明5歳12ブローザホーンと横山武4歳09ソールオリエンスについて。
 まずは菅原明騎手のGI初勝利おめでとうございます。

 前走春天2着だし、馬順(3巴の)C。つまり3番人気。一覧[E→C]の乖離馬でもあり、「せめて△くらいつけろよ」と言いたくなります。
 もちろんデータ検討はしました。検討したから軽視したのです(^.^)。

 牡5歳の同馬は20戦[6347]。重賞5戦[1120](1戦は中止)。GIは前走春天2着(5人)の一度だけ。
 つまり、6勝は条件戦の勝利。同馬を軽視した最大の理由は21年2歳新馬4着から1つ勝つのに9戦もかかったことです。そこから6戦[4101]でオープン入りしたけれど、重賞は上記の通り。
 一応今年1月G2日経新春杯(京都芝24)を勝ったG2V馬だけれど、格の面では他の馬に劣っている――と見ました。

 ただ、5着内の掲示板率はいい。20戦中6着以下は2回だけ。過去10走は掲示板率100。また、京都コースは4戦[2100](1つ中止)。父エピファネイア。

 今回ブローザホーンの馬柱を見直して「しまった」とつぶやいた点が2つあります。今回降雨重が予想されたけれど、私は重実績をほとんど見ません。だいたいどの馬も1つか2つくらいしか経験がないことが多いからです。

 ところが、ブローザホーンは稍重、重、不良の経験が10レースもありました。結果は1レース中止があるので、9戦[4122]。うち1勝は京都3Wクラス(芝22)の不良1着。これは確かに「重得意」と見るべきデータでしょう。

 もう一つ見落としたのが3走前1月のG2日経新春杯(芝24)の勝ちタイム[良2237]です。
 同レースはその前3年間中京芝22で行われ、京都に戻ったのは4年ぶりでした。いつもならこのタイムを過去と比較するのに今回怠りました。
 東京芝24では2分22秒台が出るくらいだから、京都の2237は「ちょっと速いな」くらいで終えていました。

 ところが、日経新春杯の過去と比較すると、なんと2237はレースレコードタイでした。2012年にトゥザグローリーが勝って以来2240を切ったのはブローザホーンが2頭目。京都芝24のレコード2226には劣るものの、力をつけた証と言って良さそうです。

 最近もう一つのメルマガで書きました。めんどくさいからと言って手間を惜しめば、大切な答えを得られないと。もう一つ競馬に関しては「決めつけてはいけない」もありそうです(^_^)。

 一方、2着の横山武09ソールオリエンス。
 ウラ●の理由として[新馬→G3→GI皐月]の3連勝、重の皐月を4角最後方から勝ったことなどを取り上げ、見事2着に食い込んだのは嬉しい限り。

 ただ、レースを見ると横山武は「ちょっと下手こいた」と思いました。
 いつものように「ればたら」はないけれど、あれがなければ頭があり得たかもしれません。

 レースは重馬場の中ぎんぎんの逃げ馬不在でやはり意外な馬がハナを切りました。唯一牝馬の川田13ルージュエヴァイユです。
 入りの2F目で10.9を出すけれど、すぐ落ち着いて1000メートル通過61.0。良ならスローですが、重馬場を考えるとやや速い平均ペースでしょうか。勝ちタイムも2120で重の割には遅くありません。

 向こう正面で12ブローザホーンと09ソールオリエンスはほぼ最後方。そこに武豊04ドウデュースもいたので、あきれたと言うかソールオリエンスとあわせて「後ろ過ぎね?」と思ったものです。

 が、ソールオリエンスは重馬場皐月賞1着の例があります。
----------------------
 3連勝目のGI皐月賞です。中山芝20、18頭立てのレースで道中15番手
のほぼ最後方。4角でも17番手。しかも馬場は重。絶望的な位置から前の
16頭を上がり1位(重ゆえ35.5)でごぼう抜きしました。
 中山であのレースができるなら、京都芝22で同じことができるかもしれ
ません。
----------------------
 向こう正面では直線で伸びるソールオリエンスの姿を想像して疑うことはありませんでした。

 そして、4角から直線。
 横山武09ソールオリエンスは大外をぐいぐい伸びて来る。
 が、その前に先に菅原明12ブローザホーンが抜け出して大外を突き抜ける勢い。前には先行した2頭――外に横山和03ベラジオオペラと内に池添07ブラダリア。

 そのとき大外ブローザホーンが内により、内のベラジオオペラが外によれました。斜行というほどではないけれど、伸びようとしたソールオリエンスの前が壁になりかけ、スピードダウンしたように見えました。
 私は「終わったよ…」とつぶやいたものです。

 ところが、ブローザホーンが前2頭を抜いてゴールに向かうと、その直後をソールオリエンスが鋭く伸びて03、072頭を抜いたではありませんか。
 が、さがにブローザホーンまでは抜けず――2馬身(コンマ3差)のゴール。だったら「先に抜け出してくれよお」と叫んだものです(^.^)。

 というのは(後でビデオを見てわかったのですが)、向こう正面で後方追走だった両馬の4角位置は勝ったブローザホーンが7番手。2着ソールオリエンスは11番手でした。つまり、菅原明ブローザホーンはまくりを打った。だが、横山武ソールオリエンスはまくらなかった――と言えます。

 もしも両馬が4角7、8番手の位置に並んでいたら、大外を追いあげるマッチレースとなって両馬クビの上げ下げ。ハナ差ソールオリエンスの1着があったかもしれない……と思うけど、まー所詮見ることのできない「ればたら」です。

 京都コースは3角から4角の下りを利用して先行集団直後に進出するのが勝利の条件。菅原明はそれをやってのけ、横山武はできなかった。中山皐月賞で4角17番手から勝てたから、ここでも「同じことを」と思ったのかもしれません。あるいは、勝ったのは5歳馬だから、やはり4歳馬は弱いのか。
 この答えは後期GIでわかるでしょう。

 それにしても、これで前期GIは全て違う騎手の勝利。2勝以上の騎手皆無とは意外。また、GI初勝利騎手も春天・菱田裕、ヴィクМ・津村、宝塚菅原明など3人も出現。これは騎手新時代の到来か、はたまた終わりの始まり(?)か。
 この中に武豊騎手の名がないのはさみしい限りですが、ドウデュースとともに後期の復活を期待したいと思います。まだまだ終わってほしくない騎手ですから(^_^)。

 以上です。

===========
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:これをもって2024年前期GIメルマガは終了。秋までしばしのお別れです。
 今年もウクライナやガザの戦争など世界は悲惨な戦争を終わらせることができません。むしろ米欧(日韓台湾?)連合対ロシア・中国・北朝鮮同盟という戦争拡大の気配さえ漂わせています。いつか通ったいばらの道をまた歩ませるのでしょうか。

 23日(日曜)は沖縄県民の4人に1人が命を落とした沖縄戦から79年となる「慰霊の日」。最近は子どもたちに戦争の実態を伝えるだけでなく、そのとき「自分だったらどうするか」考える歴史・平和授業が行われているそうです。
 中国が台湾侵攻後、尖閣をめぐって日中戦争が始まったら、最大の犠牲となるのは沖縄や離島であることは必至。開戦に進まないための方策こそ求められていると思います。

 さて、今年も猛暑の夏、豪雨洪水台風の夏がやってきます。
 皆様方と私も生き延びて秋の競馬を迎えられるよう祈念いたします。

 もう一つのメルマガ配信もあと2号で終わります(^_^)。御影祐

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2024.06.22

宝塚記念、直前予想

 中2週の出走、毎度ほぞ噛み御影祐です(^_^)。
 さて、いよいよ明日は前期GIオーラス宝塚。(半期)有終の美を飾りたいものです。

 ところが、一体何が起こったのか。わずか13頭の出走。
 だけでなく武豊04ドウデュースとルメール02ジャスティンパレス、両牡5歳2強の気配。
 2頭の3複[◎〇→総流し]でも11枚。取りあえず買っときますか?(^.^)

 しかし、まさかの事態にも備えておくべきだと思います。
 災害は忘れたころにやってくる。小頭数だから本命決着とは限らない。

 今年大きな異変(をもたらすかもしれない事態)はコース。
 阪神から京都競馬場に変更です。距離は変わらず芝22。
 最近「京都の宝塚」って聞かないよなあと思って調べたら、21世紀以降だと2006年の1回。その前は1995、91年の2回。84年にGIとなってからはこの3回だけ。
 ちなみに、2006年の優勝馬? わかりますよね。
 ほらあの名馬。武豊騎乗で天馬と呼ばれ、常に後方、常に大外一気のあの馬ですよ(^_^)。

 驚くのはこの2006年宝塚の頭数。何頭だと思いますか?
 そう。13頭なのです。こんな偶然あるのでしょうか。 
 武豊騎乗イニシャルDIは牡4歳。前年の無敗三冠馬は春天Vから単勝110円のど1番人気。
 稍重馬場の08番から前半ほぼ最後方。4角7番手から上がり最速34.9。2着に4馬身差をつけての楽勝でした。

 では2、3着馬は?
 2、3番人気――と言いたいところですが、2着は差し馬の10番人気。3着は逃げた9番人気。馬連19倍ながら3複2万、3単4万の万シュー決着となりました。

 ……ということは?
 今回も1番人気確実武豊04ドウデュースの1着(^.^)。
 が、2着3着は薄目-薄目かも。
 取りあえず[ドウデュース→10=09=08人気]の3複買っておきましょう。

 まずは過去8年の実近一覧結果から。
 先ほど「どうしたことか」と書いたけれど、宝塚は13頭以下、16頭以上が交互になることで有名。なので頭数を明記しています。


【宝塚記念、過去8年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2024年 →→→ →→→ →→→(13頭)
2023年 A→H→B→C A→09→B→C 1→2→1→1(17頭)
2022年 E→F→B→QC A→F→D→C 2→2→1→3(18頭)乖1着
2021年 A→H→B→C A→G→B→C 1→2→1→1(13頭)
2020年 C→D→QG→B C→G→13→A 1→1→4→1(18頭)逆2着
2019年 C→B→E→D D→A→F→C 1→1→2→1(12頭)
2018年 QE→QA→QD→QB G→F→12→D 4→3→3→3(16頭)乖1・2着
2017年 E→F→B→D E→F→C→D 2→2→1→1(11頭)
2016年 F→A→D→E G→A→B→D 2→1→1→2(17頭)

 13頭以下4回目なので、過去3回を抜き出すと、
    一 覧     馬 順     [1234]群
2021年 A→H→B→C A→G→B→C 1→2→1→1(13頭)
2019年 C→B→E→D D→A→F→C 1→1→2→1(12頭)
2017年 E→F→B→D E→F→C→D 2→2→1→1(11頭)

 馬群を見てわかるとおり、(そもそも不在か1頭の)第4群が絡まないのは当然として第3群が1頭も4着内に入っていない。今回続くかどうか。
 また、第1群は2頭から3頭4着内。それもほぼ馬順A~D。
 が、第2群が1頭は3着内に入っており、それは別に乖離馬ではない。
 馬順では[EFG]の激走あり。

***************************
 【宝塚記念 実近一覧表】 京都 芝22 13頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=04|ドウ デュース  5| 2.2{AA}[3] |A| |BAAB ◎
B=02|ジャスティンパレス5| 4.8{BC}[12] |B| |ABBA 〇
C=10|ローシャムパーク 5| 5.7{CD}[7] |E| |EGFH △
D=03|ベラジオ オペラ 4| 5.9{DB}[2] |D| |DEDE △
[2]
E=12|ブロー ザホーン 5| 7.6{EF}[5] |C|乖|CCCC ・
F=06|ヒート オンビート7|11.2{G09}[8]B|12| |11131112
G=09|ソール オリエンス4|11.9{HG}[11] |H| |H09GG ●
H=01|シュトルーヴェ セ5|12.8{09E}[10]A|G| |GFH10 △
[3]
QA=13|ルージュエヴァイ牝5|13.7{F11}[9]D|09| |101010F
QB=07|ブ ラ ダ リ ア5|23.9{11H}[1]逃|F|乖|DFED ・
QC=11|ヤマニン サンバ 6|26.0{1010}[13]C|13| |
QD=05|ディープ ボンド 7|38.7{1312}[4] |10| |09H0909
[4]
QE=08|カ  ラ  テ  8|39.7{1213}[6]E|11| |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
---------------------------
 ○ 展開予想

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番07 03 04 05 -12 08 10 06 -13 01 09 02 -11
覧 △ ◎ 5 ▲ 6 〇
3F E B D A C
本・ △ ◎ ・ △ △ ● 〇

--------------
 [枠連順位]
 枠連型=3巴 [AB型] 枠順AB=4.1
 馬連型=3巴 [AB型] 馬連AB=3.9

 枠連=AB/C/DEF/GH/ 
 枠順=42 8 357 16
 馬順=AB C DFE GH 
 代行=10 09 1213 11
 ―――――――――――――
 結果=

 [オッズ分析]

 枠連も馬連も3巴のAB型。枠EFの馬順がFEとなって転換があるが、複数枠であり矛盾とまでは言えない。枠連A-Hが24.5倍だからG・H枠をカットできない。並びは順当で代行激走は考えなくて良いのではなかろうか。ただ本命決着でC8枠が絡むなら、09位[13ルージュエヴァイユ]を抑えておくべきか。

 AB型のお勧め馬券は[AB軸にCD蹴ってEFGH]だが、枠連AB決着の可能性高く、ばらばら買ってはトリガミ必至。ここは枠連AB[4-2]・馬連AB[04-02]を買ってケンするレースか。
 ただ、もしもGH枠が激走するなら、トリガミ覚悟で[AB→GH]の枠連を少々遊ぶのもいいか。ウラの[CDEFボックス]は不要ではないかと思う。

*************************
 ※ 直前予想

 さて結論です(^_^;)。
 週中穴の開くほど馬柱を眺めてあれこれ検討しました。
 木曜に枠番が決まると、直ちに実近一覧表を作成して04ドウデュースが一覧トップA、02ジャスティンパレスが2位のBであることを確認しました。

 そして、金曜夜には前々日馬連AB[04-02]=350円のど1番人気であるとわかって「これはもうAB=◎〇で仕方なし」の結論に到達しました。
 ともに牡5歳、鞍上武豊対ルメール。雌雄を決するときが来た――てなところでしょうか。

 ただ、昔から「銀行馬券」という言葉があって以前は「この2頭で鉄板」などと言われたものです。もしもこの馬券に100万投入すれば確かに配当350万。10万なら35万に化ける。だが、ハナ差3着だと失意の0円。「だまされたあ!」と叫びたくなる(^.^)。

 そもそもしがない年金生活者にそのような剰余金はなし。お上より恵まれた定額減税や貧困生活者への給付金もちびちび使うしか道はなし。[せちがれえー(^.^)]
 馬券1点に1万どころか千円賭ける根性も投資意欲もない以上、まーこの馬連ABはお楽しみ馬券として各自の観戦料といたしましょう。

 しがない、せちがらい馬券愛好家としては両馬が1、2着なら3着は何か。
 あるいは「龍虎の馬連不成立なら激走するもう1頭は何か」そこを狙いたいと思います。

 そこで04ドウデュース、02ジャスティンパレスへのいちゃもん(^.^)。
 これはもう全成績ですでに現れています。

 武 豊04ドウデュース=13戦[6115]重賞[4115]GI[3014]
 ルメル02ジャスティン=14戦[5225]重賞[3225]GI[1225]

 5歳とは言え、着外の多さが目立ちます。
 ドウデュースのGIVは2歳朝日杯、ダービー、昨年の有馬。GI3勝はメンバー最多(他は1勝まで)。

 かたやジャスティンパレスは昨年春天の1勝のみ。2着2回は2歳ホープフルSと昨年の秋天(イクイノックスの2着)。
 両馬のGI複率は8分の4、10分の5できっちり5割。連率3/8、3/10。
 このような確率の馬の組み合わせを鉄板とか銀行馬券と呼べようか。

 たとえば、昨年宝塚記念V馬イクイノックス(4歳)と比べると
 ルメル・イクイノックス=7戦[5200]重賞[4200]GI[3200]

 そして、昨年イクイノックスは宝塚前走ドバイGIシーマC1着。
 対して04ドウデュースは前走ドバイGIターフ5着(1人)。
 02ジャスティンパレスも前走ドバイGIシーマC4着(4人)。

 伏兵が食い込む余地は充分にある、と思うのです。

 もちろんこの2頭がマッチレースを演じ、他の11頭が追って届かずになっても不思議なし。両馬の父を見てもう一つ20年越しの因縁があることに気づきました。
 ドウデュースの父はハーツクライ。ジャスティンパレスはディープインパクト。
 おおなんという因縁。05年有馬記念で武豊DIに(国内13戦で)唯一黒星をつけたのがハーツクライなのです。
 その鞍上は? なんとルメールさん。

 あれから約20年経ってディープとハーツの仔、ドウデュースとジャスティンに武豊とルメールが騎乗して雌雄を決しようとする。
 ロマンじゃあ(^_^)。

 龍虎どちらを◎とするか――ですが、ドウデュースとジャスティンの対決ならすでに決着がついています。
 2頭同時出走のレースは以下の通り。
 04ドウデュース=皐月3着→ダービー1着…秋天7着→有馬1着
 02ジャスティン=皐月9着→ダービー9着…秋天2着→有馬4着
 かくしてドウデュースの3勝1敗。

 それに20年越しの因縁としては武豊ディープ産駒によるルメール・ハーツクライへの雪辱ではないか。やはりドウデュース◎、ジャスティンパレス〇。馬単04→02も買いましょう(^_^)。

 ただ、この4戦ジャスティンの鞍上はデムーロと横山武。ルメールさんは新馬→1W連勝……昨春G2→春天連勝以来です。つまり、ジャスティンパレスは鞍上ルメールだと4戦4勝。うーん。馬単02→04買っとく?

 ちなみに、ルメールさんは2002年から短期免許で毎年来日騎乗。4年目に重賞初V。それが有馬記念のハーツクライでした。
 あのころ現在の活躍ぶりを一体誰が予想したでしょう。武豊・福永祐ちゃん全盛のころでした。
 20年の経過っていろいろ、いろいろあるんですねえ。[としみじみつぶやくのはもう一つのメルマガ(次号)と関係あります(^_^;)]

 それはさておき、そうなると2強に続く3着かどんでん返し(^.^)のもう1頭。これをウラ●としたい。

 ところが、これが難解。と言うか迷いに迷う。

 その前に基本データとして年齢構成、前走ステップ別頭数を掲載しておきます。
 [年齢構成]
 4歳=2 5歳=7 6歳=1 7歳=2 8歳=1頭
 牡馬=11頭 セン馬=1頭(01番) 牝馬=1頭(13番)

 [前走ステップ]
 GI春 天=2頭(12 05)
 GI大阪杯=5頭(03 10 13 07 09)
 ドバイGI=2頭(04ドウデュース・02ジャスティン)
 G2目黒記=2頭(01 06)
 G3鳴尾記=2頭(11 08)

 当然ながらドウデュースとジャスティンが3着内なら、もう1頭の前走は他のステップから。GI春天か大阪杯。G2目黒かG3鳴尾記念か。過去10年を見ると、多いのは春天か大阪杯。が、目黒も鳴尾もあり。

 年齢では高齢馬さすがにムリ筋ながら、気になるのが7歳ディープボンド。G2の4勝はメンバー最多、GIVはないけれど、GI2着4回。京都コース[2132]、前走春天3着も不気味。

 また、宝塚では牝馬もよく来ており、唯一牝馬の13ルージュエヴァイユも激走あるか。さらに、唯一セン馬の01シュトルーヴェはレーン騎手騎乗。同馬は目下G2を2連勝。前走目黒記念では4角10番手から上がり32.9を出して1着。この上がりはもちろん全馬のA。

 さらにさらに、京都の芝22ということで逃げ馬も気にかかる。逃げAは池添07ブラダリアだが、指数は4.4。つまり、今回ぎんぎんの逃げ馬不在。
 通常はどスロー予想ながら、土曜の降雨で重か不良必至だけに、妙な馬が大逃げ打つ可能性もあり。

 このようにいろいろ迷うけれど、◎〇両馬が5歳ゆえ、5歳馬は打ち止めとしたい(^.^)。ここは高齢馬より4歳2頭のいずれかをウラ●としたい。
 4歳2頭とは横山和03ベラジオオペラと横山武09ソールオリエンス。
 おお、横山兄弟(^.^)。親父はいない。
 両馬の父はベラジオがロードカナロア、ソールがキタサンブラック。

 2頭の前走は03ベラジオオペラがGI大阪杯1着(2人)。
 横山武09ソールオリエンスは同大阪杯7着(5人)。
 これを反映してか今回馬順は03ベラがD、09ソールがH。

 実は前期重賞・GI戦線において明け4歳――つまり昨年の3歳馬を軽視していました。今年の4歳馬は弱いぞと。
 このメンバーの前走を見ると、春天123着が6-5-7歳。G2目黒記念も5-6-7歳。4歳馬はどちらも4着が最高。G3鳴尾記念でさえ123着6-8-6歳。

 ところが、GI大阪杯は123着4-5-5歳と4歳馬のベラジオオペラが勝った。
 もっとも、私は「フロックだな」と見ました。「もしも大阪杯にドウデュースとジャスティンが出ていたら、ベラジオオペラは4番人気であり、たぶん良くて3着だろう」と思ったからです。つまり、大阪杯は鬼のいぬ間のG2みたいなもん。

 となると、大阪杯から宝塚出走の両4歳馬は軽視――が本来の予想。
 だからこそ、7歳馬のディープボンドに触手が動いたのですが、ここは見方を変えました。「4歳馬弱し」とは多くのファンの思うところ。そのウラをかいてこそギャンブラーの真骨頂(^.^)。人の行くウラに花あり――のことわざもあり。

 4歳馬なら大阪杯Vの03ベラジオオペラですが、この2頭比べてみると、09ソールオリエンスの方が上だとわかりました。
 たとえば、両馬ともに新馬から3連勝しているけれど、内容が以下。

 03ベラジ=2歳新馬→1W→G2スプV →皐月10着→ダービー4着
 09ソール=2歳新馬→G3→GI皐月V →ダービー2着

 03ベラジオオペラはその後休養して年末G3チャレンジC1着→今年2月G2京都記念2着から大阪杯を勝ちました。
 一方、ソールオリエンスの後期はG2セントライト2着→菊花賞3着。
 ダービー後勝てなかったけれど、前途洋々に見えました。
 何しろダービーから3戦1.8→1.6→2.7倍の1番人気でした。

 ところが、その後がいけない。有馬に出てドウデュースの8着(4人)。今年2月G2中山記念4着(1人)。そして、前走大阪杯7着(5人)。
 ただ、有馬の鞍上は川田、中山記念は田辺。そして、前走横山武に戻ったけれど、あのていたらく。今回馬順Hも仕方ないところです(単勝は17~8倍の7番人気)。

 実は斤量でいうとベラジオオペラは前走58キロ1着ですが、ソールオリエンスは過去2戦58キロともに着外。大きな不安材料です。
 こけて不思議ないウラ●抜擢ながら、一つ「もう一度あのレースができたら」と強調したいレースがあります(^.^)。

 3連勝目のGI皐月賞です。中山芝20、18頭立てのレースで道中15番手のほぼ最後方。4角でも17番手。しかも馬場は重。絶望的な位置から前の16頭を上がり1位(重ゆえ35.5)でごぼう抜きしました。
 中山であのレースができるなら、京都芝22で同じことができるかもしれません。京都コースは菊花賞3着で経験済みだし、今回頭数は13頭。重馬場間違いなし。ここで4歳馬の悪評を吹っ切ってほしいものです。

 本紙予想
 印騎 手番馬       名 馬順
 ◎武 豊04ドウ デュース   A
 〇ルメル02ジャスティンパレス B
 △戸崎圭10ローシャムパーク  E
 △レーン01シュト ルーヴェ  G
 △横山和03ベラジオ オペラ  D
 ・菅原明12ブローザ ホーン  C
 ・池 添07ブラ ダリ ア   F
 ●横山武09ソールオリエンス  H

 さて結果は?

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2024.06.16

『続狂短歌人生論』69 どんでん返しの《感情》その2

 前号後記のクイズ――統合の人格を演じている職業とは?

 再読すれば、本文冒頭の言葉がヒントだと気づいたでしょう。
----------------------
 以前「子どもに愛エネルギーを与えよう」と書いた。子どもに対して「すごいじゃないか」と誉めること、「がんばれ」と励ますこと、「よくやったね」とねぎらうこと。これによって子どもはエネルギーがふつふつと湧いてくる。元気になる。
----------------------

 さらに付け足せば、子ども同士のけんかに対して理由を聞き、「それはあなたが悪い」と強く叱ることができる。
 何かを始めたとき、同じことが他の子どもにできてある子にはできない。だが、焦ることなく、「ダメね」と言うことなく、「いいんだよ」と慰め、達成するまで待つことができる(^.^)。

 もうおわかりでしょう。
 その職業とは子ども園や保育所、幼稚園の先生。
 いわゆる保育士。保母さん、保父さん、幼稚園教諭の方々です。

 今号はこの件について語ります。狂短歌は以下。

 〇 保育園 先生方は統合の人格もって 幼児を導く

 趣旨としては「統合の人格をもって子どもたちと接することが子どもたちを四タイプ統合の人格者に育てている」と言いたい。

 が、前半を読み終えたとき、「どうしてこれがどんでん返しなんだ?」との感想を抱くと思います。
 いや、一読法実践者なら、そうつぶやいてほしい。小見出しは「四タイプ統合の保育」とある。狂短歌も内容も保育に関わる方々が統合の人格をもって子どもに接している――と語っているだけ。それがどうして「どんでん返し」なのか。

 どんでん返しとは何かがあってそれをひっくり返す(ひっくり返される)こと。
 保育士や幼稚園の先生について語った話題は「一体何に対してどんでん返しなの?」と感じるはず。

 そこで「ここから後半」のところで立ち止まって考えてみてください。
 しかし、この問いは相当の難しさです。筆者の私にしかわからないかも(^_^;)。
 それでもこの難問に挑戦しようと試みる方のためにヒントを一つ。

 ヒントは『続編』第6章「子捨て、親捨てのドラマ」(17号~22号)にあります。

 おヒマなら狂短歌を読み、気になったところを再読してみてください。
 実は前々号(67号)のある個所はこの件の伏線になっています。
 おそらく前々号を読んだとき、「ここは何かの伏線かも」とつぶやいた人は皆無でしょう。
 さらにおヒマな方は本文を読む前に67号の再読も勧めます。

 そして「ここが伏線かもしれない」と気づけば……今号の答えを見い出すことができるかもしれません(^.^)。 [本文は「である」体]


---------------
 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 保育園 先生方は統合の人格もって 幼児を導く

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***** 「続狂短歌人生論」 *****

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』69 どんでん返しの《感情》その2 】

 その2「四タイプ統合の保育」

 以前だったら、奥さんいない、子どもはいない、育てたこともない、私のような個人が保育園、幼稚園のことを実地に見ることはほぼ不可能でした。
 ところが、近年はケーブルテレビの復旧で地域の行事、小中高の入学式・卒業式、授業や運動会、文化祭などが放映されます。その中に子ども園も出てきます。私はときどき眺めて「ははあ」と現状を把握できるわけです。

 その前も(母の死後)実家の裏に幼稚園と保育所ができたので、帰省したときなどいやでも子どもたちや先生方の声が聞こえてきました。
 屋内で活動しているときは静かだけれど、外を走り回って遊んでいると、きゃあきゃあ、わいわい言う声がうるさいほど聞こえます。
 もっとも、10年ほど前二つは「子ども園」として統合され、場所も移転したので、子どもの声や叱る先生の声も聞こえなくなりました。

 こうした現実を見聞きして、保母さん、保父さんたちが「脅迫・批判、傍観・受容の四タイプ」を統合させて子どもに接している――ことがよくわかりました。

 前置きを再掲すると、
----------------------
 以前「子どもに愛エネルギーを与えよう」と書いた。子どもに対して「すごいじゃないか」と誉めること、「がんばれ」と励ますこと、「よくやったね」とねぎらうこと。これによって子どもはエネルギーがふつふつと湧いてくる。元気になる。
 さらに付け足せば、子ども同士のけんかに対して理由を聞き、「それはあなたが悪い」と強く叱ることができる。
 何かを始めたとき、同じことが他の子どもにできてある子にはできない。だが、焦ることなく、「ダメね」と言うことなく、「いいんだよ」と慰め、達成するまで待つことができる(^.^)。
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 これこそ統合の人格であり、そのドラマを演じている様子です。
 これが何をもたらすかと言うと、子どもたちがどうも「統合の人格者に育っているのではないか」と感じます。
 この詳細は後述としてまず次の点を語っておきます。

 途中を省略して結論を語ると「ゆえに子を持つ親御さんも四タイプ統合の人格をもって子どもを育ててほしい」と言いたいわけです。
 ところが、保母さん保父さんにはできても、実際の父親、母親が同じことを行うのはとても難しい。
 なのに、保育士にはできる。違いはどこにあるのか?

 もう一つ。あらゆる父親、母親が統合の人格者である可能性はとても低い。
 おそらく彼らは四タイプの一つ――脅迫者であったり、批判者であったりする。
 躾と称して子どもを叩いたり、怒鳴ったり、くどくど説教して「あれが悪い、これが悪い。すぐに直せ」と言う。できないと「ダメなやつだ」とつぶやく。さすがにその言葉は言わなくても、「どうして同じ失敗を何度も繰り返すんだ」と責める。改善を待つことができない。

 あるいは、子どもをぼんやり眺めて誉めるときに誉めず、悪いことをしても見過ごして傍観する。子どもが「見て見て聞いて」と言っても、「ふーん」と応じてスマホから目を離さない。
 さらに、受容タイプは何でも受け入れて「うちの子はいい子です。どんどん誉めてください」と言ってひたすら甘やかす。つまり、多くの親御さんは統合の人格者ではない。

 一方、子どもたちを統合の人格をもって育てている保育士さんだが、彼らは私生活において「統合の人格者ですか?」と問えばどうだろう。
 多くの人は次のように答えるのではないか。
「職場の子ども相手ならできる。でも、私生活においてはなかなか難しい」と。

 つまり、職場では統合の人格を演じて子どもと接することができても、家に帰れば(四タイプ統合を目指すとしても)それがなかなかできない。夫や妻に対して、《自分の》子どもに対して。
 むしろ自分の本来の姿であり、気質・性格だと思っている脅迫・批判、傍観・受容の中の1タイプ(ひとつだけ!)を私生活において発揮しているだろう(^.^)。

 これをまとめると、次のように言うことができる。

 子を持つ普通の父や母=脅迫・批判、傍観・受容の中の1タイプをもって我が子と接している。
 子どもを預かる保育士=四タイプ統合の人格をもって子どもたちと接している。

 これを逆にまとめると、
 子を持つ普通の父や母=子どもを統合の人格をもって育てられない。
 子どもを預かる保育士=我が子や伴侶に対して4タイプの中の1タイプをもって接している。

 先ほど保育士さんが「職場の子ども相手ならできる。でも、私生活においてはなかなか難しい」と答えるだろうと書いた。
 それは統合の人格が演技であること。実際の自分と我が子の間では(そうありたいと思っても)困難であることを示している。

 もっと簡単な言葉でまとめると、仕事だから素の自分や感情を抑えて演技できる。だが、帰宅すれば、我が子や伴侶に対して「統合の人格者」を演じることをやめる――とも言える。
 もっと言えば、子どもが小学校、中学校、高校と大きくなるにつれ、それぞれの先生方はもはや統合の人格者を演じることさえしない。素の自分、生の感情を抑えることなく、多くは脅迫・批判、傍観・受容の1タイプを演じる(!)。

 もちろん私の主張――最終結論は「四タイプ統合の人格者を目指しましょう」ということ。
 多くの人はそれは演技だ、自分の真の姿ではないと思う。だが、「四タイプの一つだって演技なんだ。おさない頃から身に着けてきた生き方なんだ」ということ。
 四タイプ統合の人格だって演じているうちにやがてそれが身につく。その生き方ができるようになる――と言いたいわけです。


 さて、ここから後半(^_^;)。[以下「ですます」体]

 上記の内容の「どこがどんでん返しなんだ。何に対するどんでん返し」なのか。

 以前(第17~19号)において黒田三郎の詩集『小さなユリと』を取り上げ、「子捨て、親捨てのドラマ」と題して子どもが親――特に母親から「捨てられる」ことについて語りました。

 あのとき読者各位は「子どもを赤ん坊のときから保育所にあずけることは子どもを捨てることになるのか」と感じた人がいるかもしれません。少なくとも「筆者はそう思っているんだな」とつぶやいたのではないでしょうか。

 この件は第20号でも読者の反感・反論を想定して次のように書いています。

 母親が入院することを「子捨て」とまとめるなんて「作者はちょっとおかしいんじゃないか」とか、「核家族と共稼ぎ――必然的に子どもを保育所・子ども園にあずける――を批判しているように感じたかもしれない」と。
 それに対して私は「だから共稼ぎをするな」とか「親と一緒に暮らしなさいと言いたいわけではありません」と強調しています。

 ただ、あれは二十数年前の執筆(ほぼそのまま)でした。
 続けて以下のようにも書いています。
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 そもそもどちら(共稼ぎ・核家族)も日本国政府の大方針です(隣の大国が一人っ子政策をとったのと同じように)。結果、大家族は滅亡寸前であり、子どものいる核家族世帯は全体の8割。世帯の7割は共稼ぎ世帯です。もはや昔に戻ることはできません。
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 この書き方って「現状追認」ですね(^.^)。
 今隣の大国は一人っ子政策を撤廃した。だが、もはや笛吹けど踊らずで、今後人口減が到来することは必至。彼らは「もっと早く気づくべきだった」と反省するかどうか。
 対して日本は一足先に人口減が現実となった。もしかしたら日本のリーダーたちは「共稼ぎと核家族化政策は失敗だったか」と反省する?(しないでしょうねえ(^.^)

 繰り返しになるけれど、「もはや昔に戻ることはできない」といった書き方は現状追認であり、いやいやながらの肯定、未練たらたらの肯定であって積極的肯定でない……ことは明らか(^_^;)。

 実は「子捨て、親捨てのドラマ」を公開したときから、私は「今の気持ちはこのころと同じではないんだが」とつぶやいていました。そして、「それは最後の方で書こう」とも。

 つまり、前著と下書き段階から二十数年経って私の気持ちは変わっていた。「子どもを人にあずけて育ててもらうことは子捨てではないかもしれない」に変わったということです。むしろ幼い頃から(親が働いている時間帯は)人に育ててもらうのが良いことかもしれない。積極的に肯定できるのではないかと。

「おいおい」と言いたくなりませんか。「なにそれ?!」って。

 これ以上ないほどの「どんでん返し」です(^_^;)。
 すなわち今号の「どんでん返し」とは以前言及した「子捨て、親捨て」の「子捨て」の部分をひっくり返しているのです。

 以前第12号「愛の獲得競争 その4」後記において以下のように語っています。
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後記:今節は20年前の拾遺なので「幼稚園」が出てきます。もちろん今だって幼稚園はあるけれど、共稼ぎの増加とともに、子育て施設の主流は「子ども園・保育所」に変わりました。早いと0歳時から保育士に育てられます。下の子が生まれると、二人とも保育所に通わせることが多いようです。
 結果、20年前と現在では親と幼子との間に変化があるように感じます。

 たとえば、5歳児の「チコちゃん」じゃないけれど、近年幼児の成長と自立ぶりが顕著です。使う言葉の量と質、親や大人への配慮・気遣い。自分の5歳前後を振り返れば「そんな言葉は使ったことがない、親を気遣ったことなどない」と驚くほどの事態が起こっています。
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 地方のケーブルテレビだけでなく、地上波にときどき登場する小学生にも驚かされます。
 何よりインタビューに対して堂々と答えることができる。私の子ども時代ではあり得なかった様子です。

 最近保育関連の入所に関して収入制限が撤廃されました。すなわち世帯が高収入であってもあずけていいってこと。
 また、子どもが二人になって在宅育児する場合は保育所にあずけることができなかった。しかし、在宅育児が可能でも一定時間あずけて構わないに変わりつつあります。
 つまり、これからは誰でも子どもを保育所・子ども園にあずけていい時代になるということです。これは(特に女性の)出産と育児の負担を軽減させるでしょう。[気づくのが遅すぎる?]

 小学校の放課後児童クラブなども強化されている。それは子どもを親以外の人が育てることのメリットが、親だけが育てるより大きいと見なされたゆえでしょう。むしろ核家族と離婚全盛(?)の世の中で親だけが子どもを育てるデメリットが――幼児虐待、無理心中など――拡大しているから、とも言えます。

 前著「狂短歌人生論」や下書き段階から二十数年を経て私の考えも変わった。
 ただ、それをいくつかの章で披露(告白)するわけにはいきませんでした。書けば「なんじゃそれ?」と思わせること間違いなく、じくじ[忸怩]たる思いを抱きながら公開していたのです。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:何がどんでん返しなのか。前置きに以下のように書いています。
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 ヒントは『続編』第6章「子捨て、親捨てのドラマ」(17号~22号)にあります。
 おヒマなら狂短歌を読み、気になったところを再読してみてください。
 実は前々号(67号)のある個所はこの件の伏線になっています。
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 前々号の伏線とは67号「前置き」にあった以下の部分。
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「よって、前号読了後62号を探しに行って再読する必要はない――ってことです(^_^)。
 この狂短歌を参考にして「筆者は過去の号を読んでほしいと書きながら、なぜリンクを張らなかったのか」その理由を考えれば良いのです。
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 再読する必要はない、見出しや狂短歌はその号全体のまとめだから、それを参考に考えればいい。

 何がどんでん返しか――この疑問に対して考えるヒントは「子捨て、親捨てのドラマ」とあります。
 この「子捨て」に気づけば、以前の号に戻る必要はなかったのです。

 前々号の内容がちょっとでも頭に残っていれば、「筆者が本号で語っていることは子捨てのドラマをひっくり返したのか」との答えに到達できたでしょう。

 えっ、「そりゃ無理だ」とつぶやきました?(^_^)

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2024.06.07

『続狂短歌人生論』68 どんでん返しの《感情》その1

 前号つぶやいてほしいところが二ヶ所ありました。
 一つは以下。
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 ところが、小中高の児童・生徒に対しては政府も多くの親も「学校の勉強(宿題、予習、復習、問題集、入試過去問)を家でもしなさい」と言って夜勉強させることに何の疑問も感じない。おやおや。
[ここで私は叫びたい。「道徳を教えるより前に《家に帰ったら学校の勉強はしなくていいよ》という制度にしなさい!」と。]
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 この後半「制度にしなさい」と書いています。文の流れからは「子どもに《帰宅後学校の勉強はしなくていいよ》と言いたい」とか「親はそう言うべきだと思う」となっていい。なぜ「制度にしなさい」なのか。「作者なぜ?」をつぶやいきたいところです。

 ぼーっと通読していると、「この人は帰宅後自由論者か」と思いかねない。が、私は親や大人に対して「子どもに夜家で勉強させることはやめましょう」と提言しているわけではありません。制度を変えるべきだ、と主張しているのです。

 この件について考える際、まずこの理屈に反論できる人はいないと思います。
 大人の労働は(先人たちの努力と闘争によって)一日8時間と決められた。帰宅しても同じ仕事をしなくていい世の中になった。子どもたちの勉強を「それがお前の仕事だ」と言うなら、夜勉強しなくていい――これは当然の(論理的)帰結である。

 しかも、それを実地にやっている国(たとえばフランス)があり、中高一貫校や大学付属校は入試のための勉強をやらなくていい。普通の中学校でも校長や学校の考えで宿題を廃止したところもある。
 ……が、読者をはじめとして多くの大人はこの提言と事実をすんなり受け入れない。「でも」と言ってあることを主張する。

 理屈の反対は感情だとこれまで書いてきました。もう一つ、理屈を《理想》と言い換えると、反対には「現実」があります。「でも」と言って反論するのは「日本の現実は」と続く言葉です。

 日本の多くの小中高は「夜家で勉強しないと授業についていけない。特に入試に対応できない」という現実があります。帰宅後自由にやりたいことだけやっていいのに、入試のためには塾に通う。勉強は入試合格のための苦行になっているわけです。 「確かにそうだ。だが、それを乗り越えなければ、希望校への合格はない」と思う。だから、多くの大人は夜家で子どもに「勉強しろ」と言う……。

 かくして(筆者の私としては)「制度を変えなさい」と言うしかありません。
 私には子どもも孫もいないけれど、もしいれば、この理屈(理想)を語った後で、 「残念だが、今の教育制度のままでは夜勉強しなければならないね」と言うでしょう(^_^;)。

 高校入試をなくすだけで、入試のための勉強がなくなる。学校の先生はずっと「カリキュラムの内容が多すぎる」と訴えている。授業に一読法を導入するだけで予習は必要ない。復習はした方がよいけれど、せいぜい30分くらい。

 ――このようなことを『一読法を学べ』提言編45~57「新しい教育システムの構築」で語っています。

 もう一つつぶやいてほしかったところがあります。
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 しかし、自分が生きるためには人を犠牲にして構わないと考える、あの『羅生門』の下人のような犯罪予備軍、あるいは、ある《感情》に負けて人を殺したり傷つける予備軍なら、10人に一人くらいはいるかもしれない。[1億人のうち何人かは計算してください]
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 ここ「ある《感情》」のところで、「おやっ、ある感情って何だ?」とつぶやいたか。そして、考えたか。一読法ならつぶやきます。

 この感情を穴埋め問題にするなら、「○されたいという感情であり、○されないとわかって沸き起こる恨みとか憎しみの感情」です。〇は漢字一文字。
 これもまた『続編』にて一貫して語ってきました。ストーカーって「以前は〇してくれたじゃないか。どうしてもう〇してくれないんだ」と心の中で叫んでいる人です。

 今号よりこのような「どんでん返しの感情」について語ります。
 (本文は「である」体)

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 子どもには愛されないと思わせる ワクチン打って抵抗力を

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***** 「続狂短歌人生論」 *****

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【『続狂短歌人生論』68 どんでん返しの《感情》その1 】

 その1「愛されないというワクチン」

 以前「子どもに愛エネルギーを与えよう」と書いた。子どもに対して「すごいじゃないか」と誉めること、「がんばれ」と励ますこと、「よくやったね」とねぎらうこと。これによって子どもはエネルギーがふつふつと湧いてくる。元気になる。
 そもそも大人だって周囲の人から誉められ、認められ、尊敬されれば、「よーしがんばるぞお」とエネルギーが湧くのを覚えるはず。

 これをひっくり返すとどうなるか。
 子どもに愛エネルギーを与えないことも必要――となる。

 愛されたい、認められたい、誉められたいと思う。
 だが、認められないことがある。誉められないこともある。そして、愛されないことは大いにある。それが世の中。それが社会であり、大人の世界なら、子どもにはワクチンが必要だ。

 子どもに抵抗力・免疫力をつけるためのワクチン。それが意識的に愛エネルギーを与えないこと。
 子どもが「見て見て」とせがむ。「誉めて誉めて」とねだる。
 そのとき子どもは親の都合や状態を見て遠慮しようなどと思わない(最初は)。
 その都度子どもを見てあげて、誉めてあげて、愛しているよと言うのは正直疲れる。
 だから子どもに言っていい。「今日は疲れているから相手ができない」と。
 あるいは、「今日はやることがあるから一人で遊びなさい」とか「今夜は本を読んでね」と言っていい(と私は思う)。

 これは一人っ子、もしくは次の子が産まれるまでの話。子どもが二人以上になると、子どもは彼らだけで遊んでくれる。その間親は自分の家事や自由な時間を持てる。
 もっとも二人以上になると、今度は子ども同士のけんかが発生するので、その仲裁に時間をとられる(^.^)。

 もう一つ。愛は与えすぎると空気になる。空気がないと我々は生きていけない。
 だが、普段の生活で空気のありがたみを感じることはまずない。

 最近一部の親御さんは小学校の先生に「うちの子は誉められて伸びるタイプだから、毎日何か誉めてください」と言う(人がいる)そうだ。

 おそらく受容者タイプの母親か、子どもが一人の親御さんだろう。
 彼女は毎日「いい子、いい子」と誉めているのだろう。だが、。そもそも人は毎日毎日誉められるような生き方をしていない。

 そのような無茶な要望を言われたら、先生は次のように反問すればいい。
「それじゃあお聞きしたいのですが、あなたに子どもが20人いたら、あなたは一人一人を毎日誉めることができますか」と。

 20人とはアメリカの話で、日本ではかつて45人、次いで40人。今になって(これだけ子どもが減って)も35人である。
 文部官僚・政治家は教員の働き方改革云々を議論する前に、まず1クラスの子どもを20人にするべきだ。
 そうすれば、先生方はもっと子どもの現状を見ることができるだろうし、煩瑣な事務手続きに割かれる時間も減らせると思う。

 閑話休題。
 だが、「今日は疲れている」とか「仕事が忙しい」などと言って子どもの相手をすることを毎度毎度拒否していればどうだろう。子どもは「自分の親はなんて冷たいんだ」と思って親の愛を疑う。

 だから、最低でも2回に1回は相手をするべきだし、そのときは真正面から子どもと付き合うべきだ。これが大切。
 この「真剣に子どもの相手をする」こと。これがまた多くの親――特に傍観者タイプ――が苦手としている。子どもに対して本気にならねばならない。

 たとえば、うわの空で新聞読んだり、スマホの画面を見ながら「ふーん」と言って子どもが語る言葉を聞く。これでは我が子に愛エネルギーを与える態度と言えない。
 こんなことでは子どもの心のコップに愛という水はたまらない。そして、子どもは「この親は自分に関心がない」と見抜く。子どもは「見て見て・誉めて」という気持ちを心の奥に閉じ込め、人の愛を疑う傍観者となる。おやおや。

 というわけで、冒頭の狂短歌が生まれた。

 〇 子どもには愛されないと思わせる ワクチン打って抵抗力を

 ここで終わらせようと思ったけれど、以下は「屋上屋」となるかもしれない解説。
 まさか前置きの「〇されないという感情」の穴埋めがわからなかった人はいないと思うけれど、「これで正解かなあ」と自信を持てない人のために(^.^)。

 なぜ子供に「愛されないこともある」というワクチンが必要なのか。
 理由は我々が脅迫者のストーカー、パワハラ、セクハラの――だいたい男どもと交流せざるを得ないからだ。
 前置きのストーカのところ。〇にはもちろん「愛」が入る。

 ある《感情》に負けて人を殺したり傷つける予備軍なら、10人に一人くらいはいるかもしれない。その感情とは「愛されたいという感情であり、愛されないとわかって沸き起こる恨みとか憎しみの感情」である。
 ストーカーとは「以前は愛してくれたじゃないか。どうしてもう愛してくれないんだ」と心の中で叫んでいる人のこと。

 もう愛されない、愛してくれないことを受け入れられない人がストーカーになる。尊敬されていないと感じた人がパワハラをふるう。もっと愛してほしくて、親しさを表わそうとしてセクハラを働く。

 残念ながらこの手の「愛されていない、尊敬されていない」と薄々感じる人たちはこの世に存在する。我々は彼らと否応なく付き合っていかねばならない。
 幼い頃に親や大人から愛されないと感じるワクチンを打ってもらうことも必要ではないだろうか。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:今号本文が「四タイプ統合の人格」を説明していることに気づきましたか。
 第62号の狂短歌――。

 ○ 統合とは 強く厳しく突き放し 甘えを許し受け入れること

 親(大人)が子どもに対して愛エネルギーを与えることが「甘えを許し受け入れること」なら、時には敢えて愛エネルギーを与えない。これが「強く厳しく突き放し」にあたります。
 ちょっとオーバーな比喩で言うと、当然あるべき空気がなくあっぷあっぷしている。空気のありがたみを強く感じるということもできます。そして、これが「演技である」こともおわかりでしょう。

 そこで次号へのクイズ的質問。
 世の中で子どもに対して最も「統合の人格」を演技している人たちがいます。
 その職業とは?

 一読法で読んでいれば、すぐにわかったはず。
 「見当もつかない」人はもう一度読み直してください。

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