« October 2024 | Main | December 2024 »

2024.11.29

『空海マオの青春』論文編 後半 第10号

 その4「『空海論』前半のまとめ(二)-2」

 前半のまとめ二回目。これからどうやって謎を解いたか、具体的に語っていきます。
 まずは『聾瞽指帰』の蛭牙公子と登場人物に施された戯画化について。

 余談ながら謎解きと言えば、探偵や刑事の推理小説・ドラマが一般的です。
 謎解きはだいたいラストに明かされる。その説明を聞くと、ときに「なーんだ」と思うことがあります。
 今回空海に対する私の謎解きに関しても読者はそうつぶやくのではないか。
 しかし、その前にいかに論理的に、段取りをもって推理するか。それが難しいし、大切なことと(私は)思います。

 たとえば、最近視聴している中国ドラマ『成化十四年~都に咲く秘密』は中国明朝を舞台とする時代劇なのに推理ドラマです。シャーロックホームズのような名探偵コンビが登場して様々な事件を解決します。

 その中に国境近くで起こった馬どろぼうの話がありました。
 北方から数百頭の馬を仕入れて運んできた7、8人の運搬人が宵闇の中、指定された牧場に到着。牧柵の中に馬を入れ、やっと仕事が終わったと、その夜は酒盛りをしてテントで寝た。すると、翌朝馬が1頭残らず消えていた。しかも、地面には馬糞一つ落ちていない。どろぼうは一体どうやって盗んだのか――未視聴の方はちょっと推理してみてください(^_^)。

 なお、いつもの「ぼくの悪い癖」(杉下右京)で短くまとめようと思ったのに、書き始めたらどんどん長くなっています。(二)前期4つの謎の謎解きが最終的にいくつになるか見当がつかない(今のところは5節として年末には終えたい)ので、当初の公開日程を白紙に戻します。
「おいおい」とあきれることなく、お付き合いくだされば幸いです(^_^;)。

 プレ「後半」その4 空海論 前半のまとめ
(一) 空海の前半生、前期(生誕~23歳) 11月20日
(二) 前期4つの謎について(その1)  11月27日
   前期4つの謎について(その2)  12月04日
   前期4つの謎について(その3)  12月11日
   前期4つの謎について(その4)  12月18日
   前期4つの謎について(その5)  12月25日

------------------
 本号の難読漢字
・唐泛(とうはん)・隋州(ずいしゅう)・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・『三教指帰』(さんごうしいき)・三教(単独のときは「さんきょう」、儒教・道教・仏教)
 以下1~5は『三教指帰』の登場人物
1 兎角(とかく)公 2 蛭牙公子(しつがこうし) 3 亀毛(きもう)先生 4 虚亡隠士(きょむいんし・亀毛先生と韻を踏めば「きょもういんじ」) 5 仮名乞児(かめいこつじ)  3は儒教、4は道教、5は仏教を語る。
・阿刀(あと)の大足(おおたり、空海の母方の叔父)・狭間(検索を)・筐底(きょうてい、箱の底)

------------------
***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第9号 プレ「後半」その4(二)「前期4つの謎について その2」


 前置きの「馬どろぼう」の話、推理して見ましたか。
 主人公の名探偵コンビとは(探偵に当たる)官吏3年目の若者「唐泛(とうはん)」と、秘密警察の武闘派「隋州(ずいしゅう)」。唐泛は次のように推理します。

 まず数百頭の馬を入れた牧柵の中に、一晩とは言え馬糞が一つも落ちていないのはおかしい。よって、そこから馬を移動させたのではなく、最初から入れられなかったのではないか。運搬人は酒盛りをしてべろんべろんに酔っぱらったと言う。酒の中に眠り薬が入っていた可能性がある。ならば、誰か一人はどろぼうの配下だ。

 草原の別のところに全く同じ牧柵とテントを設営する。そこに馬を持ち込ませ、深夜眠り込んだ運搬人を(本来の)牧場のテントに運んだ――と推理しました。翌朝目覚めれば当然馬はいない。
 なるほどと思わせる名推理であり、その後巧みな方法で広大な草原から馬が保管されたところを見つけ出し、見事に事件を解決します。

 この謎解きを聞いて私は正直「なーんだ」と感じました。しかし、推理はできなかった。
 理由はどろぼうが「その牧場から盗んだに違いない」と思ったこと。そして「なぜ馬糞が一つも落ちていないのか」その理由を想像できなかったからです。

 が、馬糞が一つも残っていない→そこに馬は連れて来られなかった――と現実を冷静に把握して推理すれば、この謎解きはさほど難しくなかったと言えます。
 いわば、先入観をもって決めつけないこと、事実をしっかり見つめて論理的な疑問を提示し、妥当な説明(答え)を考える。そうすれば、不可解な謎と思われることも存外簡単に解けるようです。

 そこで前節で取り上げた『聾瞽指帰』(改題『三教指帰』)における以下二つの謎。

A 兎角公が矯正しようとする自堕落にして放蕩者の甥「蛭牙公子」のモデルは?
B 三教を解説する登場人物の戯画化はなぜなされたのか。

 既研究の答えはAに関して「モデルなし」であり、Bの方は(司馬遼太郎も含めて)言及がありません。三教論説者が語る言葉に目が向いて人物の外見、様子は「別に大したことではない」と考えたからでしょう。

 そこで私が考えた謎解きは以下の通りです。

A 蛭牙公子とは儒教、道教、仏教を遍歴した若き空海マオである。
B 戯画化が施されたわけは作品が私小説として――作者周辺の事実として読まれることを恐れたから。

 この証明は論文編前半「蛭牙公子=空海マオ」論〈その1~その6〉(第8~13節)をご覧ください。
 特に『聾瞽指帰』原典には「蛭牙公子」を「甥」ではなく「姪」とした箇所があって「弘法も筆の誤り(^.^)」かと思わせるなど、論文最大のヤマです(^.^)。

 それぞれ解説しておくと、1と2は重なっています。登場人物の戯画化を読み取ったからこそ、「モデル不明の蛭牙公子にも戯画化が施されているのではないか」と推理したのです。

 『聾瞽指帰』の登場人物は以下の通り。

 1.蛭牙公子[若者]……ギャンブル凶で自己チュー、女狂いの自堕落な若者。兎角公は母方のおじ。
 2.兎 角 公[おじ]……甥の蛭牙公子をまっとうな人間にしようと教えを求める人。
 3.亀毛先生[儒教]……兎角公と蛭牙公子に、忠孝と学問に励めば立身出世ができると儒教を説く。
 4.虚亡隠士[道教]……儒教の問題点を指摘して無為自然、仙人を目指す道教こそ優れた教えと説く。
 5.仮名乞児[仏教]……儒教も道教も浅薄な教えであり、無常観・八正道の仏教こそ苦しむ人を救う最高最上の教えであると説く。

 これら人物のモデルとして「亀毛先生」は空海マオの叔父阿刀の大足、「仮名乞児」は空海自身と誰でもすぐにわかる(おそらく当時も)。
 が、蛭牙公子、兎角公、虚亡隠士のモデルは不明。それが既研究の結論でした。

 作品を丁寧に読めば、三教を語る人物に戯画化が施されていることに気がつく。
 ならば、蛭牙公子にも戯画化があるのではないか――私はそう推理して蛭牙公子について書かれた次の説明から戯画化を除いてみました。極端なところを除けば、まーごく普通の若者となります。

----------------
 ここに一人の若者がいる。「その心は狼のようにねじけ、人から教えられても従わない。心が凶暴で、礼儀など何とも思わない。賭博を仕事にし、狩猟に熱中し、やくざでごろつきのならずもので、思いあがっている。仏教でいう因果の道理を信ぜず、業の報いを認めない。深酒を飲み、たらふく食べ、女色に耽り、いつまでも寝室にこもっている。親戚に病人があっても、心配などしないし、よその人に対応して敬う気持ちもない。父兄に狎れて侮り、徳のある老人を小馬鹿にする」ような人間である。
----------------

 現代ならこのような鼻つまみ者が親戚、知人の大人から説教されてすぐに改心するなんてめったにないでしょう。
 しかし、意外にも蛭牙公子は儒教・亀毛先生の言葉を聞くと、「素晴らしい論説です。これからは心を入れかえ、一心に勉強したいと思います」と言い、兎角公も賛辞を惜しまず「私も生涯の糧として励みたいと思います」と決意を述べます。
 二人は儒教以下三教の教えを聞くのは初めてと構想されています。

 次に道教・虚亡隠士の言葉を聞くと「以後は道教を信奉して」、最後に仏教・仮名乞児の解説によって「仏教は最高の教えです。今後は仏教に衣替えしたい」と賛嘆平伏します。蛭牙公子は儒道仏三段階の教えに対して改心と決意を語るのです。

 では空海マオはどうか。
 彼は幼いころから儒教を学び、官僚を目指して大学寮に入学する。しかし、挫折して仏教に転進。ところが、座学とも言える南都仏教・仏教界に失望して山岳修験道修行に走る。その世界には仙人になることを夢見て神仙思想を語る道教信者がいる。空海マオも一度は道教に惹かれた。が、道教にも失望して仏教に回帰する。
 つまり、空海マオは[儒教→道教→仏教]を揺れ動き、最終的に仏教を選びます。

 一方、『聾瞽指帰』蛭牙公子の戯画化を取り払えば……、
 彼は儒教に傾倒し、道教も素晴らしいと思い、最後は仏教に感嘆して「以後は仏教を学び、心のよりどころにしたい」と決意を語る。

 これをまとめると、
 空海マオ……儒教・道教・仏教の遍歴を経て仏教に至る。
 蛭牙公子……儒教・道教・仏教の各説に感嘆して最後は「仏教こそ」と思う。

 両者を比較すれば「蛭牙公子って空海マオその人じゃないか」とわかります。

 どうです?
 聞けば馬どろぼうの推理のように「なーんだ」と思いませんか。

 しかし、この単純明快な真実にたどり着く研究者はいなかったようです。かの司馬遼太郎でさえ。
 邪魔をしたのは先入観でしょう。「名僧空海が蛭牙公子のような自堕落人間のはずがない」とか、「聾瞽指帰は真面目な思想書であり論文である」と評価した。ゆえに、登場人物の戯画化は無視されたわけです。

 逆に言うと、三教を語る登場人物の戯画化に気づかなければ、「蛭牙公子にも戯画化があるのでは」と思わないでしょう。
 要するに、作品を丁寧に読み、その都度感じた疑問の[?]を書き込む。一読法読書術だから、私は戯画化に気づきました。

 では、なぜ戯画化が施されたのか。

 B 戯画化が施されたわけは作品が私小説として――作者周辺の事実として読まれることを恐れたから。

 この推理は私でなければ出てこなかったかもしれません。
 私は志賀直哉の『暗夜行路』を大学の卒論として取り上げ、以後も研究を続けて三十代後半に『わが青春の暗夜行路』と題して小冊子にまとめました。
 その経験があったから思いついた推理だと思います。これも詳細は第8から13に詳しいので、ここは結論だけ書きます。

 志賀直哉は自身の体験、事実を書く私小説作家です。彼は三十代の頃「祖父の子」として生まれた主人公「時任健作」を書こうと思います。
 それは直哉(志賀家)における事実ではない。が、どうしても書きたい。そのわけは父との対立(最後は絶縁までする)のあまり、「自分は父の子ではないかもしれない」と疑問を抱いたこと、一方、祖父への尊敬の念から「祖父の子であったら良かったのに」と思ったことが根底にあります。
 言わば『暗夜行路』とは私小説作家が客観小説を書こうとした試みなのです。

 この構想を作品化した場合、最大の問題は作品が私小説として読まれることです。「志賀家ではそんなことがあったんだ」と大スキャンダルになって志賀家に多大の迷惑がかかります。

 架空の構想に基づく小説なんだから作品は当然客観小説として描かれるはず。
 ところが、直哉は私小説作家である。彼は自分の体験を使わないと実感を込めて描くことができない。
 そこで父との対立を描いた私小説を次から次に発表して「父子対立の原因に出生の秘密などない」ことを印象付ける。最後に涙また涙の和解がなったことを『和解』に書いて公開する。

 これでようやく祖父の子謙作という客観小説を書くことができる。そして『暗夜行路』冒頭には芸者・女給遊びをして友人と気まずい関係になった過去の事実を使った。
 その際主人公謙作を「初めて女遊びをする童貞」としたのも「私小説ではない、客観小説だぞ」との気持ちからでした。

 ところが、連載が始まると、直哉の友人である「白樺派」の同人たちから「正直に書いていないぞ」と批評されます。彼らは『暗夜行路』を私小説と受け取ったのです。直哉は怒りの言葉を発しています。
 『暗夜行路』前編は祖父の子に苦しめられ、後編は「妻の過失」に苦しむ。こちらも直哉夫妻の事実ではないけれど、書きづらかったことは間違いなく、何度も中断して完成まで26年かかっています。

 これと同じことが『聾瞽指帰』公開によって起こります。
 マオは儒教から道教、そして仏教と三教の狭間を揺れ動き、最終的に仏教に進んだ。それぞれの良い点を書き、物足りない点は批判する。
 仮名乞児はマオ自身だからいいとして儒教を語る亀毛先生のモデルに関して身近の読者はすぐ「あの儒学者大足さんだな」と気づく。

 マオは儒教、儒者を批判したい。が、それはお世話になった大足叔父さんへの悪口でしかない。幼いころから長幼の序を叩きこまれたマオにとってそれは耐えがたいことでしょう。

 そこで、儒者亀毛先生に戯画化を施した。下の者には堂々と自信たっぷりに人生や生き方を語りながら、上の者が現れると平身低頭する。そのような俗物人間に造形すれば、大足を知る知人友人は「この儒者は大足さんではないな」と思ってもらえる。それを期待しての戯画化だったのです。

 こうなると儒者だけでなく、道教虚亡隠士も仏教仮名乞児にも戯画化を施す。自身を仮託する蛭牙公子にも。「モデルはいない」との思いは人物の名にはっきり示されています。亀に毛はなく、虚亡とは幽霊のこと。乞児に名はなく(仮名)、ヒル[蛭]に牙はない。

 かと言って蛭牙公子が空海マオであることは気づいてもらわねばならない。
 そこで兎角公はおじ、蛭牙公子は甥とした。それによって母方の叔父阿刀の大足、甥の空海マオの関係とわかる。蛭牙公子が兎角公の息子でも知人でもなく、「母方の甥ですよ」と強調されたのはそのせいです。
 すなわち、空海マオは阿刀の大足を兎角公と亀毛先生、自身を蛭牙公子と仮名乞児に投影したのです。

 では、戯画化を施せば直ちに作品を公開できるか。
 今度は新たな問題が発生する(とマオは考えたはず)。それは大足叔父から「こんな儒学者はいない」とか「お前は私をこんな低俗人間と思っていたのか」と一喝されることです。さー困った(^.^)。

 素直に書いても戯画化して描いても、モデルにされた人は気持ちのいいものではありません。
 そこで『聾瞽指帰』(巻物三巻)は完成したけれど、公開されることなく筐底深く仕舞われました。

 この問題が解決されるには大足叔父に作品を読んでもらうしかありません。 「なんだ、これは」とあきれつつ、「確かにこんな儒者はいるかもしれん」と笑って許してくれるか。大足の許可を得て作品はようやく公開できるのです。

 ただ、大足叔父に読んでもらう前に、空海マオにはもっと大きな問題がありました。
 それは「本当に仏教に進むのか」というテーマです。

 理屈としては「仏教こそ最高最上の教えであり、自分は仏教に進むしかない」と思う。だが、感情としては「まだその気持ちになれない。自信をもって心からこの道に進むと断言できない」悩みを抱えていました。

 これは司馬遼太郎が読み取った「強くて傲慢な天才空海」のイメージを突き崩す「三教の狭間を揺れ動く悩めるマオ」の姿です。
 私はどこからこの結論を引き出したか。それが『聾瞽指帰』仏教編に紛れ込んだ「儒教再解説」の部分です。

==================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:「健康保険証は12月2日をもって廃止される。早めにマイナンバーカードを取得して保険証とヒモづけを。ただし、保険証代わりの『資格確認書』が届くのでそれを使えます」と言われています。すると、マイナンバーカードを持たない人から「資格確認書が届かないぞ!」と怒りの問い合わせが関係機関に殺到しているそうです。

 これ肝心なことを言っていない。「資格確認書」が届くのは現行の健康保険証の期限が切れる直前(ほとんど来年のはず)。それまでは病院で現行の保険証を提出すれば良いのです。
 実は私も問い合わせようと思ったМカードを持たない当人(^_^;)。
 最近やっとテレビで解説を聞きました。同様の方がいるかもと思ってお知らせします。

| | Comments (0)

2024.11.26

『空海マオの青春』論文編 後半 第9号

 その4「『空海論』前半のまとめ(二)」

 前半のまとめ二回目。空海の前期4つの謎について語ります。
 今節は「空海を書こう」と思ったとき、何をどのように調べていったか。
 過去の研究書・空海偉人伝、そして歴史書などを読み漁り、一読法で読みつつ、疑問や謎を書き留めた。その流れでもあります。
 読者が十代の高校生や国文科の大学生なら、今節と次節はじっくり読んで参考にしてほしいところです。そして、読みの力がとてつもなく増大する(^_^)「一読法」をぜひマスターしてください。
 →『 一読法を学べ――学校では国語の力がつかない 』目次

 プレ「後半」その4 空海論 前半のまとめ
(一) 空海の前半生、前期(生誕~23歳) 11月20日
(二) 前期4つの謎について(その1)   11月27日
   前期4つの謎について(その2)   12月04日
(三) 空海の前半生、後期(24歳~32歳)12月11日
(四) 後期3つの謎について       12月18日
(五) 帰国後の空海           12月25日


------------------
 本号の難読漢字
・聾瞽指帰(ろうこしいき)・三教指帰(さんごうしいき)・三教(単独のときは「さんきょう」、儒教・道教・仏教)・勤操(ごんぞう、大安寺の僧、空海の師)・経蔵(きょうぞう)・便宜(検索を)
 以下1~5は『三教指帰』の登場人物
1 兎角(とかく)公 2 蛭牙公子(しつがこうし) 3 亀毛(きもう)先生 4 虚亡隠士(きょむいんし・亀毛先生と韻を踏めば「きょもういんじ」) 5 仮名乞児(かめいこつじ)  3は儒教、4は道教、5は仏教を語る。
・乱杭歯(らんくいば)・阿刀(あと)の大足(おおたり、空海の母方の叔父)・業(ごう)の報(むく)い・狎(な)れて侮(あなど)る[意味不明なら検索を]・六国史(りっこくし、『日本書紀』から始まる六冊の国史)・『続日本紀(しょくにほんぎ)』

------------------
***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第9号 プレ「後半」その4(二)「前期4つの謎について その1」


 空海論前半における4つの謎を再掲すると以下の通り。

1 空海マオが幼い頃から仏教に進むと思っていたなら、なぜ官僚養成の大学
  寮に入ったのか。大学寮の生活はどのようなもので、なぜ退学したのか。
2 奈良仏教に入門して何を考え、何を感じたか。なぜ山岳修行に走ったのか。
3 「聾瞽指帰」は空海にとってどのような位置にあるのか。なぜ儒教・道教・
  仏教の三教を比較する必要があったのか。
4 二度の百万遍修行によって何をつかんだのか。改訂「三教指帰」と「聾瞽
  指帰」はどのような関係にあるのか。

 これらはたとえば司馬遼太郎『空海の風景』や他の研究書・偉人伝を読んで、「この疑問には答えていない」と感じた謎であり疑問です。

 なぜ答えていないかと言えば、以前も書いたように空海自身の打ち明け話がない(チョー少ない)、傍証となるはずの同時代著名人の言及も(ほとんど)ない。
 ならば、推理するしかないけれど、推理の根拠を明かさないまま語ることもできない。

 中でも違和感を覚えたのは帰国後空海が示した人となり(たとえば、鎮護国家仏教を謳い、権力中枢と親密であったこと)を「若い頃もそうだったであろう」と、そのまま適用したことです。これは司馬遼太郎が最もはなはだしい。

 たとえば、司馬氏は若いころの空海を評して以下のように書きます。
---------------
「空海はこの中間階級出身者にふさわしい山っ気と覇気を生涯持続した」とか、大学寮入学頃のマオを評して「清らかな貴公子という印象からおよそ遠く、それどころか全体に脂っ気がねばっこく、異常な精気を感じさせる若者」と描く。
 さらに、山野を歩く乞食僧空海は「いやみなほどに野心のみなぎった青年」であり、私度僧を続けることを「かれは境涯上苦節の人ではなく、まわりから必要以上なほどによく保護されていたのではないかと思える」と見る。(「 」内は『空海の風景』より)
---------------

 空海マオが四国讃岐の郡司の息子であり、中間階級出身であったことに間違いはありません。
 だが、「山っ気と覇気を生涯持続した」となると、根拠を問いたくなります。
 もちろん司馬氏に根拠はある。それは後年の空海が「そうだから」と言いたいのでしょう。

 また、空海は大安寺に入門した後なかなか得度せず、私度僧のままでした(これも謎の一つ)。
 司馬氏は空海が師匠勤操(ごんぞう)の「私的給仕人ではなかったか」と推理します。そして、空海はその立場によって「諸官寺の経蔵をひらいてもらう」便宜を得た。つまり、仏典を自由にたくさん読むことができた。

 司馬氏はそれを評して「後年の空海の、ときに目をみはりたくなるほどのずるさが、このあたりにすでに出ている」と書きます。
 後年の空海がずるかったかどうか――は置くとして「若い頃もそうだっただろう」と推理するわけです。

 もちろん司馬氏も二十代前半の空海の苦悩を描出しています。破戒僧であったかもしれないと。
 それでも司馬氏は「空海は強い人間」というイメージを終始持ち続けている。同氏は空海マオを《天才空海、強い人間空海》としてとらえている。『空海の風景』の中にめめしい涙を流す空海はいません。

 私はそこに疑問を抱きました。はて、いくら天才的人間だからと言って悩みも迷いも持たない人間などいるだろうか、かつていただろうかと。

 空海を書きたいと思ったとき、最初にかなり深く読み込んだのが『空海の風景』でした。全体的には名著だと思います。が、空海に対する――殊に若い頃の基本的認識、解釈に関しては上記のように大いに疑問がある。むしろ誤解していると思います。

 同書はもちろん一読法で読みました。文庫本の余白に[!・?・◎・△]などをつけ、文中に傍線を引き、二度目は印をつけたところに注意しながら、自分の違和感を書き込み、長くなりそうなときはノートに抜き書きして自分の感想・意見を認める。

 そして、同時並行的に読んだのが空海23歳の書『三教指帰』。空海の若い頃を知る書としてこれ以上ない一次資料だから。もちろんこれも一読法読書(^_^)。

 このときすでに「あれっ」と思うおかしな表現を感じていました。
 それは儒教・道教・仏教を「これこそ最高」と勧める三人の人物が内容は素晴らしいことを語っているのに、登場する様子がどうにもへんてこりんなのです。

 同書は「三教を比較して仏教の優位を主張する思想書」と言われながら、戯曲的構成を持っています。
 まずは「兎角公」が自堕落に生きる甥の「蛭牙公子」を矯正すべく、儒者「亀毛先生」宅を訪ねるところから劇は始まります。そこには道教道士の「虚亡隠士」も同席していた。兎角公は亀毛先生に「甥を改心させるにふさわしい教えをお聞きしたい」と申し入れる。

 亀毛先生は「私にそのような資格はありません」と謙遜しつつ、「仁義忠孝は人の道であり、立身出世こそ現世の幸福をもたらす」と儒教を解説する。兎角公と蛭牙公子は聞いて感動を吐露し、以後は儒教を信奉したいと言う。

 すると、そばで聞いていた虚亡隠士が「儒教などくだらぬ教えだ」と、儒教の問題点を指摘、無為自然、仙人を目指す道教こそ儒教を凌駕する。「仙人になればなんでもできるのだ」と神仙思想を力説する。兎角公と蛭牙公子、亀毛先生も感嘆する。

 最後に乞食僧「仮名乞児」が登場して「儒教・道教は現世に限った浅薄な教えです。仏教は三世に渡る教えであり、二教の上をいく最高最上の教えです」と熱く語る。
 兎角公と蛭牙公子はひれ伏し、最後は「仏教を信奉したい」として終わる。
 面白いのは亀毛先生も虚亡隠士も「これからは仏教に宗旨替えしたい」というところです。

 三者の語る内容は各自素晴らしいけれど、その人となりは奇妙です。
 たとえば、儒者「亀毛先生」は言葉は立派なのに下に居丈高、上に卑屈な「おいおい」と言いたくなる人間として。かたや道教道士「虚亡隠士」は人を人とも思わない傲岸不遜な喋り方をする人間として描かれる。
 最後に登場して仏教を語る「仮名乞児」は身なり貧しくやせ細った乱杭歯の乞食坊主。これを一言で言えば三者三様の「戯画化」が施されているのです。
 私は戯画化に気づいたとき「なぜ?」と思いました。

 また、兎角公が性根を叩き直したい若者として登場する蛭牙公子(母方の甥)は次のように描かれます。
----------------
 ここに一人の若者がいる。「その心は狼のようにねじけ、人から教えられても従わない。心が凶暴で、礼儀など何とも思わない。賭博を仕事にし、狩猟に熱中し、やくざでごろつきのならずもので、思いあがっている。仏教でいう因果の道理を信ぜず、業の報いを認めない。深酒を飲み、たらふく食べ、女色に耽り、いつまでも寝室にこもっている。親戚に病人があっても、心配などしないし、よその人に対応して敬う気持ちもない。父兄に狎れて侮り、徳のある老人を小馬鹿にする」ような人間である。
----------------

 これまでの空海研究では「蛭牙公子のモデルは不明」とされていました。
 儒者の亀毛先生は空海マオの母方の叔父「阿刀の大足」がモデル。仏教僧はもちろん空海自身。だが、他の人物はモデル不詳と。
 私がここで「?」を記したのは「蛭牙公子はなぜ兎角公の息子ではなく甥なのか」でした。それもわざわざ「母方の甥」とされていました。

 そして、『三教指帰』を丹念に読んだとき、ある部分に傍線を引きました。
 同書は論文であり「儒道仏の三教を比較して仏教の優位を主張した思想書」として評価されています。
 ところが、仏教編の中に奇妙な箇所があります。仏教僧仮名乞児の前に親戚が現れて「乞食坊主などやっていないで忠孝の儒教に帰れ」と叱責するのです。二人は儒教と仏教について論争します。

 これはさーっと読む(^.^)と、仏教編の中に儒教論が紛れ込んだかに見えます。「下手な論文書いたなあ」とつぶやきたくなるところです。「これは一体どうしたことだろう」と疑問を抱きました。

 そして、もう一つ同時並行的に読んだのが「六国史」の『続日本紀』と『日本後紀』です。
 日本の歴史を朝廷が編纂する「史書」は『日本書紀』を最初として次に『続日本紀』、『日本後紀』と続きます。空海が生きた時代と重なるのが『続日本紀』であり、797年(平安遷都の3年後、空海23歳)に完成しています。その後のことは『日本後紀』(840年完成)でわかります。空海は835年62歳で入滅しているので、この2冊によって時代背景をかなり知ることができます。

 以前も書いたように『空海伝』を描こうと思うなら、「時代背景」を知ることは必須。
 当初は高校の日本史教科書、次に文庫本の「日本の歴史」奈良・平安時代編を読みました。「これで済ませるだろう」と高くくったけれど、ちっともイメージが湧かない。いわば「血湧き肉躍る」人物群が想像できない。

 これらは当時の一次資料を読んだ研究者による書き物です。歴史的事実など全体像を知るには適しているけれど、当時の詳細を知ることは難しい。いわば、土中に埋もれた恐竜の化石のように、骨組みはわかるけれど、血が流れ肉や皮を持つ生の姿ではない。「一次資料を読むしかない」と決意しました。それが2冊の史書です。

 私はトイレが長いので(^.^)トイレに常備して毎朝毎夕文庫を読んだ。もちろん鉛筆を握って「?・!・◎や〇△」をつけつつ読む。文中に傍線も引く。
 一年経って初読が終わり、再読時は印をつけたところを念入りに読み直す。これは半年ほどで終わり、もう一度読みました。
 二年後お尻から出血して(^_^;)「これはもう読まなくていい。書き始めろってことだろう」とつぶやいてトイレ読書をやめました。

 史書二冊は大いに役立ちました。当時の(主として貴族ながら)人々の思いや感情を知ることができたからです。天皇家・朝廷の権力闘争、内乱、自然災害、東北蝦夷との戦い。その中を生きる天皇や貴族高官、庶民の感情。何より仏教・仏教界のこともたくさん書かれていました。

 最も意外だったのは(空海は『三教指帰』によって「仏教こそ最高最上の教え」)と結論付けて仏教を勧めているけれど、朝廷も同じことを語っていたところです。
 朝廷は「仏教こそ素晴らしい」として人々に「仏教を信奉せよ」と布告していました。「寝ているときも起きても般若心経をとなえよ」との一文さえありました。
 私は「えっ、空海さんが仏教は素晴らしいと言ったって天皇・朝廷はすでにわかっているじゃないか」とつぶやいたものです。

 これらの謎と疑問に関して解明したのが『空海論前半』全57節です。
 そのまとめは次号といたします。

================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:米大リーグ大谷翔平が三度目のリーグМVPに輝きました。2年連続であり、指名打者として初の受賞。
 解説を聞くと、「守り」のない指名打者は他の野手がプラス7~8に対してマイナス16から始まるそうです。それをひっくり返すほどの活躍があったということで、素晴らしい。
 おめでとうございます。

| | Comments (0)

2024.11.25

ジャパンカップ、結果とほぞ噛み

 ジャパンカップ、結果は――本命から薄目薄目では……の全滅(=_=)

 1着―武 豊 03ドウデュース……………[〇]  単勝=2.3
 2着―坂 井 07シンエンペラー…………[・]
 2着―ビュイ 10ドゥレッツァ……………[・]2着同着
 4着―ルメル 09チェルヴィニア…………[△]
 5着―Cデム 04ジャスティンパレス……[◎]

 一覧順位[B→H→C→A] 馬群[1→2→1→1]
 前日馬順[A→H→G→B] 枠順[A→C*→B*→B]

 枠連=3-5=3.2 3-6=1.9 
 馬連=03-07=15.1 馬単=18.9
 馬連=03-10=11.5 馬単=15.4
 3連複=03-07-10=122.3
 3連単=03-07-10=223.9 03-10-07=189.4
 ワイド12=9.8 W13=8.0 W23=29.9

--------------
 本紙予想結果
 印騎手番馬        名 馬 結果
 ◎Cデム04ジャスティンパレス C 5
 〇武 豊03ドウ デュ ー ス A 1
 ▲ムーア08オーギュストロダン F  8
 △川 田09チェルヴィニア   B 4
 ・坂 井07シンエンペラー   H 2
 ・ビュイ10ドゥレッツァ    G 2

--------------
【JC、過去9年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2024年 B→H→C→A A→H→G→B 1→2→1→1
2023年 A→B→D→C A→B→C→D 1→1→1→1
2022年 E→A→G→D C→B→D→E 2→1→2→1 乖離C・D
2021年 A→B→C→QD A→C→B→09 1→1→1→3 
2020年 A→B→D→C A→B→C→D 1→1→1→1 
2019年 F→B→G→QD D→E→A→13 2→1→2→3 乖離D・A
2018年 A→E→C→B A→D→C→E 1→2→1→1 
2017年 B→C→A→F D→B→A→F 1→1→1→2 
2016年 E→H→D→B A→F→E→B 2→2→1→1 乖離A

 [予想再掲]
 JCは一覧と結果がとても対応しているレースです。
 第1馬群内で決まったのが4回、この4頭はだいたい馬順ABCDとなり、この4頭内で決まったのが4回。さらに、第2馬群の乖離馬がからむ馬順ABCD内で決まったのが2回。4着まで入れて馬順EFが絡んだのが計5回。
 簡単に言うと8回全て馬順A~F6頭内で決まっている。
 さて、今年はどうか。同じ傾向が続くか。それとも、想定外の「どかん」があるか。後期荒れに荒れているGIだから、一息つける本命決着が欲しい気も……(^.^)。

[結果]
 今回ぐらい本命を……との期待を裏切る馬順[A→H=G]決着。
 すなわち[本命→薄目→薄目]、3強から1頭残って2頭消える、最も取りづらい馬券となった。
 過去8回全て「A~F6頭内で決まっていた」のに、正に想定外の「どかん!」。2着同着の10ドゥレッツァは一覧C→馬順Gの逆乖離であった。が、総流し以外では印を付けづらい。ただ、実績近走の実績ではAだった。

 以下一覧データの結果です。

*****************************
 【ジャパンカップ 実近一覧表】 東京 芝24 14頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名 牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=09|チェル ヴィニア牝3| 3.9{BB}[5]E|B| |BCBA △4
B=03|ド ウ デュース 5| 4.0{CA}[13]A|A| |AAAD 〇1
C=10|ドゥ レッ ツァ 4| 4.1{AF}[3] |G| |HGGE ・2
D=14|スターズオンアー牝5| 5.8{DE}[4] |D| |DDFC
[2]
E=02|ブローザホーン  5| 7.1{FD}[11] |10| |
F=05|シュトルーヴェ  5|10.1{E11}[10] |11| |
G=04|ジャスティンパレス5|10.8{GH}[14]B|C|乖|CBCB ◎5
H=07|シン エンペラー 3|14.4{HG}[6] |H| |GH09F ・2
[3]
QA=13|ファンタスティック4|17.0{1012}[7] |13| |
QB=12|ソール オリエンス4|17.5{0913}[12]D|09| |0909HH
QC=06|ダノン ベルーガ 5|20.3{1110}[8] |12| |
QD=01|ゴ リ アッ ト 4|21.2{1209}[1] |E|乖|FEE09
[4]
QE=08|オーギュストロダン4|33.3{14C}[2] |F|乖|EFDG △
QF=11|カ  ラ  テ  8|72.4{1314}[9]C|14| |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
----------------------------
 ○ 展開予想 外国馬は

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
 01 08 10 14 -09 07 13 06 -11 05 02 12 -03 04
覧 ▲ △ ◎ 6 5 〇
3F E C D A B
本 △ ▲ 〇 ◎
結 2 4 2 1 5

--------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れE(A-A*含む) [AB型] 枠順AB=4.6
 馬連型=3巴         [AB型] 馬連AB=7.5

 枠連=AB/CDE/FGH/ 
 枠順=36 581/742  枠順[A→C*→B*→B]
 馬順=AB FDE 091110  馬順[A→H→G→B](2着同着)
 代行=CG H13 1412
 ―――――――――――――
 結果=1542 02

[オッズ分析]
 馬連はA03ドウデュース、B09チェルヴィニア、C04ジャスティンパレスの3巴。本命決着なら、もちろんこの3頭の[123]着。3複1本、3単[C→B→A]。
 枠連は馬順ACが3枠に同居したため、A流れとなった。
 一応Eで切れめがあるが、枠順FGHも買われているのでカットできない。

 3枠補強と見れば、枠軸はA3枠。本命を買っても仕方ないので、お勧めはAから薄目の[A→FGH=3→742]。
 枠Aオトリと見てカットなら、馬も枠もAB型であるし、枠B6枠軸か。
 枠CDEに乱れがあるので、B6枠軸なら
 表[B→(CDE蹴って)FGHB*]。
 このウラに枠ABが消えたときの枠連裏[CDE=581BOX]がある。

 何かを買って日本馬3強が外国馬を蹴散らす様子をケンするレースだろうか(^.^)。

[結果]
 笑ってしまうのはA補強と見て枠連お勧めは[A→FGH=3→742]。
 この[A→FGH]をそのまま馬連に適用すると、馬連馬単、3複3単の完全的中!(^.^)
 実はひそかにそれを意識して「馬順、枠順の記号を変えていない」点、なきにしあらず。
 そもそも馬連AB型の自動買い目は[AB軸のCD蹴ってEFGH]。
 これも馬順Bをカットできれば、馬連系馬券の的中がありました。
 結果論ですが(^_^;)。

****************************
 ※ 回  顧

 レース後……「これで4連続〇(対抗)1着かあ」とつぶやきました。
 後期[秋天→エリザベス→マイルCS]、全て〇印の馬が1着。
 そして、今回も〇03ドウデュースの1着で4連続。
 ついでに秋華賞も〇が1着でした。ふう(-_-)。

 私の印の場合、〇の上に◎だけでなくウラ●もいます。
 それがことごとく軸になっていない……ていたらく。
 こんとこ「総外れ」続きもむべなるかな。

 ちなみに、秋華以降JCまでGI6レース。
 1着の一覧と馬順、騎手馬名が以下の通り。

 [GI6レース1着馬]
 GI =覧→馬・印騎 手番馬     名
 秋 華=B→A・〇ルメル05チェルヴィニア
 菊 花=H→B・▲ルメル13アーバン シック(乖離)
 秋 天=C→B・〇武 豊07ドウデュース
 エリザ=QD→D・〇Cデム11スタニングローズ(乖離)
 マイル=C→B・〇団 野13ソウルラッシュ
 J C=B→A・〇武 豊03ドウデュース

 このうち5レースの1着馬に〇印をつけていたわけです。
 難しいのは菊花とエリザベス女王杯だけれど、どちらも一覧の乖離馬という「強~い味方」がある。
 それに4レースは一覧第1群のBとC。それが馬順AかB。
 決して難しい選択ではない(と思います)。
 いつも書いているように「人生と競馬にればたらはない」けれど、◎にしていれば……と思わざるを得ません。

 ただ、過去6回はちと異変もあって一覧Aが1頭も1着になっていません。
 どころか以下のように2着もなく最高3着。( )内は馬順

 [一覧トップAの結果]
 秋華3着(B)、菊花13着(09位)、秋天13着(A)、エリザベス3着(B)、マイルCS4着(C)、JC4着(B)

 菊花を例外とすると、一覧トップAはだいたい馬順ABCになることが多い。
 私も当然(◎だったりやや重い)印をつける。それが最高3着では……。

 ただ、6レース中5レースで〇印が1着ということはちょっと推理を変えれば「◎にできるのでは」とも思えます。

 どう変えるか、ある程度見当はついています。
 それはひねくれ者の馬券推理というか、穴党の宿命というか(^_^;)、1、2番人気の馬以外に重い印を打って「それで当てたい!」と考えていることです。
 極端なことを言えば、「1番人気に◎打って当てたってなあ」って感覚。
 穴党読者なら覚えがあるのでは。

 今回で言えば、激走した馬順G・Hの両馬、いずれかにウラ●を打ちたい。
 成功すれば当然(1、2番人気に流すから)馬連の的中があるし、3複[→03ドウデュース]との総流しで万シュー的中もあり得た。

 逆に言うと馬順[A→H→G]の3複は総流しでないと獲れない。
 ところが、ウラ●として選んだ馬は馬順C(つまり3番人気)。これではウラ●と言いづらいので、表の◎に格上げして……撃沈(-_-)という結果でした。

 まーCデムーロさんはジャスティンパレスを5着まで持って来たんだから、同馬は能力イマイチだったと言うしかありません。

 周回ビデオを見ると、同じ3枠でも武豊03ドウデュースとCデムー04ジャスティンパレスは対照的な走りっぷりを見せていました。

 2頭は展開図では最後方追い込みタイプ。武豊ドウデュースはその通り1角13番手、向こう正面も後方。
 対してCデム04ジャスティンは1角から終始7番手。それも一貫して最内。
 それが戦法だったか、それとも最内を走らせなければ力を出せないと見ていたか。
 ジャスティンパレスの最速上がりは前走秋天の(後方11番手から)33.0。かたやドウデュースは秋天で12番手から32.5。同じ位置にいたのでは絶対勝てない。
 だから、前目に位置したとも言えます。

 レースは逃げ不在で予想通り1000メートル通過62秒2のスロー。
 勝ちタイムも良2255だから、上がりの競馬になった感じ。
 4角もほぼ最後方だった武豊ドウデュースは大外へ。Cデム04ジャスティンは真ん中へんだが、前は二重三重の馬の壁。しかし、別に不利を受けることなく抜け出す。

 そのときすでに武豊ドウデュースは大外をぐいぐい伸びており、途中から逃げた10ドゥレッツァと最内を先行した07シンエンペラーを射程にとらえ、そして競り勝った。上がりは32.7。
 秋天の32.5には度肝を抜かれたけれど、ほぼそれに匹敵する上がり。

 久しぶりに豊さんの「馬の力を信じて最後方から追い込んで勝つ」競馬を見た思いです(^_^)。
 直前予想で「ドウデュースはGIの連勝がない、次走は良くて2着」といちゃもんつけたけれど、文句を言わせぬ勝ち方でした。

 秋天回顧の末尾、私はジャパンカップ予想として以下のように書きました。 
------------------------------
 近年はアウェーとなる外国馬の不振続き。
 ここでドウデュースが勝てば、有馬のVが視野に入り、僅差負けても有馬Vで年度代表馬……を願いたい気がします。
 やっぱりJC→有馬は武豊ドウデュースを連単軸の◎にしようかしら。
 豊教信者ですからね(^_^;)。
------------------------------
 と書き、豊教信者を自負しながら◎を打てなかった。
 最大の敗因は(いつもいちゃもんつけてるせいで?)信じることができなかったせいかもしれません。

 もう一つ今回意外な激走を見せた2着同着の坂井07シンエンペラー。
 秋天でジャスティンパレスに乗って下手こいたから「下ろされた」と思っていました。ところが、Cデムーロ5歳04ジャスティンパレスが5着で坂井3歳07シンエンペラーが2着。「あんたが来るんかいぃ」って感じ(^.^)。

 正直シンエンペラーの馬柱は念入りに検討していなかったので、レース後じっくり眺めました。
 すると、3歳の同馬は新馬→2歳G3連勝後GIホープフルS2着。3歳になってG2弥生賞2着→皐月5着(5人)→ダービー3着(7人)と、ここまでの国内重賞で5戦[1211]の好成績を残していたことがわかりました。

 ただ問題はその後。国外遠征に出て9月愛GI3着後凱旋門12着。これで評価がた落ちとなったようです。
 私も「凱旋門12着? 総流し候補だな」で終わりにしました。それが激走2着だから、競馬は難しいものです。

 そして、坂井騎手は皐月以降凱旋門まで4戦手綱を取っています。
 ちょっと驚くのは凱旋門に乗らせたこと。武豊、ルメール、川田クラスならいざ知らず、「まだ早いだろ」と言いたくなります。

 今回秋天のジャスティンパレスとシンエンペラーを比べるなら、ジャスティンパレスを下ろされてシンエンペラーに騎乗した――のではなく、彼が自らシンエンペラーを選んだのかもしれません。もっとチェックすべきでした。

 坂井瑠星騎手は9年目の若手。しかし、3年前98勝→昨年107勝、そして今年再び100勝を超え、現在騎手ランク4位。これからもっと伸びるのかもしれません。


 以上ですが、予想で「格」に関して馬名とGI実績を列挙しました。
 それを馬順、1~5着の結果とともに再掲します。
 外国馬3頭の最上位は6着。今年もダメでした。
 結果はGI2勝以上からは馬順ABの2頭。
 相手はGI1勝から1頭、G3Vより1頭――となりました。

 どうして10ドゥレッツァと07シンエンペラーが激走したのか。
 馬柱を見直して検証してください。すでにシンエンペラーは語りました。

----------------------------------
[GIV馬]         馬結果
◎GI2勝以上(5頭)[GI]
08オーギュストロダ外[6104] F
03ドウデュース   [4015] A1着
09チェルヴィニア 牝[2001] B4着
14スターズオンアー牝[2231] D
13ファンタスティッ外[2203] 13

〇GIV1勝(5頭)
01ゴリアット   外[1000] E
02ブローザホーン  [1100] 10
04ジャスティンパレス[1227] C5着
10ドゥレッツァ   [1002] G2着
12ソールオリエンス [1213] 09

△GIVのないG2V馬(1頭)     馬結果
05シュトルーヴェ  [0001]G2-2勝 11

・残りが以下3頭(GI・G2VなくG3V)
11カ ラ テ    [0007]G3-3勝 14
06ダノンベルーガ  [0126]G3-1勝 12
07シンエンペラー  [0122]G3-1勝 H2着

 間違いなく言えることはこの14頭の中から123着馬が出る(^.^)。
 そして、G3Vのみの3頭を見ると、06ダノンベルーガ、07シンエンペラーなどGIでも2着3着があって不気味。
---------------------------------

 以上です。

=================================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

| | Comments (0)

2024.11.23

ジャパンカップ、直前予想

 さー明日は第44回ジャパンカップ。
 第1回当時神奈川県相模原市に住んでいたので、私を競馬道に引きずり込んだある先輩と東京競馬場まで見に行きました。そして、ヨーロッパの馬の芝2400を「先行して粘って勝ち切る、上位に残る」走りに度肝を抜かれたものです。
 その後44年も経ち、日本の馬も勝つようになり、近年はヨーロッパの馬たちが凡走を繰り返す。あの頃そのような未来を想像だにできませんでした。

 この間ドイツは東西の壁が崩壊して統一され、ソ連が解体してロシアとなり、「これで米ソの冷戦が溶け平和な世界がやって来る」と思った未来予想はもろくも裏切られ、世界は第三次世界大戦の気配である……と感じているのは私だけでしょうか。
 それでも、平和な日本で競馬を楽しむ……心の片隅でちょっと後ろめたい気持ちを感じながら(^_^;)。

 それはさておき競馬に戻って。
 前回マイルCSで語ったように、ヨーロッパの競馬場は時計がかかる重い芝。日本の東京競馬場は高速の固く軽い馬場。そこにホームかアウェーの問題があれば、日本馬が凱旋門を勝てず、ヨーロッパの馬がJCで勝てなくなった理由もわかります。

 もう一つ。ヨーロッパの重賞は斤量が重いことも時計がかかる理由のようです。
 今年は以下3頭の外国馬が参戦します。みな4歳。

・ムーア 牡4歳08オーギュストロダン   15戦[8304]GI英・愛ダービーV
・スミヨン騙4歳01ゴ リ ア ッ ト   10戦[6202]GIキング&エリザベス女王杯V
・ビーヒュ牡4歳13ファンタスティックムーン14戦[7313]23年独GIダービーV

 日本の競馬は別定・ハンデ戦を除くと、最重量58キロ。
 ところが、この3頭、オーギュストロダンは58キロ以上が12(/15)戦。ファンタスティックムーンも同12戦(/14)。最重量は前者が61キロ、後者が60キロ。
 ゴリアットこそ4戦(/10)と少ないけれど、重賞6戦に限ると3(/6)、近3走[G2-2着→GIV→GIV]は58.5→61→61キロです。

 さらに、馬柱を眺めてわかったことは良馬場が少ない。
 ファンタスティックなど14戦中良馬場わずか3回、重6、稍重5回です。
 ゴリアットも良2回。前走仏のGIV(芝22)は60キロを背負って不良馬場1着。勝ちタイム2286。
 日本の芝22は宝塚記念が有名ですが、だいたい良2分12秒前後、かつて2分20秒を超えたことはありません。

 それでいて外国馬が日本に来て(57キロから58キロ)JC連戦連勝、常に着内かというと近年それはない。逆に日本馬は凱旋門で勝てず、近年は掲示板にも載れない。
 まーホームとアウェーというのもあります。航空機に乗せられ、直行便でも半日かけて移動するのは人様だってしんどいですからね(^.^)。

 最後に伏線的競馬クイズを。
 秋天回顧で「今年の年度代表馬候補」を列挙しました。
 前期古馬中長距離のGIV馬は秋天、またはJCか有馬を勝てば、GI2勝(以上)となって年度代表馬の候補となる。
 では、今年の宝塚記念勝ち馬の名は?
 私は完全に失念。お手上げでした(^.^)。

 まずは過去8年の実近一覧結果から。

【JC、過去8年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2024年 →→→ →→→ →→→
2023年 A→B→D→C A→B→C→D 1→1→1→1
2022年 E→A→G→D C→B→D→E 2→1→2→1 乖離C・D
2021年 A→B→C→QD A→C→B→09 1→1→1→3 
2020年 A→B→D→C A→B→C→D 1→1→1→1 
2019年 F→B→G→QD D→E→A→13 2→1→2→3 乖離D・A
2018年 A→E→C→B A→D→C→E 1→2→1→1 
2017年 B→C→A→F D→B→A→F 1→1→1→2 
2016年 E→H→D→B A→F→E→B 2→2→1→1 乖離A

 JCは一覧と結果がとても対応しているレースです。
 第1馬群内で決まったのが4回、この4頭はだいたい馬順ABCDとなり、この4頭内で決まったのが4回。さらに、第2馬群の乖離馬がからむ馬順ABCD内で決まったのが2回。4着まで入れて馬順EFが絡んだのが計5回。
 簡単に言うと8回全て馬順A~F6頭内で決まっている。
 さて、今年はどうか。同じ傾向が続くか。それとも、想定外の「どかん」があるか。後期荒れに荒れているGIだから、一息つける本命決着が欲しい気も……(^.^)。

***************************
 【ジャパンカップ 実近一覧表】 東京 芝24 14頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名 牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=09|チェル ヴィニア牝3| 3.9{BB}[5]E|B| |BCBA △
B=03|ド ウ デュース 5| 4.0{CA}[13]A|A| |AAAD 〇
C=10|ドゥ レッ ツァ 4| 4.1{AF}[3] |G| |HGGE
D=14|スターズオンアー牝5| 5.8{DE}[4] |D| |DDFC
[2]
E=02|ブローザホーン  5| 7.1{FD}[11] |10| |
F=05|シュトルーヴェ  5|10.1{E11}[10] |11| |
G=04|ジャスティンパレス5|10.8{GH}[14]B|C|乖|CBCB ◎
H=07|シン エンペラー 3|14.4{HG}[6] |H| |GH09F
[3]
QA=13|ファンタスティック4|17.0{1012}[7] |13| |
QB=12|ソール オリエンス4|17.5{0913}[12]D|09| |0909HH
QC=06|ダノン ベルーガ 5|20.3{1110}[8] |12| |
QD=01|ゴ リ アッ ト 4|21.2{1209}[1] |E|乖|FEE09
[4]
QE=08|オーギュストロダン4|33.3{14C}[2] |F|乖|EFDG △
QF=11|カ  ラ  テ  8|72.4{1314}[9]C|14| |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
----------------------------
 ○ 展開予想 外国馬は

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
 01 08 10 14 -09 07 13 06 -11 05 02 12 -03 04
覧 ▲ △ ◎ 6 5 〇
3F E C D A B
本 △ ▲ 〇 ◎

--------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れE(A-A*含む) [AB型] 枠順AB=4.6
 馬連型=3巴         [AB型] 馬連AB=7.5

 枠連=AB/CDE/FGH/ 
 枠順=36 581/742
 馬順=AB FDE 091110
 代行=CG H13 1412
 ―――――――――――――
 結果=

[オッズ分析]
 馬連はA03ドウデュース、B09チェルヴィニア、C04ジャスティンパレスの3巴。本命決着なら、もちろんこの3頭の[123]着。3複1本、3単[C→B→A]。
 枠連は馬順ACが3枠に同居したため、A流れとなった。
 一応Eで切れめがあるが、枠順FGHも買われているのでカットできない。

 3枠補強と見れば、枠軸はA3枠。本命を買っても仕方ないので、お勧めはAから薄目の[A→FGH=3→742]。
 枠Aオトリと見てカットなら、馬も枠もAB型であるし、枠B6枠軸か。
 枠CDEに乱れがあるので、B6枠軸なら表[B→(CDE蹴って)FGHB*]。 このウラに枠ABが消えたときの枠連裏[CDE=581BOX]がある。

 何かを買って日本馬3強が外国馬を蹴散らす様子をケンするレースだろうか(^.^)。

**************************
 ※ 直前予想

 老婆心ながら一言注意を。
 読者各位はコアな競馬ファンだから大丈夫と思いますが、ジャパンカップは東京《12》レースです。
 また、京都メインの(荒れそうな?)18頭立てG3京阪杯も12レースです。
 時間は前者が15:40、後者が16:15。で、13レースはありません(^.^)。

 こういうの、データ整理がめんどうだからやめてほしいんですよね。
 ジャパンカップ後は表彰とかいろいろあるからレースを入れたくないんでしょうが。

 それはさておき、14頭と頭数少ないながら面白そうなジャパンカップ。
 まずは基礎データとして年齢構成。

 3=2 4=5 5=6 8=1頭 (牝馬2頭)(外国馬3頭)

 秋天のとき4歳5歳を比較すると、5歳が「強い」と思うと書いて◎はなく「ウラ●5歳ジャスティンパレス、〇5歳ドウデュース」としたら、ドウデュースが1着でジャスティンは4着。2、3着は4歳馬でした。

 ここで早くも結論を書くと、今回◎Cデムー04ジャスティンパレス、〇武豊03ドウデュース(^_^;)。ウラ●はなく、ジャスティンパレスを連単軸の◎とします。
 しかも、馬券は[◎→〇→]3複・3単の総流し。

 というわけで、ここから先は読まなくとも結構です(^.^)。

 そこで屋上屋というか蛇足というか、いつもの予想。

 前回書き損ねて痛い目にあった「格」を書いておきます。
 今回驚くのは全14頭のうち、なんとGIV馬が10頭!
 結果GIVのないG2V馬はただ1頭。GIの成績は掲載します。
 
[GIV馬]
◎GI2勝以上(5頭)[GI]
08オーギュストロダ外[6104]
03ドウデュース   [4015]
09チェルヴィニア 牝[2001]
14スターズオンアー牝[2231]
13ファンタスティッ外[2203]

〇GIV1勝(5頭)
01ゴリアット   外[1000]
02ブローザホーン  [1100]
04ジャスティンパレス[1227]
10ドゥレッツァ   [1002]
12ソールオリエンス [1213]

△GIVのないG2V馬(1頭)
05シュトルーヴェ  [0001] G2-2勝

・残りが以下3頭(GI・G2VはないけれどG3Vあり)
11カ ラ テ    [0007]G3-3勝
06ダノンベルーガ  [0126]G3-1勝
07シンエンペラー  [0122]G3-1勝

 間違いなく言えることはこの14頭の中から123着馬が出る(^.^)。
 そして、G3Vのみの3頭を見ると、06ダノンベルーガ、07シンエンペラーなどGIでも2着3着があって不気味。
 ということは?

 表の馬券戦略は(またも)◎〇2頭を決めての3複総流し(^_^;)。
 外国馬は来なくて不思議ないけれど、かといってカットもしづらい。
 日本馬の中で(前走成績から)カットして良さそうな馬は8歳にしてGI7戦着外の11カラテと前走大差の以下2頭。

 05シュトルーヴェ=前走GI宝 塚 記念11着(9人)-着差2秒5
 02ブローザホーン=前走G2京都大賞典11着(1人)-着差2秒4

 ちょっと無理スジ。
 ところが、シュトルーヴェはその前G2(中山記念と目黒記念)を連勝してメンバーの中では唯一[GIVのないG2-2勝]馬。
 そして、ブローザホーンは2走前GI宝塚記念1着馬(3人)、3走前は春天2着馬(5人)。私の頭脳から全く欠落していた馬名(^.^)。
 2頭は前期存分に活躍していたのです。

[これで前置きクイズの答えがわかりましたね。「えっ、どんなクイズだっけ?」とつぶやいた方は前置きを再読してください(^_^)。]

 人気薄必至のこの2頭をカットして万一(?)激走したら、「くあーっ」とほぞ噛まねばなりません。となると、カットできるのはただ1頭8歳馬の11カラテ。

 しかし、私には1頭だけカットして痛い目にあったトラウマがあります。
 東京競馬場に行ったとき、ある12頭立てレースで馬順ABはまず1、2着しそう。3複総流ししようとして「まさかこの馬は来ないだろう」と最低人気(単勝100倍超)の馬を外して9頭にチェックマーク。
 すると、まさかの最低人気が3着激走して3複万馬券取り逃がし(T_T)。

 なので、総流しと決めた以上全馬に[・]印はつけておく――というわけです。

 さて、本命対抗は日本馬に打つつもり。
 その前に外国馬3頭について。

 01ゴリアットは重賞6戦[3102]、GI1勝。着外2回も4着。つまり、掲示板率100。
 13ファンタスティックムーンは2戦目以降全て重賞、うちGI8戦[2204]、G2は2戦2勝。
 最後に08オーギュストロダン。特筆すべきは父があのディープインパクト。
 同馬は22年の3戦目(G3V)以降全て重賞。さらに驚嘆すべきは4戦目以降全てGI。
 昨年(3歳)は英ダービー→愛ダービー連勝があり、その他GIを12戦[6204]。
 これだけの実績があれば、凱旋門への挑戦が考えられるけれど、見向きもしないのか不出走。かなり不気味。と言うかディープの仔だったら、応援馬券を買いたい気も(^.^)。

 もちろん近年の傾向通り3頭揃って討ち死にの可能性も充分。
 一覧では3頭とも第3群より下で08オーギュストロダンと01ゴリアットが馬順E・Fの乖離馬です。13ファンタスティックはムリ筋ながら、乖離馬2頭には△印をつけたい気分です。

 そして、迎え撃つ日本勢。筆頭はもちろん秋天Vの武豊牡5歳ドウデュース。
 実績は「いわずもがな」なれど、GI4勝、国内GI9戦[4014]は立派。ただ一度もGI連勝がなく、GIV後は良くて2着以下である点は気がかり。

 次に(古馬牡馬とは4キロ減となる)54キロで出走できるルメール牝3歳チェルヴィニア。
 こちらは6戦[4101]。桜花13着(4人)後オークスV→秋華Vと牝馬GI2勝をもってJC挑戦。鞍上ルメールさんだし、東京コース3戦[2100]は買える。

 問題は初の古馬との対戦で力を発揮できるかどうか。
 思い出すのは2018年3歳にてJCを勝った女傑アーモンドアイ。
 と言うか、競馬会はちゃんとヒントをくれています。
 明日の東京11レースは「アーモンドアイカップ」です(^.^)。
 アーモンドアイもオークスV→秋華VからのJC挑戦、1着(140円の1番人気)でした。

 [チェルヴィニアとアーモンドアイのタイム比較]
         オーク→秋華→JC(全て良)
 チェルヴィニア= 2240→1571→?  騎手ルメール[古馬58キロ、3歳牝54キロ]
 アーモンドアイ= 2238→1585→2206 騎手ルメール[古馬57キロ、3歳牝53キロ]

 オークス、秋華の斤量は55キロで変わっていないので、アーモンドアイは前走から2キロ減の53キロ、チェルヴィニアは1キロ減だから今回54キロ。
 ればたらを言えば、ここでアーモンドアイの2206どころか、2216で走っても勝てると思います。が、私はちと疑っています。

 と言うのは桜花の走り。アーモンドアイは2番人気1着。チェルヴィニアは4番人気13着(1秒2差)と大差負け。

 もう一つ桜花前にアーモンドアイはG3シンザン記念V。一方チェルヴィニアは2歳G3アルテミスSV。
 同じG3Vながら前者は牡牝混合、後者は牝馬限定。今までも2歳とか3歳前期に牡牝混合重賞を牝馬が勝つと、以後の出世が約束されていた感じです。
 だからこそアーモンドアイはJCで単勝140円の1番人気だった。逆にチェルヴィニアは馬順Bながら単勝は5倍前後。
 この違いは大きいと思うので、私は09チェルヴィニアは良くて2、3着の△。

 というわけで本命対抗の2頭のうち1頭は武豊03ドウデュースにするつもりですが、もう1頭は秋天終了時すでにウラ●候補として決めていました。
 それはCデムーロ04ジャスティンパレスです。

 秋天で鞍上坂井騎手が下手こいたので、「次走はたぶん乗り替わる」と思っていました。「乗り替わったらウラ●にしよう」と。
 敢えて「ればたら」を言うと、秋天でCデムーロが乗っていたら、最悪2着、勝利だってあり得たと思います。

 秋天でジャスティンパレス、ウラ●とした部分を再掲します。
-----------------------------
 そして、ウラ●が坂井5歳11ジャスティンパレス。
 先ほど書いたように、同馬は3歳皐月・ダービーはイマイチ。
 しかし、菊花3着から翌年(昨春)春天を勝っています。
 その後は[宝塚3→秋天2→有馬4着]。有馬では1番人気でした。
 そして今年3月ドバイGIシーマ4着から前走宝塚2番人気10着(1秒6差)。
 宝塚の敗戦がなければ、ここで3強の一角に入っても不思議ない馬です。

 問題は宝塚の大差10着をどう見るか。ムリ筋であることは明らか。
 過去10年、宝塚記念から秋天挑戦で3着内に入った馬は計7頭。
 その中で宝塚の着順が悪かった馬が以下の2頭。
 2017年宝塚1番人気9着(1秒3差)→秋天1番人気1着
 =武豊キタサンブラック
 2014年宝塚3番人気9着(1秒2差)→秋天2番人気2着
 =川田→戸崎圭ジェンティルドンナ

 ジャスティンパレスはぎりぎりこの2頭に比肩できるのではないか。
 そう思って――願って祈ってウラ●とします。

 ただ、鞍上坂井騎手はいまだA級とは言いづらい。
 春天Vはルメールであり、宝塚10着もルメール様。
 神はパレスを見捨てたようです。
 が、だからこそ坂井君には奮起してほしい。

 書き忘れました。同馬はディープインパクトの仔です。
 実況アナの「ディープの仔が1着ですぅ!」と絶叫する声が聞こえる(^.^)。
-----------------------------

 あり得たはずの04ジャスティンパレス1着を期待して連単軸の◎、武豊03ドウデュースを〇。もちろん馬連・馬単1本。3複・3単◎→〇→総流し。

 最後、もしかしたら「ディープの仔が1、2着!」と叫ぶかもしれないので、04ジャスティンパレス→08オーギュストロダンの馬連・馬単も追加(^.^)。

 以上です。

 本紙予想
 印騎手番馬        名 馬順
 ◎Cデム04ジャスティンパレス C
 〇武 豊03ドウ デュ ー ス A
 ▲ムーア08オーギュストロダン F
 △川 田09チェルヴィニア   B
 残り10頭は3着候補の[・]印

 さて結果は?

================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

| | Comments (0)

2024.11.19

『空海マオの青春』論文編 後半 第8号

 その4「『空海論』前半のまとめ(一)」

 今節より4回にわたって『空海論文編』前半(57節)の内容をまとめながら解説します。
 謎に満ちた前半生について私がどのように謎を解いたか。その復習でもあります。

 なお、難読漢字は(一読法からは)検索してほしいけれど、仏教用語・歴史用語などもあってちょっと無理スジです。そこで冒頭に読み仮名をつけていますが、かなり多くなるときもあります。
 ここで気を入れ過ぎると、本文を読み続ける気力が続かない恐れがあるので、さらりとスルーしていいかなと思います(^_^;)。

 プレ「後半」その4 空海論 前半のまとめ
(一) 空海の前半生、前期(生誕~23歳) 11月20日
(二) 前期4つの謎について(1・2)   11月27日
(三) 空海の前半生、後期(24歳~32歳) 12月11日
(四) 後期3つの謎について       12月18日
(五) 帰国後の空海           12月25日

------------------
 本号の難読漢字
・延暦(えんりゃく)・入唐(にっとう)・最澄(さいちょう)・三教指帰(さんごうしいき)・真魚(マオ、またはマイオ。空海の幼名)・崩御(ほうぎょ)・阿刀大足(あとのおおたり、空海の母方の叔父)・蝦夷(えみし)・太龍山(たいりゅうざん)・求聞持(ぐもんじ)法・聾瞽指帰(ろうこしいき)・三教指帰(さんごうしいき)
------------------

***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第8号 プレ「後半」その4(一)
 「空海の前半生、前期(生誕~23歳)」

 空海の前半生は生まれてから入唐帰国までを意味します。
 30歳の時遣唐使船の一員として入唐(正式な遣唐僧だったかは疑問)、わずか2年で密教第八祖となる。そして、「虚往実帰」(虚しく往きて実ちて帰る)と言われるほど、大きな(奇跡的な)成果を得て帰国します。その後は真言宗を開き、最澄の天台宗とともに平安の新仏教としてもてはやされます。

 帰国後を空海の後半生と呼ぶなら、後半生は資料も多く偉人伝として8割方語ることができます。しかし、前半生は資料や空海の言葉少なく――ゆえに謎が多いのに、上っ面をなぞるだけの「語り」しかできません。

 私は空海を研究すればするほど、面白く興味深いのは前半生であると思って謎の解明に挑みました。そして、その成果によって小説編『空海マオの青春』を書きました。
 原稿用紙1000枚の長編の中で、帰国後の記述はわずか1パーセント(^_^;)。99パーセントは前半生に集中しました。

 まずは前期を大ざっぱに眺めておきます。

 空海の幼名は真魚。マオとかマイオと呼ばれたようです(私はマオを採用しました)。
 西暦774[宝亀5年]6月15日、讃岐の国多度郡(現在の香川県)善通寺のあたりで生まれました。父は郡司の佐伯タギミ、母は阿刀家のアコヤ。第五子として生まれ、兄が三人、姉が一人いました。

 前半生において空海と桓武天皇は切っても切り離せない関係にあると言えます。
 マオが物心つく七歳のときに先代光仁天皇が崩御。桓武天皇が即位して年号は延暦となります。そして、空海が帰国の途に就く二十五年後、桓武天皇は崩御しています。
 この間空海と桓武天皇に直接の交流は見られないものの、空海の母方の叔父阿刀大足が天皇の次男伊予親王の家庭教師をしています。

 この二十五年間に帝都は平城京奈良から長岡に移り(空海十歳)、さらに「鳴くよウグイス平安京」で有名な七九四年(空海二十歳)には平安京に遷都しています。
 国内は不作、飢饉、干害、また東北蝦夷との内戦など不安定な時代でした。空海マオはそのような時代に多感な少年期・青年期を過ごしたのです。

 私たちは一人の人間として生きつつ、時代の動きと無縁に生きることはできません。空海マオも時代の波にもまれて前半生を過ごしたはず。そういう意味で「空海伝」を書こうと思ったとき、時代背景を取り入れること――それは必須の条件だと思いました。

 以下七歳以後は年譜風に箇条書きします。

 [空海前半生年譜]
781年7歳-[延暦元年、光仁天皇崩御、桓武天皇即位]
 天童としての資質を発揮しつつあったか。父母親族は「貴(とうと)もの」と呼んでいたとも。「子曰く」の『論語』を学び始めた。
784年10歳-[延暦3年、平城京より長岡京に遷都]
786年12歳-[延暦5年]
 讃岐の「国学」(地方官吏養成期間)で2年間儒学を学んだと思われる。

788年14歳-[延暦7年]
 帝都長岡京に上京、母方のおじ阿刀大足の元でさらに「四書五経」を学ぶ。
791年17歳-[延暦10年]
 日本に一つの《大学寮》に入学するも、一年後か二年後に退学。南都仏教(奈良大安寺)に入門する。

794年20歳-[延暦13年、平安遷都]
 この前後から山林修行に入り、四国太龍山、室戸岬にて求聞持法百万遍修行を二度実践する。
 室戸岬では明星が口に飛び込む神秘体験を得る。
797年23歳-[延暦16年]
 「儒教・道教・仏教」を比較して仏教こそ最上位とする『聾瞽指帰ろうこしいき』執筆。12月 『三教指帰さんごうしいき』と改題して公表する。

 ……この後6年間消息不明……

 この大筋はまず間違いのない史実として認知されています。しかし、その間空海マオが何を考え、何を感じたか、その詳細は全くわかっていません。空海自身が語っていないし、歴史的資料も乏しいからです。

 この空海前半生、前期における謎をまとめると、大きく4つに分かれます。

 1 空海マオが幼い頃から仏教に進むと思っていたなら、なぜ官僚養成の大学寮に入ったのか。大学寮の生活はどのようなもので、なぜ退学したのか。
 2 奈良仏教に入門して何を考え、何を感じたか。なぜ山岳修行に走ったのか。
 3 「聾瞽指帰」は空海にとってどのような位置にあるのか。なぜ儒教・道教・仏教の三教を比較する必要があったのか。
 4 二度の百万遍修行によって何をつかんだのか。改訂「三教指帰」と「聾瞽指帰」はどのような関係にあるのか。

==============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

| | Comments (0)

2024.11.08

2024年総選挙、本来の議席数

 2024年衆議院・総選挙が10月27日に終わりました。
 衆議院465名を選ぶ「小選挙区比例代表並立制」は小選挙区289(62%)、比例代表176(38%)。過半数は233。改選前自公の与党は288議席でした。
 結果は与党[(自民191(-65)・公明24(-8)]が改選前の議席を73減らして計215議席。
 かたや野党は立憲、国民民主などが議席を増やして計250議席。

 自民党の思わぬ(想定内の?)惨敗で「政権交替が実現した…」と書きたいところですが、どうやら野党全党か多数の連立による政権交替はなく、また(予想された?)国民民主か維新の与党参入もなく「自公による少数与党」体制となりそうな雲行きです。

 私は選挙のたびに「比例代表の各党得票率に基づく《本来の議席数》」を算出しています。
 日本の党派支持と民意は見かけの議席数ではなく、得票率に表れていると思うからです。
 それが間違いなく本来の民意でしょう。

 毎回ほぼ同じ結果が出ます。自民党は政党支持率(=選挙の得票率)では30数%の支持しかないけれど、それでも小選挙区で1位となるので議席を獲得する。結果、本来なら3分の1の議席であっても不思議ないのに、自民単独で過半数、プラス公明の与党で安定多数を獲得する……。

 ところが、今回自民の得票率においてかなりの異変がありました。
 比例代表の自民得票率は26.7%。いつもより10%近く減らしたのです。
「だから65議席も減らしたのか」とつぶやきそうです。結果は自民191議席。

 確かにかなり減らしたように見えます。しかし、自民党の得票率をそのまま議席に反映させるともっと少ないことがわかりました。自民124議席です。
「どーいうこと?」とつぶやいて本文をお読みください。
 いつもの悪癖(^_^;)、長くなったので見出しをつけました。

 == 目  次 ==

 [1] 2024総選挙、本来なら自民党は《ど惨敗》だった?
 [2] 2024総選挙、各党の獲得議席と本来の議席数
 [6] オール比例代表への道

なお、本稿は行と列が対応していないので、表の数字など見づらいと思います。
 以下御影祐の『ごちゃまぜホームページ』は見やすいと思うので、そちらを推奨します。
  御影祐のHP

--------------
==============
*****「狂短歌人生論」 *****
 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 総選挙 自民負けたと言うけれど 得票率ならいつも惨敗(^.^)

 (^_^) ゆとりある人のための20分エッセー (^_^)

 【 2024総選挙、本来の議席数 】

[1] 2024総選挙、本来なら自民党は《ど惨敗》だった?

 2024年衆議院総選挙はマスコミによって「与党の自公が過半数を割る」との事前予想がありました。
 選挙本番は「アナウンス効果」と言って予想の反動と言うか反対結果が出ることも多く、私は「そうは言いつつ、ふたを開けたらいつもの与党過半数ではないか」と素人予想を立てていました。

 改選数465に対して改選前は与党288、野党177。今回与党は215(-73)、野党250(+77)、裏金問題が影響したからか、自民・公明の与党惨敗、野党が過半数(233)を超えました。
 これを評してマスコミ・コメンテーター各氏は「与党惨敗」と総括しています。

 ところで、一読法で読んでいれば、この表題「ど惨敗」って「どーいうこと?」とつぶいたかもしれません。
 本稿の予告コメントで以下のように書きました。
--------------------------
 私は選挙後いつも「比例代表得票率に基づく各党議席数」を算出しています。それが本来の民意であり、正しい議席数だからです。
 たとえば、前回2021年の総選挙では本来なら与党(219)野党(246)でした。
 今回の与野党議席数はこの数字にとても近い。では今回は本来の議席数が結果に現れたのか?
--------------------------

 最後の問いに対して「その通り」と答えそうです。
 ところが、各党議席数と本来配分されるべき議席数を比べてみると、自民党の191議席は「それでも多すぎる。本来なら124議席」となります。ゆえに「自民ど惨敗」とまとめるわけです。

 まずは各党得票率(比例代表)に基づく本来の与野党議席数を比べると以下の通り。

公示前 党 派 議席数 得票率 本来数 増減
288人 与 党  215  38%  219 -4
177人 野 党  250  62%  246 +4
 注…「得票率」は比例代表の得票率、増減は本来数との差
 先ほど書いたように今回の獲得議席数は「本来の議席数」にとても近い。
 簡単に言うと、与党4割、野党6割の得票率がほぼそのまま議席数に現れた――ように見えます。

 これを前回(2021年総選挙)と比較すると、
--------------------------
[2021年総選挙与野党獲得議席数・得票率・本来の議席数]

公示前 党 派 議席数 得票率 本来数 増減
305人 与 党  293  47%  219 +74
155人 野 党  172  53%  246 -74
 注…「得票率」は比例代表の得票率
--------------------------

 [ここでちょっと情けないウラ話。私はこの表を見比べて「今回の獲得議席数は本来の議席数にとても近い」とまとめました。
 しかし、本稿執筆中に「あれっ前回の『本来数』と今回が同じだ!」とつぶやきました。得票率が違うのだから本来数が同じなんてありえません]

 そこで再計算した今回の結果が以下。
--------------------------
[2024年総選挙与野党獲得議席数・得票率・本来の議席数]

公示前 党 派 議席数 得票率 本来数 増減
288人 与 党  215  38%  177 +38
177人 野 党  250  62%  288 -38
-------------------------

 つまり、与党は改選数288に対して獲得議席215(-73)と大きく減らしたように見えます。が、本来の議席数は177。215議席はまだ38も多い。
 これを逆に言うと、6割の得票率があった野党は絶対安定多数の288議席を得てもよかった。
 この議席なら確実に政権交替となったでしょう。

 前回与党の得票率は47%、野党は53%であり、本来なら与党219、野党246の議席となって与野党は逆転していました(オール比例代表なら)。
 しかし、前回は自民261、公明32議席によって与党トータル293の安定多数となりました。

 この得票率にもっと差がついて与党4割、野党6割となっても、まだ与党にプラスの議席が与えられる。これが日本の選挙制度の実態です。
 しかも、今回公明党は議席を減らしています。よって制度のうまみを享受したのは自民党(野党側では立憲民主)だけなのです。

 以下各党別の獲得議席数と得票率による本来の議席数を見ると個別の事情がよくわかります。
 そして、それこそ「本来なら自民はど惨敗」と言う理由です。

 [ここで一読法の復習もう一つ。目次を見て「あれっ、[2]のあとなんで[6]なんだ?」とつぶやきましたか?(^_^)]


[2] 2024総選挙、各党の獲得議席と本来の議席数

 以下の表は比例代表の得票率から各党「本来の議席」と実際の「獲得議席」、そして「増減」を算出しています。自民党は得票率26.7であり、本来なら124議席となります。
 普段3割半ばの得票率がある自民党は今回27%まで減らしました。
 この自民得票率27%から算出される数が124であり、獲得した191議席はまだ67も多すぎるのです。

****************************
【 2024年総選挙、比例代表得票率に基づく正しい議席配分 】

政 党 名 議席数 得票 率 本来数 増 減
自由民主党 191  26.7 124 +67
公 明 党  24  10.9  51 -27
立憲民主党 148  21.2  99 +49
日本 維新  38   9.4  43 - 5
国民民主党  28  11.3  53 -25
れいわ新選   9   7.0  32 -23
日本共産党   8   6.2  29 -21
参 政 党   3   3.4  16 -13
日本保守党   3   2.1  10 - 7
社会民主党   1   1.7   8 - 7
無 所 属  12  ----  ----  ---
総   計 465  ---       
****************************

 最初に確認しておきたいことは衆議院の定数は465(過半数233)です。
 ということは本来政党支持率=得票率が10%なら、46.5の議席を獲得するし、得票率1%でも4.6人――つまり4から5の議席を獲得できるはずです。

 ところが、表をみればわかるように、中小政党は軒並み本来獲得できるはずの議席を得ることができません。4倍増の28議席と浮かれている国民民主だって本当は53議席となっていい。公明党、れいわ、共産は20超も議席が少ないのです。
 昔ながらの主張を繰り返す社民党だって本当は8議席分の支持を得ている。なのに、1人しか当選しない。

 与党自民党の得票率は26.7%であり、この得票率から算出される本来の議席数は124。それが67も多く議席を獲得する。過去も本来なら200議席程度なのに、+100の300議席を獲得したことがあります。
 すなわち自民党の獲得議席は「常に多すぎる」のです。

 理由はもちろん各選挙区で1位になれば議席を得る小選挙区制度にあります。
 たとえば、小選挙区にAB二人が立候補した。結果Aは3万票、Bは2万9999票。
 1票差であってもAが当選してBは落選する。それが小選挙区。

 しかし、それじゃあ「かわいそうだ、ひどすぎる」と言うのでしょうか。比例代表に重複立候補を許したので、Bも(惜敗率が高ければ)比例で復活当選を果たす。今回小選挙区3位であっても比例復活当選したところがあります。「なにそれ?」

 なんのこたぁない。AもBも「議員さん」。「Aを落としたい、Bを落としたい」と思って投票したのに、AもBも「議員さん」。一体誰が投票に行こうと思うでしょう。

 今回与党惨敗の結果を見て「いつもは棄権する浮動層が野党に投票した。だから与党惨敗となった」かに見えます。ところが、投票率は53.9%。前回より2%減っている。
 大胆にまとめるなら、浮動層はやはり選挙に行かなかった。各党の岩盤支持層が投票し、与党惨敗はその中で起こった――と言えるかもしれません。

 今回自民党の小選挙区得票率は38.5%。対して比例代表の得票率は26.7%。10近く少ない。
 前回自民党の小選挙区得票率は48.1%、比例代表34.6%。4年前と比較してやはり10近く票を減らしている。

 こちらも大胆にまとめると、要するに自民党岩盤支持層が裏金問題、政党助成金など全く反省が見られず、変えようともしない自民党に「お灸を据えた」と言えそうです。
 さすがに選挙終盤共産党の『赤旗』がすっぱ抜いた「非公認議員にも活動費2000万」は最後のとどめを刺したのでしょう。

 しかし(繰り返すけれど)、小選挙区によって与党自民党に常に本来より多くの議席が与えられるのに対して「補完するはず」の比例代表(176)も単純ではありません。

 全国をブロックに分けたので、ここでも得票率どおりの議席は得られない。単純に計算しても比例代表の得票率2%なら3人の議席があっていい。けれども、辛うじて1議席。
 もしも465オール比例代表なら、1%の得票率で4人から5人の議員を国会に送り出せる(はず)。だが、得票率1%では一人も議員にならない。

 「たった1%だろ」と言うなかれ。投票者5000万人のうちの50万人、有権者1億人に拡大すると100万人です。もしも100万人が東京でデモを行ったら、政権が転覆するほどの数です。

 これが世界に誇る民主主義国日本の実態です。小政党の存在を認めない制度。イギリスもアメリカも天下の民主主義国家が採用する二大政党制・小選挙区制度とはマイノリティーの意見を採用しない、「小政党は国会に来るな」という制度。それで「独裁国家はいかん」と言うのだから、おへそが茶を沸かす……と言っては言い過ぎでしょう(^_^;)。

 かつてイギリス宰相チャーチルが言いました。
「民主主義は問題の多い最悪の政治形態だ」と。「だが、これまであった全ての統治形態よりはましだ」と(表現はちょっと違うかも)。
 過去の政治形態――王様が支配する国、教祖が支配する宗教国家、領主による封建制度、上中下のカースト・身分制度、他国に侵略して支配する帝国主義、なにより独裁国家。
 日本近くの独裁的大国、弾道ミサイル・核兵器製造に腐心する小国家の様子を見れば、まだ不充分、不満足な選挙制度であっても、民主主義国家日本の方がましと思います。

 今回有権者1億388万749人に対して投票率は過去3番目に低い53.85%でした。
 最近過去の衆院選投票率を見て11回前は73%の投票率があったと知りました。平成2年のことです。それまでの総選挙は平均しても7割前後、最高投票率77%。平成以後は平均6割、最高平成21年の69.8%。今回を入れる過去4回は5割強と低迷。
 昔の人は政治意識が高く、近年の人は低い?
 いやいや、投票に行かないのは民意を正確に反映しない小選挙区のせいであり、なのに小選挙区で二人当選者が出る――つまらない選挙制度のせいだと思います。

 そして、岩盤支持層の中で投票が行われている限り、支持率において常に1位となる自民党に有利な、逆に中小政党に不利な選挙制度であることは間違いありません。

 私は2021年の総選挙後(『狂短歌ジンセー論』の中で)この選挙制度について以下のように書きました。

 これをスポーツで例えるなら、陸上100メートルで1人だけ10メートル先にスタートラインがある。サッカーなら1チームだけ5点のハンデが与えられている。
 結果、100メートル9秒00で1着になって金メダル獲得、サッカーで連戦連勝して「優勝した」と言っているようなもの――と。
 もう一つはチームや個人の決勝戦で戦って一方が金メダルを獲得した。その後「負けた方だってがんばったから両者金メダルにします」と同じことですと。


[6] オール比例代表への道

 さて、目次[2]のあとに[6]とあるのは私のミスでも誤字でもありません。
 そこには[3][4][5]が入ります。
 それは2021年総選挙後に公開した『狂短歌ジンセー論』第180号「2021総選挙、本来の議席数」の中にあります。

 見出しは以下の通り。
 [3] 制度のうまみ・恩恵を最大限に受ける自民党
 [4] 選挙に行きたいと思わせない制度
 [5] いっそみんなで……

 本文と重なる部分もありますが、ぜひお読みください。
 [5]の結論はもちろん「小選挙区制度廃絶」ですが、末尾に以下のように書いています。
---------------------------
 さらに極論ながら、私はこんなことも考えます。
 もしも世の大人たちが「この選挙制度は良くない」と思うなら、いっそみんなで棄権しませんか。
 選挙に国民全員がそっぽを向く。だれ一人として投票する人がなく、当選者が出ない。
 そんなパラレルワールドになれば、さすがに国会議員だって「この選挙制度を変えるしかない」と感じてくれるような気がします(^_^;)。

 ○ 総選挙 投票したって変わらない ならばみんなで棄権してみる?
--------------------------

 ところが、今回ひょんなことから現行選挙制度において与野党逆転が起こりました。
 私は野党が候補者を一本に絞らない限り、この逆転は起こらないとあきらめていました。
 が、現行制度でも逆転が起こった。

 さすがに自民公明も反省して政治資金改革に取り組みそうです。とりわけ詐欺まがいの「企業団体献金が廃止されれば」(なぜ詐欺まがいかと言えば、それを廃止する条件で税金から政党助成金を出すと約束したから)これほど良いことはないので、ぜひ実行してほしいと思います。

 自民党は自党に有利な小選挙区制を変えようとは思わないでしょう。
 もしも野党が小選挙区比例代表という多くの野党にとって不利な制度を改める気持ちがあるなら、絶好の機会がやってきました。

 というのは、もしかしたら選挙制度を比例重視にする最後のチャンスかもしれません。
 自民党の小選挙区支持率は2021年48.1%から今回38.5%に減りました。ただ、今回自民非公認となった裏金議員はここに入らないし、自民より保守的な参政党3.4%、日本保守党も2.1%の支持を得て計6人が当選しています。
 分散した保守票が自民に戻れば、小選挙区の得票率はすぐに40%から50%に復活するでしょう。

 対して立憲民主党は99議席を148議席に増やしたけれど、得票率は比例20.0→21.2、小選挙区28.0→29.0とわずかな増。実際の得票数も比例1449万→1575万、小選挙区こそ1574万→1722万と増えているけれど、これはおそらく自民嫌悪票か無党派層からの流入でしょう。
 これはかなり国民民主党にも流れており、立憲単独で過半数に達することはできませんでした。来年の参院選、次回の衆院選で立憲並びに他の野党が過半数になるかどうか。むしろ難しいかもしれません。

 一気に小選挙区をやめて比例代表だけとするのはさすがに難しいと思います。
 が、465の議席に対して小選挙区(289)、比例代表(176)の比率を変えることはできる。
 たとえば、逆転して比例代表(289)、小選挙区(176)とか、(そもそも国会議員が多すぎるとも言われているので)総数400として比例代表(300)、小選挙区(100)とも。

 さらにそもそも論を言うと、国会議員は地域代表ではありません。憲法には「全国民を代表する」と書かれています。自分の選挙区の地域的要望・陳情を受け、地域の行事に参加し、支援者の弔問に明け暮れる毎日では国全体のことを考える余裕などないでしょう。まずは「ぜひ比例代表を増やしてほしい」と思います。

 ○ 逆転の今こそチャンス到来 比例代表増やすべき

===============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:米大リーグ、ドジャース対ヤンキースのワールドシリーズ、日本のホークス対横浜ベイスターズの日本シリーズが終わりました。結果は前者が4勝1敗でドジャースの勝ち。後者はホークス3連勝の後ベイスターズの4連勝という信じがたい結末に。
 横浜はセリーグ3位から2位、1位を負かす下剋上、日本シリーズ14連勝の強豪相手に土俵際からまたも下剋上。
 勝ちチームを応援された方おめでとうございます。

 私はもちろん大谷君のいるドジャース勝利を予想したけれど、4勝3敗と見たので外れ。後者は予想せず。そもそもセリーグ覇者が負けた時点で「なにそれ?」でしたから(^.^)。

 もう一つアメリカ大統領選。花札元大統領が勝ちました。これも私は予想外れ。
 今後世界はどうなるのか。日本は「防衛でもっと金出せ」と言われそう。
 ただ、アメリカの人にとって同氏の勝利で暴動や内戦の恐れはなくなったでしょう。
 民主党政権が選挙不正は行わなかった証明にもなります。
 映画「シビルウォー」を見ました。アメリカ東部(政府軍)対西部(独立派)の悲惨な殺し合い。
「あんな状態になってはたまらない。ここは駄々っ子に政権取らせよう」との意識が働いたのかもしれません。

| | Comments (0)

2024.11.02

『空海マオの青春』論文編 後半 第7号

 その3(五)「今も昔も人の感情は変わらない」

 空海論前半再掲載においてもう一つ大事なところを忘れていました。
 それは第5節「マオの朝立ち」と題して論じたところです。小説編の執筆スタンスを書いています。
 前半再掲載に(五)として追加いたします。表題は変えました。

 プレ「後半」その3 空海論「前半」再掲載
(一) 理屈と感情          10月09日
(二) 四苦八苦と四喜八喜      10月16日
(三) 観念論と唯物論        10月23日
(四) 空海「即身成仏」と全肯定   10月30日
(五) 今も昔も人の感情は変わらない 11月06日

------------------
 本号の難読漢字
・阿刀大足(あとのおおたり)・『三教指帰』(さんごうしいき)・舅(ここは「おじ」)・槐市(かいし、大学寮)・而立(じりつ、三十歳)・禄高(ろくだか)・小野小町(おののこまち)・坂上郎女(さかのうえのいらつめ)・「来む・来ぬ・来じ」(読みは全て「こ」)・和泉式部(いずみしきぶ)・与謝野晶子(よさのあきこ)・東歌(あずまうた)・信濃路(しなのじ)・墾道(はりみち、開墾中の道)・刈株(かりばね、切り株)・吾(わ)が背(せ、夫)・防人(さきもり)・藤原義孝(ふじわらのよしたか)・勝(まさ)れる・山上憶良(やまのうえのおくら)・憂(う)し(ここは辛い)・井原西鶴(いはらさいかく)・放蕩(ほうとう)

------------------
***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第7号 プレ「後半」その3(五)「今も昔も人の感情は変わらない」

 今も昔も人の感情は変わらない――と書くと、「そりゃあ言い過ぎだ」とお叱りを受けるかもしれません。
 しかし、文字で残されている古代から現代まで、特に文学作品や日記の類を読むと、「今も昔も感じることは同じだなあ」とつぶやくことが多い。今年某局大河ドラマは「紫式部・源氏物語」の平安時代を扱っています。
 着ているもの、住むところ、移動手段は違うけれど、物語は恋人や夫婦の恋物語であり、権力闘争でしょう。彼らに現代の服装とスマホを持たせて語らせれば、現代でも充分通用すると思います。

 以下、『空海マオの青春』小説編の冒頭部分です。空海マオの「朝立ち」を描きました。
----------------------
 翌朝マオは本堂から流れる読経の声で目を覚ました。あたりはまだ薄暗い。大足はすでに起きており、顔を洗いに部屋の外へ出た。
 マオは先に起きねばと思いつつ、ふとんの中でもじもじしていた。目はとうに覚めている。だが、股間が突っ張っておさまらないのだ。一、二年前から毎朝のように感じる不如意であり、男として自然なことと思いつつ、すぐにふとんから出られない。どうにも恥ずかしさを覚える事態だった。(『空海マオの青春』より)
----------------------

 これは『空海マオの青春』一「上京」の一節です。本書を読まれた方が最初に感じる異和感かもしれません。
「いくら少年時代とは言え、真言宗開祖空海の朝立ちを描くなどとんでもない」と(^_^;)。
 しかし、これが私の空海伝執筆の基本スタンスです。生身の空海を描きたいのです。

 空海マオが母方の叔父阿刀の大足とともに帝都長岡に上京したのは彼が十四歳(西暦七八八年)、数えで十五歳のときでした。

 男性の読者なら十四、五歳のころ、朝の目覚めは股間が立つことから始まった記憶があろうかと思います(^.^)。
 男の朝立ちとそれによって発生するむくむくと燃え上がるような感情は女性にはまずわからないでしょう。
 逆に妊娠・出産によって女性に起こる感情が男には決してわからないのと同じように。
 あるいは、毎月一度血を流す少女の感情も少年にはなかなか理解できないと思います。

 空海二十三歳の著書『三教指帰』の序に次のような記述があります。

 余年志学、就外氏阿二千石…舅~二九遊聴槐市~
[余志学の年、外氏阿二千石の舅(おじ)に就き、二九槐市に遊聴し]

 「志学」とは『論語』で有名な十五歳で、「二九」とは2×9=18歳。「外氏」は母方を意味し、「阿」は阿刀の「阿」です。「槐市」は大学。つまり「私は十五歳のとき母方の叔父阿刀の大足(二千石)に就いて(儒学を学び)十八歳のとき大学に入学した」と訳せます。
 志学を『論語』から引きながら、十八歳を表す上品な言葉が見つからず、単なるかけ算を使ったのは面白いところです(^_^)。論語では十五の次は三十(而立)に飛びますからね。

 余談ながら、同書には「三八の春秋を経て」というのもあります。3×8=24歳ということです。これで平安遷都のころ掛け算が使われていたことはわかります。
 では、九九の掛け算はいつころ始まったのか。先日奈良平城京跡から出土した木簡に数字が並んでおり、それが九九であるとわかりました。九九は中国が紀元前に作り出し、日本にもたらされたそうです。役人が一所懸命九九を暗唱した様子が浮かびます。

 それはさておき、阿刀の大足の禄高は二千石であり、別資料から桓武天皇の次男、伊予親王の家庭教師であったことがわかっています。
 勉強とはもちろん「儒学」であり、「大学」は当時日本に一つしかなかった大学寮のことです。

 よって、大学寮入学前のマオを一言でまとめるなら「大学寮で学ぶ儒学をひたすら勉強していた」となります。おそらく七歳くらいから『論語』を読み始め、上京前は讃岐の「国学」で学んだろうと思われます。

 そして、勇躍上京して叔父の元で本格的に儒学を学び始めた。今で言うなら予備校とか個別家庭教師のようなものでしょう。大学寮は日本の最高学府東大でしょうか。

 満年齢でまとめておくと、空海マオは十四歳のとき、叔父に連れられ帝都長岡に上京、叔父から儒学を学び、十七歳のとき大学寮に入学した――となります。
 上京や入学が何月だったか、わかっていません。私は上京を九月として二人が古都明日香から奈良に寄り道すると構想しました。そして、マオの《朝立ち》を描きました(^_^;)。

 二人は飛鳥近くの寺に泊まる。翌朝マオは本堂から流れる読経の声で目を覚ます。叔父はすでに起きている。けれども、マオはもじもじしてふとんから出られない……。男なら必ず覚えがある状態です。

 これについてもう少し説明する前に読者各位へ質問があります。

 みなさん方は現代と五十年前、百年前、三百年前、五百年前、そして一千年前は《違う》とお思いでしょうか、それとも《同じ》でしょうか。
「なにバカなこと言ってるんだ。同じものなど何もないよ」と答えますか?
 私は「同じものがたくさんある」と思っています(^_^)。

 もちろん政治・社会体制・経済・習慣など人間を取り巻く状況は違うでしょう。
 しかし、根本の部分ではかなり似ているのではないか。特に感情面においては全く変わらないと考えています。

 たとえば、今の人間の恋と江戸時代の恋、戦国時代の恋、奈良平安時代の恋は違うでしょうか。
 男が女を見そめ、あるいは女が男に惚れ、お互い相手を受け入れて恋に落ちる。そして、ある流れを経て抱き合いセックスする。結果、子どもが生まれる――ことがあれば、生まれないこともある。

 平安の小野小町は《思ひつつ寝(ぬ)ればや人の見えつらむ》と歌いました。「あなたのことを思って寝たから夢に出てきたのでしょうか。覚めないでほしかった」とため息をつきます。
 現代の女性が恋する人を夢に見るなら、平安時代の女性も夢に見たのです。

 万葉の坂上郎女は「来む・来ぬ・来じ」と「来る」の言葉を五ヶも使って「逢いに来てほしい」気持ちを訴えました。待つ身の辛さは今も昔も同じでしょう。

 どの時代にも淡い初恋があり、片思いがあり、かなわぬ恋があり、不倫がある。
 平安の和泉式部は《黒髪の~まずかきやりし人ぞ恋しき》と独り寝のせつなさを歌い、明治の与謝野晶子は《やは肌のあつき血汐にふれも見で》と、鈍感な男に対して大胆に恋を説きました(^_^)。底に流れる思いは和泉式部と同じだと思います。

 男の歌を探すなら、平安の藤原義孝は《君がため惜しからざりし命さへ 長くもがなと思ひけるかな》と歌いました。「君のためなら命さえ惜しくない。しかし、いざ愛し合うようになってみたら、ずっと長く生きていたいと思うようになった」の意味です。この気持ち、とてもよくわかりますね(^_^)。
 義孝は二十一歳で夭折しています。それを知ると彼の思いがより強く胸に迫ります。義孝の思いは今の恋する若者と全く同じでしょう。

 昔の恋の歌は「貴族・高貴な身分の方でしょ?」と言うなら、庶民だって夫や妻を思う歌を詠んでいます。
 万葉集「東歌」は名もなき東国庶民の歌です。その中に防人となって遠く九州に旅立つ夫を見送る妻の歌があります。
 妻は《刈株(かりばね)に足踏ましなむ くつはけ吾が背》と歌いました。

 開墾中の道は切り株だらけ。足をケガしないよう「くつをはいてね」と。今のように底が厚いクツではありません。クツをはく余裕がなかったかもしれません。
 この歌は「信濃(しなの)」信州・長野県あたりの人の歌です。夫はそこから九州福岡まで歩いていくわけです。防人は往きの旅費は出してくれるけれど、帰りは自費だったとか。戻って来られないかもしれない兵役だったのです。

 逆に「防人の歌」には防人となった男達の歌が多数収められています。
 ある防人は寒い冬の夜、妻を思い出して《七重着る衣に増(ま)せる子ろが肌はも》と歌っています。「七重にも重ねた夜具よりお前の肌の方が暖かかった」というのです。

 明治の与謝野晶子は日露戦争に出征する弟を思い、「あゝおとうとよ、君を泣く 君死にたまふことなかれ」と詩に書きました。
 命令一つで出征しなければならない庶民の辛さ、見送る家族の気持ちは今も昔も同じでしょう。

 生まれた子どもは幼年期、少年・少女期を経て大人になる。初めは親の言うことに従いながら、やがて自我に目覚める。しかし、社会が個人の自我など認めない時代、江戸時代のように身分差別がある時代はそのときのルールに従って生きるしかない。ルールに従えない人間はドロップアウトする。その悲喜劇はどの時代にもあります。

 いつでも親孝行な人間がいて親不孝な人間がいる。江戸時代の井原西鶴は『本朝二十不孝』を書きました。そこに描かれた親不孝な放蕩息子、うろたえあわてる親の様子はそのまま現代の親子です。
 あるいは、若者の立身出世への思い、親への思い、親となっての我が子への思い……奈良時代の山上憶良は「子どもは黄金にも白玉にもまさる宝物」と歌いました。

 憶良は生きることのつらさ、苦しさを長歌『貧窮問答歌』でせつせつと歌っています。
 妻や子を持てば、まず家族を養わねばならない。この世を生きることはつらく、苦しい。逃げたいと思っても、妻や子、年老いた親がいれば、彼らを捨てて飛び立つことなどできるわけがない。憶良はその思いを《飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば》と歌いました。それは現代を生きる三十代、四十代の父親と同じでしょう。

 これら人間が持つ思いや感情は平安時代であっても、江戸時代、明治時代であっても同じではないか。人間の根本の感情は時代によって変わらない。私はそのように考えています。

 ここで空海に戻って「生身の空海を描きたい」――そう思ったとき、いかな天才空海でも、普通の人間が持つ感情、生身の男が持つ思いや感情は今と変わらないだろうと思いました。これが空海伝執筆の基本スタンスです。

 このようなわけで空海青春伝の最初に置いたのが《朝立ち》でした(^_^)。
 それは健康な男なら十代で必ず始まる性的目覚めであり、生理反応です。今を生きる少年全てに朝立ちがあるなら、若き空海にだって朝立ちがあっただろう。今後空海マオの性欲について触れないわけにはいかない。ならば、朝立ちは当然のように書かねばならない生身の空海でした。

 朝立ちはだいたいおちんちんに毛が生えるころから始まるようです。
 自分の体験を白状すると(^.^)、中学校に入学した頃から朝立ちが始まりました。そして、二十代半ばまで朝立ちは毎朝続きました。特に十五、六歳の頃は目覚めれば必ず立っており(^_^;)、それがおさまるまで数分から十分くらいふとんの中で静かにしていなければなりませんでした。

 本節の表題「マオの朝立ち」を見て「ふざけた表題だ」と思われたかもしれません。
 しかし、朝立ちが始まった少年にとってどんなに学問に励もうと決心しても、抑えきれず隠しきれず、立つものは立ち、もやもやとした感情に包まれる――それを表現したかったのです(^_^)。

****************

参考:以下本文で取り上げた和歌の出典です。

・思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせば覚めざらましを
〈あの人を思って寝たから夢に現れたのでしょうか。夢とわかっていたら覚めなかったのに〉(小野小町『古今集』)

・黒髪のみだれも知らずうちふせば まずかきやりし人ぞ恋しき
〈独り寝のこんな夜は黒髪をかきやってくれたあの人が恋しい〉(和泉式部『後拾遺集』)

・来むといふも来ぬときあるを 来じといふを来むとは待たじ 来じといふものを
〈行くよと言っといて来ないときがあるのだから、行かないよと言うのを「来るかも知れない」と待つのはやめよう。来ないって言ってるんだから〉(坂上郎女『万葉集』)

・やは肌のあつき血汐(ちしお)にふれも見で さびしからずや道を説く君
〈熱い血潮が流れる私の柔肌に触れもしないであなたは道を説くばかり。さみしくないの?〉(与謝野晶子『みだれ髪』)

・君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな
〈君のためなら命も惜しくない。でも愛し合ってみると、いつまでも生きていたいと思うようになった〉(藤原義孝『 後拾遺集』)

・信濃路は今の墾道(はりみち) 刈株(かりばね)に足踏ましなむ くつはけ吾が背
〈旅立つ我が夫へ。信濃路は開墾中の道です。切り株が至るところにあるでしょう。踏みつけてケガしないよう、クツを履いてね〉(『万葉集』東歌)

・笹が葉のさやく霜夜(しもよ)に七重着る 衣に増(ま)せる子ろが肌はも
〈霜が降りる夜は笹の葉がさやさやと聞こえる。こんな寒い夜はお前と添い寝した暖かさを思い出す〉(『万葉集』防人の歌)

・銀(しろがね)も金(くがね)も玉も何せむに 勝(まさ)れる宝 子にしかめやも
〈白銀に黄金、白玉が何だというのだ。我が子に優る宝物などこの世にありはしない〉(山上憶良『万葉集』)

・世の中を憂(う)しとやさしと思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば
〈生きることはつらく苦しい。逃げたいと思っても、家族を捨てて飛び立つことなどできはしない。私は鳥ではないのだから〉(山上憶良『万葉集』)

 なお、与謝野晶子の「君死にたもうことなかれ」はネット検索で見ることができます。読んだことのない人はご一読下さい。
 中に「戦争をしろと命令する人は自ら戦場に行くことはない」という痛烈な一言があります。中国・韓国との間できなくさい空気が漂っている今こそ、読まれるべき詩だと思います。

*****************

=================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

| | Comments (0)

« October 2024 | Main | December 2024 »