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2025.02.24

フェブラリーS、結果と回顧

 フェブラリーS結果は――◎1着ながらヒモをミスして…全滅(^.^)

 1着―キング 09コスタノヴァ……………[◎]5 単勝=4.3
 2着―幸英明 12サンライズジパング……[・]4
 3着―戸崎圭 14ミッキーファイト………[・]4
 4着―藤岡佑 11ペプチドナイル…………[・]7
 5着―横山武 01エンペラーワケア………[〇]5歳

 一覧順位[A→H→D→E] 馬群[1→2→1→2]
 前日馬順[B→E→C→D] 枠順[B→C*→D→C](*印は代行)

 枠連=5-6=8.2 馬連=09-12=18.3 馬単=29.7
 3連複=09-12-14=21.4 3連単=135.1
 ワイド12=7.2 W13=4.2 W23=4.4

---------------
 本紙予想結果
 印騎 手番馬       名 馬 結果
 ◎キング09コスタノヴァ    B 1
 〇横山武01エンペラーワケア  A 5
 △横山和08ドゥラエレーデ   G  11
 △鮫島駿07サンデーファンデー H  10
 △長 岡15ガイアフォース   F  7
 ・藤岡佑11ペプチドナイル   D 4
 ・岩田望04ウィリアムバローズ 11  13
 ・浜 中06メイショウハリオ  10  6
 ・幸英明12サンライズジパング E 2
 ・戸崎圭14ミッキーファイト  C 3
 ★石橋脩02タガノビューティー 09  8

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【フェブラリーS、過去10年の実近一覧結果】

    一 覧     馬 順     [1234]群
2025年 A→H→D→E B→E→C→D 1→2→1→2 乖離2着
2024年 QC→QF→E→D 12→F→14→G 3→4→2→1 乖離2着
2023年 B→A→D→C A→D→C→B 1→1→1→1
2022年 C→QC→QB→QA B→E→F→C 1→3→3→3 乖離234着
2021年 B→QG→E→A A→11→H→B 1→4→2→1 
2020年 G→H→E→QC B→16→D→11 2→2→2→3 乖離1着
2019年 H→A→QA→B B→A→H→09 2→1→3→1 乖離1着 
2018年 D→A→QD→E D→A→G→C 1→1→3→2 乖離3着
2017年 D→A→QA→E A→B→D→H 1→1→3→2 乖離3着
2016年 B→C→QG→A B→A→G→C 1→1→4→1 乖離3着

 また元に戻ったようで、馬順AかBのいずれかが軸。相手はCDE。
 2着は同一馬群内なので厳密には乖離馬ではありません。しかし[H→E]は結構な集中なので乖離馬としました。それが2着はいいけれど、第3、4群の乖離3頭は掲示板にも載らず。ここらが難しいところです。

*****************************
 【フェブラリーS 実近一覧表】 東京 ダ16 16頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=09|コスタ ノヴァ  5| 2.8{AB}[14]A|B| |ABAG ◎1
B=01|エンペラーワケア 5| 4.3{BA}[6]C|A| |BACC 〇5
C=04|ウィリアムバローズ7|10.4{CE}[5] |11| |10121314 ・13
D=14|ミッキー ファイト4|11.2{DC}[8] |C| |CDBA ・3
[2]
E=11|ペプチド ナイル 7|13.6{GF}[3]F|D| |DCEE ・4
F=06|メイショウ ハリオ8|14.2{EH}[12] |10| |     ・
G=02|タガノビューティー8|17.1{F12}[15] |09| |091009H ★8
H=12|サンライズジパング4|24.4{09D}[9]D|E|乖|EEFF ・2
[3]
QA=16|ヘ リ オ ス  9|27.4{H14}[4] |16| |
QB=15|ガイア フォース 6|37.4{1109}[13] |F|乖|FFDD △
QC=07|サンデーファンデー5|38.1{1010}[7] |H|乖|HHH10 △
QD=13|デルマソトガケ  5|39.3{1211}[10] |13| |
[4]
QE=08|ドゥラエレーデ  5|40.8{1313}[11]E|G|乖|GGGB △
QF=10|アンモ シエラ 牝4|42.0{16G}[1]逃|14| |
QG=05|アートルアストレ牝6|46.4{1415}[16]B|12| |
QH=03|ミ ト ノ オー 5|59.7{1516}[2]逃|15| |
 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位

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 ○ 展開予想[逃げ先行多くハイペースか]

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
 10 03 11 16 -04 01 07 14 -12 13 08 06 -15 09 02 05
覧 5 ▲ 〇 △ 6 ◎
3F F C D E A B
本   〇 △ △ △ ◎ ★
結 4 5 3 2 1
-----------------------------

 [枠連順位]
 枠連型=A流れC[4巴]  枠順AB=8.5
 馬連型=3巴  [4巴系] 馬連AB=7.6

 枠連=ABC/D/EF/G/H 
 枠順=156 7 48 3 2 枠順[B→C*→D→C](*印は代行)
 馬順=ABD C GF 10 11 馬順[B→E→C→D]
 代行=0914E 13 H16 12 15 
 ―――――――――――――
 結果=5142 3

[結果]
 3巴を(低レベルに見えそうなときも)ABC3強とすれば、3強の123着は意外と少なく、2頭か1頭絡むパターンが多い。
 で、今回は馬順ABCのうちB、C2頭が1、3着。Aは消えて5着。
 そこに枠で転換があった枠Bの馬順DEが4、2着に入ってかなり単純。
 ただ、終わった後ならこのように言えるけれど、開始前だと難しい。

 枠順では[B→C→D]と4巴内で決まったことになるが、Aが消えているし、2着のCは代行[C*]である。これもまた悩みの種。
 今回より始めた馬順予想は残念ながら外れ。3複ウラ予想[CDEFボックス]を[BCDEボックス]とすれば完璧だったが、それは結果論。
 そのうち的中を期待したい。

****************************
 回  顧


 やりましたねえ(^_^)。15億ゲット。
 サウジに遠征してGIサウジCに出走した牡4歳坂井瑠星フォーエバーヤング。
 香港最強のセン馬7歳マクドナルド・ロマンチックウォリアー(成績28戦[18.302])を破って見事1着。賞金1000万ドルをゲットしました。
 おめでとうございます。

 これ円安だから15億だけど、1ドル100円だと10億。
 庶民の我らにゃ縁遠いけれど、ずいぶん違います。
 日本のダートGIフェブラリーS、チャンピオンズCはともに1着賞金1億2千万。10分の1にもならないのだから、そりゃあ海外に行くはずです。

 ちなみに、3、4着も日本馬で3着牡8歳菅原ウシュバテソーロも200万ドル(3億)ゲット。日本のダートGIに出るよりよっぽどまし……てなところでしょうか。

 レース映像見ましたか。私は結果を知ってから見ましたが、フォーエバーヤングの勝ち方すごかったですね。

 4角で先に外からロマンチックが抜け出し、直後内を先行していたフォーエバーが追う。すぐに後続と数馬身差開いてマッチレースの気配。
 外ロマンチック、内1馬身ほど後ろをフォーエバー。

 そのとき残り300くらいでロマンチックが内に斜行します。
 これ自然なのか鞍上の意図か。見た限りでは内のフォーエバーはそのまま進んでもロマンチックを抜けないだろうと思いました。

 ところが、そこでなんと坂井瑠星は外に出したのです。
「おいおい。もうムリやろ」って感じ。
 当然のように前とすぐ2馬身ほど開きました。もう逆転は無理。
 ライブ観戦の人は連単馬券を持っていれば、
「2着やな~」とがっかりしたでしょう。

 ところが、ところが、やや離れた外を追いかけるフォーエバーがどんどんロマンチックに近づくではありませんか。
 直線も長いようです。じりじり、じりじり迫ってゴール寸前内のロマンチックの前に出たのです。結果は1491の同タイムクビ差。

 たまげました(^.^)。それで勝つか、バケモンや!
 勝率1パーセントもないであろう絶望からの復活V。 
 連単馬券の方々は深夜ものすごい声を出して顰蹙ものだったかも。

 坂井瑠星騎手の切り返しにも驚き。
 前から見る映像はないけれど、ロマンチックの斜行は4角大外を抜け出したときから始まっており、どんどん内によります。
 あのまま進んだら、ロマンチックと内らちの間に挟まれる恐れさえあった。
 そこを切り返した冷静な騎乗は称賛に価します。

 勝ったのは馬の力であるとしても、坂井騎手の騎乗ぶりも素晴らしいと思ったことです。
 私の騎手評価はランク2(1は3人)でしたが、これによって1に格上げしたいと思います。彼も今後(かつての武豊か)ルメールさんに近づくかもしれません。

 最後にもう一つ。「行方不明」と書いたルメール、武豊コンビ。
 私が知らなかっただけで、やはりサウジに行っていました。GIサウジCには出なかったけれど、他のレースに出ています。
 そして、ルメールさんしっかり1着もゲットしている。豊さんは……もごもご(^.^)。

 さて、本題の国内GIフェブラリーS。
 勝ったのは一覧トップA、私も◎を打ったレイチェル・キング騎手牡5歳09コスタノヴァ。
 レースは意外にもスローペースとなり、入りの3F35.5。同馬は先行して直線抜け出し、勝ちタイム1355。2着幸英明牡4歳12サンライズジパングとはコンマ2差、楽勝の感じでした。

 私の予想はヒモの評価ミス。
 4歳馬は3頭出走。うち牝馬はさすがに無理スジ。
 しかし、牡2頭も……。
--------------------------------
 14ミッキーファイトと12サンライズジパングは牡4歳で人気上位ですが、
私は軽視して[・]印に。
 というのは両馬は58キロ初だからです。過去10年4歳馬の1着はあるけ
れど、2年前58キロになって以降123着は5歳以上。
 かつては3歳で背負った57キロで古馬の57キロと対戦できた。しかし、
4歳以上58キロとなった結果、5歳以上は昨年58キロを経験できたのに、
4歳は58キロ初となるからです。この4歳馬の1キロ増はきついと思いま
す。
 ちなみに、サウジC(は古馬57キロなので)4歳フォーエバーヤングも57
キロで出走できます。
--------------------------------
 フォーエバーが1着するだけでなく、こちらも両4歳馬が2、3着激走とは……。

 ただ、これまでもありました。世代が「強いことがある」と。
 少なくともダートは4歳世代が強いのかもしれません。

 そう見切れば、一覧トップAから「相手は4歳2頭」と予想できる。
 すると、究極の3頭絞りであり、全種的中の完全予想でした。
 あっさり[・]印にするのではなく、「もしかしたら世代交替で4歳2頭が抜け出すかも」とこの2頭にウラの★印をつけても良かったなあ……と反省です。
 ……って結果論ですが(^_^;)。

 ここで終わらないのが御影流。
 急きょ[急遽]昨年後期の古馬(3歳上)平地重傷を調べてみました。
 全23レースあって3歳馬の成績は[423.14]。
 この調査やったことないので、連絡みが多いのか少ないのか、ちっともわかりません。
 ただ、ダート重賞に限ると4戦[2002]。3歳馬はだいたい1~3頭くらいしか出ないので、4戦2勝は好結果かもしれません。
 勝ったのは11月の京都G3みやこSでサンライズジパング、12月中山G3カペラSで牝馬のガビーズシスター。おおサンライズジパングとは今回の2着馬。

 ということは芝で3歳馬のVは2頭。1頭は10月東京G2毎日王冠のシックスペンス。では、もう1頭は?
 これ直ちに出ないようでは脳トレクイズやった方がいいかもしれません(^.^)。

 ほれ。出れば1着確実の武豊ドウデュースが取り消した引退レース。
 私がその馬をウラ●にしながら、GIV馬3頭のうちカットした人気薄馬が2着に激走して痛恨のほぞを噛んだ……有馬記念ですよ。

 思い出しましたか。勝ったのは牝3歳馬の戸崎圭レガレイラ。

 また、振り返ればジャパンCで武豊ドウデュースの2着に食い込んだのは坂井瑠星3歳シンエンペラー(8人気)でした。この馬もフォーエバーヤングに似て海外遠征。凱旋門12着帰りでクビ差2着でした。

 してみると、あまり話題になっていなかったけれど、昨年後期の3歳馬=今年の4歳馬。結構《強い》のかもしれません。
 今後の参考にしてください。


 以上です。

 えっ、「おいおいフェブラリーSよりサウジCの方が多いなあ」ですか。
 まーそーいうときもあります(^.^)。

 そうそう、勝ったレイチェル・キング騎手。
 とうとう日本のGIにおいて初の女性騎手制覇という快挙を達成。
 こちらもおめでとうございます。

 ちなみに同騎手のムチ。数えてみました。
 直線抜け出すところから計7発。最初の左ムチ2発で外によれたから結構な打ちっぷり。が直ちに右ムチに持ち替えた2発はさすが。最後ゴール直前の2発は余計かも。しごだけで勝ったのではと思います。
 多くもなく、少なくもなしってところでしようか。

 となると、サウジCVの坂井瑠フォーエバーヤング。
 ムチの数は切り返すところで左ムチ2発。外に出たら右に持ち替えて数発くらい。それで終わり。最後ゴール直前はしごくだけで抜きました。こちらは誉めたい。

 余談ながら、いとこと今年初GI観戦。
 彼は09コスタノヴァを軸としてワイド、3複を的中。
 競馬残高ほぼ0円から復活を達成しました。
 こちらも「おめでとう」と言ったことです(^.^)。

===============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2025.02.22

GIフェブラリーS、直前予想

 寒中お見舞い申し上げます。今年こそほぞ噛みを脱したい御影祐です。
 改めて今年もよろしくお願いいたします。m(__)m

 昨年と違って今年は1月も2月も寒い寒い日々でした。
 2月末というのに、むしろ極寒お見舞いと言いたいほどの寒波襲来。
 北国の方はほんとうに大変で、雪害のお見舞い申し上げます。

 こちら大分内陸も計3回極寒の週があり、ひどいと-10度近くまで下がりました。
 同時に私の1、2月新春競馬も極寒状況(^_^;)で、しばらく初的中さえなく、最近中穴の的中でようやく回収率50パーセントに近づきました。

 最近メインレースの傾向として本命サイドを予想するのがアホらしくなるほどよく荒れている――そう思うのは私だけでしょうか。
 毎日曜はいとことテレビ観戦しているのですが、「今日はこの2頭(3頭)で決まりでしょう」と予想してその通りになったことが一度もありません。

 むしろ(たとえば16頭なら)10頭選んで人気とともにメモに書いていると、3着内にそのうち2頭は入る。ところが、もう1頭「知らん人気の馬」が飛び込む(^_^;)。当然のようにフタケタ人気。
 かくして総流しの誘惑にとらわれるけれど、オゼゼ少なき年金生活者。
 そもそも10頭の中で「この2頭」と決めてもそれが大概外れる。ゆえに総流しもできない……。

 まー愚痴っても詮無いことなので、なんとか絞りつつ、広く流しつつ、的中を目指したいと思います。

 今年は実近一覧の結果を積み重ねて10年目になります。
 やっと傾向らしいものが見えてきた……と言いたいところながら、過去の傾向を裏切る「どかん」があって競馬ってほんとに難しいと思います。
 まー命から?番目くらいの投資に留めましょう。

 それからこれまで「オッズ分析」による予想はほとんど枠連でしたが、今年から馬連・3複予想を開始したいと思います。
 これまた過去の出現傾向に基づく「自動予想」です。今流行りの「AI予想」と言いたいところですが、アナログ的自動化です(^.^)。しばらく様子見してください。

 さて、明日はダートGIフェブラリーS。
 昨年は大荒れでしたね。前日馬順[12→F→14→G]で3複19万、3単150万。
 自動予想でも当然のように外れ。今年は平穏に終わってほしいものです。

 まずは過去9年の実近一覧結果から。

【フェブラリーS、過去9年の実近一覧結果】

    一 覧     馬 順     [1234]群
2025年 →→→ →→→ →→→
2024年 QC→QF→E→D 12→F→14→G 3→4→2→1 乖離2着
2023年 B→A→D→C A→D→C→B 1→1→1→1
2022年 C→QC→QB→QA B→E→F→C 1→3→3→3 乖離234着
2021年 B→QG→E→A A→11→H→B 1→4→2→1 
2020年 G→H→E→QC B→16→D→11 2→2→2→3 乖離1着
2019年 H→A→QA→B B→A→H→09 2→1→3→1 乖離1着 
2018年 D→A→QD→E D→A→G→C 1→1→3→2 乖離3着
2017年 D→A→QA→E A→B→D→H 1→1→3→2 乖離3着
2016年 B→C→QG→A B→A→G→C 1→1→4→1 乖離3着

 昨年はそれまでの馬順AかBが1、2着するという8年間の傾向が奈落の底に突き落とされる逆転現象。それでも2着は第4群→Fの乖離馬。
 昨年の「回顧」を再読すれば、オッズ分析による土日枠順の比較で「枠連獲れてた」とほぞ噛んだことがわかると思います。

 前日オッズの結果は枠連[H→E]であり、当日(朝)だと[F→E]。
 いずれにせよ、枠連はAB型であり、自動だと[AB軸に→CD蹴ってEFGH]となり、大穴なら[EFGH]。結果ABCD全て消えるチョー大穴だったということです。
 オッズ分析結果から「Hまで絡むかも」と予感はあっただけに、思い切って枠順[EFGH]の馬券を組むべきだったと思いました。

*******************************
 【フェブラリーS 実近一覧表】 東京 ダ16 16頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬       名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複 印着
[1]
A=09|コスタ ノヴァ  5| 2.8{AB}[14]A|B| |ABAG ◎
B=01|エンペラーワケア 5| 4.3{BA}[6]C|A| |BACC 〇
C=04|ウィリアムバローズ7|10.4{CE}[5] |11| |10121314 ・
D=14|ミッキー ファイト4|11.2{DC}[8] |C| |CDBA ・
[2]
E=11|ペプチド ナイル 7|13.6{GF}[3]F|D| |DCEE ・
F=06|メイショウ ハリオ8|14.2{EH}[12] |10| |     ・
G=02|タガノビューティー8|17.1{F12}[15] |09| |091009H ★
H=12|サンライズジパング4|24.4{09D}[9]D|E|乖|EEFF ・
[3]
QA=16|ヘ リ オ ス  9|27.4{H14}[4] |16| |
QB=15|ガイア フォース 6|37.4{1109}[13] |F|乖|FFDD △
QC=07|サンデーファンデー5|38.1{1010}[7] |H|乖|HHH10 △
QD=13|デルマソトガケ  5|39.3{1211}[10] |13| |
[4]
QE=08|ドゥラエレーデ  5|40.8{1313}[11]E|G|乖|GGGB △
QF=10|アンモ シエラ 牝4|42.0{16G}[1]逃|14| |
QG=05|アートルアストレ牝6|46.4{1415}[16]B|12| |
QH=03|ミ ト ノ オー 5|59.7{1516}[2]逃|15| |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
---------------------------------------------------------
 ○ 展開予想[逃げ先行多くハイペースか]

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
 10 03 11 16 -04 01 07 14 -12 13 08 06 -15 09 02 05
覧 5 ▲ 〇 △ 6 ◎
3F F C D E A B
本   〇 △ △ △ ◎ ★

----------------------------
 [枠連順位]
 枠連型=A流れC[4巴]  枠順AB=8.5
 馬連型=3巴  [4巴系] 馬連AB=7.6

 枠連=ABC/D/EF/G/H 
 枠順=156 7 48 3 2
 馬順=ABD C GF 10 11
 代行=0914E 13 H16 12 15
 ―――――――――――――
 結果=

 [オッズ分析]
馬連はA1枠01、B5枠09、C7枠14の3巴。しかし、枠連は1-5、1-6の後6-7のCDが続いている。本来なら5-6が続く3巴となるべき。すなわち変形の4巴である。また、馬連はF15までの6巴でもある。
 さらに、枠順と馬順を見ると、枠C6と枠D7の転換、枠E4と枠F8にも転換がある。ただ、これはC6枠に馬順D11・E12が同居、枠E4枠に馬順G08H07が同居しているせいだろう。枠GH3枠2枠は来ないような気がするけれど、なんとも言えない。よって枠連は不参加。

 結論としては枠GHをカットするなら、枠AからFまでで決まる可能性高し。だが、どの枠が来るかは不明。また、馬順は一応6巴のAからFの6頭内で決まるかもしれない。

 今回より始める自動予想は以下。
 馬連軸F・G=15ガイアフォース・08ドゥラエレーデ
 3複表AB軸=A-B→EFGH0910=01-09→12 15 08 07 02 06
 3複ウラ=CDEFボックス=[14 11 12 15]

****************************
 ※ 直前予想

 昨年出れば1番人気確実のレモンポップがここに出走せず馬券は大荒れ。
 同馬は翌週のGIサウジCに遠征して3番人気12着(ほげ)。
 しかし、その後地方GI連勝後前走12月のダートGIチャンピオンズCを勝って引退しました。

 今年そのサウジCは本日深夜のスタート。
 今年も(ここフェブラリーSに出れば1番人気確実だった)4歳坂井瑠フォーエバーヤングが出走します。目下ダントツ1番人気。今年こそ勝って15億の大金持って帰るかどうか(^.^)。

 となると、昨年同様「今年もこっちは荒れるぞぉ」と思わせます。
 オッズも混戦模様。
 しかし、実近一覧を支えとする私にとって今年は荒れても中位人気までではないかと思います。

 そこで一覧トップ2頭。
[1]
順=番|馬       名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|乖|3指単複
A=09|コスタ ノヴァ  5| 2.8{AB}[14]A|B| |ABAG
B=01|エンペラーワケア 5| 4.3{BA}[6]C|A| |BACC

 予測オッズはこの2頭が抜けています。また、成績も
09コスタノヴァ  =全[6101]ダ16[3000]東京[5000]
01エンペラーワケア=全[7200]ダ16[1000]東京[2100]

 このようにかなり優秀。斤量58キロも09が1戦1勝、01が2戦[1100]。ダートながら前走上がりもAとC。

 問題は両馬5歳なのにGI、G2未経験であること。G3なら09が1戦1勝、01が2戦2勝。
 ただ(この後眺めますが)、GI、G2V馬に大した実績馬がいない。ここはG3Vだけでも充分対抗できるのではないか。

 も一つただし……問題は騎手。09コスタノヴァはルメールさんのお手馬。それが前走から横山武騎手に(前走G3根岸Sは1着)。
 ルメールさんどうしたのか、他場にも見えず行方不明?

 また、01エンペラーワケアは過去5走川田騎手で[4100]。それがサウジに行ったので、R・キング騎手に乗り替わり。同騎手はG2-1勝、G3-2勝があるけれど、過去3年GIVはなし。これがどうか。

 さらに引っかかるのは両馬の5種オッズがずらりABが並び、馬連など[AB型]となっていいのに、なっていないこと。09コスタノヴァなど複勝順位が7位と悪すぎ。

 ゆえに、どうも両馬の1、2着とは思えないけれど、3着内なら来るのではないか。
 そう思って2頭を表の◎〇に。
 ◎は前走根岸Sを勝った09コスタノヴァとします。

 となると、初っ端からいつもの3複総流し……(^_^;)と言いたいところながら、どうも基礎データをチェックすると、「これは無理スジやろ」の馬が何頭かいます。
 そこで基礎データを掲載しつつ、カット候補は無印。残す馬に△印と[・]印をつけて◎〇から流すことにしたいと思います。

 まず年齢構成は以下の通り。
 4歳=3 5=6 6=2 7=2 8=2 9=1頭
 牡14頭(セ1=9歳16ヘリオス)
 牝2頭(05アーテルアストレア・10アンモシエラ)

 この中では5歳が6頭と多いけれど、すでに◎〇で2頭ピックアップ。5歳123着の可能性なくはないので、カットはできない。
 一方、16ヘリオスは9歳だし牝2頭も厳しそうで、来たらごめんなさいのカット。

 次に格の上位である重賞V馬について。

 今も書いた通り09コスタノヴァ、01エンペラーワケアの他に14ミッキーファイトもGI・G2Vはなく、出走もない。14ミッキーファイトと12サンライズジパングは牡4歳で人気上位ですが、私は軽視して[・]印に。

 というのは両馬は58キロ初だからです。過去10年4歳馬の1着はあるけれど、2年前58キロになって以降123着は5歳以上。
 かつては3歳で背負った57キロで古馬の57キロと対戦できた。しかし、4歳以上58キロとなった結果、5歳以上は昨年58キロを経験できたのに、4歳は58キロ初となるからです。この4歳馬の1キロ増はきついと思います。
 ちなみに、サウジC(は古馬57キロなので)4歳フォーエバーヤングも57キロで出走できます。

 そこで、格からGIV、G2V、G3Vを眺めて取捨選択すると(末尾は馬順)、

GIV(2頭)
△08ドゥラエレーデ 22年GIホープフル[中山芝20]V  G
・11ペプチドナイル 24年GIフェブラリーSV     D
 ペプチドナイルは昨年のフェブラリーSV馬。ただ38倍の11番人気だったし、過去3走も善戦どまり。
 ドゥラエレーデはもともと芝馬でしたがダート10戦[1243]、2前ダートGIチャンピオンズC3着もあって激走が期待できる。

G2V(4頭)―GIVのない
・04ウィリアムバローズ 24年東海S[京都ダ18]V    11
△07サンデーファンデー 前走プロキオンS[中京ダ18]V H
 13デルマソトガケ   23年UAEダービー[ダ18]V  13
△15ガイアフォース   22年セントライト[中山芝22]V F
 ガイアフォースは芝馬でダートは2走。昨年のフェブラリーS2着馬無視できず。

G3V(6頭)―01・06のみ2勝
〇01エンペラーワケア  前走武蔵野S[東京ダ16]V・昨年根岸SV A
・06メイショウハリオ  21年みやこS[阪神ダ18]V・
            22年マーチS[中山ダ18]V   10
 03ミトノオー     24年平安S[京都ダ18]V    15
◎09コスタノヴァ    前走根岸S[東京ダ14]V    B
・12サンライズジパング 24年みやこS[阪神ダ18]V   E
・14ミッキーファイト  24年レパードS[新潟ダ18]V(地方J2Vあり) C

 というわけで、表の印は以下10頭に。
◎09コスタノヴァ
〇01エンペラーワケア
△08ドゥラエレーデ
△07サンデーファンデー
△15ガイアフォース
・11ペプチドナイル
・04ウィリアムバローズ
・06メイショウハリオ
・12サンライズジパング
・14ミッキーファイト

 さて、いつものウラですが、オッズ分析からも候補が多すぎるので、今回は表のみに絞りたいと思います。
 ただ、上記に入っていない馬が1頭。その中でひそかに買ってみたい馬が02タガノビューティーです。馬順09位。8歳馬。重賞Vがないので上記から抜け落ちています。

 前走東京ダート14のG3根岸Sで59キロを背負って30倍の11番人気。
 同馬はダート36戦[885.15]、ダート16[3526]。とにかく追い込みタイプで上がりがいい。ほぼベスト3内です。昨年のフェブラリーSでは10番手あたりから上がり3位で追い込んで4着。
 で、今年の根岸Sで穴馬に期待していたら、スタート直後にまさかの落馬。
 しかし、裸馬は最後方から直線半ばで先頭に立ち、粘ってコスタノヴァの2着に食い込みました(^.^)。もしかしたら今回58キロに戻ってあの競馬をできるかもしれません。

 58キロの実績[1123]、東京ダート[5536]。ダート16で3勝をあげ、東京で5勝を挙げているのはコスタノヴァとこの馬だけ。
 勝つとはとても思えないけれど、無印のままもしも2、3着激走があるとほぞ噛まなきゃならないので、最後に★印として追加します。

 以上です。

 本紙予想
 印騎 手番馬       名 馬順
 ◎キング09コスタノヴァ    B
 〇横山武01エンペラーワケア  A
 △横山和08ドゥラエレーデ   G
 △鮫島駿07サンデーファンデー H
 △長 岡15ガイアフォース   F
 ・藤岡佑11ペプチドナイル   D
 ・岩田望04ウィリアムバローズ 11
 ・浜 中06メイショウハリオ  10
 ・幸英明12サンライズジパング E
 ・戸崎圭14ミッキーファイト  C
 ★石橋脩02タガノビューティー 09

 さて結果は?

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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『空海マオの青春』論文編 後半 第19号

 「『空海論』前半のまとめ(三)の6」修正
  → 「前半のまとめ(四)の1」

 前節において空海マオが南都仏教を飛び出して山岳修験道に進んだけれど、道教・神仙思想に失望して再び仏教に戻る――ところまでをたどりました。
 空海論前半では、この後「仏教回帰」として第31節~38節まで8節にわたって『三教指帰』の仏教編を眺めています。空海は簡潔に、端的に、とてもきれいに仏教のイロハをまとめています。
 これまた全て再配信したいところながら、さすがに仏教無関心の人にとっては忍耐が必要であり、頓挫すること間違いなし(「頓挫」読めなければ検索を)。

 ただ、その中で私が時折発した疑問・感想のいくつかを(かなり根本的なことと思われるので)ここに掲載しておきます。
 いずれ後半に突入したとき、振り返って考察するので、事前準備としてみなさんもちょこっと考えてみてください。

1 仏教はどうして今を生きる人は「救えない」と公言する宗教なのか。

2 仏教は殺生を禁じ、「うそをつくな」など十戒を説く。なぜ人にとって不可能なことばかり「するな」というのか。

3 人間が死後生まれ変わるところは地獄、餓鬼、阿修羅など六つある。その一つ「天界」は一見極楽のようなところ。だが、そこは「極楽」ではない。なぜか。

4 もしも地獄・極楽が存在するなら、生き物を殺して生きる人間は死後地獄に堕ちるに違いない。果たして極楽に行けるのだろうか。

5 自分が良いと思ったものを人に勧めないのは悪いことか。

 1は少々の説明を。
 多くの旧宗教、新興宗教が「我が宗教、我が教祖を信仰すれば、あなたはきっと救われる」と説きます。だが、仏教だけは「あなたは救われません」と言う、かなり珍しい宗教です。
「えっどうして。どこからそんなことが言えるの?」とつぶやかれた方のために……

 仏教の創始者釈迦は自ら悟りを開き、苦しむ衆生を救うという決意をもって布教し、八十余年の人生を全うしました。その教えは弟子の弥勒菩薩が引き継ぐようにと遺言を残します。
 ちなみに「菩薩」とは悟りを開いているけれど、仏になる前の存在という意味。観音菩薩や地蔵菩薩が有名。人間だからもちろん死にます。釈迦が亡くなったように、多くの菩薩もすでにこの世にはいない。
 そして、弥勒菩薩は釈迦入滅の56億7千万年後、仏として生まれ変わって人を救うと仏典にあります。

 ――ということは現在生きている人も、これから生まれる赤ん坊も、ほぼ永遠に「救われない」と言われているようなものです(^.^)。
 56億年後人類は絶滅しているかもしれず、地球も太陽だって燃え尽きてなくなっているかもしれないのですから。

 なぜ人は救われないのか。このわけが2にあります。
 ただちに「えっ、どーいうこと?」とつぶやいた人はちょっと考えてください(解説は後記に)。

 3の「天界」については第32節を。
 5 自分が良いと思ったものを人に勧めないのは悪いことか――について「これって仏教にカンケーある?」とつぶやいた方は第37節「仏教回帰」その7をご覧ください。

 なお、今節は前半のまとめその6「一度目の太龍山百万遍修行」について語る予定でしたが、一つ「仏教広布の悩み」をはさみます。
 百万遍修行の前に空海マオが抱いた悩みについてもっと深めておくべきだと感じたからです。
 もう一つ次節も「百万遍修行と年月確定」と題して追加挿入します。
 よって、678は「まとめ(四)」345となります。

 『空海論』前半のまとめ(三)

 1 仏教入門後の大まかな流れと九つの謎 1月22日
 2 南都仏教――僧侶個人への失望 1月29日
 3 学問仏教、大寺院の経済活動への異和感 2月05日
 4 山岳修験道進出、道教発見  2月12日
 5 神仙思想への失望から仏教回帰、『聾瞽指帰』執筆 2月19日

 『空海論』前半のまとめ(四) その1
 1 仏教広布の悩み   2月26日――本節
 2 百万遍修行と年月確定
 3 新しい仏教を求めて一度目の求聞持法百万遍修行
 4 室戸岬にて二度目の百万遍修行、改題『三教指帰』公開
 5 二度の百万遍修行を経て体得した《全肯定》の萌芽について

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 本号の難読漢字
・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・『三教指帰』(さんごうしいき)・衆生(しゅじょう)・行脚(あんぎゃ)・六道輪廻(りくどうりんね)・八正道(はっしょうどう)・宗旨替(しゅうしが)え・敬虔(けいけん)・求聞持(ぐもんじ)法・沙門(しゃもん)・陀羅尼(だらに、呪文)
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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第19号 プレ「後半」(四) その1 

 仏教広布の悩み

 空海マオの大学寮入学から、『三教指帰』を完成させた二十三歳末までを見ると、失意・失望と転進が幾度も繰り返されたことに気がつきます。
 空海の場合、まず儒教から入っています。幼少期から儒教道徳にどっぷり浸かって育てられました。すなわち空海の根底には儒教があります。仁義忠孝を信条として官僚か学者、うまくいけば天皇側近の政治家を目指して大学寮に入学したのです。

 しかし、いかに能力があっても、田舎郡司のせがれでしかない彼に望むような将来は訪れない。マオは進路に絶望し生活は乱れ、結局退学を決意する。そして、叔父大足の勧めに応じて仏教に進路変更する。乱れた仏教界を正し、新しい仏教を創始しようとの思いを抱いて。
 その後一心に仏典を研究して一つの結論とも言うべき原「聾瞽指帰」(儒教と仏教を対比する草稿)を完成させた。

 その仏教編に「仏教は国を護(まも)る」という国家護持は書かれず、論疏(ろんしょ)を研究する南都仏教の「これぞ仏教」論も取り入れなかった。ただひたすら仏教の基本(イロハ)だけをまとめた。

 今まで触れませんでしたが、この「書かなかった」ことが国家仏教、南都仏教への批判であり、両者に目指す《新仏教》は見出せない――それをほのめかしているとも言えます。

 だが、この段階ではまだ儒教を否定できない。もちろん新しい仏教を仏典から見いだすこともできない。そこで山岳修行(修験道)に進む。そこで得られたのが自由と無為自然の道教。それによってようやく儒教を否定できた。

 そのまま道教に進むこともあり得たけれど、道教と仏教を比べるなら仏教の方がより素晴らしい。そこで儒教、道教を経て仏教に到達したとの趣旨で『聾瞽指帰』を完成させた。

 では、空海マオは諸国を行脚して大衆に「仏教は儒教・道教より優れている。仏教とはかくかく、六道輪廻とはしかじか。地獄や極楽はこういうところです。極楽を目指し、十善戒を守って八正道の正しい生き方を実践しましょう」と訴えたか。それはうまくいったか。

 マオは『聾瞽指帰』の中で、仏教僧――とは言え身なりぼろぼろの乞食坊主のような――仮名乞児に仏説を語らせます。そして、聴聞後蛭牙公子、兎角公、儒教亀毛先生、道教虚亡隠士らの様子を描いています。

 彼らは歓喜して「仏教とはなんと素晴らしい教えであるか」とひれ伏し、「今後は仏教を悟りの世界に向かう船とも車ともして生きたい」と誓う。
 儒教・道教信奉者の亀毛、虚亡両氏は「周公・孔子の儒教や老子・荘子の道教などは、なんと一面的で浅薄なものか」と言って仏教への宗旨替えを宣言する。
 マオが仏教を説いた時、現実の人々はこのような反応を見せてくれたか……と問われるなら、私の答えは「とても疑わしい」です(^_^;)。

 日本に仏教が入ってすでに三百年近く経過しています。当初は外来思想・宗教として排斥の動きがあったけれど、結局、天皇(朝廷)は「日本を統治するには仏教こそ最適」として人民に勧めました。国分寺・国分尼寺が全国につくられ、総国分寺の東大寺には巨大な仏像まで建造されました。
 空海マオが幼児の頃、人々に「立っているときも座っている時も歩いている時も、般若心経を暗唱しなさい」と布告されています。

 もしもマオが『聾瞽指帰』を手にして朝廷のお偉方に「私の本を読んでください。仏教の素晴らしさをうたい、人々に仏教を勧めています」と言ったら、どんな反応が返ってくるか。

 朝廷は「そんなことはわかっとる」と答えたでしょう。勅令の最終責任者である桓武天皇も当然そうおっしゃる。「朕は仏教の素晴らしさをよく知っておる。我々は人々に仏教を勧め、国家安寧を願っておるんじゃ」と。

 上がそのような状況であるなら、下はどうか。こちらも「そんな話はよく知っとる」と言われたのではないかと想像します。
 もちろん仏教を信仰し、在家信者として慎み深く、敬虔に生きている人たちは多かったと思います(「敬虔」意味不明なら検索を)。
その人たちに仏教の素晴らしさを訴えれば、「よくわかっています。私も仏教を信仰しています」と答えたでしょう。

 しかし、問題は「仏教なんぞいらない、地獄はない」と言うやから(?)です。
「極楽を目指して正しい生き方を」と勧めても、「これまでさんざん悪いことをやって来た。どうせ地獄に堕ちるに違いない」と言って反省しない、改めようとしない人間です。

 生き物を殺さず生きることはできない、うそをつかずに生きることは不可能だ。「死んだらどうせ地獄に堕ちるんだから、何やったっていい。自分が生き残るためには人を殺していい。気持ちいいから人を傷つけたって構わない。そもそも地獄があると証明されていないじゃないか」とうそぶく(一部の?)人々です。
 この言い方、もちろん現在の犯罪者、セクハラ・パワハラ、虐待・いじめ、誹謗中傷の傲慢な人たちを意識しています(^_^;)。

 空海は彼らを説得できたでしょうか。仮に布教活動を始めたとすれば、彼は日々試しにかけられ、相手を論破、説得できない苛立たしさを感じたのではないかと思います。

 『聾瞽指帰』仏教編には仮名乞児ことマオが親戚から「儒教に戻れ」と言われ、言い負けた話が出ています。その後相手に手紙を書くけれど、「この手紙はまだ自分の心を充分述べ尽くしていません。後日改めて説明したいと思います」とあるように、仏教をうまく説明できない、相手を説得できないと感じている。そして「大たわけの私はこれからどのように生きたらよいのか。ただ途方に暮れ、ため息をつくばかり」と嘆いています。

 結局、『聾瞽指帰』を書き上げたとき、空海マオは感じたはずです。仏教はいまだ自分のものになっていない。何かが足りない。真に自分のものとするには何かが足りない。さらに、新しい仏教を提示できなければ、上も下も変わることはない。自分はまだ新しい仏教を獲得できていないと。

 そのとき思い出されたのが修験道修行の最中(さなか)見かけた「求聞持法百万遍修行」ではなかったか、と私は推理します。
 名も知らぬ沙門が行っていた百万遍修行。それは仏教の名で行われている山岳修行だった。
 深夜から未明の戸外、晴れ渡った夜空に浮かぶダイヤモンドのような明けの明星を見ながら、ただ一つの陀羅尼(呪文)を一日一万回となえる。

 ノウボウ、アキャシャーギャラバヤ、オンアリキャーマリボリソワカー…
 ノウボウ、アキャシャーギャラバヤ、オンアリキャーマリボリソワカー…
 ノウボウ、アキャシャーギャラバヤ、オンアリキャーマリボリソワカー…

 百万遍修行は空海が読んだ仏典のどこにも書かれていない。しかし、修験道・道教の修行とは違う。理屈は何もわからない。そんなことをやって何か得られるものがあるのか、それもわからない。
 しかし、もしかしたら体験してみれば、何かを感得できるかもしれない……そう考えて「百万遍修行をやってみよう」と決意したのではないかと思われます。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前置きの課題について。
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1 仏教はどうして今を生きる人は「救えない」と公言する宗教なのか。
2 仏教は殺生を禁じ、「うそをつくな」など十戒を説く。なぜ人にとって不可能なことを「するな」というのか。
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 人は生きる限り何かを食べなければならない。食べ物の中には動物の肉、魚介類の肉が入っている。よって、殺生せざるを得ない。では菜食主義者は?
 彼らだって食べているのは「生きている」野菜や山菜・海藻。腐って死んだ野菜ではない。また、「私は牛豚鶏などを殺したことはありません」と言ったとしても、依頼して(お金を使って)殺してくれた肉を得て食べている。
 よって、殺生禁を守って生きることは不可能。「私はこれまでうそをついたことはありません」と言うのが最大のうそ。これまたうそをつかずに生きることもあり得ない。

 ゆえに、人は生きている限り救われることはない――につながります。
 仏教はこれを「56億7千万年後に救われる=人はほぼ永遠に救われない」と公言しているのです。

 もしもこれを読んで、暗澹たる気持ちにとらわれ、絶望を感じたなら、拙著『空海マオの青春』小説編か、これから語る『論文編』後半をじっくりお読みください。
 別にCМでもPRでもありません。私のホームページやブログにCМはなく(むしろ使用料を払っている)、メルマガのCМは私に無関係。ゆえに金銭的利益はちっともありませんので(^_^;)。

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2025.02.17

『空海マオの青春』論文編 後半 第18号

 まずはいつもの長い前置き(^_^;)。
 前節途中「ここから本論」の直前に以下の「問い」を設けました。
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 マオは山岳修行の中で彼に欠けていた「あるもの」を見出します。それは何か。ここが読む際の肝であり、ポイントです。
 心の中で「あるものって何だろう?」と疑問を抱き、読みつつ「これかっ!」とつぶやいてください。次節終了後「それは何か答えなさい」と課題を出します(^_^)。
 答えは以下の□□に入る語句です(後者は漢字2文字)。

 マオは山岳修行の中で仙人を目指す道教修業者と出会い、彼らの□□と□□に驚く。それは儒教の忠孝に浸り、仏教を学び始めた自分に欠けているものだと気づく。が、同時にそれはマオに異和感と失望を呼ぶ。結果マオは仏教に回帰することになる――とまとめられます。
---------------------------
 一読法を習得された(真面目な)読者各位は目を皿のようにして□□(ほにゃらら)の2文字を探した……かもしれません。

 そして、読了後この問いについて熟慮された(と思われます)。
 ところが、次のようにつぶやかれたのではないでしょうか。
「こりゃあ難しい……□□の2文字がちっとも思いつかない(-_-)」と。

 もしかしたら部分の二度読み――当該部を再読されたなら、それこそ一読法の実践(素晴らしい!)。

 結果、次のようにつぶやかれたかも……(いや、つぶやくべきである)。
「今回読んだところにこの答えはないんじゃないか」と。

 そーなんです。前節に□□の答えとなる2文字はありません。
「おいおい」てか?(^_^;) 

 実は「ここにはないよ」ってことをほのめかすため、「次節終了後」の言葉を挿入しています。
 つまり、次節本文を読み終えてようやくこの答えがわかる。□□に入る2文字は今節の中にある――ってことです。「なんじゃそりゃ」てか?

 では、なぜ今節の前置きにこの問いを持って来ず、前節の途中(「山岳修験道進出、道教発見」前)にこの問いを設定したのか。理由は以下3つ。

1 問いの答えが「すぐ後にあるとは限らない」ことを思い知らせようという気持ちから。
2 何でもかんでも問いの答えが見つかるわけではないことをわかってほしくて。
3 妙なことに対しては「おかしい。へんだ」とつぶやくための実例として。
4 下書き段階では前節と今節はつながっていた。だから、問いの答えは読み終えればわかる。
 だが、二つに分けたので次節――すなわち今節を読まないとわからない。「さてどうしよう。次節前置きに移すか。このままでいくか」と迷った挙句、123の思いもあってそのままとした(^_^;)。

 まるでだますかのような詐欺的設問。ご容赦ください。m(_ _)m

 しかし、私は国語教員在職中テストにおいて次のような問題を出したことがあります。

 問い ~(ほにゃらら)の内容を表す□□の語句は本文にあるかどうか。
 (ア) あると思えば、その語句を答えて説明しなさい。
 (イ) ないと思えば、なぜないのか、理由を説明しなさい。

 これは難問中の難問。生徒を困らせたいじわる問題です(^.^)。
 もっとも、勘のいい生徒は「ははあ、正解は(イ)だな」と当たりをつけて考えます。

 今回はこの(イ)のようなもの。「なぜないのか」答えは次のようになります。
「本文は空海マオが修験道の中で道教・神仙思想に出会うところまでであり、彼らとの具体的な交流は描かれていない。よって、マオが仙人志望者についてどのように思ったか、□□の答えを見つけ出すことはできない」と。

 何を言いたいか。もうおわかりですよね。
 世の中は相変わらずエビで釣られて虎の子を失う儲け話やバイト話、警察や弁護士が現れただけで委縮する劇場型詐欺、誹謗中傷を拡散するSNSが飛び交っています。123に続いてもう一つ5を追加すると、

5 何事も疑いをもって事態を眺め、人の話を聞く(読む)こと。
 おやあ、おかしいぞ。こりゃあフェイク情報じゃないか。詐欺かもしれない――とつぶやくこと。つまり、一読法の大切さを訴えたかったのです。(『一読法を学べ』参照)
 前節の設問に対して「おかしい。妙だ」とつぶやけた人は詐欺にかからないと思います。


 なお、今節は論文編前半第30節の抜粋です。(自画自賛ながら)よくまとめているので、あまりカットせず、ほぼそのまま転載します。

 『空海論』前半のまとめ(三) その5

 1 仏教入門後の大まかな流れと九つの謎           1月22日
 2 南都仏教――僧侶個人への失望              1月29日
 3 学問仏教、大寺院の経済活動への異和感          2月05日
 4 山岳修験道進出、道教発見                2月12日
 5 神仙思想への失望から仏教回帰、『聾瞽指帰』執筆     2月19日
 6 新しい仏教を求めて一度目の求聞持法百万遍修行
 7 室戸岬にて二度目の百万遍修行、改題『三教指帰』公開
 8 二度の百万遍修行を経て体得した《全肯定》の萌芽について

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 本号の難読漢字
・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・『三教指帰』(さんごうしいき)・仮名乞児(かめいこつじ)・金峯山(きんぷせん)・石鎚山(いしづちやま)・虚亡隠士(きょぼういんじ)・「傲然箕踞、莞爾微笑」(ごうぜんききょ、かんじびしょう)・蛭牙公子(しつがこうし)・糟(かす)や糠(ぬか)・塵芥(ちりあくた)・鬼魅(おばけ)・側隠(そくいん)の情・泡(うたかた)・財物(ざいぶつ)・傲慢(ごうまん)・鼬(いたち)・兎角公(とかくこう)・朱典(しゅてん)・求聞持法(ぐもんじほう)・鉄冠子(てっかんし)・筐底(きょうてい)

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****** 空海マオの青春論文編 後半 ******

 後半第18号 プレ「後半」(三) その5

 神仙思想への失望から仏教回帰、『聾瞽指帰』執筆


 今節にて山岳修行によって神仙思想の道教を発見したけれど、それが失望に終わったことを眺めます。空海マオに欠けていた「あるもの」とは何か。
 マオが見出した道教修業者の□□と□□は欠けていた「あるもの」の答えでもあります。
 この件、単に私の推理、感想ではなく『三教指帰』仏教編に根拠となる個所があります。
 一つは以下、
 『三教指帰』仏教編において仮名乞児こと空海マオは金峰山、石鎚山に登った体験を次のように振り返ります。
「あるときは金の嶽(たけ)に登って雪に降られ難渋し、あるときは石鎚山に登頂して食糧が絶え散々な目にあった」と。これより山行登拝が失望に終わったことがわかります。

 もう一つは道教について語る虚亡隠士の様子。彼は儒教亀毛先生の言説を聞き終えると、
「傲然箕踞(ききょ)、莞爾(かんじ)微笑」(傲然と箕踞し、莞爾微笑)してしゃべり始めます。
 傲然と座って微笑(莞爾も微笑)を見せて……と訳されるところですが、この「微笑」はどのような微笑か。そこを考察することでマオの気持ちが見えてきます。
 では、ここもクイズ(^_^)。この「微笑」とはどのようなものか。

 ア にこやかな笑い イ あたたかな笑み ウ うすら笑い エ 冷笑

 これは純然たる国語問題ですが、マオが驚いた道教修業者の□□と□□のヒントにもなります。  今回こそ「これかっ!」とつぶやいてお読みください(^_^)。


 さて、司馬遼太郎は『空海の風景』の中で『三教指帰』が儒道仏三教を取り上げたことに関して次のように書いています。
「当時、儒教も仏教も日本に入っていた。しかし道教は入っていたかといえばむろん、その時に組織的に入っていたわけではなく、また後世においても入っていない。(略)にもかかわらず空海が儒教、道教、仏教の三教をならべてその優劣を論じたのは当時の日本の現実からみてややそらぞらしく、儒教と仏教とくらべるだけでいいのではないか」と論じ、「道教はなんの関係もない」とにべもなく断定しました。

 それでも、空海が道教を入れて三教とした理由を述べねばなりません。司馬氏は「空海がその美意識において均衡と装飾をよろこぶ本能のようなもの」であり、「空海における論理的なくせとしてつねに濃厚にあらわれる完全主義」ゆえであろうとまとめています。

 これでは空海が「道教」を取り込んだのは二つより三つの方が整ってバランスがいいと感じた――つまりは単なる思いつきであり、美的センスであったかのような解釈です。
 残念ながら司馬氏は「なぜ三教か」の問いに対して我々を納得させる答案を出してくれたとは思えません。点数を付ければ40点くらいでしょうか(^_^;)。

 私は『三教指帰』は思想書ではなく《私小説》であるとの見方を提示しました。空海自身を仮託したのは私度僧「仮名乞児」だけでなく、放蕩の甥「蛭牙公子」も空海であること。その他登場人物に施された戯画化を取り除くと、すこぶるわかりやすい私小説になっており、そこに描かれたのは空海自身の思想遍歴である。よって、『三教指帰』は論文ではない。強いて言うなら《私小説的思想小説・私小説的戯曲》と呼ぶべきであると。

 このように『三教指帰』を私小説であると解釈すれば、儒教・仏教の他に道教が並入した理由はすこぶる単純です。マオは山岳修行――取りわけ修験道修行の中に《道教》を見出した。だから、儒教・仏教に追加して《道教》を取り入れたのです。

 ここで結論を先取りしてまとめておくと、儒仏の二教対比であった『聾瞽指帰』草稿に、道教を取り入れたのは思いつきどころか、マオにとって必要なものであり、必然であったと思います。

 空海マオは儒教から仏教に転進する際、一度は儒教を完全否定する必要があった。ところが、儒教と仏教の二経対比だけでは儒教を否定できなかった。仏教によって儒教を否定するには何かが足りない。マオはその足りないものを神仙思想――道教に見出したのです。

 思うに、マオは道教にも大いに惹きつけられたと思います。神仙思想を語る修行者の言葉に、儒教を否定できる武器を見出したのです。それは道教の代弁者「虚亡隠士」が語る次の言葉に読みとることができます(引用は福永光司訳)。

 虚亡隠士は言います。「秦の始皇帝、漢の武帝といった連中は、それこそ道教の世界における糟や糠みたいなものであり、仙術を愛する人間のなかの瓦や小石みたいなものである」と。
 また、「巨大な富も塵芥のように踏んづけ、帝王の地位にあっても靴をぬぎ捨てるように未練を持たない。たおやめを視ても鬼魅(おばけ)だと思い、高位高官を前にしても腐った鼠だと見なす」とも言います。始皇帝、武帝は糟や糠、瓦や小石であり、高位高官は腐った鼠だと言うのです。

 これらはマオが山岳修行の最中、修験者から実際に聞いた言葉ではないかと私は想像しています。
 始皇帝や武帝の話を日本に当てはめると、「天皇は糟や糠であり、瓦や小石みたいなものである」と言っているのと同じことです。君主を糟や糠、瓦や小石みたいなものと言い切る強さ(と言論の自由?)。それは仁義忠孝の儒教を学び、長幼の序が身体の芯までしみているマオには決して口にできない言葉だったでしょう。

 南都仏教も朝廷の支配下にあって桓武帝にひれ伏し、勅令に逆らうことはできません。そもそも鎮護国家仏教であり、体制下の宗教です。後年僧兵を抱え武装化する仏教など想像だにできないほど穏やかな仏教界だったと思われます。

 また、儒教のキーワードは仁義忠孝であり、根本にあるのは《側隠の情》です。側隠の情とは弱い者、傷ついた人をいたましく思って同情する心。それは仏教の根本である《慈悲》――生きとし生けるもの全てを慈しむ心――ととてもよく似ている。感情面から見ると、仏教から儒教を否定するのは難しいのです。
 しかし、山岳修行に励む道教信奉者は儒教の忠義をいともたやすく否定する、マオはそう感じたでしょう。

 マオに限らず、多くの庶民だって「帝は糟や糠、高位高官は腐った鼠」と言える人がそうそういたとは考えられません。現代なら「大臣なんぞ腐ったネズミだ」と言える人はかなりいるでしょう。ときに暴言や賄賂・口利きなどネズミでしかない議員・大臣さんが輩出されますから(^.^)。

 と同時に、地元のために奮闘する議員さん、天下の大臣を目の前にすれば、ひれ伏すかのように敬意を表す人も多いはず。象徴天皇となった現代、災害が起こると被災地を見舞う天皇に対して「天皇は糟や糠」と言える人はほとんどいないのではないでしょうか。

 ところが、世のしがらみを離れ、山野にこもって仙人を目指す修験者(道教信者)たちは君主を糟や糠と言い切れる。それはおそらくマオにとって驚嘆の言葉であり、彼自身に欠けていた《強さ》であり、何事にもとらわれない《自由》だったと思います。

 彼らはまた日々の暮らしに追われる庶民についても語っています。
 虚亡隠士は「朝夕の食事のためにあくせくし、夏冬の衣服のために追いまわされ、浮き雲のように定めない富をこいねがい、泡(うたかた)のように空しい財物を蓄えこみ、身のほど知らぬ幸せを追い求め、稲妻のようにはかないこの身をいとおしんでいる」と批判します。人々はわずかな悲しみに振り回され、「泥にまみれ火の中に落ちたようにもがき苦」しんでいると。

 この言葉、まるで現代の我らについて語っているかのようです。我々もまた朝夕の食事と衣服や住みかのためにかつかつの日々を送り、定めない富をこい願って宝くじを買うのでしょう(^_^;)。
 ただ、虚亡隠士の言葉は庶民に対して《何をあくせく苦しんでいるのだ。仙人になれば願いは全てかなうのに》と言わんばかりの気持ちが感じ取れます。

 そして、これらの言葉に、空海マオが道教に失望した理由がにじみ出ています。
 マオは修験道の修行者達――仙人を目指して苦行に耐えている人たちの強さと自由に驚くと同時に、異和感も覚えたはず。その核心を表す言葉が「傲慢」です。強さはしばしば尊大さ、傲慢につながります。

 虚亡隠士が儒教論客亀毛先生の弁論を聞き終え、やおら語り始めたときの様子は以下のように描かれます。
 彼は乱れた頭髪、ぼろぼろの衣服をまとっている。つまり、普段着であり、髪を整えることなく外見を気にしない。
 そして、「傲然箕踞、莞爾微笑」(傲然と箕踞し、莞爾微笑)してしゃべり始めます。

 傲然とは傲慢、箕距(ききょ)はあぐらをかいて座ること、莞爾(かんじ)も微笑も微笑みを意味します。傲然とあぐらをかいて座り、莞爾微笑して道教について語り始めるのです。
 さらりと書かれているけれど、儒教道徳からすれば、目上の人、身分が上の人、初対面の際正座をしないなんて相当の礼儀知らずだと強調されている(と読み取れます)。

 この「莞爾微笑」はどう口語訳されるべきか。福永光司氏はこの一文を「どっかとあぐらをかき、にっこりとほほえみ、唇を開き頬をゆるめて」と訳しています。

 確かに「莞爾として笑う」は「にこやかな様子で笑う」と訳されるのが普通です。
 しかし「傲然」ははっきり「傲慢な様子で」と訳すべきでしょう。

 私はこの部分「穏やかで暖かな微笑み」ではなく、「薄ら笑い」であり「人をバカにしたかのような冷笑」ではないかと思います。それは「傲然」の語があるだけでなく、虚亡が亀毛先生について語る言葉の端々に読みとれる感情です。

 虚亡隠士は蛭牙公子に説教した亀毛先生に対して次のように言います。
「ああ、おかしなものだ。そなたの病人に対する薬の与え方は。~略~竜ならぬ小さな蛇、虎とは似てもつかぬ鼬(いたち)を見るお粗末さだ。どうしておのれ自身の重病を癒しもせず、たかが他人の足の腫れやまいぐらいをむやみとあばきたてるのだ」と。
 亀毛先生はそれを聞いて狼狽し「私は兎角公に言われてしゃべっただけです。軽率でした」と情けない言葉を吐きます。

 これは亀毛が虚亡隠士の自信に満ちた態度、口調――強さに圧倒された様子を描いています。
 私には単なる想像上の描写とは思えません。マオが出会った仙人を目指す修行者達の《強い人間》像、それがそのまま描かれているように感じます。

 彼らは君主を糟や糠であり、高位高官は鼠だと言う。おそらく儒教についても「小さな蛇であり、イタチだ」と言わんばかりに「お粗末な理論だ、くだらん」と言い切ったのではないでしょうか。

 強さはときに傲慢と紙一重です。山野で修行を続ける仙人志願者は確かに強い、何ものにもとらわれず自由だ。だが、マオはその内心に傲慢を見たのです。苦しい生産活動を続ける庶民に対する軽蔑の視線さえ感じ取ったと思います。彼らは庶民に「なにをあくせく苦しんでいるのだ。仙人になれば全てかなうのに」と断言したことでしょう。
 マオは異和感を覚えたと思います。「この強さは自分に必要だ。しかし、この傲慢さにはついていけない」と。

 拙著『空海マオの青春』の中で、私は修験道の友人として「朱典」なる若者を造形しました。
 朱典はマオの大学時代の友人として修験道に惹かれ、先に退学して仙人になるべく山岳修行に励んでいる。その後マオが寺院を離れて山岳修行に乗り出すことを決めたとき、たまたま彼と再会して金峰山や石鎚山の山行登拝を共にするという設定です。朱典の自信に満ちた態度や「仙人になれば全てかなう」といったところは虚亡隠士の人物像を投影しました。

 そして、空海マオは修行者に失望するだけでなく、修験道修行にも失望したことがわかります。失望をほのめかす言葉もとてもシンプルでした。

 『三教指帰』仏教編において仮名乞児は金峰山、石鎚山に登った体験を次のように振り返ります。
「あるときは金の嶽(たけ)に登って雪に降られ難渋し、あるときは石鎚山に登頂して食糧が絶え散々な目にあった」と。
 マオは二度の山行登拝をいやな思い出として回顧しています。求聞持法百万遍修行を終えての言葉「谷響きを惜しまず、明星来影す」に比べたら、その差は歴然。

 今と違って車や電車があるわけではありません。二度の山行は全て歩いたことでしょう。奈良から金峰山までは数日の日程としても、四国に渡って石鎚山の麓に着くには最低でも数週間かかったはず。金峰山では西の覗きに東の覗き、断崖絶壁の磐座(いわくら)をよじ登り、蟻の戸渡りという狭い岸壁を怖々登ったはずです。おそらく秋の終わりころでしょう、雪が降った。足元はすべっただろうし、寒くて怖かったと思います。

 また、石鎚山は三つの山の総称です。当時ロープウェイはありません(^.^)。麓から歩き始めて三山を踏破するのに一体何日かかったことか。石鎚山は今でも遭難者が出るほど厳しく険しい山だとか。先達が道を間違え山中をさまよったのでしょう、食糧が絶えて往生したというのです。
 空海マオはそれを「難渋した、散々な目にあった」とまとめます。二度の山行登拝は失望に終わった――それは道教への失望も意味したと思います。

 マオは神仙思想に傾倒できなかった。冷静に考え、「ほんとうに仙人になれるだろうか」と問うたとき、仙人になれるとは思えなかったのでしょう。

 芥川龍之介作『杜子春』の中で、仙人を目指す杜子春は老仙人(鉄冠子)から「仙人になりたければ、何があってもしゃべるな」との課題を出されます。それを成し遂げたときには仙人になれる。前著『続狂短歌人生論』にて『杜子春』を取り上げました。結局、杜子春は地獄に堕ちても口を閉ざし続けたけれど、最後の最後母の言葉を聞いて「お母(っか)さん」と声を出してしまった。→『続狂短歌人生論』第53節~54節

 マオは杜子春のように仙人になろうと思って修験道に乗り出したわけではありません。しかし、心情を比較すれば、マオは杜子春同様父母を捨てられない若者だったのではないか。

 『三教指帰』仏教編に次のような言葉があります。
「月日は矢のように遠く過ぎ去って、余命いくばくもない親をおびやかし、わが家の資産は乏しくて、家屋は倒壊しかけている。二人の兄はつぎつぎに世を去って、涙は幾すじも頬にあふれおち、親族はみな貧しくて、わが心は涙にかきくれる。~略~退いて沈黙を守ろうとしても、わたくしの俸禄に期待する年老いた親がいる。わが身の進退のここに窮まったのを嘆き、居ても立ってもいられぬといううろたえに心は乱される」と。

 家族について語ったこの部分には少々誇張が感じられます。故郷讃岐の実家は郡司だし、親戚阿刀家も都で石高二千石の名家です。しかし、都の大学寮に進んだマオを見る目や期待――それはここに書かれているとおりだったでしょう。

 マオはそうした周囲の気持ちを振り切って何事にもとらわれず、自由に生きて仙人になろうと思えなかった。ひたすら仙人を目指し、父母や親族のことなど気にかけない修験者に対してマオは「自分は彼らのようには生きられない」と感じたに違いありません。

 かくしてマオは再び仏教に戻ります。儒教と仏教を対比した『聾瞽指帰草稿』に、山岳修行より見出した道教を付け加えて儒教を否定する。その上で仏教に戻り、南都学問仏教でも鎮護国家仏教でもない、仏教の原点を重視する『聾瞽指帰』を完成させました。

 マオは作品の最後に「仏教こそ最上」と書きました。しかしながら、新仏教のかけらも見いだせない作品を公開するほど、彼は厚顔無恥(無知?)ではなかった。「作品は完成した。だが、まだ何かが足りない、新しい仏教がない」と感じた。だからこそ『聾瞽指帰』は筐底深く仕舞われました。
 そこで、全く未知の世界に誘ってくれる山岳修行として「求聞持法百万遍修行」をやってみようと思うに至ったのです。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:空海マオが道教・仙人志望者に見出した――儒教一筋の彼に欠けていた――二つの□□。念のため答えを。
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世のしがらみを離れ、山野にこもって仙人を目指す修験者(道教信者)たちは君主を糟や糠と言い切れる。それはおそらくマオにとって驚嘆の言葉であり、彼自身に欠けていた《強さ》であり、何事にもとらわれない《自由》だった。
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 この強さが傲慢を生む――の「傲慢」も重視すべき言葉でしょう。かくして空海マオは道教・神仙思想に失望して仏教に戻るわけです。
 ちなみに相手の気持ちなど思いやることもない、一見強く見える某大国二人の大統領。国民はそれを傲慢と思わないのでしょうか。

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2025.02.09

『空海マオの青春』論文編 後半 第17号

 前節にて南都(奈良)仏教が「仏教とは何ぞや」を議論する学問仏教に陥ったこと、また大寺院が行う経済活動「出挙(すいこ)」の実態についてわかってもらえたと思います。前々節では僧侶個人の問題点を当時の史書より探りました。

 何度も書いているように、これらに対して空海マオがどう感じ、どう考えたか。書き残した資料はありません。すると、研究者は「何も残っていないのだから、何を考えたかわからない」とお手上げ状態。もっとも、厳密にして真摯な研究姿勢ではあります。

 しかし、空海は「新仏教創始」という思いをもって南都仏教に乗り込んだ。彼が仏教界の実情をのんべんだらりと、傍観的に、もしくは「そんなのカンケーねえ」とばかりに眺めたとは到底思えません。

 ここでは取り上げないものの、南都仏教――というより、日本仏教が「鎮護国家(国を守るための宗教)」であること、また、男ばかりが集まる寺の中で、ひそかにひめやかに行われたかもしれない性愛傾向についても、マオの言及はない。
 この二点に関しては第26節に書きましたので、興味ある方はお読みください。

 今節の見出しは「山岳修験道進出、道教発見」ですが、前節の末尾に問題提起した「失望か異和感か」について最初に答えておきます。
 私は僧侶個人の問題は「失望」、大寺院の学問仏教や経済活動は「異和感」とまとめました。本来なら前節末尾に入れるべき内容です。あまりに長くなったので、息切れする読者のために今節まで引っ張りました(^_^;)。


 『空海論』前半のまとめ(三) その4

1 仏教入門後の大まかな流れと九つの謎 1月22日
2 南都仏教――僧侶個人への失 1月29日
3 学問仏教、大寺院の経済活動への異和感 2月05日
4 山岳修験道進出、道教発見 2月12日
5 神仙思想への失望から仏教回帰、『聾瞽指帰』執筆
6 新しい仏教を求めて一度目の求聞持法百万遍修行
7 室戸岬にて二度目の百万遍修行、改題『三教指帰』公開
8 二度の百万遍修行を経て体得した《全肯定》の萌芽について

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 本号の難読漢字
・出挙(すいこ)・鎮護(ちんご)国家・論疏(ろんしょ、仏典解説書)・大峰(おおみね)山・大峯奥駈道(おおみねおくがけどう)。金峰山(きんぷせん)・石鎚山(いしづちやま)・神奈備(かんなび)・磐座(いわくら)・注連縄(しめなわ)・金峰山の西の覗(のぞ)き・東の覗(のぞ)き

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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第17号 プレ「後半」(三) その4
 
 山岳修験道進出、道教発見

 空海マオは仏教界の「学問仏教、大寺院の経済活動」についてどう感じたか。
 南都仏教全体に対する失望が山岳修行に乗り出す理由になったことは間違いないにしても、どのように感じたか、それは考察せねばなりません。

 まず大寺院の経済活動に関して。私は以前も今も「異和感」とまとめます。
 これは僧侶が毎日おまんまを食べるにはどうするか、そのことと大いに関係している。テレビなどで見たことがあると思います。東南アジアの仏教寺院は僧侶が毎日のように食べ物を求めて市中を回る。多くの国民は少しのお米や野菜を施す。
 また、日本でも寺の周辺に畑をつくり、自給自足的生活を送って修行に励む僧もいます。一方、葬式や法事などで数万から数十万単位の布施をもらって生活する寺もある。

 奈良時代の大寺院は出挙(すいこ)という経済活動によって、無給の修行僧を養っている。
 もちろん豪華な食事であるはずはなく貧しい精進料理でしょう。であっても、数百人の修行僧が食事の心配をすることなく日々生活できる。仏典を読むこと、その内容について議論を交わす仏教研究だってできる。
 出挙ががなければ生きていけない。そう思えば、大寺院の経済活動に対して「失望した」などと安易なことは言えません。

 かと言って俗世間と縁を切ったはずの僧界が高利貸しのようなことをしていいのか。朝廷は盛んに批判している。マオにしてみれば「わかるけれども釈然としない」と感じたのではないか。それが異和感とまとめた理由です。

 結局、朝廷は大寺院の出挙をやめさせるためある勅令を連発します。なかなかうまいやり方ですが、長くなるので詳細は第25節をご覧ください。

 対して学問仏教はどうか。私は以前僧侶個人に対する失望だけでなく、学問仏教も「失望」とまとめました。しかし、考えてみると学問仏教を失望とするのは言い過ぎのようです。

 というのは朝廷の詔にもあったように、学問仏教が「仏教とは何か」を考え、仏教の真髄を探求する活動であること。すなわち真面目な姿勢であり、今の言葉で言うなら学究的態度。それは別に悪いことではなく、批判も失望もないであろう。

 ただ、自説に固執して顔を合わせれば激論を交わす。それは下手をすると空理空論、議論のための議論と見られる可能性がある。特に研究しているのが仏典そのものではなく「論疏(ろんしょ)」と呼ばれる解説書である。
 マオは「この研究や議論によって仏教の真髄がわかるだろうか。新しい仏教を生み出せるだろうか」といぶかしく[訝しく]感じた……とすれば、これは異和感と呼ぶべきでしょう。

 さて、前節のまとめはここまでとしてこれから山岳修行突入後の空海マオをまとめます。
 マオは山岳修行の中で彼に欠けていた「あるもの」を見い出します。それは何か。ここが読む際の肝であり、ポイントです。
 心の中で「あるものって何だろう?」と疑問を抱き、読みつつ「これかっ!」とつぶやいてください。次節終了後「それは何か答えなさい」と課題を出します(^_^)。

 答えは以下の□□に入る語句です(後者は漢字2文字)。

 マオは山岳修行の中で仙人を目指す道教修業者と出会い、彼らの□□と□□に驚く。それは儒教の忠孝に浸り、仏教を学び始めた自分に欠けているものだと気づく。が、同時にそれはマオに異和感と失望を呼ぶ。結果マオは仏教に回帰することになる――とまとめられます。

 なお、本節は空海論前半第27節~30節にあります。↓

 ここで突然ですがクイズ。日本の山は一体いくつあるか。次より選んでください。

 (ア)五千ほど (イ)一万ほど (ウ)一万五千ほど


 では、ここから本節本論(^_^;)。
 空海論文編前半では山岳修行について以下4回に渡って探求しました。
 おわかりのようにここでもある種の期待が失望に終わったこと、結果再度仏教に戻った流れがわかると思います。
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第27「山岳修行」その1…山岳修行突入から百万遍修行まで五年間の中身を確定させます。
第28「山岳修行」その2…山岳信仰とはそもそもいかなるものであったのか、少々語ります。
第29「山岳修行」その3…マオが修験道の中に道教・神仙思想を見出したことについて。
第30「山岳修行」その4…マオが感じた道教・神仙思想の魅力と失望について。
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 山岳修行の「そもそも」論に興味ある方は28節をお読みください。

 そこで前置きクイズの答え。日本には最低でも一万五千ほどあるようです。
 四十七で割ると、一県あたり三百強。そんなにと驚くほどの数です。
 かくして古代から山岳信仰が盛んで修験道も行われました。今でも山伏として修行している人たちがいます。
 ならば、どの山でも信仰され、修行がなされているかと言えばそんなことはない。日本古来の山岳信仰や修験道の盛んな山は「日本七霊山・七霊峰」と呼ばれる山々にほぼ限られています。
 具体的には以下。([ ]内は県、数字は標高)

 まずは日本三霊山と言われる三つの山。
 ・富士山[静岡、3776]
 ・立山[富山、雄山3003・大汝山3015・富士ノ折立2999]
 ・白山[石川岐阜県境、御前峰2702・剣ヶ峰2677・大汝峰2684]

 そして以下四つの山。
 ・大峰山[奈良、八経ヶ岳1915・山上ヶ岳1719・稲村ヶ岳1726]
 ・釈迦ヶ岳[奈良、1800]
 ・大山[鳥取、剣ヶ峰1729・弥山1709]
 ・石鎚山[愛媛、天狗岳1982・弥山1974・南尖峰1982]

 富士山と釈迦岳が単独峰で他の五山はいくつかの山々を総称した呼び名です。
 さらに、大峰山の一部「大峯奥駈道」を特に金峰山(きんぷせん)と呼びます。

 それでは、この七霊山とそこらの山は一体何がどう違うのか。もちろんいずこも人を寄せ付けない偉容を持ち、神さびた神々しい山ばかり。三霊山は三千メートル前後、四霊山は二千メートル弱。よって、そこらの一千メートルクラス(以下)の山々とは高さにおいて抜きんでています。たやすく人が行けないところだからこそ、修行の場になったのでしょう。
 とは言え、山々の総数一万五千。そこそこの高さがある山の数を数千としても、修験の山はわずかに七つ。修験道の山伏達は修行の場としてなぜ七霊峰を選んだのか。何か理由があるはずです。

 ここで知っておきたい言葉が二つあります。一つは「神奈備(かんなび)」であり、もう一つは「磐座(いわくら)」。日本の山岳信仰に関連した重要な言葉です。
 詳細は第28節として簡単に説明しておくと、神奈備とは鬱蒼とした神社、鎮守の森、神社の背後の御神体である山(奈良の三輪山が有名)。あるいは、各地の海岸線にしばしば見かける夫婦岩、風光明媚な那智の滝など全て、神域であり聖地とされます。これらをかつて「神奈備」と呼んで崇拝の対象とされました。言わば聖なる山であり、登れるのは男性のみ。女人禁制のところが多かった(現在でも一部残っています)。

 そして、聖地の中でもとりわけ《岩》を信仰の対象としてあがめた。その岩を「磐座(いわくら)」と呼びました。神社の境内に柵で囲まれたり、注連縄が張られた岩を見かけることがあります。夫婦岩も大概注連縄が張られます。あれが磐座であり、巨大な岩だらけの絶壁なども磐座と呼ばれました。
 たとえば、歌山県新宮市にある神倉神社のゴトビキ岩。標高120メートルの神倉山の山上に巨大な一枚岩があります。そこに至るには五三八段の石段を登らねばなりません。
 また、金峰山にある「西の覗き・東の覗き」と呼ばれる断崖絶壁は巨大な一枚岩です。要するに、そのような特異地を持つところは《聖地》であり、それこそ修行の場としてふさわしかったのです。

 閑話休題。
 空海マオはこの七霊峰のうち金峰山と石鎚山に登ったことが『三教指帰』よりわかります。マオは山岳修行の定番コースに出かけていたのです。
 これらの山々に初心者が一人で登頂するなぞちょっと考えられません。現代でも登山の先輩かガイドを頼むでしょう。つまり、集団活動です。当然野宿も多かったはず。夜は焚火を囲んで雑談から議論になることもあるでしょう。
 マオはそこで山伏から道教信者、何より多くの仙人志望者と会ったと思われます。この詳細は第29節をご覧ください。

 かつて日本の修験道は習合していた、そして、道教信者は仙人を目指していた。
 修験道の中で最も重要な人物は役行者(えんのぎょうじゃ)こと役小角(えんのおづぬ)です。
 西暦634年(マオの生誕140年前)に生まれ、日本で唯一「仙人になった」と言われる修験道の開祖。後に神変大菩薩とも呼ばれた実在の人です。

 詳細はこちらも第29節として頭に留めてほしいことは空海マオが山岳修行に乗り出したのは鳴くよウグイス(794年)の平安遷都のころ。役小角没(701年)後百年近く経っています。決して忘れ去られるような年月の経過ではないということです。

 マオが山歩きをする中で交流した仙人志望者は「修行を積めば、あの役小角のように仙人になれる。そうすれば願いは全てかなう」と(おそらく口角泡を飛ばさんばかりに)断言したでしょう。
 仙人を目指すことを大ざっぱにまとめると「神仙思想」と言います。これは儒道仏三教の中では道教に入ります。マオの「異和感」は彼らに対しても発動された……と思えるのです。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2025.02.07

『空海マオの青春』論文編 後半 第16号

 最近一読法の復習をやっていないので、もしかしたら「ぼーっと読んでるかも(^.^)」と思って警告風確認問題を一つ。

 とにかく読みつつ「あれっ!」とか「おやあ?」とつぶやくこと。一読法はそれに尽きます。

 前々号において今後8回分の見出しを掲載しました。
 以下2、3の見出しを読んだとき……
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 2 南都仏教――僧侶個人への失望
 3 学問仏教、大寺院の経済活動への異和感
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「おやあ2は失望なのに、3は異和感とある。3も失望で良さそうだが、何か違いがあるんだろうか」とつぶやいたかどうか。

 つぶやいていれば、そして前節(2)を読み終えて「確かに僧侶個人の問題と失望が書かれていた」とまとめれば、今回読みつつ「なるほど、だから失望じゃないのか」と異和感にした理由を発見できるはず。
 疑問を持ちつつ読む。それによって文章の焦点が明確になる。つぶやきながら読むことで、理解度3は6に上昇するのです。

 もう一つ。前節(2)の途中(か読み終えたところで)「真ん中へんに余計な話題が入っていたなあ。だから、長くなるんだよ」とつぶやいたか(これは批判的つぶやき)。

 余計な話題とは「百八十度大転換するような大きな進路変更をしたとき、それまでやったことが無駄になったと思うか、役に立ったか。成功ならいいけれど、失敗に終わった人はもう一度進路変更を勧める」のところ。
 空海マオの仏教転進に絡んでいるものの、短くまとめるつもりなら、なくて構わない部分。「だから長くなるんだよ」と文句の一つも言いたくなる(^_^;)。

 では、なぜ原本の該当部を、再度そのまま掲載したのか。
 理由は私が書いてきた『空海論』前半はいろいろ余談雑談、研究の姿勢とか卒論『暗夜行路』のことなどを書き込んでおり、読者に「そこもじっくり読んでほしい」との気持ちがこめられています。研究論文を読み慣れていない人への配慮でもあります。

 プレ後半を執筆するにあたって多くの余談雑談はカットしました。だが、「ここは入れよう」と再度掲載した。
 これがしばしば「『論文編前半』を読んでほしい」と書いた理由であり、1の前置きに「昨年末再読して『短くするのは至難の業やなあ』と感じ、正直『全てそのまま再配信したい』誘惑に駆られた(^_^;)」理由なのです。

 私は十代のころ、学校の授業で「先生の雑談」が好きな生徒でした。雑談から人生や生きる姿勢について学んだり、先生が語る書物の感想など大いに啓発されました。
 私も高校教員になってから、同じような授業を心がけました。つまり、本稿もそれに似て余談雑談の多い論文なのです。

「なるほど……要するに、長くなることの言い訳だな」とつぶやいて結構です(^_^;)。

 というわけで、今節は南都仏教が陥った「学問仏教」と大寺院の経済活動=「出挙」(すいこ)を取り上げます。
 前号は主として僧侶個人に対する失望でした。今回は失望とは言いづらい。ゆえに「異和感」とまとめました。

 なお、本節の詳細は空海論前半第24節~25節にあります。

 さらに、二つに分けていいほど長くなりましたが、予定通り1節とします。
 二回に分けて読むことを勧めます。

 『空海論』前半のまとめ(三) その3

 1 仏教入門後の大まかな流れと九つの謎 1月22日
 2 南都仏教――僧侶個人への失望 1月29日
 3 学問仏教、大寺院の経済活動への異和感 2月05日
 4 山岳修験道進出、道教発見
 5 神仙思想への失望から仏教回帰、『聾瞽指帰』執筆
 6 新しい仏教を求めて一度目の求聞持法百万遍修行
 7 室戸岬にて二度目の百万遍修行、改題『三教指帰』公開
 8 二度の百万遍修行を経て体得した《全肯定》の萌芽について

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 本号の難読漢字
・至難の業(わざ)・出挙(すいこ、種もみを貸し出す経済活動)・薫陶(検索を)・『続日本紀(しょくにほんぎ)』・法相(ほっそう)宗・三論(さんろん)宗・唯識(ゆいしき)・僧綱(そうごう、仏教界の上位僧)・朕(ちん)・学生(僧界では「がくしょう」)・疎か(検索を)・論疏(ろんしょ、仏教注釈書の経典)・読誦(どくじゅ)・『法華経』(ほっけきょう)・『華厳経』(けごんきょう)・租庸調(そようちょう)・防人(検索を)・革(あらた)める

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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第16号 プレ「後半」(三) その3

 学問仏教、大寺院の経済活動への異和感

 何度も書いているように、南都仏教界が陥った学問仏教や大寺院の経済活動について、空海マオの直接の言及はありません。もちろん間接的言及もない。

 しかし(大げさなことを書くと)、私は人間世界とは「社会全体の感情と、それに賛同したり反発する個人の感情から成り立っている」と考えています。
 なので、個人の事実が発見されなくとも、社会全体の事実、そして感情さえわかれば、個人の感情を突き止めることができると思います。
 それゆえ、史書の中から当時の仏教界の実情をながめ、その反照としてマオの内心を探ろうと試みているわけです。

 前節は僧侶個人への失望について桓武朝廷が発出したもろもろの詔勅を取り上げました。マオの見方はかなり朝廷に近かっただろうと推理しています。
 というのはマオは知識・技能を何も持つことなく、仏教界に飛び込んだわけではありません。

 彼には10年間にわたる儒教習得、関連した漢籍の勉強、優れた漢文読書術がある。なおかつ藤原南家伊予親王の家庭教師であった叔父阿刀の大足の薫陶を受けている。
 叔父とどの程度会話があったか不明ながら、叔父の言葉には政治の現況、歴史的知識、南都仏教への批判があったに違いありません。なおかつマオは新仏教創始の気持ちをもって入門した。その観点から旧仏教界を眺めれば、彼が批判的見方を持った可能性は高いと思います。

 そこで今節は僧侶個人への批判に続いて南都仏教が陥った学問仏教、さらに大寺院の経済活動の問題を眺めます。なぜこれを「失望」ではなく「異和感」としたのか、そのわけを感じつつお読みください。

 前節にて触れたように、桓武天皇前後の史実は『続日本紀』と『日本後紀』にあります。
 私は二著を1年間一読法で読みました。これによって時代の感情――現代とさほど変わらない社会と個人の感情が読みとれました。当時の天皇、朝廷、人民の姿がイメージできるようになっただけでなく、南都仏教の実態もかなりわかりました。

 創作に当たって六宗に分かれていた南都仏教をどう描くか、どこまで描くかという悩みもあっさり解決しました。史書には朝廷が南都仏教をどう見ていたか、その記述があってそれを使えばいいと気づいたからです。

 さて、奈良時代の南都仏教は六つの宗派と言うより、むしろ有力どころは二つでした。それが「法相宗」と「三論宗」です(法相宗、三論宗、その他の宗派、仏教語の詳細はネット事典をご覧下さい)。
 法相宗の代表は興福寺、三論宗の代表は大安寺。マオは大安寺に入門したので、三論派の一員としてスタートしたことになります。

 法相、三論二宗についての詔は延暦十七(798)年(マオ24歳)九月十六日の条に出てきます。(以下引用は談社学術文庫『続日本紀』と『日本後紀』より)

・「法相宗は、諸法のあり方を究明して万有が唯識の変化であると説き、三論宗は空の立場で一切が本質的な存在ではないと論じている。共に教説は異なるが、真理をめざしている点で相違しない。両宗により仏教の知恵は松明のごとく明るく、悟りの教えはますます盛んになっているのである。

 しかし、最近の仏教者はもっぱら法相につき、三論を学習することを止めてしまっている。法相の所依である世親(四、五世紀頃のインドの仏教哲学者)の学説は伝わるものの、三論の所依である竜樹(二、三世紀頃のインドの仏教哲学者)の論説は絶えようとしている。僧綱の指導が欠如しているので、このような事態になってしまったのである。

 そこで僧綱が適切な指導を行い、法相・三論両宗を学習させ、空・有すなわち三論、法相の教えが永く頽(すた)れないようにし、大乗・小乗の教説が、地形が変化するほどの長期にわたり廃絶しないようにせよ。このことを広く僧侶に告知して、朕の意とするところを周知させよ」とあります。

 他に「いま聞くところによると三論・法相の両宗はお互いに争い、両宗を学ぶ者はそれぞれ一宗のみを研鑽している」とか、「三論・法相両宗の僧侶は相手を目にすると、論争を始めている。~諸寺において仏教を学ぶ学生は、三論を学ぶ者は少数で法相宗に所属する者が多く、宗勢の強弱を見て有力な宗派につく学生により教界が汚され、仏教の真理の追究が疎かになっている」ともあります。

 ここからわかることが三点。
ア 法相と三論は大乗仏教の認識論であること
イ 出会うと論争をしていること
ウ 今は法相宗が有力で、三論派が少なくなっていること

 これまで毎年の新規得度者は(欠員を除いて)10名。法相5、三論5とされ、三論派が定員5に達しないとき法相派で補っていた。が、今後は「定員に達せずとも、他宗で補充してはならない」とあります。これはマオ30歳のときの勅令ですが、南都仏教界の問題点としてとらえられていたようです。

 ここで注意したいのは他の勅令に「諸々の論疏(ろんしょ)を読んでも経典を読んでいない者は、得度を許さない」との文言があること。「論疏」とは仏教解説書のことで漢文で書かれています。
 言い換えれば、仏教解説書は読んでいるけれど、経典そのものを読んでいない僧がいたことを意味します。史書には『法華経』・『華厳経』などが挙げられています。仏教に入門した以上、当然これらの仏典が読まれ、教義を勉強するべきでしょう。

 ところが、入門後渡された仏典は「論疏」だった、あるいは、『法華経』や『華厳経』が渡されたとしても、僧侶はそれを読まず、論疏ばかり読んでいる。「それっておかしくね?」てな感じです(^.^)。
 当時南都仏教では「論疏」が仏典と同じように読誦され、その内容について考え、研究されていました。結果、論疏は読んでいるけれど、『法華経』や『華厳経』などは読んだことがない僧侶がいたというのです。

 これは僧侶個人の問題と言うより、南都仏教を指導した人たちの姿勢と言うべきでしょう。極端に言えば、南都仏教は仏教解説書を読むことで信仰を深め、解説書を研究することで仏教を理解しようとした――とも言えます。

 マオは入門後三論派と法相派が議論を交わす現場に連れていかれたでしょう。そして、口角泡を飛ばす激論を見て「はて、このようなやり方で仏教は理解できるのか。新しい仏教は生み出せるだろうか」と疑問を抱いたのではないかと思います。
 なぜ法相派が多く三論派が少ないのか。その理由については「前半」第24節を参照ください。

 次に大寺院が陥った経済活動「出挙(すいこ)」について。
 詳細は前半第25節をお読みいただくとしてまとめると以下の通り。

 出挙とは百姓に種もみを貸し出し、稲が実った秋に[元本+利息]として収穫の一部を受け取る制度です。利息は最大5割、最少3割で変遷しています。
 出挙は当初国司などが行い、租税(三パーセント)で足りない分を補っていました。たとえば、春に種もみ百俵を貸し出せば、秋には百三十俵から百五十俵の米が返済される勘定になります。半年で利息5割とは正に「高利貸し」と思えます。

 しかし、これは種もみと収穫されるお米の関係であって現金の利息5割と違います。
 現在田植え後の田んぼを見れば、だいたい苗2、3本か4、5本しか植わっていない(すなわち種もみ数粒)。ところが、秋の田んぼは(自然災害がなければ)一株4、5本から7、8本になってその一本一本に数十粒のお米が実っています。聞けば稲1本から60粒ほど玄米が収穫できるそうです。

 昔のことだから、そこまで収穫できないとしても、種もみ100粒に対して(50倍なら)、玄米5000粒が収穫できる計算になります。対して返済は利息5割だから、お米150粒(^.^)。収穫量の1パーセントにも達しない。収穫15倍なら返済は1パーセント。ちっとも高利ではありません。

 これをわかりやすく現代のサラ金に置き換えると、半年前10万借りても、それを元手に半年で最低200万、最高500万にできる。だが、返済は10万1000円でいいってこと。正に低金利の現代日本みたい(もっとひどくて100万貯金しても1年後の利息1000円!)。

 貸す側にしてみれば、儲けの少ない善意の貸し出しであり、無利子借金みたいなものです。出挙は当初勧農とか災害などで種もみを失った百姓救済のために生まれたというのもよくわかります。

 もちろん奈良、平安時代は「租庸調」と言って租税以外に特産品を国に納め、様々な労役(六十日間)に無報酬で参加せねばなりません。また、東国には防人、すなわち兵役もありました。それらも大きく見て《税》と考えるなら、人民の負担をお米で換算すると収穫物の3分の1、場合によっては半分くらい取られていたと見なすことができます。いわゆる五公五民です(江戸時代が有名ですが、現代だって国民負担率は公称5割弱だから大差ありません)。

 閑話休題。それらを勘案しても、出挙の返済が種もみ1俵に対して1俵半で良いなら、国司や郡司が出挙を行おうが、大寺院がやろうが、大した問題ではないように思えます。

 大寺院は得度層、修行僧を含めて数百人の僧侶が居住している。マオの大安寺は末寺を含めて800人と言われます。
 得度僧はもちろん官僧だから、桓武朝廷から生活費が支給される。しかし、多くの修行僧は無給です。日々の托鉢などは行われたでしょうが、それだけでやっていけるとは到底思えません。そこで大寺院は運営費として「出挙」に頼ったのです。

 ところが、桓武朝廷は以下のように国司や南都七大寺の出挙が大問題だと指摘します。

・「在外の国司は利潤をはかろうとして隠した稲を出挙して利息を取っている。(略)無知の人民は争って全部借りて食糧に充てる。その元利を徴収されるにあたって償うものがないから、ついには家を売り田を売り、他郷に浮浪・逃亡してしまう。人民が弊害を受けること、これより甚だしいものはない」として、「今後このような行為は断罪して懲らしめよ」とあります。
 出挙の量は国ごとに上限が定められているのに、守れていない。結果人民が出挙による借金に苦しんでいるとの指摘です。

 また、延暦二年(マオ九歳)の条では平城京諸寺の出挙について触れています。
・「豊かな人民による出挙は禁止されている。先に(個人的な出挙を禁ずる)令を出したが、未だ懲りずに改めようとしない。いま京内の諸寺は利潤を貪り求め、家を質に取ったり、利子を元本に繰り入れたりしている。どうしてこうも官吏の道がたやすく国法に違反し、出家したはずの僧侶の輩が再び俗世間と結びつこうとするのか」と寺院の出挙を痛烈に批判しています。

 「利潤を貪り求め」とはずいぶんな言葉で、口語訳著者の誇張した表現のように思われるかもしれません。しかし、原文はちゃんと「貪求利潤」となっています。
 また、「僧侶の輩」も原文は「出塵之輩」だから「やから」と訳されます。ちりあくたの世界を離れ、清らかな身となったはずなのに、「なんという奴らだ」と、桓武朝廷のお怒りがうかがえる表現です。

 そして12年後の延暦十四年。21歳のマオは大安寺に入門しています。
 この年朝廷は再び出挙について勅を出します。これは家臣から天皇への奏上という形式で書かれていました。
・「諸国で出挙する七大寺の稲は、施入されて以来、年月を経ており、年々の出挙による収益は莫大なものになっていますが、(略)革めることがなく、往時の出挙数を維持したまま、今日の疲弊した人民に貸し付けています。このため国司は出挙行政が円滑にいかず百姓は返済できない状態となり、家業を失い、家を滅ぼす人が続出しています」とあります。

 ここで貸す方の収益が莫大になるとの指摘は理解できます。
 たとえば、三割の利息として最初に一千俵を出挙に当てれば、毎年三百俵ずつ増えていく計算です。単利でも十年間で三千俵の利益、元本が四倍になります。

 よって、貸す方は確かに「莫大な収益」をあげるでしょう。しかし、種もみが五十倍、控えめに見て四十倍、もっと控えめに見て三十倍としても、種もみ一俵に対して三十俵の収穫があるなら(この場合税と出挙返済は約二俵半~四俵半)、借りる方にとってそれほど苦しいように思えません。

 史書に言う大寺院の出挙によって「百姓は返済できない状態となり、家業を失い、家を滅ぼす人が続出」しているとの記述、どうにも理解し辛いところです。
 別資料として(ネット事典の孫引きながら)、平安時代初期の作品『日本霊異記』には「出挙によって金銭亡者となったり返済に苦悩する都市住民の様子がまざまざと描かれている」そうです。

 これを理解するには先ほどのサラ金の例で説明できます。
 半年前10万借りても、それを元手に半年で最低200万、最高500万にできる。で、返済は10万1000円でいい――。

 今なら10万の元手で半年200万にできる正業はなく、せいぜい競馬競輪、競艇パチンコなどのギャンブルでしょう。それでもなかなか20倍にはできない。
 ところが、当時の百姓がやるのは米作。種もみ撒いて手入れをしっかりやれば、1俵借りても半年後20俵から50俵の収穫がある。ならば、5俵借りてもいい。今なら50万借りて確実に200万稼げるなら、50万5000円返しても150万の儲けがあるってことでしょう(^.^)。

 しかし、日照り、干害、長雨などの自然災害、天変地異もあります。収穫が予定の半分、もしくは1俵の種もみに対して5、6俵の収穫しかなければ大変です。
 1俵半の返済は必ずしなければならない。慈悲の大寺院のことだから「では来年まとめて」と待ってくれたとしても、来年また同じように種もみ1俵を借りれば、返済は2年分の3俵。2連連続の不作となれば、ますます借金生活にはまります。朝廷はそれを問題としたのです。

 以上です。空海マオがこれら学問仏教と大寺院の「出挙」についてどう思ったか。
 私は「異和感」とまとめましたが、みなさんはどうでしょう。
 次回までに考えてみてください。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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