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2025.05.31

ダービー、直前予想

 先週はほんとに久しぶりに土日競馬をリアルで見なかったし、土曜夜の結果記入もしないまま。全て終わった日曜の夜それをやって「土曜は本命決着が多かったんだ」と思いました。

 普段私が買って(見て)いる東西10~11とローカル11。
 土曜(24日)5レースの結果(単勝順)を示すと以下の通り。

 東京―10=[1→2→6] 11=[1→4→2]
 京都―10=[3→1→2] 11=[4→1→10]
 新潟―11=[1→2→3]

 馬連はA~D内の決着だし3複もほぼ本命。荒れたのは京都メインだけ。
 これを見ていたら、たぶん日曜GIオークスは「3強で決まる」と思ってそれを多めに買ったことでしょう(^_^;)。

 私は週中も土曜朝のオッズを見ても「上位人気に不安が多いし、オッズも乱れがあってどうも荒れそうだ」と思いました。
 しかし、競馬というのは「いかに不安が多くても、人気上位のAからD内で決まる」ことも多い。
 土曜の5レースは正にその実例といった感じでした。

 土曜の流れを見てしまったら――そして日曜にオークスの馬券を買えば、「当たったけど、3強馬券を多く買ったので、みんな的中1枚(T_T)」とほぞ噛みそう。

 人気上位が消えても3着内に入っても、それはあくまで(この一度限りの)結果論。
 もう一度走って同じ結果が出るとは誰も言えない……し、全く同じ123着となる可能性だって0ではない。

 一つ言えることは週中からしっかり検討したメインGIレースだけは「人に流されず自分の検討結果を信じるぞ!」と決意することでしょうか。
 それは別に競馬だけに限らない。人生全ての分かれ道において心がけたい心情だと思います(^_^)。

 それはさておき、明日は4歳クラシック第二弾ダービー。
 2022年生まれのサラブレッドは7590頭とか。そのうちダービー馬はただ1頭。
 ダービーに参加するには1つ勝ち、2つ勝ち、あるいは重賞を勝つか2着内に入ってオープン馬とならねばならない。それも2歳6月から3歳4月までの約1年以内に。考えて見れば苛酷にして厳しい競争社会です。
 うち9割(以上?)は1年以内に1勝さえできず、中央競馬から去らねばならないのですから。

 我々はダービー出走18頭の最低人気3頭は「駄馬だろ。カットだ」などと平気で言います。が、18番人気でも7590頭の上位18位と言える。だから、ものすごユーシューな馬たちです(^_^)。ときどき最低人気3頭から激走馬が出るもむべなるかな、ですね。

 二度目の「それはさておき」、ダービー週中人気は皐月123着馬に集中して「3強」の気配です。それが以下。

 [皐月賞123着馬](勝ちタイム良1570)
1着=レーン07ミュージアムマイル(3人)成績6戦[3111]
   新馬3着…GI朝日杯2着(2人)→G2弥生賞4着(1人)→皐月V
2着=北村友13クロワデュノール (1人)成績4戦[3100]
   新馬V→G2V→GIホープフルVの3連勝→皐月2着
3着=横山武17マスカレードボール(4人)成績5戦[3011]
   新馬V→GIホープフル11着(4人)→G3共通V(1人)→皐月3着

 07ミュージアムマイルのタイム1570は昨年ジャスティンミラノのレコード(良1571)をコンマ1更新する皐月レコードでした。2、3着はコンマ3差の同タイム1573。ついでに4、5着はコンマ1差の同タイム1574。

 ちなみに、1574のタイムは昨年を除く過去全ての良馬場皐月賞で1着となれるタイムです。人生、馬生に「ればたら」ないけれど、2~5着馬は他の年なら皐月賞馬でした。生まれた年が悪かった?(^.^)

 なお、騎手ですが、北村友は4戦全て騎乗。ミュージアムマイルは騎手4人、皐月モレイラ→今回レーン初乗り。マスカレードボールは戸崎圭(3戦)→坂井瑠→皐月横山武→今回同騎手となります。

 さらにもう一つ。上記3頭の父馬と馬主。みな共同馬主ゆえ一口価格と獲得賞金を掲載すると、

1着=07ミュージアム―父リオンディーズ   馬主サンデーR
   価格[100万×40=4000万]獲得2億8千万
2着=13クロワデュノ―父キタサンブラック  馬主サンデーR
   価格[125万×40=5000万]獲得2億0千万
3着=17マスカレード―父ドゥラメンテ    馬主社台RH
   価格[200万×40=8000万]獲得1億2千万

 なんとうらやましき利益率。ミュージアムマイルはすでに出資金の6倍超。投資詐欺に虎の子奪われるくらいなら、一口馬主に応募したらと言いたくなります。
 もっとも、自分の購入馬がGI(どころか重賞)上位に入るかどうか。
 たとえば2頭でさんざん迷って1頭に決めたら、「そっちかよお!」とほぞ噛む可能性あり(^.^)。

 それにしても一口価格の一番高い馬が3着で、安い方から順に123着だから、わからないもんです。
 週中人気は北村友13クロワ、レーン07ミュージアムの1、2番人気模様です。

 [ここで読者が一読法で読んでいれば、以下の疑問が出る…はず]
「皐月123着は1、3、4番人気だ。では2番人気は何だったのか」と。

 答えは「西村淳・サトノシャイニング―皐月2番人気5着」でした。
 今回ダービー出走。西村から武豊に乗り替わり(初乗り)。
 なんと大外18番枠。先行タイプなので厳しそう。

 あるいはダービー最多6勝の豊マジック炸裂するか。
 ぎんぎんの逃げ馬不在なだけに大外からまさかの逃げ→スローに落として粘る……なんて、ひそかに単勝買っておきますか(^.^)。

 同馬は直線の長い中京2歳新馬(芝20)を2、3番手から上がりトップ(33.7)で1着。次走東京G2東スポ杯(芝18)は逃げて上がり33.5でクロワデュノールの2着。新馬はどスロー、東スポ杯もスロー。スローになったら面白いかも。

 そこで上記3頭に追加すると、当然「皐月4着馬は?」と聞きたくなるので、それも追加。

5着=武 豊18サトノシャイニング―父キズナ 4戦[2101]
     G3V・G2東スポ杯2着・馬主里見氏、価格?・獲得8千万
4着=松山弘09ジョバンニ―父エピファネイア 6戦[2301]
   GIホープ2着(6人)・馬主KRジャパン・価格4290万・獲得1億
 
[(くどいけれど)一読法なら、上記「皐月の勝ちタイムや5着までのタイムを詳しく書いた」のはなぜか、ここでその意味がわかります。
 皐月5着までの5頭はかなり強いと思われるので、タイムを参考に詳述したわけです。]

 その他ではダービートライアルのG2V馬。東京芝24の青葉賞V馬は不出走。
 京都新聞杯(芝22)V馬02ショウヘイは川田からルメールさんに乗り替わって出走します。その川田騎手は03エリキングに騎乗。同馬は[新馬→OP→G3]の2歳3連勝から皐月5番人気11着〈着差1秒〉。皐月下位の中では注意したい馬。
 とにかく騎手両壁のルメール、川田騎乗馬は不気味です。

 私は「上記7頭から123着3頭が出るか、少なくとも2頭は入るのでは」
と推理しています。

 まずは過去9年の実近一覧結果から。

【ダービー、過去9年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2025年 →→→ →→→ →→→
2024年 QJ→A→D→QD 09→A→G→15 4→1→1→3 乖離1・逆3着
2023年 H→B→E→G D→A→F→H 2→1→2→2 乖離1着
2022年 A→B→G→H C→B→F→A 1→1→2→2 
2021年 QB→A→F→G E→A→09→C 3→1→2→2 乖離1着
2020年 A→B→F→H A→B→G→H 1→1→2→2 
2019年 F→B→D→A H→C→B→A 2→1→1→1 
2018年 C→F→E→D F→D→17→15 1→2→2→1 逆1・3着 
2017年 H→C→G→QH A→D→B→H 2→1→2→4 乖離1・3着
2016年 E→D→G→QC A→C→B→G 2→1→2→3 乖離1・3着

 いつもの馬順ABの馬連軸はAが6回、Bが2回。ただBは3着が3回あるので、やはり馬順ABは無視できない。3複軸の[A→B→?]は3回。馬順C・Dも計6回1、2着している。
 一覧では第1群234位が全て8枠という珍しさ。いつもの乖離、第1群の逆乖離には気を付けたい。

************************
 【ダービー実近一覧表】 東京 芝24 18頭 定量57キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|3指単複|乖|印着
[1]
A=13|クロワデュノール | 1.7{AA}[2] |A|AAAA| |◎
B=16|ファイアンクランツ| 6.5{CB}[13]C|11|10131211| |
C=17|マスカレードボール| 8.1{B09}[16] |B|BCBD| |〇
D=18|サトノシャイニング| 8.2{FD}[6] |F|FHGG| |・
[2]
E=07|ミュージアムマイル| 8.4{EE}[10] |D|CBCD| |△
F=08|エ  ム  ズ  | 9.0{GH}[3] |12|    | |
G=09|ジョ バ ン ニ | 9.8{D12}[11] |E|DGEB| |●
H=06|ファ ン ダ ム |10.4{09C}[5]A|C|EFDE|乖|△
[3]
QA=03|エ リ キ ン グ|13.0{1013}[9] |G|HDHH| |・
QB=05|レ ディ ネ ス |15.0{1111}[17]B|09|09090909| |★
QC=01|リラエンブレム  |17.6{13G}[12]D|13|    | |
QD=12|カラマティアノス |18.4{H16}[14] |14|    | |
[4]
QE=02|ショ ウ ヘ イ |18.7{1210}[1]E|H|GEFF|乖|・
QF=10|トッピ ボーン  |22.7{14F}[18] |15|    | |
QG=15|ファウストラーゼン|29.8{1514}[15] |10|    | |
QH=14|ホウオウアートマン|41.5{1715}[4] |17|    | |
QI=11|ニシノエージェント|41.7{1617}[8] |16|    | |
QJ=04|ドラゴンブースト |67.3{1818}[7] |18|    | |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
----------------------------
 ○ 展開予想(指数1.9以下なし)

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番02 13 08 14 -06 18 04 11 -03 07 09 01 -16 12 15 17 05 10
覧 ◎ 6 △ 5 〇 ▲
3FE A D C B
馬H A 12 C F G D E 11 10 B 09
予 ◎ △ ・ ・ △ ● 〇 ★

--------------
 [枠連順位]

 枠連=AB/CDE/F/G/H 
 枠順=78 431 5 2 6
 馬順=AB DCH E G 14
 代行=10F 120913 15 18 16
 代2=1711
 ―――――――――――――
 結果=


 [オッズ分析]
 枠連型=A流れE[AB型] 枠順AB=4.6
 馬連型=A流れH[A型 ] 馬連AB=6.8

 ・馬連はH02まで、枠連もE1枠まで流れるA型。一覧もトップがA13で5種オッズもオールA。A13クロワデュノールが本命・本穴軸となる。
 この場合馬順B17は◎ではなく〇とする。気を付けたいのは枠Bに馬順F18が代行として入っていること。このせいで枠連はAB型となっている。
 ・枠のCD4枠3枠に交換があり、枠EFGに乱れがあってE1枠が上昇している。H6枠は無理スジ。
 ・馬連系の本命はA→BCD。本穴はA→EFGH。

 [御影流AI予想]
◎A=13クロワデュノール B=17マスカレードボール
印順=騎 手番馬      名
◎1=北村友13クロワデュノール
・5=松山弘09ジョバンニ
・7=川 田03エリキング
△3=北村宏06ファンダム

〇2=坂井瑠17マスカレードボール
・6=武 豊18サトノシャイニング
・8=ルメル02ショウヘイ
△4=レーン07ミュージアムマイル
★09=横山典05レディネス
●E=松山弘09ジョバンニ

 [御影のウラ●]

 格最上位(RX)の2頭13クロワデュノールと07ミュージアムマイルが一覧AB、馬順ABの2強になると思ったが、ミュージアムマイルは意外と低評価。終わって「やっぱり」もあるので、この馬連13-07は取りあえず買っておきたい。
 で、ウラ●としては前置きに書いた7頭(プラス06ファンダム)の馬順A~H8頭から選びます。

 迷ったのは大外武豊18サトノシャイニングと松山09ジョバンニ。前者は皐月5着(2人)、後者は皐月4着(7人)。
 前者は先行馬の大外、後者は馬主が重賞・GI実績なしでイマイチ。
 ただ、どちらも馬順Hの中に入っているし、良くて2着の気配なので、連単軸ではない控えめのウラ●としたい(^_^;)。

 かくして狙ったのは松山09ジョバンニの方。エピファネイアの仔で成績[2301]。
 光るのは小倉2歳新馬(芝18)V後2戦目から前走皐月まで全て芝20。2戦目から[OP→G3→GIホープフル]を全て2着。

 ここで勝っていればと思えるけれど、2走前阪神OP若葉Sをやっと1着(170円の1人)。そして前走皐月4着。このタイムが1574。
 2戦目から前走まで5戦のタイムは[2029→2011→2008→1590→1574]と全て自己ベストを更新。成長力はまだ底を見せていないかも。
 ただ、東京コースは初。右回り5戦で左回りは中京が1レース。

 も一つ光るのは6走中5戦で上がりがベスト3内、1位は3回。直線の長い中京・阪神を先行して粘っている感じなので、真ん中の5枠から中団追走できれば、直線伸びるかもと思える。

 極め付きは中山GIホープフルSでクロワデュノールの2着したこと。
 今回18頭の中でGI2着馬は3頭。2頭はホープフルVのクロワと皐月Vのミュージアム。つまり、[GIVのないGI2着馬]はジョバンニただ1頭。

 オークスで唯一[GIVのないG2V]馬が勝ったので、今回は別パターンということで(^.^)。
 ちなみにGIVのないG2V馬は以下の2頭です。
・ルメル02ショウヘイ―――前走京都G2京都新聞杯(芝22)V(5人)
・デムロ15ファウストラーゼン―中山G2弥生賞V→皐月15着(8人)

 もちろんこちらから買う手もありでしょう。

 以上です。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2025.05.27

GIオークス「予想と結果報告」

 オークス結果は、夜「よっしゃあ!」と叫んだ馬連・馬単的中!(^_^;)

 1着―シュタ 15カムニャック……………[●] 単勝=14.3
 2着―岩田望 01アルマヴェローチェ……[◎]
 3着―藤岡佑 13タガノアビー……………[?]
 4着―丹 内 03バラディレーヌ…………[・]
 5着―デムロ 05リンクスティップ………[・]

 一覧順位[C→B→QC→QB]
 馬群[1→1→3→3]
 前日馬順[D→A→11→E]
 枠順[D→A→D*→F](*は代行)

 枠連=7-1=15.9 馬連=15-01=24.7 馬単=67.0
 3連複=15-01-13=213.8 3連単=1306.4
 ワイド12=9.0 W13=38.9 W23=19.0

------------
【オークス、過去10年の実近一覧結果】

    一 覧     馬 順     [1234]群
2025年 C→B→QC→QB D→A→11→E 1→1→3→3
2024年 C→A→E→H B→A→C→D 1→1→2→2 乖離3着
2023年 A→QB→QI→G A→B→16→11 1→3→4→2 乖離2着
2022年 A→F→B→QJ B→10→D→11 1→2→1→4 逆2着
2021年 C→H→QF→D D→B→16→10 1→2→4→1 乖離2着
2020年 D→QB→QD→C A→E→D→H 1→3→3→1 乖離23着
2019年 E→G→A→H B→12→A→G 2→2→1→2 乖1着・逆2着
2018年 A→D→B→QD A→D→B→12 1→1→1→3 
2017年 A→E→B→QJ A→F→C→09 1→2→1→4 
2016年 A→B→F→QB A→B→F→10 1→1→2→3 

 今年も馬順Aが2着、3強の2角B・Cが消えた。
 馬順Dの5種オッズはD|EFEG|だったので逆乖離に近い。
 逆に言うと3複・単勝・複勝と比べて馬連だけは「よく買われていた」
とも言える。
 3着13タガノアビーは流しづらいけれど、前走上がり3FはBだった。
 上がりだけ見ると、前走ベスト5の[C→E→B]で決まっている。
 流せたなあと思えるけれど、結果論である(^_^;)。

 以下一覧データの結果です。

************************
 【オークス実近一覧表】 東京 芝24 18頭 牝馬定量55キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|3指単複|乖|印着
[1]
A=09|エンブロイダリー | 3.0{AA}[8] |B|CBAC| |◎ 9
B=01|アルマヴェローチェ| 8.1{BC}[12]E|A|ACBB| |◎2
C=15|カム ニャック  |13.1{D09}[10]C|D|EFEG| |●1
D=18|エリカエクスプレス|16.6{11D}[1]逃|F|FGDH| |・ 10
[2]
E=14|サヴォン リンナ |16.7{09E}[5] |12|    | |
F=06|ビップ デイジー |17.0{HG}[11] |10|    | |
G=05|リンクスティップ |17.5{10H}[13] |C|BACA|乖|△5
H=17|ケリフレッドアスク|18.4{F11}[2]D|13|    | |
[3]
QA=12|ブラウンラチェット|19.7{G13}[15] |G|GDGF|乖|・ 7
QB=03|バラディ レーヌ |21.3{12B}[9] |E|DEDF|乖|・4
QC=13|タガノ アビー  |22.2{E16}[18]B|11|10091010| |?3
QD=11|ウィルサヴァイブ |25.2{1312}[6] |18|    | |
[4]
QE=04|アイ サンサン  |27.6{16F}[7] |17|    | |
QF=16|ゴーソーファー  |28.8{1510}[14] |15|    | |
QG=07|レーゼ ドラマ  |30.9{1414}[3] |H|09100909|乖|・ 16
QH=08|サタデーサンライズ|37.4{1716}[4] |16|    | |
QI=10|タイセイブランセス|50.6{C18}[16]A|09|HHHE|乖|・ 11
QJ=02|レーヴドロペラ  |62.8{1817}[17] |14|    | |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
----------------------------
 ○ 展開予想

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番18 17 07 08 -14 11 04 09 -03 15 06 01 -05 16 12 10 02 13 
覧△ 5 ◎ ▲ 6 〇
3F D C E A B
馬F H 12 B E D 10 A C G 09 11
予・ ・ ◎ ・ ● ◎ △ ・
結 4 1 2 5 3
--------------
 [枠連順位]

 枠連=ABC/DEF/GH
 枠順=153 782 46 枠順[D→A→D*→F](*は代行)
 馬順=ABC DFE HG 馬順[D→A→11→E]
 代行=140910 111317 1618
 代2= 1215
 ―――――――――――――
 結果=2 13 4

 [オッズ分析]
 枠連型=3巴[AB・4巴型] 枠順AB=6.1
 馬連型=3巴[AB型   ] 馬連AB=6.1

 ・枠連も馬連も馬順A[01アルマヴェローチェ]、B[09エンブロイダリー]、C[05リンクスティップ]の3巴だが、4種オッズはこの3頭で123位がバラバラである。C05は第2群Gの乖離馬。

 このような場合、ど本命はもちろんABC3頭で123着が出る。大穴はABCが全て消える(3着以下)。いつもの2頭残り、1頭残るパターンもあり得る。
 なお、枠連3巴の基本は[CBA軸にDE蹴ってFGH、ウラDE]。

 ・枠順、馬順の対比ではEF[8・2枠]とGH[4・6枠]に転換がある。枠Fまでで決まるか、Hまで絡むかは何とも言えない。
 御影流AI予想は一応いつもの買い目を示すけれど、この中には[ABC]の馬連・3複の買い目は入っていない。成績など考慮すると、[ABC]3強で決まりそうだが……。

 [御影流AI予想]
◎A=01 B=09
印順=騎 手番馬      名  結果
◎1=岩田望01アルマヴェローチェ 2
・5=丹内祐03バラディレーヌ   4
・7=レーン12ブラウンラチェット  7
△3=デムロ05リンクスティップ  5

◎2=ルメル09エンブロイダリー   9
・6=戸崎圭18エリカエクスプレス  10
・8=坂井瑠07レーゼドラマ     16
△4=シュタ15カムニャック    1

●4=シュタ15カムニャック    1

 [御影のウラ●]
 GIVの格最上位はAB、01・09の2頭。通常5種オッズもずらりABが並んでいいのに、ABC内で乱れている。
 もしかしたらこの3頭「最高2着かも」と見るなら、連単軸のウラ●を指名する意義はありそう。

 そこで狙ってみたいのは[GIVのないG2V馬]。これが1頭しかなくシュタルケ15カムニャック。前走G2東京芝20フローラSを勝っている。ただ7番人気だった。

 同馬の成績は新馬勝ちの4戦[2002]。特筆すべきは新馬(中京芝20)の勝ちタイム2042に対して前走東京芝20の勝ちタイムは1586。また、フローラSのレコード(コンマ1更新)である。

 ただ、過去フローラS勝ち馬はオークスでイマイチ。それが(一覧Cだが)5種オッズは|D|EFEG|となって現れている感じ。実質E以下の逆乖離とも言える。
 御影流AI予想とずれるけれど、ウラ●からABC3頭へボックス3頭に絞って買ってみたい。

************************
 回  顧

 土日は一泊で出かけ、しかもオークス本番は車中の移動でラジオも聞けず、午後6時頃帰宅しました。
 風呂入って晩飯食べながら「7時のNHKニュースで結果を見よう」と思ったら、スポーツコーナーは大相撲の話題ばかり(大の里関、優勝と横綱昇進おめでとうございます)。

 その後パソコンでやっとJRAのビデオ動画を見ました。
 もちろんウラ●シュタルケ15カムニャックに注目しながら。

 逃げたのは大外から戸崎圭18エリカエクスプレス。
 カムニャックは1角外目の10番手くらい。
 レースは逃げ争いもなく淡々と進んで平均ペースかなと思いましたが、1000メートル通過1分ちょうど。
 それを聞いたとき(一般的にはスローと見ているようですが)
「2400にしてはちょっと速い。逃げ先行は残れないんじゃないか」と(リアル観戦かのように)つぶやく(^_^;)。

 そして4角から直線。シュタルケ15カムニャックは大外に出して追いあげる。
 ただ、なかなかエンジンがかからず、逃げた18エリカエクスプレスが粘りそうな気配。が、残り200くらいで失速。
 すると、外を7枠両馬がぐいぐい伸びる。最内をするする抜け出したのは◎岩田望01アルマヴェローチェ。もう1頭の◎ルメール09エンブロイダリーは馬群の中でもがいている感じ。
 もちろん(リアルじゃないのに)「15…15! 15ォ!!」の声(^.^)。

 そして、内外大きく開いて01アルマヴェローチェと15カムニャックが同時にゴール。
 馬連の的中は明らかながら馬単は不明。しかし、TVアナは「シュタルケ…!」と叫んでいる。
 その後結果を確認して1着シュタルケ15カムニャック、アタマ差2着01アルマヴェローチェとわかりました。単勝に馬単もゲット。
 ただ、3着藤岡佑13タガノアビーは無印とわかって「3複ヒモ抜けかあ」とがっくり。

 しかし、馬連24倍に対して馬単67倍とわかるや、
「よおっしゃあ!」と叫んだのであります(^O^)。
 単勝14倍もおいしい単勝で、もちろんトータルプラス。
 ただ、3複3単逃しただけに「くあーっ。馬単もっと買やあ良かった」とも叫んだのであります(^.^)。

 直前予想の前置き、並びにオッズ分析をじっくり再読下さい。
 成績面で格最上位の09、01の2頭は不安があること。前日オッズは単勝・馬連3巴の3強だったけれど、5種オッズの順位はばらばらであることを指摘しています。
 そこで、GIVのない唯一のG2V馬(しかも爆発力とフローラSのレコード勝ち)からウラ●として15カムニャックを指名しました。

 残念無念な点は3着藤岡佑13タガノアビーがヒモ抜けしたこと。
 同馬の成績は5戦[2012]。前走1Wクラス(京都芝22)を勝っているけれど、重賞は2走前のG2フローラS5着(12人)の1戦のみ。馬順11位だし、「ムリかな」と思いました。

 が同馬は前走上がり3Fの2位。さらに2走前のフローラSも4角16番手から上がり33.3で5着まで追い込んでいる。つまり、今回はフローラS経由の1、5着が1、3着したことになります。

 あるいは、あれこれ考えず[ウラ●→◎=◎→前走上がりA~E]の馬券で3複2万、3単13万の的中でした。

 が、これは結果論。ウラ●から相手は3強に絞ったし、いつもの「まさか3強から2頭消えるとは…」のパターンだから、やっぱり買ってないと思います(^.^)。

 以上です。

 なお、御影の「ほぞ噛み予想」はこちらのブログではほとんど公開していません。
 関心ある方は以下メルマガ閲覧申し込みサイト(無料)より申し込んでください。
 GI週の土曜日に「直前予想」、月曜に「結果と回顧」を配信しています。

「まぐまぐ」閲覧申し込み


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:日曜のやんごとなき事情とは兄の娘である姪の子が運動会なので(福岡まで)観覧に出かけたことです。
 これまで子どもの七五三とか各種行事で兄夫婦は出かけていましたが、私はなし。しかし、今回上が小6で最後、下が小1で初めての運動会。私にとっても孫みたいなもんだから、「来たら?」とお呼びがかかりました。

 いやいや小学校の運動会を見たのは自分の小6以来(^.^)。曇り空で風もあって冬のように寒かった。でも、児童らは懸命に走り、熱く応援の声を上げ、ダンス(今は「表現」と言うらしい)を巧みにこなしていました。
 先生方も元気でラストの小6全員(30数名)のリレーの前には輪をつくってシュプレヒコールをあげるなど結構感動的でした。

 小中高の先生の中で小学校の先生が最も「先生になりたい」と思ってなった(はず)。このような行事では「やって良かった」と感じているはずで、その喜びも伝わってきました。
 つくづく「現場の先生方を疲弊させてはいけない。先生方を管理し、競争させ、子どもと共に成長する喜びを与えられないような政治家・官僚は即刻退陣しろ」と思ったものです(^.^)。

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2025.05.22

『空海マオの青春』論文編 後半 第32号

 「『空海論』前半のまとめ(五)の7(最終回)」

 今節にて『三教指帰』成立過程論の最終回。そして、空海論前半の掉尾です。
 これまで『三教指帰』は「三教比較論であり、仏教の最上位を主張している」と評価されていました。私はそれは浅い見方であり、新たに文学史的な位置付け・評価を提示したいと思います。


 『空海論』前半のまとめ(五) 『三教指帰』成立過程論

 1 『聾瞽指帰』と『三教指帰』の比較            4月16日
 2 両著の「序」と結論部「十韻賦」の異同          4月23日
 3 『三教指帰』は全肯定の萌芽               4月30日
 4 なぜ両著の「本論」は同じなのか             5月07日
 5 『三教指帰』脚本化の試み                5月14日
 6 室戸岬百万遍修行における明星との交感とは        5月21日
 7 『三教指帰』の文学史的位置付け             5月28日

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 本号の難読漢字
・蛭牙(しつが)公子・梵釈(ぼんしゃく)寺・松明(たいまつ)・招聘(しょうへい)・神祇神道(じんぎしんとう)・陰陽(おんみょう)道・忸怩(じくじ)たる・考聖(こうしょう)・筐底(きょうてい)・虎渓三笑(こけいさんしょう)の図・藤原冬嗣(ふゆつぐ)・沙弥(しゃみ)・求聞持法(ぐもんじほう)・顕教(けんぎょう)・明一(みょういつ)和尚・勤操(ごんぞう)・行賀(ぎょうが)・六道輪廻(りくどうりんね)・廬山(ろざん)東林寺(とうりんじ)・慧遠(えおん)・儒教の陶淵明(とうえんめい)、道教の陸修静(りくしゅうせい)

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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第32号 プレ「後半」(五) その7

 『三教指帰』の文学史的位置付け


 本節をもって「聾瞽指帰と三教指帰」論は終了。最後のテーマは『三教指帰』の文学史的価値というか歴史的位置づけです。
 一般的には「空海二十三歳の著『三教指帰』は儒教・道教・仏教の三教比較論であり、仏教の最上位を述べた思想書である」と評価されているようです。

 儒道仏三教の比較論であることに異存はありません。ただ、堕落者の「甥」蛭牙公子とは空海自身であり、彼自身の三教遍歴が書き込まれた結果、私小説的要素をかなり含んだ書であると補足せねばなりません。
 たとえば、仏教編に儒教の内容が繰り返されたことは論文と見るなら下手くそと言わざるを得ない。しかし、儒教仏教間を揺れ動いた悩みを告白するには必要な表現であり、それは仏教編にしか入らない。だから、私小説と考えれば欠陥でも何でもない。「論文執筆の成熟度に欠けていた」などと批評してほしくないもんです。

 またこれまで何度か書いてきたように、「仏教の最上位を主張した」とのまとめもあまりに浅薄であり、天才と言われた空海さんに対して「この上なく失礼な解釈である」と考えています。
 ではどうまとめるか。『三教指帰』は歴史的・文学史的にどう位置付けられるのか。
 私は新説を提起して読者各位の判断を仰ぎたいと思います。

 私なら「『三教指帰』とは《習合していた儒道仏三教を弁別し、改めて三教融合を目指した著書》である」とまとめます。

 仏教の日本伝来は六世紀。当初仏教導入積極派と排斥派に分かれ、やがて導入派が勝ちます。もしもこの伝来当初に空海が誕生し仏教を学び、やがて『三教指帰』が書かれたなら、「儒道仏三教を比較して仏教の優位を述べた」との説は「なるほどそうか」とうなずけます。

 しかし、空海マオが『三教指帰』を書きあげたのは延暦十六(七九七)年。
 時代は八世紀末――平安京遷都の三年後であり、仏教公伝より二百年のときを経ています。延暦治世の天皇桓武・朝廷はその頃民に盛んに仏教を勧めていました。

 たとえば、梵釈寺の創建が宣言された延暦十四年には、仏教は「ありがたい仏教、このうえなく勝れている仏教」であり、「暗やみを照らす松明」のような教えであり、梵釈寺創建によって「宝界(浄土)が尊さを増し、下は仏教の教えが全国に及び、よく治まり、すべてが喜ばしく」なる。
 仏教によって「内外共に安楽で冥界も現世も長く幸福」となり、「慈しみの雲を見つつ迷いの世を出て、日光のような仏教の知恵を仰ぎ、悟りの道を進むことになろう」と仏教をたたえ、人民に「仏教を信仰せよ」と勧めています。

 また、延暦十七年には「西方のインドでおこった仏教は東方の日本へ伝わり、暗やみを照らす松明のごとく人を導き、船の楫(かじ)のごとくありがたい教えである」とも言います(『日本後記』より)。

 すでに桓武・朝廷が仏教はこの上なく良いものだと賞賛しているとき、無名の修行僧に過ぎぬ空海が「仏教は素晴らしいです。儒教道教の上を行きます」との論文を発表したとして、一体誰が感銘・感心して聞いてくれましょう。「そんなこたあお前に言われんでもわかっとる」との反応が返ってくるだけです。
 空海さんはそんなことさえ感じ取れないノー天気にして鈍感なる存在だったのでしょうか。

 いえいえ、そんなこたあありまっせん(^_^)。
 空海さんは時節をしっかり把握していた(と私は思います)。

 桓武朝廷が腐敗堕落した南都仏教にうんざりしていたこと。新都長岡京、続く平安京に南都大寺院を招聘しなかったこと。しかし、神祇神道・陰陽道・儒教道徳の力が弱い以上、仏教の力に頼らざるを得ないこと。だからこそ《新しい仏教を求めている》こと――それらをよーく知っていた。

 四国の片田舎から突如南都仏教に入門したのではありません。彼は藤原南家に連なっていた叔父阿刀の大足の下で数年間儒学に励み、大学寮に入学した逸材です。私は充分シティーボーイだったと思います。田舎弁丸出しだったとしても(^.^)。しかも、その学年トップクラスの優等生でもあったのです。

 現代を例にすると差しさわりがあるので、明治時代を例に挙げましょう。あの時代、某帝大に在籍したエリートたちは「日本の現状を鋭く見つめ、西欧列強に伍するにはどうすればよいか考え、生きて戻れないかもしれない留学さえいとわぬ」若者が多数集まっていました。空海さんとは正にそのような人材だったろうと思います。

 しかしながら、十八歳のマオは大学寮に挫折し、官僚への道をあきらめます。後ろ盾のない彼は出世してもせいぜい大学寮助教か教授くらい。官僚になっても天皇にお目通りのかなわぬ外(げ)従五位下止まり。天皇側近の政治家になるなどあり得ない。それほど「蔭位(おんい)の制」という身分制度が立ちふさがっていました。結果、叔父の勧めによって「新仏教創始を目指して」仏教に入門した……。

 これまで私が論証してきた仏教入門までの流れをまとめるとこうなります。
 ならば、世に問う処女作は「新しい仏教が書かれた書」であるべきでしょう。

 ところが……ここからが浅い読みしかできなかった読者の責任と、「これが新仏教だ」と公言できなかった空海マオの忸怩たる心境が想像できます。
 もしも二度の百万遍修行を終えて「これが新仏教です」と言えたなら、当然作品に書いたでしょう。その内容を詳しく説明したはずです。

 私は拙著――小説版『空海マオの青春』の中に、三教比較論を書こうと決めたマオが友人の考聖に構想を説明するところを描きました。
 そのときマオは以下の『聾瞽指帰』構想図を見せます。

 《『聾瞽指帰』構想図》

       | 儒教 |
       |(忠孝) |
  ―――――     ――――
  道教(自然)    仏教(解脱)
  ―――――     ――――
       |   |
       |   |

 考聖は聞きます。「三教ならなぜ三又にしない。なぜ十字なんだ」と。
 マオは答えをぼかすけれど、「ここには私が生み出した新仏教を入れたい」とつぶやく……私はそう推理しています。
 そして、この思いは後に「密教(全肯定)獲得」として実現します。

 しかし、『聾瞽指帰』執筆から『三教指帰』改稿の段階では、まだ新仏教として提示できるようなしろものではなかった。
 そもそも「百万遍修行」はどこに入るのか。仏教か、あるいは、もう一節立ち上げるべきか。いまだ何もわかっていなかったと見るべきでしょう。
 しかも感情的には「ほんとにこれでいいのだろうか」と納得していなかった。それゆえほぼ完成形だった『聾瞽指帰』も筐底深く仕舞われたのです。

 それなら二度目の百万遍修行を終えたとき、なぜ改稿『三教指帰』は公開しようと思えたのか。明確な新仏教の提示がないのに「公開しよう」との結論に至ったのはなぜか――これが次の疑問となります。

 まず言えることは《理屈と感情の合致》。理屈としては「仏教が最も素晴らしい、もう仏教に突き進むしかない」とわかっている。だが、感情がそれを認めていなかった。心の底からそう思えず、ゆえに自信もなかった。
 それが二度の百万遍修行によって理屈と感情が一致し、心の底から「仏教こそ最上である」と言えるようになった。そして、自身の到達点として著書を公開しようと考えた――そう推理できます。
 ただし、相変わらず新仏教は表現できない。新仏教の提示はないけれど、何か別の「世に問う」要素はないか。そう考えたとき「これだ」と言えるものが見つかったのではないか。私はそう考えています。

 ここで仏教公伝から二百年経過して当時の日本宗教界が陥った特異な状況がヒントになります。その状況とは「神仏習合」です。古代神道、仏教だけでなく、道教・修験道も伝来しており、ごちゃまぜ状態となって日本に溶け込みつつあった。

 ここでコロンブスの卵的逆転の発想が必要だと思います。空海は「儒道仏三教を比較して仏教の優位を述べた」のではなく、「習合した儒道仏三教を、これは儒教、これは道教、これは仏教だときれいに弁別した」ということです。さらに目指したのが「三教融合=三教全肯定」であった。
 このまとめなら、日本にそれまでなかった書であり、堂々と公開できるのです。

 私は小説『空海マオの青春』では、空海自身がそのことに気付くと言うより、二人の先達によって「教えられる」との形を取りました。
 一人は「百万遍修行を学んだ沙弥(しゃみ)」であり、もう一人は大安寺の高僧「行賀」です。完成させた作品はいまだ『聾瞽指帰』の名であった。それを二人の示唆によって『三教指帰』に改題したとの構想です。

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 3 習合仏教弁別

 奈良に戻ると、マオは冷静に『聾瞽指帰』を読み直した。読み終えて確かに冬嗣や叔父の言うとおりだと思った。ここに書かれた主旨は儒教と道教と仏教を比較して仏教の優位を主張したに過ぎない。マオが室戸岬で獲得した境地は全く説明されていなかった。

 二年前『聾瞽指帰』を書き上げたとき、何かが足りない、未完と感じて原稿は一旦行李に仕舞われた。ところが、百万遍修行を終えてみると「これでいい、完成している」と思った。ほとんど加筆修正していないのだから、主張が変わっていないのは当たり前である。しかし、仏教の結論が平凡と指摘されると、マオはかえって奇妙な思いにとらわれた。ではどう書き直したら良いのか、さっぱり思いつかないのである。これは一体どうしたことだろう……とマオは頭を抱えた。

 三月半ば頃、マオは雪が溶けた生駒山に登った。百万遍の沙弥を訪ね、この疑問をぶつけてみることにしたのである。
 沙弥はマオの話を聞くと、口をすぼめて「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ」と笑った。久しぶりに再会した沙弥は歯が欠け、とても老けて見えた。
「なーに、それは簡単なこと。お前さんが今まで読み蓄えた書物の中に、求聞持法百万遍修行によって感得した境地がどこにも書かれておらんからじゃ。求聞持法は秘密仏教じゃ。お前さんがこれまで学んだ仏教はすべて顕教。顕教の理屈をいくら書き連ねたとて密教の境地を描くことはできん。求聞持法は密教の世界なのじゃ」

 マオは頬をふくらませた。
「ひどいなあ。それがわかっていてなぜ教えてくださらなかったのですか。では密教の教典を読ませてください」
「ばっかもん!」沙弥は一喝した。「秘密仏教はのう、経典をいくら読んでも、体験しなければわからん教えじゃ。体験と修行より学ぶことこそ密教の神髄。それに、わしは密教の経典なんぞ一巻も持っておらんわ」

 沙弥はあっけらかんとしている。マオは「ええっ!」と叫んで口をとがらせた。
 沙弥はそれを見て大笑した。マオはうらめしげな目で見返した。
「ただ……」と沙弥は思わせぶりにマオを見た。いつもの流れである。もはや目は笑っていない。
「ただ?」
「密教に経典があると聞いたことはある。だが、どこにあるかは知らん。本朝のどこかに隠されているかもしれんし、どこにもないかもしれん。なければ唐まで行かぬと見つからんじゃろう。わしはもう教典なんぞに興味はない。探すならやってみるがいい。確か大日経とか言うたはず」
「大日経? あの大日如来の大日経ですか」
「大日如来かどうかは知らん。とにかく大日教という仏典じゃ」
 大日教……マオはその名を心に刻みつけた。自分が獲得した境地がそこに書かれているなら、ぜひ読んでみたい。一体どのようなことが書かれているのか。探してみようと思った。
(~中略)

 休憩をとったとき、沙弥は「ところで」と再び『聾瞽指帰』について語り始めた。
「お前の聾瞽指帰だが、わしはただ単に三教を比較して仏教の優位を述べただけとは思わん。あれは朝廷が勧める仏教とは全く違う。聾瞽指帰はむしろ習合仏教を三教に分けたと言えるのではないかな」
「習合仏教を三教に分けた?」
「日本の仏教は儒教・道教・仏教が混在しておる。日本古来の神祇信仰も混じっておる。神社に仏様や仏塔があり、寺に鳥居があるのがいい例よ。修験道も神祇か道教か仏教なのか、わからんところがある。お前がまとめた仏教には祈祷が全く書かれていなかった。聾瞽指帰は習合仏教から、純粋に仏教のみを取り出したと言えるのではないか。ある意味わしも参考になった。なるほどこれは儒教だったか。山岳修行のあれは道教であったかと。そう言う意味で今まで誰も書かなかった書だ」

 マオは沙弥の言葉がうれしかった。そうかと膝を打ちたい気持ちにもなった。確かに自分はこれまで仏教と呼ばれていたものを儒道仏の三教に弁別したのだ。であるなら、題名は「三教指帰」にした方が良いかもしれない。マオは帰り道そんなことを思った。
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 ここにあげた『密教』・『大日教』などは今後大きく意味を持つ言葉であり、空海青春期後半の伏線でもあります。マオは「お前の書いたものは三教弁別の書である」と誰かにいわれたのではないかと推理しての表現です。

 次は「三教融合」について。これは中国(当時の隋・唐)に出典があります。
 詳細はネット事典などをご覧下さい。代表的なものが「虎渓三笑の図」です。
 こちらも『聾瞽指帰』を『三教指帰』と改題する際、誰かから聞いたのではと思ってこのことわざを使いました。

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 4 改題『三教指帰』

 三月二十七日、東大寺三綱上座――明一和尚が入滅した。享年七十一歳。南都七大寺の高僧が集まり、大安寺からも善議、勤操など主だったところが参列した。マオもお供をした。明一から『聾瞽指帰』の感想は聞けないままとなってしまった。
 興福寺大僧都行賀が弔辞を読んだ。
「明一和尚こそまことに優れた仏門の導師であり、仏の大宝と言えるお方でありました。唐土(もろこし)に簷(のき)という花があります。それはしぼんでもなお周囲を照らす華やかな花です。また、蘭の葉は半ば枯れても、なお十歩先まで芳香を放ちます。そのように明一和尚も老いてなお輝きを放つお方でした……」
 マオは詩の一節のような素晴らしい弔辞だと思った。

 帰り道、マオは行賀に呼ばれた。並んで歩きながらマオの方から先に話し始めた。 「行賀様は明一和尚といくつ違いだったのですか」
「明一和尚が一つ上でした。まだまだ長生きできると思われたのに、残念なことです」
 行賀は唐より帰朝した報告の席で、明一から難しい質問をされ、答えることができずに罵倒された。周囲は「唐国に三十年以上も滞在して日本語を忘れたから」と見なした。だが、行賀はその後さらに深く仏教を学び研鑽したという。満座の前で恥をかかされながら、行賀はかえって奮起したのだろう。行賀と明一は論敵であるとともに、心おきなく語り合える友だったのではないか、とマオは思った。

「ところで、貴僧の聾瞽指帰ですが、先日読み終えました。儒教、道教、仏教の三教を比較して仏教の優位を主張する。対句表現や古書を巧みに引用した点など、まこと博覧強記とも言うべき深みを持った書だと感嘆いたしました。三教の書物を読み込み、よくぞあそこまでまとめあげたものです」
「ありがとうございます。ただ、仏教に関しては当たり前のことしか述べられなかったと反省しております」
 すると行賀は「ほっほっ」と小さく笑った。
「仏教の内容が無常観であり、六道輪廻や八正道としたことであろうか。貴僧は仏教編において興福寺法相、大安寺三論に触れていません。それが貴僧の仏教観を示していると思いましたが、そうではなかったのかな?」

 マオははっとした。行賀の言う通りである。確かに法相、三論にはほとんど触れなかった。それは別に意図していたわけではない。だが、南都仏教の教義を中心に据えなかったことは間違いない。結果としてそれはマオの仏教観を示し、南都仏教に対する批判になっていたかもしれない。だから、仏教界からあまり感想が返ってこなかったのか。
「恐れ入ります。その通りでございます。南都仏教は全くと言っていいほど取り上げませんでした。空や無について議論を重ねる仏教ではなく、仏教の基本に帰ろうと思ったものですから」
 そう言ってマオは頭を下げた。行賀はまた「ほっほっ」と笑った。

「あるいは、貴僧の書は南都七大寺に受けが良くないかもしれませんね。しかし、それでよろしいではありませんか。初めて貴僧とお会いしたとき、貴僧は仏教の何を学ぶのかとお聞きになりました。私は仏典が教えてくれるでありましょうと答えました。さらに仏教に何を求めるか、それによっても答えが違うと言いました。聾瞽指帰は正に私がお答えしたとおりの作品になっていますね」
 マオはこみ上げる熱いものを感じた。行賀和尚は『聾瞽指帰』をしっかり読んでくれたと思った。
「ありがとうございます。そう言っていただけると、何より嬉しゅうございます」

「それに最終的に仏教の優位を述べつつ、貴僧は儒教も道教も否定していません。儒道仏の三教全てが人を導くと言いたかったのではありませんか」
「恐れ入ります。それは意図しておりました。蛭牙公子は儒教を学び、道教に親しみ、仏教に感服する。仁の心は必要だし、無為自然も慈悲の心も、人が生きる上で必要だと思います。何か一つに絞ってそれのみで良し、とは思えませんでした」
「やはりそうでしたか。であるなら、聾瞽指帰ははっきり三教指帰と改題した方が良いかもしれません。三教が人が進むべき道を指し示すのですから。唐土でも私が滞在した頃、三教融合の議論はすでに出ておりました。虎渓三笑の図などその象徴と言えましょう」
「虎渓三笑の図?」

「はい。唐の廬山東林寺の仏教僧慧遠は修行専念を期し、訪れた客人を見送るとき、寺の下にある虎渓の橋を越えることがありませんでした。ところがある日、儒教の陶淵明、道教の陸修静を見送ったときは、道中話が弾み、虎の鳴き声でふと我に返ると、いつの間にか虎渓の橋を越えており、三人は大いに笑ったという故事でござる。儒道仏の融合、三教一体を示す説話として有名でござる」
「そうですか。虎渓三笑の図……唐ではそのような故事があるのですか」
 それから行賀は昔を思い出すかのように唐土の話を続けた。
 マオは思った。先日は生駒山の沙弥が『聾瞽指帰』は日本の習合仏教を三教に分けたと言った。対して今日の行賀は『聾瞽指帰』が儒道仏の三教一体を示すという。相反する感想ながら、両方にとられるところが面白いと思った。
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 先程「新仏教の提示はないけれど、何か別の世に問う要素として『これだ』と言えるものが見つかったのではないか」と書きました。
 ただ、「空海マオが神仏習合の三教弁別と三教融合を意図して書いたか」と問われるなら、正直言い過ぎかもしれません(^_^;)。多くの読者が「『三教指帰』は儒道仏三教を比較して仏教の優位を述べている」と理解したように、空海自身も「そのつもりで書いた」と見るのが正しいでしょう。

 これはいわゆる《小説のテーマをどうとらえるか》という問題と関係しています。
 作者は「何を書こうとしたか」をテーマと見るか、「書かれた作品から読みとれること」をテーマとするか――その問題でもあります。

 余談ながら、近現代の小説を振り返ったとき、作者は「これを書こう」との意志をもって書き始めるでしょう。そして完成させる。だが、作品はできあがった瞬間に「作者を離れる」とは有名な話です。
 何を言いたいかと言うと、その後は「読者が作品を読み、何が書かれているかまとめ評価する」ということです。そのため作者は「えっ、そんな風に解釈するの?」と驚くことがあります。あるいは、空海と『三教指帰』の関係もこれと似ていたのではないかと思います。

 『三教指帰』のテーマを「作者は何を書こうとしたか」との観点でまとめるなら、「儒道仏三教を比較して仏教の優位を主張すべく書かれた」とまとめられる。かたや「作品に何が書かれているか」との観点なら、「三教弁別が書かれている」とまとめることができる。
 俗な表現で恐縮ながら、空海マオはそれを誰かに指摘されて「そうか。そのように読みとれるなら公開できる。表題も三教が人を導く『三教指帰』に変えよう」となったのではないか、ということです。

 多くの読者が「『三教指帰』は儒道仏三教を比較して仏教の優位を述べた」と理解した。空海マオも「そのつもりで」書いた。だが、できあがった作品は「日本の習合仏教――儒道仏のみならず、神道・陰陽道・修験道など習合宗教状態から儒道仏三教を取り出して弁別する」作品となった。
「そりゃあ言い過ぎだよ」とおっしゃるなら、私は百人に一人の読者と言えましょうか(^_^;)。この結論の是非も本稿読者にお任せします。

 さらにこの書は「道教は儒教を否定し、仏教は儒教・道教を否定している」ように見える。だが、最後に「三教は人を導く」とまとめたように、「三教融合をほのめかす作品」ともなった。
 このようにまとめることで『三教指帰』の独創性と価値は一層高まると思います。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:これで後記(ほんとの)最終回です。
 突然の余談ながら作曲家團伊玖磨氏のエッセーに『パイプのけむり』というのがあります。以前文庫本で数冊読んだことがあります。
 この原作は1965年から2000年まで週刊『アサヒグラフ』に1000回以上連載されたもので、単行本総数27冊(^_^)。その表題が面白いのです。

「1パイプのけむり」「2続パイプのけむり」「3続々―」はいいとして以後「又・又又・まだ・まだまだ…なお・重ねて・またしても…明けても、暮れても」と続き、27冊目「さよなら―」で終わります。
 これへのオマージュとして後記1~今節まで継続させました。
 今回で「さよなら」です。

 最後にドイツの関連データを(検索してほしいけれど)これで終わりにするため以下日本と対照させて列挙します。

 日 本(人口1億2000万人、面積377,915.00)
 GDP=4兆3700億ドル 一人当り=3万5千ドル(525万)
     (609兆2887億)
 ドイツ(人口8400万人 面積日本の0.9倍) 
 GDP=4兆5000億ドル 一人当り=5万4千ドル(810万)

 やっばり日本の一人当たりGDPは少なすぎる気がします。
 もっとも、目下1ドル150円前後だから、もしも1ドル100円ならドル換算では一人当たりGDP5万2千ドルとなってドイツとほぼ同じ。ドル対円=1か1.5倍は極端すぎるようです。

 他に気づいたことを列挙すると、
・ドイツの医療保険=国民皆保険だが、一定額を超える富裕層(約1割)は対象外。その人たちは民間の医療保険に加入しているとのこと。
・人口は日本の7割ほどだが、うち移民が1680万人で2割を占める。
 ということはいわゆるドイツ人は約6700万人。

 日本は厳密な意味の移民はなく、2024年6月末現在の在留外国人数は360万人弱。
 人口比、3分(0.03)。
 日本の人口が半減して6000万人になったとき、ドイツのように移民を2割まで増やすかどうか(6000万+1200万=7200万人)。そろそろ(本気で)議論すべき時期だと思います。

 よって、日本の面積と同程度で人口が半減したときの国としてはドイツが最もふさわしいことがわかります。
 ドイツは移民によって国力の減退を防いだと言えるかもしれません。が、今は「移民排斥」の国民感情に悩まされています。それはフランス、イギリスなどヨーロッパ各国、アメリカも同じ。

 これら世界の現況を見て日本人、特に政治家は「日本は移民流入を阻止して良かった」と胸をなでおろしているかもしれません。
 その一方、「人口半減だー大変だー」と叫び、「もっと子どもを産め」と大合唱している。遅ればせながらの高校無償化、さらに大学無償化まで持ち出している。
 しかし、国民はもはやそんな言葉にだまされないと思います。

 私の母方の親戚に9人の子どもがいる家があります(父も母も一人)。もちろん戦前から戦後の生まれ。9人は母の叔父の子であり、みな《母のいとこ》。末っ子は私と同年で同じ幼稚園、小学校、中学校に通いました。私はずっと彼は私のいとこだと思っていました(^_^;)。

 そのようにかつて子どもを6人も7人も産んで「富国強兵」に協力したら、我が子を兵士として失い、大空襲・原爆によって殺され、悲惨な目にあった。
 それに共稼ぎをしないと子どもを育てられない。むしろ共稼ぎ政策を採用し、都市の過密、田舎の過疎を放置した結果であれば、人口減は当然訪れる未来なんでしょう。

 敢えて申します。三読法通読に害された政治家は事態を通読(傍観)している。現状を分析する力も未来を読む力もない(か少ない)。何かあれば「想定外」の言葉を繰り出し、結局流れるがままに生きている……はさすがに言い過ぎ?
 政治家こそ一読法を学んでほしいと思うところです。

 さて、数十年後私はこの世にいないけれど、(仏教の輪廻転生説によって?)人口が半減した日本のどこかで、誰かの子として生まれるとすれば……私ゃニンゲンには生まれ変わりたくない。空を飛ぶ鳥になって鳥として転生を続けたい、なんぞと考えるのです(^.^)。(終わり)

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2025.05.15

『空海マオの青春』論文編 後半 第31号

『空海論』前半のまとめ(五)の6

今節は室戸双子洞窟における百万遍修行に「全肯定」の萌芽があったなら、それは具体的にどうだったのか、考察します。
 論文なら説明で済む。いわば理屈の記述。しかし、小説は「描写」でそれを表現しなければなりません。今節はこの難問をどう解決したか語ります。

 なお、文中室戸双子洞窟の修行において「台風が襲来したが、求聞持法をとなえて自然の脅威さえ克服した」という部分があります。
 前節でもちょっと触れました。これは空海論前半 第46節「百万遍修行その4」にて語っています。

 念仏の効果を体感した空海は自信に満ち、その力を何かで試そうとしたのではないか。たとえば、弱々しく臆病な少年がカラテを学んで強くなると、誰彼構わずケンカをしかけるように。では空海マオが試したのは? そして、そのオチは?
 また、46節には「空海一夜洞窟」の謎解き、次の47節は室戸岬におけるマオの「性欲礼賛」についても触れています。おヒマならお読みください。

 もう一つ。本節6の表題はこれまで「室戸岬百万遍修行における明星との交感とは」としていましたが、ちと考え直して「室室戸岬百万遍修行の全肯定をいかに描くか」に修正いたします。


 『空海論』前半のまとめ(五) 『三教指帰』成立過程論

 1 『聾瞽指帰』と『三教指帰』の比較 4月16日
 2 両著の「序」と結論部「十韻賦」の異同 4月23日
 3 『三教指帰』は全肯定の萌芽 4月30日
 4 なぜ両著の「本論」は同じなのか 5月07日
 5 『三教指帰』脚本化の試み 5月14日
 6 室戸岬百万遍修行の全肯定をいかに描くか 5月21日
 7 『三教指帰』の文学史的位置付け

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 本号の難読漢字
・『三教指帰』(さんごうしいき)・『聾瞽指帰』(ろうこしいき)・溶融(ようゆう)・即身成仏(そくしんじょうぶつ)・磐座(いわくら)・求聞持法(ぐもんじほう)・黄泉(よみ)の国・沙弥(しゃみ)・調伏(ちょうぶく)・孝聖(こうしょう)・茣蓙(ござ)・雛麻呂(ひなまろ)・魑魅魍魎(ちみもうりょう)・嘲(あざけ)る・対峙(たいじ)・妨(さまた)げる

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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第31号 プレ「後半」(五) その6

 室戸岬百万遍修行の全肯定をいかに描くか


 前節はちょっと脱線気味でしたが、『三教指帰』に「どうやって自信を獲得したか」が書かれなかったことは、ある意味同書の致命的な欠陥であり、触れないわけにいきませんでした。

 以前も書いた通り、その心理経過を仏教編に書き込めなかったのは「百万遍修行体験の意味するところがわからなかった」からだと思います。マオがそれまで学んだ仏教――顕教の中に全く書かれていないからです。
 入唐後密教を知って「百万遍修行は密教のかけらであったか」と気付いたはず。しかし、空海は改めて『三教指帰』を書き直すことなく、そのことを説明するでもなかった。おそらく「あれはもうあのままでいい。いずれ十住心論で詳しく触れよう」てなところでしょうか。

 空海は帰国後亡くなるまで『三教指帰』の解説を全く書いていません。私は以前「なぜ書かなかったのだろう」と思っていました。しかし、『三教指帰』が『十住心論』のひな形であることに気付いたとき、「『十住心論』は『三教指帰』の解説書であったか」と思うに至りました(^_^)。

 空海研究において「『聾瞽指帰』から『三教指帰』への改稿は入唐帰国後なされたのではないか」との説があります。『三教指帰』を、儒道仏三教肯定の書であり、後の『十住心論』の萌芽でもある――と理解するなら、わからなくもありません。
 しかし、もしもそうであるなら、もっと根本的に書き直すと思います。『三教指帰』ではなく、『四教指帰』としてもう一項「密教論」を立てるとか。

 私はこの説を採りません。むしろ「これ以上書き換えることはやめよう」と思ったのではないかと推理しています。
 というのは空海は密教とはあくまで外来の新仏教であり、自身が日本にいたときその内容――精神面においてすでに密教的境地に達していたことを隠したと思われるからです。

 この件はいずれ詳しく語ることになります。今根拠の一端を書いておくと、日本人は今も昔も外圧に弱いというか、外からもたらされたものを貴び、ひれ伏すようなところがあります。
 空海が密教を日本で布教するとき、「実はこれらの説は日本にいたときかなり作り上げていました」と語ることは百害あって一利なしと思ったでしょう。

 むしろ「これまでの仏教にはない新仏教です。祈祷があります。神秘的です。とても難しいです。しかし、御利益抜群です」と宣伝することによって密教の価値を高めることができる。
 そう思えば、『三教指帰』をわかりやすく改稿することなど考えもしなかったと思います。「あれはもうあのままでいい」と。

 マオは南都仏教から山岳修行に進み、道教を知ったとき、儒道仏三教を並列する論文の草稿を書き始めたはずです。そのとき「自分はもう仏教に突き進むしかない」と思っていたでしょう。しかし、まだ自信がなかった。つまり、心の底からそう思えなかった。儒教に戻れと言う親戚と論争しても言い負け、「進むべきか退くべきか迷った」ところにそれが読みとれます。

 太龍山で一度目の百万遍修行を終えたとき「仏教が二教を凌駕する最高の宗教だ」と思い、自信も芽生えた。『聾瞽指帰』本論にそれを書き込まなかったけれど、作品を完成浄書した。
 だが、まだ三教全肯定ではなかった。『聾瞽指帰』の結論として「儒教道教には欠陥がある」と二教を否定的に書いたことがそれを示しています。この自信が本物となり、三教全肯定に達するには二度目の百万遍修行が必要でした。

 そして、室戸岬百万遍修行を終えたとき、心底――理屈と感情が溶け合って「三教全肯定だ、頭を丸めて心から仏教に邁進しよう」と決意できた。その思いを『三教指帰』結論部に「三教は我々を導いてくれる、剃髪しよう」と書き込んだ。

 この流れを逆算すると、空海マオが南都仏教に入門した当初、新しい仏教創始を目指して仏教を批判的に眺めていたこともあって「仏教に突き進むかどうか懐疑的だった」ことがわかります。
 しかし、二度の百万遍修行を終えて理屈だけでなく、感情も仏教に突き進む自分を認め許した。だからこそ『聾瞽指帰』から『三教指帰』への改稿があり、三教全肯定を結論としたわけです。

 ……と論文で書くことはさほど難しいことではありません。「空海マオは室戸岬百万遍修行によって心の底から三教全肯定に達した」と。
 私にとって問題は小説の方です(^_^;)。小説は論文ではありません。もしも室戸岬の百万遍修行に全肯定の萌芽があったなら、それを具体的に描かねばなりません。これは難問です。

 ただ、すぐに思いついた言葉があります。それは「自然との溶融」。
 たとえば、ここに一人の男がいる。彼はいろいろ人生に思い悩むことがあって苦しんでいる。だが、とある風光明媚なところに行って自然と溶け合い、一体感を覚える体験をする。これによって、否定的に眺めていた自分を脱却してあらゆることを肯定できるようになった……と描くことができます

 空海の名は空と海という正に大いなる自然をその名としています。室戸岬の自然の中で「自然との一体感を覚えた」と書いても良さそうです。しかし、私には「自然との溶融」が空海と一致しませんでした。

 そう感じた理由は三つ。一つには彼がそのことを全く書き残していないからです。
 今も書いた「『三教指帰』は『十住心論』のひな形であり、つまり『十住心論』は『三教指帰』の解説になっている」とのまとめですが、私はこのような見解にいまだお目に掛かったことがありません。これは空海全著書を相当読み込まないと出てこない結論だと思います。
 別に自画自賛しているつもりはありません。むしろ空海がどこかでそう書き残していれば、『三教指帰』の読解や評価を誤ることはなかっただろうに、と思います。

 空海はあれだけ密教解説書をものしながら、『三教指帰』の解説は書かないままだったと言えます。密教解説書を書く空海を作家(哲学者)と考えるなら、彼は自身の思想形成を語るべきであり、語りそうなものです。しかし、語ることはなかった。

 密教の最奥を言語化した「即身成仏」でさえ、「簡単に言うとどういうことですか」というチョー簡単な質問にも答えてくれない(^_^;)。むしろ難しく、難しくしているように感じます。
 そこんところ、神秘感と言うか「手が届かないほど高価なんですよ」といったお宝感(?)を出そうとしたのではないかと私が勘ぐった理由です。もしも室戸岬百万遍修行において自然との溶融があったなら、彼はどこかにそれを書き残していそうなものです。

 次に私が空海と「自然との溶融」に異和感を覚えるのは彼が二度の百万遍修行について残した言葉からです。それは「谷響きを惜しまず、明星来影す」でした。
 もちろんこの言葉に「自然との溶融」を見出すことは可能です。場所は太龍山の磐座(いわくら)の上であり、室戸岬突端の双子洞窟。正に自然の真っただ中。

 しかし、問題はそれが深夜であること。真っ暗闇の中で果たして自然との溶融を感じたであろうか、との疑問がぬぐいきれません。

 たとえば、「自然との溶融」を描いたとされる志賀直哉の『暗夜行路』。その場面は以下のように描かれます。
 主人公時任(ときとう)健作は半病人となって大山中腹で一夜を過ごし、翌朝太陽が昇ると、山の影が遠く米子の市街地を動く様子を見ます。このとき全てのこだわりから脱却したようなすがすがしさを感じます。
 ここには空も山も、町の人々の営みも含めて自然が全て見えています。逆に言うと、自然が見えなければ、「自然との溶融感」はないのでは、と思えるのです。

 最後に私自身の体験を持ち出すと、「なにそれ?」と言われそうですが、他でもない私自身が深夜の太龍山と室戸岬の洞窟を訪ねて、自然との溶融を全く感じなかった。それが決め手です。
 私は自分を空海マオと重ね合わせて「マオが室戸岬で全肯定に達したのは自然との溶融ではないだろう」と思いました。

 私は深夜太龍山に登り、磐座の上に立って求聞持法をとなえました。また、翌日も深夜室戸岬の双子洞窟に入って同じように求聞持法をとなえました。
 そのとき私が感じたのはただただ《恐怖》です。太龍山ではかすかな月明かりがありました。それでもペンライトを消すと真っ暗闇。山々も周囲の景色も何にも見えない。つまり「自然」は見えなかったのです。

 また、双子洞窟の中はもっと真性の闇でした。十歩も歩けば、もう怖くて怖くて前に進めない。振り返るとぼんやり入り口が見えた。だが、外部の空や海は見えない。潮騒の音も聞こえない。ここでも自然との溶融はなかった。体感できたのは顔にへばりつくような《暗闇と恐怖》だけです(^_^;)。

 もしも昼間現地を訪ねるだけだったら、求聞持法をとなえたとしても、私は「自然との溶融」を空海全肯定として描いたかもしれません。

 そして、空海が書き残したのは「明星来影」の言葉だけでした。以前検証したように、この言葉は特に室戸岬二度目の百万遍修行において強く感じた境地です。
 ならば「全肯定の萌芽」は洞窟の中、闇の中、求聞持法をとなえているときにあったのではないか。いやむしろ、真っ暗闇の洞窟の中でこそ全肯定に至る体験があったはず――私はそう推理しました。

 ここで思い出されたのが空海の伝説的な逸話として知られる「室戸岬の洞窟で明星が自分の口に飛び込んだような気がした」との言葉です。もしもそこに全肯定の萌芽があるなら、それはどのようなものだったのか。この体験を小説化する以上、室戸の全肯定を具体的に描かねばなりません。

 私はこの内容として「恐怖という魔物との闘い」を選びました。
 マオは恐怖を克服しようと懸命に闘った、室戸岬では魔物が洞窟の奥に潜んで自分を黄泉の国に連れ去ろうとする――その恐怖と闘い、毎夜魔物との闘いに明け暮れた。

 それがふと転換する。たとえて言うなら、キリスト教信者がイスラム教を学んでみる。イスラム教信者がキリスト教を学ぶ。あるいは、資本主義を絶対視する人が共産主義を学ぶ。共産主義を絶対視する人が資本主義を学ぶ。敵対する相手の位置に立ったとき、「それもなかなかいいんでないか」と感じるような……。

 マオは室戸岬双子洞窟で百万回目の求聞持法を開始する。そのとき魔物の立場で自分を振り返ってみた……。
 これまでは恐怖を否定し、魔物を否定してきた。だが、百万遍に達したとき恐怖を受け入れ、魔物を肯定しようと思ったのではないか。私はそこを以下のように描きました。

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11 百万遍貫徹

 その後九月に入って二度嵐が襲った。だが、八月ほど大型ではなく、マオは林の洞窟に籠もって嵐をやり過ごした。嵐の間は修行も中断した。沙弥が言ったように、無理をすることはないと思った。
 台風の目を見たのはあの一度きりだった。当初は求聞持法が嵐を調伏したと思った。しかし、それは全くの勘違いとわかった。それでも、初めての挑戦で嵐は確かにおさまった。それが偶然であったとしても、一度は現実の魔物を調伏(ちょうぶく)できたのである。奇跡のようなたまたまであり、嬉しい勘違いだと思った。

 室戸岬は夏の熱風が去り、爽やかな秋風が吹き始めた。求聞持法は九月十八日に七十万回、三十日に八十万回に達した。この間曇りや雨の日は修行を中断した。今年は年末まで明けの明星であり、時間はたっぷりある。マオは最後まで明星を見ながら求聞持法をとなえたいと思った。

 十月十二日九十万回、十三日九十一万回、十四日九十二万回。そして雨もなく、明星を眺めての求聞持法は十月二十二日、とうとう九十九万回に達した。
 夕刻マオは早めに晩飯を終えると、久しぶりに双子洞窟近くの泉に浸かった。求聞持法もいよいよ明日は最後の百万回目である。身を清めようと思った。泉はすでに真水が回復していた。秋風は心地よいものの、さすがに水は冷たい。

 泉に浸かりながら、マオはやっとここまで来たと思った。冷水がしみこむように満足感が身体に満ちてくる。疲れはある。だが、妙に目が冴えた感じもあった。今夜はこのまま仮眠を取らずに最後の求聞持法を始めるつもりだ。孝聖が百万回目は明けの明星を見ながら達成したと言っていた。それはいつもより早めに真言をとなえ始めることを意味している。
 それから数時間後マオは西の洞窟に向かった。東の夜空にはすでに三日月が浮かんでいる。

 洞窟に十歩も足を踏み入れると、いつものように無音の世界になる。どんなに目を見開いても何も見えない。そして、洞窟の奥に魔物が現れる。ここに至ってもその気配は消えない。入り口を向くと背筋に悪寒が走った。
 マオは茣蓙を敷いて座禅を組んだ。洞窟の入り口半ばに小さく月が見える。

 のうぼうあきゃしゃーぎゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーぎゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーぎゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー

 求聞持法を開始するやいなや、魔物の気配が消えた。マオはほくそ笑むような思いで称名を続けた。
 一千、二千、三千。小休止の後再開して四千、五千……マオは真言をとなえつつ、讃岐より帝都上京後の日々を振り返った。
 初めての奈良、初めての長岡。儒学を学び大学寮に入学した。しかし、失意と堕落の日々。雛麻呂と遊び暮らし、ナツメを知った。結果大学寮を退学、仏教入門。だが、南都仏教にも失望した。そして修験道山岳修行、『聾瞽指帰』執筆。作品は完成したものの、何かが足りない。心から仏教に納得できない。

 そんなころ太龍山でたまたま沙弥と出会い、百万遍修行を知った。生駒山から太龍山での求聞持法修行。そして、ここ室戸岬の双子洞窟。闇夜や洞窟に潜む魔物を駆逐し、荒れ狂う嵐まで調伏した。求聞持法はとうとう百万遍に到達する。いよいよ自分は仏教に突き進む。もはや間違いはない……。

 このとき意外なことが起こった。この回想は雑念だったのだろうか。マオの背後に再び魔物と魑魅魍魎が居並び始めたのだ。
 魔物はマオの耳元でささやく。求聞持法が百万遍に達しただと。それがなんだと言うのだ。空しい行ではないか。百万遍修行など高がしれている。お前がここで悟りに達したからと言ってそれでどうなる。何かが変わるのか。お前なんぞちっぽけな存在に過ぎぬではないか。それがまるで世界を変えでもしたかのように……魔物は嘲り笑っている。

 マオは魔物と対峙することにした。求聞持法が百万遍に達したからと言って、これは悟りとは違う。自分は確かに何事も変えていない。ちっぽけな存在だ。だが、これから何事かを成し遂げるであろう自信と予感が芽生えている。

 目を開けて洞窟の外を見た。明星はまだ浮かんでいない。月が一つあるだけだ。頼るべき明星がなければ、魔物と対決するのは控えるべきか。しかし、真言百万遍に達した今なら魔物と闘える。嵐でさえ調伏した自分なら、自力で魔物を追い払える……。

 マオは「魔物よ、魑魅魍魎よ。立ち去れ。修行を邪魔するな」と口にした。
 声は洞窟内を飛び交った。同時に真言が途絶えた。
 すると魔物は今までにないすごみのきいた声で怒鳴った。
「立ち去れだと? ここは俺たちのすみかだ。俺たちの眠りを邪魔しているのはお前の方ではないか!」
 マオの背中の毛が逆立ち、二の腕に鳥肌が立った。自分の肩をつかんで激しく揺さぶるものがいる。魔物は本当に自分をつかんだのか。

 凍り付くような震えがマオの身体を襲った。そうかと思った。真言が百万遍に達しても、自分にはまだ魔物を追い払う力がついたわけではない。やはり真言だけでなく明星の力がなければ、魔物は追い払えないのだ。しかし、明星はまだ輝いていない。どうするか……。

 そのときふっと別のことを思った。魔物の言うことも一理あるではないかと。深夜の洞窟に踏み込んで、彼らの眠りを妨げているのは確かに自分の方だ。今までどうして気づかなかったのか。マオは自分の傲慢さを見た思いがした。

 マオは口に出して言った。「確かにお前の言うとおりだ。お前たちの眠りを妨げたのは私だった。許してくれ。長いこと迷惑をかけた。だが、それも今日で終わりだ。見守ってくれてありがとう」

 すると背後から魔物の気配が消えた。飛び回っていた魑魅魍魎も洞窟の奥に立ち去った。
 マオは再び目を開けた。依然として明星は輝いていない。今までにない不思議な安堵感だった。真言をとなえなくとも、明星の輝きがなくとも、自力で魔物を追い払ったのだ。いや、追い払ったのではない。魔物が自ら去ってくれたのだ。
 いつかそのわけを考えようと思いつつ、マオは求聞持法に戻った。

 のうぼうあきゃしゃーぎゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーぎゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
 のうぼうあきゃしゃーぎゃらばや、おんありきゃまりぼりそわかー
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 この後「明星が口に飛び込む」様子を描きましたが、そこは前半のクライマックスであり、小説編を読んでもらうことにして省略いたします(^_^)。
 もっとも、私が描きたかったクライマックスはここです。マオが魔物を受け入れた、魔物の立場に立って自らを振り返ったところです。
 室戸岬百万遍修行において《全肯定の芽生え》があったなら、それはマオが魔物を受け入れたときこそふさわしい、と私は思いました。

 洞窟の奥の魔物。それはマオにとって敵対する存在である。得体の知れない邪悪な存在であり、人に危害を加えるまがまがしい存在――そう思って必死に闘ってきた。
 だが、冷静に振り返るなら、マオは魔物の実体を何も知らない。魔物はいつ起きていつ寝るのか、何を考え、何を感じているのか。魔物の子はいるのか、年老いた魔物の親はいるのか。

 これまで魔物を敵視してきたけれど、彼から自分はどのように見えているだろう……そう思ったとき、「魔物の住みかに土足で踏み込んで、深夜ぶつぶつ呪文をとなえている自分、彼の眠りを妨げているのは自分だ」と気づく。
「魔物にとって私は安眠を邪魔する敵、得体の知れないやつだったかもしれない」と。

 マオがもしも「ごめん。悪かったのは自分だ。勝手に魔物を敵だと思っていたようだ。君はほんとは平和を愛する魔物だったんだね」とつぶやくなら、魔物はこう答えるでしょう。
「やっとわかったか。オレは静かに眠りたかっただけだ。謝ってくれるなら、私だって悪い気はしない。まーお前もようがんばった。感心だ」と。

 マオは初めて相手の立場から自分を見た。そして、魔物とは敵対する存在ではないことに気づいた。魔物を敵視していたのは自分自身だと気づいた……私はここに空海《全肯定の萌芽》を描きました。

 もちろんこの表現が世界の宗教信者と主義信者、そして戦争やテロによって事態の解決を目指す人たちに「気付いてほしい」との思いをこめていること、おわかりいだけると思います(^_^)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前号の回答となる「答えの後記」です。
 作者御影祐への疑問――日本と同じくらいの面積で人口半分の国としてなぜスペイン を取り上げたのか。
 答えは「たまたま(見かけたコラムから)」(^_^;)。

 そのコラムは人口や国土面積のことではなく寿命の話題を取り上げていました。
 今日本人の平均寿命(84.26)は世界のトップです(2019年)。
 ひと月ほど前、あるネットコラムで「スペインの平均寿命は2040年までに85.8歳となり、日本を抜いて世界一の長寿国となる見込み」とあるのを読みました。

 その後ネット検索して「スペインの面積、人口、医療保険は?」などと調べ、面積は日本の1.3倍、人口は半分くらい、医療保険は国民皆保険、GDP・一人当たりGDPなどを探ります。

 特に「GDPは日本とかなり差があるのに、一人当たりGDPは大差ない」ことを知り、「日本はあと数十年で人口半減」と騒がれているが、一人一人の生活程度が現在と同じなら、大変大変と騒ぐほどのことだろうか――そのような思いで「後記」に書こうと思いました。

 同時に現在日本にとって大問題である特殊詐欺についても触れたいと思いました。
 一読法を学んでいないから、初対面の相手に対して「あれっ」とか、「なんかへんだぞ」とつぶやきつつ聞くことができない。

 話を聞きながら同時にどうするか考え、決めなければなりません。なのに、日本人は小中高(特に国語科)においてその訓練を積んでいない。
 みんな「まず全体をさーっと読みなさい=人の話は口をはさまず聞きなさい。考えるのは後でいいよ」と教わったからです。詐欺師はここにつけこみました。

 国語科は最初から考えながら読む(人の話を聞く)読書術(一読法)を教えてこなかった。
 日本人はだまされて当然の教育を受けさせられたことをもっと怒るべきだと思います。

 また、学校や大人の「良い子」(言うことをよく聞く従順な人間こそ素晴らしい!)という教育が詐欺にかかりやすい人間を育てているのではないか、とふくらませたわけです。

 しかし、私は自作も一読法で読んでいます。
 再読中ふと「スペインの面積は日本の1.3倍だが、もっと近い国はないだろうか」との疑問を抱き、面積ランクを調べて(所謂先進国では)ドイツが最も近いことを知ります。
「これは一読法最後の罠にできる(^.^)」と思いついたのはこのときです。

 信頼している人の言うこと(書き物)であっても、疑問の言葉をつぶやき、「そうじゃないかも」と思ってさらにネット検索する――この大切さを訴えたいと思いました。

 もちろんネットにおける大きな問題――誰かさんの言う誹謗中傷をそのままおうむ返しに拡散するネット民への批判として書こうとの意図もありました。

 (長くなったので「も一つ後記」に続く)

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2025.05.08

『空海マオの青春』論文編 後半 第30号

『空海論』前半のまとめ(五)の5

 ちょっと脇道にそれる感じながら、『三教指帰』を原作として舞台劇をつくるとすれば……との仮定のもと脚本を書いてみたいと思います。
 すると、『三教指帰』には飛躍というか説明不足の箇所があることに気づきます。

 乞食坊主の格好で都をうろつくマオに対して親戚が「儒教に戻れ」と説教する。マオは議論を交わすけれど、仏教をうまく説明できず「進むべきか退くべきか迷った」と悩みを告白する。ところが、その後自信に満ち溢れた仮名乞児となって(外見は乞食坊主のまま)「仏教こそ最高」と説く。さて、飛躍の部分には何が入るのか?


 『空海論』前半のまとめ(五) 『三教指帰』成立過程論

 1 『聾瞽指帰』と『三教指帰』の比較 4月16日
 2 両著の「序」と結論部「十韻賦」の異同 4月23日
 3 『三教指帰』は全肯定の萌芽 4月30日
 4 なぜ両著の「本論」は同じなのか 5月07日
 5 『三教指帰』脚本化の試み 5月14日
 6 室戸岬百万遍修行における明星との交感とは
 7 『三教指帰』の文学史的位置付け

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 本号の難読漢字
・仮名乞児(かめいこつじ)・亀毛(きもう)先生・虚妄隠士(きょもういんじ)・兎角公(とかくこう)・喧々囂々(けんけんごうごう)・侃々諤々(かんかんがくがく)・放蕩(ほうとう)・蛭牙公子(しつがこうし)・行脚(あんぎゃ)・宗旨替(しゅうしが)え・邁進(まいしん)・所謂(いわゆる)・本地垂迹(ほんじすいじゃく)・凌駕(りょうが)・結願(けちがん)

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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第30号 プレ「後半」(五) その5

 『三教指帰』脚本化の試み


 ちょっと脱線気味の一節となりますが、もしも空海『三教指帰』を戯曲として上演するなら、どのような脚本を書くか。映画や連続ドラマ用の脚本を考えることで、見えてくるものがあるはずです。

 というのは以前「『三教指帰』には親戚との論争に負け、自信をなくした仮名乞児(=空海マオ)がどうやって自信を得たか、その表現がない」と指摘しました。『三教指帰』を小説と考えるなら、かなり致命的な欠陥です。これは同作を脚本化してみると一層明瞭になります。

 最も簡単な戯曲は儒道仏三教について論じているのだから、全三幕として儒教論客亀毛先生、道教虚亡隠士、仏教仮名乞児が喧々囂々、侃々諤々の議論を闘わせる――といった脚本でしょうか。
 しかし、これはあまりに安易と言うか、下手くそな脚本と言わざるを得ません(^.^)。

 そもそも『三教指帰』においてこの三者が論争することはありません。亀毛先生は儒教について言いっぱなし。蛭牙公子と兎角公は「素晴らしい」とひれ伏します。
 次いで虚妄隠士が道教を語ると、反論していいはずの亀毛先生はいともたやすく「おっしゃる通りです。儒教は浅薄な理論でした」とこれまたひれ伏して反論しません。

 そして、仮名乞児が仏教を説くと、これまた反論していいはずの亀毛先生、虚妄隠士は「素晴らしい教えです」と賛嘆して仏教への宗旨替えを告白します。つまり、三者の論争はない――と描かれています。

 このような状景、現実にはまずあり得ないでしょう。三教信奉者が集まれば、「お前は間違っている。私の宗教が最も素晴らしいのだ」と口角泡を飛ばして激論を交わすはずです。
 思うに、空海マオという人は仲間の議論を傍観的というか、ちょっと冷めた視線で眺めていたのではないでしょうか。「どうしてこんなに相手を批判、否定するのだろう。いい点があるのに」と感じて。

 三教信奉者だけでなく、南都仏教内でも《空無の解釈》をめぐって論争が交わされていた。マオはそれさえも「どちらもありではないか」と感じて眺めていたのではないかと推測します。

 とまれ、基本は儒道仏三教論だから、脚本は最低限三幕としてここに放蕩の甥蛭牙公子の行状、マオの仏教修行などを盛り込むと、以下のように五幕は設けたいところです。

 ※『三教指帰』脚本構想

 1 甥である蛭牙公子の放蕩三昧の様子、おじ兎角公の困り果てた様子
 2 兎角公の屋敷に儒教論客亀毛先生、蛭牙公子、道教虚亡隠士が集合
   まず亀毛先生の儒教論が語られる
 3 次に虚亡隠士の神仙思想・道教論が語られる
 4 仏教私度僧(仮名乞児)の諸国流浪
 5 兎角公宅に上がり込んだ仮名乞児の仏教が語られる

 各幕についてもう少し具体的に書き込んでみると、

 ※『三教指帰』脚本詳細

 1 蛭牙公子の放蕩三昧の様子と、おじである兎角公の困り果てた様子
 ……兎角公は甥の蛭牙公子を寄宿させる。だが、彼は野生児のように礼儀も知らず、悪友と狩りや酒、女に博打にと遊びまくっている。兎角公は先達に指導をお願いしたいと思う。

 2 兎角公の屋敷に儒教論客亀毛先生、蛭牙公子、道教虚亡隠士集合
 ……兎角公はまず儒教論客亀毛先生に蛭牙公子への説諭を依頼する。亀毛先生は「いやいや私のような者は」と謙遜しつつ、儒教の素晴らしさをとうとうと語る。「仁義忠孝に励み、立身出世を果たすことが大切だ」と。兎角公と蛭牙公子は「儒教こそ素晴らしい教えです」と感嘆してひれ伏す。

 部屋にはたまたま虚亡隠士も居合わせ、亀毛先生の説諭を薄ら笑いを浮かべながら聞いている。さらに門の外にはぼろぼろの僧衣を着た一人の私度僧が佇んでいる。(ここで亀毛先生が幼い頃から儒教を学び、大学寮卒業後学者となった人生を挿入する構想もありか)

 3 道教虚亡隠士の弁舌
 ……亀毛先生の説教が終わると、虚亡隠士は傲然たる口調で語り始める。儒教は「小石でありクソだ」と真っ向から否定。仙人を目指し、無為自然の道教こそ素晴らしいと熱弁をふるう。亀毛先生、兎角公、蛭牙公子はなるほど道教こそ最上であるとひれ伏す。(ここで虚亡隠士が仙人を目指して山岳修行に励む姿を一幕として挿入する構想もありか)

 4 仏教私度僧(仮名乞児)の諸国流浪
 ……仮名乞児はみすぼらしい格好、乞食と見まがうばかりの外見で諸国行脚に出る。ひなびた村に入れば、馬糞や小石を投げられ、追い払われる。都に戻ればたまたま親戚縁者と会い、「父母の孝養はどうする、能力があるのになぜ君主に仕えない。立身出世を果たし名を後世に遺す。それこそ人の生きる道ではないか。忠孝に戻れ」と説教される。乞児は反論するが、うまく説明できず尻切れトンボに終わる。仮名乞児は悩みを独白する――進むべきか退くか、どう生きればいいのだろうと。

 5 亀毛先生宅に上がり込んだ仮名乞児の弁論
 ……仮名乞児は門の外に佇み、亀毛先生と虚亡隠士の弁論を聞いていたが、勇躍部屋に上がり込み、儒教・道教の劣った点、それを乗りこえることができる仏教について堂々と語り始める。
 やがて兎角公、蛭牙公子、亀毛先生、虚亡隠士は「仏教こそ素晴らしい教えです」と賛嘆し、「今後は宗旨替えして仏教道に邁進する」ことを誓う。仮名乞児は自信と決意に満ちた様子で舞台に立って幕となる。

 ――このように最低でも五幕必要だと思います(^_^)。

 さて、この脚本構想をお読みになって何か感じなかったでしょうか。
 第四幕の内容は仏教編の前半、第五幕は後半を脚本化しています。そこには飛躍と言うか、仮名乞児のある心理が欠けていることに気づきます。

 その心理とは仏教に進むかどうか悩み、儒教に戻れと言う親戚に対して仏教をうまく説明できなかった仮名乞児(空海マオ)が、なぜ儒教・道教論客に対して堂々と「仏教こそ二教の上をいく最高最上の教えです」と主張できるようになったか。いかにして自信を得たか、それを説明する心理・表現が欠けているのです。

 ただ、『三教指帰』にその説明がないわけではありません。仏教編には次のような記述があります。
「亀毛先生と虚亡隠士の二人は、それぞれに自分は正しく相手は間違っているという。そのとき仮名乞児は自分で考えた。溜り水のようにぽっつりとした弁舌、たいまつの火のようにちっぽけな才気の輝き、それでもこの程度にはやれる。
 ましておのれは法王すなわち仏陀の子である。いでや虎豹(こひょう)の威力をもつ鉞(まさかり)を抱きかかえ、蟷螂(とうろう)のちっぽけな斧を取り拉(ひし)いでくれよう」と(福永光司訳)。

 すなわち、仮名乞児は「仏陀の子」だから、儒教・道教論者二人と充分戦えると言うかのようです。

 さらに仮名乞児は二人に対してこう言います。
「獅子の吼える声にたとえられる仏陀の教えをともに学ぶがよい。孔子がその化身とされる儒道菩薩、老子がまたその化身とされる迦葉(かしょう)菩薩は、いずれもわたしの友人である。この両人は、きみたちの愚かさを憐んで、わが師である仏陀が以前に東方に派遣されたのだ。
 しかしながら東方の人々の能力が低かったため、天地造化の世界の皮相な道理を卑近に説いて、永劫の時間にわたる深遠な哲理はまだ説かれなかった。それなのにきみたちは、教えの違いを固執して議論をたたかわせている。なんと間違いではあるまいか」と。

 この内容は所謂「本地垂迹(ほんじすいじゃく)」説です。本地垂迹とは神仏習合の理論で「日本の神は実は仏であり、仏が日本人を救うために、まず神となって日本に舞い降りた」との理論です。

 この理由付けは日本の「神仏習合」として有名ですが、インド発祥の仏教が元から持っていた理屈です。
 インドでは仏教が創始される前ヒンドゥー教があり、中国に渡ったときには儒教道教がありました。そこで仏教は「ヒンドゥー教の神々は実は仏だったんだ」と主張することで、ヒンドゥー教を取り込みました。この理屈を中国で押し進めると、儒教道教の聖人も「実は仏だったんだ」と言えます。マオもこの場でその理屈を繰り出しているわけです。
 普通生まれ変わりとは偉大な人が後世の人間に生まれ変わる――ことを指すでしょう。本地垂迹は真逆というか、仏が前の時代に生まれ、人々を教化してきたというわけです。

 仏教入門後のマオがこの本地垂迹説を知らなかったとは到底思えません。
 乞食のような格好でうろつくマオに対して親戚の一人が「情けない奴だ。親戚はみな恥ずかしい思いをしているぞ。儒教に戻れ」と説教する。
 ならば、仮名乞児ことマオは堂々と本地垂迹説を持ち出せばいい。「儒教の孔子は仏が前もって東方に派遣したのです。実は孔子は仏です」と反論できたはず。しかし、彼はその理屈を口にしなかった。
 言えば親戚の反応が予想できたからだと思います。「何をたわけたことを」と(^_^;)。

 ここらのことは理屈と感情を使って説明することもできます。理屈としては儒教を説く親戚に本地垂迹を主張できる。しかし、マオの感情はまだそれを認めていない。自信を持って「孔子は仏なんです」と言えない。だから、親戚に対してうまく反論できず、「進むべきか退くべきか悩んだ」との独白になったのです。

 つまり、本地垂迹説は仮名乞児・空海マオが「なぜ自信に満ちて仏教理論を語れるようになったか」その理由とは言えません。あることをきっかけに自信を獲得したから、堂々と本地垂迹説を主張できるようになったのです。

 結局『聾瞽指帰・三教指帰』本論において仮名乞児の自信の裏付けと言うか、「どうやって自信を得たか」――その理由・経緯は書かれないままです。
 では自信を獲得したあることとは何か。もちろん百万遍修行です。

 そこで4幕と5幕の間に入るのが、仮名乞児すなわち空海マオの金峰山・石鎚山の山岳修行であり、一度目の太龍山百万遍修行です。
 金峰山・石鎚山登拝によって取り入れた道教によってまず儒教を否定した。そして、百万遍修行を実践することで、仏教に対して自信が持てるようになった。百万遍修行後仏教の三世にわたる哲学・思想が明確になり、二教論者と戦える自信がついた……という流れです。

 まとめると以下のような脚本構成となります。第五幕を六として間に「百万遍修行体験」を挿入します。

1 甥である蛭牙公子の放蕩三昧の様子、おじ兎角公の困り果てた様子
2 兎角公の屋敷に儒教論客亀毛先生、蛭牙公子、虚亡隠士が集合
   まず亀毛先生の儒教論が語られる
3 次に道教虚亡隠士の神仙思想・道教論が語られる
4 仏教私度僧(仮名乞児)の諸国流浪
   仮名乞児は進むか退くか、どう生きればいいのだろうかと悩みを告白
5 仮名乞児の太龍山百万遍修行
   百日に渡る太龍山百万遍修行によって仏教の素晴らしさを体感、
  「仏教こそ二教を凌駕する理論だ」と確信できた。
6 亀毛先生宅に上がり込んだ仮名乞児の弁論
  儒教・道教の劣った点とそれを乗りこえることができる仏教について堂々と語る。
  邸宅の四人は仮名乞児にひれ伏す。乞児は舞台に立って《明日》を眺める気配にて幕(^_^)。

 このように『三教指帰』の脚本化は六幕終了でいいとして、空海マオ青春期全体の脚本として考えるなら、もう一つ七幕をこしらえる必要があります。七幕こそ室戸岬双子洞窟の百万遍修行であり、そのラストは結願でもある百万回に達した日でしょう。
 ここに室戸岬百万遍修行における著名な空海伝説――「明けの明星が自分の口に飛び込んだような気がした」というエピソードを取り入れないわけにはいきません(^_^)。

7 室戸岬双子洞窟前に立つ空海マオ。一人百万遍修行を開始する。
 洞窟内のとてつもない恐怖、真言称名、入り口の外で輝き始める明けの明星、そして台風襲来、求聞持法をとなえて自然の脅威さえ克服。いよいよ百万遍修行最後の一万回を開始する。称名が百万回に近付いた頃、明けの明星が自分の口に飛び込んでくると感じる……それは幻覚か、真実か。だが、もう間違いはない。私は仏教に邁進する。誰がなんと言おうと、人が信じようと信じまいと自分は仏教に突き進む。新しい仏教をきっと生み出してみせる(これは独白?)。マオは夜明けと共に東に浮かぶ太陽を見つめる姿にて幕。

 問題はこの流れで「室戸岬の百万遍修行によって全肯定に達した」と描けるかどうか――その考察は次節とします。

============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前節後記末尾に「まだまだ続く」とあるのを見て「おいおい」とつぶやきましたか。まだ続きます(^_^;)。
 前節はB群、C群に対するアドバイスでした。ここはA群に対して。

 A群の方は疑問をつぶやく、ネット検索して課題の答えを探す。
 間違いなく一読法有段者。だが、批判的精神の持ち主としてはまだまだ(と思います)。

 たとえば、私は最初の後記(24節)において「日本の人口が半減したら」について「日本と面積が同じくらいで人口半分の国」としてスペインをあげています(面積は日本の1.3倍。人口5千万人弱)。
 この段階で次の疑問をつぶやいた人がA級上位有段者。
「なぜスペインなんだ? 他にないのかな?」と。

 その後国民総生産や一人当たりGDPを調べたなら、そこで終わった人と、この疑問の解決を目指してさらにネット検索した……かどうか。
 これもまた普通のA群か一つ上の一読法有段者となるかの境目。

 作者御影祐の言うことを疑う――ってことです(^.^)。

 御影祐はなかなかいいことを言っている、面白い見方も提示している。
 だから「信頼できる」(もしかしたら尊敬できる?)と思って御影祐を知人友人に紹介したり、彼の書いたものをそのまま人に送信したりする……。

「それでいいんですか? 大丈夫ですか?」と私は問うし、私なら「御影の書いたものにおかしな点、疑問点がないか検証」します。
 これぞ一読法の真骨頂。信頼できる人だからと言って《鵜呑み》はしない。

 ところが、日本も世界も教祖やリーダーの言うことを丸飲みする人のなんと多いことか。
 アメリカ花札大統領、日本小政党党首の誤解や誹謗中傷の言葉を疑うことなく垂れ流す……。残念なことであり、悲しいことです。

 後記の話題に戻ると、GDPや一人当たりGDPを検索すると、世界の順位一覧表が見つかったりして各国は世界の何位か知ることができます。
 同様に「世界の国別面積」と検索すると、「世界の国土面積 国別ランキング」などという一覧に出会います。

 面積のトップはロシア。2位カナダ、米国、中国……とあってずーっと下って行くと、
 62位ジンバブエ 39,076
 63位日 本   37,797
 64位ドイツ   35,760 ――とあります。

 そうか(米欧では)「日本の面積はドイツと同じくらいなんだ」とつぶやく。
 ではスペインは? 探せば53位にあります。

 これでますます作者御影への疑問が継続されます。
 なぜスペインだったのか。

 この答えはさすがに自力では解決されません。
 作者に聞いてみるしかない。

 というわけで(この件に答えなきゃならないので)次号「答えの後記」に続きます(^_^;)。

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2025.05.02

『空海マオの青春』論文編 後半 第29号

『空海論』前半のまとめ(五)の4

 前号にて触れたように、空海は『聾瞽指帰』を『三教指帰』に改稿するにあたって「序」と「結論(十韻賦)」を変えた。ところが、本論の儒道仏三教論は全く変えなかった。なぜ変える必要がなかったのか。今節はこの理由を考察します。


 『空海論』前半のまとめ(五) 『三教指帰』成立過程論

 1 『聾瞽指帰』と『三教指帰』の比較 4月16日
 2 両著の「序」と結論部「十韻賦」の異同 4月23日
 3 『三教指帰』は全肯定の萌芽 4月30日
 4 なぜ両著の「本論」は同じなのか 5月07日
 5 『三教指帰』脚本化の試み
 6 室戸岬百万遍修行における明星との交感とは
 7 『三教指帰』の文学史的位置付け

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 本号の難読漢字
・『三教指帰(さんごうしいき)』・『聾瞽指帰(ろうこしいき)』・仮名乞児(かめいこつじ)・体裁(ていさい)を殺(そ)ぐ・無知無明(むちむみょう)・兎角公(とかくこう)・蛭牙公子(しつがこうし)・虚亡隠士(きょもういんじ)・邁進(まいしん)・虚心坦懐(きょしんたんかい)・『十住心論(じゅうじゅうしんろん)』・顕教(けんぎょう)・法相(ほっそう)宗

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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第29号 プレ「後半」(五) その4

 なぜ両著の「本論」は同じなのか

 前節で述べたように、空海マオは室戸岬百万遍修行を終え、『聾瞽指帰』を『三教指帰』に改稿したとき、結論に当たる十韻賦を「三教は我々を導く」という三教全肯定に変えました。
 では、本論はどうか。結論を変えたら、本論だって変えるべきでしょう。「儒道仏三教は愚かな我々を導いてくれる」との内容に。

 儒教論者は道教・仏教について(二教を「知らない」とされていることもあって)特に批判・否定の言葉をもらすことはありません。儒者亀毛先生が批判・否定するのは愚か者蛭牙公子です。礼儀知らずで野蛮で自分勝手で飲む打つ買うに明け暮れるその生き方を否定し、儒教が正しい生き方を示すと教え諭します。

 対して(仏教を知らないとされる)道教論者は儒教の立身出世や仁義忠孝を束縛であり、自由のない生き方だと否定します。さらに仏教編の仮名乞児は儒教・道教を浅い見方だと批判します。三教の各論を読む限り『聾瞽指帰』、すなわち『三教指帰』本論は三教全肯定ではない……と読みとれるでしょう。

 ところが、空海マオは『三教指帰』の結論(十韻賦)だけは三教全肯定に変えました。序と十韻賦は手を入れたのに、なぜ本論は「変える必要がない」と思ったのか。私の推理はこうです。

 『聾瞽指帰』本論において三教はそれぞれの立場で自宗を肯定している(そのように書いている)。儒教は自宗の良さを強調している。道教もまた(儒教は批判・否定するけれど)自宗の良さを存分に述べている。

 仏教も二教を批判しつつ自宗の良さをとことん説明している。儒教・道教の問題点――特に批判すべきは現世の幸福追求のみで来世のことに触れられない点――これは仏教の最大特徴だから、どうしても書かざるを得ない。

 もしも本論の中に「三教は人を導く」を挿入するなら、仏教編でしょう。仮名乞児に「儒教にはこんないい点があります。道教にもいい点があります。だから、儒教・道教も我らを導いてくれる良い宗教です」と語らせればいい。

 しかし、それは蛇足と言うか屋上屋と言うか、余計な増補修正と言わざるを得ません。各論において良い点を存分に述べているからです。極端に言えば、「もうこれ以上の解説はない」ほどに書き込んでいる(^_^)。

 マオはおそらくこう思ったでしょう。「儒教論、道教論の長所にまた触れることは繰り返しでしかない。下手くそな論文ではないか」と。
 仏教編には親戚から「儒教に戻れ」と説教されたエピソードを盛り込みました。読みの浅い読者は「儒教の忠孝が再び繰り返されて下手な論文だ」と思うかもしれない。
 しかし、そのエピソードは儒教論、道教論には入らない。論文としての体裁を殺ぐ表現ながら、どうしても入れたい。「繰り返しはこの程度におさめるべきだ」と感じたはずです。

 さらに、儒教解説を聞いた無知無明の代表、兎角公と(ならず者の甥)蛭牙公子は「素晴らしい教えです。今後は儒教を信奉したい」と言っている(そのように書いている)。すなわち「儒教を初めて学んだ段階なら、儒教はいいものだ」と書いている。儒教編の結論は儒教肯定である。

 また、道教解説を聞いた後は、前二者に加えて儒教代表亀毛先生でさえ「今後は道教を信奉したい」と言わせている(そう書いている)。ここでも「道教を初めて学んだ段階なら、道教はいいものだ」と書いている。すなわち、道教編の結論は道教肯定である。

 そして、最後に仮名乞児の仏教解説を聞き終えると、兎角公、蛭牙公子、亀毛先生、虚妄隠士の全てが「今後は慈愛あふれる教えを悟りの世界に向かう船とも車とも致したい」と言う(そう書いている)。もちろん仏教肯定。

 要するに、虚心坦懐に儒教を聞いた段階では儒教がいい、道教を聞いた段階では道教がいい。仏教の教えを聞けば、仏教がいいのだと書いている。
 三教について語った本論の趣旨は「儒教を肯定し、道教を肯定し、仏教を肯定している」と読めるのです。

 マオは室戸岬から戻って『聾瞽指帰』を読み返したとき不思議の感にとらわれたでしょう。「本論に書き直したいところがない……」と。
 書き直す必要がないと感じたのは儒教道教仏教全て肯定論が書かれていたからです。

 前節で書いたように『聾瞽指帰』執筆時には自作本論が三教肯定になっていることを気付いていなかった可能性が高い。なぜなら、結論の十韻賦に二教の欠陥を書くという《二教否定》が入っているからです。『聾瞽指帰』執筆時は二教否定が入っても「いい」と思ったのです。

 つまり、『聾瞽指帰』執筆段階では理屈としては三教全肯定だけれど、感情としてはまだそこまで認めていない、許していなかった。それが二度目の室戸岬百万遍修行を終えて《感情》まで三教全肯定の境地に達した。そして『聾瞽指帰』を読み直したとき、儒道仏三教を肯定論として書いていたことに気付いたのだと思います。

 この件は小説と作家の関係において充分起こりえる事態と言えます。普通作家というのは登場人物の一人に寄り添って書くことが多い。それが主人公であり、他は脇役となります。
 私小説などは「主人公の私=作者」などと言われますが、厳密に言うとやはり違う。たとえば、作中の「私」がどんなに怒ったり悲しんでいても、作者はそれを冷静に眺め、周囲の状況・人物もしっかり把握して書くでしょう(そうでなければ小説になりません)。

 作者とはいつでもどんなときでも、登場人物と一線を画しているし、作中の過去、現在、未来に渡って何が起こり、どうなったかを知っています。ゆえに、どんな小説であれ、作者は登場人物に対して全てを知っている「神」の位置に立たなければならないし、立つはずです。

 空海マオの場合、『聾瞽指帰』は論文のつもりで書き始めたでしょう。しかし、登場人物の戯画化とか自身の状況や思いを書き込むことでだんだん小説のようなおもむきを見せ始めた。おそらく執筆当初は自分を仏教僧仮名乞児として意識し、書いていたと思います。だから、儒教を批判し、道教も批判し、結論にもそれを書き込んだ。

 ところが、室戸岬百万遍修行を終えて作品を読み直したとき、自分が単に仮名乞児の位置ではなく、「作者=神」の位置に立つことに気付いたのだと思います。
 作中の仮名乞児は儒教・道教を批判否定する。しかし、作者である《自分》は仏教はもちろん、儒教も道教も肯定できる位置にいる……という構図です(^_^)。
 図式化してみると、

※『聾瞽指帰』から『三教指帰』へ
・『聾瞽指帰』執筆時
---------------------------------
 儒教←否定=道教 
   ↑2教を批判否定
 仏教僧仮名乞児(=空海マオ=作者)
---------------------------------
・『三教指帰』改稿時
---------------------------------
 儒教←否定=道教 
   ↑2教を批判否定
 仏教僧仮名乞児(=過去のマオ)
---------------------------------
 ↑ 作者=空海マオ[三教肯定]

 私にはマオのつぶやきが聞こえます。「結局、本論において三教はそれぞれの段階において我々を導いてくれると書いてあった。もちろん批判・否定はある。だが、最終的に三教全て肯定している内容だった」と。

 また、こうもつぶやいただろうと思います。「私は最終的に仏教に到達した。では、儒教は必要なかっただろうか。いや、儒教は必要だった。道教は必要なかっただろうか。いやいや、道教も必要だった。私は儒教を学び、道教修験道を体験することによって、より深く仏教を学ぶことができた。私は三教全てに導かれたのだ。蛭牙公子とは正に私自身だ」と。
 かくして三教全肯定の思いを『聾瞽指帰』に取り入れようと読み返してみたけれど、「その思いはすでに本論に書かれていた。本論を書き直す必要はない」との結論となった……(^_^)。

 しかし、こうなると逆に結論部「十韻賦」の冒頭が引っかかった。そこに儒教道教の欠陥を書いていたからです。全体のまとめとしては「欠陥をあげつらうより、良い点だけを言うべきだ」と思った。
 そこで、儒教を学べば「高官の列に入る」、道教を学べば「道観に地位を持つことができる」と長所を追加し、「三教は愚かな人間を導いてくれる」とまとめた。

 ちなみにこの儒教道教の良い点ですが、表面的と言うか一面的長所でしかない気がします。もっと儒教なら「惻隠の情」とか、道教なら「自由や無為自然」など根本概念を書くべきでしょう。それができなかったのは脚韻のせいだと思います。

 『三教指帰』冒頭の脚韻は [心・鍼]の「-イン」に変わりました。
 そして二連目の書き下しが以下([ ]内は脚韻)、

 綱常は孔に因(よ)って述ぶ
 受け習って入る槐林(かいりん)――[林]
 変転は老公の授くるところ
 依り伝えて道観に臨む     ――[臨]

 おそらくマオは「うーん。二教の長所としてはイマイチだが、脚韻を合わせるためには仕方がない」と感じたのではないかと思います(^_^)。

 [以下、2025年4月の追加修正]
===============
 2018年の段階では「儒教を学べば『高官の列に入る』、道教を学べば『道観に地位を持つことができる』の詩句は儒教道教の本質的な長所を語っていない――と思いました。
 が、再読してむしろ「意識的に、ある意味両教のホンネとも言える長所(?)」を取り上げたかもしれない、と考えを変えました。

 つまり、本質的な概念として儒教は「惻隠の情」、道教は「自由や無為自然」であること。それはわかっている。私はその語句では「十韻賦」に入れづらかったのであろう、と推理しました。
 しかし、空海マオは「高官の列に入る」・「道観に地位を持つ」の二語こそ両教の本質――ホンネだと見抜いたのかもしれません。

 まず儒教信奉者。彼らは惻隠の情さえ発揮できれば、貧乏な暮らしであっても、身分が低くても満足するだろうか。いやいや、満足できない。立身出世して(そこそこ以上の)報酬や自宅、妻子を得る。上司となって部下を使い、周囲の尊崇を得る。それが儒教信奉者のホンネであるなら、「高官の列に入る」ことは儒教の本質と言えるのではないか。

 かたや道教信奉者はどうか。彼らは山岳修行を続け、一生「仙人になる」との思いを実践することで満足できるだろうか。いやいや、こちらも満足できない。仙人になれないまま年老いて山中のぼろ屋で過ごす。貧しい食事であろうと死ぬまでその生活を続けることができようか。彼らだって雨風をしのげる住かを得て(そこそこ以上の)食事ができるようになりたい。

 そのためにはやがて先達となり、仙人修行のベテランとして道観の主となること。そして、信者の尊崇を得、寄進によって生活できるようになる。
 道観に地位を持つことは道教信奉者のひそかな願いでありホンネ。「道観に地位を持つこと」は道教の本質と言えるのではないか。

 空海マオがこのように儒教・道教を理解したとするなら、一見上辺だけの長所と見える二語は両教への皮肉であり、人間的なホンネをずばり指摘したと言えるかもしれません。
==============

 閑話休題

 空海マオは自作が他宗批判はあっても、他宗の全否定になっていないことに気付きました。本論が三教肯定なら結論も三教肯定にすべきだと思って結論を改稿した。本論を書き換える必要性を感じなかったのは三教肯定がすでに書かれていたからです。

 ところで、ここまで読まれて空海の全書籍を熟読研究された方は、ある書物を想起されたことと思います。『十住心論』です。

 後年空海が密教解説の集大成として執筆した『十住心論』――それは動物的本能的野蛮な人間が儒教道徳を学び、自然哲学・道教を学び、顕教を学び、法宗、三論、天台から華厳経を経て密教・真言宗に到達するという十の段階を解説した著書です。その根底にあるのは《全肯定》でした。

 空海は儒教も道教も顕教も否定しない。もっと言うなら、「動物的本能的野蛮で愚かな人間」でさえも肯定したでしょう。なぜなら、もしも人間が完璧な全人格的存在として生まれ、生きるなら、儒道仏三教も(全ての主義も)必要ない。

 人が愚かなニンゲンであるからこそ、儒道仏に目覚めることができる。ならば、愚かな人間であることも肯定できる。空海は魂の成長段階として全て必要であると感じていたはずです。
 このように『三教指帰』本論、序、結論(十韻賦)には『十住心論』の萌芽さえ見られる――私にはそう思えます。

 作家はよく「処女作に戻る」と言われます。処女作には「作家の人生と全体がすでに描かれている」とも言われます。
 私には空海の処女作『三教指帰』が正にそれだと思えるのです。『三教指帰』には『十住心論』の原型――野蛮で愚かな人間、儒教を学び、道教を学び、仏教(顕教)を学び、百万遍修行という密教につながる教えを学んだ――それが描かれているではありませんか。

 もう一つ。二度の百万遍修行はこれほど大切な重い体験でありながら、なぜ本論に取り入れなかったのか。
 この理由は単純です。「どこに入れたらいいかわからなかった」からだと思います(^_^)。

 儒教に入らないことは明らか。だが、山岳修行だったから道教に入るかも知れない。自身が読んできた仏教の中には何も書かれていない。後年百万遍修行が「密教のかけら」(司馬遼太郎氏の言葉)であったことは知ったでしょう。が、この段階では仏教編に入れていいかわからなかったのだと思います。本論で触れない以上、結論に入るわけはない。だから、「序」に入れるしかなかった。

 結局、室戸岬百万遍修行を終えて『聾瞽指帰』を読み返したとき、追加したいと思ったのは「自分がどう成長してきたか」であり、心底仏教に突き進むという(理屈だけでなく感情も認めた)決意でした。儒教・道教を否定するものではなく、むしろ肯定することでした。

 自分の感情はどうかと考え、『聾瞽指帰』を読み直したとき、「自分は心から仏教に突き進むと書いていない」ことに気付いた。
 自分について取り上げていたのは仏教編の仮名乞児が語る来歴のところ。山岳修行中に親戚から「乞食みたいな格好をしておまえは何をやっているんだ。忠孝の儒教に戻れ」と批判されたとき、自信を持って返答することができなかった。

 しかし、室戸百万遍修行を終えた今なら、「私は自信を持ってもう儒教にも道教にも戻らない。仏教に突き進む」と心から言える。それを書き込みたい。『聾瞽指帰』には「自分がどう思ったか、どう決意したか」が書かれていない。だから、「自分のことをもっと書き加えるべきだ」と思った。入れることができたのはやはり「序」。そこに十五から十八の履歴、そして二度の百万遍修行を付け加えた。

 ただ、空海さん(^_^)。たったそれだけの追加で「私の魂の成長、百万遍修行の重みをわかってください」とおっしゃるのは無理がありますよ(と申しあげたい気持ちです)。

 かくして『聾瞽指帰』に欠けていたのは「私自身の成長だ。私の履歴を書き込もう」と思い、「序」に二度の百万遍修行までの履歴を追加した。そして、結論部「十韻賦」にあった儒教道教の欠点を述べたところを削り、儒教道教のいい点を追加して「三教は人を導く」との結論に変えた。最後に「出家=仏道邁進の決意」も書き込んだ。空海はきっと「これで本当の完成だ」と思ったことでしょう(^_^)。

=============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:くどいようで恐縮ながら前節「後記」の続きです(^_^;)。
 どうしても補足したいことがあって書きます。

 以前一読法に進んで課題の解決をネット検索する人をA群。
 疑問は持つけど、めんどくさくて検索まで進まないB群。
 疑問のつぶやきを、つぶやくこともなくぼーっと眺めるC群。
 ――とまとめました。不愉快に感じた方がいらっしゃるかも。m(_ _)m

 『一読法を学べ』の中で、何度も書いたけれど、お忘れかもしれないので書きます。特にB群、C群の方へ。

 あなたがそうなったのはあなたのせいではありません。
 あなたが能力が低いからでも、怠け者だからでもない。
 小中、高校でA群の生き方を学ばなかったからです。特に国語で。

 もう一つ。日本の学校は「先生と学校に逆らうな。校則を批判するな」という生き方を教えました。「人に迷惑をかけるな」と教わりました。
 いじめられても「告げ口するな」と教わりました。
 先生が殴るのは「愛のムチだから耐えろ」と教わりました。

 だから、たくさんのB群、C群の大人が生まれました。

 この人たちは権威ある人に反抗できません。
 誰かに相談するのは相手に迷惑をかけることだから相談しません。
 そのような人間が「良い子」だと言われて育ちました。

 以前も書いたように、自転車に乗るには練習しなければ乗れません。
 水泳は練習しなければ大人になっても泳げません。

 同じように一読法の訓練を積んでいないと、突然警察から電話がかかってきて「あなたに犯罪の嫌疑がかかっている・カードが振り込め詐欺に使われている」と言われたとき――その場で直ちに考えねばならない。詐欺師は後で考えることを許してくれません。

 ゆえに、最初から「おやあ?」とつぶやかねばならない。
 もしも「すぐに対応しろ」と言うなら、「今忙しいので30分後もう一度かけてください」とか「こちらからかけます。電話番号を教えてください」と言う必要がある(大概これで切れるらしい)。

 あるいは、役場から「還付金が出ました。通帳の番号を教えてください」と言われる。「そりゃありがたい」とつぶやくのはいい。だが、「手数料が必要だから、?万こちらに振り込んでください」の言葉を聞いたとき、「何かへんだぞ」とつぶやけるかどうか。

 だからこそ日々一読法の訓練が必要だし、常々A群に進むことを心がけるべきだと思うのです。「あとで後悔しない」ために(^_^;)。(まだまだ続く)

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