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2025.06.21

『空海マオの青春』論文編後半 第36号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ 3

[近3号は34→35→36号の順にお読みください]

 またまた(くどいほどの)一読法復習(^_^;)。
 前節を読み終えて「否定観の仏教って詳しく書かれていたかなあ」とつぶやきましたか。
 あるいは、「《先に》仏教の奥深さを書いたんだ……なぜ?」と。

 表題は「否定観の仏教、その奥深さ」とあります。対して前節末尾は以下の通り。
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 要するに、仏教弘布に尽くす者も、仏教のために武器を持って闘う者も、閻魔大王の裁きを受けて地獄に堕ちることがある――そう説いているのなら、仏教とはなんと奥深い宗教なんだろうと思います。
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 「要するに」という言葉は結論を表しています。結論って表題同様本文全体のまとめであり、とても大切なところ。
 だから、最低限二度読んで「全体の内容」を振り返りながら、「なるほど」とか「確かに」と賛同したり、「私はそうは思わない」など異和感や反対の感想をつぶやいていい。
 なのに、まずこれをしていない。一読法では教科書や本などを読み終えたら「余白に短く感想を書き込みましょう」と教えます。

 前節の結論は「仏教とはなんと奥深い宗教か」であり、この結論に至る記述も天界、阿修羅などを説明して「仏教はご利益があると人に勧めたり、仏教を守るために戦ったからと言って天国に行けるわけではない」ことを語っている。ゆえに「奥深い宗教である」と結論を書いています。

 ところが、「仏教が人間を否定的に見ている」の記述はなかった。そもそも「否定」の言葉がどこにも出てこない。すなわち前節は「否定観の仏教」について何も語られていない――そのことに(読み終えて)気づかなければならない。
 だから(さーっと読むのではなくちゃんと読んでいれば)、「おかしいなあ」の感想が出ていいところです。

「えっ、そんなこと考えたこともない?」
(失礼ながら)国語能力の低さ、人の話の聞き方、文章の読み方を学んでいない欠点が水道管破裂のように噴出しています(^.^)。

 たとえば、誰かと会話するとき、相手が「今日はAとBについて話したい」と言えば、普通[A→B]の順に語られると思います。
 なのに、B→Aの順に話されたら、こちらとしては「あれっ」と思って「どうしてAから話さないんですか」と聞くべきだし、相手は通常「先にBから語りたい」とか、Bから始める理由を言うはず。

 六章の表題は「否定観の仏教、その奥深さ」とあります。よって語られる順番はA「否定観の仏教」→B「その奥深さ」である。なのに、前節の内容と結論はB「仏教の奥深さ」だけ。
 そして、本文にも前置きにも後記にも「なぜ仏教の奥深さ」を先に語るのか、その理由は書かれていない。

 読者はトータルとしてこのことに気づき、「どうして先にBから語られたんだろう?」との疑問・つぶやきが出てしかるべき――と指摘したわけです。

 ここで「A→Bの順に語らなかった、Bを先にした理由を書いていないのは一読法の罠か?」とつぶやいたなら、大いに結構。落とし穴に落ちましたね(^_^)。
 この理由は後記にて明かします。
 [これは「作者なぜ?」にあたる最も難解な問い。自力挑戦しますか?
 ヒントは「中国ドラマ」を紹介したことと下の2行の中にあり。たとえば「夏が来た」と「来た、夏が」に似て……。]

 かくして今節は「否定観の仏教」――仏教が人間をいかに否定的、悲観的に、もっと言えば絶望的に眺めているか、それについて語ります。

 『空海論』プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ

 1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介    6月11日
 2 六道「地獄・天界・修羅界」について 6月18日
 3 六道「人間・人間界」について    6月25日
   7、8月は夏休みです(^_^)

 『空海マオの青春』論文編――後半第36号 プレ「後半」(六)の3

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 本号の難読漢字
・『三教指帰(さんごうしいき)』・貪瞋癡(とんじんち)煩悩(ぼんのう)・貪(むさぼ)る・蚤(のみ)・永劫(えいごう)・讒言(ざんげん)・厭(いと)い悔(く)いる・嫉(そね)み・誹謗(ひぼう)・遊蕩放逸(ゆうとうほういつ)・汚辱(おじょく)・鋸(のこ)・鑿(のみ)・殺生(せっしょう)・偸盗(ちゅうとう)・綺語(きご)・瞋恚(しんに・しんい)・掉尾(とうび)
 以下中国ドラマ『永遠の桃花』の登場人物
・白浅(はくせん)…青丘の女帝、若い頃司音(しいん)と名乗って修行する。
・夜華(やか)…天界の皇太子。記憶を失って人間となった白浅と夫婦になる。
・墨淵(ぼくえん)…天族の武神。白浅が仙人修行をするときの師匠。

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***** 空海マオの青春論文編 *****

後半第36号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ

 3 六道「人間・人間界」について

 前号では六道のうち天界・修羅界について詳しく眺めました。今号は六道の上から二番目に位置する我ら人間・人間界について『三教指帰』の解説中心に眺めたいと思います。

 まず六道を再掲します。
 《六道》[迷いの世界]
 1 天人界……仏教を弘布・守護する天人が住む
 2 人間界……貪瞋癡に苦しむ人間が住む
 3 修羅界……仏教を守護し闘い続け、負け続ける阿修羅が住む
 4 畜生界……人に使役される牛馬が住む
 5 餓鬼界……飲み物食べ物を求めて得られぬ餓鬼が住む
 6 地獄界……各種地獄で責め苦を受ける罪人が住む

 仏教では貪瞋痴(とんじんち)を「心の三毒」と言い、「煩悩」とも呼びます。
 ウィキペディアを参考に意味を書くと、

・「貪」は「貪欲(とんよく)」の「貪」、むさぼるように求めてやまない欲求。
・「瞋」は「瞋恚(しんに)」の「瞋」、怒りや憎しみ、妬みの感情。
・「痴」は「愚痴(ぐち)」の「痴」、思わず飛び出す人の愚かさ。

 愚痴は一般的にはいやなことをだらだら口にすることですが、仏教では「瞋恚」に入るようです。確かに愚痴を言う人には抑えきれない怒り、それをどうすることもできないくやしさ、周囲と自分に対する怒りが根底にあるようです。

 ここで言う「痴」とはやってはいけないことをやってしまう愚かさ。やらない方がいい(言わない方がいい)と思っても、思わずやってしまう(言ってしまう)愚かさを意味するようです。

 これを基礎知識として空海の人間観を眺めます。マオ独自の見解と言うより、仏教が説く一般的な人間観でもあります。

 まず人間を魚や動物にたとえ、主としてその内面(本質?)を次のように説明します。(引用は福永光司訳)

 いわく「貪欲なもの、怒りっぽいもの、ひどく愚かなもの、ひどく欲ばりなものがおり、~この大魚は泳ぐかとみれば海中に沈み、心の動きが気まぐれで財物を貪るかとおもえば飲食を貪り、性根がねじまがっている。~略~
 欲が深くて、将来の災いなど念頭になく、鼠のように蚤のように貪りくらって、あわれむ気持ちも可哀そうだと思う気持ちもない。誰もみな永劫の時間にわたる輪廻の苦しみは忘れ果て、ともどもにこの世かぎりの出世と幸福だけを望んでいる」と。

 さらに、鳥類にたとえて「へつらいだますもの、讒言しおもねるもの、そしるもの、悪口をいうもの、おしゃべり、どなりちらすもの、人の顔色をうかがうもの、くよくよと厭い悔いるものなどがあり、翼をととのえて道にはずれた方向に飛びたち、高く羽ばたいて気楽なところに飛んでゆく」とも言います。

 また、その他の動物にたとえて「おごりたかぶりと腹だち、ののしりと嫉み、自己賛美と他人の誹謗、遊蕩放逸と恥知らずの厚顔、不信心、無慈悲、邪淫、邪見、憎悪と愛着、栄誉と汚辱、殺し屋の仲間、闘争内紛の一味などがあり、外見は同じでも心はさまざま~鋸のような爪、鑿のような歯をもっていて慈愛の心などほとんどなく、穀物を餌とする」など人間についてさんざんな評価です。

 これって空海の時代でも平安時代初期――今から1300年前の言葉です。仏教が中国に伝わったころから勘定しても1700年以上。
 最近の様々な犯罪、詐欺行為、恋愛におけるストーカーとか殺人、夫婦の浮気に不倫、パワハラ・セクハラ・モラハラ、いじめやSNSの誹謗中傷などなど。
 このような人間の悪しき側面(本質?)って「大昔から全く変わっていない」と思わせます。

 そして、人間とはこのような動物であるから十悪を犯すと続きます。
「十種の悪業の沢辺で羽ばたきする。~飛んでは鳴いて眼前の豊かな生活にあくせくし、生まれては死んで未来の苦の果報を忘れる」と。

 十悪とは次のような十ヶの悪しき行いです。
 ・殺生(生き物を殺す)
 ・偸盗(ものを盗む)
 ・邪淫(よこしまな恋情を抱く)
 ・妄語(うそをつく)
 ・綺語(見栄を張って飾り立てた言葉をはく)
 ・悪口(人の悪口を言う)
 ・両舌(二枚舌を使う)
 ・貪欲(あらゆるものを必要以上に求める)
 ・瞋恚(激しい怒りや恨み、憎しみを持つ)
 ・邪見(誤った見方、考え方にとらわれる)

 さて、ここまで読んでみなさんはどう感じたでしょうか。
 先に私の感想を言わしてもらうと、仏教って「どうしてこんなにも人間の負の側面ばかりを強調するのだろう」と思います(^_^;)。
 人間の愛とか優しさ、人への思いやり、家族や仲間のために行動するなど、人間にも良いところがあると肯定するのではなく、人間を否定的に眺めていると言えるでしょう。

 四苦八苦もそうでした。人として生まれ、人として生きる苦しみ、老いる苦しみ、死ぬ苦しみ――すなわち「生老病死」の四苦を強調し、生きるにあたって日々起こる四つの苦しみを指摘します。

 それは次の四つ。
 1 愛別離苦(あいべつりく)…愛する人と死別・離別しなければならない苦しみ。
 2 怨憎会苦(おんぞうえく)…いやなやつと日々会わなきゃならない苦しみ。
 3 求不得苦(ぐふとっく)…欲しいものがたくさんあるのに求めて得られない苦しみ。
 4 五蘊盛苦(ごうんじょうく)…人間活動が盛んなるがゆえの苦しみ。

 最後の「五蘊盛苦」をもう少し簡単に言うと、人があらゆる苦しみを「苦しい」と感じてしまうのは人が生きて活動するからであり、苦しいと感じる心を持っていることを意味します

 人生には喜びや楽しみもあるのに、仏教の人間観は苦しみと悪しき人間像だけを見つめるかのようです。人間を性善説・性悪説で分けるなら、仏教は明らかに性悪説でしょう。「人を見たら泥棒と思え」にも似ているし、今なら「警察、検事、銀行、役場からかかる電話は詐欺と思え」ですね(^.^)。仏教は慈悲を説くのに、かくも悲しい人間観に基づくとは不思議です。

 もっとも、それゆえ仏教は人間の悪しき面を正し、より良い人間になるために「仏教を信仰しなさい、その教えに従って正しい生活を送りなさい、善行を積みなさい」と説くわけです。
 これは逆に言うと、「仏教に基づく生活を送らなければ、人は良い人間にならない」と主張するのと同じ。

 余談ながら、この考え方は仏教にとどまらず、キリスト教やイスラム教など《全ての宗教》に共通した発想でしょう。宗教だけでなく、資本主義・自由主義に民主主義、社会主義や共産主義、独裁主義など全ての《主義》に通じる発想でもあります。

 よって、その宗教や主義を正しいと信じる人たちは国内を、世界を我が宗教、我が主義で覆い尽くそうとします。
 卑近なことわざに「類は友を呼ぶ」があります。これは同質等質の人間が集まれば友だちになりやすいということであり、異質の人間はそのままではなかなか仲良くなれない。ゆえに、全人類が同じ主義、または同じ宗教の下で一つにまとまるべきだ。そうすれば、世界から悪と争いがなくなるはず――と言うのです。

 我が主義が正しいという人、我が宗教を人に勧める人はそれを信じて活動に励んでいる。宗教指導者はもちろん、各国のリーダー、政治家もそう思っている人が多いはず。

 しかし、私は思います。そもそもこの発想そのものが間違っているのではないかと。世界を我が宗教、我が主義で覆い尽くそうと考えることがかえって世界中に争いを引き起こしているのではないでしょうか。

 このように考える根拠は単純です。人類が誕生し、やがて社会生活を送るようになり、宗教が生まれ、主義が生まれて数千年。人類はかつて一度も一つの宗教が世界を覆い尽くしたことがない。近代以後一つの主義が世界を覆い尽くしたこともない。

 宗教と主義は人の悪行も集団間の戦争もやめさせることができなかった。むしろ、対立する宗教・宗派間、主義対主義、主義対宗教など、異質間の戦争はより激しく悲惨になっている気がします。

 もう一つ。主義や宗教が同じであっても、国同士対立したり、戦争に至ることもある。その根幹にあるのが愛国主義。
 これは主義と言うより感情と言うべきか。「国を愛しなさい。愛せない人間は非国民だ、国のために戦えない国民は出ていけ」などと主張する。そして、自国に不利益をもたらす相手国と対立し、ときには戦争まで発展する。
 最近某大国が見せている内乱間近の分断、他国に仕掛けた関税戦争など典型例でしょうか。

 ちと脇道が過ぎました。私は仏教や空海について論じながら、宗教と主義に対してとても懐疑的なのです(^_^;)。

 閑話休題、六道に戻ってその意味を考えてみます。

 六道のごく一般的な解釈は生と死の対比による輪廻転生です。つまり、人が死んだら生まれ変わる世界とされます。人は「善行を積めば天人界に生まれ変わり、悪行を積むと畜生や餓鬼として生まれ変わる。悪行が残酷で非道な場合は地獄に堕ちる」として人が死後生まれ変わるお話と見なされています。
 よって、死後の世界なんぞ信じられない唯物的人間は「輪廻転生なぞありえない、地獄は存在しない、作り話だ」と言うでしょう。

 かつて多くの人が地獄・極楽の存在を信じた時代もあります(と言い切っていいかどうか疑問ですが、とりあえず「信じていたであろう」としておきます)。今の世で「悪いことをしたら地獄に堕ちるぞ」との言葉を信じる人は少ないでしょう。

 幼稚園とか小学校低学年のいたずら坊主なら有効かもしれません。高学年になると「へーん。地獄なんかないよ~」とあっかんべーされそうです(^.^)。
 ただ、妙なことに「地獄はない、人間の空想だ」と言いつつ、幽霊の存在とか魂はあると信じ、(地獄かどうかは別にして)死後の世界が存在すると信じる人は結構いるようです。

 六道には別の見方も存在します。六道とはつまるところ「総体としての人間・人間界」を語っているというのです。
 たとえば、四苦八苦、喜怒哀楽という観点から六道を眺めると、以下のようになります。
 《苦と喜怒哀楽の六道》
 1 天人界……死の間際まで苦しみはなく、日々怒りや哀しみもない。あるは歓喜と快楽ばかり。
 2 人間界……生老病死の苦しみがあり、日々怒りや哀しみがあるが、喜びや楽しみもある。
 3 修羅界……闘いの連続ゆえ喜び・楽しみはなく怒りと哀しみしかない。
 4 畜生界……人に使役される牛馬に喜怒哀楽はない。
 5 餓鬼界……飲み物・食べ物を求めて得られぬ苦しみと哀しみしかない。
 6 地獄界……罪を償うための苦痛しかない。

 牛馬に喜怒哀楽の感情がない――とは言い過ぎかもしれません。丹精込めて育てた食肉用の牛は屠殺場への車に乗るのをいやがって悲しい声で鳴くと言います。馬は笑うと言うし、競馬場でゲートに入ろうとしない馬のお尻をつつくと、後ろ足を跳ね上げます。あれ、きっと怒っているのでしょう(^_^)。
 とは言え、まー人間以外の動物の感情はわかりません。六道界の中では人間だけに全ての感情があります。それこそ五蘊(ごうん)盛苦であり、五蘊盛喜です。

 また、人が生まれた境遇や環境、その後の生き方という観点から六道を眺めることもできます。
 《人生としての六道》
 1 天人界……裕福な家の子として生まれ育ち、金持ちとして何不自由なく生きる人生。
 2 人間界……ごく普通の家の子として生まれ育ち、可もなく不可もなく、苦しみはあるが喜び楽しみもある、ごく平凡な人生。
 3 修羅界……貧富に関係なくどんな手段を使っても闘いに勝って金持ちを目指す人生。
 4 畜生界……貧しい家に生まれ育ち、こき使われて働くしかない人生。
 5 餓鬼界……貧しい家に生まれ育ち、あれがほしいこれがほしいと思ってかなわぬ人生。
 6 地獄界……貧乏であれ、金持ちであれ、親から虐待されて苦痛しか感じない人生。

 富裕層は人類の1パーセント以下ですから、私も含めて多くの人は普通か貧乏な家の子として生まれます。子ども時代、金持ちの子がおもちゃなどをたくさん持っているのを見て「あの家に生まれたかったなあ」と嘆息をもらした人は多いのではないでしょうか(^.^)。

 六道を人生として見ると、生まれ変わらなくとも現世で天人になる人が現れます。つまり、粉骨砕身働いて出世したり実業家になったり、類まれなる能力を発揮して芸能人、芸術家、アスリートになり、芝生の庭とプール付き豪邸に住む人たちです。六道とは人間や社会の縮図であるとも言えそうです。

 このように理解すると、前号に疑問として提示した「天人は仏教を弘布し守護する存在であるのに、どうして迷いの世界である六道なのか」の答えがわかります。
 裕福な家に生まれ育ち、何不自由なく暮らしている人がみな幸福かと言えば、そうとは言えないでしょう。貧乏人には貧乏人の、中流には中流の苦しみがあるように、金持ちには金持ちの苦しみと喜怒哀楽があるはず。

 富裕層と付き合った経験がないので、なんとも言えないのですが、どんな金持ちだって年を取るし病気になる。小国の国家予算並みの資産を持ったとしても、死後の世界に持っていくことはできない。息子や娘に欲しい物を何でも買い与えていたら、横柄でろくでもない人間になったと嘆く話は枚挙にいとまありません。少なくとも、天人が死の間際、地獄の十数倍もの苦しみを感じるというのは納得できます。

 年を取って寝たきりになった。何億、何十億の金を持っているのに、もう動けない。かつて絶世の美女とうたわれた人も老醜をさらすと人前に出ようとしない。「健康な身体がほしい、老いはいやだ、死にたくない!」との思いは富裕層ほど切実でしょう(^.^)。
 また、天人のような富裕層が仮に仏教信者であったとしても、彼らがすなわち解脱した菩薩や仏とはとても言えない。天人はやはり六道の一員なのです。

 [以下は今回追加]
 最後に「愛」という面から六道を眺めてみます。
 この場合人間を肯定的に眺めるなら、それは「愛する」であり、否定的な見方としては「愛することができない」でしょう。これは我が『続狂短歌人生論』の一貫したテーマでした。
 先ほど述べた「三毒(貪瞋痴)」を振り返ると、その根底には人の「愛されない、愛されなかった」不快な感情があると思います。それは過去の記憶であり、現在の(ひそかな)不満となって現れます。

 かつて親に愛されなかった、友人に、先生に愛されなかった、初恋は成就せず、異性に愛されなかった、自然に運命に愛されなかった……それが事実の場合と思い込みである場合がある。

 いずれにせよ「愛されなかった」記憶が多ければ多いほど人は愛を求める、愛されたいと思う。
 これまで生きて愛されなかった、今愛されていない(と感じる)悲しみは怒りとなってふつふつと湧く。「どうして私は愛されないんだ」と思えば、現在と過去に対して愚痴を言いたくなる。
 つまるところ、三毒とは心の底にわだかまっている「愛されない」感情の湧出ではないかと思います。

[ここで一読法の復習。「湧出」読めましたか? 読めなければ、ほったらかさずに検索を。そして、前置きに「欠点が水道管破裂のように噴出する」の言葉を思い出して「使い分けているな。ここで湧出としたのはなぜだ?」とつぶやきたいところです。]

 だが、「それなら我々は人を愛することができる生き物だろうか」と問うことができます。

 『狂短歌人生論』最終71号「掉尾を飾るどんでん返し」の冒頭は以下の言葉で始まっています。
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 本論の前に我々がしばしば陥りがちな「絶望…(-_-;)」をちゃぶ台返し致します。
 もしもキリストの教えどおり、人間がみな「人やものを愛することのできる生き物」であるなら、この世から…世界から、争いは雲散霧消するでしょう。国同士の戦争も民族・宗教の対立も。国内の犯罪も家庭内の殺人・虐待・口げんかも。ペットを平気で捨ててガス室送りにすることも。
 が、残念ながらそうではない。ということはこの認識、ひっくり返した方がいい。
 人間は人やものを愛することができない生き物である――と(^.^)。
-------------------------------

 これって間違いなく「人間を否定的に見つめる」否定観でした。
 人間とは「愛することができない、いつも愛されたいと思っている。自分が愛されないことは許せない、なぜ自分を愛してくれないんだ」と怒り、嘆き、悲しみ、苦しんでいる生き物だ――この観点から六道を再構築してみると、

 [愛されたい人生]
 1 天人界……誰からも愛される幸せな人生
 2 人間界……愛し愛されることがあれば、愛されないこともある人生
 3 修羅界……愛されたくて策を弄し戦うけれど、負け続ける人生
 4 畜生界……愛されたくて相手に奉仕し何でも言うことを聞く人生
 5 餓鬼界……愛されたい、愛してほしいと思うばかりでかなわぬ人生
 6 地獄界……愛されないことが許せず、相手を傷つけ、果ては殺害して破滅する人生

 もちろん345は同じ一人の人間であり、踏ん張れば2にとどまる。だが、一線を超えると6に堕ちる。
 この分け方、「なかなかうまくやった」と自画自賛(^_^;)していますが、読者は次のようなつぶやきを漏らすかもしれません。
「2から6はなるほどと思えるけど、1の天人界はビミョーだなあ」と。

 しかし、天界に暮らす天人に苦しみはない(と想定されています)。愛における苦しみとは「愛されない」ことです。ならば、天人に愛されない苦しみはない。すなわち誰からも愛される――とまとめられます。うらやましぃ~(^.^)

 ここで「なるほど」とつぶやいた方は以下のテーマについて考えてみてください。
 人間界は「愛し愛されることがあれば、愛されないこともある人生」とまとめています。この「愛されない」ことに執着すると、阿修羅となり、畜生に堕ち、餓鬼となって愛に飢え、果ては愛してくれない相手を恨み憎み、地獄に堕ちる。
 では、誰からも愛される幸せな人生を歩むためにはどう生きればいいのか。

 これは難しい問いです。
「答えなんかあるのか」と口とがらせてつぶやくかも。

 が、答えはある――と私は思います。
 一つの答えは『永遠の桃花』に描かれていた。
 だから、読者に勧めようと思いました。

 もう一つ、私なりの答えは『続狂短歌人生論』に書きました。
 最終71号に掲載した以下3つの狂短歌はその答えです。

〇 愛という水が心にたまらない コップに穴が開いているから
〇 気づくこと あの親だけど愛された あの人だけは愛してくれた
〇 愛されたい? 愛されなくて構わない 愛されてると信じて生きる

 これが「私なりの答え」です。
 もう一度71号を(可能なら作品全体を)再読してください。

 ところが、それでもどこか合点できない、心から納得できない。
「わかるけど、やっぱり難しい」とつぶやいた方。
 それは「信じることができない」という思いに集約されます。

 私たちはいろいろなことを信じたい。だが、たった一度の裏切りで愛されているか疑い始める。そして、愛されていない事実が二度も三度も続く(そう思い込む)と、「もう何もかも信じられない」気持ちにとらわれる……。

 結局、「理屈はそうかもしれない。だが、愛されていると信じて生き続けるのは不可能だ」とつぶやいた方。次号からの「論文編後半」をぜひお読みください。
 後半はこの件について深く、浅く探求します(^_^)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:前置き一読法「作者なぜ?」の答えです。なぜB「仏教の奥深さ」を先にしてA「否定観の仏教」を後にしたのか。
 ヒント「来た、夏が」と同じ。これは国語表現の倒置法。そして、主述を逆転させるのは一文を強調するため。

 すなわち、仏教とは人間を否定的に見つめる。が、「仏教を人に勧め、仏教を守る戦いをしたからと言って天国に行けるわけではない」と説くなど、他の宗教と違う奥深さを持っている――その全体を強調したかった、というわけです。

 また、中国ドラマ『永遠の桃花』を勧めるにあたってできるだけ早く「天界」を説明したい。それはB「仏教の奥深さ」の方にあるのでそれを先にした、という点も理由です。

 そこで、同ドラマについて一読法的質問を一つ。私が「なるほどそうか!」と壮大な伏線に感動した部分です。
 この作品は全部で58話。その最後3話。ヒロインの「白浅」は愛する「夜華」を失い悲嘆にくれる。まるで後追い自殺しそうなほどに。
 このとき師匠の「墨淵」は白浅に大きな嘘をつく。それは最終話でうそとわかるけれど、白浅は師匠がなぜうそをついたか理由を聞かないし責めることもない。墨淵もうそをついた理由を説明しない。つまり、作品としてはその理由が描かれないまま終わる……。
 この理由を考えてください。説明できる人は作品をしっかりじっくり見た人です(^_^)。

 さて、本節をもって「空海論プレ後半」は終了。予告した通りこれをもって夏休みとし、9月より「空海論後半」を開始します。

 今年も猛暑の夏、豪雨・洪水・台風の夏がやってきます。
 読者各位と私も生き延びて秋を迎えられるよう祈念いたします。 御影祐

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2025.06.17

『空海マオの青春』論文編後半 第35号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ 2

六道「地獄・天界・修羅界」について

 まずは(またも?)一読法の復習(^.^)から。
 前節途中あることをつぶやきましたか。

 過去の作品『続狂短歌人生論』について触れ、リンク先(URL)が明示されたところです。
 8号と30号、2カ所ありました。ところが、「最終71号にて」のところでは71号に飛ぶことができません。
 そのとき「あれっ71号はリンクされていない。つけ忘れたな(にやり)」とつぶやいたか。

 こう思った人は「しっかりじっくり読んで疑問・感想をつぶやける」B群の方。
 読み過ごして気づかなかった人は(詐欺にかかりやすい)C群の方。

 ではA群は?
「忘れたな(にやり)」とつぶやいた後で、「いや、もしかしたら作者の罠か」とつぶやける人。
 そーです。わざと71号に飛べないように作りました(^.^)。

 では特A群の人は?
 自ら努力して71号を探しに行って読む人です。

 8号、30号、71号の中身を思い出せる人はほぼほぼいないと思います。
 だから、飛んで行った方がいい。8号、30号はすぐに飛んで行ける。だが、71号はないから「やめる」。
 自ら探しに行く最も簡単な方法は8号か30号の画面から目次のある画面に飛んで、最終71号を探し出して読むことです。めんどくさい?
 ただ、71号は「最新号」として目次のトップにあるからスクロールの必要なし。

「おいおい。オレたちゃそんなにヒマ人じゃないよ」とつぶやくのは良し。
 だが、特に高齢者の方でヒマを持て余しているなら、ぜひこの「めんどくさいヒト手間」に進んでほしい。こうしためんどくささに慣れることこそ詐欺にかからない訓練なのです(^_^)。

 閑話休題。前置きの本論はここから(^_^;)。

 今節より『空海論』前半仏教回帰の3節より「六道」について書かれた部分を再掲します。
 こちらの表題は改めて「否定観の仏教、その奥深さ」とします。

 中国ドラマ『永遠の桃花』が仏教で神仙が暮らす「天界」の物語とわかったとき、そして、空海の到達点が「全肯定」であると明記したとき、「仏教の六道」について復習した方がいい、と思うに至りました。その後夏休みにしようと。

 以前書いたように『論文編』後半は空海密教の最終境「全肯定」について詳しく語ることになります。
 その際仏教について一般的にはどう理解されているか、当然それを知っておく必要があります。
 というのは仏教は「全肯定」とは真逆の――すなわち「否定」の宗教だと理解されているからです。

 と言われても、「そもそも全肯定がようわからんのに、仏教が否定の宗教だなんて……私ゃそんなに仏教に詳しくない」とつぶやかれるかもしれません。
 いいつぶやきですよ(^_^)。

 とは言え不思議なことです。
 核家族のお宅に仏壇はないでしょう。が、実家に帰省すれば、だいたい仏壇がある(あった)。そして、家族の誰かが亡くなると、お坊さんを呼び、葬祭場で葬式をやり、四十九日、初盆、一周忌など法事を重ねる。その都度お坊さんがお経を読み、喪主は(いくら渡せばいいんだろう)と思いつつ布施を用意する。

 お盆には墓参りをし、幼子に「両手を合わせてお参りするんだよ」と教える。観光で寺に行けばほとんどの日本人は合掌してお参りする。
 これは日本の習慣。韓国では「五体投地」という激しい拝礼もある。[意味不明の方は検索を]
 なのに「自分は無信仰」と言い、仏教そのものの理屈も「よく知らない」とつぶやく……(^_^;)。

 キリスト教では『聖書』、イスラム教では『コーラン』が読まれます。どちらも分厚い聖典。ならば仏教信者として読むべきは『仏典』……とはならない。

 仏典が全て網羅された『大正大蔵経』は全100巻。これ漢文で現代語訳の『新国訳大蔵経』もあり、さらに今は『大正新脩大蔵経』テキストデータベースがあるので、パソコンで見る(読む?)ことだってできる。
 だが、読んでいるのはおそらく1万人か10万人に一人の仏教学者くらいでしょう。

 であるなら仏教には短縮経というのがあって多くのお葬式ではこれが読誦(どくじゅ)されている。
 浄土宗・浄土真宗では『仏説阿弥陀経』、真言宗では『般若心経』と『理趣経』。
 しかし、お坊さんがとなえるのは聞いたことがあっても、その内容は知らない。
 私なんぞある年代まで「お経って何か意味あるの?」と思っていました(^_^;)。
 読者各位も似たもん同士ではないでしょうか。

 かくして「仏教の内容? よー知らん」とつぶやく。
 やっぱり仏教解説が必要ですね(^.^)。
 空海『三教指帰』仏教編は仏教について簡潔に解説しています。私はそれをさらに簡潔に(ただ短くはできず)解説しました。

 これを読んで「仏教とはこんなに人間・人間界を否定的に見つめる宗教だったのか」とつぶやいてください。さらに「仏教は他と違ってなんと奥深い宗教なんだ」ともつぶやけると思います。

 端的な例を一つあげると、キリスト教、イスラム教、新興宗教……多くの宗教は「我が宗教を信じ、我が教えを人に勧めなさい。他宗・他主義に攻撃されたら戦え。戦って死んだら天国にいける」と説きます。
 が、仏教はそんなこと言いません。仏教を人に勧め、仏教を守る戦いをしても「地獄に堕ちることがあるぞ」と言っているのです。あらま(^.^)。

『空海論』プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ

1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介    6月11日
2 六道「地獄・天界・修羅界」について 6月18日
3 六道「人間・人間界」について    6月25日
   ……夏休み(^_^)

 『空海マオの青春』論文編――後半第35号 プレ「後半」(六)の2

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 本号の難読漢字
・六道(りくどう)・五体投地(ごたいとうち)・理趣経(りしゅきょう)・『三教指帰』(さんごうしいき)・輪廻転生(りんねてんしょう)・厭離穢土(おんりえど)・欣求浄土(ごんぐじょうど)・阿修羅(あしゅら)・殺生(せっしょう)・梵天(ぼんてん)・帝釈天(たいしゃくてん)・吉祥天(きっしょうてん)・韋駄天(いだてん)・現世利益(げんぜりやく)・天人五衰(てんにんごすい)・兆(きざ)し・披瀝(ひれき)・諫(いさ)める

・「四苦八苦(しくはっく)」について……生老病死の四苦と「愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)」の四苦。
 私はこれを逆転させて「四苦八苦は見方によって四喜八喜になる」と以前書きました。→ 論文編1号

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***** 空海マオの青春論文編 *****

後半第34号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ

 2 六道「地獄・天界・修羅界」について


 まず六道について。
 六道とは人が死んで生まれ変わる「天・修羅・地獄・餓鬼・畜生・人」の六つの世界を言います。車輪がぐるぐる回るように、人はこの六つの世界を生まれ変わっている(「輪廻転生」)というのです。『三教指帰』では餓鬼道・畜生道・修羅道について詳しく触れていません。なので、ここで六道全体を眺めておこうと思います。

 最初に誤解なきよう言っておきたいのは六道の中の「天」は「極楽」のことではありません。仏説の「極楽」とは六道の外に――と言うか、六道を超越した世界としてあります。
 極楽に迷いはないけれど、六道は全て「迷いの世界」であり、厭離穢土、欣求浄土の言葉が示すように、六道は汚れた世であるから、浄土を希求すべきだと言います。
 人間界を起点として極楽と六道の上下関係を図示すると、以下のようになります。

 《極楽》
  ↑[六道を脱して極楽・浄土へ]
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 《六道》[迷いの世界]
 1 天界
   ↑
 2 人間[人間界以下の五道を「欲界」と言う]
   ↓
 3 修羅
 4 畜生
 5 餓鬼
 6 地獄
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 人は死ぬと三途の川を渡って閻魔大王の裁きを受けます。生前犯した罪の軽重に応じて堕(お)ちる世界が《三悪趣》と言われる「畜生道・餓鬼道・地獄道」です。罪が軽ければ畜生道、中くらいなら餓鬼道、最も罪深い者が地獄行きの判決を下されます。

 まず修羅界について。
3 修羅……奈良興福寺の阿修羅像が有名です。阿修羅(アスラー)とは本来ヒンドゥー教において帝釈天と闘う悪神でした。それが仏教に採り入れられて仏法の守護者となりました。生前妄執によって苦しみ、争いの果てに悪業を負った者が死後阿修羅として生まれ変わります。
 阿修羅は常に闘う心を持ち、闘いに明け暮れ、心休まることがない。また、一度として勝つことがなく、ひたすら負け続けます。それでもなお闘う。闘い続け、負け続けて一生を終えます。

4 畜生道……生前愚痴や不平が多く感謝することの少ない者が、死後牛や馬など人に使役される動物として生まれ変わります。食べることと眠ることしか休息はなく、むちで打たれ、ひたすら働かされて一生を終えます。

5 餓鬼道……生前物惜しみをして嫉妬・羨望が強く、貪欲な行為をした者が死んで生まれ変わります。がりがりに痩せて腹がふくらんだ餓鬼は道の傍らにいて常に飢えと渇きに苦しみ、水や食べ物を求めてさまよう。だが、食べ物や飲物を手に取った瞬間それは火に変わる。それゆえ、決して満たされることがないまま一生を終えます。

6 地獄道……最も罪の重い者が地獄に堕ちます。地獄には焦熱地獄、極寒地獄、阿鼻地獄、叫喚地獄などがあり、無限とも思える長い間責め苦を受けねばなりません。それでも服役を終えると、再びこの世界に生まれ変わります。

 余談ながら先日某テレビ局の番組で興福寺の阿修羅像について語られていました。阿修羅像は正面から見ると悲しい顔をしているように見える。「それは闘いをやめた」姿だと解説していたので、あれっと思いました。私はその解釈間違っていると思います。
 阿修羅は一生闘いをやめることができない。あの顔は戦い続けることの悲しさを表現しているのだと思います。

 犯した罪悪によって人は畜生、餓鬼、地獄に生まれ変わります。仏説によると、人は生まれ変わった世界で反省したり、心を入れ替えることがありません。つまり、「私が悪かった。二度と悪いことはしないので助けてください」と言うことはないのです(言っても聞いてくれないようですし)。剣山刀樹の例(仏教解説32節参照)を見ればわかるでしょう。剣の山に登る罪人は自ら進んで登っています。痛い目にあうとわかっていても、欲に駆られて登り続け、降り続けるのです。

 生前闘うこと、争うことを生き甲斐のようにしてきた人間が「ならば死後は阿修羅に生まれ変わって一生闘い続けなさい」と判決が下され阿修羅に生まれ変わります。よって、阿修羅も反省することなくただひたすら戦い続けます。

 また、阿修羅像は細い腕と身体、とてもひ弱な肉体の持ち主として造形されています。筋肉隆々の金剛力士像と比較すれば、とても戦士とは思えない。つまり、「阿修羅よ。あなたは闘うような存在ではないのですよ」と言っているのです。

 人間同士が殺し合う現実の戦争において負けた方が大きく傷つくなら、勝った方だって(その瞬間は戦勝に湧いたとしても)後日辛い傷を負っていたことに気がつく。戦争を行っても真の意味で勝者は存在しない。なのに人よ、どうして戦い続けるのか、その愚かさと悲しみに気づいてほしい――そのような思いから阿修羅像は悲しい顔をしているのだと思います。

 最後に六道の最上部に位置する天界・天道について

 修羅道、三悪趣が罪深き人間が堕ちる世界なら、できれば生まれ変わりたい世界が天界です。
 天界は花々が咲き誇り、穏やかな気候で、まるで極楽かと思えます。そこに暮らす天人はみな長寿であり、人間の一年を一日として五百年から数千年も生きる(中国ドラマ「永遠の桃花」では何十万年も、老いることなく生きるとされている)。
 また、空を飛ぶなど神通力も持っている。天界は快楽に満ちており、生老病の苦しみがないというのです。うーん、天人に生まれ変わりたい(^.^)。

 では、どのような人間であれば天界に生まれ変わることができるのか。いろいろネット資料をあさってみましたが、いまだその答えを得ることができません。

 ただ、悪行を犯した人間は当然のように下に堕ちるでしょう。
 仏教で言う悪行とは現実の法律に違反しているかどうかではありません。端的に言って「殺生」(生き物を殺すこと)・「妄語」(うそをつくこと)は仏教において重大な犯罪です。

 ところが、我ら人間で蝿・蚊・ゴキブリなど小さな生き物を殺したことのない人はいない。牛肉・豚肉・鶏肉・魚を食べたことのない人もいないはずです。
「私は牛、豚、鶏を殺したことはありません」と言うかもしれません。しかし、誰かが殺してくれた動物の肉を買い求めて食べています。法律では金を渡して誰かを殺してくれと頼んだ者は実行犯以上の刑罰を受けます。

 屠殺場で毎日食用動物を殺す仕事をしている人がいます。「あなたは地獄に堕ちてください。私は肉を食べているだけで罪はありません」と閻魔様に言ったなら、閻魔は怒りの形相をもって断罪するでしょう。「お前こそ地獄に堕ちよ。だが、屠殺人は罪一等を減じて畜生道とする」と。
 また、生まれてこの方うそをついたことのない人も皆無だと思います。誰かと争ったことのない人もいないでしょう。

 よって、我ら人間は死ねば下に堕ちて修羅か畜生か餓鬼か地獄に生まれ変わること間違いありません。なのに、仏教では長寿・快適な天界を設定してそこに生まれ変わることがあるとしているのです。
 一体どういう人間だったら、天界に生まれ変わることができるのか。
 この答えは天界の住人を検討してみれば推測できます。

 そもそも天人や神々が住む世界を天界と呼んでいますが、彼らは基本的に仏教の守護神です。以前は仏教以外の神々であった。それが仏教に取り入れられて守護神となったのです。
 具体的には「梵天、帝釈天、四天王(持国天・増長天・広目天・多聞天=毘沙門天)、吉祥天、弁才天、鬼子母神、大黒天、竜王、夜叉、聖天、金剛力士、韋駄天、天龍八部衆、十二神将、二十八部衆」などです。
 これら天人は全て仏教・仏法を守る神々であり、七福神に代表されるように、人間に現世利益をもたらしてくれるありがたい神々です。阿修羅は当初天界に住んでいました。穏やかで争いのない天界にはふさわしくないとされたのか、修羅界に追放されたようです。

 ということは天人に生まれ変わりたいなら、仏教を信奉し守り広めることでしょう。そうすれば、その功績によって閻魔様から「天界に生まれ変わることを許す」と言われるのかもしれません。

 しかし、この天界、前述したように極楽世界ではない。あくまで六道の一つであり、迷いの世界であると言います。それはなぜか。
 まず何十万年生きると言っても、天人は不死ではない。やがて年老いて「天人五衰」という兆しが現れ、死を迎えます。初めは体が垢にまみれて悪臭を放つようになる。脇から大量の汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭上に咲いていた花がしぼんでしまうというのです。

 天人としての一生が苦もなく快楽に満ちていただけに、それがなくなるかと思えば、不安感と恐怖はいかばかりか。
 たとえて言うなら、貧乏人がわずかな全財産を泥棒に盗られてもあまり痛みは感じない。しかし、お金持ちが全財産を失ったら、ものすごい痛み、苦しみを感じるでしょう。
 そのように天人に死が近づいたときの苦痛は地獄の責め苦の十数倍にもなるとか。人は生老病死の四苦を持つ。天人に生老病の苦はないけれど、死だけは免れない。

 『永遠の桃花』ではこのことを「混沌に還(かえ)る」と呼んでいます。天人には生老病の《苦》がないので、小仙から上仙、小神から上神に昇格するときには雷に撃たれる苦痛が課されたり、四苦八苦を体験するため人間界に堕ちるとされています。

 閑話休題。
 かくして天人も死を迎え、三途の川を渡って閻魔大王の裁きを受ける。その罪業(などないように思えるのですが)に応じて人間界から地獄まで五道のいずれかに生まれ変わる。もしも生前の記憶を持っていたら、元天人は人間界を最悪の世界だと感じるでしょう。

 私は六道の中で天界と修羅界が最も不可解でした。天人は七福神に代表されるように人の御利益(ごりやく)のために活動している存在です。なのに、天界は極楽ではない、六道――すなわち迷える世界の一つと言うからです。
 最近ようやくこの不可解さを解く理屈を思いつきました。これ私が見いだしたものか、すでに誰かが言っていることかわかりません。取りあえず我が解釈を披瀝したいと思います(^_^)。

 注意したいのは天界の神々も阿修羅も「仏法の守護者」と見なされていることです。六道は当初五道(五界)であり、阿修羅は天界に入っていました。それが独立して修羅道となり、合わせて六道となったのです。
 彼らは仏教を守り、仏説を広めています。阿修羅など仏教のためにひたすら戦い続ける存在なのです。ところが、天界も修羅界も《人が生まれ変わる世界として良いこと》とはされていない。

 と言うことは仏教を守って闘うこと、仏教は御利益があると人々にすすめ、大いに広めること――それさえも迷いの世界であり、それだけでは極楽ではない、極楽には行けないと言っていることになります。一般的には「仏教を守って闘う者は極楽に行けるぞ」と信者に言うでしょう。

 某宗教の原理主義者は「我が宗教・宗派を守り、無知蒙昧の民に布教せよ。他宗・他宗派が攻撃して来れば闘え。敵をせん滅するまで闘え。死ねば天国に行けるぞ」と言って自爆テロを強要する。信者はその言葉を信じて爆弾を身に巻き付け、人混みの中で爆発させます。

 かつては仏教も武器を持って時の権力と闘い、他宗教・宗派間で殺し合ったことがあります。彼らにとってそれは仏教を広め、守るための闘いだったでしょう。
 だが、それは修羅道であり、迷いの世界であると言うのです。阿修羅は当初天界に住んでいたけれど、独立して修羅道となった。
 これは何を意味するか。それは仏教のために武器を持って闘うこと、慈悲の心と真逆の敵を殺したり、争うことは仏教の求める姿ではないと言っているのではないか。むしろそうなりがちな仏教信者に対して諫める言葉、戒める言葉ではないかと思います。

 要するに、仏教弘布に尽くす者も、仏教のために武器を持って闘う者も、閻魔大王の裁きを受けて地獄に堕ちることがある――そう説いているのなら、仏教とはなんと奥深い宗教なんだろうと思います。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本文中地獄や六道の解説に際して引用媒体を書いていませんが、ネット事典――特にウィキペディアを参照したことを報告いたします。

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『空海マオの青春』論文編後半 第34号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ 1

 1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介

 前号「後記」末尾は以下のように書かれていました。
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 空海論後半本編はこの考え方と言うか感じ方をさらに深掘りすることになります。
 空海はどうやって全肯定の境地に達したのか。それは空海一人しか到達できなかったのか。我ら凡人には不可能なことなのか。ご期待ください。
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 これを読めば、プレ後半として『空海論』前半の復習が終わったことだし、いよいよ次号より『空海論』後半の開始か……と思わせます。

 もちろん私もそのつもりでした。今節はあることについてちょっと触れ、「では早い夏休みの開始」として次週より休刊(^_^;)、後半開始は9月以降にしようと。なので上記のように書きました。

 それが(いつもの悪い癖(^_^;)気が変わって今節はさらりと流す予定だった「あること」についてじっくり書き込み、次いで2回に渡って『空海論』前半の中から「プレ後半」でカットした部分を再掲載することにしました。

 それは「仏教回帰」と題して書いた『三教指帰』仏教編全8節中の3節(31~33)です。人間が死後生まれ変わる六つの世界――天界、人間界、修羅、餓鬼、畜生、地獄という「六道(りくどう)」について解説しています。

 なぜこのような変更(変節?)に至ったのか、今回はその理由を含めてある中国ドラマを紹介します。

 なお、当初は「仏教回帰」3節をそのまま再掲載するつもりでした。が、さすがに長過ぎるので、その中の「六道」に関係するところだけ抜粋したいと思います(抜粋でも充分長いのですが(^_^;)。

 3節の元版とリンク先を掲載しておくので、時間と心に余裕のある方はお読みください。
 (32、33節は末尾の「→次節」をクリックしてください)
 第31 「仏教回帰」その1 ~その3


 『空海論』プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ

1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介    6月11日
2 六道「地獄・天界・修羅界」について 6月18日
3 六道「人間・人間界」について    6月25日
   ……夏休み(^_^)

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 本号の難読漢字
・『三教指帰』(さんごうしいき)
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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第34号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ

 1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介


 余談ながら日本のテレビドラマは『相棒』を除いてほぼ見ません。
 以前は夜9時の初出から見ていましたが、ある時期から夕方再放送に限定。
 残念ながら近年「面白さは維持しているけれど、文学性において深みがなくなった」と感じています。昔の作品にはそれが見られるので、特に気に入った作品は何度見ても感動しています。
 私が好きなのは太田愛さん脚本の作品です。かといってDVDを買うほどのオタクではありません。

 [この冒頭を読んで「余談と言いつつ、もしかしたら今後の伏線か?」とつぶやいた方、さすがの一読法実践者と申し上げます。前号前置きに書きましたね。「私の無駄話(と思える記述)はちゃーんと計算されており、1 ときには今後の伏線として」書いていると(^_^)。]

 代わってはまり出したのが中国ドラマです。特に史実に基づく歴史ドラマやファンタジー系のドラマなど。平日のお昼と夕方、7チャンで放映されているのでよく見ています。
 たとえば、魏・呉・蜀、玄徳、曹操、孔明の歴史ドラマ『三国志』。また、秦の始皇帝や明の女帝など、面白いと感じた作品は五指を超えます。

 で、今節触れるつもりだった「あること」というのは中国ドラマ『永遠の桃花』(原題『十里桃林』)の紹介です。九州北部で3月ころから放映され(全58話)、先日終了しました。

 ジャンル的には歴史的ファンタジー的恋愛物語と言えます。
 ファンタジーながら仏教六道のうち神仙が暮らす「天界」におけるお話なので、仏教と少々関係あります。
 とにかく面白い、中身が濃く深い。戦闘シーンは本格的。人生論も交わされる。これは他の中国ドラマでも言える傾向です。

 定番のワイヤーアクション(は若干辟易だけれど)天人・仙人のお話だから、超能力が使われても納得できます(^.^)。
 神仙たちは人間界の1年を1日として何十万年も生きる。ただ、死なないわけではない。天界は部族に分かれて身分差がある。仙人は小仙から上仙、神は小神から上神に昇格する。その際雷に撃たれたり、「人間界」に落とされて愛の試練を受ける……。

 全58話って週1回の放映で1年半はかかるはず。日本のドラマでは最長でも某大河の1年間。中国では60話近いドラマがたくさんあります。だからこそ深く緻密なドラマが描けるのでしょう。

 ネタバレはしたくないので抽象的まとめになりますが、(長いからこそ可能な)メインストーリーに対してサブストーリーが充実している。言わば脇役の逸話がじっくり描かれています。
 最初は「どうしてこんなに脇役のエピソードが丁寧に描かれるのだろう」と異和感を覚えたけれど、それがメインストーリーの「伏線」だとわかったときは「そうかっ!」と叫んだものです。

 さらに最後(これまたドラマの定番)どんでん返しが起こると、この伏線が最初の方から途中――すなわちそれまでの作品全体が壮大な伏線だったと気づく。もう舌を巻くほどの原作、脚本のうまさを痛感します。

 また、『永遠の桃花』には愛と恋、人生における苦難とか試練について深~い考察が散見され、我が小説・評論と重なること多し。

 私は『続狂短歌ジンセー論』第8号「三角関係の愛」において以下の狂短歌を詠みました。

 〇 愛情は一対一なら10全て 三人ならば半分に減る

 おヒマなら再読してください。注目してほしいのは「恋愛における三角関係」だけでなく、「夫婦に初めて子どもが産まれたときの三角関係」について考察した部分です。この根底にはとてもやっかいな感情――嫉妬があります。

 これはその後第4章「愛の獲得競争」(9~14節)でさらに深く考察されます。
 子どもが陥る親子、兄弟姉妹の三角関係、そして第30号において「子どもとは自分が最も愛されたいと思う生き物である」と喝破(?)しました(^_^;)。

 しかし、我々は誰でも必ず(と言っていいほど)「愛されなかった記憶」を持っている。特に子ども時代の愛されなかった記憶を引きずると、大人になって人生、恋愛を素直に受けとめることができない……などに触れました。

 そして、最終71号にて詠んだ歌が以下。

 〇 愛されたい? 愛されなくて構わない 愛されてると信じて生きる

 実はこれらのことは「空海論後半」につながるテーマでした。
 上記二つの狂短歌を逆転して言うと、次の2点にまとめられます。

 1 私たちは「愛するだけでは満足できない、見返りを求める」生き物である。
 2 私たちは「愛されていることが信じられない」生き物である――と。

 たとえば、親が子どもに対して「こんなに愛しているのに」ともらす。男女が相手に対して「私ほどあなたを愛する人はいない」と絶叫する……けれど、子どもは、恋の相手はあまり感じてくれない。なんて冷たいんだ。失望、落胆で落ち込む……(-_-)。

 かと言って「感じない」以上、「自分だってあなたを愛する」とは言えない。相手の言うがままに生きることはもっとできない(ではないか)。

 もう少し具体的に言うと、恋愛感情を抱いたら相手に告白する。そのとき期待しているのは相手の女性・男性が「私もあなたを愛している」と言ってくれること。
 それこそ恋の成就。「やったー!(^O^)」と叫びたくなる。人生は生きるに値すると思う。

 ところが「ごめん。他に好きな人がいる。お友達として付き合って」と言われたら……(-_-)「それでいい」と思う男(女)はほぼいないでしょう。

 つまり、私たちは愛するだけでは満足できない。見返りを求め、相手から愛が返って来ることを(ひそかに?)期待している。
 かくして「あなたの愛はありがたい。嬉しい。けど、私はその気になれない」と言われると傷つく。深く傷つく。人生は生きるに値しないと思う。

 それを予想して――傷つくことを恐れ、片思いとして自分の心の中に閉じ込めたりする。
 ところが、ずっと後に片思いの相手と再会したとき「あの頃あなたが好きだった」と打ち明けると、「えっ、自分もそうだったのに」と言われ、「ああ傷つくことを恐れず、告白すれば良かった(-_-)」と後悔する……。

 あるいは、一旦打ち明けて相手から愛が返ってこないとわかっても、あきらめきれず様々な行動を取る。策を弄したりストカー的なことも。要するに「愛するだけでいい」とは決してならない。

 このようなテーマが『永遠の桃花』で描かれています。
 特に見応えがあるのは相手の愛を疑うような関係に陥ったとき、(こちらは)どうやって愛しているとわかってもらうか。(相手は)何が起こると「自分は愛されている」と感じられるか。
 この答えはとても難しく、何かが終わってやっと気づくこともある。そのときすでに相手はいない……こともある(具体的に書きたいのですが、ネタバレになるので我慢します(^.^)。

 当然「見てほしい」と続きます。が、これまでいろいろな中国ドラマに感動しても、それを紹介することは控えてきました。
 と言うのはテレビで始まった時は「その面白さと中身の濃さ深さ」に気づくのは半分が過ぎたころであり、「もう一度見たい(人に勧めたい)」と思っても、ときすでに遅し。
 全話のDVDなどが販売されているものの、かなり高価。私はもちろん買わないし買えない。結果メルマガで紹介することもない……。[冒頭余談の伏線はここで回収(^.^)。]

 ところが、どういう経緯なのか不明ながら『永遠の桃花』は無料サイトが見つかりました。
 いかがわしい海賊版ではありません。某ネット大手が無料提供している「Rチャンネル」というサイトです。

 私はテレビで半分ほど見たとき、このサイトの存在に気づき、以後テレビと並行して毎日1話から2話見続けました。そして、テレビ放映分に来てからはテレビだけ見続け、終わって再度パソコン視聴を再開しました(^_^)。
 以下そのサイトのURLです。 → 『永遠の桃花~三生三世~』

 なお、もしも視聴するようでしたら、一読法の読み方で見ることを勧めます。
 それは途中で「あれっ」とか「おやっ」とつぶやき、「この後どうなるんだろう」と展開を予想しつつ見ることです。私は予想が外れるとよく「そう来たか。面白い」とつぶやきます。

 もう一つ。中国ドラマの一般的傾向として登場人物の多さがあげられます。最初のころは(名前が明記されるものの)関係などよくわからない。よって、お勧めは5話から10話くらい見た後もう一度最初から見直すことです。一読法でいう「部分の二度読み」にあたります。
 私は今回これを実践して「こりゃあ面白い作品だ」とより実感できました。

=============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:突然ながら一読法の復習(^.^)。
 本節の冒頭「プレ『後半』(六)」の後に書かれていた表題、覚えていますか。
「ええっ、そう言われても…」と答えられない人がほとんどかも。

 おやおや。一読法で読んでいない。立ち止まっていない、疑問や感想をつぶやいていない。
 表題とは全体のまとめだから「そこで立ち止まっていろいろつぶやく必要がある」とさんざん書いてきたのに。(失礼ながら)読んでもいない。ただぼーっと見ている、素通りしている。
 それじゃあ突然携帯・スマホに警察から電話がかかってきたら、「はい、はい」と何の疑いも持たず話し続けて不思議なし――って言い過ぎ?(^.^)

 再度書きます。特殊詐欺今年4月までの被害額は392億(!)、うち警察官をかたる被害247億(!!)。
 今後は「警察と名乗る電話は詐欺ですよ」を標語にして毎日となえましょう。

 立ち止まって「おや?」とか「へんだぞ」とつぶやく習慣をぜひ身につけてください。

 閑話休題。先ほどの答えは以下。
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 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ
-------------------------------
 この表題を見たとき、すぐにつぶやくべきは「妙な言葉だなあ」とか「難しいなあ」。「否定観の仏教ってなんだあ?」とか「その奥深さってどーいうことだ?」など(立ち止まってつぶやいていれば先ほどの質問に答えられます)。
 もうちょっと考えて「空海は全肯定が最終境地と書いていた。否定観ってその反対のことか」の感想が出るようなら、いいつぶやきだと称賛します。

 そして本節を読み終え、これらの疑問・つぶやきに関して「何にも答えていない」と気づく(作者から言うと「気づいてほしい」)。
 そこで以下の言葉につながります。
-------------------------------
 長くなったので、空海論前半「仏教回帰」3節を再掲載するわけは次号に回します。
-------------------------------

 つまり、次号より「否定観の仏教、その奥深さ」が語られるということです。
 中国ドラマ『永遠の桃花』を見て「後半開始前もう一つこの件について触れておこう」と思ったわけです。

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2025.06.16

宝塚記念、結果とほぞ噛み

 宝塚記念結果は、[奇数G→◎A→ウラ●]なのに馬連的中だけ……(T_T)

 1着―武 豊 12メイショウタバル………[・] 単勝=11.4
 2着―横山和 01ベラジオオペラ…………[◎]
 3着―ディー 07ジャスティンパレス……[●]
 4着―幸 英 16ショウナンラプンタ……[?]
 5着―レーン 05チャックネイト…………[?]

 一覧順位[QE→B→F→QA] 馬群[4→1→2→3]
 前日馬順[G→A→10→11] 枠順[C→A→G→B**]

 枠連=6-1=8.8 馬連=12-01=23.7 馬単=53.8
 3連複=12-01-07=232.0 3連単=1275.5
 ワイド12=9.6 W13=65.2 W23=20.8

--------------
【宝塚記念、過去10年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2025年 QE→B→F→QA G→A→10→11 4→1→2→3(17頭)乖1逆3着
2024年 E→G→D→QB C→H→D→F 2→2→1→3(13頭)乖1・4着
2023年 A→H→B→C A→09→B→C 1→2→1→1(17頭)
2022年 E→F→B→QC A→F→D→C 2→2→1→3(18頭)乖1着
2021年 A→H→B→C A→G→B→C 1→2→1→1(13頭)
2020年 C→D→QG→B C→G→13→A 1→1→4→1(18頭)逆2着
2019年 C→B→E→D D→A→F→C 1→1→2→1(12頭)
2018年 QE→QA→QD→QB G→F→12→D 4→3→3→3(16頭)乖1・2着
2017年 E→F→B→D E→F→C→D 2→2→1→1(11頭)
2016年 F→A→D→E G→A→B→D 2→1→1→2(17頭)

 [結 果]

 予想で「いつもの馬順A・Bの結果はAが[320]で馬連軸5回、Bが[003]でかな
り悪い」と書いたが、今年もAが2着でBが消えた。なおかつ馬順CDEも消えて
Gが1着。

「また、馬順09位以下の着内は過去3頭のみ。13頭以下ではない。今年は17頭なので、安田記念同様フタケタ馬順から1頭激走があるかもしれない」と書いたが、345着の馬順は[10・11・13位]だから驚く。
 その10位をウラ●にしただけに「せめて3複獲れたなあ」のほぞであった。

 以下一覧データの結果です。

****************************
 【宝塚記念 実近一覧表】 京都 芝22 13頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|3指単複|乖|印着
[1]
A=15|ロード デルレイ5| 3.5{AC}[9]C|C|DEGD| |△ 8
B=01|ベラジオ オペラ5| 4.6{BB}[1]E|A|AACC| |◎2
C=09|ヨーホー レイク7| 7.1{CH}[10]A|D|EDEB| |△ 17
D=13|アーバン シック4| 8.2{FA}[14] |F|FGHH| |・ 14
[2]
E=02|ドゥレッツア  5| 8.3{DG}[5] |B|BCDF|乖|◎ 9
F=07|ジャスティンパレ6| 9.9{EF}[11] |10|11101113| |●3
G=03|ローシャムパーク6|15.4{G09}[12] |09|H090909| |
H=17|レガ レイラ 牝4|18.2{10D}[17] |E|CBBE|乖|・ 11
[3]
QA=16|ショウナンラプン4|18.5{11E}[15] |11|    | |?4
QB=11|ソールオリエンス5|19.3{0912}[16]B|H|09HAA|乖|・ 6
QC=06|ボルドグフーシュ6|20.8{H16}[13]D|12|    | |
QD=14|ジューン テイク4|22.6{1211}[6] |17|    | |
[4]
QE=12|メイショウタバル4|27.4{1510}[2] |G|GFFG|乖|・1
QF=05|チャック ネイト7|29.1{1413}[7] |13|    | |?5
QG=08|シュヴァリエロー7|29.2{1314}[8] |16|    | |
QH=10|リビアン グラス5|36.1{1615}[3] |14|    | |
QI=04|プラ ダリ ア 6|43.8{1717}[4] |15|    | |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位

----------------------------
 ○ 展開予想…ぎんぎんの逃げ馬不在。指数Aは2.6、Bは2.7。

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番01 12 10 04 -02 14 05 08 -15 09 07 03 -06 13 16 11 17
覧〇 5 ◎ ▲ 6 △
3FE C   A D B
馬A G B C D 10 09 12 F 11 H E
予◎ ・ ◎ ? △ △ ● ・ ? ・ ・
結2 1 5 3 4
--------------
 [枠連順位]結果

 枠連=AB/C/DEF/GH 
 枠順=18 6 572 43 枠順[C→A→G→B**]
 馬順=AC G DF09 1012 馬順[G→A→10→11]
 代行=BE H 141715 1613
 代2= 11
 ―――――――――――――
 結果=24 1 3

 [オッズ分析]
 枠連型=3巴  [AB型] 枠順AB= 4.2
 馬連型=A流れE[A型]  馬連AB=13.4

・かなり特異なオッズ状態である。枠A1枠に馬順A[01]・B[02]が同居。
 このパターンは普通枠連A流れとなるが、枠連ABCの3巴である。ま
た、馬順C[15]・E[17]が同居したB8枠もかなり強いと見なされている。
 さらに、C6枠も馬順G[12]・H[11]同居なのに、この枠も強いと思わ
れているようだ。結果D5枠、E7枠が下降している。

・この異常ぶりは馬順と単複順位の異変としても現れている。馬順H[11
ソールオリエンス]の単複はAAである。また、馬連はA01ベラジオオペ
ラがEまで流れるA型だが、5種オッズは[AAACC]で特に単複が悪い。
 よって、オッズ分析の結論としては何がどう来るかさっぱりわからず
「ケン」(^_^;)。

・とは言え、もしも買うなら枠連から買うか馬順からか。
 枠連なら3巴だから、本命は枠ABC[186]内。もちろん代行注意。
 荒れるなら3巴の買い目、[CBA軸にDE蹴ってFGH、ウラDE]。

 馬連重視ならA流れゆえ[A軸→(BCD蹴って)薄目EFGH]。そして、
Aが消えたときのEFGH。
 ただ、安田記念のとき同様09位以下9頭で下位から激走があるかもしれ
ない。

 御影流AI予想は馬順ABが同居したときは別ルールにすると決めてい
る。というのはAB同居枠はオトリのことが多いからだ。が、今回はいつ
も通りとしたい。

 [御影流AI予想]
◎A=01ベラジオオペラ B=02ドゥレッツア
印順=騎 手番馬      名  着
◎1=横山和01ベラジオオペラ   2
・5=戸崎圭17レガレイラ    
・7=武 豊12メイショウタバル  1
△3=川 田15ロードデルレイ

◎2=槙山武02ドゥレッツア
・6=ルメル13アーバンシック
・8=松山弘11ソールオリエンス
△4=岩田望09ヨーホーレイク

●10=ディー07ジャスティンパレス 3
?11=幸 英16ショウナンラプンタ 4
?13=レーン05チャックネイト   5

 [御影のウラ●]

 難解です。ただ実近一覧を見ると、馬順AからHは第1群[CADF]、
第2群が[BE]の乖離、第3、4群も乖離の[HG]。つまり、09位以下の激走
がなければ、このA~H8頭から123着馬が出てもおかしくない。
 よって、御影流AI予想はいつも通りとしました。
 ただ、ウラ●はやはり馬順09位以下から選びたい。

 その前にGIだから格の件について書いておく。
 GIVは全6頭(馬名末尾は馬順)。
 2勝馬が以下2頭
 01牡5ベラジオオペラ A―大阪杯24、25年連覇 
 17牝4レガレイラ   E―2歳ホープフルS・有馬記念
 他は1勝
 02牡5ドゥレッツア  B―23年菊花賞 
 11牡5ソールオリエンスH―23年皐月賞
 13牡4アーバンシック F―24年菊花賞
 07牡6ジャスティンパレ10―23年春天

 そして、GIVのないG2Vは全8頭。
 03・04・05・08・09・12・14・15
 うち2勝以上は以下3頭。
3勝高 杉牡604ブラダリア   ―15 
2勝北村友牡708シュヴァリエロー―16
2勝岩田望牡709ヨーホーレイク ―D

 これらを見比べて今回穴の激走はGIVのある人気薄、しかも456歳から
選びたいと思う。そこでウラ●抜擢がМディー牡607ジャスティンパレス。

 同馬は20戦[522.11]。5勝と2着2回は23年春天V~秋天2着までで以
後8戦最高4着。つまり。もはや過去の人(馬)の気配。
 ただ、この8戦とその前春天Vまでの11戦全てGI出走。前にいたのが
イクイノックス、ドウデュース、ベラジオオペラ、レガレイラ…。

 特筆すべきはG2の2勝。3歳神戸新聞杯V→菊花3着、翌年阪神大賞
典V→春天V。さらに阪神コース5戦[2021]、タイムでは芝20TX(94)があ
る。
 そして、23年春天Vの次走宝塚記念では2番人気3着(良)。
 だが、1年後の昨年宝塚記念は(前走ドバイシーマ4着→)2番人気で10
着惨敗(重)。ほげ。
 今年も重必至。昨年の惨敗を見ると、強気にはなれません(^_^;)。

 も一つ強気になれない理由は鞍上Мディーの初乗り。
 安田記念でウラ●打ってがっかりの走りでした。「やめようか」と思っ
たけれど、もしも来たら「来るんかいぃ」とほぞ噛まなきゃならないので、
変えません(^.^)。

 ちなみにジャスティンパレスはディープインパクト産駒。今回他に2頭
(04・08)出ています。
 もしかしたらこれが「GIで勝てる最後のチャンスかも」と思って単勝
も。相手筆頭は阪神コース4戦4勝の01ベラジオオペラでしょうか。

*****************************
 ※ 回  顧


 いつも書いているように、人生とギャンブルに「ればたら」はございません。
 がしかし……私ゃ未練たらたらの、ればたら言いたい(^_^;)。

 ウラ●Мディー07ジャスティンパレスが同タイムクビ差3着でなく、あと数十センチ前に出る2着だったら……
 馬連・馬単・3複の的中! 久々の万シューホームラン!
 ――だったのです。く~~っ(>_<)。涙、涙、また涙(T_T)。

 すなわち、ウラ●から馬順A~H8頭全てに馬連・馬単(裏表)流していました。
 A~H内で絞りたかったけれど「抜け」が怖かったのです。

 さらに(誰かさんに失礼ながら)、あの人が余計なことして逃げ残らず、ここんとこよくある、頭で買えば2着、馬連買えば3着、3複買えば4着のように(^.^)3着惜敗なら……、
 なおかつ、ジャスティンの騎手Мディーさんが向こう正面でもうちょっと前に位置してくれたら……(同馬は4角14番手から上がり最速35.1)、
 たぶんジャスティンパレス1着、2着01ベラジオオペラ、3着メイショウタバル。
 もちろん3単大的中。
 調べたら払い戻し26万。夏のボーナスゲット!!

 07ジャスティンパレスの展開予想は真ん中へん。ところが、鞍上は1角2角向こう正面とほぼ最後方。私「終わったよ…」
 そして、4角も後方15番手くらい。2度目の「終わったよ……」
 ただ、大外には出した。

 そして、残り200――。
 逃げた武豊12メイショウタバルの勝ちはほぼ確定(やっぱり逃げる豊さんは怖い)、2着も番手01ベラジオオペラが粘りそう。
 馬連A-Gの奇数馬券だから馬連はゲット。
 が的中はそれのみ。雀の涙とは言わないけれどトリガミ必至。

 ところが、そこから大外をジャスティンパレスがぐいぐい伸びる。
 意外と力強い。だが、差はまだ数馬身。
 もう1着は無理。だが、2着なら、3複万シュー的中がある。
「ジャスティン、ジャスティン! ジャスティン!!」は私の叫び(^_^;)。

 このとき私の脳内では痛恨のほぞがすでに渦巻いていました。
 ああ、なぜウラ●から展開図ABに3複流さなかったのかと。

 阪神芝22は前が残りやすい。折しも馬場は重。展開図A01ベラジオオペラ、B12メイショウタバル。
 ウラ●から逃げABの3複1枚で2万。3単ボックス6枚でも12万馬券。
 ああ……思い出すだにまた涙(T_T)。

 それはさておき、直線残り50。
 01ベラジオが必死に粘る。外をジャスティンが追う。
 私の声援は最高潮に達し、2頭並んでゴール!

 と見えたけれど、もう何十年となくテレビのゴールシーンを見ている私。
 内のベラジオ2着とわかりました。
 いとこの家に「くあ~~っ」と響き渡る我が無念の声また声……がこだまする。

 ここも「ればたら」ですが、昨年までの印のつけ方だったら、馬順A01ベラジオオペラ◎、〇はB02ドゥレッツアではなく一覧トップの馬順C15ロードデルレイにつけたと思います。そして、馬順残りHまでに[・]印をつけ、ウラ●として馬順10位の07ジャスティンパレス。
 このやり方だとウラ馬券として3複3単[●→◎→残り7頭]を買うので3複的中。

 ところが、今年は馬順AもBも◎にしています。そうなると、ウラ●から買う3複3単は[●→A=B→残り6頭]となってほぼ2倍買わなければなりません。
 すでにウラ●から馬連・馬単などかなり買っています。ビンボー人にはぎりぎりの購入なのです。

 どうして相手を絞れなかったのか。
 それは枠順ABCに代行含めて6頭も入ったからです。
 以下枠連順位再掲。
-------------------------------
 [枠連順位]結果
 枠連=AB/C/DEF/GH 
 枠順=18 6 572 43 枠順[C→A→G→B**]
 馬順=AC G DF09 1012 馬順[G→A→10→11]
 代行=BE H 141715 1613
 代2= 11
 ―――――――――――――
 結果=24 1 3

 [オッズ分析]
 枠連型=3巴  [AB型] 枠順AB= 4.2
 馬連型=A流れE[A型]  馬連AB=13.4
-------------------------------

 結局、補強かオトリかで言うと、枠順ABCは全て補強だったと言えるでしょう。
 その予感はあったので、ウラ●[G4枠馬順10位]から6頭に流さざるを得ない。
 そうなると、枠順ABCがオトリだった時の枠Dの馬順D、枠Eの馬順Fにも流す。
 かくしてウラ●から馬順A~H8頭に流す馬券を構築したわけです。

 まーだから、3複3単の外れは(逃げABに流すだけで良かったのに、しなかったことを含めて)自業自得ではあります。

 閑話休題。
 勝ったのは武豊4歳12メイショウタバル。父ゴールドシップ。
 まずはさすがの豊さん。入りの3F34.8は結構早い。1000メートル通過59.1。
 公称平均ペースですが、見た感じ「ややハイペース」と思いました。
 が、向こう正面で明らかにペースダウンして後ろが縮まる。なのに誰も先頭豊を抜こうとしない。

 一緒に見ていたいとこは「豊はつぶれるだろう」と言いました。
 が、私は「最近追い込んで届かない豊さんだけど、逃がすと怖いんですよ」と応じました。この予感的中。

 同馬は成績10戦[4006]。一つ勝つのに3戦を要してイマイチ。重賞は阪神G3毎日杯1着とG2神戸新聞杯1着があるものの、GIは皐月17着、ダービー取消、菊花16着とさんざん。ただ人気は皐月4、菊花5番人気と悪くはなかった。
 そして、今年1月G2日経新春杯11着(2人)→前走GIドバイターフ5着を経ての宝塚挑戦でした。

 今回の勝ちタイムは稍重2111。昨年G2神戸新聞杯(中京芝22)を逃げて勝ったときも稍重で2118。今回は馬の能力というより、武豊の絶妙テクニックと言うべきでしょう。

 実は07ジャスティンパレスをウラ●にした予想で末尾に「相手筆頭は阪神コース4戦4勝の01ベラジオオペラでしょうか」と書きました。

 その「阪神コース」データを見ているとき、琴線にかかったのは4頭でした。
 阪神を2回以上走ってV率100の馬が2頭。3位がV率67。この3頭当然連率も同じ。
 そして、複率トップ80の馬が1頭。
 それが以下。
 [阪神コース上位4頭]    馬順結果
 A01ベラジオオペラ  [4000]A 2着
 B12メイショウタバル [2000]G 1着
 C16ショウナンラプンタ[2001]11 4着
 D07ジャスティンパレス[2021]10 3着

 ちなみに、ここに芝22で3勝以上をあげてトップAとも言うべき馬。
 それは芝22[3121]の05チャックネイト(馬順13)です。これが5着。

 おお、なんと5連複5頭絞り的中……って結果論です(^_^;)。
 でも、単純データは見逃さないようにしましょう。

 以上です。

================
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:これをもって2024年前期GIメルマガは終了。秋までしばしのお別れです。
 ちょっと忸怩[じくじ]たる思いがあるのは直前予想を短くしたため、格のこととか展開面の予想など、いろいろ省いたこと。

 印のつけ方もAB型など「AB軸のCD蹴ってEFGH」に関してAB◎はいいとしてCDを[△]印、E~Hを[・]にしています。どうもこれ逆の方がいいかも、と途中から感じていました。後期開始までに考えたいと思います。

 さて、昨年宝塚記念後記に以下のように書いています。
-------------------------------
 今年もウクライナやガザの戦争など世界は悲惨な戦争を終わらせること
ができません。~略~むしろ戦争拡大の気配さえ漂わせています。いつか通ったいばらの道をまた歩ませるのでしょうか。
-------------------------------
 今年この状況は変わらず、むしろイスラエル対イランがほぼ交戦状態に。
 また、アメリカ国内の大統領独裁化、国民の分断、学問、言論・報道の自由など制限する動きが噴出しています。やれやれ。

 世界を覆っているのは「オレが正しくお前が間違っている」の全否定ばかり。
 この発想からは争いと(武器を使えば)戦争に進むばかり。
 今こそ空海が説いた「全肯定」が必要だと思うのですが……。

 最後の「さて」、今年も猛暑の夏、豪雨洪水台風の夏がやってきます。
 皆様方と私も生き延びて秋競馬を迎えられるよう祈念いたします。

 もう一つのメルマガ配信もあと2号で夏休みです(^_^)。御影祐

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2025.06.14

宝塚記念、直前予想

 昨年まで宝塚記念は安田記念後中2週でしたが、今年は翌週となりました。
 結果東京・阪神開催は3週のみ。月末には3場全てローカル夏競馬に突入します。
 これで前期GI終了とはちとさみしい気も。我が予想変更の「ほぞ噛み」も大きな的中はなく、忸怩[じくじ]たる心境です。

 しかし、前期オーラス宝塚記念で的中とプラス決算、あわよくば夏のポーナスゲット(^_^)目指して検討に精出したいと思います。

 今年はフルゲート-1の17頭出走。
 まず年齢構成。牡16頭、牝馬1頭
 4歳=5 5=5 6=4 7=3 (牝4歳戸崎圭17レガレイラ)

 次いで前走レース別の頭数。
 例年より2週早いことで影響はあるかないか。
 どうもそれより土曜の降雨でおそらく重馬場。重の得意不得意、逃げ先行有利、追い込み不利となるかもしれません。
 (馬名は有力馬)
 GI天皇賞春 4 3着16ショウナンラプンタ 6着07ジャスティンパレス
 GI大阪 杯 5 1着01ベラジオオペラ・2着15ロードデルレイ
 G2日経 賞 3 2着05チャックネイト・3着13アーバンシック
 GI有馬記念 1 1着17レガレイラ
 海外GI   3 02ドゥレッツア・03ローシャムパーク
 G3エプソンC1 15着14ジューンテイク

 この中で実近トップABが15ロードデルレイと01ベラジオオペラ。
 大阪杯1、2着馬です。馬順もABでしょう――と週中書いたのですが、土曜前日馬順CA。

 次いでCD候補がG2日経賞3着のルメール13アーバンシックと大外戸崎圭17レガレイラ――これも前日13アーバンシックは馬順F、17レガレイラは馬順E。
 また、オッズ分析でも書いたように、枠連・馬順、単複などかなり乱れがあります。

 私はよく3複1番人気と3単1番人気から「本命か本穴・中穴か荒れるか」を予想していますが、今回前日昼頃の3複1番人気[01-15-02]は28倍。3単1番人気は[17→01→02]87倍。そもそも一致していない。
 普通大阪杯1着の01ベラジオオペラが本命となっていいのに、そう思われていない。また、昨年有馬記念1着以来の17レガレイラをどう評価するか、みなさん千々に迷っているようです。


 まずは過去9年の実近一覧結果から。
 宝塚記念は13頭以下になることも多いので頭数を記しています。
 過去17、19、21に続いて昨年も13頭でした。

【宝塚記念、過去9年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2025年 →→→ →→→ →→→
2024年 E→G→D→QB C→H→D→F 2→2→1→3(13頭)乖1・4着
2023年 A→H→B→C A→09→B→C 1→2→1→1(17頭)
2022年 E→F→B→QC A→F→D→C 2→2→1→3(18頭)乖1着
2021年 A→H→B→C A→G→B→C 1→2→1→1(13頭)
2020年 C→D→QG→B C→G→13→A 1→1→4→1(18頭)逆2着
2019年 C→B→E→D D→A→F→C 1→1→2→1(12頭)
2018年 QE→QA→QD→QB G→F→12→D 4→3→3→3(16頭)乖1・2着
2017年 E→F→B→D E→F→C→D 2→2→1→1(11頭)
2016年 F→A→D→E G→A→B→D 2→1→1→2(17頭)

 13頭以下4回分の結果も取り出しておきます。
    一 覧     馬 順     [1234]群
2024年 E→G→D→QB C→H→D→F 2→2→1→3(13頭)乖1・4着
2021年 A→H→B→C A→G→B→C 1→2→1→1(13頭)
2019年 C→B→E→D D→A→F→C 1→1→2→1(12頭)
2017年 E→F→B→D E→F→C→D 2→2→1→1(11頭)

 いつもの馬順A・Bの結果はAが[320]で馬連軸5回、Bが[003]でかなり悪い。
 その分C[201]、D[102]ながら4着にCは4回、Dは3回。
 つまり、馬順ABが消えるときは(17・18・20・24年のように)CDがお勧め。
 18年の[G→F→12→D]はあきらめるべきでしょう(1、2着は乖離馬だけれど)。
 基本馬順A・C・Dに軸ありと言えそう。ただ過去の傾向を裏切る馬順Bの激走に注意。
 馬群ではやはり第1、第2群の8頭。3群4群は乖離馬だけに絞って他はあきらめるか(^_^;)。

 また、馬順09位以下の着内は過去3頭のみ。13頭以下ではない。
 今年は17頭なので、安田記念同様フタケタ馬順から1頭激走があるかもしれない。

 以下一覧データです。

******************************************************************
 【宝塚記念 実近一覧表】 京都 芝22 13頭 定量58キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|3指単複|乖|印着
[1]
A=15|ロード デルレイ5| 3.5{AC}[9]C|C|DEGD| |△
B=01|ベラジオ オペラ5| 4.6{BB}[1]E|A|AACC| |◎
C=09|ヨーホー レイク7| 7.1{CH}[10]A|D|EDEB| |△
D=13|アーバン シック4| 8.2{FA}[14] |F|FGHH| |・
[2]
E=02|ドゥレッツア  5| 8.3{DG}[5] |B|BCDF|乖|◎
F=07|ジャスティンパレ6| 9.9{EF}[11] |10|11101113| |●
G=03|ローシャムパーク6|15.4{G09}[12] |09|H090909| |
H=17|レガ レイラ 牝4|18.2{10D}[17] |E|CBBE|乖|・
[3]
QA=16|ショウナンラプン4|18.5{11E}[15] |11|    | |
QB=11|ソールオリエンス5|19.3{0912}[16]B|H|09HAA|乖|・
QC=06|ボルドグフーシュ6|20.8{H16}[13]D|12|    | |
QD=14|ジューン テイク4|22.6{1211}[6] |17|    | |
[4]
QE=12|メイショウタバル4|27.4{1510}[2] |G|GFFG|乖|・
QF=05|チャック ネイト7|29.1{1413}[7] |13|    | |
QG=08|シュヴァリエロー7|29.2{1314}[8] |16|    | |
QH=10|リビアン グラス5|36.1{1615}[3] |14|    | |
QI=04|プラ ダリ ア 6|43.8{1717}[4] |15|    | |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
---------------------------------------------------------
 ○ 展開予想…ぎんぎんの逃げ馬不在。指数Aは2.6、Bは2.7。

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番01 12 10 04 -02 14 05 08 -15 09 07 03 -06 13 16 11 17
覧〇 5 ◎ ▲ 6 △
3FE C A D B
馬A G B C D 10 09 12 F 11 H E
予◎ ・ ◎ △ △ ● ・ ・ ・

---------------------------------------------------------
---------------------------------
 [枠連順位]

 枠連=AB/C/DEF/GH 
 枠順=18 6 572 43
 馬順=AC G DF09 1012  
 代行=BE H 141715 1613
 代2= 11
 ―――――――――――――
 結果=

 [オッズ分析]
 枠連型=3巴  [AB型] 枠順AB= 4.2
 馬連型=A流れE[A型]  馬連AB=13.4

・かなり特異なオッズ状態である。枠A1枠に馬順A[01]・B[02]が同居。
 このパターンは普通枠連A流れとなるが、枠連ABCの3巴である。また、馬順C[15]・E[17]が同居したB8枠もかなり強いと見なされている。
 さらに、C6枠も馬順G[12]・H[11]同居なのに、この枠も強いと思われているようだ。結果D5枠、E7枠が下降している。

・この異常ぶりは馬順と単複順位の異変としても現れている。馬順H[11ソールオリエンス]の単複はAAである。また、馬連はA01ベラジオオペラがEまで流れるA型だが、5種オッズは[AAACC]で特に単複が悪い。
 よって、オッズ分析の結論としては何がどう来るかさっぱりわからず「ケン」(^_^;)。

・とは言え、もしも買うなら枠連から買うか馬順からか。
 枠連なら3巴だから、本命は枠ABC[186]内。もちろん代行注意。
 荒れるなら3巴の買い目、[CBA軸にDE蹴ってFGH、ウラDE]。

 馬連重視ならA流れゆえ[A軸→(BCD蹴って)薄目EFGH]。そして、Aが消えたときのEFGH。
 ただ、安田記念のとき同様09位以下9頭で下位から激走があるかもしれない。

 御影流AI予想は馬順ABが同居したときは別ルールにすると決めている。というのはAB同居枠はオトリのことが多いからだ。が、今回はいつも通りとしたい。

 [御影流AI予想]
◎A=01ベラジオオペラ B=02ドゥレッツア
印順=騎 手番馬      名
◎1=横山和01ベラジオオペラ
・5=戸崎圭17レガレイラ
・7=武 豊12メイショウタバル
△3=川 田15ロードデルレイ

◎2=槙山武02ドゥレッツア
・6=ルメル13アーバンシック
・8=松山弘11ソールオリエンス
△4=岩田望09ヨーホーレイク

●10=ディー07ジャスティンパレス

 [御影のウラ●]

 難解です。ただ実近一覧を見ると、馬順AからHは第1群[CADF]、第2群が[BE]の乖離、第3、4群も乖離の[HG]。つまり、09位以下の激走がなければ、このA~H8頭から123着馬が出てもおかしくない。
 よって、御影流AI予想はいつも通りとしました。
 ただ、ウラ●はやはり馬順09位以下から選びたい。

 その前にGIだから格の件について書いておく。
 GIVは全6頭(馬名末尾は馬順)。
 2勝馬が以下2頭
 01牡5ベラジオオペラ A―大阪杯24、25年連覇 
 17牝4レガレイラ   E―2歳ホープフルS・有馬記念
 他は1勝
 02牡5ドゥレッツア  B―23年菊花賞 
 11牡5ソールオリエンスH―23年皐月賞
 13牡4アーバンシック F―24年菊花賞
 07牡6ジャスティンパレ10―23年春天

 そして、GIVのないG2Vは全8頭。
 03・04・05・08・09・12・14・15
 うち2勝以上は以下3頭。
3勝高 杉牡604ブラダリア   ―15 
2勝北村友牡708シュヴァリエロー―16
2勝岩田望牡709ヨーホーレイク ―D

 これらを見比べて今回穴の激走はGIVのある人気薄、しかも456歳から選びたいと思う。そこでウラ●抜擢がМディー牡607ジャスティンパレス。

 同馬は20戦[522.11]。5勝と2着2回は23年春天V~秋天2着までで以後8戦最高4着。つまり。もはや過去の人(馬)の気配。
 ただ、この8戦とその前春天Vまでの11戦全てGI出走。前にいたのがイクイノックス、ドウデュース、ベラジオオペラ、レガレイラ…。

 特筆すべきはG2の2勝。3歳神戸新聞杯V→菊花3着、翌年阪神大賞典V→春天V。さらに阪神コース5戦[2021]、タイムでは芝20TX(94)がある。
 そして、23年春天Vの次走宝塚記念では2番人気3着(良)。
 だが、1年後の昨年宝塚記念は(前走ドバイシーマ4着→)2番人気で10着惨敗(重)。ほげ。
 今年も重必至。昨年の惨敗を見ると、強気にはなれません(^_^;)。

 も一つ強気になれない理由は鞍上Мディーの初乗り。
 安田記念でウラ●打ってがっかりの走りでした。「やめようか」と思ったけれど、もしも来たら「来るんかいぃ」とほぞ噛まなきゃならないので、変えません(^.^)。

 ちなみにジャスティンパレスはディープインパクト産駒。今回他に2頭(04・08)出ています。
 もしかしたらこれが「GIで勝てる最後のチャンスかも」と思って単勝も。相手筆頭は阪神コース4戦4勝の01ベラジオオペラでしょうか。

 以上です。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2025.06.03

『空海マオの青春』論文編 後半 第33号

 「後記」一括掲載――人口半減を肯定する

 空海論文編前半ラストとして7節に渡って「『三教指帰』成立過程論」を紹介しました。
 各節本文がえれえ長いのに、後記がこれまた常識外れの長さとあってうんざりされた方も多いかと恐縮至極です(^_^;)。

 しかし、現代日本、いや世界においても大問題である「特殊詐欺、SNSのフェイク、誹謗中傷、リーダーの言うことを鵜呑み丸飲みする」――そのような風潮に対して一言言わずんば、てな気持ちの現れでした。

 ここで後記をまとめて掲載しておくことは日本の人口半減問題について考えるヒントとして、また『一読法を学ぶ』大切さを訴える意味でも意義あることと思えるので、後記全9回分をまとめて配信いたします。
[「9回もあったんかいぃ!」とつぶやいてください(^_^;)]

 文章をさーっと読み、人の言うことをぼーっと聞いてしまうC群から「あれっ!」とか「どういうことだ? なんかへんだぞ」とつぶやくB群へ。そして、自分が抱いた疑問をネット検索して答えを探るA群への道を。

 さらに一歩進んで、信頼でき、尊敬できる人の言うことをも「どうしてそう言うのか、疑ってみる」特A(^_^;)群に進んでほしいものです。

 私は一読法実践者としてA群を自負しているけれど、しばしばB群、C群に落ち、特Aへの「道いまだ遠し」と感じます。我らは常に成長途上であり、突き詰め、上り詰めることなどないのでしょう。棺桶の中に入ってさえも……。

 なのに、上り詰めたと勘違いするお偉いさんが某T(帝)大教授のように業者に銀座の接待を強要し、某大臣のように「私ゃ米を買ったことがない。支援者が送ってくれる」と漏らすのでしょう。

 彼らには《実るほど首(こうべ)を垂れる稲穂かな》の言葉を噛みしめてほしいと思います。

 ところで、「後記の話題と空海論と何か関係があるのか? なさそうだが…」
 ――とつぶやかれたなら、早速B群と認定いたします。
 私の無駄話(と思える記述)はちゃーんと計算されており、
 1 ときには今後の伏線として、
 2 ときには空海最終境のわかりやすい説明として書いております。
 3 もちろんほんとの無駄話であるときもあります(^.^)。「おいおい」てか?

 再度全「後記」を新たな気持ちで読み直し、本文は123のいずれにあたるか、考えてみてください。いくつか修正、追加しています。

[ここで一読法並びに『空海論』前半のまとめを熟読、通読された読者各位への復習問題。
 上記「空海最終境」――空海が到達した最終境地を漢字3文字で答えてください。〇〇〇です。

 えっ、「何だっけ? 思い出せない……」ですって?
 おやおや。あなたの目は節穴か。あなたの脳は穴の開いたバケツか(と私ゃ言いたい(^_^;)。]

 『空海論』前半のまとめ(五) 『三教指帰』成立過程論

 1 『聾瞽指帰』と『三教指帰』の比較    4月16日
 2 両著の「序」と結論部「十韻賦」の異同  4月23日
 3 『三教指帰』は全肯定の萌芽       4月30日
 4 なぜ両著の「本論」は同じなのか     5月07日
 5 『三教指帰』脚本化の試み        5月14日
 6 室戸岬百万遍修行における明星との交感とは   5月21日
 7 『三教指帰』の文学史的位置付け         5月28日
 8 おまけ「後記」一括掲載――人口半減を肯定する 6月04日

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 本号の難読漢字 なし
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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****

 後半第33号 「後記」一括掲載――人口半減を肯定する


 後記[1]

 文中『古事記』の中でイザナミが「お前の国の人間を毎日千人殺してやる」と言い、対してイザナギが「それなら私は毎日千五百人生もう」と応じる話があります。国の成長を表しているでしょう。

 日本は長らく死者千人、出生千人が続いていました(奈良時代から室町時代までほぼ5~600万人)。それが260年の平和が続いたからでしょうか、江戸末期3千400万人まで増えました。そして、明治末5千万人となって1.5倍を達成しています。
 その後昭和、特に戦後ぐんぐん増えてとうとう1億2千万人まで来た。ところが、今後イザナギは七百人くらいしか産めず、数十年後日本は人口6千万人くらいになる……と騒がれています。

 こでちょいと違った観点を紹介(^_^)。
 この狭い国にちょうどいい人口って今の半分くらいかもしれません。
 世界で「日本と同じくらいの面積で6千万人ほどが住んでいる国はどこだろう」と探してみたら南欧スペインがありました。面積は日本の1.3倍。人口5千万人弱。
 あの国は陽気な人が多く、昼休みを2~3時間取ることで有名。
 なんとうらやましきスローライフ。

 対して我が日本は海のそばに住めば津波が襲う。河川沿岸に住めば豪雨洪水が家を押し流す。じゃあと高台の山の麓に住めば、土砂崩れや山火事が家を破壊し燃やしてしまう。
 もう平野部の都市に住むしかない?

 だが、都市はぎつぎつの人口過多にうんざりし、犯罪者に襲撃され、困った隣人に悩まされる。ウサギ小屋も高くて手に入らない。かと言って田舎はいずれぽつんと一軒家。
 ああ我ら日本人、どこへ行く……てか(^_^;)?


 後記[2]

 前節の後記について。「日本の適正人口とか半減したときのこと、スペインが近いかも」なんて話題を読んだとき、「一読法のわなが仕掛けられているかも」と気づいた人、果たして何人いらしたことか(^.^)。やっぱり「ぼーっと読んでいる」のでは?

 後記は「『古事記』イザナミ・イザナギの話→日本の古代から現代までの人口増→今後人口半減が予想される」と続き、「しかし、適正な人口は今の半分くらいかもしれない」との問題提起につながっています。「半減だ~大変だ~」と騒ぐことへのアンチメッセージです。
 これってあまり見かけない(コメンテーターが言わない)特異な意見だと思います。
「なるほど」とか「そうかなあ?」とか「それも一理ある」とつぶやいていいところ。

 ここで一読法読者なら、「人口が半分になったら、生活はどうなるんだろう。スペイン一人一人の暮らしはどうなんだ?」との疑問を抱きます。
 するとA群は「自分で答えを探してネット検索」を開始します。
 が、B群は疑問をつぶやいたとしても、何もせずそれで終わり(^.^)。

 自分が読んだ文章や人の話を聞いて疑問・感想をつぶやく――これが一読法の始まり。
 次にその疑問を自ら解こうと思い、行動を開始する(たとえば人に聞いたり、ネット検索して答えを得る)。これが真の一読法の実践。これぞ自力修行(^_^)。

 実は小中の子どもたちは現在多くの教科でこのような活動をしています。「課題(問題)解決学習」と言います。
 しかし、国語(現代文)だけは相変わらず「最初はぼーっと読んでいいよ。二度目にいろいろ考えなさい」という読み方(=人の話の聞き方)を教えている。

 かくしてたくさんのB群の大人が育つ。なぜなら、もう一度読まないし、人は同じことを二度喋ってくれない。そもそも疑問のつぶやきさえ出てこない。
 もっと言えば、もう文章は一切読まない! 長い文章は最初から敬遠する!
 ああ……てか(^_^;)? (「後記」2)


 後記[3]

 前節の後記について。最後に「後記2」とあるのを見たとき、「おやあ?」と目が止まったでしょうか。そして「はて、前の後記に[1]ってあったかな?」とつぶやいたり、「確か[1]ってなかったよな」と思う。1がなくても2と来れば、次は[3]。
 つまり、次回もこの件について語られそうだ――と推理できる。「これはわなかも」と思えば、もう一度「後記2」を読み返す。

 そして、A群(疑問やつぶやきを解決しようと行動する)とB群(何も行動しない)に分かれるなど、一読法の大切さが書かれているが、当初の疑問「日本の人口が半分になったら、生活はどうなるんだろう。スペイン一人一人の暮らしはどうなんだ?」に対して答えが書かれていないことに気づく(私から言うと「気づいてほしい」)。

 そーです。これが前節「後記2」の仕掛けであり、わなです。
 新たな疑問を書いているのに、答えがないわけです。どうしますか?

「どうでもいいや」と作者の答えを待つ(これぞB群)か。
「それなら自分でネット検索して答えを探してみよう」とネット検索する(これがA群)か。
 まー私と違ってみなさん多忙でしょうから、全員B群かもしれません(^.^)。

 そう言われても、「どうネット検索すればいいのかわからない」方のために、(やさしい作者だから)ヒントも書いてあります。「スペイン一人一人の暮らし」のところです。
 国全体の生活程度として「国民総生産(GDP)」の言葉は有名。もう一つ「一人当たりGDP」もあります。それで一人一人の生活程度を比較できます。

 さー自ら答えを探してネット検索するか、あるいは、B群であり続けるか。
 この《答え》は次号にて(^.^)。「後記3」


 後記[4]

 今回も前節の続き、「後記4」です(^.^)。

 そろそろ「御影よ。後記を長々連載するお前の狙いは何なんだ?」との疑問をつぶやかれたなら、その人にはさらに一読法段位昇進を認定します。

 後記1では「日本と同じくらいの面積で人口半分ほどのスペイン」を話題としたけれど、一人一人の暮らしがどうかは書かれていない。
 後記2でそのことを指摘し、「みなさんネット検索して答えを見つけますか」と書いたけれど、「めんどくせえなあ」とやらない人がほとんどでしょう。
 あるいは「やらない人はB群ですよ」なんてこと言われたら、意地でも「やるもんか」と拒否する人も一部(^.^)。

 それでも後記3の文末2行に至って「おや?」と思われた……かどうか。
----------------------------------
 さー自ら答えを探してネット検索するか、あるいは、B群であり続けるか。
 この《答え》は次号にて(^.^)。「後記3」
----------------------------------
 この《答え》とはスペインの暮らしぶりのこともあるけれど、それだけでないことも明らか。
 問われているのはA群に進むか、相変わらずのB群であり続けるか。

 これに気づけば、次節(=本節)配信前に「自分はどうするか」考えねばならない。
 が、問われていることに気づくことなく、何も考えないのがB群、C群(疑問をつぶやくこともなく、人の話やテレビ・本をぼーっと見ている・読んでいる。そもそも文章を読むことをやめた)人。
 一方、「ちょっとA群を目指してみようかな」と思う人はB群からの脱皮、A群への道を歩き始めると言えます。

 こうしたことを読み取っていれば、
「一体この後記の狙いは何なんだ?」との疑問が出てもいいところです。

 これに対する答えが以下。

 読者各位が特殊詐欺に引っかかることを防ぎたい――これが真の狙いです。

 今や特殊詐欺の被害総額は一昨年452億、昨年721億(前年比1.6倍)。毎月数十億の金が詐欺師集団に渡っています。
 異常だと思いませんか。そして、最近は高齢者だけでなく、中年や若者も(投資詐欺や架空請求詐欺に)引っかかって大切な虎の子を失っています。

 対して加害者である悪人はすでに世界規模になっている。一つの村が詐欺拠点であり、そこに各国から「かけ子」を集めてこき使うミャンマーの例が教えてくれました。
 彼らは「電話詐欺は儲かる」とばかりに組織化してランダムに電話をかけ(させ)、メールを送り続けています。

 独断であり偏見かもしれないけれど、私は詐欺に引っかかる人はB群であり、C群の人だと思っています。
 詐欺にかからないために大切な点は「疑問をつぶやき、人(やテレビ)の話を自分のこととして考える」こと。そのためにはA群に進まねばなりません。

 たとえば、電話の相手が「警察の者だが…弁護士だが…」と言ったとき「あれっ?」と思う。突然自宅を訪ねてきた人が「何々の検査に来ました」と言う。
 最近は古典的な「おふくろ、大変だ。事故った・恋人を流産させた」は減っているようだけれど、相変わらず続いてだまされているとか。

 いずれにせよ、この取っ掛かりから「おやあ?」とか「ほんとかな」と疑問を抱くこと。
 そのための訓練が一読法であり、A群への道だと言いたいわけです。

 「後記4」[次回でこの後記を終わります(^_^;)]


 後記[5]

 最終回となる「後記5」です(^_^)。
 実は「後記2」で終えるつもりでした。しかし、本章が旧稿のほぼ再掲載にすると決めたとき、「最近の話題を本論に採り入れづらい。せめて後記くらい読んでなるほどと思える話題を提供しよう」と思ってふくらませました。途中から喫緊の課題「特殊詐欺にかからないための根本的対策」に変えました。

 まずは結局ネット検索に進まなかったBC群読者(^_^;)のために「日本とスペインの生活比較」について。
 両国のGDP(国内総生産)と一人当たりGDPが以下。

 日 本GDP=4兆3700億ドル 一人当り=3万5千ドル(525万)
        (609兆2887億)
 西班牙GDP=1兆5800億ドル 一人当り=3万3千ドル(495万)

 国民総生産、日本は世界の4位、スペインは15位で日本の約3分の1です。
 ところが(見てわかるとおり)、一人当たりGDPに大きな差はない。

 一体「どーいうこと?」と思うけれど、かりに人口半減によって国民総生産が半分になっても、一人当たりGDPが今と変わらなければ、我々の生活も現在の生活水準を維持できる(と言えるかも)。

 何よりスペインはお昼休みを2、3時間取ってのんびり働いている。対して日本の都市市民は満員電車の通勤に往復2時間かけ、昼食休憩は辛うじて1時間弱。誰も「世界4位の金持ち国」などと思っていない。一人当たりGDP世界の37位というのが実感に合っています。

 ちなみに、世界1位の金持ち国(なのに「ビンボーだー、貿易不公平だー」と叫んでいる(^.^)アメリカのデータが以下。

 アメリカ(人口3億4千万、面積日本の26倍)
 GDP =26兆1900億ドル 一人当たり=7万8千ドル(1170万)

 が、アメリカのラーメン一杯3000円。
 トランプさん、物価を下げなさい。なぜ日本人がアメ車を買わないか。手が出ないほど高いからですよ。価格100万の軽をつくってくれたら、そりゃあ私だって(中古の)アメ車を買いますよ(^_^;)――と言いたいと思いませんか。

 そして、GDP世界2位の中国のデータが以下。
 中国(人口14億1900万、面積日本の26倍)
 GDP=19兆2400億ドル 一人当たり=1万3600ドル(204万)

 アメリカが貧富の差を解消できない資本主義国家なら、中国だってもはや共産主義とは呼べぬ貧富の格差大国。

 米中両国リーダーに言いたい。
 敵対して(いざというときのために)稼ぎを軍事費に使うのではなく、国民全体をもっと豊かにしなさいと。これって日本もそうですよね。


 後記[6]

 くどいようで恐縮ながら前節「後記」の続きです(^_^;)。
 どうしても補足したいことがあって書きます。

 以前一読法に進んで課題の解決をネット検索する人をA群。
 疑問は持つけど、めんどくさくて検索まで進まないB群。
 疑問のつぶやきを、つぶやくこともなく世の中をぼーっと眺めるC群。
 ――とまとめました。不愉快に感じた方がいらっしゃるかも。m(_ _)m

 『一読法を学べ』の中で、何度も書いたけれど、お忘れかもしれないので書きます。特にB群、C群の方へ。

 あなたがそうなったのはあなたのせいではありません。
 あなたが能力が低いからでも、怠け者だからでもない。
 小中、高校でA群の生き方を学ばなかったからです。特に国語で。

 もう一つ。日本の学校は「先生と学校に逆らうな。校則を批判するな」という生き方を教えました。「人に迷惑をかけるな」と教わりました。
 いじめられても「告げ口するな」と教わりました。
 先生が殴るのは「愛のムチだから耐えろ」と教わりました。

 だから、たくさんのB群、C群の大人が生まれました。

 この人たちは権威あるもの、人・組織に反抗できません。
 誰かに相談するのは相手に迷惑をかけることだから相談しません。
 そのような人間が「良い子」だと言われて育ちました。

 以前も書いたように、自転車に乗るには練習しなければ乗れません。
 水泳は練習しなければ大人になっても泳げません。

 同じように一読法の訓練を積んでいないと、突然警察から電話がかかってきて「あなたに犯罪の嫌疑がかかっている・カードが振り込め詐欺に使われている」と言われたとき――その場で直ちに考えねばならない。詐欺師は後で考えること、誰かと相談することを許してくれません。

 ゆえに、最初から「おやあ?」とつぶやかねばならない。
 もしも「すぐに対応しろ」と言うなら、「今忙しいので30分後もう一度かけてください」とか「こちらからかけます。電話番号を教えてください」と言う必要がある(大概これで切れるらしい)。
 もちろんはっきりと「あなたは詐欺師ですね。警察は個人に電話しませんよ」 と言ってもいい。

 あるいは、役場から「還付金が出ました。通帳の番号を教えてください」と言われる。「そりゃありがたい」とつぶやくのはいい。だが、「手数料が必要だから、?万こちらに振り込んでください」の言葉を聞いたとき、「何かへんだぞ」とつぶやけるかどうか。

 だからこそ日々一読法の訓練が必要だし、常々A群に進むことを心がけるべきだと思うのです。「あとで後悔しない」ために(^_^;)。(まだまだ続く)


 後記[7]

 前節後記末尾に「まだまだ続く」とあるのを見て「おいおい」とつぶやきましたか。まだ続きます(^_^;)。
 前節はB群、C群に対するアドバイスでした。ここはA群に対して。

 A群の方は疑問をつぶやく、ネット検索して課題の答えを探す。
 間違いなく一読法有段者。だが、批判的精神の持ち主としてはまだまだ(と思います)。

 たとえば、私は最初の後記(24節)において「日本の人口が半減したら」に関して「日本と面積が同じくらいで人口半分の国」としてスペインをあげています(面積は日本の1.3倍。人口5千万人弱)。
 この段階で次の疑問をつぶやいた人がA級上位有段者。

「なぜスペインなんだ? 他にないのかな?」と。

 その後国民総生産や一人当たりGDPを調べたなら、そこで終わった人と、この疑問の解決を目指してさらにネット検索した……かどうか。
 これもまた普通のA群か一つ上の一読法有段者となるかの境目。

 作者御影祐の言うことを疑う――ってことです(^.^)。

 御影祐はなかなかいいことを言っている、面白い見方も提示している。
 だから「信頼できる」(もしかしたら尊敬できる?)と思って御影祐を知人友人に紹介したり、彼の書いたものをそのまま人に送信したりする……。

「それでいいんですか? 大丈夫ですか?」と私は問うし、私なら「御影の書いたものにおかしな点、疑問点がないか検証」します。

 これぞ一読法の真骨頂。信頼できる人だからと言って《鵜呑み》はしない。

 ところが、日本も世界も教祖やリーダーの言うことを丸飲みする人のなんと多いことか。
 アメリカ花札大統領、日本小政党党首の誤解や誹謗中傷の言葉を疑うことなく垂れ流す……。残念なことであり、悲しいことです。

 後記の話題に戻ると、GDPや一人当たりGDPを検索すると、世界の順位一覧表が見つかったりして各国は世界の何位か知ることができます。
 同様に「世界の国別面積」と検索すると、「世界の国土面積 国別ランキング」などという一覧に出会います。

 面積のトップはロシア。2位カナダ、米国、中国……とあってずーっと下って行くと、
 62位ジンバブエ 39,076
 63位日 本   37,797
 64位ドイツ   35,760 ――とあります。

 そうか(米欧では)「日本の面積はドイツと同じくらいなんだ」とつぶやく。
 ではスペインは? 探せば53位にあります。
 スペインは日本の1.3倍。ドイツは日本の0.9倍。

 これでますます作者御影への疑問が継続されます。
 なぜスペインだったのか。

 この答えはさすがに自力で解決できません。
 作者に聞いてみるしかない。

 というわけで(この件に答えなきゃならないので)次号「答えの後記」に続きます(^_^;)。


 後記[8]

 前号の回答となる「答えの後記」です。
 作者御影祐への疑問――日本と同じくらいの面積で人口半分の国としてなぜスペイン を取り上げたのか。
 答えは「たまたま(見かけたコラムから)」(^_^;)。

 そのコラムは人口や国土面積のことではなく寿命の話題を取り上げていました。
 今日本人の平均寿命(84.26)は世界のトップです(2019年)。
 ひと月ほど前、あるネットコラムで「スペインの平均寿命は2040年までに85.8歳となり、日本を抜いて世界一の長寿国となる見込み」とあるのを読みました。

 その後ネット検索して「スペインの面積、人口、医療保険は?」などと調べ、面積は日本の1.3倍、人口は半分くらい、医療保険は国民皆保険、GDP・一人当たりGDPなどを探ります。

 特に「GDPは日本とかなり差があるのに、一人当たりGDPは大差ない」ことを知り、「日本はあと数十年で人口半減」と騒がれているが、一人一人の生活程度が現在と同じなら、大変大変と騒ぐほどのことだろうか――そのような思いで「後記」に書こうと思いました。

 同時に現在日本にとって大問題である特殊詐欺についても触れたいと思いました。
 一読法を学んでいないから、初対面の相手に対して「あれっ」とか、「なんかへんだぞ」とつぶやきつつ聞くことができない。

 話を聞きながら同時にどうするか考え、決めなければなりません。なのに、日本人は小中高(特に国語科)においてその訓練を積んでいない。
 みんな「まず全体をさーっと読みなさい=人の話は口をはさまず聞きなさい。考えるのは後でいいよ」と教わったからです。詐欺師はここにつけこみました。

 国語科は最初から考えながら読む、人の話を聞きつつ考える読書術(一読法)を教えてこなかった。
 日本人はだまされて当然の教育を受けさせられたことをもっと怒るべきだと思います。
 日本の国語教育のせいで「私は詐欺師にだまされ金を奪われた」と、政府・文科省・大学の国語教育者たちに損害賠償請求してもいいレベルの話です。

 また、学校や大人の「良い子」(言うことをよく聞く従順な人間こそ素晴らし い!)という教育も詐欺にかかりやすい人間を育てた、とふくらませたわけです。

 しかし、私は自作も一読法で読んでいます。
 再読中ふと「スペインの面積は日本の1.3倍だが、もっと近い国はないだろうか」との疑問を抱き、面積ランクを調べて(所謂先進国では)ドイツが最も近いことを知ります。
「これは一読法最後の罠にできる(^.^)」と思いついたのはこのときです。

 信頼している人の言うこと(書き物)であっても、疑問の言葉をつぶやき、「そうじゃないかも」と思ってさらにネット検索する――この大切さを訴えたいと思いました。

 [以下は今回の追加]
 たとえば、私が読者各位に「みなさんこの株を買いませんか。儲かりますよ」と勧めるとしたら……私の文章をよく読んでいる人なら、「おかしいぞ」とすぐ気づきます。フィッシングじゃないかと。
 しかし、最近A群(文章をよく読み、世の中のことを疑問を持って眺めている)人でさえ、詐欺に引っかかる例を知りました。それはエビでタイ釣る逆パターン。エビで釣られたのです。

 その人はあるサイトで「株の購入に参加すれば、元利保証で月利10パーセント」を知り、当初は怪しいと思った。でも、ホントかもしれないと思って10万振り込んでみた。すると、ひと月後11万になっていた。
 ここで「詐欺かもしれない」と疑ったので、引き落としを要求した。11万ちゃんと戻って来た。次に100万送金してみた。すると、ひと月後110万になっていた。「これは本物だ!」と喜んで1000万振り込んだ……最初がエビだと気づいたときには遅かったというわけです。

 もちろんネットにおける大きな問題――誰かさんの言う誹謗中傷をそのままおうむ返しに拡散するネット民への批判として書こうとの意図もありました。

 (長くなったので「も一つ後記」に続く)


 後記[9]

 も一つ後記。これをもって後記(ほんとの)最終回です。

 突然の余談ながら作曲家團伊玖磨氏のエッセーに『パイプのけむり』というのがあります。以前文庫本で数冊読んだことがあります。
 この原作は1965年から2000年まで週刊『アサヒグラフ』に1000回以上連載されたもので、単行本総数27冊(^_^)。その表題が面白いのです。

「1パイプのけむり」「2続パイプのけむり」「3続々―」はいいとして以後「又・又又・まだ・まだまだ…なお・重ねて・またしても…明けても、暮れても」と続き、27冊目「さよなら―」で終わります。
 これへのオマージュとして後記1~今節まで継続させました。
 今回で「さよなら」です。

 最後にドイツの関連データを(検索してほしいけれど)これで終わりにするため以下日本と対照させて列挙します。

 日 本(人口1億2000万人、面積377,915.00)
 GDP=4兆3700億ドル 一人当り=3万5千ドル(525万)
     (609兆2887億)
 ドイツ(人口8400万人 面積日本の0.9倍) 
 GDP=4兆5000億ドル 一人当り=5万4千ドル(810万)

 やっばり日本の一人当たりGDPは少なすぎる気がします。
 もっとも、目下1ドル150円前後だから、もしも1ドル100円ならドル換算では一人当たりGDP5万2千ドルとなってドイツとほぼ同じ。ドル対円=1か1.5倍は極端すぎるようです。

 他に気づいたことを列挙すると、
・ドイツの医療保険=国民皆保険だが、一定額を超える富裕層(約1割)は対象外。その人たちは民間の医療保険に加入しているとのこと。
・人口は日本の7割ほどだが、うち移民が1680万人で2割を占める。
 ということはいわゆるドイツ人は約6700万人。

 日本は厳密な意味の移民はなく、2024年6月末現在の在留外国人360万人弱。
 人口比約3パーセント。
 日本の人口が半減して6000万人になったとき、ドイツのように移民を2割増やすかどうか。そろそろ議論すべき時期だと思います。
 具体的な数字として在留外国人を(今の3倍)1000万人とすれば、日本人6000万+移民1000万=日本の人口7000万人。そのとき移民比率は14パーセント。

 これらのことを総合すれば、日本の面積と同程度で人口が半減したときの国としてはドイツが最もふさわしいことがわかります。
 ドイツは移民によって国力の減退を防いだと言えるかもしれません。が、今は「移民排斥」の国民感情に悩まされています。それはアメリカも同じ。

 このような世界の現況を見て日本人、特に政治家は「日本は移民流入を阻止して良かった~」と胸をなでおろしているかもしれません。

 その一方、「人口半減だー大変だー」と叫び、「もっと子どもを産んで産んで」と大合唱している。遅ればせながらの高校無償化、さらに大学無償化まで持ち出している。
 しかし、笛吹けど踊らず。国民はもはやそんな言葉にだまされることはない(と思います)。

 私の母方に9人の子どもがいる親戚があります(父も母も一人)。もちろん戦前から戦後の生まれ。9人は母の叔父の子であり、みな《母のいとこ》。末っ子は私と同年で同じ幼稚園、小学校、中学校に通いました。私はずっと彼は私のいとこだと思っていました(^_^;)。

 そのようにかつて子どもを6人も7人も産んで「富国強兵」に協力したら、我が子を兵士として失い、大空襲・原爆によって殺され、悲惨な目にあった。
 それに共稼ぎをしないと子どもを育てられない。むしろ共稼ぎ政策を採用し、都市の過密、田舎の過疎を放置した結果であれば、人口減は当然訪れる未来なんでしょう。

 敢えて申します。三読法通読に害された政治家は事態を通読(傍観)している。現状を分析する力も未来を読む力もない(か少ない)。何かあれば「想定外」の言葉を繰り出し、結局流れるがままに生きている……はさすがに言い過ぎ?
 政治家こそ一読法を学んでほしいと思うところです。

 さて、数十年後私はこの世にいないけれど、(仏教の輪廻転生説によって?)人口が半減した日本のどこかで生まれるとすれば……私ゃニンゲンには生まれ変わりたくない。
 空を飛ぶ鳥になって鳥として転生を続けたい、なんぞと考えるのです(^.^)。(終わり)


============
 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:長い後記の最後に「まだ後記があるんかよお」とあきれてください(^_^;)。
 前置きで2つの質問を出しているので、その答えを書く……ための後記です。

 質問の一つは「後記の話題と空海論と何か関係があるのか?」。
 もう一つは「空海最終境」――空海が到達した最終境地を漢字3文字で」答えなさい。

 まず後半から。
 本稿を熱心に読んでいないとしても、今号の表題を見れば(表題読みは一読法で最も大切な読み方)答えはすでに出ている。

 そこには「『後記』一括掲載――人口半減を肯定する」とあります。

 空海の最終境地〇〇〇は[全肯定]でした。それはあらゆることを――楽しいこと、嬉しいこと、喜ばしいことはもちろん誰でも肯定できる。だが、いやなこと、不快なこと、辛いこと、苦しいこともまた肯定する。許して受け入れるという境地。

 このように説明すれば、最初の質問「後記の話題と空海論と何か関係があるのか?」の答えもまた明らか。
 全肯定の一例として「人口半減、特殊詐欺」の話題を取り上げたということ。

 数十年後の日本に間違いなくやって来る人口半減を肯定する。それが全体なら、個人にふりかかる詐欺にかかること、フィッシング詐欺に釣られて大切な虎の子を失うこと……それも肯定する、肯定できる。それが空海のとなえた全肯定です。

 ここで「人口半減はまだしも、詐欺で金だましとられたら、肯定できるわけなかろうが!」と叫ぶ。誰でもそうつぶやく。

 もちろんそれも肯定する。「受け入れられない、許せない」という心の思い(感情)も肯定する。
 だって全て肯定する《全肯定》なんだから(^_^)。あなたの感情を否定するわけありません。

 これを聞いて(読んで)怒りの矛先をそらされたような気が……。
「はて? なんか言いくるめられたような、妙な気持ち…」とつぶやかれたなら、その気持ちも肯定する。それでいいんですと。

 空海論後半本編はこの考え方と言うか感じ方をさらに深掘りすることになります。
 空海はどうやって全肯定の境地に達したのか。それは空海一人しか到達できなかったのか。我ら凡人には不可能なことなのか。ご期待ください。

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2025.06.02

ダービー結果とほぞ噛み

ダービー結果は――[A→B→H]でも…3複的中のみのトリガミ(^.^)

 1着―北村友 13クロワデュノール………[◎] 単勝=2.1
 2着―坂 井 17マスカレードボール……[〇]
 3着―ルメル 02ショウヘイ………………[・]乖
 4着―武 豊 18サトノシャイニング……[・]
 5着―川 田 03エリキング………………[・]

 一覧順位[A→C→QE→D] 馬群[1→1→4→1]
 前日馬順[A→B→H→F] [A→B→E→B*](*は代行)

 枠連=7-8=4.2 馬連=13-17=5.6 馬単=8.7
 3連複=13-17-02=29.9 3連単=84.6
 ワイド12=2.8 W13=6.2 W23=13.1

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【ダービー、過去10年の実近一覧結果】
    一 覧     馬 順     [1234]群
2025年 A→C→QE→D A→B→H→F 1→1→4→1 乖離3着
2024年 QJ→A→D→QD 09→A→G→15 4→1→1→3 乖離1・逆3着
2023年 H→B→E→G D→A→F→H 2→1→2→2 乖離1着
2022年 A→B→G→H C→B→F→A 1→1→2→2 
2021年 QB→A→F→G E→A→09→C 3→1→2→2 乖離1着
2020年 A→B→F→H A→B→G→H 1→1→2→2 
2019年 F→B→D→A H→C→B→A 2→1→1→1 
2018年 C→F→E→D F→D→17→15 1→2→2→1 逆1・3着 
2017年 H→C→G→QH A→D→B→H 2→1→2→4 乖離1・3着
2016年 E→D→G→QC A→C→B→G 2→1→2→3 乖離1・3着

 いつもの馬順ABの馬連軸はAが6回、Bが2回。ただBは3着が3回
あるので、やはり馬順ABは無視できない。3複軸の[A→B→?]は3回。
馬順C・Dも計6回1、2着している。
 今年の一覧は第1群234位が全て8枠という珍しさ。
 いつもの乖離、第1群の逆乖離には気を付けたい。

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 [結 果]

 結果は馬順[A→B→H]。A-Bの馬連・馬単は「買わない」ので外れ(^_^;)。3複「AB軸のCD蹴ってEFGH」は常に買っているので、3複29倍の当たり。だが、この組み合わせの3単は買っていない。

 A流れ8位(H)まで流れる[A型]ゆえ、A13を◎、B17を〇とした。
 この順に[EFGH]に流す3単を買えば、4枚で3単84倍を的中できる。

 だが、これは結果論。ダービー過去10年を見ても3単[A→B→?]が成立したのは過去1回(20年)だけであり今回が2回目。
 3番手としてフタケタ人気の激走があると、3複・3単[A=B→総流し]馬券を買いたくなる(^.^)。やはり「AB軸のCD蹴ってEFGH」は3複(4枚)に留めるべきだと思う。

 3着は第4群の乖離馬であり、4着は第1群の(やや)逆乖離であった。
 第2群以下の乖離馬は2頭しかいない。よって[◎→〇→乖離馬2頭(C・H)]の3単なら買えるか。
 さらに「CD蹴って」のCを外せば、馬券は[A→B→H]1点となる。
 この3単なら買えそうだ(今にして「買えたなあ」とほぞ(^_^;)。

 レース後不思議に思ったのはGIVのもう1頭レーン07ミュージアムマイルの凡走(6着)。
 一覧ではトップBの位置に入ると思ったのにEの5位。
 ならば「馬順Bの乖離馬になるだろう」と思ったのに、馬順Dの4位(一つの上昇では乖離馬としない)。結果は「CD蹴って」のとおり(蹴られて?)6着。

 ミュージアムマイルは皐月賞馬であり、皐月レコード更新馬であるのに「なぜ?」と思います。

 が、不安点は(書かなかったけれど)あった。
 最大の不安は[新馬3着(4人)→未1着]と「新馬勝ちでなかった」こと。
 また、次走1Wクラス1着と朝日杯(2着)の前に3戦も走ったこと。
 となると、(2走前弥生賞4着→)皐月レコード勝ちは余裕あっての走りではなく、累積疲労も考えられる――おそらくこのようなことから馬順Bにならなかったのでしょう。
 ただ、単勝は3番人気であり、日曜午後は2番人気になっています。が、馬順は当日朝もCでした。やはり土曜朝の馬順オッズを使用できるし、使うべきだと思います。

 以下一覧データの結果です。
 なお、予想でウラ●と★印をつけるのを忘れていました。m(_ _)m
 が、カンケーなかったようです(^_^;)。
 武豊18サトノシャイニングが2着…3着…になりそうなとき、声が出たけれど、4着に落ちて「ああ~(-_-)」ってなもんでした。

*****************************
 【ダービー実近一覧表】 東京 芝24 18頭 定量57キロ
                  (人気は前日馬連順位)
順=番|馬      名牝歳|予OZ{実近}[展]3F|馬|3指単複|乖|印着
[1]
A=13|クロワデュノール | 1.7{AA}[2] |A|AAAA| |◎1
B=16|ファイアンクランツ| 6.5{CB}[13]C|11|10131211| |  9
C=17|マスカレードボール| 8.1{B09}[16] |B|BCBD| |〇2
D=18|サトノシャイニング| 8.2{FD}[6] |F|FHGG| |・4
[2]
E=07|ミュージアムマイル| 8.4{EE}[10] |D|CBCD| |△ 6
F=08|エ  ム  ズ  | 9.0{GH}[3] |12|    | |
G=09|ジョ バ ン ニ | 9.8{D12}[11] |E|DGEB| |● 8
H=06|ファ ン ダ ム |10.4{09C}[5]A|C|EFDE|乖|△ 14
[3]
QA=03|エ リ キ ン グ|13.0{1013}[9] |G|HDHH| |・5
QB=05|レ ディ ネ ス |15.0{1111}[17]B|09|09090909| |★ 17
QC=01|リラエンブレム  |17.6{13G}[12]D|13|    | |
QD=12|カラマティアノス |18.4{H16}[14] |14|    | |
[4]
QE=02|ショ ウ ヘ イ |18.7{1210}[1]E|H|GEFF|乖|・3
QF=10|トッピ ボーン  |22.7{14F}[18] |15|    | |
QG=15|ファウストラーゼン|29.8{1514}[15] |10|    | |
QH=14|ホウオウアートマン|41.5{1715}[4] |17|    | |
QI=11|ニシノエージェント|41.7{1617}[8] |16|    | |
QJ=04|ドラゴンブースト |67.3{1818}[7] |18|    | |

 注…「馬」は馬連順「3」は3複順「単複」は単複順位
----------------------------
 ○ 展開予想(指数1.9以下なし)

※展開(3Fは前走の上がり優秀5頭)
 逃げ     先行     差し     追込
番02 13 08 14 -06 18 04 11 -03 07 09 01 -16 12 15 17 05 10
覧 ◎ 6 △ 5 〇 ▲
3FE A D C B
馬H A 12 C F G D E 11 10 B 09
予 ◎ △ ・ ・ △ ● 〇 ★
結3 1 4 5 2
--------------
 [枠連順位]

 枠連=AB/CDE/F/G/H 
 枠順=78 431 5 2 6 枠順[A→B→E→B*]
 馬順=AB DCH E G 14 馬順[A→B→H→F]
 代行=10F 120913 15 18 16
 代2=1711
 ―――――――――――――
 結果=124 3


 [オッズ分析]
 枠連型=A流れE[AB型] 枠順AB=4.6
 馬連型=A流れH[A型 ] 馬連AB=6.8

 ・馬連はH02まで、枠連もE1枠まで流れるA型。一覧もトップがA13
で5種オッズもオールA。A13クロワデュノールが本命・本穴軸となる。
 この場合馬順B17は◎ではなく〇とする。気を付けたいのは枠Bに馬順
F18が代行として入っていること。このせいで枠連はAB型となっている。
 ・枠のCD4枠3枠に交換があり、枠EFGに乱れがあってE1枠が上
昇している。H6枠は無理スジ。
 ・馬連系の本命はA→BCD。本穴はA→EFGH。

 [御影流AI予想]
◎A=13クロワデュノール B=17マスカレードボール
印順=騎 手番馬      名  結果
◎1=北村友13クロワデュノール  1
・5=松山弘09ジョバンニ
・7=川 田03エリキング     5
△3=北村宏06ファンダム

〇2=坂井瑠17マスカレードボール 2
・6=武 豊18サトノシャイニング 4
・8=ルメル02ショウヘイ     3
△4=レーン07ミュージアムマイル
★09=横山典05レディネス
●E=松山弘09ジョバンニ

 [御影のウラ●]
 格最上位(RX)の2頭13クロワデュノールと07ミュージアムマイルが一覧
AB、馬順ABの2強になると思ったが、ミュージアムマイルは意外と低
評価。終わって「やっぱり」もあるので、この馬連13-07は取りあえず買っ
ておきたい。
 で、ウラ●としては前置きに書いた7頭(プラス06ファンダム)の馬順A~
H8頭から選びます。

 迷ったのは大外武豊18サトノシャイニングと松山09ジョバンニ。前者は
皐月5着(2人)、後者は皐月4着(7人)。
 前者は先行馬の大外、後者は馬主が重賞・GI実績なしでイマイチ。
 ただ、どちらも馬順Hの中に入っているし、良くて2着の気配なので、
連単軸ではない控えめのウラ●としたい(^_^;)。

 かくして狙ったのは松山09ジョバンニの方。エピファネイアの仔で成績
[2301]。
 光るのは小倉2歳新馬(芝18)V後2戦目から前走皐月まで全て芝20。2
戦目から[OP→G3→GIホープフル]を全て2着。

 ここで勝っていればと思えるけれど、2走前阪神OP若葉Sをやっと1
着(170円の1人)。そして前走皐月4着。このタイムが1574。
 2戦目から前走まで5戦のタイムは[2029→2011→2008→1590→1574]と
全て自己ベストを更新。成長力はまだ底を見せていないかも。
 ただ、東京コースは初。右回り5戦で左回りは中京が1レース。

 も一つ光るのは6走中5戦で上がりがベスト3内、1位は3回。直線の
長い中京・阪神を先行して粘っている感じなので、真ん中の5枠から中団
追走できれば、直線伸びるかもと思える。

 極め付きは中山GIホープフルSでクロワデュノールの2着したこと。
 今回18頭の中でGI2着馬は3頭。2頭はホープフルVのクロワと皐月
Vのミュージアム。つまり、[GIVのないGI2着馬]はジョバンニただ
1頭。

 オークスで唯一[GIVのないG2V]馬が勝ったので、今回は別パター
ンということで(^.^)。

 ちなみにGIVのないG2V馬は以下の2頭です。
・ルメル02ショウヘイ―――前走京都G2京都新聞杯(芝22)V(5人)
・デムロ15ファウストラーゼン―中山G2弥生賞V→皐月15着(8人)

 もちろんこちらから買う手もありでしょう。

*************************
 回  顧

 直前予想にて「そっちかよおと叫ぶかも」と書いたら、悪い予感はよく当たります(^_^;)。ウラ●は武豊18サトノシャイニングにすべきでした。
 が、4着では馬券にならず、どう転んでも「結局3複の的中のみか」という結果になりました。

 上記末尾の「GIVのないG2V」馬2頭のうち02ショウヘイは馬順H、15ファウストラーゼンは10位。「ウラ●はショウヘイだったか」と思うけれど、京都新聞杯芝22のタイムが(稍重とは言え)悪く、逃げAの位置は苦しい。

 よって「2週連続G2Vの激走はない」と推理したし、「ドジャース大谷君がらみはミーハーすぎる」と思ってやめました(^.^)。
 ただ、逃げA馬が前走上がりE。つまり、「逃げ先行して粘れる馬」だったわけで、そのとおり4、5番手先行して最後も伸びて3着。さすがルメールさんです。

 レースはいつものようにいとこ宅でテレビ観戦。
 大外から武豊18サトノシャイニングが果敢に逃げたときは「よっし」と思ったものの、誤算は田辺14ホウオウアートマンに競られてハナを譲ったことでしょうか。
 向こう正面で14ホウオウは後続を離して1000メートル通過1分ちょうど。

 ただ、番手のサトノシャイニングが実質逃げ馬の位置で「しめしめ」と思ったし、4角から残り200まで先頭を粘りそうになったときは「豊! 豊っ!」声が出ました。
 
 そのとき単勝と馬単18→13の的中が頭をちらつき、直後13クロワデュノールに抜かれたけれど、13→18の馬単が頭をかすめ(^_^;)……たのに、坂井17マスカレードにも抜かれて3着。

 だが、まだ声は出続ける。と言うのは18サトノシャイニング3着なら[◎→〇→18サトノ]の3複倍増馬券が当たる。
 これは[A→B→F(B*)]の組み合わせで、ある理由から3複をかなり多めに買っているし、3単も[A→F=B]を持っているのです。

 が、ルメール02ショウヘイにクビ差抜かれて4着転落。ふにゃ。
 結局、[AB軸のCD蹴ってEFGH]パターンは1枚しか買っておらず、当たってトリガミなのでありました。

 まー取りあえずGI3連続的中を喜ぶことにします。

 以上です。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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