『空海マオの青春』論文編後半 第34号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ 1
1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介
前号「後記」末尾は以下のように書かれていました。
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空海論後半本編はこの考え方と言うか感じ方をさらに深掘りすることになります。
空海はどうやって全肯定の境地に達したのか。それは空海一人しか到達できなかったのか。我ら凡人には不可能なことなのか。ご期待ください。
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これを読めば、プレ後半として『空海論』前半の復習が終わったことだし、いよいよ次号より『空海論』後半の開始か……と思わせます。
もちろん私もそのつもりでした。今節はあることについてちょっと触れ、「では早い夏休みの開始」として次週より休刊(^_^;)、後半開始は9月以降にしようと。なので上記のように書きました。
それが(いつもの悪い癖(^_^;)気が変わって今節はさらりと流す予定だった「あること」についてじっくり書き込み、次いで2回に渡って『空海論』前半の中から「プレ後半」でカットした部分を再掲載することにしました。
それは「仏教回帰」と題して書いた『三教指帰』仏教編全8節中の3節(31~33)です。人間が死後生まれ変わる六つの世界――天界、人間界、修羅、餓鬼、畜生、地獄という「六道(りくどう)」について解説しています。
なぜこのような変更(変節?)に至ったのか、今回はその理由を含めてある中国ドラマを紹介します。
なお、当初は「仏教回帰」3節をそのまま再掲載するつもりでした。が、さすがに長過ぎるので、その中の「六道」に関係するところだけ抜粋したいと思います(抜粋でも充分長いのですが(^_^;)。
3節の元版とリンク先を掲載しておくので、時間と心に余裕のある方はお読みください。
(32、33節は末尾の「→次節」をクリックしてください)
第31 「仏教回帰」その1 ~その3
『空海論』プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ
1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介 6月11日
2 六道「地獄・天界・修羅界」について 6月18日
3 六道「人間・人間界」について 6月25日
……夏休み(^_^)
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本号の難読漢字
・『三教指帰』(さんごうしいき)
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***** 空海マオの青春論文編 後半 *****
後半第34号 プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ
1 中国ドラマ『永遠の桃花』紹介
余談ながら日本のテレビドラマは『相棒』を除いてほぼ見ません。
以前は夜9時の初出から見ていましたが、ある時期から夕方再放送に限定。
残念ながら近年「面白さは維持しているけれど、文学性において深みがなくなった」と感じています。昔の作品にはそれが見られるので、特に気に入った作品は何度見ても感動しています。
私が好きなのは太田愛さん脚本の作品です。かといってDVDを買うほどのオタクではありません。
[この冒頭を読んで「余談と言いつつ、もしかしたら今後の伏線か?」とつぶやいた方、さすがの一読法実践者と申し上げます。前号前置きに書きましたね。「私の無駄話(と思える記述)はちゃーんと計算されており、1 ときには今後の伏線として」書いていると(^_^)。]
代わってはまり出したのが中国ドラマです。特に史実に基づく歴史ドラマやファンタジー系のドラマなど。平日のお昼と夕方、7チャンで放映されているのでよく見ています。
たとえば、魏・呉・蜀、玄徳、曹操、孔明の歴史ドラマ『三国志』。また、秦の始皇帝や明の女帝など、面白いと感じた作品は五指を超えます。
で、今節触れるつもりだった「あること」というのは中国ドラマ『永遠の桃花』(原題『十里桃林』)の紹介です。九州北部で3月ころから放映され(全58話)、先日終了しました。
ジャンル的には歴史的ファンタジー的恋愛物語と言えます。
ファンタジーながら仏教六道のうち神仙が暮らす「天界」におけるお話なので、仏教と少々関係あります。
とにかく面白い、中身が濃く深い。戦闘シーンは本格的。人生論も交わされる。これは他の中国ドラマでも言える傾向です。
定番のワイヤーアクション(は若干辟易だけれど)天人・仙人のお話だから、超能力が使われても納得できます(^.^)。
神仙たちは人間界の1年を1日として何十万年も生きる。ただ、死なないわけではない。天界は部族に分かれて身分差がある。仙人は小仙から上仙、神は小神から上神に昇格する。その際雷に撃たれたり、「人間界」に落とされて愛の試練を受ける……。
全58話って週1回の放映で1年半はかかるはず。日本のドラマでは最長でも某大河の1年間。中国では60話近いドラマがたくさんあります。だからこそ深く緻密なドラマが描けるのでしょう。
ネタバレはしたくないので抽象的まとめになりますが、(長いからこそ可能な)メインストーリーに対してサブストーリーが充実している。言わば脇役の逸話がじっくり描かれています。
最初は「どうしてこんなに脇役のエピソードが丁寧に描かれるのだろう」と異和感を覚えたけれど、それがメインストーリーの「伏線」だとわかったときは「そうかっ!」と叫んだものです。
さらに最後(これまたドラマの定番)どんでん返しが起こると、この伏線が最初の方から途中――すなわちそれまでの作品全体が壮大な伏線だったと気づく。もう舌を巻くほどの原作、脚本のうまさを痛感します。
また、『永遠の桃花』には愛と恋、人生における苦難とか試練について深~い考察が散見され、我が小説・評論と重なること多し。
私は『続狂短歌ジンセー論』第8号「三角関係の愛」において以下の狂短歌を詠みました。
〇 愛情は一対一なら10全て 三人ならば半分に減る
おヒマなら再読してください。注目してほしいのは「恋愛における三角関係」だけでなく、「夫婦に初めて子どもが産まれたときの三角関係」について考察した部分です。この根底にはとてもやっかいな感情――嫉妬があります。
これはその後第4章「愛の獲得競争」(9~14節)でさらに深く考察されます。
子どもが陥る親子、兄弟姉妹の三角関係、そして第30号において「子どもとは自分が最も愛されたいと思う生き物である」と喝破(?)しました(^_^;)。
しかし、我々は誰でも必ず(と言っていいほど)「愛されなかった記憶」を持っている。特に子ども時代の愛されなかった記憶を引きずると、大人になって人生、恋愛を素直に受けとめることができない……などに触れました。
そして、最終71号にて詠んだ歌が以下。
〇 愛されたい? 愛されなくて構わない 愛されてると信じて生きる
実はこれらのことは「空海論後半」につながるテーマでした。
上記二つの狂短歌を逆転して言うと、次の2点にまとめられます。
1 私たちは「愛するだけでは満足できない、見返りを求める」生き物である。
2 私たちは「愛されていることが信じられない」生き物である――と。
たとえば、親が子どもに対して「こんなに愛しているのに」ともらす。男女が相手に対して「私ほどあなたを愛する人はいない」と絶叫する……けれど、子どもは、恋の相手はあまり感じてくれない。なんて冷たいんだ。失望、落胆で落ち込む……(-_-)。
かと言って「感じない」以上、「自分だってあなたを愛する」とは言えない。相手の言うがままに生きることはもっとできない(ではないか)。
もう少し具体的に言うと、恋愛感情を抱いたら相手に告白する。そのとき期待しているのは相手の女性・男性が「私もあなたを愛している」と言ってくれること。
それこそ恋の成就。「やったー!(^O^)」と叫びたくなる。人生は生きるに値すると思う。
ところが「ごめん。他に好きな人がいる。お友達として付き合って」と言われたら……(-_-)「それでいい」と思う男(女)はほぼいないでしょう。
つまり、私たちは愛するだけでは満足できない。見返りを求め、相手から愛が返って来ることを(ひそかに?)期待している。
かくして「あなたの愛はありがたい。嬉しい。けど、私はその気になれない」と言われると傷つく。深く傷つく。人生は生きるに値しないと思う。
それを予想して――傷つくことを恐れ、片思いとして自分の心の中に閉じ込めたりする。
ところが、ずっと後に片思いの相手と再会したとき「あの頃あなたが好きだった」と打ち明けると、「えっ、自分もそうだったのに」と言われ、「ああ傷つくことを恐れず、告白すれば良かった(-_-)」と後悔する……。
あるいは、一旦打ち明けて相手から愛が返ってこないとわかっても、あきらめきれず様々な行動を取る。策を弄したりストカー的なことも。要するに「愛するだけでいい」とは決してならない。
このようなテーマが『永遠の桃花』で描かれています。
特に見応えがあるのは相手の愛を疑うような関係に陥ったとき、(こちらは)どうやって愛しているとわかってもらうか。(相手は)何が起こると「自分は愛されている」と感じられるか。
この答えはとても難しく、何かが終わってやっと気づくこともある。そのときすでに相手はいない……こともある(具体的に書きたいのですが、ネタバレになるので我慢します(^.^)。
当然「見てほしい」と続きます。が、これまでいろいろな中国ドラマに感動しても、それを紹介することは控えてきました。
と言うのはテレビで始まった時は「その面白さと中身の濃さ深さ」に気づくのは半分が過ぎたころであり、「もう一度見たい(人に勧めたい)」と思っても、ときすでに遅し。
全話のDVDなどが販売されているものの、かなり高価。私はもちろん買わないし買えない。結果メルマガで紹介することもない……。[冒頭余談の伏線はここで回収(^.^)。]
ところが、どういう経緯なのか不明ながら『永遠の桃花』は無料サイトが見つかりました。
いかがわしい海賊版ではありません。某ネット大手が無料提供している「Rチャンネル」というサイトです。
私はテレビで半分ほど見たとき、このサイトの存在に気づき、以後テレビと並行して毎日1話から2話見続けました。そして、テレビ放映分に来てからはテレビだけ見続け、終わって再度パソコン視聴を再開しました(^_^)。
以下そのサイトのURLです。 → 『永遠の桃花~三生三世~』
なお、もしも視聴するようでしたら、一読法の読み方で見ることを勧めます。
それは途中で「あれっ」とか「おやっ」とつぶやき、「この後どうなるんだろう」と展開を予想しつつ見ることです。私は予想が外れるとよく「そう来たか。面白い」とつぶやきます。
もう一つ。中国ドラマの一般的傾向として登場人物の多さがあげられます。最初のころは(名前が明記されるものの)関係などよくわからない。よって、お勧めは5話から10話くらい見た後もう一度最初から見直すことです。一読法でいう「部分の二度読み」にあたります。
私は今回これを実践して「こりゃあ面白い作品だ」とより実感できました。
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
後記:突然ながら一読法の復習(^.^)。
本節の冒頭「プレ『後半』(六)」の後に書かれていた表題、覚えていますか。
「ええっ、そう言われても…」と答えられない人がほとんどかも。
おやおや。一読法で読んでいない。立ち止まっていない、疑問や感想をつぶやいていない。
表題とは全体のまとめだから「そこで立ち止まっていろいろつぶやく必要がある」とさんざん書いてきたのに。(失礼ながら)読んでもいない。ただぼーっと見ている、素通りしている。
それじゃあ突然携帯・スマホに警察から電話がかかってきたら、「はい、はい」と何の疑いも持たず話し続けて不思議なし――って言い過ぎ?(^.^)
再度書きます。特殊詐欺今年4月までの被害額は392億(!)、うち警察官をかたる被害247億(!!)。
今後は「警察と名乗る電話は詐欺ですよ」を標語にして毎日となえましょう。
立ち止まって「おや?」とか「へんだぞ」とつぶやく習慣をぜひ身につけてください。
閑話休題。先ほどの答えは以下。
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プレ「後半」(六) 否定観の仏教、その奥深さ
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この表題を見たとき、すぐにつぶやくべきは「妙な言葉だなあ」とか「難しいなあ」。「否定観の仏教ってなんだあ?」とか「その奥深さってどーいうことだ?」など(立ち止まってつぶやいていれば先ほどの質問に答えられます)。
もうちょっと考えて「空海は全肯定が最終境地と書いていた。否定観ってその反対のことか」の感想が出るようなら、いいつぶやきだと称賛します。
そして本節を読み終え、これらの疑問・つぶやきに関して「何にも答えていない」と気づく(作者から言うと「気づいてほしい」)。
そこで以下の言葉につながります。
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長くなったので、空海論前半「仏教回帰」3節を再掲載するわけは次号に回します。
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つまり、次号より「否定観の仏教、その奥深さ」が語られるということです。
中国ドラマ『永遠の桃花』を見て「後半開始前もう一つこの件について触れておこう」と思ったわけです。
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