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2025.09.26

『久保はてな作品集』プレ1

  「Y高文芸部1年時の活動」

 前号にて予告したように、これからしばらく私がある高校の文芸部顧問をしていたときの生徒作品を公開します。ペンネーム「久保はてな」君の作品です。

 それは今から3×10年近く前1997年のこと。当時の高校文芸部というのはだいたい自由放任でした。部員が自分の好みで小説や詩、アニメ風の漫画を書き、それを冊子にして文化祭で発表する。顧問はせいぜい製本を手伝ったりアドバイスする程度でした。

 その年私は過去2年間部員0だった文芸部に積極的に介入しようと、部活説明会に集まった新入生にある提案をします。
 それは顧問が課題を設定して全部員が書き、作品をプリントアウトしてみなで批評し合う――すなわち[課題→実作→合評]という活動です。

 文芸部はそれまでワープロ教室で活動しており、ワープロ機器「文豪」を使用していました。それが前年パソコンに替わり、ソフトとして「ワード」とするか「一太郎」かの選択で「一太郎」に決定。
 当初集まった1年生は7名、私の提案に同意しました。その後1人退部して新たに4名入部。計11名が3年(1学期)まで活動しました。
 部員は一太郎を使って打ち込み、フロッピーディスクを顧問に提出。私は作者を伏せてランダムに並べ替え、ちょっとした冊子にする。部員は各自印刷して合評に備えるという流れです。

 私も小説訓練のため、ときどき同じ課題に応えて小説を書きました。
 彼らとの3年間は私の創作魂に火をつけ、4年後の2001年早期退職して執筆活動を開始します。
 それから早四半世紀。Y高文芸部のことは縄文か弥生遺跡のように、埋もれたと見なして掘り起こすつもりはありませんでした。

 ところが、猛暑の7、8月ある事情から当時のことを『Y高文芸部物語』として書く羽目になりました。もちろん誰かに依頼されたわけではなく、自分の意思による執筆です。
 それがせいぜいひと月で終わるだろうと思ったのに、意外と長引いて9月中旬までかかってしまいました。

 この影響をもろに受けたのが『空海論文』メルマガです。後編執筆が全くできませんでした。
 メルマガ「ほぞ噛み」読者と「ジンセー論」読者は「ふ~ん」てなもんでしょうが、「空海論」読者には平謝りです。実質中断となってさらに完結が伸びそう。
 寛容の心にてご容赦願います。m(_ _)m

 なぜ部員の中で久保はてな君の作品だけを公開するのか(もちろん本人の了承済み)。
 事情はいずれ語ることにしてこれから掲載していきます。
 短いものは一回で済むけれど、長いものは数回に分けて掲載することになります。
 まー気楽にお読みください。いつもの「一読法で読んでいるか」を問う罠やクイズは一切ありません(^.^)。

 まずはY高文芸部1年、2年時に設けた課題について解説しておきます。
 今号は1年時の課題と活動について。
 なお、今回と次回は狂短歌をつくりました。以後はありません。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 30年 前に埋もれた文芸部 今掘り起こすことに意味あり?

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***** 「久保はてな作品集」 *****

 【 プレ1 Y高文芸部1年の活動 】

 本題の前に一言。
 もしも本稿読者に中高の国語の先生、なおかつ文芸部顧問の方がいらっしゃいましたら、[課題→実作→合評]の活動は(参考にこそなれ)実施不可能だと思います。
 文芸部員はこの活動を通じて表現力、小説構想力をかなり成長させました。
 その分顧問は大変でした(^_^;)。ゆめ「やってみようか」などと思わぬよう忠告しておきます。

 さて、Y高文芸部1年時の課題は以下の通り(末尾は実施月)。

 【1年(97年度)課題】

1「遠足の日」を書く 5月
2 筒井康隆『バブリング創世記』をまねて『自分創成期』をつくる 5月
3「芸術鑑賞の日」を書く 6月
4「顔」を描く 7月
5「叫び」をテーマに掌編を作る(文化祭文芸誌統一テーマ) 8月
6「文化祭準備期間」を描く (文化祭冊子『百八煩悩』製作) 9月
7「ある~時、ある~所に、おじいさんとおばあさんがいました」を冒頭に「物語」をつくる 10月
8「食べる」を描く 11月
9「博物館」を描く(S市立博物館訪問) 12月
10 現代都市をテーマに「絵本」をつくる 98年1月
11 源信作『往生要集』を参考に現代版「地獄物語」をつくる 3月

 1年目最大の目的はとにかく表現力を身につけること。私はそれを「文字デッサン」と呼びました。
 絵画などは必ずデッサンから始まる。奇想天外な「泣く女」を描いたピカソも、燃えるひまわりのゴッホも、最初は静物、人物、風景をリアルに描く訓練を積んでいる。
 ならば、文章だってまずはデッサン力。しかも、芸術的独創的な文体は必要ない――と言うより天才でもない限り、初めから素晴らしい文体が生み出せるはずもない。

 まずは普通の文章がフツーに書けること。主述の対応、漢字、助詞テニヲハの使用。推敲して誤字脱字を訂正するなど、現在の能力を駆使して原稿用紙1、2枚の文章をつくる。
 特に推敲は「避板法(同じ言葉が繰り返されることを避ける)」のために必須の作業。
 部員には「知らない人の作品を粗探しするつもりで読みなさい」と言ったものです。

 後に久保はてな君が書いた作品(7月執筆)の中に当時の様子が詳しく書かれています。
 Y東西高校や文芸部の活動実態にも触れているので、それを引用したいと思います。

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 Y東西高校の文芸部は今1年生7人しかいない。東が4人で西が3人。
 S市にあるうちの高校は全国でも珍しい双子高校で、同じ敷地内に東と西、二つの高校がある。
 1学年7クラスだから東西全部で42学級。だから、施設やグランドなどかなりでかい。
 基本の授業は別々なんだけど、選択授業、それに運動会や文化祭の行事なんかは東西合同でやる。
 東には音楽コースと美術コース、西には体育コースと外国語コースの専門コースもある。ぼくは東の一般コース。つまり普通科みたいなもんだ。

 部活動は基本的に東西別々だけれど、いくつかのクラブは合同で活動している。
 文芸部も東西合同の部活だ。顧問のS先生によると過去2年間休部状態で、そろそろ廃部にするつもりだったらしい。

 4月初め、S先生は新入生向けのクラブ説明会でこんな提案をしてきた。 「文芸部というのはどこの学校でも部員各自が詩や小説を自由に書き、冊子を作って発表というパターンが多い。この文芸部もそうだった。
 しかし、クラブ全体の日常活動として考えると、それではクラブとして寄り集まる意味がない。それに自分で書いているだけで批判されることがないと、文章表現の練習にならない。
 そこで今年から部員が自分勝手に創作するんじゃなく、先生が出す課題に沿って全員同じものを書く。そして、みんなでその合評を行う……」

 先生はそのような文芸部にしたいと言ってきた(つまり「切磋琢磨」ってやつだ)。
 もちろん各自好きな詩や小説を自由に書いて構わない。ただクラブ全体としては[課題→書く→合評]の三段階でやる。「一年生がその条件に従ってくれるなら本腰入れてやりたい」と締めくくった。
 入部希望者7人は全員先生の提案に同意した。
 もっとも、新入生が入学早々先生に逆らうわけなかったけどね……。
 そんなわけで文芸部は1年生だけで再スタートってことになった(ぼくらはみな新だけど)。

 これまで春の遠足や芸術鑑賞当日の体験を八百字程度で書いたり、筒井康隆の『バブリング創世記』をまねて「自分創世記」を作ったりした。
 それぞれ「遠足当日の自然描写を入れよ」とか、芸術鑑賞では「会場となった建物を書け」などいろいろ条件がある。
 今度の課題なんか「顔を描く――その際直喩を必ず入れる」だった。いわゆる「~のように」ってやつだ。絵じゃないんだから、文字で人の「顔」を書くのはかなりしんどかった。

 合評の方は作品を順に読んで行って良い点悪い点を批評し合う。
 みんながどう課題に取り組んだかすぐわかるし、部員それぞれの個性的な文章が読めるので結構楽しい。
 きっちり課題をこなした作品に感心する一方、何だかよくわからない難解な作品があったりする。西校のAなんか課題にちっとも答えない、はちゃめちゃな文章を書く。
 先生はうんざりしているけど、ぼくはそれもそれでいいかなと思う。

 合評の作品には作者名をつけていない。それでもだいたい誰が書いたか見当はつく。
 だから、批評も書いた人を傷つけないような言葉が多い。それでもときにぐさっと刺さる批評が出る。先生を含めて全員が批評するので、自分の番になると内心どきどきする。
 部員の作品を読んで「うまいなあ」と思ったり、自作を振り返って自己嫌悪に陥ることもたびたびだった。(「透明な叫び」より)
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 その後文化祭冊子の表題を『百八煩悩』とすることに決めた。
 そして、統一テーマとして「叫び」を設定。

 このテーマは1997年当時の社会情勢と関係している。あのころ十代以降の人は今でも記憶に留めているのではないだろうか。
 同年2月から5月にかけて発生した少年「A」による児童連続殺傷事件―所謂「酒鬼薔薇聖斗」事件は社会を震撼させた。
 中学校の正門に切断された児童の首が置かれ、マスコミに犯行声明が送付されるなど特異な事件だった。犯人が逮捕されると「普通」の中学3年生であり、連続殺傷事件だったとわかってさらに衝撃を与えた。

 もう一つは「あの頃日本の少年少女を熱狂させたアニメは?」とクイズにすれば、多くの人が答えられるだろう。「新世紀エヴァンゲリオン」である。
 1995年にテレビ放映が始まり、1年後不可解な形で終わる(中断?)。翌97年7月の映画版にて一応の結末を迎えるものの、その後も映画版は継続され、最終的に完結したのは2021年であった。
 巨大な汎用人型兵器「エヴァンゲリオン」のパイロットとなって謎の敵「使徒」と戦うのは14歳の「普通」の少年少女たち。普通とは言え、生い立ちや心に様々な問題を抱え、どうして戦わねばならないのか悩みを抱えていた。

 私は当時の十代がムンクの絵『叫び』に似て、何かを叫んではいるけれど、何を叫んでいるかはわからない――そのように受けとって文化祭冊子のテーマとした。97年入学の文芸部員は正にこの世代ど真ん中だったから。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:冒頭の狂短歌――「30年 前に埋もれた文芸部 今掘り起こすことに意味あり?」に対して当然「意味あり」の答えが用意されています。
 文化祭冊子のテーマを「叫び」とした理由を書いた部分でおわかりいただけるかと。

 当時日本は「世界のナンバー1」と呼ばれたバブル景気が終わって沈滞期に入っていた。ただ、世界は東西ドイツの壁崩壊、ソ連解体と続いて「ようやく冷戦の終了、平和な世の中がやって来る」と思わせました。
 ところが、30年経って世界は第三次世界大戦の様相を呈し、日本の子供たちはいじめ・不登校、競争社会のプレッシャーで苦しんでいる。「どうして戦わねばならないのか」というつぶやきは今の子供たちみなが抱えているのではないでしょうか。
 今こそ「叫べ! 子供たち」と言いたいものです。

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