文芸部久保はてな君の作品2。今回は「ある時ある所におじいさんとおばあさんがいました」の書き出しで物語を作る。
時代は問わないので、大昔から現代、未来までいつでも可。
有名な『桃太郎』の書き出し――「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」と同パターンです。
なぜこの書き出しをまねて物語をつくろうというのか。
それは小説の三要素を学ぶためです。何それ?
小説の三要素とは《時・所・人》のこと。いつ・どこで・誰が。
桃太郎の冒頭はたった一行で小説の三要素を満たしています。
あとは「何」を「どのように」描くかだけ。
この「いつ」・「どこで」・「誰が」・「何を」・「なぜ」・「どのように」を「5W1H」とも言って新聞記事など報告文を書くときの基本です。
ただ事件事故の記事では「なぜ」は不明のことが多く、小説・物語においても、殊に短編において「なぜ」は書かれないことで読者に考えさせたり、余韻を持たせることができる。「なぜ」を書くと大概長くなります。誰かさんの作品のように(^.^)。
はてな君の作品は未来社会を描きつつ、最後にどんでん返しがありました。
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*****「久保はてな作品集」 *****
【 久保はてな作品集2 】課題「ある時ある所におじいさんとおばあさんがいました」の書き出しで物語を作る
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ライフ・パイプの田舎暮らし 久保はてな
遠い遠い未来のことです。ある片田舎の一軒家におじいさんとおばあさんが住んでおりました。おじいさんはもう八〇歳近い高齢、おばあさんも七〇代半ばでした。
しかし、おじいさんもおばあさんも背筋がぴんと伸びて(百年前に発明されたカルシウム・エキスのおかげです)まだまだ元気でした。
家の周りには小さな畑と四季折々の花々が咲きほこる野原が広がっています。近くのブナの森からは小鳥のさえずりが聞こえてきます。森から流れて来る小川は透き通った清流で、せせらぎの音が美しい響きを聞かせてくれます。「一の七八田舎」と呼ばれるこの村はとても穏やかで自然が一杯の村でした。
毎日の生活はライフ・パイプを通して新都から充分な食料が配給されます。朝昼夕好きなものが食べられるので、食事の心配は全くありません。だから、自分たちで食事を作らなくてもよいのですが、おばあさんは完成品ではなく材料を選択していました。やはり手作りが一番おいしいそうです。
ライフ・パイプは本当に便利な器具です。ボタン一つで着る物、日常雑貨などありとあらゆるものを取り出すことができます。それも一種類だけということはなく、自分の好みに合わせて色やデザインを選べるのです。
また、ゴミや不要品は排出ライフ・パイプを通じて処理施設へ送られます。トイレの汚水、生活排水も下水が完備されています。それらの費用は全て公費でまかなわれているので、お金は全く必要ないのです。
おじいさんは趣味と運動を兼ねて裏の畑でトマトやきゅうりなどを作っています。
また柿やリンゴ、グミ、ナツメなどがなる木も何本か畑の周囲にあり、おじいさんはそれらを食卓に上げていました。おばあさんはおじいさんを手伝いながら読書をしたり、野原に花の種などをまくのが好きでした。
隣家とは歩いて三十分ほど離れています。乗り物は支給されないので、行き来は少なく近所付き合いはほとんどありません。
もっともお隣も年とった夫婦の二人暮らしで、この「一の七八田舎」に住む人はみなお年寄りばかりでした。若い人や子どもは全て「第一新都」で暮らしているのです。
西暦二五××年現在、人々は新都と田舎に分かれて暮らしています。
新都は独身者や五十歳までの夫婦とその子ども、田舎はおじいさんやおばあさん達――という風に完全に分離されています。
新都と田舎(アメリカではシティにホーム)は昔の距離で言うと二〇〇キロは離れています。しかし、地下の巨大トンネルを浮上して走る、時速一〇〇〇キロの超高速機のおかげで、第一新都と七八田舎は、二十分ちょっとでつながります。だから、田舎暮らしのお年寄りはいつでも子どもや孫と会うことができるのです。
ただ、新都生活者は自由に田舎に行くことができるけれど、おじいさんおばあさん達は、地球法第三十四条により、一切新都に入ることができません。
おじいさんとおばあさんには三人の子がいます。一緒に暮らせないのは寂しい限りですが、子ども達は二、三週間に一回は訪ねてきます。既に一番上の息子には孫がおります。ひ孫はやっと三歳になったばかりで、おじいさんとおばあさんはひ孫を殊の外可愛がっていました。
また、盆と正月には三家族全員が集合するので、それはそれはにぎやかです。特に夏は、新都の家族持ち全員に一ヶ月の長期休暇が与えられます。クーラー完備の新都の生活は快適ですが、この自然あふれた田舎の生活は避暑として新都生活者に歓迎されているのです。
新都の様々な生産活動、都市機能の維持は全てロボットとコンピューターでなされています。昔三Kと呼ばれた肉体労働は今精巧なヒューマノイド・ロボットの仕事となっています。人間はその管理が主たる仕事です。
一時期労働は全てロボット任せという時代もありました。しかし、それは人間を堕落させ、空虚感に陥らせました。それにロボットとコンピューターに全てを任せては大多数の人間を必要としなくなります。
そこで政府は昔ながらの会社組織を復活させ、多くの人はその会社でOLやサラリーマンとして働いています。それから自営業、サービス業、芸能、芸術家などは昔のままです。ただ、政府中枢部を除き、全ての職種で五〇歳定年制が敷かれています。
夫婦のどちらかが定年を迎えると、それから十年間は新都で暮らすも良し、田舎に住むも良し。自由に退職後の人生を送ります。そして六十歳になると、必ず二人揃って田舎住まいとなるわけです。
このシステムが全地球的に施行された二百年前、まだ働きたいと思う人、新都でずっと暮らしたいと言う人もいました。しかし、都市の維持に多くの人間は必要ありません。
何より働いた後はどこか田舎でのんびりゆったりと暮らしたい。それは大多数の人々の願いでした。だから、この分離システムは好評をもって迎えられました。
一夫婦に一軒、土地付きの家が支給されたし、ライフ・パイプが完備され、衣食住の心配は一切なくなりました。それも歓迎された理由でしょう。
それに「田舎」として指定された所はみな美しい自然にあふれ、気候も穏やかな土地ばかり。そんないたれりつくせりの環境が人々を惹きつけたのです。
このシステムは既に二世紀に渡って存続しています。日本では第一から第五まで、新都が五つ、それに付随して一〇〇の田舎があります。
田舎だと病気になったときがもっとも不安です。事実田舎群に医師は一人もいません。病院もありません。しかし、心配ご無用、もし医者が必要なときはすぐに新都から医師が派遣されます。
何よりこの時代、老人達が病気になることはほぼなくなりました。癌や心臓病など致命的な病気は遺伝子療法のおかげで全て克服されています。だから、若い人はもちろん、お年寄り達もひどい病気になることはまずないのです。
また、カルシウム・エキス、その他薬剤の発見、発明により、アルツハイマー、老人性痴呆症になる恐れもなくなりました。いまだ治療法が発見されていないのは風邪だけという具合です。ウイルス系の病気だけはまだ治療法が確立されていないようです。
さらに人類永年の課題、老化だけはいかんともしがたく、現在のお年寄りはほとんどが老衰によって死を迎えます。
そうそうもう一つ。現在の科学技術をもってしても、いまだ退治できないのがあのゴキブリ。彼らだけはこの数百年あらゆる殺虫剤にうち克って生き延びています。おばあさんは大のゴキブリ嫌いで、相変わらずライフ・パイプから古典的なゴキブリ・ホイホイを取って台所の隅に据え付けています。
おばあさんの死は早春の頃突然訪れました。
二、三日前からごほんごほんとせき込んで床に就いていましたが、急に様態が悪化。おじいさんが医師を呼んだときには既に肺炎を併発していました。
医師がカプセル注射を一本打つとおばあさんの咳はおさまり、穏やかな寝息に変わりました。肺炎には一錠で治る強烈な薬があります。ところが、その薬は高齢者には効きすぎるのか、肺炎は完治しても患者はそのまま眠ったように死んでしまいます。
若者にはその副作用が一切出ないのに不思議なことです。あるいは、それは老人に安楽死を約束する薬と言えるかもしれません。医師によるとその薬を飲んで楽に逝くのもいいし、このまま衰弱して逝くのもいい。薬を飲めば一日で逝くし、このままでもほぼ一週間がヤマだと。しかし、どちらにしても穏やかな死を迎えるはずだと言いました。
おじいさんは後者を選びました。最後に最愛のおばあさんをできるだけ看病して見送ってやりたいと考えたのです。子ども達も全員集まりました。両親の臨終に関しては医師の死期宣告から、三週間の休暇を取ることができます。そして、医師の死期宣告がずれることはまずありませんでした。
それから一週間、おじいさんはおばあさんに付きっきりで食べ物や下の世話など、懸命に看病を尽くしました。おばあさんは衰弱が進行して自力で起きあがることができなかったからです。 数日後の夜、おばあさんが眠っているときおじいさんはおばあさんの白髪頭を梳かしてやりながら、昔のことを思い出していました。
おじいさんとおばあさんが結婚してもう五十数年になります。会社の受付嬢だった若い頃のおばあさん。美人で優しかった。仲間を競り落として彼女と恋に落ち結婚までこぎつけた。そして出産、子育て。子ども達は可愛かった。原則二人までのところ、三人も生んでしまった。
時々、子育てをめぐってけんかもしたけれど、おばあさんはよくやってくれた。私もおばあさん一筋だったな――おじいさんはそんなことを思い起こしながら、おばあさんの手を握りました。しわしわで小さな手でした。眠っていると思っていたおばあさんが手を握り返したので驚きました。
おじいさんも自分のしわだらけの両手で、強くおばあさんの手を握りしめました。
「おじいさん、私ゃ、幸せでしたよ」おばあさんは寝言のように小さく呟きました。
二日後おばあさんは眠ったまま静かに、そして少しも苦しむことなく息を引き取りました。
床の周りは子ども達や孫が優しかったおばあさんの死に涙を流しました。おじいさんももちろん涙を抑え切れませんでした。孫達は野原に咲いた春の花々をたくさん摘んできて、おばあさんの周りに飾り付けました。
葬式を終え、初七日も過ぎると子ども達は新都へ戻りました。
おじいさんはがらんとした家に独りぼっちになりました。おじいさんは寂しいと思うより、自分にもあるものが迫ったと感じていました。
子ども達には隠していましたが、二、三日前から小さな咳が出始めたのです。おそらくおばあさんの風邪が移ったのでしょう。この年で風邪にかかるということはおばあさん同様ほとんど致命的なことでした。
自分にも来るべきものが来た。おじいさんはそう思いました。しかし、おじいさんは本望でした。すぐにおばあさんのもとへ行ける。それにこの家に一人ぼっちで暮らすよりいい。おじいさんはそう思いました。
おじいさんの風邪はすぐに新都のヘルパーにわかりました。一人暮らしを始めた老人には、一日に一度必ずヘルパーとの定時連絡があるからです。
昼過ぎに医師がやってきました。医師はおじいさんに肺炎の初期症状が出ていると宣告しました。彼はカプセル注射を打った後、一錠の薬をおじいさんに示して飲めば一日後、飲まなくてもあと十日でしょうと言いました。
おじいさんの症状はひどくなかったし、自然のまま死にたいと思っておじいさんは飲まない方を選びました。自力で動くこともできたので、子ども達はまだ呼ばないつもりでした。
おじいさんは医師を見送った後、小川沿いの小道を歩いてブナの森へ向かいました。
外を歩くのもこれが最後かもしれません。昔子どもの頃夏になるとこんな小川で川遊びをしました。メダカをすくったり小さなフナやハヤを捕ったり。森に入ってくぬぎの木でカブトムシやクワガタも捕まえました。
そのときそばには自分の祖父がいました。だから、たぶん祖父の田舎だったのでしょう。大きくなって新都で働くようになってからは田舎に行かない限り、自然とたわむれることはなくなった。もちろん新都にも池や噴水があり、緑の木々や草花があります。しかし、それらは全て精巧な人工物か立体ホログラムで、本物の自然は皆無でした。
数百年前、地球環境は危機的状況に陥りました。大気汚染、酸性雨、温暖化現象により、樹木や植物が壊滅状態になったのです。
そのとき人類は自らの過ちに目覚め、分離原則と都市のコロニー化を考案しました。それは都市部と田舎を完全分離し、都市排気が大気に放出されないよう、都市を巨大コロニーとして、閉鎖空間にすることでした。
約百年かけて世界の都市のコロニー化が進行しました。それが終わると都市の産業・生活雑排水、都市排気は都市内部で完全処理されるようになりました。そして、同時進行で都市部以外の「田舎」候補地を整備していったのです。
田舎は開発禁止区域となり、ライフ・パイプや地下高速移動トンネルの敷設が進みました。およそ百年後新都以外の地は徐々に自然を取り戻しました。そして、そこは順次「田舎」となり、定年後の人々が移り住むようになったのです。
それからさらに百年、地球環境は新都コロニーを除いて、昔の美しい自然をよみがえらせたのです。
おじいさんはブナの森に入ると小川の源流に向かいました。
小鳥が鳴き蝶が飛び交い、糸とんぼがふわふわと浮かんでいます。木漏れ日がひんやりとした空気の中で春の暖かみをもたらしてくれます。
なお三十分ほど歩くと、小川は小さな池になりました。そこが源流です。苔むした岩の隙間から湧き水がちょろちょろ流れ出ています。
おじいさんは手に水を掬って口に運びました。冷たく爽やかな味でした。
自分もいよいよ終わりの時を迎える。いろいろあったが、自分なりに充実した人生だった。おばあさんと一緒に暮らして幸せだった。機械とコンクリートに囲まれた新都で暮らしていた頃、自分は豊かな自然の中で生きたいと願った。それがここにあったんだ。ありがたいことだ。おじいさんはそう思いました。
医師の宣告からちょうど十日目の夜。おじいさんは床に伏し、周囲は駆けつけた子どもや孫達でいっぱいでした。みな泣きそうな顔をしていました。おじいさんは子や孫とお別れの握手を交わしました。
一番小さなひ孫は最後にやって来ました。すべすべの手をおじいさんのしわしわの手が握りしめます。ひ孫は既に目に涙を浮かべて小さくしゃくり上げていました。
おじいさんも子ども達もあと数時間で確実に死がやってくることを知っているのです。
医師はおじいさんのそばに座っています。おじいさんは頭が重く身体全体に少し痛みを感じました。しかし、医師には告げませんでした。静かに目をつぶってその時を待ちました。
おじいさんの心は平静でした。大きく息を吐くとき、すうっと意識が薄れていくような気がします。死の瞬間というのはこんな感じなのかと思いました。
おばあさん、もうすぐ逝くよ。おじいさんは心の中で呟きました。そのときおじいさんは最後にもう一度、ひ孫の顔を見てから逝きたいと思いました。
おじいさんはふっと目を開きました。すると妙なものが目にとまりました。
目の前には透明なガラス。眩しい白色光。高い天井。
そこはおじいさんの家ではありませんでした。おじいさんの周囲にいたはずの子や孫たちは消え失せ、人が一人もいませんでした。
しかも、おじいさんは布団に寝ているのではなく、透明な人型カプセルの中に横たわっていたのです。頭にはヘルメットのようなものを被っていました。
おじいさんは目をはっきり見開いて周囲を見回しました。そこは天井の高い巨大な部屋でした。金属的な色の天井から白色光が射しています。赤青黒のコードが大理石のような壁に張り巡らされています。
向こうの壁の上部に窓付きの小部屋があり、その中に白衣を着た人が二人立っています。そして、巨大な部屋には何百何千という人型のカプセルが並んでいました。
おじいさんは隣のカプセルを見ました。その中にはヘルメットを被った四十前後の男性が寝ています。その向こうのカプセルには四十代の女性……。
これは……一体どういうことなのか?
おじいさんは自分の手を目の前にかざしました。
おじいさんはびっくりしました。手にまったくしわがないのです。
「これは何だ? 一体、どういうことなんだ?!」
コントロールセンター内で二人の担当者があわただしく動き回っている。
暫くして落ち着いたのか、一人が口を開いた。
――危なかった……薬品の量を間違えたんじゃないのか?
――いや、そんなことはないと思う。しかし、処置が間に合ってよかった。気づかれたらえらいことだった。重大罰則寸前だったな。
――ま、彼が動き出してカプセルを抜け出したとしても、保安要員が飛んでくるからいいんだが。ただ、彼には気の毒なことをした。いい思い出を抱いたまま逝かせてやりたかった……。
気を付けよう。おそらくテープと記憶中枢が切断されて最終薬が脳に注入されるとき、一瞬間があるんだ。そのとき覚醒して目を開けるなんてめったにないと思うんだが、今のようにあり得ないわけじゃない。上司に報告しておいた方がいいかもしれん。
――そうだな。あーあ、俺もあと十年か。いくら全世界的に決められたこととは言え、四十年しか生きられないなんて悲しいことだぜ。
――しかし、この最終装置のおかげでいい思い出と言うか、いい夢を見ながら死ねるんだから、ある意味幸せかもしれない。
――幸せだって! それまでの自分の記憶を全て消され、みんな同じ生い立ちになるんだぜ。子供時代、学校、会社、恋愛、結婚、家族、老後、そして死……全て同じ記憶を植え付けられる。それが幸せだって言うのか? たった四十歳で殺されるように死んで……いや、それは運命としてあきらめよう。一コロニー、一国の定員が限られているのだから、四十歳で死ぬのもやむを得ない。
だが、この装置は自分という存在、その記憶さえ消してしまうんだぜ。しかも、本人に何の了解もなく……。
――今の俺達にどんないい思い出があるって言うんだ。みんなコロニーの外数百キロ先に、美しい自然の「田舎」があると思っている。そして、定年後はそこでのんびり暮らす。そう思っている。しかし、もしコロニーの外に出たら愕然とするだろう。空気は薄く一本の木、一本の草さえない世界だ。人間は一日たりとも生きていけない。
コロニー完成から既に二百年。いまだ地球の自然は回復しない。当然だよ。コロニーの排泄物を全て外に吐き出しているんだから。もう俺達はコロニーの中でしか生存できないんだ。だったら今の悲惨な地球で自然を知らないまま死んでゆくより、大昔のように美しい自然の中で老後を送り、静かに死ぬ。そんな記憶をもって死んだ方がはるかに幸せだと思うな。
――そうかも知れない……。ちくしょう、何でこんなことになっちまったんだよ! (了)
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最後まで読んでいただきありがとうございました。
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