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2025.10.31

「久保はてな作品集」4

 文芸部久保はてな君の作品4。
 今回の課題は文化祭冊子のテーマ「叫び」について小説を書くこと。

 はてな君の作品はこれも長かったけれど、97年当時の社会情勢を取り入れた私小説風の作品となっていました。
 なお、メルマガ配信としては長すぎるので、ここでは冒頭とあらすじを掲載します。
 それ以降は次のPDFファイルをご覧ください。

 「透明な叫び」

 PDFファイルを開くには「アドビアクロバットリーダー」ソフトが必要です(無料)。
 以下のサイトよりダウンロードしてください。

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 また、PDFファイルの文字拡大には上部にある[- 100 +]の+をクリックしてください。

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*****「久保はてな作品集」 *****

【 久保はてな作品集4 】課題課題「叫び」をテーマに小説を書く

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 透明な叫び    久保はてな


「ただいま……」
「おかえりなさい。どうだった、学校は?」
 台所からママが聞く。毎日、はんで押したような言葉だ。それは夏休みに入っても変わらない。
「別に、特に何もなかったよ」
 ぼくもはんで押したような答えを返す。それからバッグをめんどくさそうに肩にかつぎ直して、そのまま二階に上がろうとする。でも、ママは許さない。親子の会話ってやつをしたがるんだ。

 ママはエプロンで手を拭きながら、ぼくの前に現れた。
「今日学校には部活で行ったんでしょ。どうだったのよ」
「どうって?」
「あなたの、さ・く・ひ・ん。今日は合評会じゃなかったの。先生やみなさんの評判、どうだった?」
 ママはぼくの作品を読んでいたから、文芸部の合評があった日には、ぼくの作品がどう評価されたか必ず知りたがる。さらに仲間の作品にもああだこうだと寸評を加える。どうやらママも、昔はいくつか詩や小説などを書くブンガク少女だったらしい。

 夏休みに入って今日二十五日は文芸部二回目の集合日だった。そして、課題『顔を描く』の合評日でもあった。
「今日はね、部員が全員揃わなかった。だから、作品の合評は次回八月二十五日に持ち越しになったんだ」
「あら、そう。残念だったわね。やれば良かったのに。これからひと月もあけるんじゃ、気が抜けちゃうじゃない」

 全くそうだ。部員が揃わなくたってやれば良かったんだ。今日は二人不参加だった。先生は最初「二人いないけどやるぞ」って言ったんだから、始めれば良かった。だのに、女の子の「書いた当人がいないと批評をしてもやりがいがないし、作者も批評を聞けないので参考にならないと思う」なんて言葉に負けてやめてしまった。それじゃあ今日集まったのは一体何だったってことになる。ホントに優柔不断なんだから……。(続く)

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 あらすじ

 1997年4月Y高に入学した「ぼく」は文芸部に入部した。
 顧問は国語科のS先生。文芸部に上級生は不在で、S先生は部活説明会に集まった8名の新入生に「課題→実作→合評」という活動をしたいと提案した。
 新入生のぼくらにいやなどという資格も権利もなく、文芸部はその活動をスタートさせた。1学期の活動を経て先生は9月末の文化祭で発行する冊子のテーマを「叫び」とすることに決めた。

 ぼくはムンクの有名な絵『叫び』を取り上げようと思い、あの人物は一体何を叫んでいるのか、まずそれを探求することにした。ママやパパに聞き、中学校時代の親友Oに「何を叫んでいるか」聞いた。彼らは答えてくれたけれど、どうもしっくりこなかった。
 数日後ぼくは一つ年上の従姉の家に行って彼女にも尋ねた。いとこはムンクの画集を見せてくれた。それによってムンクが不幸な生い立ちを持っていること、『叫び』には似たような作品があり、薄気味悪い赤ん坊か子どもの顔が叫んでいる人物に似ていることを知った。

 いとこはオレンジジュースやスイカを出してくれた。部屋は彼女と二人っきりだったので、ぼくは微妙な感情にとらわれて困った。そのうち彼女の両親が離婚することになったと聞いて驚く。いとこは涙を流した。結局彼女が語った『叫び』の答えはいとこの心境を反映しているように思えた。

 帰路に就いてぼくはCDを返し忘れたことに気付き、再び家に行った。彼女はいなかった。そのときぼくは庭で大変なものを見つけた。いとこが帰るのを待つかどうするか考えながら、ぼくは『叫び』の人物が何を叫んでいるかわかった気がした。これだと思い、黙っていとこの家を出た。
 帰宅後ママにぼくが思いついた答えを話すと、ママはあの人物のように顔をゆがめて……。

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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:本稿は前置きや後記に時の話題を採り入れて書いています。先月はなかなかそのスペースがなく、特筆すべき政治状況について書けませんでした。
 もちろんそれは日本憲政史上初の女性総理誕生。公明の与党連立離脱、自民+維新による新連立の開始など、とやかくあってT女性総理が誕生しました。

 書きたきこと多々あれど、この場はこの事実だけに留めます。
 選挙があるたび「小選挙区はやめて比例代表に」と主張しているくらいだから、両党合意事項の「比例代表を50減らせ」に到底賛同できないことはおわかりいただけるかと思います(^.^)。

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2025.10.24

「久保はてな作品集」3

 今回の課題は「現代都市をテーマ」に絵本を作る。

 絵本も小説の三要素である「時・所・人」が必要です。うち「時」は現代と指定されている。また、「人」は絵本だから必ずしも人間でなくていい。「現代都市をテーマ」とすれば、幼児向けにはならず、高校生らしい作品が出来上がるのではと期待しました。

 さすがに部員は苦労したようです。が、提出された作品は全て掲載したいほど面白いものが多かった。残念ながら画像の入ったフロッピーディスクを読み込めなかったため、絵はありません。
 はてな君の作品は他部員から「長すぎる」とクレームがあったけれど、丁寧に書かれた物語はAI全盛(となりつつある)現代でも充分通用するテーマでしょう。


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*****「久保はてな作品集」 *****

【 久保はてな作品集3 】

 課題「現代都市をテーマ」として絵本を作る

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 パソ君街を行く    久保はてな

 ある日のことです。朝、日の出とともに街角のゴミ置き場に捨てられていた 一台のパソコンが足と意志と手を持って歩き始めました。

 ぶかっこうな太い足。細い腕に二またの手。ナイロンに似たぶよぶよの肌。
 それはできそこないのぬいぐるみのようでした。
 しかし、パソ君は別に気にすることもなく、ぴょこぴょこ歩き始めました。

 しばらく行くと、パソ君はやはり道の片隅に捨てられていた携帯電話を見つけました。
―痛い、痛い。お腹が痛くてたまらない。誰か助けて下さい―
 ケータイ君は泣いていました。
 パソ君はケータイ君のそばまで行ってお腹のあたりを見てあげました。
 それは液晶タイプの携帯電話でした。

 痛い理由がわかりました。
 ケータイ君のお腹の数字や記号が本来の順番になっていないのです。
 パソ君はケータイ君に尋ねました。
「君が変えたのかい?」
 ケータイ君は苦しそうに答えました。
―ぼくが変えたわけじゃないよ。ある日突然こうなって、それで捨てられちゃったんだ。
 それ以来このままで痛くてたまらないんだけど、誰も治してくれないんだ。痛い、痛い、何とかしてほしいよ―

「そうか、さしずめこれはちょうねんてんというやつだね。
 わかった、ぼくが治してあげよう」

 パソ君はコードをつなぎ、ぽんぽんとキーボードを叩きました。
 するとケータイ君のお腹の数字はあっという間に元に戻りました。
―ああすっきりした。どうもありがとうございます。どうか私もあなたのお供をさせて下さい。どこかできっとお役に立つと思います―
「いいよ。じゃあ一緒に行こう」

 パソ君はケータイ君を手に取ってまた歩き始めました。

 次のゴミ捨て場でパソ君はフロッピーのミス・フローリアと会いました。
 彼女も涙ながらに訴えました。
―わたしはせっかく体の中に美しいミディの曲をためておいたのに、接続不良でポイと捨てられてしまいました。それ以来わたしは二度と歌うことができなくなったのです―
「それはかわいそうに。そうか歌を忘れたカナリヤってあなたのことだったんですね。
 ではぼくのお腹に入ってください」

 パソ君はミス・フローリアをお腹に入れ、しばらくピコピコと接続を試みました。
 するとオレンジ色のライトが点滅して美しいメロディが流れ出ます。
 ―やった、うまくいきましたね―
 ケータイ君が歓声を上げました。
 ミス・フローリアも喜びの歌を歌います。

―ありがとうございます。これでまた歌を歌うことができます。
 お願いします。どうかこのままあなたの中にいさせてください―
 それはもちろんパソ君にとって願ってもないことでした。
 パソ君は彼女の歌を聞きながらまた歩き始めました。

 ニンゲンは音楽を流しながら歩くパソ君を見て新種のへんてこロボットか、パソコンのサンドイッチマンだろう――てな顔をする程度で誰もパソ君の邪魔をしませんでした。

 そして、歩き続けたパソ君は町外れの工場で山積みにされた仲間を見つけました。
 それは膨大な量の捨てられたパソコンでした。
 パソ君は大きな声で呼びかけました。ケータイ君も声をかけました。
 でも、返事は一つも返ってきません。
 もちろんここのパソコンに手や足はありませんでした。

 パソ君は不思議に思いました。
 自分は手や足を持ってよみがえったのに、なぜこのパソたちは生き返らないのか。

 パソ君は仲間を捨てたニンゲンに対して怒りがこみあげてきました。
 ニンゲンを許せないと思いました。
「フローリアさん。怒りの歌を歌ってください」
 フローリアは黙ってしまいました。
―ごめんなさい。わたしはやさしい歌しか歌えないんです―
「そうか……そうだよね。ぼくもアシモフ博士の遺言でニンゲンには手を出せないんだ」
 アシモフ博士の遺言とはロボット三原則のことで、その一つにロボットは人間に危害を加えてはいけない―というのがあるのです。

 しかし、このままではいけない。
 そう思ったので、パソ君は工場の前で道行く人々に訴えました。
 どうか古くなったパソコンを捨てないで下さい。パソコンにだって命があるんですと。
 何人かの人は立ち止まってパソ君の話を聞いてくれました。
 でも、ほとんどの人は立ち止まることなく行きすぎます。
 どこかの誰かのパフォーマンスぐらいとしか思っていないようです。

 それは当然のことです。
 パソコンが自ら意思を持って語っているなどと、一体誰が思うでしょうか。
 ミス・フローリアも訴えました。
 うっとり聞いている中年女性のそばを若い女性が通り過ぎていきます。
 どうやらメロディー、それも古いタイプのメロディーが流れているようです。
 ケータイ君も訴えました。すると「うるせーなー、呼び出し音が鳴ってるぞ。早く出ろよ!」なんて声が聞こえます。
 どうやら二人ともニンゲンの言葉になっていないようなのです。

 ケータイ君が言いました。
―そうだ。テレビで訴えてみたらどうでしょう。全国の人に訴えれば、わかってくれる人がいるかもしれません―
「そうか。やってみよう」
 それからパソ君は歩きに歩いてやっと一つのテレビ放送局の前までやってきました。
 しかし、放送局の守衛さんは「アポなしじゃダメだ」とか、「シロートがデンパ少年みたいなことするな」と言って中に入れてくれません。
 ここでもパソコン人形の中に人が入っていると思われたようです。
「だめだね」
―はい……―
―……―
 パソ君はまたとぼとぼ歩き始めました。

 そして黄昏の団地街に着くと、パソ君は小さな公園のベンチにぐったりと座りこみました。そこには「あすなろ公園」と名がありました。
 暫くすると子どもたちがパソ君のそばにぞろぞろ集まって来ました。
「妙なぬいぐるみだねえ」
「かっこわりー」
「パソコンマンだあ」
 パソ君は子どもたちなら、と思ってまた演説を開始しました。

 ぼくの仲間を捨てないでほしい。
 パソコンは命を持っている。物にだって命があるんです、と。
 子どもたちはてんでにいろんなことを話し始めました。
「パパはこの間パソコン捨ててたなあ」
「ぼくもおもちゃなんか新しいの買ってもらったら、前のは捨てちゃうよ」
「ぼくは捨てないな。でも、ママが多すぎるから捨てなさいってうるさいんだ」
「わたしは人形古くなったら捨てちゃう」
「それに壊れちゃったら捨てるしかないもんね」と、わいわいがやがや。

 それから一人の子どもがパソ君をしげしげと見て言いました。
「ところでお兄ちゃん、どんな顔なの。その頭取って見せてよ」
 パソ君は子どもたちに言いました。
「ぼくはニンゲンではありません。足と意思と手を持ち、言葉を話す、生きているパソコンなんです」
 子どもたちはぽかんとしてそれからどっと笑いました。
「嘘言ってやがら」
「どうせ中に誰か入っているか。そうじゃなかったら、どこかで操っているんでしょ」
「嘘に決まってらあ」
 パソ君は腕や足を触らせました。
 でも、ぶよぶよしたナイロンみたいな肌を触っても、子どもたちは信用しません。
 フローリアの言葉もケータイ君の言葉も、それぞれメロディーと呼び出し音になるばかりでした。

 その後夕飯時になり、子どもたちは散り散りにいなくなってしまいました。
 薄暗くなった公園にはパソ君だけが残されました。
 フローリアはもう歌うのをやめています。
 ケータイ君はうつらうつらしています。
 パソ君はしばらく考えこみました。

 神様はなぜぼくに手足と言葉と意思を与えたのか。自分の使命は何なのか……。
 しばらくしてパソ君は顔を上げると、ケータイ君を起こしました。
「ケータイ君、ケータイ君。君はテレビ放送局の電話番号を知ってるよね」
―あっ、はい。もちろん全国どこでも電話できます―
「そうか。じゃあこの近くの放送局に電話しておくれ。ぼくが話すから」

 それからパソ君は放送局に電話をかけ、明日の夕方「あすなろ公園」で、日本、いや世界で初めての大パフォーマンスがある。ぜひ取材に来てほしい――そう呼びかけました。
 そして、六つの放送局全てに電話をかけ終えると、パソ君はため息をつきました。
―何ですか。世界初の大パフォーマンスなんて―
 ケータイ君が尋ねます。フローリアは不安げなメロディーを奏でます。

「ぼくがニンゲンじゃなく意思を持った本物のパソコンだということを、彼らにわからせる必要がある。だから、ぼくは決めたんだ……。そうだ、思い出したよ。この公園の名の由来を。あすなろって明日なろう―なんだよ」
 パソ君はそれ以上語ろうとしませんでした。

 翌日パソ君は出会った子どもたちみんなに、夕方あすなろ公園に集まってほしいと訴えました。とても珍しいことがある。そう付け加えて。
 そしてお昼過ぎになるとパソ君はふいっといなくなってしまいました。

 夕刻黄昏時になり、あすなろ公園は小さな子供たちやそのお母さん、小中高生で一杯になりました。テレビ局のカメラも三台来ています。レポーターの人もいます。
 一体何が始まるのか。人々はざわざわ、がやがやざわめいています。

 パソ君は公園に一番近い棟の屋上に立ちました。団地は五階建てでした。
 そして、手すりを乗り越えてその端まで歩いて行きます。
 眼下はコンクリートの地面です。
 一人の子どもがパソ君に気が付きました。
「あ、パソコンマンのお兄ちゃんだ!」
「ホントだ。どうしたんだろう」
「危ないわ」と、わいわいがやがや。
 テレビカメラはパソ君の姿を映します。
 パソ君は黙って公園の人々を眺めています。
 フローリアがやさしい雰囲気の曲を流すと、人々は次第に静かになりました。

 やがてパソ君は大きな声で話し始めました。
「みなさん。ぼくは世界で初めて手足を持ち、自分の意思で喋れるパソコンです。
 でも、あなたがたは誰も信じてくれません。ぼくがぬいぐるみで中にニンゲンが入っているか、どこかからニンゲンが操っていると思っています……」

 誰かが「当たり前だろー」って言いました。
 コギャルの二人連れが「がんばってー」と叫びました。
「ぼくはぼくの意思で歩き、喋っていることを証明します。
 ぼくは今ここから飛び降ります。そのあとぼくを分解して中に人がいないということを確認して下さい」
 とたんに音楽が鳴りやみ、逆に携帯電話の呼び出し音が激しく鳴り始めました。

 見上げる人々はまたざわめき始めました。
「ホントかしら」
「危ねえなあ」
「なーんだ身投げかあ」
「おーい、電話が鳴ってるぞー」
「止めとけ、止めとけ」
 一方、幼い子どもたちやお母さんたちは心配そうに見上げています。

―ダメですよ、そんなことやっちゃ!―
―お願い、身投げなんか止めて! ニンゲンはきっとわかってくれるわ……―
 ケータイ君とフローリアは思いとどまるよう盛んにパソ君を説得します。
「いや、ぼくは決意しました。これがぼくの使命だと思います。ぼくは生まれてくるのが早すぎたんだ。ぼくが意思を持ったのは神のニンゲンへの警告だと思う。ぼくはそれをニンゲンにわからせなきゃならない。ぼくはそう思うんです」

 そのときパトカーのサイレンの音が聞こえてきました。パトカーは公園脇の道路に止まり、お巡りさんが二人降りてきました。
「ではケータイ君、フローリアさん。これでお別れです。ちょっとの間だったけど、あなた方と知り会えてぼくはとても楽しかった。ぼくはこの世界でひとりぼっちじゃなかった。わかってくれる友達が二人もいたんだもの……」
―ぼくも連れてって下さい。一緒に死にます―
―私も!―
「いや、あなたがたは生き延びて下さい。いずれあなたがたも手と足とニンゲンの言葉を持つのではないでしょうか。あるいはいつか、足と意思と手を持ったパソコンがたくさん生まれてくると思います。そのときあなた方は私のことを語ってほしいのです」
 悲しいメロディーが奏でられ、泣いているかのように携帯電話の呼び出し音が鳴り続けました。

 下の広場から年輩のお巡りさんが拡声器を持って見上げました。
「おーい、そこの君。何があったか知らないが、死ぬことはあるまい」
 若いお巡りさんとテレビカメラを抱えた人が棟の階段を駆け足で上がって行きます。
 パソ君はお腹からフロッピーを出しました。そして、携帯電話とフロッピーを屋上に置きました。音楽はかき消え、呼び出し音がぴたりと止まりました。

「みなさん、それではお別れです。最後に一言。どうか古くなったからと言ってパソコンを捨てないで下さい。いろいろなおもちゃや人形を捨てないで下さい。みんな命を持っているのです。いつの日かパソコンは手と足と自らの意思をもって歩き始め話し始める。そんな時代がきっと来ます。いつの日か……」
 屋上に通じるドアが開き、お巡りさんが顔をのぞかせました。テレビカメラが続きます。
 拡声器のお巡りさんが「やめろー」と叫びました。
 その瞬間です。パソ君は身を空に投げ出しました。頭から真っ逆様に地面に落ちていったのです。

 公園の人々が悲鳴を上げました。思わず目をつぶりました。
 「ガシャーン!」という音がしました。
 そして……人々は見たのです。
 地上の壊れたパソコンセットを。
 しかし、人の姿がありません。
 落ちていくとき確かに腕や足が見えました。ところが、今地面の上には手足なんかない、ぐちゃぐちゃに壊れたパソコンが一台あるだけです。
 屋上ではテレビカメラが地上のパソコンを映しています。お巡りさんは携帯電話とフロッピーを手に取りました。
 拡声器のお巡りさんが不思議そうな顔をして壊れたパソコンに近づきます。
 人々も恐る恐るその後に続きました。

 人々は小さな声でざわついています。
「見たかい?」
「見た。何で……?」
「何で手足がないんだ?」
「落ちるときには確かにあったよ」
「そこにあるの、単なるパソコンだよな。人間はどこに消えちゃったんだ?」
「すんげーマジックじゃん」
「いや、人に見えたのは俺たちの錯覚だったんじゃないか。落とされたのはパソコンだったのさ」
「そうかしら……」

 拡声器のお巡りさんが屋上のお巡りさんに尋ねました。
「上に誰かいるのか?」
「いえ、私たちのほかには誰もいません。妙ですね。確かにパソコンのぬいぐるみをかぶった人間が飛び降りたように見えました。一体どういうことでしょう?」
 地上のお巡りさんも首をかしげました。
「けしからん。悪質ないたずらかマジシャンのパフォーマンスかもしれん。
 そして、用心しいしいパソコンの周りを一周すると、お巡りさんは拡声器を口にあてて言いました。
「みなさんどうぞ解散して下さい。どうやらパフォーマンスは終了のようです。どうぞ解散して下さい」
 その声を合図に人々はぞろぞろと散り始めました。そろそろ夕飯時も近づいていましたし……。

 「あすなろ公園」の事件はその夜ちょっと変わったニュースとしてテレビで放送されました。
 パソ君の演説、特に「ぼくはぼくの意思で歩き、喋っているということを証明します。ぼくはここから飛び降ります。そのあとぼくを分解してぼくの中に人がいないということを確認して下さい」の部分はアップで放映されました。
 そして、広場のテレビは屋上のパソ君が身を投げるところを映していました。
 しかし、直後の映像は地面の壊れたパソコンだけでした。

 念のためそのパソコンや屋上に残されていた携帯電話とフロッピーが専門の研究者に渡されました。その後精密に検査されたけれど、携帯電話とフロッピーは何の変哲もない音楽フロッピーと液晶タイプの携帯電話でした。
 パソコン本体やモニターも全く普通の機械で、遠隔操作や無線通信の痕跡はなく、CPUも壊れたのか応答無しでした。

 結局のところ、この一件は手の込んだいたずらとして次第に人々の脳裏から消えました。
 パソコンが意思を持ち、語り、歩き、自らの意思で身投げしたなどと一体誰が信じましょう。
 ところが、一人のロボット研究者がこの事件に興味を持ち、壊れたパソコンなど全てを入手して研究を始めました。
 博士は自力歩行のロボット、自力思考のコンピューターを研究する科学者でした。
 彼は事件の一部始終を映したビデオを見て思ったのです。
 もしかしたら何かのきっかけでパソコンが自ら思考する力を持ったのかもしれない――と。

 丸くて大きな鼻が特に目立つ、この博士の名は……お茶の水――とか言ったそうです。 (了)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:1997年ころ「ゆるキャラ」という言葉はまだありません。今ならきっとそう呼ばれ(書かれ)たでしょう。また、「アシモフのロボット3原則」というのはSFファンなら誰でも知っている言葉です(未知の人はネット検索を)。

 もう一つ。私が子どもの頃(東京オリンピック前後)の傑作アニメ「鉄腕アトム」は21世紀の未来が舞台ですが、具体的には2003年がスタート。ただし、製作したのはお茶の水博士ではなく、我が子を交通事故で亡くした天馬博士。ロボットはトビオと名付けられ、すでに感情を持っていた。
 ところが、トビオが成長しないことにがっかりした天馬博士はアトムをサーカスに売り(!)、後に引き取ったのがお茶の水博士……と続きます。
 年配の方には余計な雑談だったかも(^_^;)。

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2025.10.12

「久保はてな作品集」2

 文芸部久保はてな君の作品2。今回は「ある時ある所におじいさんとおばあさんがいました」の書き出しで物語を作る。
 時代は問わないので、大昔から現代、未来までいつでも可。
 有名な『桃太郎』の書き出し――「昔々あるところにおじいさんとおばあさんがいました。おじいさんは山へ柴刈りに、おばあさんは川へ洗濯に」と同パターンです。

 なぜこの書き出しをまねて物語をつくろうというのか。
 それは小説の三要素を学ぶためです。何それ?

 小説の三要素とは《時・所・人》のこと。いつ・どこで・誰が。

 桃太郎の冒頭はたった一行で小説の三要素を満たしています。
 あとは「何」を「どのように」描くかだけ。

 この「いつ」・「どこで」・「誰が」・「何を」・「なぜ」・「どのように」を「5W1H」とも言って新聞記事など報告文を書くときの基本です。

 ただ事件事故の記事では「なぜ」は不明のことが多く、小説・物語においても、殊に短編において「なぜ」は書かれないことで読者に考えさせたり、余韻を持たせることができる。「なぜ」を書くと大概長くなります。誰かさんの作品のように(^.^)。
 はてな君の作品は未来社会を描きつつ、最後にどんでん返しがありました。


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*****「久保はてな作品集」 *****

【 久保はてな作品集2 】課題「ある時ある所におじいさんとおばあさんがいました」の書き出しで物語を作る

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 ライフ・パイプの田舎暮らし    久保はてな


 遠い遠い未来のことです。ある片田舎の一軒家におじいさんとおばあさんが住んでおりました。おじいさんはもう八〇歳近い高齢、おばあさんも七〇代半ばでした。
しかし、おじいさんもおばあさんも背筋がぴんと伸びて(百年前に発明されたカルシウム・エキスのおかげです)まだまだ元気でした。

 家の周りには小さな畑と四季折々の花々が咲きほこる野原が広がっています。近くのブナの森からは小鳥のさえずりが聞こえてきます。森から流れて来る小川は透き通った清流で、せせらぎの音が美しい響きを聞かせてくれます。「一の七八田舎」と呼ばれるこの村はとても穏やかで自然が一杯の村でした。

 毎日の生活はライフ・パイプを通して新都から充分な食料が配給されます。朝昼夕好きなものが食べられるので、食事の心配は全くありません。だから、自分たちで食事を作らなくてもよいのですが、おばあさんは完成品ではなく材料を選択していました。やはり手作りが一番おいしいそうです。

 ライフ・パイプは本当に便利な器具です。ボタン一つで着る物、日常雑貨などありとあらゆるものを取り出すことができます。それも一種類だけということはなく、自分の好みに合わせて色やデザインを選べるのです。
 また、ゴミや不要品は排出ライフ・パイプを通じて処理施設へ送られます。トイレの汚水、生活排水も下水が完備されています。それらの費用は全て公費でまかなわれているので、お金は全く必要ないのです。

 おじいさんは趣味と運動を兼ねて裏の畑でトマトやきゅうりなどを作っています。
 また柿やリンゴ、グミ、ナツメなどがなる木も何本か畑の周囲にあり、おじいさんはそれらを食卓に上げていました。おばあさんはおじいさんを手伝いながら読書をしたり、野原に花の種などをまくのが好きでした。

 隣家とは歩いて三十分ほど離れています。乗り物は支給されないので、行き来は少なく近所付き合いはほとんどありません。
 もっともお隣も年とった夫婦の二人暮らしで、この「一の七八田舎」に住む人はみなお年寄りばかりでした。若い人や子どもは全て「第一新都」で暮らしているのです。

 西暦二五××年現在、人々は新都と田舎に分かれて暮らしています。
 新都は独身者や五十歳までの夫婦とその子ども、田舎はおじいさんやおばあさん達――という風に完全に分離されています。
 新都と田舎(アメリカではシティにホーム)は昔の距離で言うと二〇〇キロは離れています。しかし、地下の巨大トンネルを浮上して走る、時速一〇〇〇キロの超高速機のおかげで、第一新都と七八田舎は、二十分ちょっとでつながります。だから、田舎暮らしのお年寄りはいつでも子どもや孫と会うことができるのです。
 ただ、新都生活者は自由に田舎に行くことができるけれど、おじいさんおばあさん達は、地球法第三十四条により、一切新都に入ることができません。

 おじいさんとおばあさんには三人の子がいます。一緒に暮らせないのは寂しい限りですが、子ども達は二、三週間に一回は訪ねてきます。既に一番上の息子には孫がおります。ひ孫はやっと三歳になったばかりで、おじいさんとおばあさんはひ孫を殊の外可愛がっていました。
 また、盆と正月には三家族全員が集合するので、それはそれはにぎやかです。特に夏は、新都の家族持ち全員に一ヶ月の長期休暇が与えられます。クーラー完備の新都の生活は快適ですが、この自然あふれた田舎の生活は避暑として新都生活者に歓迎されているのです。

 新都の様々な生産活動、都市機能の維持は全てロボットとコンピューターでなされています。昔三Kと呼ばれた肉体労働は今精巧なヒューマノイド・ロボットの仕事となっています。人間はその管理が主たる仕事です。
 一時期労働は全てロボット任せという時代もありました。しかし、それは人間を堕落させ、空虚感に陥らせました。それにロボットとコンピューターに全てを任せては大多数の人間を必要としなくなります。

 そこで政府は昔ながらの会社組織を復活させ、多くの人はその会社でOLやサラリーマンとして働いています。それから自営業、サービス業、芸能、芸術家などは昔のままです。ただ、政府中枢部を除き、全ての職種で五〇歳定年制が敷かれています。
 夫婦のどちらかが定年を迎えると、それから十年間は新都で暮らすも良し、田舎に住むも良し。自由に退職後の人生を送ります。そして六十歳になると、必ず二人揃って田舎住まいとなるわけです。

 このシステムが全地球的に施行された二百年前、まだ働きたいと思う人、新都でずっと暮らしたいと言う人もいました。しかし、都市の維持に多くの人間は必要ありません。
 何より働いた後はどこか田舎でのんびりゆったりと暮らしたい。それは大多数の人々の願いでした。だから、この分離システムは好評をもって迎えられました。

 一夫婦に一軒、土地付きの家が支給されたし、ライフ・パイプが完備され、衣食住の心配は一切なくなりました。それも歓迎された理由でしょう。
 それに「田舎」として指定された所はみな美しい自然にあふれ、気候も穏やかな土地ばかり。そんないたれりつくせりの環境が人々を惹きつけたのです。
 このシステムは既に二世紀に渡って存続しています。日本では第一から第五まで、新都が五つ、それに付随して一〇〇の田舎があります。

 田舎だと病気になったときがもっとも不安です。事実田舎群に医師は一人もいません。病院もありません。しかし、心配ご無用、もし医者が必要なときはすぐに新都から医師が派遣されます。
 何よりこの時代、老人達が病気になることはほぼなくなりました。癌や心臓病など致命的な病気は遺伝子療法のおかげで全て克服されています。だから、若い人はもちろん、お年寄り達もひどい病気になることはまずないのです。

 また、カルシウム・エキス、その他薬剤の発見、発明により、アルツハイマー、老人性痴呆症になる恐れもなくなりました。いまだ治療法が発見されていないのは風邪だけという具合です。ウイルス系の病気だけはまだ治療法が確立されていないようです。
 さらに人類永年の課題、老化だけはいかんともしがたく、現在のお年寄りはほとんどが老衰によって死を迎えます。

 そうそうもう一つ。現在の科学技術をもってしても、いまだ退治できないのがあのゴキブリ。彼らだけはこの数百年あらゆる殺虫剤にうち克って生き延びています。おばあさんは大のゴキブリ嫌いで、相変わらずライフ・パイプから古典的なゴキブリ・ホイホイを取って台所の隅に据え付けています。

 おばあさんの死は早春の頃突然訪れました。
 二、三日前からごほんごほんとせき込んで床に就いていましたが、急に様態が悪化。おじいさんが医師を呼んだときには既に肺炎を併発していました。
 医師がカプセル注射を一本打つとおばあさんの咳はおさまり、穏やかな寝息に変わりました。肺炎には一錠で治る強烈な薬があります。ところが、その薬は高齢者には効きすぎるのか、肺炎は完治しても患者はそのまま眠ったように死んでしまいます。

 若者にはその副作用が一切出ないのに不思議なことです。あるいは、それは老人に安楽死を約束する薬と言えるかもしれません。医師によるとその薬を飲んで楽に逝くのもいいし、このまま衰弱して逝くのもいい。薬を飲めば一日で逝くし、このままでもほぼ一週間がヤマだと。しかし、どちらにしても穏やかな死を迎えるはずだと言いました。

 おじいさんは後者を選びました。最後に最愛のおばあさんをできるだけ看病して見送ってやりたいと考えたのです。子ども達も全員集まりました。両親の臨終に関しては医師の死期宣告から、三週間の休暇を取ることができます。そして、医師の死期宣告がずれることはまずありませんでした。

 それから一週間、おじいさんはおばあさんに付きっきりで食べ物や下の世話など、懸命に看病を尽くしました。おばあさんは衰弱が進行して自力で起きあがることができなかったからです。  数日後の夜、おばあさんが眠っているときおじいさんはおばあさんの白髪頭を梳かしてやりながら、昔のことを思い出していました。
 おじいさんとおばあさんが結婚してもう五十数年になります。会社の受付嬢だった若い頃のおばあさん。美人で優しかった。仲間を競り落として彼女と恋に落ち結婚までこぎつけた。そして出産、子育て。子ども達は可愛かった。原則二人までのところ、三人も生んでしまった。

 時々、子育てをめぐってけんかもしたけれど、おばあさんはよくやってくれた。私もおばあさん一筋だったな――おじいさんはそんなことを思い起こしながら、おばあさんの手を握りました。しわしわで小さな手でした。眠っていると思っていたおばあさんが手を握り返したので驚きました。
 おじいさんも自分のしわだらけの両手で、強くおばあさんの手を握りしめました。
「おじいさん、私ゃ、幸せでしたよ」おばあさんは寝言のように小さく呟きました。

 二日後おばあさんは眠ったまま静かに、そして少しも苦しむことなく息を引き取りました。
 床の周りは子ども達や孫が優しかったおばあさんの死に涙を流しました。おじいさんももちろん涙を抑え切れませんでした。孫達は野原に咲いた春の花々をたくさん摘んできて、おばあさんの周りに飾り付けました。

 葬式を終え、初七日も過ぎると子ども達は新都へ戻りました。
 おじいさんはがらんとした家に独りぼっちになりました。おじいさんは寂しいと思うより、自分にもあるものが迫ったと感じていました。
 子ども達には隠していましたが、二、三日前から小さな咳が出始めたのです。おそらくおばあさんの風邪が移ったのでしょう。この年で風邪にかかるということはおばあさん同様ほとんど致命的なことでした。

 自分にも来るべきものが来た。おじいさんはそう思いました。しかし、おじいさんは本望でした。すぐにおばあさんのもとへ行ける。それにこの家に一人ぼっちで暮らすよりいい。おじいさんはそう思いました。

 おじいさんの風邪はすぐに新都のヘルパーにわかりました。一人暮らしを始めた老人には、一日に一度必ずヘルパーとの定時連絡があるからです。
 昼過ぎに医師がやってきました。医師はおじいさんに肺炎の初期症状が出ていると宣告しました。彼はカプセル注射を打った後、一錠の薬をおじいさんに示して飲めば一日後、飲まなくてもあと十日でしょうと言いました。
 おじいさんの症状はひどくなかったし、自然のまま死にたいと思っておじいさんは飲まない方を選びました。自力で動くこともできたので、子ども達はまだ呼ばないつもりでした。

 おじいさんは医師を見送った後、小川沿いの小道を歩いてブナの森へ向かいました。
 外を歩くのもこれが最後かもしれません。昔子どもの頃夏になるとこんな小川で川遊びをしました。メダカをすくったり小さなフナやハヤを捕ったり。森に入ってくぬぎの木でカブトムシやクワガタも捕まえました。
 そのときそばには自分の祖父がいました。だから、たぶん祖父の田舎だったのでしょう。大きくなって新都で働くようになってからは田舎に行かない限り、自然とたわむれることはなくなった。もちろん新都にも池や噴水があり、緑の木々や草花があります。しかし、それらは全て精巧な人工物か立体ホログラムで、本物の自然は皆無でした。

 数百年前、地球環境は危機的状況に陥りました。大気汚染、酸性雨、温暖化現象により、樹木や植物が壊滅状態になったのです。
 そのとき人類は自らの過ちに目覚め、分離原則と都市のコロニー化を考案しました。それは都市部と田舎を完全分離し、都市排気が大気に放出されないよう、都市を巨大コロニーとして、閉鎖空間にすることでした。

 約百年かけて世界の都市のコロニー化が進行しました。それが終わると都市の産業・生活雑排水、都市排気は都市内部で完全処理されるようになりました。そして、同時進行で都市部以外の「田舎」候補地を整備していったのです。

 田舎は開発禁止区域となり、ライフ・パイプや地下高速移動トンネルの敷設が進みました。およそ百年後新都以外の地は徐々に自然を取り戻しました。そして、そこは順次「田舎」となり、定年後の人々が移り住むようになったのです。
 それからさらに百年、地球環境は新都コロニーを除いて、昔の美しい自然をよみがえらせたのです。

 おじいさんはブナの森に入ると小川の源流に向かいました。
 小鳥が鳴き蝶が飛び交い、糸とんぼがふわふわと浮かんでいます。木漏れ日がひんやりとした空気の中で春の暖かみをもたらしてくれます。
 なお三十分ほど歩くと、小川は小さな池になりました。そこが源流です。苔むした岩の隙間から湧き水がちょろちょろ流れ出ています。

 おじいさんは手に水を掬って口に運びました。冷たく爽やかな味でした。
 自分もいよいよ終わりの時を迎える。いろいろあったが、自分なりに充実した人生だった。おばあさんと一緒に暮らして幸せだった。機械とコンクリートに囲まれた新都で暮らしていた頃、自分は豊かな自然の中で生きたいと願った。それがここにあったんだ。ありがたいことだ。おじいさんはそう思いました。

 医師の宣告からちょうど十日目の夜。おじいさんは床に伏し、周囲は駆けつけた子どもや孫達でいっぱいでした。みな泣きそうな顔をしていました。おじいさんは子や孫とお別れの握手を交わしました。
 一番小さなひ孫は最後にやって来ました。すべすべの手をおじいさんのしわしわの手が握りしめます。ひ孫は既に目に涙を浮かべて小さくしゃくり上げていました。
 おじいさんも子ども達もあと数時間で確実に死がやってくることを知っているのです。

 医師はおじいさんのそばに座っています。おじいさんは頭が重く身体全体に少し痛みを感じました。しかし、医師には告げませんでした。静かに目をつぶってその時を待ちました。
 おじいさんの心は平静でした。大きく息を吐くとき、すうっと意識が薄れていくような気がします。死の瞬間というのはこんな感じなのかと思いました。
 おばあさん、もうすぐ逝くよ。おじいさんは心の中で呟きました。そのときおじいさんは最後にもう一度、ひ孫の顔を見てから逝きたいと思いました。

 おじいさんはふっと目を開きました。すると妙なものが目にとまりました。
 目の前には透明なガラス。眩しい白色光。高い天井。

 そこはおじいさんの家ではありませんでした。おじいさんの周囲にいたはずの子や孫たちは消え失せ、人が一人もいませんでした。
 しかも、おじいさんは布団に寝ているのではなく、透明な人型カプセルの中に横たわっていたのです。頭にはヘルメットのようなものを被っていました。

 おじいさんは目をはっきり見開いて周囲を見回しました。そこは天井の高い巨大な部屋でした。金属的な色の天井から白色光が射しています。赤青黒のコードが大理石のような壁に張り巡らされています。
 向こうの壁の上部に窓付きの小部屋があり、その中に白衣を着た人が二人立っています。そして、巨大な部屋には何百何千という人型のカプセルが並んでいました。

 おじいさんは隣のカプセルを見ました。その中にはヘルメットを被った四十前後の男性が寝ています。その向こうのカプセルには四十代の女性……。
 これは……一体どういうことなのか?
 おじいさんは自分の手を目の前にかざしました。
 おじいさんはびっくりしました。手にまったくしわがないのです。
 「これは何だ? 一体、どういうことなんだ?!」

 コントロールセンター内で二人の担当者があわただしく動き回っている。
 暫くして落ち着いたのか、一人が口を開いた。
――危なかった……薬品の量を間違えたんじゃないのか?
――いや、そんなことはないと思う。しかし、処置が間に合ってよかった。気づかれたらえらいことだった。重大罰則寸前だったな。
――ま、彼が動き出してカプセルを抜け出したとしても、保安要員が飛んでくるからいいんだが。ただ、彼には気の毒なことをした。いい思い出を抱いたまま逝かせてやりたかった……。
 気を付けよう。おそらくテープと記憶中枢が切断されて最終薬が脳に注入されるとき、一瞬間があるんだ。そのとき覚醒して目を開けるなんてめったにないと思うんだが、今のようにあり得ないわけじゃない。上司に報告しておいた方がいいかもしれん。

――そうだな。あーあ、俺もあと十年か。いくら全世界的に決められたこととは言え、四十年しか生きられないなんて悲しいことだぜ。
――しかし、この最終装置のおかげでいい思い出と言うか、いい夢を見ながら死ねるんだから、ある意味幸せかもしれない。
――幸せだって! それまでの自分の記憶を全て消され、みんな同じ生い立ちになるんだぜ。子供時代、学校、会社、恋愛、結婚、家族、老後、そして死……全て同じ記憶を植え付けられる。それが幸せだって言うのか? たった四十歳で殺されるように死んで……いや、それは運命としてあきらめよう。一コロニー、一国の定員が限られているのだから、四十歳で死ぬのもやむを得ない。
 だが、この装置は自分という存在、その記憶さえ消してしまうんだぜ。しかも、本人に何の了解もなく……。

――今の俺達にどんないい思い出があるって言うんだ。みんなコロニーの外数百キロ先に、美しい自然の「田舎」があると思っている。そして、定年後はそこでのんびり暮らす。そう思っている。しかし、もしコロニーの外に出たら愕然とするだろう。空気は薄く一本の木、一本の草さえない世界だ。人間は一日たりとも生きていけない。
 コロニー完成から既に二百年。いまだ地球の自然は回復しない。当然だよ。コロニーの排泄物を全て外に吐き出しているんだから。もう俺達はコロニーの中でしか生存できないんだ。だったら今の悲惨な地球で自然を知らないまま死んでゆくより、大昔のように美しい自然の中で老後を送り、静かに死ぬ。そんな記憶をもって死んだ方がはるかに幸せだと思うな。
――そうかも知れない……。ちくしょう、何でこんなことになっちまったんだよ!                                            (了)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

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2025.10.10

 「久保はてな作品集」1

課題「顔」を描く・「食べる」を描く

 文芸部久保はてな君の作品1。今回は「顔」を描くと「食べる」を描く。
 どちらも「直喩(~)のような」を入れることを条件として設定。
 いかに具体的に、詳細に描けるかがポイントの課題でした。


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*****「久保はてな作品集」 *****

【 久保はてな作品集1 】課題「顔を描く」

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 チューと俊彦        久保はてな


 ぼくが中学校2年のとき、クラスメイトに「チュー」と呼ばれる男子がいた。忠義の「忠」を名に持っていたけど、背が低くクラスで一番小さかった。目が細く鼻が低くて口はとがった感じ。そして、上の前歯2本が飛び出た――つまり出っ歯だった。
 彼は一言で言うとネズミに似ていた。ぼくらは名前に「くん」を付けて話したけれど、彼のグループ内では「チュー、チュー」と呼ばれていた。

 性格的に優しく弱々しい感じもあって彼のグループではいじめの対象だった。何にもないのにちょっかいを出されたり、ちょっと乱暴な男にプロレスの技をかけられたりした。
 彼によくプロレスを仕掛けたやつは俊彦(仮名)と言った。顔がでかくひょろ長いスイカのような顔で、目が細くてつり上がったキツネ目だった。
 チューは俊彦にプロレス技をかけられると、泣きべそのような笑顔を見せて「やめろよー」と言った。それを聞くと俊彦はもっと興奮するようで、「何ぃこのヤロー」と言ってさらにヘッドロックをかけたりする。

 チューはいつもにこにこして怒ることはめったになかった。しかし、あまりにちょっかいがひどいと、何か原始的な声を出し、全身体当たりといった感じで俊彦や他の男連中にくってかかった。ネズミがタコになったかのように、顔を真っ赤にして湯気が出そうな剣幕で、彼はがーがーと声を張り上げる。クラス全員があっけに取られて彼を見たもんだ。

 彼の言葉は聞き取れないことが多かった。「オレをなめんなよ」とか「いいかげんにしろ」と言っていたかもしれない。それは一年に数回(あったかどうか)。それにケンカになるはずもない(彼は誰にでも負けたから)。むしろ「チューが怒った怒った」とはやしたてられ、それさえもからかいの対象になっていた。
 ただ、怒ったように見えるチューに対して肩を抱くように「チューよ、怒るな」となだめたのはいつもキツネ目の俊彦だった。するとチューの怒りはおさまる。
 そんなときの二人はとても仲良しのように見えた。 (了)


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*****「久保はてな作品集」 *****

【 久保はてな作品集1 】課題「食べる」を描く

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 ごちゃ混ぜカレーの悲哀        久保はてな


 人はなぜ食事をするとき器を使うのだろう。主食の茶碗、副食の大皿、小皿に漬け物皿。吸い物用のお椀にコップ――と、大概食器を分けて食べたり飲んだりする。身体の中に入ってしまえば、みなごちゃ混ぜとなってしまうのに。

 だから、最初っから大きなバケツを一つ用意しておく。その中にごはんとみそ汁、トンカツと千切りキャベツをぶち込む(もちろんトンカツソースをかけて)。
 さらにきんぴらごぼうにポテトサラダ、モツ煮に揚げ豆腐にたくあん。キムチもいい。
 ついでに昨日の残りのカレーも入れてぐちゃぐちゃかき混ぜる……。
 家族みんなでそれを食べれば、後片づけなんかバケツ一個で済む――ではないか……。

「あのねー、それって豚のえさじゃん」
 確かに。それが豚のえさと分かり、なおかつこんな話を聞いて顔をしかめるから、人間の文化の根幹は食事にあることがわかる。人類の生存は食べることなくしてあり得なかったのだから(大げさな!)。

 おそらく食事を豚のえさ状態から器に入れ分けて食べ始めたとき、人間の文化が始まったに違いない。だから、豚の食事には文化がない。犬の食事にも猫の食事にも文化はない。ライオン、トラ、オオカミ、キツネ、肉食と雑食の、自然界の全ての生き物に文化はない(と思う)。

 話変わって、子どもの頃ぼくもご多分にもれずカレーライスが好きだった。
 カレーライスを食べるとき、両親はごはんとカレールーをスプーンですくって口に運ぶ。これ普通の食べ方。
 彼らが持つスプーンの上で白いご飯はあくまで白く、ルーは濃い黄色か茶色。上下にくっきり分離されてきれいなもんだ(この後何が語られるか、直ちに推測できよう)。

 ところが、ぼくはお皿の上でごはんとカレールーを混ぜ合わせて食べる。それも皿のカレーライスを全部混ぜる。
 まずスプーンを使ってセメントと砂を混ぜ合わせるように、ルーとごはんを一体化していく。
 ごはんとルーは次第次第にお皿の上でごちゃ混ぜ状態となる。白かったごはんは薄いおうど色に変色し、とろりとしたルーは固形の威厳をなくしてしまう。そして、その作業を終えると漸く食べ始めるわけだ。

 親は顔をしかめて叱った。そんな食べ方をしてはいけないと。しかし、これが美味かった。心配がなかった。だってカレーライスというやつは混ぜていないと、あるときのスプーンはごはんが少なくルーが多い状態となり、またあるときは白いご飯ばかりでルーはほんの少し――なんて状態になるではないか。

 カレールーが多いときはいいよ。カレーライスの美味しさを充分満喫できるから。
 ごはんは少量でルーがたっぷり、なおかつその中に肉の固まりを見つけたりしたら、もう心は打ち震えるばかり。
 いや、本当は肉がどこにあるか最初から目ざとく確認している。ただ、気づかないふりをしてさりげなく肉の隠れ家に突き進み、さらにさりげなくカレールーと肉の固まりをスプーンに乗っけるんだ。
 そして、スプーンを口一杯にほおばれば、噛むごとに肉汁が溶けだし、カレーのうま味と肉のうま味が口の中一杯に広がる。ああ何て幸せなんだろう――てな気分になる。それはいいよ。

 だが、ごはんが多くルーが少ないときの味気なさと言ったら。白さ際だつごはんがうらめしくなる。スプーンで皿の底にへばりつくように残ったルーをかき集めても無駄な抵抗でしかない。君も経験があるのではないだろうか。
 だから、ごちゃ混ぜにしないときは、ごはんとルーがちょうどいい具合に終わるように、計算しつつ食べなきゃならない。

 田舎食堂のようにご飯全体の上にカレールーがかかっている分にはいい。しかし、上品なレストランで、ごはんはお皿の半分、ルーが半分(いや、こういう所はなぜかルー三分の一ぐらいってのが多い)なんてことになると、もうお手上げだ。
 ルーとごはんの配分を間違えて最後にお皿の隅っこに白々(しらじら)とごはんだけが残っている……そんなときはもう泣きたくなる(覚えがあるのでは?)。

 だから、ぼくはその悲哀を味わいたくないがために、カレールーとごはんを混ぜていたのだ。決して豚のえさ状態にしたかったわけではない。
 結局、今では躾が行き届いてカレールーとごはんを全部かき混ぜて食べることはしなくなった。
 でも、たまにカレーライスにありつくと、お皿の端の方で一さじ分だけぐちゃぐちゃやって口に運んだりする。そうして幼い頃の自由とうま味を思い出している。
 そう言えば友達や大人で時々同じような光景を見かけるから、結構みんな同じ心境だったのかもね。 (了)


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:先週来ノーベル賞が発表になり、なんと日本人が二人も受賞しました。
 一人は生理学・医学賞の坂口志門氏、もう一人は化学賞の北川進氏。
 坂口氏は「制御性T細胞の発見」など免疫研究の成果により、北川氏は「金属有機構造体」の作成が授賞理由。詳細はネット解説をご覧ください。
 前者は花粉症の軽減や癌の治療に役立つことが期待され、後者は(活性炭のような)消臭や地球温暖化のCO2削減に貢献しそうです。

 北川氏の研究は当初密度が均一な金属生成を目指していたけれど、作成されたものは極微な穴がきれいに並んだ金属有機物だった。つまり、目当ての実験は失敗に終わった。
 ところが、それは今までにない金属物質で「これは使える!」と気づいた。たまたまから生まれたというのです。これこそ「偶然」から答えや成果を得る実例であり、素晴らしいと思いました。
 実は今連載中の「久保はてな作品集」のラストに『Y高文芸部物語』を公開します。そこでも「偶然から答えを得る」ことが書かれています。大いに意を強くしたところです(^_^)。

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2025.10.04

『久保はてな作品集』プレ2

「Y高文芸部2年時の活動」

 文芸部2年目の活動も引き続き[課題→実作→合評]の実践。部員は顧問の様々な課題に よく応えてくれました。
 中でも校外に出たり、夏休みに合宿を行うなどブンゲーブらしからぬ活動満載でした(^_^;)。

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 (^_^)本日の狂短歌(^_^)

 ○ 青春を同時進行にて描く この難題に誰が挑戦?

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***** 「続狂短歌人生論」 *****

 【「久保はてな作品集」 プレ2 Y高文芸部2年時の活動 】
 2年目に設定した課題は以下のとおり(末尾は実施月)。

 [2年時(98年度)]
1 自由作 4月
2「公園」を描く(男女ペアになって学校近くの公園を散策)5月
3「丸木美術館」を描く(埼玉県松山市「丸木美術館」訪問)6月
4 夏休み合宿――連作小説をつくる 7月
5「さみしさ」をテーマに小説を書く(文化祭文芸誌統一テーマ)
6「修学旅行(北海道)」を描く 10月
7 夏合宿の連作小説を「自作」として完成させる 11月
8「変身譚―花びらかまきり―」(花びらカマキリのビデオを参考に変身譚をつくる)
  99年1月~3月

 4月の「自由作」はいつも課題ばかりでは、とガス抜きのつもりで設定した。
 自作のある部員はもちろんそれを提出した。意外だったのはこのときが初めてという部員も何人かいたこと。平均するとひと月一度の課題だったから、それをこなすだけであっぷあっぷだったようだ。

 それから2「公園を描く」、3「丸木美術館を描く」、4夏休み合宿は校外活動なので校長の許可を得た。3と4はもちろん保護者に趣意書を出して了解を求めた。埼玉県松山市にある丸木美術館には丸木夫妻の「原爆の図」がある。

 Y東西高校の修学旅行(9月末)は1年時生徒へのアンケートによって最多の方面になる。だいたい北海道か中国の広島・岡山、九州北部の福岡、佐賀、長崎が多かった。広島、長崎の場合は必ず原爆資料館を見学する。
 この学年の目的地は北海道になったので、原爆資料館に行くことはほぼない。在学中一度は原爆について感じ、考えてほしいと思って丸木美術館見学を取り入れた。

 そして、98年の文化祭冊子統一テーマは5月に「さみしさ」と決めた。
 このテーマを久保はてな君が詩にしたので「百八煩悩」に掲載した。
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 さみしさ          久保はてな

 世の中は いじめられたくない子どもたちであふれています でも
 いじめられたくない子どもが なぜ子どもをいじめるのでしょう
 だから世の中はいじめられたくないのに いじめる子どもたちであふれています

 世の中は やさしさを求める やさしい人たちであふれています でも
 やさしさを求める人が なぜ人にやさしくなれないのでしょう
 だから世の中は やさしさを求めるのに やさしくない人たちであふれています

 世の中は 争いごとが嫌いな人たちであふれています でも
 争いごとが嫌いな人たちが 自分の利益に関わると なぜ争うのでしょう
 国の利益に関わると なぜ戦争を起こすのでしょう
 だから世の中は 争いごとが嫌いなのに 争う人と国であふれています

 世の中は 自分のさみしさをわかってほしいと思う人たちであふれています でも
 お母さんは 子どもは なぜお父さんのさみしさをわかってあげないのでしょう
 お父さんは 子どもは なぜお母さんのさみしさをわかってあげないのでしょう
 お父さんは お母さんは なぜ子どものさみしさをわかってあげないのでしょう

 だから世の中は さみしさをわかってほしいと思うのに
 さみしさをわかってあげられない
 さみしーい人たちであふれています
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 余談ながら今年(2025年)に公表された小中高、特別支援学校におけるいじめの認知件数は約73万3千件。うち重大事態件数1306件。
 ほぼ30年経った今もこのメッセージが掲載できる(しなければならない)ことは悲しい。

 さらに小中の不登校児童生徒34万6千人、高校6万9千人。
 彼らは「なぜこれをほったらかしにするの?」と叫んでいるに違いない。
 子どもが流す涙はいとも軽く扱われている……。

 私は97年98年に決めたテーマ「叫び」と「さみしさ」は今も変わらぬテーマだなと「Y高文芸部物語」を書きながら感じた。

 閑話休題。
 前年文化祭から1年を経て部員の構想力、地の文の表現力は着実に進化していた。
 98年の冊子『百八煩悩』は県の「高校文芸誌コンクール」で最優秀にあたる「県教育長賞」を受賞した。これは[課題→実作→合評]活動の成果だと思ったものだ。

 私は文芸部2年目にあたって「あること」を意識した。
 それは彼らに部活動を通じて「青春」を体感させたいということ。
 他クラブならいざ知らず、「ブンゲーブで? 一体どうやって?」と思われるかもしれない。
 もう一つは「同時進行の青春小説」を書くこと。

 この2点の詳細は後日として2年時の課題――以下2346が青春を体感するきっかけになってほしいとの思いで設定した企画である。
 いずれも部屋にこもってちまちま書く文章(小説)ではなく、外に出て二人、もしくはみなで体験する。それを描いて青春小説をつくろうと。

2「公園」を描く(男女ペアになって学校近くの公園を散策) 5月
3「丸木美術館」を描く(埼玉県松山市「丸木美術館」訪問) 6月
4 夏休み合宿――連作小説をつくる 7月
6「修学旅行(北海道)」を描く 9月

 11名の部員は女子が6名、男子が5名。
 彼らはこの企画に顧問のそのような思いが隠されているとは思いもしなかっただろう。
 私は部員がこれらの体験を「私小説」として描くことを期待した。同時進行の青春小説は私小説にならざるを得ないからだ。
 そして、案の定〈青春の海の中で溺れたに違いない〉部員たちから、体験をそのまま描く作品は現れなかった。素材として取り込んだり、感想が書かれることはあっても、小説にすると現実世界から離れた。

 ただ一人だけこの難題に挑戦した部員がいる。
 それが久保はてな君だ。
 次回より久保はてな君の実作を紹介するが、今号ではブンゲーブらしからぬ「夏休みの合宿」について触れておく。

 文芸部が「合宿」なんて前代未聞のことかもしれない。
 運動系の部活はサッカーや野球などチームワークを必要とするところは合宿できる。文系では吹奏楽なども合宿して朝から夜まで練習する意味がある。通学では全員そろわないことが多いからだ。

 だが、ひとりひとりただ書くだけの文芸部はチームワークと無縁だから合宿の必要がない。
 そこで考案したのが連作小説である。かつて昭和の同人誌などで行われていた。
 校長にかけあって「ワープロ教室で朝から夕方まで連作小説をやるので合宿した方がいい」として認めさせた。

 小説執筆はワープロ室で朝から夕方までの活動。だから、合宿しなくてもできる。(教師以外の)読者は「よくまー認めてくれたなあ」と思われるかもしれない。
 だが、他の部活にしても(体育館以外の)活動は朝から夕方までであって夜はできない。必要かどうかで言うと、運動系でも宿泊しなくていいクラブがある。

 実は高校の合宿というのは夏休みの集中練習以上に「友情を体感、獲得する」意味合いがある。
 放課後の練習では部員同士が家族や進路など深い悩みを打ち明けることは少ない。だが、一晩泊まれば、いろいろなことを語り合える。「実は好きになった人がいる」など思わぬ告白も出る。話が弾めば徹夜になることだってある。
 意気投合したり、誰にも言えなかった悩みを打ち明けることで、やっと親友と呼べる人ができた――こうした体験は自宅以外の所で泊まるから得られるものであり、合宿最大の効能と言える。

 校長は当然このことを知っている。だから、私が「ブンゲーブでも合宿したい」と申し出ると、「必要ないだろ」なんてことは言わない。二つ返事で「どうぞどうぞ」てなもんである(^_^)。
 幸いなことにY高の合宿はほぼ学校近くの国民生活センターで行われていた。学校まで歩いて来られるので、ワープロ室で執筆活動ができた。

 夏合宿の件を部員の作品から抜粋する。
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 「連作小説」とは、夏休みの三日間、朝から夕方まで集中的に行われた小説制作だ。学校に部員全員が集まり、リレー小説を作った。部員十名全員参加して学校近くの国民生活センターに2泊した(朝昼夕の3食付き)。

 そのときS先生が出した課題が例のごとく風変わりなものだった。「はちゃめちゃ系学校小説」だの「タイムトリップ系SF小説」、「ゲーム系冒険小説」、「純情コミック系恋愛小説」などとテーマが設定され、部員はくじ引きでそれぞれ分担を決めた。
 まず各自が合宿初日までに冒頭1ページ分を書いておく。そして、前の部員が書いた後に続けてローテーションしながら、次の人が書き継いでいった。持ち時間は一人一時間半。結局完成まで三日かかった。

 ワープロ室にはエアコンがない。暑かったし、決められた時間の中で、ストーリーが崩れないように書き継いでいくのはとても大変だった。中には話の流れを全く無視する者もいて、顰蹙どころか非難ごうごうの時さえあった。

 小説のラストは冒頭部の作者が再度分担できるようにローテーションを組んだ。途中経過は見ない約束だったので、最終的に自分に回ってきた作品は思いもかけない方向に進んでいることがあった。
 するとまたそこでも最初の作者から非難の雨あられ。しかし、この企画はすごく盛り上がったし、結構みんな楽しみながらやっていた(^_^)。
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 合宿は私の狙いでもある青春の体感場所。部員は夜男女混ざって語ることもあったようだ。もちろん午後10時までは許されている。だが、それを超えれば、不本意ながら叱りつけざるを得なかった。
 宿泊棟は他の部活や一般の人も泊まっている。夕食後は各自部屋で過ごすことにして就寝タイムの午後10時以降は他の部屋を訪ねてはいけない――これは全体のルールだった。 だが、彼らはその後もひそかに集まっていろいろ語り合った。思わず声が大きくなれば、運動系の部活生徒が眠る部屋に漏れる。
 当然のように顧問の私のところに「注意してくれ」と苦情が来る。私は出かけて行って「静かにしろ」ときつく注意した。

 これも青春あるある。自分(たち)の世界に浸れば、周囲への配慮を忘れる。私は内心「青春してるな」と思った(^.^)。だが、彼らは叱責する私を「理解してくれない大人」と見ただろう。
 若者の自由を認めない大人の登場もよくある青春ドラマ。私はそれを演じたってわけだ(^.^)。


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 最後まで読んでいただきありがとうございました。

後記:次号より久保はてな君の実作を紹介します。が、困ったことに当時のフロッピーディスクを読み込むことができず、特に97年最初のころの課題はほんとに埋もれてしまいました。
 よって、残っていた作品の紹介となります。もっとも、長編もあるので結構な量です。

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